米国海兵隊を沖縄に引き留めたのは日本だった :米国公電から判明 ~辺野古移設をめぐるこの国の果てしない欺瞞と情報隠蔽(1)~

2014年9月15日 

「辺野古の埋め立てが唯一の選択肢」は誰の判断か?
 910日のNHKニュースは菅官房長官が、「わが国を取り巻く安全保障環境が極めて厳しいなかにあって、アメリカ軍の抑止力を考えたときに、『唯一の選択肢というのは辺野古の埋め立てである』という政府の考え方は、全く変わっていない」と述べ、選挙結果にかかわらず、移設計画を着実に進めていく考えを強調し」たと伝えた。(下線は醍醐の追加)
 こうした官房長官の発言は、公約を反故にして辺野古移設を容認した仲井真弘多氏の苦戦が伝えられる沖縄県知事選の結果に対する予防線と言ってしまえばそれまでだが、沖縄基地負担「軽減」担当相に就任した菅氏が口にすべき言葉ではない。これについては、次の記事で触れることにして、以下では、下線を付けた部分の菅官房長官の発言の信憑性を問題にしたい。


米軍の沖縄駐留継続は日本政府の要請だった~元駐日大使が重大証言~
 
沖縄の地元紙2紙は昨日(914日)の紙面に、「米軍の沖縄駐留、日本政府の意向 モンデール氏証言」((『琉球新報』)、「海兵隊の沖縄駐留『日本が要望』 元駐日米大使の口述記録」(『沖縄タイムス』)という見出しの記事を米国滞在記者発として掲載した。
 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231579-storytopic-53.html
 
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83067

 
発言の主はカーター政権時代(1977-1981年)に副大統領に就任し、その後、クリントン政権時代(1993~1996年)に駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏。退任後の2004427日に外交史記録を目的とした米国国務省の付属機関のインタビューに応じて同氏が語った口述記録から判明したもの。
 記事によると、1995年、米軍普天間飛行場の返還の交渉のさなかに米兵が起こした日本人少女暴行事件について、モンデール氏は「 県民の怒りは当然で私も共有していた」と語った上で、事件に対する県民の強い怒りに直面して、当時、米国政府内では事件の数日のうちに、米軍は沖縄から撤退すべきかどうか、少なくともプレゼンス(存在)を大幅に削減すべきかどうか、さらには事件を起こした米兵の起訴に関して日本に多くの権限を与えるようにすべきかどうかといった議論に発展した、と述べていた。
 ところが、日本政府の対応はどうだったかというと、当時、日本側の指導者たちとの非公式な会話では日本側は米軍を沖縄から追い出すことを望まず、沖縄での米軍駐留の継続を求めていた、モンデール氏は述懐したという。
 結局、事件から7か月後の19964月、日米両国政府は沖縄県内での代替基地建設を条件として普天間飛行場の全面返還で合意した。
 なお、『沖縄タイムス』の記事は、当時、ペリー国務長官が米議会で「日本の全ての提案を検討する」と発言したこと、ナイ国防次官補(当時)も「兵力の本土移転も含むと述べたことも紹介している。


日本政府・防衛当局は「普天間基地移設で妥協するな」と米に伝えていた
 
これだけではない。ウイキリークスが暴露した米国公電の中に、20091012日、国務、国防総省双方の当局者を率いて訪日したキャンベル次官補らに対し、非公式な昼食の席ではあったが、高見沢将林・防衛政策局長が「米政府は、民主党政権に受け入れられるように再編パッケージに調整を加えていく過程で、あまり早期に柔軟さを見せるべきではない」と助言した、と記している。
 

 さらに、当時の外務省中堅幹部はもっとあからさまに米国が民主党政権に譲歩することがないようけん制していたことも公電から明らかになっている。

 20091210日に、日本政府の国連代表部で政務担当を務める参事官ら3人の外務官僚が在日大使館の政務担当者と会った際の会話を記した同月16日付の公電によると、外務官僚らは「鳩山政権の普天間移設問題での対応と政治利用」への不満を述べ、「米政府は普天間移設問題では民主党政権に対して過度に妥協的であるべきではなく、合意済みのロードマップについて譲歩する意思があると誤解される危険を冒すべきでもない」と強調したと記されている。 
 以上、

