筋論と協調で揺れる被害国の姿を高みから評論する日本の政府とメディア

2018110

昨夜から今朝にかけてのニュースを見て

「日韓関係、政治利用した大統領府 慰安婦合意の検証」
 (ソウル=牧野愛博 『朝日新聞DIGITAL2018192028)
 
https://www.asahi.com/articles/ASL193W9BL19UHBI00K.html

 「韓国政府は昨年末から、日韓慰安婦合意の扱いを巡って迷走した。複数の関係者の証言をたどると、文在寅(ムンジェイン)政権の高支持率の維持を重視した大統領府が、日韓関係の悪化回避を模索した韓国外交省を振り回した構図が浮かび上がる。」 

「韓国の新方針は意味不明 日本政府合意実施を働きかけへ」
 (NHKニュース、110 410分) 
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180110/k10011283231000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_003

「慰安婦問題をめぐる日韓合意で日本側が拠出した10億円の代わりに韓国政府の予算を充てるなどとする韓国側の新たな方針について、政府は、意味が不明で追加の措置は受け入れられないとして、合意を着実に実施するよう粘り強く働きかけていく考えです。」

「韓国慰安婦、対日と世論で難しい対応」
 (NHKニュース、110 530分)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180110/k10011283331000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_001 
「韓国政府は9日、慰安婦問題をめぐる日韓合意について、日本政府に対し再交渉は求めないなどと発表しましたが、元慰安婦を支援する団体からはこの方針に不満の声が上がっており、『未来志向』を標ぼうする日韓関係と合意への反対が根強い国内世論との間で難しい対応を迫られそうです。」

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日本の大手メディアに共通の「報道フレーム」

*韓国 迷走 vs 日本 着実に合意を実行?
  → ・日本は名ばかりの「謝罪」と金を出しただけ 
    ・知らせざる歴史教科書は放置? 
    ・安倍氏が力んだ「狭義と広義の強制連行論」はどうなるの
     か? 
    ・筋論と協調で揺れる被害国の様子を加害国の政権が他人事
     のように高みの見物を決め込む光景 
    ・こういう道義崩壊政権と二人三脚の大手メディアは政府広
     報官そのもの 
    ・政府が「国難」を叫び続けたら、そのうち「大日本報道報
     国会」ができるのでは? 
*韓国の意思 → 「口をふさぐ見返りの金なら使わない」 
       → 私には「意味不明」どころか、非常によく理解で
         きる
*「政治利用」? この見出しこそ「意味不明」 

皆さま、日本の野党でこの問題にはっきり意思表示をした政党をご存じでたら、教えてください。私には見当たりません。


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再度、志位和夫氏に問う~「日韓合意」をめぐる談話の撤回が不可決~

201816

日本共産党も同調圧力に飲み込まれたのか?

 「日韓合意」から2年目にちなんだ一つ前の記事で、「こと日韓・日中の歴史問題となると、日本の『進歩的』論者やリベラル政党さえも、日本社会に垂れ込める『同調圧力』に飲み込まれてしまうのか?」と書いた。
 この点で、私が今なお、大変不可解に思うのは、「日韓合意」が発表されて以降、今日に至るまでの日本共産党の態度である。

 日韓合意が発表された翌日20151229日の『しんぶん赤旗』に志位和夫委員長の談話が掲載された。私が驚いたのは志位氏が談話の末尾で、今回の合意において日本政府が「慰安婦」問題につき、軍の関与を認めて謝罪したことを挙げ、「合意」は「問題解決に向けての前進」と評価したことである。
 しかし、「日韓合意」で示された日本政府の謝罪は本当に「問題解決に向けての前進」と評価できるものだったのか? 

 (1)「日韓合意」から1週間後に『中央日報』が行った世論調査(201615日の同紙に掲載)で、「安倍首相の謝罪に誠意はあるか」という問いに対し、「ある」が21.5%(内訳:「非常にある」 1.7%、「ある程度ある」19.8%)だったのに対し、「ない」は76.6%(内訳:「あまりない」39.6%、「全くない」37.0%)だった。
 志位氏はこのような韓国での世論調査の結果をどう受け止めるのか? 韓国市民の理解不足とみるのか? それとも「そんなはずではなかった」なのか?

 (2)「日韓合意」に関して韓国内で反発が強まる中、日韓の市民の間から安倍首相に対して、慰安婦被害者に手紙を送るよう要請されたのに対して、安倍首相は前記のように、「毛頭そのようなことは考えない」と拒否した。
 これでも志位氏は「日韓合意」に盛られた日本政府の「謝罪」を問題の解決に資するものと評価するのか? 安倍首相の発言は「問題の最終的解決」にそぐわないと考えたのなら、なぜ抗議なり批判なりを表明しなかったのか? 

 (3)日本政府からの強い要求で「少女像」の移転に関する一項が「合意」に盛り込まれた。しかし、上記の『中央日報』の世論調査によると、20代では86.8%が移転に反対し、30代でも76.8%、40代では68.8%と、若い世代を中心に移転に反対が圧倒的に多かった。その後の世論調査でもこうした傾向は一貫している。
 この点を志位氏はどう受け止めるのか? それは談話を出した後の調査結果なので関知しないということなのか? 
 そもそも、志位氏は「少女像」が韓国内でどのような経緯で設置されたかを知らなかったのか? 外国公館の近辺にあのような像などを設置することは類似の先例に照らして「ウイーン条約」に抵触するものではないという事実認識が志位氏にはなかったのか? 
 (注)これについては筆者作成の次の資料(1314ページ)を参照いただきたい。
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kurogen_shozyozou_siryo.pdf

 (4)志位氏は、戦争犯罪の反省と継承に「最終的不可逆的」解決~ある時点を以て戦争犯罪を語り継ぐことを封印するという了解~があると本気で信じるのか? そんなことは断じてないというなら、「最終的不可逆的」解決という文言がキーワードになった「日韓合意」を十分吟味もせず、なぜ、早々に「問題解決に向けた前進」などと評価したのか? 

 (5)河野談話(1993年)では、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と謳われた。
 しかし、日本の高校の歴史教科書では2011年の検定で「慰安婦」関連記述がすべて消え、2015年の検定で「強制連行を直接示す資料は発見されなかった」という日本政府の見解を併記することを条件に、かろうじて1社の教科書に「慰安婦」関連の記述が復活したにとどまる。
 これは、日本政府が20141月に「教科書検定基準」を改定して、「閣議決定(閣僚会議議決)など政府の統一された見解がある場合には、これに基づいて記述すること」を要求したことの帰結と考えられる。
 志位氏は、河野談話とも相容れない、こうした日本政府の歴史教科書検定方針を不問にしたままで、従軍慰安婦問題の「最終的不可逆的解決」があり得ると考えているのか? そんなことはないというなら、慰安婦問題の記憶と継承を封印しようとした「日韓合意」は真の問題解決に向けた「前進」どころか、「逆行」だとなぜ批判しなかったのか? 

