浅ましいのはどちらか?~メディアの自死を意味する消費税増税路線への翼賛~

野田政権に消費税増税をけしかけるメディアの異様な光景
 
 『毎日新聞』は1229日、民主党が今年度中に消費税増税の法案提出を決定したのは先の選挙で同党が掲げたマニフェストに違反するとして同党の9名の議員が離党を表明したのを受けて、「浅ましい年の瀬の混乱」と題する社説を掲載した。この社説は、昨年末に民主党政権が消費税増税や八ツ場ダムの建設再開などを決定したのは、同党が政権交代を果たした選挙の折に掲げた公約は総崩れしたことを意味するとみなし、「党の主要政策の方向と離党議員らの主張はかけ離れており、同じ党にいることがもはや不自然にすら思える」と記している。しかし、そういう一方で、9名の民主党議員が離党に踏み切った行動を「次期衆院選での逆風をおそれ、党に見切りをつけた自己保身」と断じ、野田首相に対して「時期や税率も含めた意見集約と法案化への作業をひるまず断行すべきである」と主張している。これでは野田政権に対して、公約違反も辞さず、消費税増税路線を突き進むよう叱咤激励するに等しい。

 離党した議員に対して、あくまで党にとどまり、マニフェストの履行を執行部に粘り強く迫るべきだと促すのなら道理がある。彼らに、このまま民主党にとどまるよりも離党した方が次期選挙にとって得策という読みがなかったとはいえないだろう。しかし、選挙の時に掲げたマニフェストが総崩れしたと断じながら、それに抗議して党を離れた議員を自己保身と決めつけるのでは論理が支離滅裂であり、公約を反故にしてでも消費税増税路線を突き進めと『社説』でけしかけるのは異様としか言いようがない
  この点では、9人の民主党議員の離党を「公約破りへの警鐘」とみなし、「政権幹部が彼らの行動を支えている国民の怒りを軽んじるなら民主党にもはや存在価値はない」と言い切った『東京新聞』の1229日付けの社説の方が道理にかなっている。

メディアは政治のプレイヤ―ではなくウオッチャーに徹すべき
 論理が支離滅裂なのは『毎日新聞』だけではない。『朝日新聞』は1231日の朝刊に「首相と増税――豹変して進むしかない」という社説を掲載し、野田首相が「『君子は豹変す』という立場で行革にも取り組む」と語った言葉を引き、覚悟を決めて消費税増税を断行するよう迫っている。しかし、行政改革を断行することは、その中味こそ問われなければならないが(注)、一般論としては当然のことであり、野田首相自身、民主党代表選にあたって発表した政見のなかで明言していることである。したがって、それを実行するのに政策を「豹変」する必要は全くない。むしろ、「行財政革が増税の地ならしに使われるようでは困る」(『北海道新聞』20111231日、社説)というのが正論である。

 (注)消費税増税に先立って政治家が「身を切る」努力の証しとして民主党は衆議院議員の定数を80名削減することをしきりに唱えている。また、大半のマスコミもこのような主張にそっくり同調している。はたして、日本の国会議員の定数が人口比で多すぎるのかどうかはこの先の記事で触れたいと考えているが、この問題は消費税増税と何の因果関係もない。むしろ、昨今の民主党の公約破りから、民・自2大政党の基本政策は限りなく近似していることが明らかになった。そうした中で、少数政党の議席の削減に帰着する衆議院の議員定数を削減することは、有権者の政策選択の幅を狭め、少数政党に期待する民意を切り捨てることになる。こうした選挙制度のあり方と直結する議員定数の削減を消費税増税に絡めるのは論外である。

 「豹変」というなら、政権交代時のマニフェストに全く掲げず、政権発足時に4年間は消費税を増税しないと明言した公約を翻して消費税増税路線を突き進むことこそ「豹変」である。朝日新聞の社説がこうした野田首相の発言を引き合いに出して消費税増税を断行するよう激励するのであれば、それは民主党のマニフェスト違反を擁護するにとどまらず、マニフェスト違反を奨励するに等しい
 ところが朝日社説は「8月の党代表選で、野田氏が勝った時点で、増税方針は決着していたのではなかったのか」という物言いで、政府・与党執行部が消費税増税法案の国会提出を決したことがマニフェスト違反にあたる事実から目をそらし、そうした党執行部の「豹変」に反発して離党を決意した9人の民主党議員の行動に非難の矛先を向けている。しかし、このような『朝日新聞』社説子の物言いは事実誤認・無視に基づく支離滅裂な主張である。
 
 まず、昨年8月の民主党の代表選にあたって決選投票を争った海江田、野田両氏が発表した政見のうちの財源論に関する見解を確かめてみよう(以下、民主党のHPより)。

海江田万里氏:
 「基礎的社会保障財源として、景気回復後に消費税導入を検討する。その場合には逆進性に配慮する。」
野田佳彦氏:
 「震災対策における財源措置を含め、財政健全化の道筋においては、税金の無駄使いを徹底的に排除する等歳出面での改革に全力を挙げなければならない。その上で歳入面での改革も併せて実行していく。」

 つまり、消費税増税というなら、野田氏よりも海江田氏の方がその点を明記しており、野田氏は増税についてさえ明記しておらず、「歳入面での改革も併せて実行していく」と記すにとどまっている。なお、代表選の投票直前に同党の全国会議員を前にした演説のなかでも野田氏は「議員定数削減、公務員定数と人件費削減にも全力で戦う。それでも足りないときは国民に負担をお願いするかもしれない」と語っているが、そこでの「負担」が何を指すのか、一切明言していない。

 
つまり、消費税増税というなら、野田氏に敗れた海江田氏の方が、景気回復を前提にして、と断りながらも明確に政見に掲げていたことがわかる。この意味で、朝日の社説が「国民に負担をお願するかもしれない」という野田氏の発言をさして増税方針と読み取り、「8月の党代表選で、野田氏が勝った時点で、増税方針は決着していた」と解釈するのは消費税増税に前のめりする主観に災いされた牽強付会な主張である。そもそも、増税というだけでそれが消費税増税を意味すると了解すべき理由がどこにあるのか?増税=消費増税という論調は自民党政権時代から政府・財務省が常用した世論誘導のなし崩し手法である。それと同じレトリックを民主党が用いているという意味では、政権交代ではあっても政策転換ではなく政策継承である。

 朝日社説が、増税といえば消費税増税を指すと了解しているのであれば、それは朝日社説が、自民党政権以来、政権政党が世論誘導のために常用してきたレトリックに一蓮托生で同化している実態の証左にほかならない。これでは時の政府与党の財政運営の批判的オブザーバーであるべきメディアの使命放棄にほかならない。なぜなら、消費税増税をめぐって日本のメディアに求められる最も基本的な役割は増税=消費税増税という論理の飛躍に待ったをかけ、それとは異なる歳入確保の選択肢を国民に指し示す自立した言論だからである。

 言いかえると、時の政権が推し進めようとする「なし崩しの現実に流されない」理知と知見を世論に付与することこそ、政治ジャーナリズムに課される最大の使命である。このような使命を忘れて、時の政権が唱える消費税増税路線に「進軍ラッパ」を鳴らすのではメディアは自死を選んだのも同然である。(『東京新聞』20111225日、<新聞を読んで>欄に掲載された水無田気流「『なし崩し社会』の問題」はこうしたメディアの役割を考えるうえで示唆に富んでいる)。

 次に、議論をもっと前に戻していうと、民主党代表選での各候補の政見はあくまでも党内向けの政見であって、そこで、あれこれの候補者が、かりに、政見交代時のマニフェストに掲げたわけではない消費税増税方針を打ち出したとしても、それによって民主党のマニフェスト違反を正当化できるわけではない。国民向けの公約と党内向けの政見を区別して議論をすべきことは政治評論のイロハである。

問題は増税の実施時期ではなく法案提出の時期である
 ところで、「浅ましい」という評語に話を戻すと、この言葉は離党した9人の民主党議員に向ける言葉ではなく、野田代表ら民主党執行部の党内合意の取り付け方にこそ向けられるべきである。なぜなら、増税反対派の抵抗にひるまずなどと大義を振りかざしているが、その実、民主党執行部が消費税増税について党内の了承を取り付けるにあたっては、8%への引上げ時期を当初案の201310月から半年ずらして20144月とするという小細工を弄している。そうすることで、増税実施の半年前には閣議決定が必要というタイムスケジュールを考慮しても、現衆議院議員の任期中(20138月まで)は増税しないとした政権交代時の公約をクリアできると考えたそうだ。しかし、選挙公約に違反するかどうかは増税の実施時期が任期内かどうかではなく、国会への法案提出が任期内かどうかで決まると考えるのが常識である。マニフェストに反する消費税増税の法案を現衆議院議員の任期内の今年度中に国会に提出しておいて、実施時期を任期外にずらすことで公約違反でないなどと言い募るのは、まさに姑息で浅ましい言いくるめである。それでも公約に反する増税を民主党政権下で行いたいのなら、解散して民意を問いなおすのが正論である。そうした手順を踏まず、将来の消費税増税を先食いする交付国債を発行するのも姑息の上塗りというものである。

