安倍首相の資金管理団体告発の件:その後

2014年12月19日

 本年
818日、私を含む4名は安倍晋三氏の資金管理団体「晋和会」を政治資金収支報告書(2011年分、2012年分)の虚偽記載で東京地検に告発しました。

 「安倍首相の資金管理団体を虚偽記載で告発」
 
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-f628.html

 「この件はその後、どうなったのか」という質問がネット上で寄せられていますので、この場をかりて状況をお伝えします。
 といっても、近々に告発人代理人弁護士を通じて、東京地検に告発受理のいかんを問いあわせてもらうことになっているというのが現状です。

 そもそも論に戻りますと、地検はいったん告発を受理しますと、捜査・検討の結果、不起訴と判断しても、告発人は検察審査会に異議を申し立て、不起訴が相当かどうかの審査を求めることができる仕組みになっています。

 「検察審査会の概要」
     http://www.courts.go.jp/kensin/seido_gaiyo/index.html

 そして、上の記事にあるように検察審査会が審査の結果、不起訴不当または起訴相当と議決した場合、検察官は検討のやり直しを求められることになっています。こうした検察審査会の議決を経て検察官が検討のやり直しをした件数はこれまでに約1,500件に上っています。

 ここから、検察庁は、いったん告発を受理すると、かりに事案を不起訴と判断しても、告発人に検察審査会へ異議申し立てをする権利を与えることになるため、なかなか告発を受理しない、あるいは受理するかどうかの判断をなかなか下さない傾向があるとされています。
 このような現状を多くの方々に知っていただき、かつ、検察庁の受理、不受理、受理後の事案の検討が種々の政治判断で歪められることがないよう、監視していくことが重要です。
 その意味から、私どもの告発の行方について、引き続き、多くの方々に関心を向けていただくよう、お願いします。

| | コメント (0)

本土の有権者・政党はオール沖縄の選挙態勢から何を学ぶべきか(2)

20141214

沖縄の特殊事情?
 今日、投票日となった衆議院総選挙。翁長知事、城間那覇市長を誕生させたオール沖縄が14区で擁立した共同候補が全員当選を目指して運動を続けてきた。全員当選が実現すると自民党は沖縄の小選挙区では議席ゼロという厳しい審判を突きつけられることになる。
 しかし、どの報道機関の世論調査も、本土では自民単独で300議席を超え、自公あわせて3分の2に迫る勢いと伝えている。まだ、態度を決めていない有権者が少なくないことから、なお流動的な要素もあるが、こうした議席予想が広がるなか、この先、本土の政党、有権者には選挙後の諸課題(集団的自衛権、原発再稼働、秘密保護法、消費税増税、TPP、社会保障や税制改革など)の取り組み、さらには来年以降の地方選挙、総選挙に向けてどのような対応が求められるのか、熟慮を迫られている。

 先日、労働組合の某ナショナルセンターの幹部に「オール沖縄の選挙態勢を本土も教訓にすべきでは」と話しかけると、即座に「沖縄の特殊事情ですよ」という答えが返ってきた。そう言って済ませてよいのか?
 確かに沖縄で知事選、那覇市長選に続いて国政選挙でも保革を超えたオール沖縄の共同候補を擁立するに至った背景には、普天間基地の危険除去、辺野古での新基地建設をめぐって自民党が分裂し、保革を超えた県下の自治体首長の賛同で新基地建設反対、沖縄の自治権貫徹を謳った建白書が採択されたという新しい状況があった。「保守は保守でも私は沖縄の保守」と語る翁長知事の言葉は沖縄の自民党に重大な地殻変動が起こった証しである。
 他方、本土の自民党には目下のところ、そうした地殻変動の兆しはない。だから、本土では保革を超えた護憲、脱原発、反TPP、企業優遇から国民生活第一等を掲げる共同行動を生み出す可能性は見えてこない。その限りでは、沖縄の経験をただちに本土でも、といっても現実味が乏しいのは確かだ。

自党の伸長を目指すだけでよいのか

 では、本土ではどうすればよいのか?「多弱」と称される野党内の再編、第三極の結成という政党間の合従連衡は、マスコミに話題を提供はしたが、結局は、議会政治に健全な緊張感を生む保革伯仲ではなく、野党内に政権すり寄り競争、自民党補完勢力を再生産させるだけだった。そういう帰結を省みることなく、野党再編論を繰り返したのでは有権者の政治不信を増幅させるだけである。
 では、自民党の悪政からの転換を願う国民は、強弱はあれ、自分が支持する政党の勢力拡張を期待するほかないのか? あるいは自分が支持する政党の伸長を支援する行動に努めるだけでよいのか?
 どの党も立党の目標、自らが掲げる政策の実現を可能にするよう党勢拡大に腐心するのは当然である。また、有権者としては、自分が支持する政党の伸長を支援するのは政治的自由、参政権行使の一環である。問題は有権者にしても政党にしても、それだけでよいのかということである。
 1つ前の記事で紹介したように、今の自民党一強体制のもとで、与野党伯仲を期待する国民が全体の過半を占めている。重要な政策課題ごとの民意をみても、安倍政権が目指す政治の方向には過半に近い国民が不支持を表明している。その意味では政治の転換を求める民意は間違いなく本土にも存在している。要はその受け皿となるべき政治勢力がいっこうに現れないということである。
 多くの国民は、自民党政権との違いが見えない政権交代や第三極には辟易としている。今回の衆院選ではこれらの野党勢力と一線を画し、自共対決を前面に押し出す日本共産党が議席倍増の勢いと予想されている。同党の長年にわたるぶれない主張と政策が次第に評価されてきた証しと思われる。
 しかし、その共産党にしても、予想通りに議席を倍増したとしても、自公両党で3分の2の議席を確保するという予想が行きかう中での倍増である。大勢としては自公両党の支持基盤に食い込む議席増ではなく、民主党や第三極に失望し、漂流した票、党の存立が危ぶまれる野党から離れた有権者を取り込んだ結果と見るのが正解だろう。

 選挙後に予想される衆議院の議席分布から見ても、政策面で自民党と対峙する野党とはいえない政党を除くすべての野党が連合したとしても、自公政権と伯仲する勢力とはなり得ない。
 このような政治状況のもとで「自党が伸びることが自民党政治の転換につながる」と訴えるだけでよいのか? そのような訴えが果たして与野党伯仲を期待する有権者の願いに沿うリアリティを持つのか? 今、野党各党はもちろん、政治の革新を求める有権者が熟慮すべきはこの点である。  

注目すべきは「支持する政党なし」層の動向

しかし、自民党あるいは自公政権と拮抗する、あるいはそれに代わる新しい政治勢力と言っても、言うは易く、どのようにそれを組織していくのか? こんな大それた問題に一介の市民が何を言っても空しいで済ませたのでは、今の政党政治に失望して選挙を棄権するのと大差ない。むしろ、近頃、私は「棄権は白紙委任に等しい」という呼びかけにも虚しさを感じる。そう言うなら、ただ、黙々と1票を投じるだけでなく、意味のある一票を投じる対象(受け皿)を作る努力をすることこそ重要ではないか? では、言うところの受け皿とは何か、それをどう作るのか?
 選挙後も続くと予想される自民一強、多弱野党の議会状況の下で、個別の重要課題に示された民意を政治に反映させるとともに、次の総選挙、地方選挙で一強多弱の議会状況そのものを変えるには、多弱の野党の共同を呼びかけるだけでは力不足なことは明らかである。

 ここで着目すべきは、「支持する政党なし」層である。
 この層の割合は各種世論調査でかなりバラツキがみられる(以下、カッコ内は調査時点)。もっとも低いのはNHKの調査で26.3%(1257日)、もっとも高いのは『時事通信』の調査で56.8%(1258日)。2倍以上の開きがあるのは腑に落ちないが、『毎日新聞』(12910日)30.0%、『朝日新聞』(12月6~9日)38%となっている。このような調査結果を要約すると、有権者の30%台が支持する政党なし層と考えられる。その割合は最高の自民党支持率(これも各種調査によってバラツキがあるが、2538%の範囲に収まっている)に匹敵する大きさである。しかも、この層が選挙にあたって1票を投じるか、棄権するか、選挙外の日常生活において焦眉の政治テーマに沈黙するのか、声を上げるのか、どのような主張に共鳴するのかは、今後の民意の趨勢に大きな影響を及ぼす。
 しかも、一つ前の記事で紹介したように、安倍政権が進めようとする憲法「改正」、集団的自衛権の行使容認、原発再稼働、特定秘密保護法の施行、消費税増税、企業優遇に傾斜した税制改革等に関して、おおむね過半の有権者が不支持を表明している。ということは、「支持する政党なし」層の中に、反安倍政権あるいは非安倍政権の民意が潜在していることを意味している。今、求められるのはそうした民意を顕在化させ、国政に反映させる現実的な受け皿を誕生させることである。