良心の「北斗七星」を自負するのなら

 私は2016128日にこのブログにアップした記事の中で、「日韓合意」に関して「日本共産党への4つの質問」を書いた。

「誤った12.29談話とのつじつま合わせに陥っている日本共産党への4つの質問~『従軍慰安婦』問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(8)~」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/122948-2d17.html

 長くなるので、再録は控えるが、末尾に「日本共産党が今回の日韓合意後も、正しい見地に立って『慰安婦問題』の解決に貢献する運動に取り組むには、合意を『前進』と評価した1229日の志位談話を撤回することが不可欠である。あの談話の誤りに頬かむりしたまま、合意後に示された韓国の世論、元『慰安婦』の意思とつじつまを合わせようとするから、我田引水の強弁に陥るのである」と書いた。

志位談話を撤回する意思があるのか、ないのか


 ここで、改めて志位氏に問いたい。
 日本共産党が今回の日韓合意後も、正しい見地に立って『慰安婦問題』の解決に貢献する運動に取り組むには、合意を『前進』と評価した1229日の志位談話を撤回することが不可欠と私は今でも考えている。
 志位氏はあの談話を撤回する意思があるのか、ないのか、ぜひ、答えてほしい。

 日本共産党は、戦前の日本共産党の一貫した立場を、自らの立ち位置を測る「北斗七星」にたとえた鶴見俊介氏の言葉を紹介してきた。
 また、かつて自民党が党内用の教科書で、「終始一貫戦争に反対してきた・・・・共産党は、他党にない道徳的権威を持っていた」と認めていたとも語ってきた。
 
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-15/2013071502_01_1.html

 私は道徳に権威は要らないと考えているが、厳しい弾圧と圧迫が吹き荒れた戦中も、天皇を頂点にした国家権力に抗って、非戦と平和、人権と市民の生活擁護のために戦った党員の献身に畏敬の気持ちを持っている。
 現在の日本共産党がそうした伝統を自党の「強み」と自負するのなら、戦時に国籍を問わず、無垢の女性を従軍慰安婦に駆り出し、彼女らの人間としての尊厳を極限まで蹂躙した国家犯罪の解決を軽々に扱ったとしか言いようがない志位談話を撤回するのが不可欠である。それをしないで、良心の「北斗七星」を自認できるはずがないし、「他党にない道徳的権威」を自負する資格もない。




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「日韓合意」の破綻の真因を逆立ちさせる日本政府とメディア、それに口をつむぐリベラル政党 

201816

 
遅まきながら、皆さま、よい新年をお迎えのことと思います。今年もよろしくお願いいたします。
 
今年の干支は戌年(いぬどし)。年賀状には一緒に過ごし、先に逝った姉妹犬の写真を載せました。

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 新年の抱負といわれても、過去を引きづってしか先のことを考えない性分ですから、新年だからと言って、穏やかな記事を書かねばという意識はありません。

「日韓
合意」の欺瞞を暴いた韓国タスクフォースの報告書 

 韓国の旧日本軍「慰安婦」被害者問題合意検討タスクフォース(以下「TF」)は、2年前に日韓外相が発表した「慰安婦」問題に関する「日韓合意」に至る協議の過程を調査した報告書を昨年1227日に公表した。
 報告書によると、合意の核になった「不可逆的」という言葉は、もともとは韓国側が「謝罪の不可逆性」を強調するため先に言及したものだったという。それまで、日本政府が「謝罪」を表明した後も与党政治家などからそれを覆す発言繰り返されたことを踏まえて韓国の被害者団体が要求したことを受けた対応だった。
 ところが20154月の第4回高官級協議では日本側の強い要求によって「謝罪の不可逆性」が慰安婦問題「解決の不逆性」に反転した。
これでは国内世論の反発は避けられないと判断した韓国外交部は、「不可逆的」の表現を削除することが必要だという意見を大統領府に伝えたが受け入れられなかったという(「『最終的かつ不可逆的』慰安婦合意の文言は日本の返し技だった」『ハンギョレ新聞』日本語版、20171228日)。

以上、『ソウル聯合ニュース』20171227日、1501配信)も参照。
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171227-00000034-yonh-kr 

 また、報告書は、「日韓合意」には発表内容とは別に「裏合意」があったことを明らかにした。具体的には、
 ➀
(日本)韓国の市民団体「挺対協」が合意に不満を表明した場
  合、韓国政府が説得してほしい
  
(韓国)関連団体が意見表明を行った場合、政府として説得
   に努める、

 ⓶(日本)在韓日本大使館前の少女像を移転する韓国政府の計画
  を尋ねたい
  
(韓国)関連団体との協議を通して適切に解決されるよう努
   力する、

 
(日本)第三国における「慰安婦」像の設置は適切でない
  
(韓国)韓国政府としてそのような動きは支援しない、
 
 韓国政府が今後、「性奴隷」という単語を使わないよう希望
  
(韓国)公式名称は「日本軍慰安婦被害者問題」であること
   を再度、確認する、
というものだった。

 『ハンギョレ』(日本語版、20171229日、1327)は、こうした裏合意は実質的には日本政府の言い分のほとんどすべてを韓国政府が聞き入れたものと論評している。実際、報告書は、「裏合意」の存在およびその内容は「合意が被害者中心、国民中心ではなく、政府中心で行われたことを示している」と指摘した。

国賓級礼遇で慰安婦被害者を遇した文在寅大統領

 こうした検証結果の報告を踏まえ、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は4日、慰安婦被害者たちを大統領府での昼食会に招き、日本の謝罪と賠償を求めて一生を闘ってきた彼女たちを「1228合意」で再び傷つけた韓国政府の無分別を謝罪した。

「国賓級礼遇でハルモニら迎えた文大統領…『12・28拙速合意』正すための第一歩」(『ハンギョレ』(日本語版、201814日、2215
 
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29409.html


 スピーチの中で文大統領はこう述べて慰安婦被害者に謝罪したという。

『国を失ったとき、国民を守れず、解放によって国を取り戻した後は、ハルモニたちの傷を癒し、痛恨を晴らさねばならなかったにもかかわらず、それができなかった。むしろハルモニたちの意思に反する合意をしたことについて申し訳なく思っている。」 


 これに対し、被害者の一人、イ・ヨンスさんはこう答えた。
 「1228合意以来、毎日胸がつかえたように息苦しく、恨みがこみ上げてきた。大統領が合意が間違っていることをひとつひとつ明らかにしてくれて、胸がスカッとしており、ありがたくて泣きに泣いた。」「慰安婦問題に対する(日本政府の)公式謝罪、法的賠償を26年間も叫んできた。必ず闘って解決したい」
 同じく被害者のイ・オクソンさんは「私たちは先が長くない。謝罪だけは受けさせてほしい。大統領と政府を信じる」と語った。

 しかし、慰安婦被害者に対して行った韓国大統領の謝罪は、本来、加害国・日本の首相がとっくの昔に~百歩譲っても河野談話を発表した時に~慰安婦被害者のもとへ出向き、行うべきものだったはずです。それが被害者に通じるささやかな謝罪のはずだ。
 安倍首相自ら真珠湾へ出向き、米国側の戦死者に向けた謝罪と同じことを、なぜ韓国の、それも当時の日本軍の管理下で多くの兵士による性暴力によって、個人の尊厳を蹂躙された無垢な女性たちに対して、しない理由は何なのか?

謝罪を底抜けさせた安倍首相の「毛頭」発言

 しかし、安倍首相の口から出たのは謝罪の手紙を出すことさえ、「毛頭考えていない」という言葉だった。その理由は「手紙は合意に含まれていない」から、だった。

 「慰安婦被害者への手紙 安倍首相『毛頭考えていない』」
 (『聯合ニュース』2016 10 3 1548) 
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2016/10/03/0400000000AJP20161003000800882.HTML 

 この発言ほど、安倍首相の謝罪を以て、戦時慰安婦問題は区切りがついた、などと言えるものではないことを裏付ける事実はない。
 ところが、私が知る限り、この安倍発言を正面から批判した日本のメディアも(革新)政党も皆無だった。日本の論壇からも、立憲を自称する野党からも、こうした政府の対応を正面から批判する声はまったく聞こえてこない。

 日本政府も大方のメディアも、名ばかりの「謝罪」とお金を出したことで、日本は加害責任を果たした、慰安婦被害者、支援団体、韓国政府は、日本からのお金を受け取った以上、過去の被害、謝罪をもう、つべこべいうな、という心根なのか? 
 26年間、日本政府からの公式の謝罪と法的補償を待ち続けた慰安婦被害者が、不本意でも生きているうちに日本政府からの拠出金を受け取ったからといって、それと引き換えかのように、歴史上の問題を言い立てるなという道徳的資格があるのか? 