 さらに、消費税増税にとどまらず、沖縄普天間基地の移設(撤去)、子供手当、八ッ場ダムの建設再開など、民主党が掲げたマニフェストは昨年末には総崩れの状態になった。私は民主党を離党した議員も、ここに至るまでの間にフニフェストを反故にしようとした党運営のあり方にどこまで異議を投げかけ、有権者に公約したことを守る主体的な努力をしてきたのか厳しく問われなければならないと考えている。しかし、「浅ましい」というなら、民主党が有権者に対する公約を反故にし、自民党政権時代の政策に回帰する政策を次々と打ち出して、政権交代に託した多くの国民の期待を裏切った自党の方針を結局は了承して鉾を納める議員の方がよほど浅ましくないか? それでも政権政党にとどまるのであれば、この先、党運営を抜本的に改めるよう自党に対して異議申し立てをする「覚悟」が求められる。そうした「覚悟」もなしに適当に「ガス抜き」をされて終わるのなら、そうした民主党議員の不作為あるいは無策こそ、自己保身として断罪されなければならない。

国民を熟議に導く取材報道こそメディアの使命
 もちろん、消費税増税をめぐって問題なのは、マニフェストとの整合性や政権・政党の政策の一貫性だけではない。それ以前に、財源といえば消費税しか俎上に乗せない民主・自民2大政党の異床同夢の発想、それに同化するメディアの報道姿勢がはたして正当化なのか? 今回、消費税の逆進性対策として提唱されている給付付き税額控除は逆進性を緩和・解消するうえでどれほどの効果を期待できるものなのか? 消費税の逆進性というと、最終消費の段階での逆進性が重要であることは確かだが、問題はそこだけなのか、仕入れ・販売の段階での転嫁の逆進性(販売力の格差に起因する転嫁の能力の格差)をなぜ問題にしないのか?全ての税目の滞納額の中で消費税の滞納が最も多いのはなぜなのか?滞納というと決まって「益税」が俎上に載せられるが、政府・与党は、なぜ、中小零細事業者が訴える「損税」(消費税を転嫁できない事業者が「自腹」切って納税をすること)の実態把握に努め、是正を検討しないのか?

 政府・財務省の広報を受け売りするのではなく、こうした消費税の転嫁、納税の実態を独自に調査し、国民に伝える「取材報道」こそ、メディアの存在価値の根幹である。そして、メディアはこうした取材報道に徹してこそ、消費税増税問題、広くは社会保障等の財源問題についてありうべき選択肢を示し、国民を熟議へと導く本来の任務を果たせるのである。

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被災者に寄り添う報道とはなにか(2012年1月2日)

新年のごあいさつ
 
 皆さまそれぞれに、日本中が揺れ動いた2011年の記憶を留めながら新しい年をお迎えのことと思います。月並みではありますが、皆さまには実り多い1年をお過ごし下さいますようお祈りいたします。
 このブログを始めたのは2006213日。それから6年が経過しました。昨年は1年間で43の記事を掲載しましたが、後半は更新が滞りがちでした。今年はマイペースとはいえ、ムラの少ない頻度で更新をしていきたいと思っています。どうか、よろしくお願いいたします。

「明るい話題」を追いかける被災地報道への疑問
 311以降のNHKの震災報道(夜7時のニュースやその前の首都圏ネットワークなど)をみてきて感じるのは、「被災者に寄り添う」というフレーズで、人気タレントが被災地を慰問したニュースや各地で被災者を励ます催しが行われたニュースに何度も接したことである。私も被災者に寄り添おうとする善意や「自分にできることを実行する」市民の姿を軽んじるつもりは毛頭ない。しかし、メディアがそうした「善意」に感情移入し、「明るい話題」、「ほほえましい話題」さがしに努める状況には強い違和感を覚える。
 というのも、被災者に寄り添うというなら、被災者の非日常的な一過性の話題ではなく、今の被災者が日々直面している重い現実、つまり、元の生活に戻れるのか、それとも新しい地で生活の基盤(住まい、職業、子どもの学校など)を築き直すことになるのか、について具体的な展望を探る番組こそが求められていると思うからである。

 そして、元の生活拠点に戻って生活を再建するのであれば、放射能除染の目途はどうなるのか、その際の死活問題になっている汚染物質の仮置き場の確保、最終処分の方法と工程づくりに行政はどう取り組んでいるのかを追跡する取材報道が求められるはずである。政府が掲げた冷温停止状態にこぎつけるという目標にメディアまでが照準を当て、政府発表を右から左へ流すだけの報道ではメディアの役割を果たしたことにならず、それでは真に被災者に寄り添う報道とは程遠いものである。
 また、元の住まいに戻ることを断念し、新しい生活の拠点を確保てし、そこで生活の再建を図るのであれば、新しい住まいの確保、職探しへの国や自治体の支援はどうなっているのか、当面、各地に散り散りになった避難者へ被災地の行政情報が滞りなく届けられているのか、子どもの転校は円滑に進んでいるのか、ばらばらになった家族が行き来するための経費や生活環境の激変に起因する健康被害の治療についても迅速に補償がされる仕組みができているのか――考え出せば、メディアが追跡すべき課題が山積していることが分かるはずである。

 被災者への精神的励ましを軽視するものでは決してないが、ストレスなどの健康被害もその原因と考えられる先の見えない避難生活をどう打開するのかという生活実態を直視することなく、いっときの被災者激励のイベントを追いかける報道では、真の被災者支援にならないことに思いを致さなければならない。
 
 以下では、元の地に戻ってか、新しい地でか、を問わず、被災者が生活を再建する上で必須の条件になっている被害補償のあり方を考えてみたい。なぜなら、メディアが被災者を励ます「明るい話題」を追いかける一方で、被災者にとって生活再建にもっとも切実な被害補償の現実と進捗状況をメディアはほとんど伝えていないからである。

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人分を書くのに15時間
 
~被災者の根負けを誘導するかのような分厚い補償金請求書類~
 
 東京電力は昨年912日から福島第1、第2原発事故被害者のうち、仮払金を支払った人々に対し、補償金請求に必要な書類一式の発送を行った。しかし、書類は60ページ、それとは別の説明書は160ページに上るうえに、表現も難解で書類を受け取った被災者の評判は頗る悪い。そのせいか、事故発生時から昨年8月までの損害分を対象にした第一次請求の提出は昨年11月末時点で、書類を送った約7万件の3割強(約22400件)にとどまり、うち東電との間で合意に至ったのは約1,560件(計34億円)で発送件数の約2%に過ぎない(『河北新報』20111226日)。

 同じ『河北新報』の20111226日の記事(焦点/東電の損害賠償請求書/「多い、難解」被害者悲鳴)は、南相馬市で農業を営んでいたIさん一家(7人家族)に依頼して実際に請求書を書いてもらったところ、4人分の避難生活に係る補償金請求を書き終えるのに15時間かかったという。その間、東電のコールセンタ-に問い合わせの電話を7回、毎回避難生活の状況を説明するため15分以上かかったという。それから数日後、Iさんが今度は南相馬市の自宅での生活にかかる被害補償の請求書を記入したところ、8時間かかったという。その際、問題は時間の長さだけでなく、精神的損害の請求が避難生活をした場合に限られ、自宅にとどまった場合は請求が認められない点にIさん家族は強い不満を訴えたことも記されている。

メディアが伝えない損害賠償請求の盲点
~日弁連の注意喚起~
 東電が公表した損害賠償請求手続については請求書の説明書類が膨大で、被災者に大きな負担を強いる点については、メディアも報道をするにはした。しかし、それは請求書が発送された時の一過性の報道にとどまり、その後、請求手続がどのように改められたのかを追跡した報道はほとんどなされていない。まして、請求の範囲、損害の証明方法等にみられた問題点は全くといってよいほど伝えられていない。被災者にとって生活再建のための必須の条件である損害賠償にはだかるこうした問題についての入念な取材報道を怠ったメディアが国民個々の善意から生まれる「明るい話題」探しに奔走する様は、「被災者に寄り添う」報道の安直さを如実に示している。

 メディアが「被災者に寄り添う」報道を心掛けるというなら、東電に対する原発被害の損賠賠償請求に関して被災者に立ちはだかる問題点を被災者はもとより、広く全国の国民に具体的に伝え、関心を喚起するよう努めるべきである。その際、東電に対する原発被害の損賠賠償請求に関して被災者に立ちはだかる問題点を知る上で、昨年9月以降、日弁連が会長声明の形で公表した以下のような一連の見解が非常に参考になる。

東京電力株式会社が公表した損害賠償基準に関する会長明(日連:2011年9月2日)

東京電力株式会社が行う原発事故被害者への損害賠償手続に関する会長声明(日弁連:2011年9月16日)