有権者が主役となって反自民の大同結集を
 
このように考えると、野党各党が「わが党の伸長こそ政治をよくする」という自党中軸主義を固持する(各政党が自党の綱領、主張の実現を可能にする議席の獲得を目指して日常の政治活動や選挙活動を行うこと自体は当然であるが)だけでは足りないのは明らかである。なぜなら、今回の衆院選挙後も強まりこそすれ、弱まる可能性が低い自民1強の議会状況のもとでは、野党の政党間組み合わせを追求したり、特定の政党が議席を増加させたりするだけでは、自民党政治にストップをかけ、悪政の転換を図るのに力不足なことは明白だからである。
 こうした議会状況ならびに各野党が自党中軸主義を固持する状況においては、可能性のある小選挙区での無所属の統一候補の擁立も含め、反自民の大同結集を実現するには有権者が主役となって政治勢力の結集を図る以外に道はない。

 私が京都で過ごした大学生時代、大学院生時代は地域によって時期的な前後はあるが、蜷川京都府政、美濃部東京都政、黒田大阪府政、飛鳥田横浜市政など革新自治体が大都市に誕生した時期だった。今、思い起こしたいのは、こうした革新自治体を誕生させた原動力は政党間の組み合わせでいえば、社会党、共産党の統一行動だったが、それを可能にしたのは両党関係者の努力もさることながら、文化人、研究者、労働組合、医療、法曹、消費者など各界の市民・有権者団体が主役になって選挙母体を結成したことだった。社共両党の統一もこうした市民・有権者の媒介があって初めて実現したと言っても過言ではない。当時も政党間の協議だけに委ねていたら、革新自治体を誕生させた選挙母体も革新自治体を実現させた有権者のエネルギーも生まれなかったと思われる。
 翁長知事、城間幹子那覇市長を誕生させた沖縄の政治状況もこれに似ている。保守か革新かという従来の支持政党の違いを超えた各界の市民団体や財界人が主役になった「ひやみかち うまんちゅの会」が接着剤になり、主役になって候補者選考・一本化を協議したからこそ、国政選挙でも4つの小選挙区すべてで共同候補を擁立できたのである。政党間の協議だけに委ねられていたら、そのような結果を生み出すのは極めて困難だったと思われる。

 これとの対比でいうと現在(の本土で)は、選挙母体というと、多くの場合、政党が主役で、労組など各界の団体は政党の動き待ち、政党の呼びかけに呼応するという受け身の姿が大勢と思える。こうした傾向は、もともと、政治的に自由な立場で発言し、それを通じて世論に影響を及ぼすことが期待される文化人、知識人にも見受けられる。政治的「中立」の殻に籠って沈黙を守るか、さもなければ、特定の政党支持を打ち出す文化人や研究者が散見される。どのような職域にいようとも、自らの見識に従って政治的見解を表明するのは、保身のために沈黙を守るよりも、はるかに真摯な態度である。しかし、それだけでよいのか?

 自民党支持者ならともかく、そうでない有権者や各界の団体には、自分がどの党を支持するかは別に、自分が第一義的には支持しない政党、意見に隔たりがある有権者や団体であっても、目下の喫緊の課題―ー―憲法改悪を阻止し、憲法を生活の様々な局目に活かす課題、集団的自衛権の法制化を阻止する課題、原発再稼働を阻止し、原発に依存しない社会を目指す課題、特定秘密保護法による知る権利の侵害を排除し、同法の廃案を目指す課題等―――での共同を追求し、共同の輪を広げ、組織化するために、政党の動き待ちではなく、政党の呼びかけに受け身的に応えるだけもなく、自らが政治の主人公らしく、望ましい政治勢力の結成のために何をなすべきかを主体的に熟慮し、行動を起こすことが求められる。

 こうした行動は、節度を保ちさえすれば、自分が支持する政党の伸長のために行動することと二者択一ではなく、両立するはずである。そのために強く求められるのは「異なる意見と真摯に向き合い、対話する理性」である。ここでは、気心の知れた仲間の間でしか通用しない「身内言葉」、「われこそ正論」と構える独善的な態度は最悪の風潮である。

 こうした理性、謙虚な資質は個々の有権者や市民団体に求められるだけではなく、政党にも強く求められる。特定の政党をゆえなく忌避する反理性的な先入観はもとより、自党に向けられた市民からの意見・批判に対し、自党の見解と相容れない部分があるというだけで、そうした意見を政党活動への「介入・干渉」と断じて対話を拒否する姿勢は、異なる意見に真摯に向き合う理性の欠如、政党を市民の上に置くに等しい不遜な態度である。

 こうした障害を乗り越えて自民党政治に代わる、憲法を内政・外交、国民生活のすみずみに活かす政治を実現するためには、政党の動き待ちではなく、各自がどの党を支持するかの枠を超えて、有権者が主役になって、反自民の有権者、政党の共同を促し、共同の質を高める運動を起こすことが肝心である。それによって、「支持する政党なし」層も参加する政治勢力の結成を図る展望も開けてくるだろう。

本土で既存の保革の枠を超えた政治勢力を誕生させる道筋
 また、そのような政治状況を生み出すことができれば、沖縄の場合と契機の違いはあっても、本土でも自民党支持層(特にその中で相当数を占めていると思われる消極的支持層)の間にも、自民一強体制への反省が生まれ、自民党政治に代わる保革の枠を超えた新しい政治勢力が誕生する可能性が開けるだろう。

 例えば、従来、自民党の支持基盤とみされてきた農業関係者の間では自民党が先の総選挙の公約を覆してTPP交渉への参加に踏み切り、前のめりの合意にのめり込もうとしている現実に直面して、農業の未来、食料主権への責任を放棄した自民党政治への批判、反発が全国的に広がっている。それでも農業団体の政治連盟である農政連は、かなりの都道府県で今回の
衆院選にあたって地元の小選挙区に立候補した自民党候補の推薦を決定した。しかし、幾つかの地域では自主投票を決定している。また、自民党候補支持を決定した地域の農家の間では自民党の農政への反発が根強く、農政連の決定に応じた投票行動になるのかどうか不確定と見られている。それだけに、自民党政権が安定的基盤を失い、目下の農協改革に対する「重石」が揺らげば、農業関係者の間でも自民党離れがより顕在化する可能性がある。

最後に
 保革の枠を超えた政治勢力の誕生を沖縄の特殊事情と言って済ませてはならない。本土でも、要因、契機は違っても、既存の保革の枠を超える政治勢力を誕生させる有権者主役の対話と行動が望まれる。繰り返しになるが、そのために各界の団体、個人に強く訴えたいのは、自らが支持したり、親密な関係を保ったりする政党との協力、共同だけでは足りないということである。そうした、いうなれば「縦割り」の政治的活動を超えた大同小異、さらには、特定の大異(例えば、消費税増税の「中止」か「凍結」かなど。私見は「延期」でも「凍結」でもなく「中止」だが。)を保留してでも、多くの国民の支持が得られると考えられる重要課題(企業優遇税制の見直し、1年半後の消費税増税をひとまず見送り、それまでの間に、消費税増税に選択肢を限定しない財源の共同提案を市民代表も交えた場で協議するなど)で大同する政治勢力の結成を図ることを強く訴えたい。

20 摩文仁の丘の最南端の高台から。眼下に牛島司令官の自決の地(壕跡)が見える。2014年11月13日撮影

20_2「さとうきび畑」の歌碑(読谷村) 2014年11月12日撮影







| | コメント (0)

本土の有権者・政党はオール沖縄の選挙態勢から何を学ぶべきか(1)

20141213

オール沖縄を象徴する光景
 沖縄では知事選勝利の流れを引き継ぎ、目下の衆議院選において、14区で保革を超えて新基地建設阻止、建白書推進で一致したオール沖縄の共同候補が擁立されている。そのうち1区、4区は大激戦と伝えられているが、これらの選挙区でもオール沖縄の候補が当選すれば、沖縄県民への公約を反故にし、沖縄の民意を裏切って新しい米軍基地建設を容認した自民党は衆議院で議席ゼロという厳しい審判を突きつけられることになる。

 その激戦の沖縄1区で、1210日、オール沖縄の赤嶺政賢候補の演説会が県庁前で開かれた。そこへ、知事として初登庁を終えたばかりの翁長雄志氏も駆けつけ、応援演説をした(以下のサイトに並んだ動画の最上段、左から2つ目)。

http://video.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%B2%96%E7%B8%84%EF%BC%91%E5%8C%BA%20%20%E7%BF%81%E9%95%B7 

 ご覧のように、翁長知事のほか、城間幹子・那覇市長、金城徹・那覇市議会議員(新風会)、志位和夫共産党委員長、糸数慶子・参議院議員(沖縄社会大衆党)が弁士として登場した。オール沖縄の姿を象徴する光景である。
 ここで、過去3回の衆議院沖縄一区の選挙結果をふり返っておきたい。
 2012
  国場幸之助(自民党:今回も立候補)        65,233
  下地幹也郎(国民新党:今回は維新の党から立候補) 46,865
  赤嶺政賢(共産党)                27,856
 2009
  下地幹郎(国民新党)               77,152

  国場幸之助(自民党)               63,017
      外間久子(共産党)                23,715
 2005
  下地幹郎(無所属)                72,384
  白保台一(公明)                 67,540
  赤嶺政賢(共産党)                23,123