・日本はいつから、こんなに卑しい、理性の荒廃した国になったの
 か?

・「外国人」の尊厳は日本国憲法の、日本人の良識の「蚊帳の外」
 なのか?

・それとも、こと日韓・日中の歴史問題となると、日本の「進歩的」
 論者やリベラル政党さえも、日本社会に垂れ込める「同調圧力」
 に飲み込まれてしまうのか?
 


「北朝鮮問題で連携しなければならない時に」は誰に向かっていうべき言葉なのか? 

 韓国のタスクフォースの報告書に関し、河野外務大臣はさっそくコメントを発表。「合意に至る過程に問題があったとは考えられない」、「日本政府としては、韓国政府が報告書に基づいて既に実施に移されている合意を変更しようとするのであれば、日韓関係がマネージ不能となり、断じて受け入れられない」と語った(『産経ニュース』20171228日、0924) 
 安倍首相は韓国側のTF報告書に表立って反応していないが、『日本経済新聞』電子版(20171227日、2337)によると周囲に「合意は1ミリも動かない」と語ったという。
 これより先、安倍首相は昨年1219日に来日した康京和韓国外相と会談した際、「韓国とはさまざまな課題もあるが、両国がしっかりとコントロールしながら未来を切りひらいていきたい」と語り、日韓合意の着実な履行を強く要求したという(『毎日新聞』2017年1219日)。

 要するに、日本政府の反応に目新しいことは何もない。日本は「日韓合意」を忠実に履行してきた、合意の履行が暗礁に乗り上げているのは、挙げて韓国側が「不可逆的」にすると約束した「慰安婦」問題を蒸し返すことにある、という主張に尽きている。それに加えて、北朝鮮と米国間の軍事的緊張が高まっているなか、日米韓の連携が大事な時に、それを妨げるような歴史問題を再燃させるべきではないというのが日本政府の言い分である。

 しかし、北朝鮮問題が大事だからというなら、北朝鮮問題を歴史問題と絡めて軍事的な暴発の危険を回避する行動を妨げているのは誰なのか?
 韓国政府はもともと、北朝鮮問題と日韓の歴史問題を切り離す「ツートラック」方針を採用してきた。その結果、韓国側の呼びかけで南北朝鮮間の対話の場が曲がりなりにも開かれた。対話の行方は楽観できないし、北朝鮮が易々と軍事的挑発を止めるとは考えにくい。が、非難と軍事的挑発の応戦を繰り返すより、好ましい状況であることは間違いない。

 他方、トランプ政権は、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が「核兵器のボタンは私の机の上にある」と威嚇発言したのに対し、「私の机の上にある核のボタンはもっと大きい」と言い返すなど、軍事的緊張を煽るような発言を繰り返している。そして安倍首相は、軍事的攻撃も含めたあらゆる選択肢があると公言するトランプ政権と世界で一番近い首脳になっている。

 
NHK政治部の岩田明子記者は、安倍政権5年目の日のニュース7に登場して、安倍首相がトランプ氏、プーチン氏らと信頼関係を築いたことを安倍政権の外交的成果と持ち上げた。
 
NHKの元気象予報士、半井小絵さんは安倍首相を囲む新春対談に登場し、「首相はプーチン露大統領やトランプ米大統領ら癖のある外国首脳と親しいので『猛獣使い』とも呼ばれているそうですが、何かコツがあるんでしょうか」と、賛辞にこれ努めた。
 しかし、そのトランプ氏はいまや国内でも国連でも孤立を極め、政権の維持さえ、危ぶまれる状況になっている。そうした手詰まり状態を「打開」するため、北朝鮮と「瀬戸際作戦」の競い合いをされてはたまらない。

 以上をまとめると、「北朝鮮問題で連携しなければならない時に」という言葉は韓国政府にではなく、トランプ政権とその「盟友」を自認する安倍首相にこそ向けなければならないのである。

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300人のユダヤ人を救った動物園を描いた息のつまる実話映画

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 昨日の午後、近くのTOHOシネマに出かけ、「ユダヤ人を救った動物園」を観た。第二次大戦中のワルシャワで動物園を経営した夫妻(ヤンとアントニーナ)が園の地下室に300人ものユダヤ人を匿い、彼らの命を救った実話を映画化したものだ。
 動物園もドイツ軍の空襲に遭い、檻から飛び出して園内を駆け回ったゾウなどはポーランド兵に次々と撃ち殺される。荒廃した動物園に呆然とした夫婦は多くのユダヤ人が次々とゲトーに送り込まれ、満足な食事も与えられない過酷な現実を語り合った。その現実を見かねた夫婦が思い立ったのは、彼らの住まいの地下に設けた檻にユダヤ人を匿うという案だった。確かに、地下室は密閉された空間で、かなりのスペースだったから、格好の隠れ家にはなった。

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動物園夫妻が思い立ったユダヤ人救出作戦
 しかし、言うまでもなくこれは夫婦にとって命を賭けた計画だった。また、動物園にも常駐したドイツ軍の監視の目をかいくぐって、ゲトーからユダヤ人を動物園へ連れ出すのは途方もない計画だった。しかし、ヤンはあきらめなかった。
 思案の末にヤンが言い出したのは、ドイツ兵の食料用の豚を飼育する「養豚場」として動物園を復活させ、ゲトーの生ごみを豚の餌にするために動物園に搬入する際に、トラックに積み込む生ごみにユダヤ人を紛れ込ませるという突拍子もない救出作戦だった。しかし、ユダヤ人の悲惨な境遇に心を痛めていたアントニーナも即座に夫の計画に同意し、自分に好意を寄せていたドイツ兵ヘックにこの計画を伝え、了解を取り付けた。

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息詰まる救出作戦
 ここからヤンの命掛けの実行が始まった。息子のリシュを助手席に乗せたヤンはトラックでゲトーに出向き、ドイツ兵の監視の目をかいくぐって、1人、2人とユダヤ人をトラックへ誘導し、積み込んだ生ごみの中に忍び込ませた。トラックがゲトーを出る時、そんなことに気付かないドイツ兵は同乗して動物園に着く。彼らがトラックから離れたすきにヤンはユダヤ人を建物に駆け込ませ、地下室へ忍び込ませた。
 それでも、息つく暇はなかった。ドイツ兵は相変わらず、動物園に常駐し、時々、部屋をのぞきに来る。お手伝いとして雇ったドイツ人女性に発見されたら、密告されるかもしれない。そこで、アントニーナは匿ったユダヤ人にこう告げた。
 「昼間は上に上って来ては駄目。声も出さないで。夜、安全を確かめたら、私がピアノを弾き始めるから、それを合図に上って来て食事を取って。」
 ピアノの音を合図に1階に上ってきたユダヤ人に、アントニーナと息子のリシュは温かい食べ物をもてなした。束の間とはいえ、恐怖から解放された彼ら彼女らは、思わず顔をほころばせ、料理を口にした。

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 そんな中で、一人だけ、こわばった表情を崩そうとしない少女がいた。ゲトー内をトラックで進む折に、ヤンは偶然、1人のユダヤ人少女が2人のドイツ兵に目を付けられ、連行されていく光景を目撃した。ある日、生ごみをトラックに積み込む作業をしている最中にヤンはあの少女に出会った。身体のあちこちに暴行を受けた傷跡が残っていた。ヤンはとっさに少女をトラックに引っ張り上げ、運転席の足元に押し込んで布をかぶせた。そのまま、何食わぬ顔で監視役のドイツ兵が後部の荷台に同乗させて動物園に戻ったヤンは、いつものようにとっさのすきを突いて、少女をトラックから降ろし、建物に駆け込ませた。
 しかし、ドイツ兵から受けた仕打ちの恐怖に慄いた少女は地下室でも一人、身をかがめてアントニーナに語りかけにも応じない日が続いた。それでもアントニーナは抱きかかえたウサギを少女の腕に移し、自分も人間不信から動物にあこがれ、動物園を開園したと語り掛ける(注:アントニーナはサンクトぺテルブルグで生まれ育ったが、両親が殺され、親せきを転々とした後、ワルシャワに移住した。それゆえ、アントニーナ役を演じたジェシカ・チャスティンはアントニーナを難民として演じるよう心掛けたと語っている)。