東京電力福島第一、第二原子力発電所事故における避難区域外の避難者に対する損害賠償に関する会長声明(日弁連:2011年9月30日)

東京電力福島第一、第二原子力発電所事故における避難区域外の避難者及び居住者に対する損害賠償に関する指針についての会長声(日弁連:2011年12月2日)
 
 これら一連の日弁連会長声明の中で私が特に重要と考えた点を摘記しておきたい。

1
請求を認めるべき損害の範囲について(その1
  昨年830日に東電が発表した損害賠償基準は賠償請求する被害額を(1)避難生活による精神的損害、(2)避難、帰宅費用、(3)医療費など生命、身体に関わる損害、(4)失業、休業による減収の補償、(5)放射性物質検査費、等に区分しているが、畜産農家にとって死活の問題である牛肉の放射性セシウム汚染に対する補償を認めるべきとの指摘、また、観光業とは違って、解約や予約控えといった形で被害を捉えられない小売業や外食産業等については、過去数年の売上げと利益の実績に基づいて損害額を算定することがより公平である、と指摘していること。

2.
請求を認めるべき損害の範囲について(その2
 
子どもや妊産婦の安全を考えて避難対象とされた区域以外の地域からも多くの人々が自主的に避難をし、それが長期化している実態に照らして、これら自主的避難者にも賠償請求を認めるべき、との指摘をしていること。

3
請求を認めるべき損害の範囲について(その3
 避難区域等にとどまって生活を続けてきた住民も、原子力発電所事故に伴う社会的混乱の中で多くの生活上の不利益を受け、放射性物質により汚染されている可能性のある地域で将来の健康上の不安などを抱えて生活することを余儀なくされているのであるから、避難区域等にとどまって生活を続けてきた住民の精神的損害も賠償請求を可能とするべきである、と指摘していること。

4損害を証明する書類の整備について
 緊急の避難や避難先の移動を迫られるなどの理由により、東電が求めるような損害を証明する資料を整えることが困難な被災者が請求を断念して泣き寝入りすることがないよう、こうした被災者に対して、東京電力の窓口への相談のみに頼るのではなく、各地の弁護士会に相談をするよう呼び掛けていること。また、各弁護士会が作成している「原子力災害被災者・記録ノート」を紹介し、これを活用するよう呼び掛けていること。
  原子力災害被災者・記録ノート

5
東電が提出を求めた賠償請求書ならびに合意書を提出することへの注意喚起
 東電が合意書を添えて提出を求めている請求書は複雑な書式になっており、請求漏れが起こったり、他の救済手段が採れなくなったりする恐れがあるという注記を被災者に喚起し、賠償額に不満あるいは疑念があるときには、安易に合意書に署名せず、原子力損害賠償紛争解決センターへの申立てや裁判所に対して訴訟を提起するなど他の手段も検討するよう呼び掛けていること。

 以上は、東電福島原発事故による被災者の生活再建にかかる損賠賠償に限定した問題点とそれに対処するために日弁連が発表した声明を紹介したものである。当然のことながら、これとは別に、津波によって生活の基盤を根こそぎ失ったり、地震によって家屋の被害を蒙るなどした人々の生活再建に不可欠な災害からの復旧・復興のための国・地方自治体の施策の具体化とその進捗状況を持続的に調査報道することもメディアに求められる役割であることはいうまでもない。

 繰返していうが、メディアに求められる「被災者に寄り添う」報道とは、被災者を和ませ、勇気づける「明るい話題」を追い求め、伝えることが主ではない。被災者が切実に求める生活再建の前途に立ちはだかる課題を調査報道で追跡し、掘り下げて国民に伝えること、それをとおして、被災者の生活再建の展望を具体的実体的に示すことこそ、メディアに求められる本来の使命であると私は思う。

2012 元旦に近くの神社に出かけた帰り道で。ウメは昨夏、体力が衰え、散歩の足取りも弱々しくなって気をもんだが、秋以降は元気を取り戻して、ご覧のような様子で年を越すことができた。

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『エレーヌ・ベールの日記』~ナチス占領下パリの生き地獄の渦中で(2)~

 この記事をお読みいただく方々へ
 2つ前の記事「ナチス占領下のパリで~映画『サラの鍵』」をあわせてお読みいただけると幸いです。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-a3cd.html

人間の良心へのひとすじの信頼
 
 そんな生き地獄を目の当たりにしながらもエレーヌは人間の良心を彷彿とさせる光景も見逃さなかった。

 「庶民は素晴らしい。ユダヤ人と同棲していた労働者の女性がたくさんいるという。彼女たちは全員、夫が強制移送されないように結婚を申し出た。」(1942718日、105ページ)

 「レー夫人から情報を得た。自殺したのはメッツゲ―ルという名のフランス人。ラ・ボール(注:ロワール地方の大西洋に面した保養地)を去らなかったために、妻と娘といっしょに捕まった。妻と娘は強制移送となった。ドランシーに残った彼(63歳)は後悔してひどく自分を責め、頸動脈を切った。
 今朝、とても若い女性と面会した。父親は六カ月前、母親は一ヶ月前に強制移送された上に、つい最近、七ヶ月の赤ちゃんが死んでしまった。彼女は、ドイツ人のために働くのを拒否した。承諾すれば、母親が釈放されたかもしれないにもかかわらず。わたしは感心した。それでもときおり、道徳的信条の絶対的価値をほとんど疑ってしまう。みんな、それを歪曲するか、あるいは死をもって答えるから。」(194296日、132133ページ。下線は引用に当たって追加)

義務を盾に残虐行為への加担を釈明する愚鈍への怒り
 しかし、良心への信頼とはいって、上の日記の下線部分にあるように、エレーヌの日記は、特に10ヶ月ぶりに再開した1943825日以降の日記には、内なる良心に対する自律的義務を没却し、強制された義務には従うほかないという口上でナチスの残虐行為に加担する(密告も含め)フランス人の愚鈍に対する怒り、周りの人間の辛い体験に無関心を装うフランス人に対する失望と怒りで埋め尽くされている。
 たとえば、彼女は1943119日の日記にこう書き留めている。

 
 「乳母にあずけられた2歳の赤ちゃんを、収容所に入れるために逮捕しに行けという命令にしたがった憲兵たち。これこそ愚鈍に陥り、道徳意識を完全に失ったわたしたちの状況を示す、もっとも嘆かわしい証拠ではないか。それが絶望的なのだ。
 そんな行為のできる人たちは異常な人間であるはずなのに、こうして憤慨するわたしのほうが例外なのだと気づくのは、なんと絶望的なことだろうか。
 これもまた、コーエン夫人の抗議に対して答えた刑事の話と同じだ。210日の夜、刑事は孤児院に13人の子どもを逮捕しに来た。いちばん年長の子は13歳、いちばん幼い子は5歳だった(彼らの両親は強制収容所送りになったか、行方不明。でも、翌日1000人を強制移送するために『いくらか』補充しなくてはならなかったのだ)。『仕方ありませんよ、マダム。義務なんですから!』
 良心とは無関係に、正義、善意、慈悲とは無関係に義務というものを考えるようになったなんて、それはわたしたちのいわゆる『文明』が空虚である証拠だ。」(1943119日、215216ページ)

 しかし、彼女は周りの人間への不信を募らせただけではない。道徳的信条の絶対的価値に対する懐疑に揺れる心情を直截に記し、かつ、そこで逡巡しない鋭利な理性を必死に研ぎ澄まそうと自分に言い聞かせる言葉を綴っている。たとえば、1943825日の日記には、「無駄」という感覚に陥りかける自分に次のように問い返している。

 「無駄? そしてまた、ときおり、これらすべては無駄だという感覚は、無気力と怠惰のひとつのかたちにすぎないのではないか? なぜかというと、これらすべての理屈の前に、ひとつの大きな理由がそびえ立つからだ。その有効性をわたしが確信すれば、決め手になる理由。つまり、わたしは書くことによって義務を果たさなくてはならないということ。なぜなら、他の人たちも知るべきだから。他の人たちは知らないーー彼ら以外の人々の苦しみ、ある者たちが別の者たちに加えている害悪のことなど思いもよらないのだという気がつく、なんとも辛い体験が一日じゅう、毎時間、繰返される。そしてわたしはいつも、語るという、この苦しい努力をしようとする。なぜなら、それは義務だから。わたしが果たせる、おそらく唯一の義務だから。世の中には、知っていて目をつぶる人々がいる。そういう人たちを説得することはできないだろう。彼らは無情で利己主義だから。そしてわたしには権威がないから。でも他の人たち、今は知らないけれども、理解できる思いやりをもちあわせている人たちに対して、わたしは働きかけなくてはならない。
 というのも、人間の腐った部分をまず、すべて明らかにすることから始めずに、どうやって人類を救えるのだろうか?行われている悪の大きさを社会に自覚させないことには、世界は浄化できないのではないか。」
1943825日、166167ページ)
 