 
「不信の官僚、『米は過度に妥協するな』〈米公電分析〉」asahi.com 2011541918
  http://www.asahi.com/special/wikileaks/TKY201105030296.html


日本の防衛当局はすでに2009年に辺野古沖の軍港機能化を米国と協議していた
 
そればかりではない。『琉球新報』は912日の紙面で「ウィキリークスが公開した米大使館発公電。高見沢防政局長が代替基地建設の妥当性を示す説明を米側に求め、赤線の部分に高速輸送船やオスプレイ配備の記述がある」として、次のように記している。
 「辺野古に軍港機能付与 日本政府、09年把握」
 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231489-storytopic-3.html

 
「日米両政府が名護市辺野古に建設を計画する米軍普天間飛行場の代替基地に軍港機能が付与されると指摘されている件で、日本政府が遅くとも2009年には、新たな基地に米軍の高速輸送船が配備される計画を把握していたことが分かった。日本政府は垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの県内配備についても、米政府からの正式な通告である『接受国通報』を126月に受けるまで「未定」と説明してきたが、同じく09年段階で把握していた。」


 「ウィキリークスが公開した091015日付の在日米大使館発の公電によると、同月12日にキャンベル米国務次官補(当時)らと日本の外務、防衛両省幹部が普天間問題をめぐり会談した。公電は防衛省の高見沢将林防衛政策局長(同)が米側に対し、辺野古の新基地建設の「妥当性」を米政府が説明する際は「(在日米軍再編を合意した)06年以降の米軍の能力や戦争計画に関する変更を反映すべきだ」と勧めたと記録しており、例として『高速輸送船やMV22の配備』を挙げたとしている。
  この会談に出席していた当時防衛政務官の長島昭久衆院議員は本紙の取材に『高見沢氏の発言は記憶にない。あったとも、なかったとも言えない』と述べた上で『当時オスプレイの導入は基本路線となっていた。政府内で『早く公表すべきだ』と進言していた』と明かし、『高見沢氏の発言は当時の状況からすると特に違和感はない』と指摘した。」


国の果てしない情報隠蔽
 
これが事実とすれば、辺野古沖での代替基地建設は普天間移設に伴う沖縄の負担軽減が目的だとしてきた日本政府の説明とは裏腹に、基地の負担軽減どころか、辺野古沖での基地建設は現在の普天間にはない米海兵隊の機能の拡大強化を想定していたことになる。
 また、ウィキリークスが公開した駐日米大使館発の公電によると、前出の高見沢防衛政策局長は1996年にはすでに、オスプレイが2003年ごろに沖縄に配備予定とする文書を提出していたと記されている。
 防衛省は辺野古新基地には軍港機能はないと繰り返すが、これでは「この国の主権者は一体誰なのか。『主権在官』。沖縄の基地問題をめぐる国の果てしなき隠蔽体質にそんな言葉さえ浮かぶ」という『琉球新報』の告発に深く共鳴するほかない。


2014822_3   
鎮魂
   額づけば 戦友葬りし 日のごとく 夜明けの丘に 土の香匂ふ
   両の足 失なひし兵 病院を 探して泥道 這ひずり来る

   南原(はえばる)町の黄金森に掘られた壕の中に移設された沖縄陸軍    病院の第三外科で軍医見習士官として勤務していた長田紀春氏が詠み、遺族の宮里宏氏の揮耄で黄金森の鎮魂広場の一角に建設された犠牲者鎮魂の碑 (2014年8月22日、醍醐聰撮影)


2014820    ひめゆりの塔の前で(2014年8月20日。醍醐聰撮影)

| | コメント (2)

