2008年7月18日 (金)

大学生の学業機会を侵害する企業の横柄な採用活動

大学3団体が全国の企業に早期採用活動の自粛を申し入れ
 79日午後7時のNHKニュースで、企業が大学生の採用選考と内定を出す時期が早くなりすぎて学生が就職活動に追われ学業に支障が出ているとして、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学団体連合会の3つの団体が全国の企業に対して、大学4年生になる前には採用の働きかけを行わないよう要請した、というニュースが放送された。

 このニュースによると、この10年ほど企業が大学生の採用を決める時期が年々早まり、大学生の多くが3年生の早い段階で就職活動を始めているのが実態だという。そこで、上記の大学3団体は「学生が就職活動に追われて十分に学べないまま社会に出ている憂慮すべき現状にある」として、全国の企業や業界に対して、早い時期からの働きかけを控えるよう要請したのだそうだ。具体的には、大学4年生になる前の学生を対象にした採用の働きかけは行わないことや、就職セミナーや面接などは大学の授業がない休日や夏休みに行うよう求めたという。

目に余る企業の学業妨害行為
 このニュースを私は、「何を今頃」という思いで聞いた。大学教員なら大なり小なり、こういう状況は先刻承知のことである。私自身、学期の途中で、担当した講義科目について小テストを数回行っている。私の大学生時代はというと、試験といえば、学期末1回が当たり前で、試験開始時刻の数分前に事務職員が試験教室に現れ、封筒から問題文が書かれた用紙を取り出して、「産業革命の特徴を論ぜよ」などと大味の問題を板書する科目が多かった。中には、答案用紙の右肩に「希望する点数を記入せよ」と書いて「記入欄」が用意されていた科目もあった。それならと不遜にも「95点」と記入した。後日、成績簿を見たら、95点だったか98点だったかの点数が付いていて驚いた。そんな自分自身の牧歌的というか、自由放任の学生時代を振り返ると、今の大学教育はずいぶんと細やかになったものだと思う。

 話が横にそれたが、春先に1回目の小テストの事前アナウンスをすると、「その日は就職活動で受けられません。何とかしてもらえませんか?」と言いに来る学生が必ず数名いる。当然、「何ともならないね」と答えるが、割り切れなさを感じるのも確かである。中には、「就職活動で授業に出られなかったので、今まで教室で配布されたプリント資料をもらえませんか?」と言ってくる学生もいる。最近は講義用ブログを開設しているので、そこに掲載した資料を自分で印刷するようにいうことにしている。

 
会計士試験(2次試験)に合格したゼミ生が正規のゼミの時間帯に新合格者向けに行われる実習に出なければならないのでと、ゼミの欠席や早退を申し出てくることがある。そのときは、「君が就職する監査法人の上司の名前は? 手紙を書くから持っていきなさい」というと、「それだけは勘弁してください」という返事が返ってきた。

 本来、こういう状況を諦観している大学教員はふがいないのだが、企業が一斉に青田買いに動き、どの大学の学生もそれに対応せざるを得ない状況では、個々の教員が自分の周辺の大学生に学業専念を諭してもどうにかなるものではない。だからこそ、全国の大学当局が共同で経済団体に対し、大学の威信をかけて、学生の学業を妨害する行為を自粛するよう毅然と迫るのが当然である。NHKニュースが伝えたように10年ほど前から、このような企業による学業妨害行為が横行していることを承知しながら、今まで放置してきた大学当局の無責任さは深刻である。と同時に、大学のカリキュラム、大学生の学業の機会を侵害して意に介さない企業の横柄な行動を社会に訴え、強く自制を求めたい。

レジャーランド 今は昔
 かつて、大学はレジャーランドと嘲笑されたが、昨今は大学生の間に学びの姿勢が広がっていると実感している。この春、私が担当するゼミに入った新3年生一人一人に夏学期中(東大では4~9月の学期をこう呼んでいる)順次、自分でテーマを探し発表するよう指示した。例年であれば、発表前に個別にミーティングをして、論点や参考文献のアドバイスをしたものだが、今年度は候補になるテーマのリストを配布し、発表の順番を決めただけで、後は各自が独学をしてかなりの質量の発表用原稿をまとめた(この程度の勉学は当たり前と言えば、それまでだが)。発表したテーマは次のとおりだった。
 *排出権取引
 *株式会社アイ・エックス・アイの粉飾決算
 *粉飾決算について(ミサワホーム九州の粉飾決算の研究――醍醐補    注)
 *ストックオプション
 *サブプライムローン問題 
 *ハイブリッド金融商品の貸借対照表上の分類について
 *ポイント・マイレージの会計
 *企業結合とのれん
 *新銀行東京について
 *粉飾~その実態と背景~(日興コ-ディアルグループ、ライブドア、    カネボウ、サンビシの粉飾事例の研究――醍醐補注)
 *ブルドックソース株式会社の新株予約権無償割当てについて