教条主義的な群れへの安住ではなく、不安から生まれる苦悶の中で生きる
 また、日記には、苦難から逃げる教条主義的なスローガンを拒み、不安から生まれる苦悩と向き合って生き抜くことを誓った『チボー家の人々』の一節を書き留めた記述がある。

 「自分の個性という気むずかしい重荷は、捨ててしまいたくなるものだ! 集団の熱狂という広大な動きの中に、つい自分も組み入れられたくなるものなのだ! 信じたくなる、そうするほうが便利で、この上なく居心地がいいから! (・・・・)進むべき道が混乱していればいるほど、人はその混乱からなんとしても抜け出そうとして、自分を安心させてくれ、導いてくれるおしきせの教義を受け入れやすい。自分ひとりでは解決できないさまざまな問いかけに対して、ほぼもっともらしい答えがあれば、それらはみな、逃げ場のように思える。(・・・・)抵抗せよ、命令的なスローガンを拒むのだ! うっかり彼らの群れに組み入れられてはならない! 教条主義者たちがあらゆる『仲間たち』に提供してくれる怠惰な精神的安重より、不安から生まれる苦悶のほうがずっとましなのだ!」(19431030日、205206ページ)

 さらに、ナチス占領下で友愛と人間の共感を黙殺し、偽善的な慈悲の世界に逃げ込むキリスト教徒にも鋭い抗議の矢を放っている。
 
 「自分の中にあるドアが閉ざされているために、知っているのに認識できず、理解できない――そのドアが開かれれば、ただ知っていたことの一部がようやく実感できるようになる。これが今の時代の巨大な悲劇なのだ。苦しんでいる人々のことを知る者は、誰もいない。
 そして、わたしは思った。友愛と人間の共感というものをまさに黙殺するこの人々に、キリスト教の慈愛について語ることができるのだろうか、と。彼らに、自分はキリスト教の教えを正式に受け継いだ人間だと主張する権利があるのだろうか? 人間の平等と友愛に基づいた教義を説いたキリストは、世界で最も偉大な社会主義者だったのに。彼らには友愛とは何かさえ、わかっていない。そう、慈悲は知っていても、偽善的に与える。慈悲とはほとんどいつでも、その人の優位と尊大な見方を意味するから。彼らが与えるべきなのは慈悲ではなくて、理解なのだ。理解できたら、他者の動かせない苦悩の奥深さ、これらの仕打ちの恐るべき不公平を感じることができて、それに対して憤慨するだろう。」(19431112日、218219ページ)

レジスタンスの栄光に隠されたフランス政権のナチスへの恭順

 ナチス占領下のフランスというと、対独戦争に勝利したという事実の前で、対独レジスタンス運動の栄光が語り継がれるのが通例である。しかし、『エレーヌ・ベールの日記』を読むと、あるいは映画『サラの鍵』の予告を読むと、フランス市民に与えられるそうした栄光の陰で、当時のフランス政権がナチス・ドイツに自国のユダヤ人を売り渡すという恥辱の現実があったことが忘れられてきた。本書の訳者あとがきによると、フランスから各地の強制収容所に送られたユダヤ系の人々のうち、生還できたのは2,566人で移送者のわずか約3%だった。
 フランス政府が自らの手によってユダヤ人を迫害し虐殺したことに対する国家の罪を認めたのは1995年のシラク大統領の演説だった。ドゴール、ポンピドー、ミッテランら歴代大統領はポンピドーの言葉を借りると、「すべてのフランス人が互いに愛し合っていたわけではない」時代についての論議を終わりにすることを望み、国民に幻想を抱かせるやり方で国民的和解を図ろうとしたのである。
 しかし、「犠牲者の記憶は死刑執行人の記憶より長く保持されるもの」であり、「故意の欠落や嘘が歴史において勝ち誇ることはない」(以上、ジャン・F・フォルジュ/高橋武智訳『21世紀の子どもたちに、アウシュビッツをいかに教えるか?』(2000年、作品社、36ページ)のである。

 生と死の狭間に置かれた一人の女性が「生き延びる行為として」綴ったこの日記には言葉を無に帰されたすべての人々の無念と一縷の希望が託されている。私は、周りの人々の政治問題や社会問題に対する「無関心の壁」に苦闘する人々にも、周りからの政治問題・社会問題への働きかけを疎ましく思う人々にも、作者エレーヌ・ベールからこの日記を託された彼女の婚約者パトリック・モディアノが記した序文の末尾の言葉を知らせたいと思う。

 「彼女は日記を綴った。彼女は遠い未来、それが人々に読まれるという予感を抱いただろうか? それとも、何の軌跡も残さずに虐殺された何百万もの人々と同じように、自分の声がかき消されることを恐れていたのだろうか? この本の入り口に来た今、黙ってエレーヌの声を聞き、彼女の傍らを歩かなくてはいけない。その声と存在はこれからずっと、私たちの人生に付き添っていくだろう。」

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『エレーヌ・ベールの日記』~ナチス占領下パリの生き地獄の渦中で(1)~

 この記事をお読みいただく方々へ
 一つ前の記事「ナチス占領下のパリで~映画『サラの鍵』」をあわせてお読みいただけると幸いです。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-a3cd.html

『エレーヌ・ベールの日記』との出会い
 
 1つ前の記事で紹介した映画「サラの鍵」を私はまだ見ていない。また、同名の原作(タチアナ・ド・ロネ作)を読もうと市内の公共図書館の所蔵検索をしたところ、すべて貸出中だった。ちなみに、映画の題材である「ヴェルディブ事件」(1942194271617の両日、ナチス占領下のパリでナチスの命令に従ったフランス警察によって行われたユダヤ人1万数千人の一斉検挙事件)を扱った文献を調べようと国立国会図書館の単行本・雑誌記事索引を検索したが、ヒットはゼロだった。
 そこで、<フランス>、<ユダヤ人>、<ホロコースト>などのキーワードを組み合わせて検索していくうちに、「サラの鍵」が描いたのと同じナチス占領下のパリで起こったユダヤ人迫害の生々しい現実を綴った『エレーヌ・ベールの日記』(飛幡祐規訳、2009年、岩波書店)があることを知った。市内の公共図書館に所蔵していることがわかったので、19日の深夜、インターネットで貸し出しのリクエストをし、翌日の昼ごろ、公共図書館のHPにログインしてチェックすると「受取可」となっていた。さっそくその日の午後に近くの図書館に出かけて受け取り、夜、読み始めたら、息をのむような描写に引き込まれた。

 訳者あとがきを読んでわかったことだが、194247日に始まって1944215日で終わるこの日記が戦後、活字になって人々の目に触れるまでには、ベール家の料理人アンドレ・バルディオに託された日記が戦後、エレーヌの遺志にしたがって婚約者のジャン・モラヴィエキに渡り(生き残った家族もタイプしたコピーを一部保管していた)、エレーヌの死後60年以上を経た1992年、エレーヌの輝くような魂を後世に伝えたいと願った姪(エレーヌの姉・ドゥ二ーズの娘)マリエット・ジョブがモラヴィエキと連絡をとり、出版計画が具体化したという。それでも、親類の一部からなかなか賛同を得られず、日記が公刊されたのはそれからさらに15年後の20081月だった。本書には、公刊に至る労を取ったジョブのあとがき「奪われた人生」とモラヴィエキの手記「エレーヌの日記と過ごした私の人生」も収録されている。

エレーヌ・ベールの生涯
 
 本書は若いユダヤ系フランス人の女性がナチス占領下の1942年~44年のパリで遭遇した自らと家族、友人の体験を綴った日記である。エレーヌ・ベールは194438日、両親とともにパリの自宅で逮捕され、彼女の23歳の誕生日にアウシュビッツの強制収容所に送られた。両親が収容所で殺された後もエレーヌは生き延びて、同年の10月末、アウシュビッツから北ドイツのベルゲン・ベルゼン収容所に移送される。ジョブが集めた証言によると、19454月初め、この収容所がイギリス軍によって解放される5日前の朝、チフスにかかったエレーヌは点呼の時に起き上がれなかったという理由で、看守の一人に殴り殺された。

 エレーヌは1921327日、ユダヤ系の両親の次女としてパリで生まれた。日記を書き始める1942年の4月、21歳の彼女はソルボンヌ大学の英文学部修士課程に在籍し、図書館で司書の仕事をしながら修士論文の作成に励む大学院生だった。また、勉学の傍ら、学友とカルチェラタンを散策したり、コンサートに通うと同時に、自らも室内楽を演奏したりした裕福な家庭環境のもとで育った女性だった。

「黄色い星」の屈辱
 
 ナチス占領下のフランスでは、6歳以上のユダヤ人は、他のナチス占領地におけると同様、公共の場に出る時は黒で縁取りされた手のひらの大きさの黄色の星を洋服の左胸に縫いつけるよう命じられ、これに従わない者は罰金を課されたり収容所へ連行されたりした。1942624日、エレーヌの父・レイモン・ベールが刑事に逮捕されドランシー収容所に連行されたのも、黄色の星を服に縫い付けず、ホックで止めていたというのが理由だった(同日の日記より)。シャルル・メイエール医師は、黄色い星をつけた位置が高すぎるとう理由で逮捕された。ナチス・ドイツが作った法律は、気に食わない者を逮捕するための口実にすぎなかった(1942年9月18日、138139ページ)。