 これを見ると、2~4区も大なり小なり似通った状況と思われるが、特に1区では、保革を超えた共同がなければ赤嶺候補は当選圏に遠く及ばないことは明らかである。現に、今回の選挙で赤嶺候補は終始、「日本共産党の赤嶺」とは言わず、「オール沖縄の候補者」と自称している。立候補の経緯から言えば当然のことではあるが、ここには「自共対決」ではなく、「沖縄の自治権擁護・平和勢力」対「本土政府追随勢力」という構図が出現していることを確認しておきたい。

政党選択意向と課題別民意のねじれ
 ところが、各種報道機関の議席獲得予想によると、全国的には沖縄とは対照的に、自民党単独で300議席を超え、自民・公明両党あわせて3分の2に迫る勢いと伝えられている。「追い込まれ解散」と言われたにしては与党大勝の勢いである。
 しかし、同じ時期に行われた各種世論調査によると、今回の衆院選で争点になっている課題ごとの民意は与党大勝の予想とは大きく乖離している。例えば、『毎日新聞』が12910日に行った世論調査では次のような集計結果になっている。
 ◆消費税率を10%へ引き上げることへの賛否
                  全体   男性  女性
   賛成             41%   50  37
         反対             52%   47% 55
 ◆アベノミクスによって景気がよくなったと思うか
   思う             21 24 19
   思わない           70%  67% 72
 ◆集団的自衛権の行使への賛否
   賛成             35%  50%  25
   反対             49%  52%    47
 ◆特定秘密保護法への賛否     
   賛成             30%  37%  26
    反対             49%  52  47

 また、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が今月67両日に行った合同世論調査によると、アベノミクスについては「成功していると思う」が27.5%だったのに対し、「成功していると思わない」が57.3%で「成功している」の2倍強になっている。
  さらに、『中日新聞』が今月9日にまとめた世論調査によると、安倍政権が進める原発の再稼働について、「反対」が57.5%で「賛成」の26.3%の2倍強になっている。

有権者は与党の大勝ではなく、与野党の拮抗を望んでいる
 さらに、興味深いのは有権者がどのような選挙結果を期待しているかである。NHKが今月5日から3日間行った世論調査によると、次のような結果が出ている。
 ◆自民・公明両党が衆議院の過半数の議席を獲得するのが望ましいと思う
  か
   望ましい             22%  
   どちらかといえば望ましい     29
   どちらかといえば望ましくない   23
   望ましくない           18
 ◆国会の中に自民党に対抗できる勢力を持った野党ができることを期待す
  るか
   大いに期待する          32
   ある程度期待する         37
   あまり期待しない         18
   まったく期待しない         7

 また、前記の産経新聞社とFNNの合同世論調査でも次のような結果になっている。
 ◆衆院選の望ましい結果は
   与野党の勢力が伯仲する形     47.9
   与党が野党を上回る形       35.4

 こうした世論調査の結果は、有権者の政党選択意向と衆議院の勢力分布に関する期待に大きなギャップがあることを示す点で大いに注目すべき傾向と考えられる。

与党大勝は憲法「改正」、集団的自衛権行使が信任されたことを意味しない
 
 言い換えると、各種の世論調査に現れた与党大勝の予測は決して安倍政権・与党に対する積極的な支持を意味するものではないこと、むしろ、自公政権と拮抗する勢力の形成を期待しながらも、いっこうにその姿が実現しないなかで、消極的理由で自民党を選択する層が相当数存在しそうなことを物語っている。

 このことは先に示した課題別の民意の傾向からも窺える。安倍政権・与党が成立させた特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認、あるいは今回の選挙公約に掲げたアベノミクスの継続、1年半後の消費税率の引き上げ等は、それをみても過半の世論の支持を得ているどころか、不支持が相対多数の課題ばかりである。
 そのうえ、自公両党は国民の間に異論が根強い集団的自衛権の行使容認や憲法「改正」を「あえて」といってよいほど争点化せず、「アベノミクスの継続か否か」に焦点を当てる選挙戦術を採用している。(これについては、「改憲意欲しのばせる首相」「争点化せず政権体制固め」「国民投票法改正、土台は着々」(『朝日新聞』2014125日、3面)が参考になる。)
 しかし、かりに自民党ほかの改憲勢力が3分の2の議席を獲得したら、選挙期間中は背後に「しのばせていた」政策まで信任を得たと称し、数の力で憲法「改正」やTPPの妥結などが強行されかねない。
 こうした「争点隠し」と虚構の「信任」宣言を許さないためにも選挙期間中に示された課題ごとの民意をしっかりと記憶にとどめ、有権者は何を白紙委任しなかったかを明確にしておく必要がある。

20  2014年11月13日撮影

20_2   2014年11月13日撮影






| | コメント (0)

大企業に足りないは投資財源ではなく需要 ~法人税減税は中止すべき(3・完)~

20141125

わが国の大企業は再投資財源を事欠いているのか?
 このテーマの連載記事の1回目で記したように政府は、利益を上げている企業の再投資余力を増大させ、収益力改善に向けた企業の取り組みを後押しすること、を理由の一つに挙げて来年度から数年で国・地方を合わせた法人税の実効税率を現在の約35%から20%台まで引き下げる税制改正の検討を進めている(閣議決定「経済財政運営と改革の基本方針2014について」2014624日;政府税制調査会「法人税の改革について(案)」2014627日)。
 しかし、わが国では法人税率(基本税率)は1990年当時の37.5%からから現在の25.5%まで12%も引き下げられた。その上、なお、国、地方を合わせた実効税率を20%台まで引き下げなければならないほど、わが国企業は再投資(特に設備投資)の余力(原資)に事欠いているのかどうか、あるいはわが国企業には、より多くの原資を必要とするほど投資資金の需要があるのかどうかを確かめておきたい。

 次の表は2008年度末から2014年第1四半期(6月)末までの資本金1億円以上のわが国企業(全産業)の財政状況等の推移を示したものである。

    わが国企業の経営状況の推移(20082014.6年度/期)
 
         ~全産業・資本金1億円以上~
 
  
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kigyo_no_keieizyokyo_no_suii.pdf
  (財務省財務総合政策研究所調査統計部「法人企業統計調査」時系列
   データより作成)

 これを見ると、法人税率が段階的に引き下げられたこの6年間に有形固定資産は横ばいで、近年はわずかながらも2008年度の水準を下回っている。では財源に事欠いたからかというと、課税後の可処分利益を社内に留保した利益剰余金は51兆円増加し、2008年度対比でいうと約26%も増えている。この利益剰余金とは減価償却費に見合う内部留保資金などとともに、企業財務論でいうところの内部金融の主な源泉である。
 では、これほど潤沢な設備投資の財源があったにもかかわらず、それが設備投資に充てられなかったとなれば、どのように運用されてきたのだろうか?
 運用の累積実績からいうと、上の表にあるように資産側で顕著に増加したのは「投資その他の資産」(長期投資目的の有価証券や貸付金、子会社等への出資)で、この6年間の増加額、伸び率は利益剰余金のそれをやや上回る水準となっている。
 このほか、上の表では、原資料(「法人企業統計調査〕に金融・保険業を含む全産業ベースの該当データが収録されていないため、表記していない現金・預金残高の推移を、金融・保険業を除く全産業ベース(資本金1億円以上)で調べると、2008年度末現在で53.7兆円だったのが20143月末現在では70.3兆円へと16.6兆円増加している。

足りないのは財源ではなく需要
 このように見てくると、2008年度以降を見ても、わが国大企業には、法人税のさらなる引き下げで増やさなければならないほど、再投資余力(財源)が不足した状況は全くない。むしろ、逐次の法人税減税で増加した内部留保はほとんどが設備投資の純増には回されず、あるいは賃上げや雇用の拡大にも充てられず、大半は長期投資目的の有価証券や社外出資に充てられ、16兆円余も現金・預金が増加している状況なのである。
 これでどうして、再投資余力の増大を理由に法人税減税を実施する大義が成り立つのか? 欺瞞も甚だしい。
 設備投資が伸びないのは財源が足りないからではない。製・商品に対する需要が伸びない、見込めないためである。法人税率を引き下げ続けたにもかかわらず、わが国企業の生産の海外移転が止まるどころか、増加し続けるのは、前の記事で示したように、移転先の現地で日本国内よりも製品需要が見込まれるからだ。

的はずれの安倍首相、黒田日銀総裁の見識
 であれば、政府が打つべき政策は供給サイドの「稼ぐ力」を付けるための金融緩和や法人税減税ではなく、需要サイド(家計)の購買力を高める政策である。
 安倍首相は企業を強くすることが日本経済の成長を牽引し、それが家計にも恩恵を及ぼす好循環をもたらすという信念にとりつかれているようであるが、きわめて有害な「信念」である。
 日銀、特に黒田総裁は他の委員の異論・反対を押し切る形で、2%の物価上昇率の達成を自己目的かのように唱え、この目的達成のためには今後も追加的な金融緩和を実施すると公言しているが、的はずれも甚だしい。
 縮小した需要をどう底上げするかを省みず、物価上昇を善とみなす「デフレ脱却策」は賃金を上回る物価上昇の実態を一層悪化させ、消費税増税の影響も重なって、景気を低迷させる結果にしかならない。

 次の記事では、250兆円に上る大企業の留保利益をいかに活用すべきかについて考えたい。

| | コメント (0)