 どの発表も大学3年生にしてはなかなか充実しており、毎回、発表の後の議論も例年以上に活発だった。定年まで残り少なくなった私にとっても、この夏学期は充実感を味わえた。それだけに、求人側のスケジュールに受け身にならざるを得ない大学生の事情を見透かして彼らの学業の機会を侵害する企業の横柄な行動に強く自制を求めたいのである。求人活動は土・日か夏休み中に限るということを事細かにルールで縛ったり、大学側から申し入れをされたりしなければ、やりたい放題というのでは嘆かわしい。

道路に面したわが家のフェンスにからむてっせん
(季節はずれになったが)
20080717_2   

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2008年7月12日 (土)

NHKの内的自由の抑圧の走狗と化した小林経営委員

小林経営委員による最高裁判決の「改ざん」
 さる624日に開催された第1071NHK経営委員会の議事録が711日に公表された。この日の会合で議題になったETV番組改編事件に係る最高裁判決をめぐって小林英明委員は次のように発言している。

 「(小林委員) 先ほどの「ETV2001」の最高裁判決についてです。勝訴したことは喜ばしいことですが、これはNHKにも重い責任があることを示したものだと思います。この判決は、「放送現場の職員が当初、企画・制作した番組について放送局内でいろいろな立場、いろいろな視点から検討し、意見を述べるのは当然なことであり、その結果、最終的な放送内容が当初期待されたものと異なったり、企画や番組自体が放送されなくなることがあるのも当然のことだ」ということを言っています。つまり、放送事業体、すなわち法人としてのNHKに編集権、自主的判断権があり、放送現場個々にあるものではないということです。したがって、NHKが放送する以上、法人のNHKとして、きちんと責任を持った体制で、内容を吟味して放送するようにということです。放送現場が独走して、法律や倫理に違反した番組を作らないように、しっかりした体制で、きちんとした番組を作っていただきたいという趣旨の判決だと思いますので、その点をよろしくお願いいたします。」

 この発言を受けて、福地会長は次のように発言している。

 「(福地会長) おっしゃるとおりだと思います。記者や制作者はそれぞれ個人としての思想があると思いますが、NHKとして放送する以上は、ニュースや番組の内容は不偏不党でなくてはいけないと思います。私も、報道担当の今井理事もそのように考えております。」

 しかし、上記の小林委員による最高裁判決の引用・援用には判決のどこにも記されていないNHKにおける編集権の解釈に関する意図的な脚色がある。最高裁判決は1審原告バウネット・ジャパンの訴え(取材協力者としての期待権)を退けたが、その際に挙げた論拠は次のとおりである。

 「放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる。」

 私はこのような論拠に大いに疑義があると考えているが(612日付けのこのブログ記事を参照いただきたい)、ここで最高裁が指摘したNHK内部での独自の編集とは「放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられる」ことを言ったにとどまり、小林委員がいうような「法人としてのNHKの編集権」という概念を使ったわけではないし、NHK内部での番組編集が上下の階層構造の下に成り立っているといった解釈を示したわけでもない。これらは小林委員による最高裁判決の「改ざん」にほかならない。

小林経営委員は誰の代理人なのか?
 さらに、小林委員は、「放送現場が独走して、法律や倫理に違反した番組を作らないように、しっかりした体制で、きちんとした番組を作っていただきたいという趣旨の判決だと思います」と発言しているが、小林委員は最高裁判決のどこからそのような「趣旨」を忖卓したのか、弁護士としての小林氏の判例解釈の資質を確かめたいものである。

 また、最高裁判決が、放送現場の番組制作にどのような法律違反や倫理違反があったとどこで指摘しているのか、上記のような重大な発言をする以上、根拠を示すのが弁護士としての小林委員に求められる議論の初歩的作法であり道義的責任である。