 少しずつ、心を開き始めた少女は絵の具を借りて地下室の壁に絵を描き始める。やがて少女はアントニーナのピアノの合図に合わせて、他のユダヤ人と一緒に上の部屋に上がり、皆と一緒に食事を取りながら、笑みを浮かべるようになった。

 動物園の外ではワルシャワを占領したドイツ軍に対するソ連軍の攻勢が強まり、市内では反ナチの蜂起を呼びかける放送も流れ始めた。いたたまれなくなったヤンは自ら銃を取ってドイル占領軍との交戦に加わった。ヤンが放った弾はドイツ兵に命中したが、自分も喉を銃撃され、倒れたままドイツ軍の捕虜収容所に送り込まれた。
 息子のリシュも、巡回にやってきたヘックに強要されて右手を掲げてヒトラーに敬礼する仕草をして見せたが、建物を出て車に乗り込むヘックに向かって「くたばれヒトラー」と叫び、危うく銃殺されかけたのをアントニーナの懇願で一命をとりとめた。

 夫の行方を案じたアントニーナは意を決して、自分に想いを寄せたヘックのもとを訪ね、ヤンの情報を欲しいと懇願した。ヘックは見返りにアントニーナに肉体を求めるがアントニーナは「あなたは最低よ」と言い放って部屋を飛び出した。

 場面は一転し、戦争終結まもない動物園に戻る。アントニーナと成長したリシュ、そして動物園の再興のために戻ってきた職員らは、がれきの後かたずけを始めた。そこへ、生き延びたヤンがひょっこり現れ、家族は劇的な再開を果たす。このあたりの詳しいいきさつは分からないが、夫婦は戦後、動物園を再建し、今もワルシャワ動物園は一部を博物館として、開園し続けているという。
 ナチ占領下のユダヤ人迫害から70年経った今も、ホロコーストの過酷な歴史をストレートに描く映画が日本でも相次いで公開されている。加害の歴史ばかりか被害の歴史さえも真正面からリアルに描く作品が数少ない日本との落差を思い知らされる。この映画にしても、甘い感傷や回顧は一切ない。くどいような心境描写や冗長な語りもない。この映画に限らず、ホロコーストの歴史を伝える映画のリアリティに徹する特徴に私は共鳴する。

主演2人の円熟した演技
 それでも、この映画には、思わせぶりのない絶妙な日常描写も挿入されている。前かがみの姿勢で自転車をこいで園内を巡回し、檻の中で駆け寄るライオンに「今日も元気でね」と声をかけたり、自転車を降りて、ゾウに近づき、鼻をなでながら、リンゴを差し出したりするアントニーナ役のジェシカ・チャスティンの演技は、実話の園長婦人の日常生活を彷彿とさせる見事なものだった。また、生きながらえて動物園に戻ってきたヤンの姿を見つけ、独特の前かがみの姿勢で両腕を前後に大きく振って駆け寄るアントニーナの感極まった演技も臨場感あふれるものだった。

Photo_5
 ただ、この映画の多くの評者はアントニーナを主人公と記しているが、ドイツ兵の監視の目をくぐってトラックの生ごみにユダヤ人を忍び込ませ、彼らを動物園に救出するという途方もなく緊迫した場面を演じたヤン役のヨハン・ヘルデンブルグの演技も素晴らしかった。
 
 この映画は平凡な人間であっても、非道、不条理がまかり通ろうとする現実に直面した時、「自分にできることは何か」を自問し続けることはできるし、そこから開けた可能性をギリギリまで追求する良心の責めから逃れることはできない、ということを強烈に伝えているように思えた。
 「自分の弱さを懺悔するふりをして自分の無為を弁護して見せる」姑息な物言いが流行るわが国にとって、この映画は最良の反面教師ではないか?

 映画は閉幕の字幕で、動物園の地下に匿われた300人の内、2人の女性が変装を見抜かれて市街地で銃殺された以外は、全員、生きて戦後を迎えたと伝えた。

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相互理解の始まりは「知ること」~千葉朝鮮学校の美術展に参加して~

20171210

千葉
朝鮮学校の美術展覧会&ミニ・コンサートに出かけた
 昨日、千葉市美術館で開かれている第46回在日朝鮮学生美術展覧会」に出かけた。93日に船橋馬込霊園で開かれた関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に参加した時に千葉朝鮮初中級学校の生徒、引率の先生と出会い、短い言葉を交わしたのがき
っかけである。


Photo_2
 14時過ぎに会場に着き、まず、9階の市民ギャラリーで開かれている美術展を観た。各地の朝鮮学校の初級、中級部の学生の作品が壁面にぎっしり展示されていたほか、今年は日本、南・北コリア、中国、ミャンマー、モンゴル、ベトナム、バングラデッシュの子供たちの絵も展示されていた。展示の作業は、すべて生徒、オモニ(保護者)の会が手掛けたと聞いた。

 その後、1階に降りて、さや堂ホールで15時から開かれたミニコンサートを観賞し
た。民族衣装で朝鮮の楽器演奏や舞踊が演じられるのを観賞するのは初めてだった。

  ①生徒のコーラス、②初級部民族器楽部・オモニ・先生の重楽器の演奏「アリランと赤とんぼ」、③初級部舞踊部の舞踊「ソンチャンゴの舞」、④二神秀明さんのフルート、アルトサックス独奏・ピアノ伴奏、二神秋花さんの「もののけ姫」「花は咲く」、⑤女性書家、華雪さんのスピーチ&実演「心」と多彩なプログラムが流れ、濃密な1時間があっという間に終わった。


あでやかな民族衣装で演じられた楽器演奏と舞

11つをここで紹介することはできないので、映像の力にあやかって、②の重楽器演奏、③の舞の姿と⑥展覧室で立ち止まった2点の作品の写真を貼り付けておきたい。なにぶん、素人のデジカメ撮影なので不鮮明なことをお断りしておく。

 ②の重楽器の演奏「アリランと赤とんぼ」は何といっても音声を味わうのが一番なので、楽器と奏者は少ないが、千葉朝鮮初中級学校のHPにアップされている動画を紹介しておきたい。
 民族楽器重奏「アリラン」

https://www.facebook.com/tibaurihakkyo/videos/vb.548754851894249/859456667490731/?type=2&theater 

Photo_3
 ③のソンチャンゴの舞は時々訪ねる千葉朝鮮初中級学校のHPに写真で紹介されているのは知っていた。色鮮やかな民族衣装をまとって初級部舞踊部の4人の生徒のぴったり呼吸のあった軽やかな舞踊を間近で観て魅了された。

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 ⑥の作品のうち、「マイノリティ」という題が付けられた絵の前で立ち止まり、見入った。

Photo_4              「私のお父さん」

Photo_5             「マイノリティ」

 ⑤の実演で華雪さんが使われた毛筆はご自身が10歳の時に切った頭髪で作られたものというお話もされた。スピーチ&実演は15分ほど続いたが、真剣なまなざしで聞き入る生徒の姿が大変、印象的だった。
 全体を通して、お仕着せのお行儀よさを演出する場面は全くなく、普段通りの立ち居振る舞いと思え、凛とした演技、振る舞いが印象深かった。