法人税負担率はすでに20%以下 ~法人税減税は中止すべき(2)~

20141123

 政府与党は目下、来年度から数年で国・地方を合わせた法人税の実効税率を現在の約35%から20%台まで引き下げる税制改正の検討を進めている。
 前回の記事では、その根拠の一つに挙げられている「日本の立地競争力の強化」が実態に照らして的外れであることを指摘した。
 しかし、そもそも論を言えば、法人税率引き下げの根拠の適否を議論する前に、わが国の法人税の実効税率の水準を把握する基準を明確にしておく必要がある。
 いうまでもなく、納税者にとっての税負担額は税率×課税ベース(課税対象額)で決まるのであって、税率だけで負担の軽重が測れるわけではない。そして、法人税負担率と言う場合、

 法人税の納税額
 ------------------
  課税対象額 

で測るのが常識である。
 ところが、過年度に欠損を計上した企業の場合、当期の課税対象額は欠損金の繰越控除制度によって過年度の欠損金で相殺された金額、さらにその他種々の所得控除分だけ圧縮されている。同様に、分子は租税特別措置による研究開発費の税額控除等を受けている医薬品業等では当該税額控除分だけ納税額が圧縮されている。
 そこで、これら諸控除を分母、分子に戻し加えた時の法人税負担率(これが企業の実質的な税負担率とみなされる)を財務省自身が示している。次の資料がそれである。

 実際の税負担率
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/zei_futanritu.pdf
 (財務省説明資料「法人税課税の在り方」2013122日より作成)

 これを見ると、2011年度の時点で全法人の平均税負担率は21.3%となっている。これは法人税の標準税率30%から欠損金の当期控除分として6%だけ圧縮され、さらに租税特別措置による税額控除の影響で0.8%だけ税負担が引き下げられたことなどによるものである。その結果、電気機械器具(18.2%)、輸送用機械器具(19.7%)は2011年度時点で、すでに実質的な税負担率は20%以下になっている。

 以上は2011年度時点の状況であるが、時系列でみるとどうか?
 次の棒グラフは利益計上法人の益金処分の内訳(百分比)を時系列で表わしたものである。用いた資料は2011年度分までは前記の財務省説明資料であるが、2012年度分は国税庁「会社標本調査」をもとに財務省が採用したのと同じ方法で筆者が計算したものである。

 利益計上法人の益金処分の内訳(推移)
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/ekikinshobun_uchiwake.pdf
 
 この場合の益金はおおむね、課税対象所得と一致するから、そのうちの法人税額の割合は上で示した毎年度の法人税の実質的な税負担率を表している。例えば、このグラフで示された2011年度の21.3%は前掲の表で示された2011年度の全法人の実質的な税負担率の平均値と一致している。
 このグラフから読み取れるポイントは、
 ①2000年度に法人税率が37.5%から34.5%に引き下げられて以降、税負担率が30%台から25%以下に急減する一方、社内留保の割合が40%台後半へ急増したこと、
 ②2012年度には税負担率が17.5%まで下がったこと、
である。
 つまり、全法人の平均値で見ると、わが国企業の実質的な法人税負担率は2012年度には30%を割り込むどころか、漸次の税率引き下げと種々の特別措置の適用によって、20%台を下回る水準まで下がっているのである。
 こうした実態を無視して税率だけに着目して法人税の税負担率がまだ下げ足りないかのような議論をするのは重大な錯誤と言わなければならない。
 さらに、わが国企業は過去20年間の法人税率の引き下げで増加した可処分利益を増配に充てる以外は内部留保に回してきたこと、これが次の記事で取り上げるわが国企業の留保利益の増加につながったことを確認しておく必要がある。
 加えていえば、政府の税率の高低に偏重した税制論議を鵜呑みにして報道するメディアに対しても、調査報道の貧困、それに起因する政府広報化に猛省を促さなければならない。

| | コメント (0)

法人税減税は中止すべき (1)

201411月19日

実態にもとづく検証が必要:引き下げの2つの理由
 政府与党は年末の法人税制改定にあたり、国と地方を合わせた法人税の実効税率の引き下げに向けた議論を進めている。具体的には来年度から数年で現在の34.6%を20%台まで引き下げるという。
 こうした法人税率引き下げの理由として政府は、①わが国の立地競争力を高め、わが国企業の国際競争力を強めること、②
利益を上げている企業の再投資余力を増大させ、収益力改善に向けた企業の取り組みを後押しすること、の二つを挙げている(閣議決定「経済財政運営と改革の基本方針2014について」2014624日;政府税制調査会「法人税の改革について(案)」2014627日)。しかし、これらが法人税を引き下げる根拠として正当かどうか、事実にもとづいて検証してみたい。
 なぜなら、わが国の国際的立地条件や企業の競争力が他の先進諸国と比べて劣後しているとしても、法人税率の高さがその主たる原因なのかどうか、さらに言えば、そもそもわが国の法人税率は国際比較で高いのかどうか、事実で検証しなければ議論を先へ進められないからである。
 また、わが国企業は法人税率を下げて財源をねん出しなければならないほど再投資余力に事欠いているのかどうかも事実による検証が必要である。

 法人税の高さが投資の阻害要因か?
 ――わが国企業の場合――
 わが国の法人税率が国際比較で高いかどうかを確かめる前に、そもそも、法人税の税負担の多寡が世界市場でのわが国の立地競争力のネックになっているのかどうかを検証しておきたい。
 ここで政府が言わんとするのは法人税率を引き下げることによってわが国企業の投資の海外逃避を抑制しようということである。では、実際に、わが国企業が海外投資を決定する際に税制(税率や税の優遇措置)をどの程度考慮しているのだろうか? この点を確かめるうえで参考になるのは経産省『海外事業活動基本調査』が実施した、わが国の海外進出企業の意識調査である。

わが国企業の海外投資決定のポイント(2011年度)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kaigaitoushikettei_point_nipponkigyo.pdf

 これを見ると、わが国の多くの海外進出企業が海外投資を決定する際に重視しているのは「現地の製品需要」(73.3%)である。「他の日系企業の進出実績」(32.2%)、「進出先近隣諸国での製品需要」(26.4%)、「良質で安価な労働力の確保」(23.5%)がこれに続き、「税制融資等の優遇措置」を挙げた企業は複数回答可でも9.7%に過ぎない。ここから、税制のいかんは海外投資の是非を判断するポイントとしてはきわめて弱い要因であることがわかる。
 現に、わが国では1987(昭和62)年から1990(平成2)年にかけて法人税の基本税率が43.3%→42%→40%→37.5%へ段階的に引き下げられ、1998(平成10)年から1999(平成11)年にかけて37.5%→34.5%→30%へと引き下げられた。さらに、2011(平成23)年の税制改正では30%から25.5%へと引き下げられた。その結果、国、地方を合わせた法人実効税率は40.69%から35.64%へと下がった。
 では、この間のわが国企業の海外生産比率はどのように推移したか?

 わが国企業の海外生産比率の推移
 
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kaigaiseisannhiritu.pdf

 これを見ると、海外生産比率は、国内全法人ベースでは1990年から2011年にかけて、法人税基本税率は37.5%から30%へ引き下げられたにもかかわらず、海外生産比率は下がるどころか、6.0%から18.0%へと3倍に上昇している。
 海外に事業展開している製造業の場合も、1990年から2013年にかけて法人税基本税率は37.5%から25.5%へ引き下げられたにもかかわらず、海外生産比率は13.7%から34.6%へと約2.5倍に上昇している。
 国内生産か海外生産かの意思決定はさまざまな要因の合成作用で決まるとはいえ、上のデータを見る限り、法人税率の大幅な引き下げはわが国企業を国内生産に回帰させたり、海外生産を抑制したりする効果は全く果たしていないことがわかる。

法人税の高さが投資の阻害要因か?
 