元NHK職員・多菊和郎さんの受信料支払い停止行動(2)~制度の深い洞察と気骨ある行動に敬服して~

201499

受信料制度の破たんではなく設計どおりの機能
 
―――受信料支払い停止の広がりが意味すること――― 
 こうして日本の放送受信料制度は一見安定したかに見えた。しかし、20047月に明るみに出たNHK職員による巨額の番組制作費使い込み事件をきっかけに、多くの視聴者が受信料の支払い拒否や保留に転じたため、危機に直面した。受信料収入は2003年度には6,478億円であったのが2004年度は6,410億円、2005年度は6,024億円まで落ち込んだ。
 政府の規制改革・民間開放推進会議の議長(宮内義彦)はこうした事態を評して、「すでに受信料制度は破綻している」と述べたが(『産経新聞』20051218日)、多菊さんはこう切り返している。

 「受信料支払い拒否や留保の挙に出た視聴者の心理と論理は、かつて存在した『放送を受信するには受信料を納めることを要するものという社会常識、社会慣習』とは遠く隔たったものとなり、『民族がつくり上げた貴重な歴史的所産』は『過去の遺物』となりつつあることが今さらながら明確に示されたということである。」(206ページ)

 「少なからぬ受信者が、かつて臨放調答申が『密着』という言葉で期待したように、NHKを″自分たちの放送局“に近いものと感じており、公共放送の理念をそれぞれに理解し受け入れていたであろうと推測できる。しかしNHK側が十分に″視聴者に顔を向けた”放送局でなかったために、視聴者の″権利”のうちの『最後の手段』を行使した。その意味では、受信料制度は破綻したのではなく、設計どおりに機能したと言えよう。」(同上ページ。下線は醍醐の追加)
 
(注)「臨放調」とは「臨時放送関係法制調査会」のこと。19649
   に受信料を「NHKの維持運営のための「特殊な負担金」と解する答
   申を提出した。

「受信料の支払い停止」は視聴者に残された最後の抗弁の手段
  この一節にある「視聴者の権利のうちの『最後の手段』の行使」という指摘は、NHK問題に取り組んできた私の体験に照らしても至言である。目下、私が共同代表の1人になっている「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は他の市民団体と連携して籾井会長、百田尚樹・長谷川三千子の両経営委員の罷免または辞任を求める署名運動を進めるとともに、独自に籾井会長の罷免または辞任を求める受信料支払い凍結運動を呼びかけている。
 その過程で、NHK執行部や会長の任免権を持つ経営委員会に署名簿、質問書を提出してきた。しかし、これらを提出する際に面会したNHK視聴者部や経営委員会事務局によると、5万を超えた署名を提出しても提出先の経営委員会で協議はおろか、提出の事実さえ報告されていない。また、経営委員会に質問書を提出するにあたっては、「委員長の会見や委員会の議事録あるいは国会での答弁で把握できないことを質問するので、誠意ある回答を要望する」と書面でわざわざ断っているにもかかわらず、「一連の動きに関する経営委員会としての考え方につきましては、国会審議における〔経営委員長の〕答弁、ならびに経営委員会終了後の委員長ブリーフィングや議事録などにより公表させていただいております」という木で鼻をくくったような回答の「使い回し」が続いている。
   また、籾井会長も、1月の会長就任会見で妄言を連発したことを国会で質されると「あれは個人としての見解」とかわす一方、個人的見解と会長としての資質を質した経営委員に対しては「私は何か間違ったことをしたでしょうか」と開き直り、6月の期末手当を返上した理由を尋ねた報道関係者には「籾井、よくやったと書いてもらっていいんじゃないか」と悦に入る有様である。
 ここまで視聴者の声を無視されたら、視聴者にはいったい、どのような意見表明や抗弁の手段が残されているだろうか? ここまで来たら、NHKの運営財源のほぼすべてを拠出している視聴者としては、双務契約としての受信規約の法理(民法第533条で定められた「同時履行の抗弁権」)を準用した受信料支払いの一時的凍結を「最後の抗弁の手段」として行使する以外にないのである。 