 今回の小林委員の発言は、もともと番組制作と関わりのない野島国会担当役員らが元「従軍慰安婦」や元日本軍兵士の証言などを快く思わない安倍晋三氏と面会したあと、番組制作現場に駆けつけ、安倍氏らの意向を忖卓して番組改ざんを指示した行為を、「放送現場の暴走を食い止めるための」「法人としてのNHKの編集権」なる修辞で言いくるめ、正当化しようとしたものといえる。これでは、小林経営委員は市民の知る権利の代理人たるべき経営委員として失格といわなければならない。

「編集権」なる概念とジャーナリズムにおける内的自由
 上記のような小林委員の発言が出る背景には、「編集権」なる概念とジャーナリズムにおける内的自由に関する認識の欠如があると考えられる。この機会にこうした概念の理解を正す必要があると思われる。NHKの職員OBが中心になって1989年に発足した「放送を語る会」の内部に設置された「私たちの提案」作業チームは2006626日付けで「“可能性としてのNHK”へ向かって(案)」と題する提案を公表した。その中で、NHKにおける「編集権」概念の意味が次のように記されている。

 「私たちは法的な根拠もないこのような〔NHKの編集権は会長の業務執行権の中枢であるという〕編集権概念を到底認めることはできません。編集権を、経営者である会長や放送総局長から番組制作局長に移せばよい、という見解もありますが、これも危険です。
 複雑で多岐にわたる現実を取材し、創造的な集団で集団的な作業と表現が要求される多数の番組について、たった一人のトップが適否を判断する、という体制は、番組制作・ニュース取材のように、精神的な作業を中心とする職場ではもともと不自然です。
 放送局の構成員ひとりひとりが、国民の多様な知る権利の付託をうけ、それを実現する任務を負っている、と考えるならば、企画の採否や、番組内容の適否については、できるだけ現場の民主的な合議によって決するのが健康な状態です。組織である以上、セクションのトップが決定するということは避けられませんが、その際も現場に対して説明責任が果たされ、判断の理由が局内で公開される必要があります。」

放送現場の自由を抑圧する走狗と化した小林経営委員
 言われてみれば、特に目新しいことはないかも知れないが、番組制作現場での長年にわたる実体験に裏付けられたこのような提言には説得力が伝わってくる。問題のETV番組の場合もある時点までは、制作現場のスタッフの間で時には激論も交えながら合議が続けられた。このような動きを指して「放送現場の独走」と咎める小林委員の発言はジャーナリズムにおける内的自由に関する無知無理解をさらけ出したものといえる。
 また、こうした小林発言に呼応して、ETV番組の制作にあたり、放送現場のスタッフの中にあたかも個人的な思想に固執した不偏不党の原則に反する行為があったかのように発言した福地会長の見識もNHKのトップに求められる見識とはあまりに懸隔が大きい。

 このような発言が平然と交わされるようでは、NHK経営委員会は放送ジャーナリズムの自由と自立のための砦どころか、脅威とさえいわなければならなくなる。視聴者はNHKの放送現場の良識ある人々と連繋して、このようにジャーナリズムの内的自由の抑圧の走狗と化した経営委員を厳しく監視し、経営委員としての適格性を質していく必要がある。

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2008年7月 3日 (木)

愛知淑徳大学で講演:特別会計の埋蔵金の解剖――社会保障財源は増税なき増収で――

 昨日(72日)、愛知淑徳大学のビジネス学部からの依頼で標題のようなタイトルの講演をさせてもらった。声をかけていただいた同学部の吉村文雄教授から「話題を会計に絞らず一般学生の関心にも合うような話を」と頼まれたため、最初の3分の2は専攻からはみ出た社会保障問題に首を突っ込むことになった。ただ、199698年にかけて『週刊社会保障』(株式会社法研刊)の「今週の論評」欄に2ヵ月に1回のペースで執筆をさせてもらったのを機に、「賦課方式の公的年金をめぐる世代間不公平論」や「国民負担率抑制論」の真偽などを考えさせられ、以後も「小さな政府」論に対するささやかな批判を書きとめてきた。
 そこで、小泉政権が打ち出した社会保障費抑制路線の矛盾が噴出する一方、社会保障の財源論がかまびすしい昨今、折から専攻分野で手掛けている特別会計の研究成果の一端を活かせればと考え、標題のようなタイトルで講演をさせてもらった次第である。