 ――海外企業の場合――
 
 次に、海外企業から見て、法人税率の高低が、どの程度、わが国への投資の決定要因として作用しているかを確かめてみたい。
 次の表は海外の企業が日本のビジネスの「強み」と「弱み」をどのようにとらえているかを調査したものである。

 海外企業から見た日本のビジネス環境の「強み」と「弱み」
 
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/nippon_no_bisineskankyo.pdf


これを見ると「強み」として挙げたトップ(約40%の企業)は「市場の大きさ」であり、「社会の安定性」、「高度人材の獲得」などが続いている。他方、「弱み」のトップは「事業活動コスト」で、「英語でのコミュニケーション」、市場としての成長性」がこれに続いている。注目すべきは「税制・規制の透明性」が「強み」の12位、「弱み」の9位にとどまっていることである。しかも、これは「税制・規制の透明性」であって「法人税率の水準」だけを指すものではない。このように考えると、もともと法人税率の高低は海外からの対日投資を左右する要因としては有意なものとはみなされておらず、法人税率の引き下げで対日投資を呼び込むという政策判断が実態とマッチしたものとはいえないことがわかる。
 また、対日直接投資の推移を示した次のグラフを見ると、わが国への直接投資(ネット)は法人税率が37.5%から段階的に25.5%まで引き下げられた1996年から2006年にかけて「流入」が上昇し続けている。これだけを見ると法人税率の引き下げの海外資本誘因効果であるかのように見える。しかし、同じ期間中、「流出」も上昇し、ネットではマイナス(資本の引揚げ)となっている。
 同様に、20062007年にかけて「流入」が「流出」を上回る規模で急騰し、ネットでもプラスになっている。そこから、2005年になされた法人税率の引き下げ(34.5%→30%)の効果とみなされるかも知れない。しかし、その後、2011年まで法人税率(基本税率)は30%台のままだったにもかかわらず、20082009年にかけて「流入」が「流出」を上回る勢いで急落し、ネットではマイナスとなっている。

 対日直接投資の実績の推移
 
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/tainai_chokusetutoshi_no_suii.pdf

 このことは、法人税率の引き下げが対日直接投資にほとんど影響を及ぼしていないか、影響を及ぼしているとしても一律に一定の方向に(「流出」の抑制、「流入」の誘引)及ぼすものではないことを示している。

 以上見てきた事実からすると、わが国の立地競争力という観点からみて法人税率の水準はわが国の立地競争力と無関係か、他の要因との対比で微々たる影響しか及ぼしていないといえる。よって、わが国の立地競争力の向上のためとして法人税率を引き下げるのは的外れな政策と言って間違いない。

| | コメント (0)

米国海兵隊を沖縄に引き留めたのは日本だった :米国公電から判明 ~辺野古移設をめぐるこの国の果てしない欺瞞と情報隠蔽(1)~

2014年9月15日 

「辺野古の埋め立てが唯一の選択肢」は誰の判断か?
 910日のNHKニュースは菅官房長官が、「わが国を取り巻く安全保障環境が極めて厳しいなかにあって、アメリカ軍の抑止力を考えたときに、『唯一の選択肢というのは辺野古の埋め立てである』という政府の考え方は、全く変わっていない」と述べ、選挙結果にかかわらず、移設計画を着実に進めていく考えを強調し」たと伝えた。(下線は醍醐の追加)
 こうした官房長官の発言は、公約を反故にして辺野古移設を容認した仲井真弘多氏の苦戦が伝えられる沖縄県知事選の結果に対する予防線と言ってしまえばそれまでだが、沖縄基地負担「軽減」担当相に就任した菅氏が口にすべき言葉ではない。これについては、次の記事で触れることにして、以下では、下線を付けた部分の菅官房長官の発言の信憑性を問題にしたい。


米軍の沖縄駐留継続は日本政府の要請だった~元駐日大使が重大証言~
 
沖縄の地元紙2紙は昨日(914日)の紙面に、「米軍の沖縄駐留、日本政府の意向 モンデール氏証言」((『琉球新報』)、「海兵隊の沖縄駐留『日本が要望』 元駐日米大使の口述記録」(『沖縄タイムス』)という見出しの記事を米国滞在記者発として掲載した。
 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231579-storytopic-53.html
 
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83067

 
発言の主はカーター政権時代(1977-1981年)に副大統領に就任し、その後、クリントン政権時代(1993~1996年)に駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏。退任後の2004427日に外交史記録を目的とした米国国務省の付属機関のインタビューに応じて同氏が語った口述記録から判明したもの。
 記事によると、1995年、米軍普天間飛行場の返還の交渉のさなかに米兵が起こした日本人少女暴行事件について、モンデール氏は「 県民の怒りは当然で私も共有していた」と語った上で、事件に対する県民の強い怒りに直面して、当時、米国政府内では事件の数日のうちに、米軍は沖縄から撤退すべきかどうか、少なくともプレゼンス(存在)を大幅に削減すべきかどうか、さらには事件を起こした米兵の起訴に関して日本に多くの権限を与えるようにすべきかどうかといった議論に発展した、と述べていた。
 ところが、日本政府の対応はどうだったかというと、当時、日本側の指導者たちとの非公式な会話では日本側は米軍を沖縄から追い出すことを望まず、沖縄での米軍駐留の継続を求めていた、モンデール氏は述懐したという。
 結局、事件から7か月後の19964月、日米両国政府は沖縄県内での代替基地建設を条件として普天間飛行場の全面返還で合意した。
 なお、『沖縄タイムス』の記事は、当時、ペリー国務長官が米議会で「日本の全ての提案を検討する」と発言したこと、ナイ国防次官補(当時)も「兵力の本土移転も含むと述べたことも紹介している。


日本政府・防衛当局は「普天間基地移設で妥協するな」と米に伝えていた
 
これだけではない。ウイキリークスが暴露した米国公電の中に、20091012日、国務、国防総省双方の当局者を率いて訪日したキャンベル次官補らに対し、非公式な昼食の席ではあったが、高見沢将林・防衛政策局長が「米政府は、民主党政権に受け入れられるように再編パッケージに調整を加えていく過程で、あまり早期に柔軟さを見せるべきではない」と助言した、と記している。
 

 さらに、当時の外務省中堅幹部はもっとあからさまに米国が民主党政権に譲歩することがないようけん制していたことも公電から明らかになっている。

 20091210日に、日本政府の国連代表部で政務担当を務める参事官ら3人の外務官僚が在日大使館の政務担当者と会った際の会話を記した同月16日付の公電によると、外務官僚らは「鳩山政権の普天間移設問題での対応と政治利用」への不満を述べ、「米政府は普天間移設問題では民主党政権に対して過度に妥協的であるべきではなく、合意済みのロードマップについて譲歩する意思があると誤解される危険を冒すべきでもない」と強調したと記されている。 
 以上、

 
「不信の官僚、『米は過度に妥協するな』〈米公電分析〉」asahi.com 2011541918
  http://www.asahi.com/special/wikileaks/TKY201105030296.html


日本の防衛当局はすでに2009年に辺野古沖の軍港機能化を米国と協議していた
 
そればかりではない。『琉球新報』は912日の紙面で「ウィキリークスが公開した米大使館発公電。高見沢防政局長が代替基地建設の妥当性を示す説明を米側に求め、赤線の部分に高速輸送船やオスプレイ配備の記述がある」として、次のように記している。
 「辺野古に軍港機能付与 日本政府、09年把握」
 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231489-storytopic-3.html

 
「日米両政府が名護市辺野古に建設を計画する米軍普天間飛行場の代替基地に軍港機能が付与されると指摘されている件で、日本政府が遅くとも2009年には、新たな基地に米軍の高速輸送船が配備される計画を把握していたことが分かった。日本政府は垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの県内配備についても、米政府からの正式な通告である『接受国通報』を126月に受けるまで「未定」と説明してきたが、同じく09年段階で把握していた。」


 「ウィキリークスが公開した091015日付の在日米大使館発の公電によると、同月12日にキャンベル米国務次官補(当時)らと日本の外務、防衛両省幹部が普天間問題をめぐり会談した。公電は防衛省の高見沢将林防衛政策局長(同)が米側に対し、辺野古の新基地建設の「妥当性」を米政府が説明する際は「(在日米軍再編を合意した)06年以降の米軍の能力や戦争計画に関する変更を反映すべきだ」と勧めたと記録しており、例として『高速輸送船やMV22の配備』を挙げたとしている。
  この会談に出席していた当時防衛政務官の長島昭久衆院議員は本紙の取材に『高見沢氏の発言は記憶にない。あったとも、なかったとも言えない』と述べた上で『当時オスプレイの導入は基本路線となっていた。政府内で『早く公表すべきだ』と進言していた』と明かし、『高見沢氏の発言は当時の状況からすると特に違和感はない』と指摘した。」


国の果てしない情報隠蔽
 
これが事実とすれば、辺野古沖での代替基地建設は普天間移設に伴う沖縄の負担軽減が目的だとしてきた日本政府の説明とは裏腹に、基地の負担軽減どころか、辺野古沖での基地建設は現在の普天間にはない米海兵隊の機能の拡大強化を想定していたことになる。
 また、ウィキリークスが公開した駐日米大使館発の公電によると、前出の高見沢防衛政策局長は1996年にはすでに、オスプレイが2003年ごろに沖縄に配備予定とする文書を提出していたと記されている。
 防衛省は辺野古新基地には軍港機能はないと繰り返すが、これでは「この国の主権者は一体誰なのか。『主権在官』。沖縄の基地問題をめぐる国の果てしなき隠蔽体質にそんな言葉さえ浮かぶ」という『琉球新報』の告発に深く共鳴するほかない。


2014822_3   
鎮魂
   額づけば 戦友葬りし 日のごとく 夜明けの丘に 土の香匂ふ
   両の足 失なひし兵 病院を 探して泥道 這ひずり来る

   南原(はえばる)町の黄金森に掘られた壕の中に移設された沖縄陸軍    病院の第三外科で軍医見習士官として勤務していた長田紀春氏が詠み、遺族の宮里宏氏の揮耄で黄金森の鎮魂広場の一角に建設された犠牲者鎮魂の碑 (2014年8月22日、醍醐聰撮影)


2014820    ひめゆりの塔の前で(2014年8月20日。醍醐聰撮影)

| | コメント (2)