「朝鮮学校は日本社会のカナリア」~金校長の講演録より~

 最後に、2ヶ月ほど前、千葉朝鮮初中級学校校長の金有燮(kim yu sop)さんと初めてお目にかかった時に、「ぜひお読みください」と言っていただいた神田外語大学での講演録「朝鮮学校ではどのような教育が行われているか」(同大学『グローバル・コミュニケーション研究所キャンパス・レクチャー』第5号、2017630日刊、所収)のなかの数か所を紹介しておきたい。

 「朝鮮学校では反日教育や共産主義教育が行われているのでけしからんと言われているようですが、本当にそのような教育をする学校に、これからも日本で永住していこうとする親たちが入れるでしょうか。ありえない話です。・・・・我々は日朝親善教育、統一教育を積極的に行っています。
 なによりもそのような教育を行ってほしいというのが同胞たちの希望でもあり、その要求に対し積極的に応じていかなくては学校が成り立つわけがありません。」(2526ページ) 

 「朝鮮学校の女子生徒の制服は民族衣装であるチマチョゴリです。しかし、15年ほど前から切り裂き事件やヘイトスピーチなどによって、現在は校内だけでしか着られないでいます。日本の街では民族衣装を着られないというのが実情なのであります。朝鮮学校女子生徒の制服チマチョゴリこそ、日本の国際化レベルを図り知る事のできるバロメーターといえるでしょう。」(28ページ)

 「朝鮮学校が元気な社会は、マイノリティ-も含めた皆が安心に暮らせる社会といえるのではないでしょうか。日本社会において<炭鉱のカナリア>は、まさしく朝鮮学校なのです。そのようなすべての人にやさしい日本社会を共に作っていきたいと我々は切に願っています。」(28ページ)


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「地中のごみ」=「瑕疵」→「値引き」という思考停止の議論の害悪(Ⅱ)

20171123

判例の定説を当てはめると森友案件の土地に瑕疵はない

 では近畿財務局が森友学園に売却した土地にも通説は当てはまるのか?
 告発状で示したように、本件土地の売買契約書に明記された地下埋設物とは「陶器片、ガラス片、木くず、ビニール等のごみ」であって、校舎建築(杭打ちなど)の支障となるような土間コンや基礎コンなどは記載されていないし、発見されていない。不動産鑑定士が作成した評価書でも地中埋設物として、「廃材、ビニール片等の生活ごみが確認されている」と記載されただけである。
 さらに、大阪航空局が現地視察した参議院予算委員会委員向けに作成した説明資料によると、ごみ撤去費用の見積もりの対象となったのは地下3.89.9mに存在すると推定された廃材等であり(下図1参照)、土地履歴調査等の結果、それらは昭和40年代初頭頃まで池や沼だった時代に相当量の廃材等が直積されたと推察している(下図2参照)。

 図1
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   図2
99m_2
  であれば、半世紀ほど前に蓄積され、地下3.89.9mに存在すると推定される廃材等が現時点での校舎建築に支障を及ぼすとは到底考えられない。現に、佐藤善信国交省航空局長も、こうしたごみは「工事の施工には問題はございません」と答弁している(参議院予算委員会、2017228日、会議録)。実際、森友学園はこうした地下深くから廃材等を撤去することなく、今年の4月開校に向けて校舎の建築を進めてきた。これで一体、どこに「瑕疵」があったというのか?

無知をさらけ出した安倍首相の答弁

 安倍首相は国会答弁の中で、「その土地は言わば
ごみが入っているから言わばそういう価格になったということでありまして、至極、至極当然のことであって、ごみがあるからディスカウントしたわけで……」(参議院予算委員会、201736日、会議録)と自信ありげに発言した。しかし、これは「ごみ」という言葉を連発するだけで、ごみの中身に一切触れず、「ごみ=瑕疵→値引き」という稚拙な理解を国会の場でさらけ出して恥じる気配がない発言である。

Photo_4  
 ましてや、プロの国交省担当が当たった(会計検査院渉外広報課)会計検査で、土地の瑕疵の法的意味、判例を知らず、「ごみ」と聞いただけで無造作に値引きの要因とみなし、ごみ量の推計に付き合ったのは、それこそ検査の重大な瑕疵というべきである。

 上記のように、判例の定説を本件土地に当てはめて吟味する限り、本件土地には値引きの要因とカウントすべき「瑕疵」はなかったのであるから、ごみの量がいくらであれ、売買価格の減額要素としなければなければならないような「ごみ撤去費用」はなかったのである。したがって、また、ごみの処分単価が不明だから売買価格が適正だったかどうか判断できないと結論を留保した会計検査院の姿勢は政府を追い詰めるのを手控えようとする「忖度」か、そうでなければ職務遂行上の重大な過失である。

マスコミはなぜそもそも論を避けるのか?

 会計検査院の検査報告を伝えた新聞記事・テレビニュースを視て痛感するのは、会計検査院が「ごみ総量の算定、37割過大」、「ごみ撤去費用の根拠不十分」と指摘したことに焦点をあて、政府にさらなる説明を求めるという論調で共通している点である。
 このような会計検査院の指摘は、政府のこれまでの説明に疑義を投げ掛けるものであり、「重く受け止める」でやり過ごしてはならない指摘である。しかし、会計検査院は、関係書類が残っていないため、ごみの処分単価を計算できないとして、売買価格が妥当だったかどうかは意見を差し控えた。政府はこのような「落ち」に飛びついて、「会計検査院は売買価格の妥当性に異議を唱えたわけではない。政府としては従来から答弁してきたとおり、適正な時価で売却したものと考えている」と答えて、追及をかわそうとするだろう。

 確かに、資料不備のため、結論を下せないと留保するほかない場合もあるだろう。そのような場合は、必要な資料を廃棄または隠匿した行政機関の責任を追及するとともに、公文書管理のあり方を見直すほかないだろう。しかし、森友案件は、これに該当するケースではない。
 そもそも、本件土地には定着した判例の基準に照らして、「瑕疵」がないのだから、「瑕疵」を補償する値引きはどれだけかを計算する必要もないのである。よって、ごみの総量はいくらか、ごみを処分する時の単価はいくらかを思案する必要はないのである

 会計検査院もマスコミも、なぜ、こういう「そもそも論」を避けるのか? 私が立てる「そもそも論」は抽象的な建前論でもなければ高尚な極論でもない。「買った土地を買受目的のために使うのに不都合がないなら、土地に欠陥はないのだから値引きをする必要はない」という、至って常識的な議論であり、判例でも定着した判断である。
 このような「そもそも論」から出発すれば、「8億円のごみ撤去費用」をカウントするのは、もはや「疑惑」ではなく、「故意または重大な過失による背任」であるという結論にたどり着けるはずである。 

「ごみ」という言葉を独り歩きさせてはならない

 もう一度言う。
 「ごみ」という一語を無批判に一人歩きさせてはならない。森友問題で問題になっているのは世間話の「ごみ」ではない。「瑕疵」に当たるのかどうかを問題にする場合の法的な意味での「ごみ」=地下埋設物なのである。

行政文書廃棄は検査妨害、応報の懲戒請求を

 会計検査院は国会への検査報告の最後の項で、財務省、国交省において、本件国有地の貸付及び売却に関する行政文書が適切に保存されていなかったことを問題にし、両省に対して、国有地の売却等に関する会計経理の妥当性の検証が十分に行えるよう、必要な措置を講ずることを求めている。
 しかし、両省の行政文書の廃棄は会計検査院による国の財政検査に重大な障害となったのだから、「必要な措置」を講じるよう求めて済む話ではない。代価が10年分割払いで、まだ初回の不払いが済んだにすぎず、買戻し特約が付いた売買契約を締結しただけで事案は終了、よって交渉記録は廃棄、などという無謀な行政文書の廃棄は検査妨害に相当し、「会計検査院法」第31条で定められた「故意または重大な過失」にあたると考えられる。
 であれば、同法第31条を適用して当該職員の本属長官その他監督責任者に対して、懲戒処分を要求するのが当然である