 愛知淑徳大学のビジネス学部は名古屋市東部の長久手キャンパスにある。傾斜や石段を取り入れたモダンな庭園風のキャンパスは屈託のない学生の活気であふれていた。吉村教授のほか、梅田敏文現学部長、杉本典行前学部長(会計学教授)なども聴講いただき、恐縮した。 

講演用パワーポイントの原稿 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/tokubetukaikei_no_maizokin_no_kaibo20080702.pdf

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2008年6月30日 (月)

日本簿記学会関東部会で研究発表

628日、東京理科大学で日本簿記学会第24回関東部会が開催された。統一論題は「税効果会計の現代的課題」だった。私は同学会の会員ではないが準備委員会から報告依頼を受け、「法人税等調整額の性格の再検討」という論題で研究発表をした。

 以下は、その報告要旨と報告用に使ったパワーポイントの原稿である。未定稿なので引用・転載等は固くお断りする
  なお、会場で補足資料と参照事例資料を配布したが、ここでは掲載を省略する。

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   法人税等調整額の性格の再検討(報告要旨)

                      醍醐 聰

 税効果会計の目的は法人税等調整額を介して法人税等を適切に期間配分することにより、税引前当期純利益と法人税等を合理的に対応させることにあるといわれている。しかし、わが国の銀行業では税効果会計適用後の法人税等の負担率が法定実効税率から乖離している例が少なくない。しかも、その乖離の主たる原因は永久差異にではなく評価性引当額にあることがわかる。しかし、評価性引当額は仕訳上、法人税等調整額の相手科目であり、税効果会計を構成する勘定科目である。とすると、税引前当期純利益と法人税等を合理的に対応させるために採用された現行の税効果会計の体系の中に、この目的達成を阻害する要因が混在しているのではないかと想定される。本報告は法人税等調整額の性格に焦点を当てて、このような想定を理論、実証の両面から検討することを主眼としている。

 わが国の「税効果会計に係る会計基準」によると、法人税等調整額は、①一時差異の発生または解消に伴って繰延税金資産または繰延税金負債が変動した場合、②過年度の繰延税金資産または繰延税金負債の回収(決済)可能性を見直した結果、修正差額が生じた場合、に増減変動する。このうち、①の場合、法人税等調整額は当年度中に一時差異が発生または解消したことに伴う法人税等の増減変動を調整し、企業会計から誘導された税引前当期純利益に対応する法人税等を導くための調節弁としての役割を果たす。これが語の本来の意味での税効果会計の姿といえる。しかし、②の場合の法人税等調整額は繰延税金資産の評価の見直しに起因する過年度損益修正額に対応する法人税等を意味するが、現行の税効果会計基準ではこの場合の過年度損益修正は税引前当期純利益計算に反映されない。これが、税効果会計適用後の法人税等の負担率を法定実効税率から乖離させる要因になっていると考えられる。本報告では、このような原因分析にもとづいて税引前当期純利益と法人税等を合理的に対応させるための方法を探るとともに、企業会計と課税所得計算の関係はどうあるべきかについても考察することにしたい。

報告用パワーポイント原稿
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/boki_gakkai_houkokuyo_pp.pdf

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2008年6月18日 (水)

視聴者コミュニティ、NHK番組改編事件判決に関する見解を最高裁裁判官ほかに提出

「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は617日、次のような見解をまとめ、今回の裁判を担当した最高裁第一小法廷の5人の裁判官(横尾和子、甲斐中辰夫、泉徳治、才口千晴、涌井紀夫の各氏)とNHK正副会長以下全理事、NHK経営委員全員に提出(手交または郵送)した。

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                           2008616

    ETV番組改編事件に対する最高裁判決についての当会の見解

             NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
                    共同代表 湯山哲守・醍醐聰

 さる612日、最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)はETV番組改編事件に対して第1審原告(VAWW-NET JAPAN。以下、「原告」という)の訴えを全面的に退ける判決を言い渡しました。判決の中で最高裁は原審東京高裁判決が挙げた2つの争点のうち、1つ目の番組改編にあたって政治介入があったかどうかにはまったく言及せず、2つ目の争点、すなわち、番組改編が取材に協力した原告の期待権、信頼を侵害するものであったかどうかを検討し、どのように番組を編集するかは放送事業者の自主的判断にゆだねられており、取材対象者の期待や信頼は原則として法的保護の対象にならないとして原告の訴えを退けました。
 しかし、私たちは以下述べる理由により、こうした最高裁判決は本件番組改編の本質から目をそらせた、まれに見る悪質な判断であると考え、最高裁を厳しく批判するものです。