元NHK職員・多菊和郎さんの受信料支払い停止行動(2)~制度の深い洞察と気骨ある行動に敬服して~

201499

受信料制度の破たんではなく設計どおりの機能
 
―――受信料支払い停止の広がりが意味すること――― 
 こうして日本の放送受信料制度は一見安定したかに見えた。しかし、20047月に明るみに出たNHK職員による巨額の番組制作費使い込み事件をきっかけに、多くの視聴者が受信料の支払い拒否や保留に転じたため、危機に直面した。受信料収入は2003年度には6,478億円であったのが2004年度は6,410億円、2005年度は6,024億円まで落ち込んだ。
 政府の規制改革・民間開放推進会議の議長(宮内義彦)はこうした事態を評して、「すでに受信料制度は破綻している」と述べたが(『産経新聞』20051218日)、多菊さんはこう切り返している。

 「受信料支払い拒否や留保の挙に出た視聴者の心理と論理は、かつて存在した『放送を受信するには受信料を納めることを要するものという社会常識、社会慣習』とは遠く隔たったものとなり、『民族がつくり上げた貴重な歴史的所産』は『過去の遺物』となりつつあることが今さらながら明確に示されたということである。」(206ページ)

 「少なからぬ受信者が、かつて臨放調答申が『密着』という言葉で期待したように、NHKを″自分たちの放送局“に近いものと感じており、公共放送の理念をそれぞれに理解し受け入れていたであろうと推測できる。しかしNHK側が十分に″視聴者に顔を向けた”放送局でなかったために、視聴者の″権利”のうちの『最後の手段』を行使した。その意味では、受信料制度は破綻したのではなく、設計どおりに機能したと言えよう。」(同上ページ。下線は醍醐の追加)
 
(注)「臨放調」とは「臨時放送関係法制調査会」のこと。19649
   に受信料を「NHKの維持運営のための「特殊な負担金」と解する答
   申を提出した。

「受信料の支払い停止」は視聴者に残された最後の抗弁の手段
  この一節にある「視聴者の権利のうちの『最後の手段』の行使」という指摘は、NHK問題に取り組んできた私の体験に照らしても至言である。目下、私が共同代表の1人になっている「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は他の市民団体と連携して籾井会長、百田尚樹・長谷川三千子の両経営委員の罷免または辞任を求める署名運動を進めるとともに、独自に籾井会長の罷免または辞任を求める受信料支払い凍結運動を呼びかけている。
 その過程で、NHK執行部や会長の任免権を持つ経営委員会に署名簿、質問書を提出してきた。しかし、これらを提出する際に面会したNHK視聴者部や経営委員会事務局によると、5万を超えた署名を提出しても提出先の経営委員会で協議はおろか、提出の事実さえ報告されていない。また、経営委員会に質問書を提出するにあたっては、「委員長の会見や委員会の議事録あるいは国会での答弁で把握できないことを質問するので、誠意ある回答を要望する」と書面でわざわざ断っているにもかかわらず、「一連の動きに関する経営委員会としての考え方につきましては、国会審議における〔経営委員長の〕答弁、ならびに経営委員会終了後の委員長ブリーフィングや議事録などにより公表させていただいております」という木で鼻をくくったような回答の「使い回し」が続いている。
   また、籾井会長も、1月の会長就任会見で妄言を連発したことを国会で質されると「あれは個人としての見解」とかわす一方、個人的見解と会長としての資質を質した経営委員に対しては「私は何か間違ったことをしたでしょうか」と開き直り、6月の期末手当を返上した理由を尋ねた報道関係者には「籾井、よくやったと書いてもらっていいんじゃないか」と悦に入る有様である。
 ここまで視聴者の声を無視されたら、視聴者にはいったい、どのような意見表明や抗弁の手段が残されているだろうか? ここまで来たら、NHKの運営財源のほぼすべてを拠出している視聴者としては、双務契約としての受信規約の法理(民法第533条で定められた「同時履行の抗弁権」)を準用した受信料支払いの一時的凍結を「最後の抗弁の手段」として行使する以外にないのである。 

受信料制度を維持していくうえで必要な「補強材」

 
受信料支払い拒否や保留の広がりを「受信料制度の崩壊」とみるのではなく、「受信料制度が設計どおりに機能したもの」と捉えるところに多菊さんの深い洞察を見て取れる。それは多菊さんの論説を貫く条理の帰結であると同時に、私が多菊さんの論説に敬服するゆえんでもある。
 しかし、受信料制度はこうした成り行きに委ねて安泰というわけでは決してない。多菊さんは次のような指摘で稿を結んでいる。

 「日本の放送受信料制度は、『特殊の便法』という出自に由来する脆弱性を内包しているが、その出発点から数えれば80年余り、臨放調の答申から数えても40年余りの間、基本的な仕組みは命脈を保ってきたのであるから、逆説的な言い方をすれば″強靭な″制度であるのかも知れない。ただしその強靭さは、いくつかの補強材との組み合わせによって維持されてきたのであり、今日における不可欠の補強材は、事業体に寄せられる受信者の信頼であり、右顧左眄せず公共放送の王道を歩む真摯で勇敢な経営姿勢であろう。」(207ページ。下線は醍醐の追加)

 まことに明快かつ的確な指摘である。多くの視聴者に一読を願うと同時に、それ以上に、籾井会長以下、今のNHKの全役職員に一読してほしいと願わずにはいられない指摘である。

 ただ、私には、多くの国民がNHKに対して様々な不満を持ちながらも、受信料の支払いに応じてきた背景には、社会慣習の力だけでなく、「公平な負担のお願い」を前面に押し出すNHKの受信料徴収方針が少なからず効いているように思える。

「公平なご負担のお願い」
 
―――NHKの受信料徴収の論理の両刃性―――
 NHKは、このブログの一つ前の記事で書いたように、「受信料をお支払いいただいている方との公平を図るため」という口上で支払いを督促するのが通例になっている。こういう言い方をされると、「粛々と」受信料を支払っている人たちは、理由はどうであれ、「不払いは不払い、許せない」という心情をかき立てられる。訳ありで受信料の支払いを停止している人たちも、そういう世間の「空気」に押されて、同じようにテレビを見ながら受信料を払わないことに何かしら「負い目」を感じ、支払い停止に踏み切るのを逡巡したり、支払いを停止している事実を公言するのを憚ったりしているのではないかと思われる。
 しかし、私はこうした「公平負担論」には重大な論理のすり替えと帰結の両刃性があると考えている。このうち、論理のすり替えについては一つ前の記事で書いた。ここでは、「公平負担論」の「帰結の両刃性」について考えたい。

 「公平負担論」は、上記のとおり、視聴者の間に広がる受信料支払いのモチべーションの低下が不払いへと発展するのを食い止める「抑止力」として機能していると考えられる。多菊さんの言葉を借用していえば、戦後長く日本の受信料制度の維持装置として機能してきた「テレビを見る以上、受信料を負担するのは当たり前」という社会常識を下支えする補強材としての役割といってもよい。この補強材は「社会慣習」としての義務意識と比べ、受信料支払い拒否を思いとどまらせる「内なる抑止力」としては弱い機能しか果たさないかに見える。
 けれども、NHKから見ると、「公平負担論」は、受信料義務制とか民事督促とかいった「強硬手段」に訴えることなく(視聴者と直接、法的に向き合うことなく)、「不合理を憂えるよりも等しからざるを憂える」国民感情に働きかけ、視聴者相互の牽制に委ねて受信料の収納実績を高める効果を持つ点では使い勝手のよい受信料徴収の論理ではある。
 しかし、徴収の論理が先立つ「公平負担論」は視聴者のNHKばなれを加速させ、公共放送の「理性あるサポーター」を失うという負の側面をはらむことを直視しなければならない。なぜなら、受信料の不払いも訳ありの「停止(凍結)」も一括りにした「公平負担論」は、「お隣が払っていないのになぜ自分だけ」という国民感情をかき立て、NHKの放送番組や経営のあり方への関心(批判や不満)からではなく、損得の次元で受信料の支払いの是非を考える視聴者を増やすことにならざるを得ないからである。

無関心を喜ぶ者は無関心のつけを負わされる
 
 番組に対してうるさくものを言う視聴者よりも「粛々と」受信料を払ってくれる視聴者、あるいは少々、クレームをつけても受信料となれば「国民の義務」と自分に言い聞かせて「真面目に」支払いをしてくれる視聴者の方がNHKにはありがたいのかもしれない。しかし、<無関心を喜ぶ者は無関心のつけを負わされることも確かである。
 戦後、NHKは幾度か、政治の介入や第三者を標榜した審議機関の市場競争万能論的な規制「改革」論によって、公共放送としての存立が危ぶまれる危機に直面してきた。前者の例としては「従軍慰安婦」問題を扱ったETV特集番組に対する政権幹部の介入などが挙げられる。後者の例としては、放送事業の民間開放をうたい文句にNHKの民営化を唱えた上記の「規制改革・民間開放推進会議」の答申などが挙げられる。
 しかし、こうした公共放送の存亡の危機を食い止めたのはNHK内部の良識ある人々の抵抗とともに、文化人、研究者、ジャーナリストらと連携した視聴者・国民の理性的なサポートにも依るものだった。「公平負担論」を錦の御旗にしたNHKの受信料拒否者対策は、こうしたNHKの国民的支持基盤を掘り崩し、多くの国民を公共放送の価値に対する無関心層に追いやる結果になる。
 多菊さんが指摘した、「事業体に寄せられる受信者の信頼」と「右顧左眄せず公共放送の王道を歩む真摯で勇敢な経営姿勢」こそ、今日における受信料制度の不可欠の補強材であるという指摘は、それこそが公共放送としてのNHKの存立の条件であると同時に、受信料拒否者解消策の王道でもあることを意味している。この
ことをNHKのすべての役職員は銘記する必要がある。(完)

| | コメント (0)