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「地中のごみ」=「瑕疵」→「値引き」という思考停止の議論の害悪(Ⅰ)

20171123

会計検査院報告と私たちの告発状の決定的違い

 昨日(20171122日)、私ほか3名は、森友学園への国有地馬売買契約で売主となった近畿財務局長(当時)美並義人氏背任罪(刑法第247条)で東京地方検察庁に刑事告発した。

 告発状全文
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/minami_kokuhatuzyo.pdf 

 また、昨日、会計検査院は参議院予算委員会に対し、森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査結果の報告書を提出した。

 学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果についての報告書(要旨)
 
http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/29/pdf/291122_youshi_1.pdf

 学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果についての報告書(全文)
 
http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/29/pdf/291122_zenbun_1.pdf 

 私たち有志4名(いずれも「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」のメンバー)の告発状と会計検査院の検査報告は、国有地の売買価格の算定にあたって「ごみ撤去費用」の名目で約8億円が値引きされた根拠を質した点では共通している。また、検討の結果、値引きの根拠に疑義を投げかけた点でも共通している。
 国会の要請を受けて検査した会計検査院が8億円の値引きの前提とされたごみの算定方法に疑義を投げ掛けた事実は重い意味を持つ。なぜなら、会計検査院が指摘したように、ごみの総量が3割~7割過大だったとしたら、国交省が用いた処分単価をそのまま当てはめるとしても、「ごみ撤去費用」は少なくとも3割、最大で7割過大となり、売買価格は3割~7割廉価だったということになるから、「鑑定価格からごみ撤去費用を差し引いた適正な時価で売却されたもので何も問題はない」と答弁してきた政府は窮地に立たされることになるからである。

 しかし、私たち有志4名の告発事実と会計検査院の指揮事項には決定的な違いがある。それは8億円の「ごみ撤去費用」の算定に疑義を投げかけた「疑義の根拠」の決定的な違いである。
 なぜなら、会計検査院は、国交省大阪航空局が用いた「ごみ撤去費用」の算定方法(ごみの総量を推計し、それに処分単価を掛け合わせるという方法)の妥当性には異議を挟まず、もっぱら、ごみ総量の推計の妥当性に焦点をあてた。
 ということは、処分単価を問わないとすると、「ごみ撤去費用」の少なくとも3割~7割は適正であり、その分だけ、売買価格を値引いたことは問題ないということになる。本当にそれでよいのか?

会計検査院の報告に倚りかかったのでは疑惑究明は頓挫する

 週明けの国会で野党は会計検査院が指摘した疑義を材料に政府を追究するとみられる。しかし、ごみ総量の推計方法をめぐって国交省と会計検査院の計算結果に開きが出たことを取り上げ、どちらが正しいのか?と質して、どういう質疑になるのか? 「会計検査院は独自の立場で計算をされたものであり、それについて政府として申し上げる立場にない。ただし、会計検査院は売買価格が不適正なものだったと指摘したわけではない。政府としてはこれまで答弁してきたとおり、適正な手続きを経た時価で売買されたものと承知している」という型通りの答弁を繰り返すと予想される。
 あるいは、野党は、会計検査院が、必要な書類が残されていなかったことから適正な処分単価を把握できなかった、と指摘した点を取り上げ、近畿財務局、財務省、国交省における行政文書の管理のずさんさを追究するものと思われる。それはそれで重要なことである。しかし、これに対して政府は「会計検査院の指摘を重く受け止め、現在、公文書管理法の見直しを含め、公文書管理のあり方について改善の検討を進めている」と答弁するものと思われる。このような政府の答弁に野党はどのような「次の一手」を持ち合わせているのか?

 野党の追及に期待したい気持ちはやまやまだが、これまでの経過を振り返ると、会計検査院の報告によりかかるだけでは、疑惑は疑惑のまま残り、野党の追及は決め手を欠く結果で終わるように思える。

工事の障害にならない「地下埋設物」は「瑕疵」ではない

 国会や野党の真相究明の意気込みをはぐらかして、政府の逃げ切りで終らせないためには何が必要か? それは疑義の向け所を根本から転換することである。私の考えではその端緒は、
    「地中のごみ」=「瑕疵」→値引きが必要
という議論の組み立て自体を一から問い直すことである


  一つ前の記事で、地下に土地の売買において埋設物が確認され、それが補償を必要とする瑕疵に当たるかどうかが争われた2つの判例を紹介した。
 
 「工事に支障のない地中埋蔵物は瑕疵ではない~森友問題で会計検査院へ2度目の意見送信~」
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-48ad.html 

 一方の事案の判決は瑕疵と認め、もう一方は瑕疵と認めなかったが、それは判断基準が分かれたからではなく、それぞれの事例に問題になった「地下埋設物」の形状が違ったからである。どちらの判決も、「売買の目的物に『瑕疵』があるとは、目的物に欠陥があり、その価値を減じたり、その物の通常の用途もしくは契約上特定した用途に適しない場合、または売主が保証した性能を具備しない場合をいう」という大判昭8114民集1271頁)を踏襲した点では共通している。また、その後、同種の事件に対して示された判決でも、同じ判断基準が採用されている。
 つまり、売買される土地の地中に土以外の異物が存在するというだけで、土地に『瑕疵』があると言えるわけではないという点では判例は概ね一致している。そして土地に「瑕疵」があると言えるのは買主が買い受けた土地を予定した用途に充てるための建築をするにあたって工事の障害となるような質・量の異物が地中に存在する場合に限られると解釈する点でも判例は共通している。(中原洋一郎・廣田善夫「地下埋設物が存在する土地の売却における瑕疵担保責任と行うべき調査――福岡地裁小倉支部平成21714日判決・判例タイムズ1322188頁」『季刊不動産研究』201310月、61ページ)。

 1122日、東京地検に告発状を提出した後、司法記者クラブで開いた記者会見の場で、代理人の澤藤弁護士が本件国有地の埋設物は瑕疵に当たらない理由を分かりやすく簡潔に説明している。また、同じ記者会見で醍醐は上記2つの判例の要点を手短に説明した。これらを動画でご覧いただけると幸いである。

記者会見の模様(Uplan 投稿動画)
https://www.youtube.com/watch?v=MEuapgZVsTI
 澤藤弁護士の説明 6:1111:18
 醍醐の説明 11:302040

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(次稿に続く)


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工事に支障のない地中埋設物は瑕疵ではない~森友問題で会計検査院へ2度目の意見送信~

20171116

 今朝がた、森友学園への国有地売却問題を検査中の会計検査院(の意見受付窓口)へ以下のような2度目の意見を送った。

 佐川宣寿理財局長(当時)や近畿財務局は、約8億円のゴミ撤去費用は売却される国有地の地中埋設物に関する瑕疵担保責任を免除させる見返りだと説明してきた。しかし、小学校建設になんら支障がない(佐藤航空局長も工事に支障はないと国会で答弁した)ような地中の生活ゴミまで、どうして国が瑕疵責任を負い、売買価格を大幅に値引きする根拠にするのか、疑問に思ってきた。
 そこで、本件国有地の売買契約書、不動産鑑定書など関連資料と類似の事件(地中埋設物が売主の瑕疵担保責任、賠償責任となるかどうかが争われた事件)の判例を調べた。その結果、国が主張する瑕疵担保責任はたいへん恣意的な解釈で、「ごみ撤去費用」という名目で大幅な値引きをする口実にされたことは間違いないと確信するようになった。そこで、まずはこのことを会計検査院に伝えることにした。

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タイトル
「森友学園問題:工事に支障のない地中埋設物は瑕疵に当たらない。それを売買価格から差し引くのは不当」
                         醍醐 聰 