 これ見よがしにユダヤ人であることを公衆に向かって顕示させられる屈辱、それに押しつぶされまいと自分を奮い立たせる心情をエレーヌは次のように記している。

 「一日じゅう、わたしはすごく勇敢だった。しゃんと背筋を伸ばして、人々の顔を真っ正面からとてもしっかり見つめたので、みんな目をそらした。でも、なんて辛いんだろう。それに、大部分の人は見ない。いちばん耐え難いのは、同じく星をつけた人たちに出会うことだ。」(194268日)

生き地獄
 
 194211月、南フランスを除くフランス全土を占領したナチス・ドイツ軍はヴィジー・フランス政権にユダヤ人狩りを厳命した。『サラの鍵』で扱われた「ヴェルディブ事件」はその尖鋭な事例であり、フランス警察と憲兵によって検挙された約13000人のユダヤ人は国内のドランシー収容所やヴェル・ディヴ(冬期競輪場)へ送られた。競技場で拘禁されたユダヤ人は赤ん坊さえも5日間、水・食料も与えられず放置されたのち、アウシュビッツへ移送された。この時の様子をエレーヌは次のように記している。

 「モンマルトルでは、あまりに大勢が逮捕されたために、街路は通行止めになった。フォブール・サン・ドゥニ街はほとんど無人になった。子どもたちは母親から引き離された。・・・・・
 マドモアゼル・モンサルジョンの住む界隈では、一家全員、父親、母親、5人の子どもが逮捕から逃れるためにガス自殺した。ある女性は、窓から身を投げた。
 人々に逃げるように警告した何人かの警官は、銃殺されたという。警官たちは、従わなければ収容所送りだと脅された。」(1942718日、104ページ)

 「ある女性は発狂してしまい、4人の子どもを窓から放り投げた。警官は6人ずつのグループを組み、トーチ型懐中電灯を使って検挙にあたった。
 ブシェ氏からヴェル・ディヴのニュースを聞いた。12000人が閉じ込められ、地獄の様相だという。すでに大勢が死に、便所は詰まってしまった等々。」(1942719日、108ページ)

 「イザベルから聞いた別の詳細。ヴェル・ディヴには1万5000人の男女と子どもたちがつめ込まれ、あまりに窮屈なために、しゃがみこんだ人たちの上を歩く者さえいる。ドイツ人が水とガスを止めたので、飲料水は一滴もない。彼らはねばねば、ぬるぬるした水たまりの中を歩いている。病院から引っ張り出されて連行された病人、首に『伝染病持ち』という札をかけた結核患者がいる。その場で分娩する女性もいる。手当は何もできない。何の薬も、包帯さえない。・・・・それに救援はあした終わる。おそらく全員が強制移送になりそうだ。」(1942721日、111112ページ)

 終戦までの間にフランスからアウシュビッツその他の強制収容所に送られた人々は約7万6000人(国内の収容所での死亡者や処刑された人々を加えると約8万人)と言われている。 

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ナチス占領下のパリで~映画「サラの鍵」~

 2011714日付けの記事で、連れ合いが近所の知人と発行しているミニコミ誌「すてきなあなたに」No.63に掲載された菅沼正子さんの映画招待席35「一枚のハガキ」を菅沼さんの了解を得て紹介した。
 今回は同じミニコミ誌の最新号に掲載された菅沼正子さんの映画招待席36「サラの鍵~フランスよ、お前もか~、を転載させてもらうことにした。
 私の感想は次の記事に回すことにする。映画はナチス占領下のパリで194271617の両日、ナチスの命令に従ったフランス警察によって行われたユダヤ人1万数千人の一斉検挙と連行されたユダヤ人を待ち受けたその後の過酷な体験を1人の少女の運命を通じて描いたものである。
 1217日から銀座テアトルシネマで上映が開始され、全国各地で順次ロードショウが行われるが、そういう私はまだ見ていない。見た後でまた記事を書かねばと思っているが、前回同様、菅沼さんのきびきびした批評につい引き寄せられてしまう。

 
菅沼正子の映画招待席 36 
 
~サラの鍵~フランスよ、お前もか~
 
 ベルリンの壁が崩壊しソ連邦が解体してから、タブーとされていた戦時中の蛮行・非道が次々に明らかになってくる。最近でも「白バラの祈り」(
05年)「カティンの森」(07年)「縞模様のパジャマの少年」(08年)「黄色い星の子供たち」(10年)等をあげることができるが、今回の「サラの鍵」はフランスの<ヴェルディヴ事件>を題材にしたタチアナ・ド・ロネの同名のベストセラー小説の映画化。ノーベル平和賞受賞の劉暁波(リュウギョウハ)氏の獄中での愛読書だったという。<ヴェルディヴ事件>とは、ユダヤ人をアウシュヴィッツに送ったのは、ナチスドイツだけではなかった、という実話である。その事実は1995年にシラク大統領が公式に認め、世界に衝撃を与えたのだが、しかし、非公式には知られていて、映画では「パリの灯は遠く」(76年)がそれを扱っている。アラン・ドロン主演のサスペンス映画だが、監督が、アメリカのレッドパージでイギリスに亡命しヨーロッパで活躍したジョゼフ・ロージーだけに、サスペンスの裏に潜む政治の不当な弾圧や人権無視の恐怖が描かれている。フランス人の美術商(A・ドロン)が同姓同名のユダヤ人と間違えられ、アウシュヴィッツ行きの収容列車に乗せられるという物語。
 
 ナチス占領下のフランスに、ユダヤ人排斥運動の嵐が次第に厳しさを増していた
1940年代。ユダヤ人のサラ一家にフランス警察のユダヤ人一斉検挙が入ったのは19427月のことだった。10歳のサラ(メリュジーヌ・マヤンス)は怖がる弟をとっさに納戸に隠し鍵をかけた。「すぐ帰るわ」と約束をして。摘発された数万のユダヤ人は屋内競輪場<ヴェルディヴ>に閉じ込められる。水もトイレも食糧もない劣悪な環境下におかれ、やがて家族はバラバラにされ、それぞれ臨時収容所に分散される。最終的にはアウシュヴィッツ行きの列車に乗せられるのだ。弟が気になる一人ぽっちのサラは脱走に成功するが……。
 
 現代。
2009年。パリに住むアメリカ人ジャーナリスト、ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)はヴェルディヴ事件を取材している。奇しくも、自分たちが改造して住もうとしているマンションの部屋は、サラ一家の住居だったことが判明。この家は、フランス人である夫の両親がユダヤ人から取り上げた部屋だったということも分かる。
 
 自分の身内がヴェルディヴ事件に無関係ではなかったことに衝撃を受けたジュリアは、さらに取材を進める。ホロコースト記念館で膨大な資料をチェック。サラの両親はアウシュヴィッツでの死亡が確認されたが、サラと弟の記録はない。
 
 脱走後のサラはどうなったのか。映画は、ジュリアの取材の現代と、サラが逃亡する
60年前の戦時下を交錯させて描いていく。さらに、成人してからのサラを追って、ニューヨーク、フィレンツェへと舞台は移るが、この映画のすばらしさは、単なるホロコースト映画で終っていないことだ。過去の過ちを認め、反省し、人種の融和と人権の尊さをうたいあげている。パンドラの箱を開けたら希望がでてきた、という感動のラストシーンが用意されている。
 
 (
1217日より、銀座テアトルシネマほか全国順次ロードショー)
 
映画「サラの鍵」公式サイト
http://www.sara.gaga.ne.jp/

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12.17シンポジウム「オープンスカイ時代の航空産業の公共性を考える」のお知らせ

 今、日本の航空産業は、羽田空港の国際化、低コストキャリア(LCC)の参入という新しい競争環境の下で、自社に需要を取り込もうとする内外エアライン間の価格競争と自港に路線を誘致しようとする空港間の競争が激化している。そして、各エアラインはこうした競争圧力に押されて、路線別の採算性の管理を徹底させ、不採算を理由に地方路線を次々と切り捨てているのが現状である。また企業内では乗務員の訓練や機材整備といった安全に直結する人員とコストまで削減している。
 こうしたオープンスカイ時代の競争環境の下で、航空の公共性・安全性をいかに守り、向上させるかを考えるシンポジウムを開くことになった。

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    12.17シンポジウム
   「オープンスカイ時代の航空産業の公共性を考える」

  20111217日(土)1330分~1630
  スター会議室 新橋 4401号室(ポスター参照)
  基調講演 柳田 邦男氏
 
   演題:「安全の層』と経営の責任~組織事故の視点から~」
  パネル・ディスカッション
 
   安部誠治氏(関西大学教授)
   米倉 勉氏(弁護士)
   奥平 隆氏(元全日空機長)
   進行:醍醐 聰(東京大学名誉教授)

  主催:「航空産業の公共性を考えるシンポジウム」実行委員会

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 シンポジウムでは、

 *航空事業の公共性を担うネットワークと運航の安全性をどのように維持し発展させるのか?
 *低価格を売り物にするLCCのビジネス・モデルに危うさはないのか?
 *世界に例をみない高い水準の空港使用料を既存事業者(レガシー)向けには放置したまま、LCC向けには個別に割安な空港使用料を設けて路線を誘致しようとする空港間競争の中で、日本の航空産業の公共性と国際競争力を維持・向上できるのか? 
 *路線や便ごとの採算性の追求は航空事業の公共性と運航の安全性を確保する上での脅威となっていないか? 
 *規模の縮小とコスト削減に偏向した経営構造改革が従業員のモチベーションを劣化させていないか? 
 *JR福知山線の脱線事故で再認識された公共交通の安全文化は航空産業では根付いているのか?