1
. そもそも放送法第3条が定めた番組編集の自由、自律といっても、それは今回の最高裁判決も指摘しているように、「国民の知る権利に奉仕する表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にある」ものです。ところが、本件においてNHKが行った番組改編は、戦時性暴力の実態を被害者である「元従軍慰安婦」や加害者である元日本軍兵士が証言した場面をカットするなど、国民が日本の戦争責任を考える上できわめて重要な意味を持つ証言を切り捨てる改編にほかなりませんでした。このように国民の知る権利に背くことが明白な番組改編まで「表現の自由」を持ち出して免罪した最高裁判決は憲法の番人たる司法の使命を自ら投げ捨てたに等しい、稚拙かつ前後自己矛盾の判断というほかありません。

2
. 最高裁判決は、「放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる」(下線は引用にあたって追加)と記しています。
 しかし、本件番組改編は純然たるNHK内部での検討の結果ではなく、東京高裁判決も認めたように、安部晋三氏ら政権与党政治家の干渉、圧力を受け、それを忖度したNHK幹部が制作現場の抵抗を押し切って強行したものにほかなりません。また、NHK内部といっても、改編を主導したのは制作現場のスタッフではなく、安部氏らと面会したあと制作現場に戻った野島国会担当役員らでした。こうした異例な一連の経過を見れば、本件番組改編をNHK内部での様々な意見・検討の結果であるなどと一般論に解消して済ませようとした最高裁判決が問題の本質をはぐらかせた皮相な判断であることは明白です。

3
. 今回の最高裁判決は上記のように、本件番組改編にあたって行われた政治家の介入について一切言及しませんでした。しかし、このことを以て、NHKあるいは安倍晋三氏ら関係政治家が無罪放免されたとは到底みなせません。それどころか、本件をめぐる東京高裁法廷で番組制作スタッフが証言した政治家の数々の介入を示す証拠、それらも踏まえて東京高裁が認めた政治家の介入とそれを忖度した当時のNHK幹部の政治におもねる根深い体質は、当事者自らが非を認め、反省の意思を行動で示さない限り、恒久に消えることのないNHKの汚名として視聴者の記憶にとどまることは間違いありません。
 私たちは、この記憶を風化させることなく、今後もNHKの優れた番組には激励を送る一方で、政治におもねるNHKの体質を厳しく監視し、是正を求める行動を起こしていきます。

4
. 最高裁が今回の判決で、国民の知る権利に背く番組改編まで放送事業者の編集の自由の名の下に免罪したことは、今後、NHKが自らの「編集権」を盾に同様の番組改編を繰り返すのではないかという懸念を抱かせます。しかし、国民の知る権利に奉仕するためにこそ、メディアに編集の自由、表現の自由が与えられているという憲法の原点に照らせば、今回の最高裁判決が司法の良識に背くことは明らかです。私たちはこのような憲法の原点を踏まえて、今後も国民の知る権利に奉仕する公共放送としてNHKが再生するよう、視聴者主権の運動を続けていく決意です。

                               以上

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2008年6月13日 (金)

まれにみる稚拙で悪質な最高裁判決――ETV番組改編事件に対する最高裁判決への論評

 昨日(612日)、最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)はETV番組改編事件に対して原告(VAWW-NET JAPAN)の訴えを認めた(一部は棄却)東京高裁判決を覆す原告全面敗訴の逆転判決を言い渡した。公判の成り行きから原告に厳しい判決が出ることは予想していたが、27ページからなる判決要旨を通読して、予想を越える最悪に近い内容であると感じた。これによって司法判断は確定したが、この番組改編問題は私がNHKの放送に関心を持つきっかけになった事件だったので、判決要旨から理解できた範囲で今回の最高裁判決について論評しておきたい。

判決の要点
 原審である東京高裁では本件をめぐって2つの点が争われた。1つは番組改編にあたって政治家の介入があったかどうか、あったとしたらそれは番組改編にどのような影響を及ぼしたのかであった。もう1つは、番組改編が取材に協力した原告の期待権、信頼を侵害するものであったかどうか、改編についてNHKに原告への説明義務違反を理由とする不法行為責任があったかどうかだった。
 今回の最高裁判決は1つ目の争点には全く触れず、もっぱら2つ目の争点について判断を示している。その要点を摘記すると以下のとおりである(下線は引用にあたって追加)。