 (1)近畿財務局は森友学園へ国有地を売却するにあたって、約82000万円を「ごみ撤去費用」として差し引きました。これについて佐川宣寿理財局長(当時)はこの82000万円は本件土地の瑕疵担保責任を免除させるための対価であると繰り返し答弁しました。しかし、かりに本件土地の地中に埋設物が存在したとしても、それが土地の瑕疵に該当し、土地の売却価格の形成要因となるのかどうかは別途、検討が必要です。

 (2)そこで類似の問題が争点となった判例を調査したところ、①地中埋設物を瑕疵とみなし、売主の瑕疵担保責任、撤去費用相当額の損害賠償責任を認めた判決(類型A)と、認めなかった判決(類型B)に分かれていること、⓶類型AとBに属する判決に共通するのは、買主が当該土地を買受の目的に供するために工事を行うにあたって、当該地中埋設物が障害となると認定された場合に「瑕疵」と判断したこと、がわかりました。
 こうした判断のリーディング・ケースといえる2つの判決の要点のみを記しておきます。

 (事例1)「宅地の売買において、その地中に、大量の材木等の産業廃棄物、コンクリートの土間や基礎が埋設されていたことが、土地の隠れた瑕疵になるとされた事例」(東京地裁、平41028判決、『判例タイムズ』No,831,199421日、159頁)
 
その理由として東京地裁は、「本件の場合、大量の材木片等の産業廃棄物、広い範囲にわたる厚さ約15センチメートルのコンクリート土間及び最長2メートルのコンクリート基礎10個が地中に存在し、これらを除去するために相当の費用を要する特別の工事をしなければならなかったのであるから、これらの存在は土地の瑕疵にあたるものというべきである」と指摘しています。つまり、地中埋設物が存在したこと自体ではなく、買主が土地を買受の目的に充てる工事を遂行する上で、埋設物が障害になったという事実にもとづいて「瑕疵」に当たると判断し、当該地中埋設物の撤去に要した費用を売主が賠償すべき損害と認定したのです。

 
(事例2)「鉄筋三階建ての分譲マンションを建築する目的で買い受けた造成地の地下にビニール片等の廃棄物が混入していたとしても、杭打工法により予定どおりのマンションを新築して買受目的を達している場合には、右造成宅地に瑕疵があるとはいえないとされた事例(神戸地裁、昭59920判決、『判例タイムズ』No.541, 198521日、180頁)
 その理由として神戸地裁は、本件土地にはビニール片等の廃棄物が混入していたため、当初予定していたベタ基礎工法を杭打工法に変更を余儀なくされたにせよ、現にこれを新築することができてその買受目的を達していたこと、工法の変更が必要不可欠なものであったという確証はないことを挙げています。

 (3)近畿財務局と森友学園が交わした「国有財産売買契約書」で本件土地に存在すると確認された埋設物は「陶器片、ガラス片、木くず、ビニール等のごみ」(第4条第1項)であり、前掲(事例1)に見られたようなコンクリート土間・基礎といった杭打工事に支障をきたすと思えるものは発見されていません。佐藤善信国土交通省航空局長(当時)も、こうした廃材、生活ごみが存在していても「工事の施工には問題はございません」(参議院予算委員会、2017228日)と答弁しています。現に、森友学園は本年4月の小学校開校に向けて校舎の建設工事を支障なく続けました。
 さらに、本件国有地の「不動産鑑定評価書」を近畿財務局総務部次長宛てに提出した不動産鑑定士も評価書の中で「最有効使用である住宅分譲に係る事業採算性の観点からは地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難く、正常価格の観点から逸脱すると考えられる」と指摘しています。

 (4)以上から、本件土地の地中埋設物が「瑕疵」に当たらないことは明らかです。近畿財務局が森友学園側との価格交渉の中で「土地の瑕疵を見つけて価値を下げていきたい」などと発言していた事実(「新たなメモ見つかる」『報道ステーション』201783日)に照らせば、近畿財務局は正常な売買交渉ではないことを十分認識しながら、森友学園に利益を得させるため、瑕疵担保責任を故意に拡大解釈し、異常な廉価での売却を実行する背任を犯したと言わなければなりません。貴院の検査報告において、この点を徹底究明されるよう強く要望いたします。

Photo       (2017年8月3日、「報道ステーション」より)


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会計検査院へ意見発信~書類の不備を口実に意見見合わせは許されない~

20171110

 NHKは昨夜7時のニュースで会計検査院の河戸院長のインタビューを伝えた。

「森友学園問題 会計検査院長『検証に必要な書類欠けている』」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171109/k10011217871000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_027
 

 国会への検査報告前に会計検査院長が報告の内容を先触れするような発言をしたことに非常に疑問を感じた。しかし、森友学園への国有地の異常な安値売却をめぐる解明にあたって、会計検院がどのような検査報告を出すのか(今月中)は重要な意味を持つ。
 そこで、今朝がた、会計検査院のHPに設けられている「意見・感想受付窓口」へ後掲のような意見をメールで送信した。

会計検査院 意見・感想受付窓口 
https://www.jbaudit.go.jp/form/opinion/index.html 
 郵送 〒100-8941 東京都千代田区霞が関3-2-2 会計検査院渉外広報室
 メール 入力フォーム 
 https://www.jbaudit.go.jp/form/opinion/form.html
 
 字数:2000字以内 個人情報:記載任意(私は名前を明記して送った。)

 なお、私も参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」は112日、会計検査院へ次のような申し入れ文書を提出した。あわせて、ご参照いただけるとありがたい。

「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」
「会計検査院への申し入れ--- 森友学園への国有地売却についての真相究明を求めて」
 http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/----7e15.html 

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     会計検査院に送った意見(20171110日)

タイトル「昨夜のNHKニュース7で放送された河戸院長のインタビューについて」

 (1)国会へ検査報告を提出する前に、「必要な書類が欠けている」、「そのため十分な検証ができない(のは問題)」などと、部分的とはいえ、検査報告の内容を示唆するような、あるいは予断を生むような院長の発言が報道されたことに驚き、大変疑問に思った。

 (2)財務省、国交省のずさんな公文書管理は検査妨害と言えるから厳重な抗議、批判を報告に書き込む必要はある。

 (3)しかし、真相究明を半ばあきらめたかのような院長の発言は、関係省庁のずさんな公文書管理を口実にして、検査の限界を先触れし、「確かなことは言えない」という結論をエクスキューズする意図が透けて見える。それでは「国民の高い関心」に応えたことにはまったくならない。

 (4)過日の報道によると、会計検査院は「ごみ撤去費用」の算定は妥当だったかどうかを「ごみ混入率」から検証しているとのことである。それなら、その前提として、有益費に算入されなかった「新たなごみ」が実在したことを確認するのが先決だが、会計検査院は実在を確認できたのか? 
 ちなみに、佐藤善信・国交省航空局長は「どの箇所から、どこのくいを打ったところから出たかということについては確認をできておりません」、「9.9メートルまでのくい打ち工事を行った過程で発見された地下埋設物という、そういう連絡があり、それをその工事関係者から説明を受けたというふうに承知をしてございます。したがいまして、その9.9メーターまでのどこの深さからそのごみが出てきたかということについては、残念ながら確認をできておりません」(2017228日開催、参議院予算委員会)と答弁している。
 要するに、売買価格の値下げを希望する利害関係者から「報告を受けた」というだけで会計検査院は約8億円の値引きの証拠とするのか? ごみの実在を不問にして、「書類不備のため、ごみ撤去費用が過大かどうかは判断できなかった」で済ませるつもりなのか? それでは、政府、関係省庁は安どしても、国民の疑問は全く解消しない。

 (5)河戸院長はNHKのインタビューに応えて「正解がひとつとはなかなか決められないのではないか」と発言された。それはもっともなことと思うが、億円過大、と言えなくても、過日、報道されたように〇~〇億円過大、という報告を躊躇うべきではない。書類の不備から正確な撤去費単価の算定などができないとしても、その不備の責は財務省や国交省が負うべきものであり、会計検査院に帰す責任ではない。“Best Estimate”の手法で幅を持たせた算定を示すことは可能なはずだ。