といった問題を正面から取り上げ、参加者の発言も交えながら、問題の核心に迫る理論的実践的な議論を行うことになっている。

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12.17シンポジウム チラシ

参加申し込み方法
 1. 下記申し込み用紙をダウンロードし、必要事項をご記入のうえ、
   0334320297 へFAX
   
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/1217simpo_sanka_mosikomi.pdf

 2. simpo1217@nifty.com へE・メールで

問い合わせ:電話:08058806756

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 3.11東日本大震災、福島原発事故を機にわが国では「安全」に対する関心がかつてなく高まっているが、航空となると、今でもスカイマークが成田-札幌、成田-福岡を最安値980円で運航するといった「華やかな」話題の陰で「空の安全」が危うい現実はほとんど知られていない。
 この意味で、日本航空「安全アドバイザリーグループ」の座長を務める柳田邦男氏の基調講演、公共交通の安全文化に理論・実践の両面で関わってきた安部誠治氏、航空産業の労働環境に精通した米倉勉氏、奥平隆氏によるパネル討論は大変、時宜にかなった企画だと思う。
 パネル討論ではこうした方々の持ち味を存分に発揮していただけるような進行役を務めたいと思っている。多数の方々のご来場を願っている。

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国民健康保険の現状と滞納問題解決の道筋~佐倉市の現状から見えてくること~

講演の準備を通じて見えてきたこと
 1120日の講演の準備をする中で見えてきた佐倉市の一般会計と国民健康保険の特徴をまとめると次のようになる。
1.佐倉市の財政(一般会計)を人口が同じ規模の県内の他市と比べて見ると、
 ①平成21年度の財政力指数(標準的な財政需要に対する標準的な財政収入の比率)は1.00とまずまず。 歳入の地方債依存度は浦安市についで低い(5.4%)、市民1人当たりの負債額(地方債残高+債務負担行為のうちの次年度以降支出予定額)は7市のうちの最少額(22.7万円)という数字からいえば、佐倉市は比較的健全な財政状況にあるといえる。
 ②しかし、市民1人当たりの歳出額、とりわけ市民生活に深く関わる1人当たり民生費が7市の中で最少で、市民税の還元率(私なりに作った比率で、市民1人当たり民生費/市民1人が納めた市民税の平均額)は7市の中で最低の0.93.ちなみに最高の成田市は1.67
 ③浦安市、成田市では市民1人当たり民生費が際立って多く、市民税還元率も非常に高い。そのわけは、ディズニーランド、成田空港、およびそれに関連する法人が納める市税、固定資産税が市の財政を支えていることにある。
 ④佐倉市では景気動向はもとよりのこと法人立地、人口密度、地価といったマクロの経済要因に左右される歳入面で当面、大きな増収を期待することはできない。となると、歳入規模は与件として、それをどのような歳出項目に充てるのかという予算配分に重点を置き、市民税還元率を改善するよう留意する必要がある。
 ⑤全国的傾向とはいえ、佐倉市でも、保険料(税)の滞納問題という形で国民健康保険のセーフティネットのほころびが深刻な状況になっている。特に、注視する必要があるのは、
  *佐倉市は滞納分も含めた通算の収納率が7市の中で最低の58.7%となっていること、
  *滞納世帯の84%が所得未申告世帯・年間所得200万円以下の世帯となっていること、
である。また、今年の31日に開かれた佐倉市議会本会議での質疑で明らかにされたところでは、佐倉市では所得200万円で2人世帯の保険税額は介護分を含めると2425万円で、所得の1割を超える状況になっている。

所得に著しく逆進的な保険料調定額
 全国規模ではどうかというと、厚労省労働局がまとめた『平成21年度国民健康保険実態調査報告』によると、1世帯当たり平均所得(平成20年)に対する1世帯当たりの平均保険料(税)調定額が全世帯平均でも9.4%で、保険料(税)が減額される世帯では平均で13.4%、7割軽減世帯では実に年間所得の3分の1に達している。
 また、『平成21年度国民健康保険実態調査報告』に収録された所得階級別・年齢別の保険料(税)の収納率(平成20年度)は、全体(各所得階級/年齢の平均)では89.7%であるが、34歳以下の30万円以下(所得なしも含む)では70%を割り込んでいる。
 このような実態を見ると、現在の国民健康保険料(税)は低所得層にとって「払わない」のではなく、「払えない」水準になっていることがわかる。従って、結果としての滞納問題を捉えて、徴収強化や窓口での対応のあり方だけで解決しようとするやり方では滞納問題の根本原因は手つかずで終わることは明らかである。
 むしろ、1年以上滞納者に対して機械的に保険証を返却させ、窓口でいったん医療費の全額を負担させる資格証明書に切り替えるやり方は行きたくても医療機関に行けない低所得層を増やし、健康を悪化させるという悪循環を生むことになる。こうした悪循環は本人をより重症に追い込むと同時に、ひいてはそれが医療費の増加、生活保護世帯の増加を招くという悪循環の増幅につながる。

滞納問題を解決する道筋
 政府は市町村国保の危機的財政状況と滞納問題を解決する方策として近年、国保の広域化(市町村単位から都道府県単位への広域化)を強力に指導している。同一都道府県内で財政力の強い自治体が財政力の弱い自治体を支援するという互助システムといってよい。しかし、
 ①現在、市町村国保において、同じ自治体の中でさえ、給付担当、資格担当、課税担当、滞納整理担当が別々の部署になっていて業務の連携に困難がある(八千代市の国保年金担当者からの聴き取りの折に何度かそういう実情を聴かされた)中で、運営の単位が広域化すると、運営の主体と滞納者との窓口対応をする現業部署との意思の疎通が更に困難になると予想される。
 (佐倉市の場合、国民健康保険の資格に関する業務、給付に関する業務、高齢者医療に関する業務は健康保険課が担当し、課税に関する業務は課税課、納税・滞納整理に関する窓口は収税課が担当している。)
 ②また、広域化して都道府県単位で財政調整を行うといっても、都道府県内で1人当たり保険料(税)調定額に2倍以上の格差があるところが13もあるという現状(厚労省保険局『平成21年度国民健康保険事業年報』参照)のままでは、実効性に乏しく、それでも都道府県単位に広域化すると、保険料(税)の値上げを余儀なくされるところが少なくないと考えられる。
 ③そもそも論として、被用者保険(健保組合、各種共済)と違って、事業主負担がなく、被保険者が相対的に高齢で低所得層が多い市町村国保の財政方式を、負担と受益を連動させる社会保険方式とみなして同列に扱うこと自体が実態とずれているのである。
 むしろ、市町村国保の財政を窮状に追い込んだ大きな要因は歳入に占める国庫支出金の大幅な減少にある。佐倉市の国保では、歳入合計に占める国庫支出金の割合は昭和58年度に約51%であったのが、その後、低下の傾向をたどり、平成21年度には23%にまで減少している(平成2331日開催の市議会本会議における萩原陽子議員の質問による)。
 市町村間、都道府県間の財政力の格差に起因する国民健康保険料(税)の大きな格差を是正し、保険料(税)を低所得層にも「払える水準」まで引下げるには、国庫からの財政支援、国レベルでの財政調整が不可欠である。