 「これら放送法の条項〔第1条~第3条〕は、放送事業者による放送は、国民の知る権利に奉仕するものとして表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることを法律上明らかにするとともに、放送事業者による放送が公共の福祉に適合するように番組編集に当たって遵守すべき事項を定め、これに基づいて放送事業者が自ら定めた番組基準に従って番組の編集が行われるという番組の自律性について規定したものと解される。」

 「そして、放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる。」

 (上記からすれば)「放送事業者又は制作事業者から素材収集のための取材を受けた取材対象者が、取材担当者の言動等によって、当該取材で得られた素材が一定の内容、方法により放送に使用されるものと期待し、あるいは信頼したとしても、その期待や信頼は原則として法的保護の対象とはならないというべきである。」

国民の知る権利に背く番組改編を憲法が保障した「表現の自由」の名の下に免罪した支離滅裂な判断
 そもそも放送法第1条が定めた放送による表現の自由、第3条が定めた放送番組への干渉の排除、自律は今回の最高裁判決自身も指摘しているように、「国民の知る権利に奉仕する表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にある」ものである。ところが、本件においてNHKが行った番組改編は、戦時性暴力の実態を伝えようと、被害者である「元従軍慰安婦」と加害者である元日本軍兵士が行った証言をカットするなど、国民が日本の戦争責任を考える上で貴重な意味を持つ証言を切り捨てる改編にほかならなかった。このように憲法21条の目的に反し、国民の知る権利を裏切る番組改ざんまで「表現の自由」を持ち出して免罪した最高裁裁判官の憲法と放送法解釈は稚拙というほかない。 

政治介入に起因する番組改編をNHK内部の検討の結果にすり替える歪んだ事実認定
 最高裁判決は上記のとおり、「放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる」と指摘している。

確かに、本件番組改編はある時点まではNHKならびにNHKから番組制作を委託されたNHKエンタープライズ21(NEP)、ドキュメンタリー・ジャパン(DJ)の担当者内部での議論をつうじてなされたものであったといえる。そして、この段階(東京高裁判決によれば20001226日まで)の番組改編は東京高裁判決が指摘したように「本件番組の制作責任者としてより良い番組を作ろうとした純粋な姿勢によるも」と手放しに評価できるかどうかは別にして、政治介入を忖度したりそれにおもねたりしたものではなかったと考えられる。

 しかし、少なくとも本件番組の放送直前の2001129日の夕刻から夜にかけて行われた上記の証言場面の削除は、同日、安倍晋三氏(当時、官房副長官)と面会し安倍氏から本件番組を公平公正なものにするよう促された松尾放送総局長(当時)や野島国会担当役員らがNHKの制作現場に戻り、番組制作とは無縁な野島氏が主導・指示する形でなされたものである。これも「NHK内部での」検討の結果であるかのように描いた最高裁の事実認定は、番組改編の核心部分から政治家の関与をそり落とし、政治介入に煙幕を張る悪質なすりかえのレトリックといえる。

最高裁判決は政治介入と政治におもねるNHKの体質の免罪符にならない
 今回の最高裁判決は先に記したように、本件番組改編への政治家の介入について全く触れていない。しかし、そのことから、NHKあるいは安倍晋三氏ら関係政治家の不当な介入が免罪されたとは到底いえない。今回の最高裁判決も、番組制作に直接かかわった永田恒三、長井暁の両氏が東京高裁法廷で陳述した政治家の数々の介入を裏付ける証言の証拠能力を否定したわけではないから、それらも踏まえて東京高裁が認定した政治家の介入、それを忖度した当時のNHK幹部の政治におもねる根深い体質は消せない事実として記録に残る。さらに、こうした政治におもねる体質を象徴したかのような当時のNHK理事の「政治家への番組の事前説明はNHKの日常業務」という発言についてNHKは今なお、公式に非を認めていない。であれば視聴者は、こうした政治におもねたNHKのジャーナリズムとしてあるまじき行為を長く記憶にとどめ、NHKの優れた番組には激励を送る一方で、政治に弱いNHKの体質を厳しく監視し、視聴者主権の公共放送の実現を目指す行動を続けていく必要がある。

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2008年5月18日 (日)