 (6)会計検査院としては、具体的な積算の上で売買価格の妥当性を検査するという任を負っていることは理解するが、それだけでなく、国有財産の売却をめぐる近畿財務局職員が取った手法の顕著な不当性、脱法性も検査し、意見を付してほしい。特に、問題なのは、近畿財務局職員が、本件国有財産の売却価格となんら関わりのない有益費をベンチマークとして、適正な時価を大幅に下回ることを十分、認識しながら、値引きを希望した森友学園の意向に応えるように交渉を進めたという点である。

 このような不当なベンチマークによる売買交渉が異常な廉価売却を生み出す根本的原因となったことを厳正に糾していただきたい。

 (7)最後に。会計検査院が、関係省庁のずさんな公文書管理を理由にして、「確かなことは言えない」という結論をエクスキューズするようでは国民はまったく納得しないことを銘記してほしい。会計検査院に与えられたさまざまな調査権限は主権者である国民から負託されたものであることを銘記していただきたい。

                       醍醐 聰

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弟を詠んだ半世紀前の姉の歌に出会って

2017114

(あわただしい日々が続き、更新が1ヶ月以上、滞ってしまいました。)

半世紀前の姉の歌との出会い
  今朝、起きて居間へ行くと、「お姉さんのこんな歌があったよ」と連れ合いがコピーを指し出した。このところ、国立国会図書館へ出かけて斎藤史の戦中、戦後の短歌の軌跡を調べる中で、発見したらしい。
  目をとおすと、『女人短歌』80号、1969年6月号に「今日」という題で醍醐志万子の歌、33首が掲載されていた。かすれて小さ目のコピーだったが、目を近づけて読むと前半(8ページ)の13首が弟を詠んだ歌だった。

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  野球のまた駅伝の選手なりし褐色の脚土蹴りゆきし
  守るべきものみずからに持ち得たる弟のいまだ幼顔たつ
  テレビにうつるどの学生も弟に見ゆるしかしヘルメットは被りおらぬ
  はず
  大学を守ると夜を出で行ける弟の電話取り次ぐべきか
  火炎瓶に服焼しのみと告げ来たるその臭い消ゆる日ありや弟
  荒廃を伝うるに東大なみといい学べぬ嘆き今にして言う
  立場明らかになれば傷つくことの多からむ髪ふくれ夜の風に去り
  行く
  紛争の大学より帰り一夜ねる弟のたつるもの音つづく
  家に帰ればみるうちに顔の線まるくなりたる弟をうとむ
  常緑樹の下にベンチあり無口になる弟と言葉探すでもなく
  ある時のわれにし似たる弟をいたき心に見守れるのみ
  縞美しくまろき小石を見よという旅より帰り数日ののち


駅伝のゴール手前で声援を送ってくれた姉
  すぐに思い当たる歌もあれば、回想と思える歌もある。詠まれた事実をすぐに思い出せない歌もある。
  一首目は、中学生の頃の私の様子を詠んだ歌であることは確かだ。当時、私は夏に野球部の選手を終え、陸上部に誘われて秋には800mのトラック種目の選手として練習に明け暮れた。といって、野球部で1年生の時から冬場の走り込み、うさぎ跳びの練習で足腰を鍛えていたので、陸上部に移ってからの練習は苦にならなかった。
  800mのトラック競技で県大会に出て終わりかと思ったら、今度は駅伝のチームに誘われ、県大会予選レースを兼ねた地区大会でアンカーを走ることになった。3.5kmほどの短い距離だったが、2位でタスキを受け取った私は前を走る選手を追いかけた。すると、途中から私の横を車が並走してきて、「抜けるぞ」と叫んだ。振り向くと、自営業の父の職場で働いてもらっていた人だった。「そうか」と気を引き締めて追いかけ、ゴール(郷里の市民グランド)手前200mほどの地点で追い抜いてトップでゴールした。
  忘れられないのは、そのゴール200m手前の地点に、なんと姉が待ち受けていて声援を送ってくれたことだった。「褐色の脚土蹴りゆきし」と詠んだのはその時の光景ではないかと思う。

大学「紛争」に突き進んだ弟を感情移入なしに見守った姉の歌
  28首目は京大に在籍して大学「紛争」に足を踏み入れた学部4年生当時の私の様子を姉の目から詠んだ歌である。
  「大学を守ると夜を出で行ける弟」と詠まれたのは、京大で「紛争」がピークに達した時、「東京の○○大学から△△旅団がこちらに向かっている」という真偽不詳の情報が入り、突入阻止を叫んで、本部の正門に逆バリケードを組んで待ち構えた日のことではないかと思う。
  当時、経済学部の自治会で活動していた私は徹夜になることを覚悟して、着替えのため、3人目の姉と一緒に入居していたアパートにいったん帰った。「電話」云々は、その時の事かと思うが、私が直接、実家の姉に掛けたのか記憶は薄れている。もしかしたら、3人目の姉が伝えたのかもしれない。
 「荒廃を伝うるに東大なみといい学べぬ嘆き」という句が何を指すのか、自分の言葉ながら不確かだが、当時、経済学部は大学解体を叫んだ別の学生グループが学部図書室に突入し、書架をなぎ倒した。そのため、入室不可となっていて、調べものができない状態だった。仕方なく、私は小さな学部資料室と府立資料館に毎日のように通って調べものをした。
  そのような状況を何かの時に姉に話しかけたのを詠んだのではないかと思う。

安易な社会詠に与しなかった姉の沈着なまなざしに触れて
  姉が「常緑樹の下にベンチあり無口になる弟と言葉探すでもなく」という歌を書き留めていたことを初めて知った。この歌に限らず、「今日」に収められた歌は、どれも、姉がのちに出版したどの歌集にも収録されていないと思う。
  生前、帰省した私は、夜なべする姉と黙ってお互いの仕事をする時間を過ごしたことがたびたびあったが、「常緑樹の下のベンチ」で姉と語り合った記憶はなかなか、思い起こせない。思わせぶりなフィクションを挿入する姉ではないので、確かな事実(記憶)をもとにして詠んだのだと思う。

向きあひて本読むよふけこの家に残る二人の姉弟として
             (醍醐志万子『木草』1967年、初音書房、所収)

  どのような情景かは不確かだが、2人向き合って、ふと手を止めて目線を合わせ、ぽつりと交わしたやりとりには、日頃、口にしない本心がのぞき、遠い思い出として大切にしたいと思っている。

 立場明らかになれば傷つくことの多からむ髪ふくれ夜の風に去り行
 く
 

 姉は歌の上で主義主張を押し出す作風には一貫して与しなかった。芸術至上主義ではなく、主義主張は赤裸々に表現するものではなく、事実の観察を冷静に作歌する技量を通して読者に自然体で伝わるのを良しとしていたように思える。
 そのような姉が晩年、社会の風潮に思わず警鐘を発した歌を作ったのを知ってはっとしたことがあった。

 正しきものつねに敗るといふ理論それを見てゐるひとりとなるな
      (醍醐志万子『照葉の森』2009年、短歌新聞社、12ページ)

 姉が半世紀前に「立場明らかになれば傷つくことの多からむ」と詠んでいたことを知って、当時から姉の心深くに晩年の歌に通じる心棒があったように思え、感慨深かった。

 ある時のわれにし似たる弟をいたき心に見守れるのみ

 この歌を目に留めた時は、感無量の極みである。

(追伸)

 醍醐志万子の短歌(1)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-3b5e.html

 醍醐志万子の短歌(2・完)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5178.html

 歌人、醍醐志万子をたどる
 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/post-2d98.html



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