佐倉市にできること、やるべきこと
 
 ④その上で、市町村国保の段階で再考を要する、佐倉市としてできることとして、私は昨日の講演もしく講演用に準備した資料の中で次の2つを提言した。
  *一つは、保険料(税)の積算要素の見直し、具体的には応能分(所得割・資産割)と応益分(均等割・平等割)の比率の見直しである。7市の比較でいうと、佐倉市では応能分の割合が53.28であるのに対し、応益分が56.72となっている。これは八千代市に次いで応益分のウエイトが高く、応能分のウエイトが低い仕組みである。言うまでもなく、応能分が低く、応益分が高いということは所得に対する逆進性が強い仕組みである。この点では、応能分のウエイトが浦安市では75.29、習志野市では67.79と非常に高いのが注目される。市町村国保として独自に行う余地のある滞納対策(「払える」水準まで保険料(税)を引きさげる努力)として応能分のウエイトを高める措置が講じられてしかるべきである。
  *もう一つ私が指摘したのは現在55億円に達している財政調整基金を活用して資格証交付世帯を援助するということである(パワーポイント・スライドNo.36, 37)。いまかりに、佐倉市における643の資格証明書交付世帯のうち、年間所得200万円以下の世帯(354世帯。ここでは75歳未満の2人家族と想定)の1年分の滞納額を一般会計からの繰入で肩代わりするとして、それに必要な財源を平等割減額分と均等割減分を控除した上で試算すると4,547万円となる。これは現在の佐倉市の財政調整基金残高55億円0.83%に過ぎない。将来の不測の事態に備えるという財政調整基金の趣旨を了解してもなお、国民健康保険のセーフティネットからこぼれかけた市民の健康と生活を救うのにその0.83%さえ活用することを見合わせるのが合理的だとは到底思えない。早急な実行案の検討を市当局ならびに議会に要望したい。

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見えてきた佐倉市の財政の特徴と問題点~市民フェスタでの講演準備を通じて

講演の準備ために
 1つ前の記事で書いたように、20日は地元の市民活動フェスタ2011の日。市民体育館、市立美術館、佐倉城址公園自由広場などでさまざまな市民グループがポスター展を開いたり、ポニー乗馬や和太鼓演奏、手話ダンスを披露・体験したり、防災・まちづくりの講演会を開いたりする一日である。
 私は佐倉向日葵会が主催したまちづくり講演会の講演を頼まれ、1130分から40分間ほど市立美術館の4階会場で「私たちの町の財政~基礎から現状分析まで~」と題して話をさせてもらった。前半(Part1)は基礎編ということで、人口が同じ規模の県内の6つの市(野田市、成田市、習志野市、流山市、八千代市、浦安市)と比較しながら、佐倉市の財政の現状と特徴を話し、後半(Part2)は応用編として佐倉市の国民健康保険のことを話した。
 しかし、40分で2つのテーマを十分に話すのはとても無理なので、この日はPart1を主に話した。国民健康保険の方が皆さんに身近な問題で、「応用編」などと第三者的な物言いをするにしては余りに切実な問題がある。そこで、主催者の向日葵会の代表のUさんの「これからも第2弾、第3弾と続けてやりたい」というお話を受けて、国民健康保険のことはゆっくり時間をとって別の機会に出来ればと考え、昨日はPart2は要点(滞納問題)に触れるだけにした。
 使った資料は、Part1は主に「決算カード」。Part2は各市のホームページに掲載された国民健康保険に関する情報と社会保障推進千葉県協議会(千葉県社保協)が今月10日にまとめたばかりの「2011年社会保障の充実を求める自治体要請キャラバン報告集」である。最後の報告集はインターネットで偶然見かけたサイトを辿って千葉県社保協に問い合わせて提供してもらった資料であるが、県内全市町村の担当課に対して、住民税・医療・介護保険・国民健康保険・児童/保育・障害者福祉・生活保護などについて行ったアンケート調査の結果を集計したものであるが、国民健康保険についても保険料(税)の算定方法、水準、滞納の状況、資格証明書/短期証の交付状況など詳細なデータが網羅されていて大変有益だった。

数字の背景にある現実を確かめないと
~市役所へ出かけて担当課に聴き取り~

 しかし、データをなぞるだけではなく、数字の背後にある現実こそ重要である。しかも数字は必ずしも現実をあるがままに表しているとはいえないし、市民の生活実感とずれていることもある。そこで、講演の準備をする中で、行政の他の問題に関心を持った方と連れだって、119日にはお隣の八千代市役所へ市内の知人3人と出かけ、国保年金課、環境保全課、保健センターを訪ねて担当職員から聴き取り調査をした。国保年金課では国民健康保険の保険料の滞納の実態と背景、滞納者への市の対応について、環境保全課では放射能汚染の除染対策について、保健センターでは特定健診の持ち方について、それぞれ尋ねた。1330分から始まったが、国保年金課では応対してもらった課長の熱心な説明に時間が経つのを忘れ、最後の保健センターでは勤務外の応対をしてもらうはめになった。おかげで外へでるとあたりは薄暗く、帰路を急いだ(といっても私は同乗させてもらったのだが)。
 ついで、1114日には市内の知人お2人といっしょに佐倉市の健康保険課と環境保全課へ出かけた。健康保険課では課長と国保資格班のOさんに応対してもらい、事前に送っていた質問事項に沿って市内の被保険者の構成の推移(「一般」と「退職」の年齢別分布)、短期証世帯数と資格証世帯数の推移、一般会計から国保特別会計へのいわゆる「赤字繰入」の推移などについて、途中、議論を挟みながら、説明を受けた。環境保全課では、課長、班長、担当職員の応対で、目下、詳細計画は発表されたものの、肝心の「いつから」始まるのか一向に見て来ない放射能汚染の除染について話し込んだ。
 こうした2回の聴き取り調査が昨日の講演にも大いに役立った。

当日使った資料
 
 以下は当日用に作った資料一覧である。

1.パワーポイント・スライド原稿
 ① 6つの他市と比較した佐倉市財政の特徴:その1

 ② 6つの他市と比較した佐倉市の財政特徴:その2

 
6つの他市と比較した佐倉市国民健康保険の特徴

 
国民健康保険料(税)滞納題の背景と解決の道筋

2.配布資料(本体)
   配布料(体)

 3
.配布資料(データ編)
  表1 県内7ータ

  表2, 3 県内7市の構成較(実数と構成比)

  表4 県内7市の給与水準の比

  表5 県内7市の国民健康険の状況

  表6 県内7市の国民健康保険の滞と資格証明書発行の所得階層別分布

質疑の中で出た意見・質問
 40分ほどの私の話が終わったあと、お二人の参加者から質問・意見があった。
 一人は、国民健康保険を資格証明書に切り替えられた市民のなかで、18歳未満の子供のいる世帯をなんとかしなくてはいけないのではないかという意見だった。
 もっともな質問だったが、それについてはパワーポイント・スライドのNo.35をスクリーンに出して、国では昨年7月から、18歳未満の子供(従来は中学生以下)がいる滞納世帯には短期証の交付にとどめるとした国保法改正が施行されていること、佐倉市ではそれに先だって昨年4月から同様の措置が実施されていることを紹介した。

 もう一人は、佐倉市では人口対比で職員数が7市の中で一番少ないと言った私の説明(パワーポイント・スライドのNo.35No.15)に対して、一部事務組合に所属する職員も含めるとそんなことはないという反論だった。一部事務組合にどれくらいの佐倉市職員が在職しているのか私は確かめていないが、一般論として臨時職員や指定管理者などに業務を切り出したことに伴う人員減を考慮に入れた調査が必要で、その点では私の説明は確かに不完全なものだといえる、と答えた。

お礼
 なお、20日の講演会には市内のたくさんのお知りあいやご近所の方々が出かけていただいた。また、7名の市議会議員も聴きにきていただいた。ありがたいことと感謝しているが、これも広報に力を入れていただいたUさん始め、主催者・佐倉向日葵会の方々のご苦労のおかげである。改めてお礼を申し上げたい。

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地元の市民フェスタで講演します~テーマは市の財政~

主催者の熱意に押されて
 
この11月に佐倉市で開催される「佐倉市民活動フェスタ2011」に佐倉向日葵会が応募され、佐倉市の財政について講演を企画されたとのこと。10月上旬に会の代表のUさんから講師を引き受けてもらえないかという依頼を受けた。
 Uさんとは今年の5月に佐倉市の市民グループが開いた市議会議員と市民の懇談会の場で知り合った。その時伺った会の名前は「佐倉市の財政を考える会」だった。懇談会の中で周りの年配の市民や議員の発言をものともせず、かつ、市の最新の予算をよく調べた上で堂々と発言されたUさんの姿が印象的だった。
 その後、事情があって会の名前を「佐倉向日葵会」と変えられたそうだが、中味は市の財政を調べて議論をすることに変わりはないとのこと。
 国と地方の公会計は私の研究テーマでもあったので、地元の財政を勉強するよい機会にもなればと思い、引き受けた。
 それからは主催者が立派なポスターを作られ、Uさんのお知り合いの市民の方々の協力も得て熱心に広報していただいている。市議会議員も幾人か参加の予定とのこと。こうなると、私もうかうかしていられなくなり、目下、資料づくりに駆り立てられている。

 佐倉市市民フェスタ2011参加企画 第2回佐倉向日葵会主催事業
 佐倉市町づくりを考えてみよう! 私たちの町の財政:基礎から現状分析まで(クリックしていただくとポスター原文が開きます。)
  日時 20111120日(日)1130分~1220
  会場 佐倉市立美術館4階ホール
  講師 醍醐 聰
  問い合わせ 080-4174-3053
  sakurahimawarikai@yahoo.co.jp