元NHK職員・多菊和郎さんの受信料支払い停止行動(1)~制度の深い洞察と気骨ある行動に敬服して~

201499
 
 ある機縁で、元NHK職員の多菊和郎さんのことを知った。多菊さんはNHKに在職中、国際放送局国際企画部、NHK放送文化研究所のメディア経営研究部長などを歴任され、2005年に江戸川大学のマス・コミュニケーション学科に教授として着任された。ネットで調べると、今年の319日に多菊さんが開設されたHPが見つかった。そこには4つの文書が掲載されていた。

 「多菊和郎のホームページ」トップページ)
 
http://home.a01.itscom.net/tagiku/
1.
 籾井勝人NHK会長あて「会長職の辞任を求める書簡」(20143
  3日) 
2.
 浜田健一郎NHK経営委員長あて「NHK会長の罷免を求める書簡」
  (201433日) 
3.
 受信料支払い停止の経緯に関する報告資料(2014428日) 
4.
 参考資料(論文)「放送受信料制度の始まり―ー『特殊の便法』をめ
  ぐって」(『情報と社会』江戸川大学紀要、20093月)


 どれを読んでも深く共鳴した。多菊さんご本人から、このブログで紹介することについて了承を得たので、4つの文書を適宜、原文引用しながら、記事を書くことにした。

玄関のすぐそこに裏口があるような人物はNHK会長に不適
 
 籾井勝人NHK会長および浜田健一郎NHK経営委員長に宛てた多菊さんの「会長職の辞任・罷免を求める書簡」を読んで私が注目したのは次の一節である。
 「籾井氏が会長就任時の記者会見で『私見』を述べたことが悪かったとは私は思いません。この場(会長就任会見の場)で籾井氏が述べた『私見』によって、籾井氏がNHKの会長にふさわしい人ではないことが露呈し、経営委員会の人選の失敗が明らかになったからです。
 建物の玄関を開けるとすぐそこに裏口があるような奥行きの狭い思考をする人は報道機関・ジャーナリズムの仕事に向いていません。その玄関と裏口の間に『政治権力』という1枚のフィルターが立ててあるような考えかたの人はなおさらです。」

気骨ある受信料支払い停止行動、それを支えた受信料制度の深い洞察
 
 3つ目の「受信料支払い停止の経緯に関する報告資料」を読むと、銀行口座引き落とし解約届の「お客様控え」を添え、昨年10月に1年分、先払いした受信料のうち、未経過分の返還請求までするという、気骨のみなぎった受信料支払い停止行動であることが窺える。
 NHKに批判的な人々の間には、受信料の支払いを停止(凍結)している人が少なくないが、それを公言する人は少ない。そのような人たちと会話をしていると、受信料の支払いを停止していることに「後ろめたさ」を感じている様子が窺える。こうした人々と多菊さんの言動の違いはどこからくるのだろうか? 
 4つ目に<参考資料>として転載された多菊さんの論文「放送受信料制度の始まり」(『情報と社会』江戸川大学紀要、20093月)には、この違いの由来を知る手がかりがちりばめられているように思えた。

 本稿は、日本でラジオ放送が開始された1925(大正14)年以前まで遡り、日本放送協会が歴史的に民間放送という形態をとらず、あるいは、財源の面で、国庫を経由せず、視聴者が受信料を直接、日本放送協会に納付するという仕組みが出来上がった歴史的沿革を、『日本無線史』(1951年、電波監理委員会編)や『日本放送史』(1951年、日本放送協会編)、『日本放送史』(1965年、日本放送協会放送史編集室編)などを紐解きながら、克明に検証したものである。
 ここでその中身を詳しく紹介するゆとりはないが、私が注目したのは多菊さんが受信料制度の要素として、①法規、②解釈(論理)、③負担者心理、の3つを挙げ、「受信料を負担すべき人々が、公共放送としてのNHKの必要性とその費用負担の合理性を観念的に認めることと、実際に受信料を支払うこととの間には懸隔がある。そこには『法規』や『論理』が求めるものを現実の行動に結びつける『心理』の要素が大きく介在する」と記し、受信料を徴収する側の「建前」だけでなく、受信料を支払う側の「心理」を重視している点である(205ページ)。
 これを敷衍して、多菊さんは、受信料の性格を、NHKを維持運営するための「特殊の負担金」と表現しても、視聴者に受信料支払いの必要性を説得する力は乏しく、「見もしないチャンネルにお金を払いたくない」、「お隣が支払っていないのになぜ」という気持ちを切り替えさせるのは容易でない、という。この点を評して多菊さんは、日本放送協会の受信料制度は「それ自身では受信料徴収の正統性の主張を完結できないという『脆弱性』をはらんでいる」(205ページ)と記している。

受信料の支払いを内面から促す社会慣習の力
 
 にもかかわらず、元NHK副会長・永井多恵子さんをして、「現況の受信料支払率は7割で、この数字を向上させることに全力をあげなければならないが、『罰則なしで、この数字はすごい』というのが率直な感想だ」(「朝日新聞」2006918)と言わしめるほど、NHKが堅調な受信料徴収実績を挙げてきたのはなぜだろうか?
 これについて、多菊さんは戦中から戦後にかけて逓信行政の現場に在り、戦後は日本放送協会の幹部に転じて放送法の制定に関わった荘宏氏の著書『放送制度論のために』(1953年)の中の次の一節を紹介している。
 
 「このようにして協会は国の保護と協力の下に発展してきた。両者の関係が極めて緊密であったので、世の中には放送局(中略)を一つの役所と思う人もあったくらいである。さらに当時は協会以外には放送事業体がなかった。このような状態で四分の一世紀が経過した。その間に日本人の間には、放送を受信するには受信料を納めることを要するものという社会常識、社会慣習が成立した。民族がつくり上げた貴重な歴史的所産の一つといえる。」(原書、253ページ。下線は多菊氏の付加。)

 確かに、私の体験に照らしても、こうした「社会常識」、「社会慣習」が国民の間に広く浸透していることが受信料の支払いを内面から促す心理として視聴者に大きな作用を及ぼしていると思える。これまで、NHK問題をテーマにした各地の集会に参加し、それぞれの地で参加者や主催者の人々と話をした折、ごく一部とはいえ、そうした人々の中でも、凍結運動に強硬に反対する人と出会った。それらの人たちとやりとりをして感じたのは、受信料凍結(保留)と不払いがいわば先入観として同列視されていること、テレビを見ている以上、受信料を払うのは国民の義務だという観念が根強いということだった。まさに荘宏氏がいう、受信料の支払いを社会慣習として受け入れる国民意識そのものである。

 しかも問題は、そうした意識が受信料支払い停止(凍結)に強硬に反対する人たちだけにあるのではなく、現在のNHKの報道番組の国策放送化に抗議するため、あるいは「政府が右と言えばNHKは左とは言わない」と公言して憚らないような人物が会長に居座るかぎり、受信料を支払わない、支払う気になれない、支払うのを止めたという人の中でさえ、自分のそうした思いを公言したり行動に移すのをためらったりする人が少なくない。その根底には、自分の行動が日本社会に行き渡った上記のような「社会常識」になじまないことを気にし、「粛々と」受信料を支払っている周りの人たちから冷ややかな目でみられないかという「後ろめたさ」にとりつかれた心理が働いているように見える。それだけに、受信料の支払い義務をNHKと視聴者の契約関係でとらえるのではなく、「社会常識」として多くの国民に受容させる「社会慣習」の「事実上の規範力」を実感させられる。
(次の記事に続く)

| | コメント (0)

受信料支払い義務が放送法ではなく受信規約で定められている理由を説明できないNHK

2014827

「受信料支払いのお願い文書」が届いたので
 
 受信料支払いを凍結している視聴者の人たちから、ここ数日来、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」に、「受信料Q&A」という文書が入った支払い督促がNHKから送られてきた、どう対応したらよいか、という問い合わせが届くようになった。拙宅にも一昨日(825日)、届いた。
 開封すると、「ここが知りたい! 受信料Q&A」という説明書が入っていた。中身はNHKのホームページに掲載されているものとほぼ同じで、特段、目新しいものではなかったが、「Q3 ずっと支払わないとどうなるの?」という項を初めて読まれた方は心穏やかでないと思う。
 そこで、じかにNHKに、このQ&Aをめぐる論点を確かめようと、昨日、この文書に記載された問い合わせ先(NHKふれあいセンター 0570-077-077)に電話した。途中から代って電話口に出た責任者と名乗るN氏とやりとりを始めたが、話題が「Q2 受信料の支払いは法律で決まっているの?」に及ぶと、「私はNHKの者ではないので、その件は答えられない。NHKに直接聞いてほしい」という応答の繰り返し。
 問い合わせ先と明記されたところへ電話して、このような応対とは不可解だったが、押問答を続けても実りがないので、ではといって教えられたNHK千葉放送局営業部(043-203-0700)へかけなおした。最初に電話口に出たのはOという女性。まず、一昨日、前記のような文書が届いたこと、しかし、自分は籾井勝人氏が会長を辞めるまで、当面、向う半年間、受信料の支払いを凍結中と告げた。その上で、あらかじめ用意していた以下の3つの質問を伝えた。

私がNHKに投げた3つの質問
 
 1Q21つ目の項で、放送法(第64条第1項)により受信設備を設置した者にはNHKと受信契約を締結する義務が課されていると記され、2つ目の項で、NHK受信規約(第5条)において、放送受信契約者には放送受信料を支払う義務があると記されている。
 このように、受信契約締結義務と受信料支払い義務が分離され、受信料支払い義務が放送法でではなく、受信規約で定められている理由をNHKはどのように理解しているか?