日本の医療費抑制政策は正当か? ~医薬品製造業の高収益構造が問いかけるもの~

 さる59日付けで拙書『会計学講義』第4版、東京大学出版会、を刊行した。このブログにアクセスされる方々は会計学に関心を持たれた方ばかりではないと思うが、自分の専攻分野での仕事の一端をお伝えできればと思い、以下、東京大学出版会のHPに掲載された拙書の紹介記事(目次と担当編集者のコメント)を同会の許可を得て、PDF版で転載することにした。

醍醐聰『会計学講義』第4版、20085月、東京大学出版会、目次
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kaikeigakukougi4ed_mokuzi_UP.pdf


同上書、表紙カバ-(絵は衣川史さんの作品「浸透」である。衣川さんの了解を得て、このブログに転載することにした。)
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  この記事では、日本の医療費抑制政策の正当性を検討する一助になると思われる医薬品製造業の高収益構造を示すデータ(拙書の第
3章の冒頭に掲載したTopix3)をこのブログにアクセスしていただいた方々にも参照いただければと思い、一部割愛のうえ、転載することにした。なお、Topix3は損益計算書の読みこなし方を学ぶ事例として掲載したものである。

【Topix 3】医薬品製造業の損益計算書の特異性

下の表は製造業、医薬品製造業ならびに医薬品製造業に属する2社の2004年度の百分比損益計算書(売上高を100とした場合の主な収益・費用項目、各種利益の割合)の一部である。

   図表31 医薬品製造企業の百分比損益計算書(2004年度)
          製造業    医薬品   小野薬   武田薬
                 製造業   品工業   品工業
売上高       
100.0                100.0             100.0              100.0
売上原価
                       78.5                  34.1              14.5                 25.4
 売上総利益
                21.5                 65.9               85.5                 74.6
販売費及び
一般管理費      15.8                 44.7               44.3                30.7
  うち研究開発費               4.3                                     21.2                18.9

 営業利益
                     5.7                21.2               41.2               43.9
営業外収益
                     1.9                  2.0                  1.5                 3.2
営業外費用
                     1.4                  1.1                  0.3                 1.7
 経常利益
                     6.2                22.1                 42.5               45.4

(注) 製造業、医薬品製造業は資本金100億円以上の企業の総計
(出所)製造業、医薬品製造業は、経済産業省経済産業政策局調査統計部『企
業活動基本調査報告書』平成17年、平成193月。小野薬品工業、武田薬品工業は各社の有価証券報告書より作成

【設問】
  1.売上総利益、営業利益、経常利益はそれぞれどのように異なるのか?
  2.上の百分比損益計算書から、製造業と医薬品製造業では損益計算の構造にどのような違いかあるか、説明せよ。その違いは医薬品製造業の営業活動のどのような特徴を表していると考えられるか?


【Topix 3の解説】
医薬品製造企業の高収益構造から見えてくる日本の医療費抑制政策の歪み


 この章の冒頭に掲げた図表31から次のような特徴を読みとることができる。
 1.企業の定常状態での収益性を表すといわれる経常損益の段階で医薬品製造業は製造業平均の3.6倍の収益率を記録している。また、医薬品製造業の中でも図表31で上げた2社は同業種の平均のさらに約2倍の経常利益率を記録している。

 2.医薬品製造業では営業費用に占める研究開発費の割合が高いが、それを差し引いた営業損益段階でも製造業平均の3.7倍の利益を確保している。

 
3.  このように医薬品製造業が製造業平均と比べて極端に高い利益水準を記録した原因は、異例ともいえるほど高い売上高総利益率(売上総利益/売上高)にある。これは薬価が原価を大きく上回る水準で設定されていることを意味する。
    
 従来、日本では医療機関に納入される医薬品の卸価格が市場の実勢価格を下回る結果、その乖離に相当する「薬価差益」が大きいことが問題にされてきた。なぜなら、このように卸価格と実勢価格が乖理した状態では、医療機関は患者に医薬品を投与すればするほど利鞘を稼ぐことができ、それが薬漬け診療をはびこらせ、医療費を押し上げる要因になっていると考えられたからである。
 このような議論を踏まえて厚生労働省は薬価改定の都度、薬価差の縮小を促してきた。その結果、1991年には23%とされた薬価差益は2006年には8%まで縮小した。しかし、それでも医療費の高騰傾向は止まっていない。そこで、政府は医療費の総合的抑制策を打ち出し、患者負担の引き上げとそれによる受診の抑制を誘導している。