国民健康保険(市国保)を中心に
 
~今日の日本の社会保障の不安の縮図として~
 ただ、講演の時間が40分程度と限られている。また、聴きに来ていただく方々の中で市の財政に馴染んだ方はさほど多くないようで主催者からは入門コースのつもりでお願いしたいと言われている。
 そこで、思案の末、
 ①人口規模が佐倉市と近い千葉県内の他市(具体的には、野田市、習志野市、流山市、八千代市、浦安市)との比較で佐倉市の財政の現状を説明する。ただし、Uさんによると、成田市から引っ越してくる人が少なくないので、成田市も比較の対象に入れてほしいという要望があったので了解した。

 ②限られた時間内で、数字をなぞるだけでなく、生活実感につながる話をできるよう、テーマは市の国民健康保険の財政に絞ることにした。というのも、近年、全国共通の問題であるが、市町村国保の滞納問題が深刻な状況にあり、生活保護とならんで国民の最後のセーフティネットと言われる国保のネットワークからこぼれてしまう国民が大量に生まれているからである。
 その背景には、
 *本来なら被用者保険に加入すべき現役労働者が短期雇用を理由にそこから外され、自治体の国保に流入する人々が大量に生まれている。そうした短期雇用労働者の多くは低い所得層が多く、国保負担力が低いため、自治体国保の財政悪化の要因の一つになっている。
 *被用者保険と違って、事業主の保険料折半負担がない市町村国保で事業主負担に代わるべき国庫支出金の割合が近年減少したこと、各自治体も一般会計自体の財政状況の逼迫から国保特別会計に繰り入れる(法定外繰入)余力が縮小している。
 *そこで、各自治体は民間委託も含め、保険料の徴収強化に乗り出し、保険料滞納者に正規の保険証に代えて窓口での自己負担を増加させる短期証や資格証明書を発行している。そのため、保険料滞納者の間では受診の手控えが起こり、それが健康をむしばむという悪循環が起こっている。

 このような背景を見据えると、今日の市町村国保は日本の社会保障の実態の縮図であり、尖鋭な事例であると言ってよい。これについては「毎日新聞」が114日から始めた「安心が逃げていく」という連載記事が参考になる。その中の第2回目を紹介しておきたい。
 
 安心が逃げていく 第2回 上がる国保料 滞

 (『毎日新聞』2011115日、東京朝刊)

 私の口からいうのも気が引けるが、このブログ記事をご覧いただいた佐倉市の方々でテーマに関心を持たれた方には足を運んでいただけら嬉しい。
 私の気持ちとしては、当日の講演で終わりではなく、それがきっかけになって佐倉市の市民の方々の間に市の財政への関心が高まり、自分たちの手で勉強してみよう、近隣の市町村にも出かけて自治体の財政事情を調査し、市民から財政改革の意見・提言を発信していこうという気運が盛り上がることを願っている。

 講演用にまとめた資料は後日、このブログに掲載する予定です。

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白樺派文人ゆかりの地・我孫子市を訪ねて(3)

 志賀直哉邸跡を訪ねて
 
お礼を言って白樺文学館を出ると、A氏も外に出てきて前の道路の前方を指さし、「あそこが志賀直哉の邸宅跡ですよ。よかったら一緒に言って案内しましょうか?」と話しかけてもらった。さほど、忙しそうにもなかった(失礼!)ので、「ではお願いします」ということにした。
 志賀直哉邸跡は白樺文学館から100mもない場所にあった。邸宅跡が石段で形づくられ、別棟として書斎が配置されていた。ただし、住まいも元は緑雁明緑地にあったが、書斎は付近の民家に移築されていたものをこの地に再移築して整備したものである。志賀は1923(大正12)年に京都に移るまでこの地で『和解』、『城崎にて』、『暗夜行路』を次々に発表して充実した作家生活を送った。武者小路宅とは目の前の手賀沼から舟で行き来をしたという。当時、前を通る道路の向こうは手賀沼だったということは以来、ずいぶんと埋め立てをしたものだ。ここでもA氏に詳しい説明を聞いたあと、書斎の濡れ縁にたたずむ格好の写真を撮ってもらった。感謝の至りだった。

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 市民図書館で
 志賀直哉邸跡を出て、来た道を引き返し、市民図書館が入っているアビスタに着いたのは14時すぎだった。1階の軽食コーナーでランチを済ませ、図書館に入館すると、平日にしては閲覧室はほぼ満席で、しばらく歩きまわって何とか空席を見つけた。それぞれ自分の興味に従って調べ物をすることにしたが、私の目的は当館に所蔵されている『杉村楚人冠関係資料目録』(杉村松子家所蔵;我孫子市教育委員会編集、平成173月)で、例の針文字書簡ほか楚人冠関係の資料を閲覧・調査することだった。幸い、5分冊が我孫子ゆかりの資料コーナーに開架されていたので、「Ⅱ.書簡」を取り出して、ページを繰っていくと、通番0262として「書簡〔大逆事件の精査と幸徳の弁護士斡旋依頼〕という標題が付された書簡が収録されていた。差出人は菅野須賀子で受取人は杉村縦横、差出年月日は明治4369日、受取の住所は京橋区朝日新聞社内と記されていた。ただし、封筒の差出人は匿名と記されている。さらにページを繰っていくと、以下の差出人からの書簡が載っていた。
 夏目金之助(差出年月日:明治43617日、明治44515日、〔18日〕、20日、〔21日〕、  大正41117日)
 堺利彦(同上:大正774日)
 芥川龍之介(同上:大正9415日)
 平塚明〔雷鳥〕(同上:大正9416日)
 木下利玄(同上:大正9430日)
 安達謙蔵(同上:大正9616日)
楚人冠の交友の広さを伝える資料として興味深い。

 とはいえ、まずは、菅野須賀子からの書簡の原文の写しを見たいと思い、閲覧受付係へ行くと、「現物は当館ではなく、教育委員会は所管しているので問い合わせてみる」とのこと。しばらく開架で別の資料を探していると、担当者がやってきて、「閲覧にあたっては資料名を記入して申請書を所蔵者宛てに提出する必要がある。手続は教育委員会なので出かけもらう必要があるが、どうされますか」とのこと。場所を尋ねると、JR2つ目の駅まで出かけなければならないそうなので、今日は無理とあきらめた。
 ただし、楚人冠が受けとった菅野須賀子明の針文字の書面は既にいく人かの研究者が入手し、一般に公表されている。たとえば、今年の129日の『毎日新聞』夕刊に「針穴でつづった白紙の秘密書簡」と題する記事が掲載され、その中で発見された書簡と封筒、針穴でつづられた文面(全文)の複写が掲載されている。針文字の文面は以下のとおりである。

  京橋区瀧山町
   朝日新聞社
    杉浦縦横様
      菅野須賀子
  爆弾事件ニテ私外三名 
  近日死刑ノ宣告ヲ受ク
  ベシ御精探ヲ乞フ
  尚幸徳ノ為メニ弁ゴ士
  ノ御世話ヲ切ニ願フ
    六月九日
   彼ハ何ニモ知ラヌノデ

 もっともこの書簡の封筒には「典獄」の印がないことなどから、差出人を菅野須賀子と断定するに足る証拠はこれまでのところ見つかっていない。しかし、前記の「針文字書簡と大逆事件~事件が文学に与えた影響~」は、当時、監獄から秘密裏に書簡が監外に出回る伝達ルートがあったことが少なからぬ事実で裏付けられていること、手紙の内容からして関係者でないと分からない情報が記されていることなどから、この書簡の差出人は菅野須賀子であった可能性を否定できないと記している。また、長く楚人冠の研究に携わってきた我孫子市教育委員会の小林康彦調査員も「私外三名」と表記されていることなどから菅野自身がつづった可能性が高いとみなしている(小林康彦「大逆事件針文字書簡と杉村楚人冠」、『史潮』58号、200511月)。
 今後、新資料のさらなる発掘と考証を通じてこの点が解明されるならば、これまでとかく「妖婦」、「テロリスト」のレッテルを貼られがちだった菅野須賀子の実像を浮かび上がらせる資料となる可能性がある。なお、菅野須賀子の歪んだイメージの流布に警告を発した論説として、「大逆事件から100年 人間性豊かだった菅野スガ」、『毎日新聞』201022日夕刊、がある。と同時に、大逆事件とのかかわりを通して、楚人冠の社会思想と行動の全容がより広範囲に究明されることが期待される。

 夕暮間近のの手賀沼公園へ
 1540分ごろ、市民図書館を出て夕暮前の手賀沼公園へ入った。すぐ近くにある「平和の記念碑」を見た後、沼の水際へ。水面にはごみが浮遊して美しい沼と形容するには遠い状況だった。そのせいか、授業を終えた高校生の一団が大きなポリ袋を持って水面近くを歩きながら、清掃をしているのに出会った。もう少し、時間があれば公園をゆっくり散策したいところだったが、留守中、一人で過ごしている飼い犬のことが気になり、帰路を急ぐことにした。
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