 2.受信料は税金ではないという前提で。法で定められた納税義務は原則、無条件の国の債権、国民の債務と考えられるが、受信規約はNHKと視聴者(受信契約締結者)の間の双務契約であり、NHKの受信料請求権と視聴者の受信料支払い義務は、視聴者に対するNHKの一方通行的な、無条件の権利・義務ではないと私は考えている。NHKはこの点をどう理解しているか?
 言い換えると、受信規約とは、他の民法上の契約と同様、契約当事者であるNHKと視聴者(受信契約締結者)が双方向的に権利と義務を分かち合うものだと私は解釈しているが、NHKはどう考えているか?

 3. 私は以上のような理解のもとに、受信料の支払い義務自体を否定するか、あいまいにする不払いをするつもりはなく、条件を付けた支払い凍結(一時的な支払い留保)をしているつもりでいる。
 しかし、双務契約というなら、NHKには受信料請求権だけでなく、受信料を請求するに足る放送を視聴者に提供する義務も課されているはず。この場合の義務を定めたのが放送法(注:第1条通則、第4条放送番組の編集に関する通則)や「放送ガイドライン」などである。
 NHKは視聴者に受信料の支払いを請求するにあたって、自らに課されたこれらの義務を履行(遵守)できているかどうかを省みる必要があると思うがどうか?
 例えば、籾井氏は会長就任記者会見で、「領土問題については明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と発言したが、これは明確に放送法(注1)および「NHK放送ガイドライン」(注2)に違反している。これは公共放送の信頼の根幹をなす政治からの自主自立の立場を放棄するに等しい。
 NHKは視聴者に対して受信料の支払いを請求するにあたって、このような異常な状態を解消することが求められると私は考えているが、NHKはどう考えているか?

(注1)「国際放送の実施の要請等」に関する放送法(第65条)の定め

「総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項(邦人の生命、身体及び財産の保護に係る事項、国の重要な政策に係る事項、国の文化、伝統及び社会経済に係る重要事項その他の国の重要事項に係るものに限る。)その他必要な事項を指定して国際放送又は協会国際衛星放送を行うことを要請することができる。 2 総務大臣は、前項の要請をする場合には、協会の放送番組の編集の自由に配慮しなければならない。」
(注2)「国際報道の基本姿勢」についての「NHK放送ガイドライン」の定め

 「各国の利害が対立する問題については、一方に偏ることなく、関係国の主張や国情、背景などを公平かつ客観的に伝える。」

NHKと視聴者の関係を視聴者間の関係にすり替えるNHK
  以上3つの質問を伝えると、応対していたOさんは、「少し時間をいただいてからお答えします」とのこと。10分後にこちらから改めて電話することにしていったん切る。
 約15分後に再度、NHK千葉放送局営業課に電話。応対した職員によるとOさんは今、別の電話の応対中とのこと。そこで、先ほどの電話の用件をかいつまんで話すと、「お待ちください」。間もなくして、別のOと名乗る男性が電話口に。上の3つの質問は伝わっていたらしく、1つ目の質問に対する回答らしきことを話し始めた。

O: 私どもはお支払いをいただける視聴者の方には、公平負担という意味から受信料の支払いをお願いしているということです。」

「醍: あのう、それは私の質問とは外れていますよ。今、お話になったのは視聴者と視聴者の相対的な関係のことですが、私が尋ねたのは受信規約をめぐるNHKと視聴者の関係です。受信料支払い義務が放送法でではなく、受信規約で定められている理由をNHKはどのように理解しておられるのですか?」

受信料支払い義務が放送法ではなく受信規約で定められている理由は?
O: 受信規約も放送法の定め(注:第64条第3項)に従って、総務大臣の認可を受けています。放送法で細かなことまで書けないので受信規約で定めることにしたのだと思っています。」 

「醍: 総務大臣の認可が必要ということは、受信料支払い義務を放送法で定めたということとイコールですか? それなら、戦後3回、受信料の支払い義務を放送法に盛り込もうとした放送法改正案が国会に提出されたり(19663月、19803月)、改正の是非が国会で審議されたりした(19993月)のに、いずれも廃案になったり、法案提出にいたらなかったりしたのは、なぜだとお考えですか? 受信料の支払いを放送法改正で義務化しようという動きが幾度かあったということは上の2つがイコールではないからではないですか?」

O: そういう経緯があったことは承知しています。いずれにしても受信契約をしていただいた方には受信料をお支払いいただくことになっています。」

「醍: 私が尋ねているのは、言い方を変えると、受信料の支払い義務は無条件で一方的なものなのかということです。もしそうなら、受信料は税金と同じということになり、NHKの受信料請求は『取り立て』となりますが、そう理解されてよいのですか?」

O: 受信料は税金ではありません。」

「醍: そうですよね。視聴者の受信料支払い義務は、公共放送らしい放送を提供するというNHKの義務と相互依存的なものだと思っています。
 かつて、海老沢会長が国会で、NHKの受信料は、罰則付きのBBCの場合とは違って国民との信頼関係の上に成り立つ、世界に例のない理想的な制度だ、と発言されたのもそういう趣旨からではないですか?」

O: 信頼関係ということはそうだと思います。そのためにも公平負担の趣旨から支払いをお願いしています。」

「醍: 理由もなく支払い義務を免れようと不払いをする人に対してなら、そういう議論も成り立つと思います。しかし、『籾井会長が居座ったままでは受信料を払う気になれない』という視聴者には、そういう議論は問題のすり替えです。支払いを請求するなら、公共放送の意味を理解しない人物がNHKのトップにいるという今の異常な事態を解消する必要があるとお考えになりませんか? そうなったら、私は滞納分も含めて支払いを再開すると通知しています。」

O: ・・・・・・」

今のNHKには威嚇めいた文面で支払いを督促する資格はない
 
「醍: Q&Aの最後に、『受信契約がお済みでない方やお支払いが滞っている方への取り組み』として、<受信料制度についての理解促進活動 → 電話・訪問・文書などによるお支払いのお願い → 裁判所を通じた法的手続きの実施>という流れが書かれています。私のような者に対して、今後、NHKはどういう対応をされるつもりですか?」

O: あくまでもご理解をいただくよう、訪問、あるいは電話や文書でお願いをします。」

「醍:  必ず、訪問されるのですか?」

O 必ずというわけではありません。文書等でお願いすることもあります。」

「醍:  『ご理解いただけるよう』という言い方ですと、支払いを凍結している視聴者は受信料制度を理解していないと決めてかかっておられるように聞こえます。しかし、先ほどからのやりとりからすると、NHKこそ受信料制度の根幹に関わる問いに答え
ていません。それでも払えというなら、無条件の『取り立て』ではないですか? 今のNHKにそんなことができますか?」

O: あくまでも公平負担をご理解いただけるようにお願いしています。」

「醍: 繰り返しになりますが、私が尋ねているのは視聴者間の負担の公平ではなく、視聴者とNHKの権利と義務の相互関係です。
 QAの最後に、裁判所を通じた法的手続きの実施、と書かれていますが、これはどういうことですか? 私は受信料制度に関する自分の理解は間違っていないと確信して受信料の凍結をしていますので、このような文面を見てもどうとも思いません。しかし、こういう一文を見ますと、受信料を凍結している人を『威嚇』して支払いをせき立てる意図が透けて見えます。
 公共放送の意味が解っていない人が会長に居座っている上に、特定の政党の地方の大会に出て講演をしたり、都知事選で特定の候補者の応援演説をしたりする経営委員、あるいは、『私は安倍首相の応援団』と公言する経営委員を放置したままで、威嚇めいた文面で受信料の支払いを視聴者に迫る資格はNHKにありません。そういう異常な事態を解消してから受信料を請求するのが筋です。」

 なお、以上のやりとりでの私の発言は、かつて、私が呼びかけ人の一人になって受信料支払い停止運動を起こした時にまとめた次の拙稿をもとにしている。できれば、これもお読みいただけるとありがたい。

「受信料支払い停止運動の論理」(200610月、醍醐聰稿)
 
 http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/teisi/teisi_ronnri.PDF
 

| | コメント (0)

«安倍首相の資金管理団体を虚偽記載で告発