受信料制度を維持していくうえで必要な「補強材」

 
受信料支払い拒否や保留の広がりを「受信料制度の崩壊」とみるのではなく、「受信料制度が設計どおりに機能したもの」と捉えるところに多菊さんの深い洞察を見て取れる。それは多菊さんの論説を貫く条理の帰結であると同時に、私が多菊さんの論説に敬服するゆえんでもある。
 しかし、受信料制度はこうした成り行きに委ねて安泰というわけでは決してない。多菊さんは次のような指摘で稿を結んでいる。

 「日本の放送受信料制度は、『特殊の便法』という出自に由来する脆弱性を内包しているが、その出発点から数えれば80年余り、臨放調の答申から数えても40年余りの間、基本的な仕組みは命脈を保ってきたのであるから、逆説的な言い方をすれば″強靭な″制度であるのかも知れない。ただしその強靭さは、いくつかの補強材との組み合わせによって維持されてきたのであり、今日における不可欠の補強材は、事業体に寄せられる受信者の信頼であり、右顧左眄せず公共放送の王道を歩む真摯で勇敢な経営姿勢であろう。」(207ページ。下線は醍醐の追加)

 まことに明快かつ的確な指摘である。多くの視聴者に一読を願うと同時に、それ以上に、籾井会長以下、今のNHKの全役職員に一読してほしいと願わずにはいられない指摘である。

 ただ、私には、多くの国民がNHKに対して様々な不満を持ちながらも、受信料の支払いに応じてきた背景には、社会慣習の力だけでなく、「公平な負担のお願い」を前面に押し出すNHKの受信料徴収方針が少なからず効いているように思える。

「公平なご負担のお願い」
 
―――NHKの受信料徴収の論理の両刃性―――
 NHKは、このブログの一つ前の記事で書いたように、「受信料をお支払いいただいている方との公平を図るため」という口上で支払いを督促するのが通例になっている。こういう言い方をされると、「粛々と」受信料を支払っている人たちは、理由はどうであれ、「不払いは不払い、許せない」という心情をかき立てられる。訳ありで受信料の支払いを停止している人たちも、そういう世間の「空気」に押されて、同じようにテレビを見ながら受信料を払わないことに何かしら「負い目」を感じ、支払い停止に踏み切るのを逡巡したり、支払いを停止している事実を公言するのを憚ったりしているのではないかと思われる。
 しかし、私はこうした「公平負担論」には重大な論理のすり替えと帰結の両刃性があると考えている。このうち、論理のすり替えについては一つ前の記事で書いた。ここでは、「公平負担論」の「帰結の両刃性」について考えたい。

 「公平負担論」は、上記のとおり、視聴者の間に広がる受信料支払いのモチべーションの低下が不払いへと発展するのを食い止める「抑止力」として機能していると考えられる。多菊さんの言葉を借用していえば、戦後長く日本の受信料制度の維持装置として機能してきた「テレビを見る以上、受信料を負担するのは当たり前」という社会常識を下支えする補強材としての役割といってもよい。この補強材は「社会慣習」としての義務意識と比べ、受信料支払い拒否を思いとどまらせる「内なる抑止力」としては弱い機能しか果たさないかに見える。
 けれども、NHKから見ると、「公平負担論」は、受信料義務制とか民事督促とかいった「強硬手段」に訴えることなく(視聴者と直接、法的に向き合うことなく)、「不合理を憂えるよりも等しからざるを憂える」国民感情に働きかけ、視聴者相互の牽制に委ねて受信料の収納実績を高める効果を持つ点では使い勝手のよい受信料徴収の論理ではある。
 しかし、徴収の論理が先立つ「公平負担論」は視聴者のNHKばなれを加速させ、公共放送の「理性あるサポーター」を失うという負の側面をはらむことを直視しなければならない。なぜなら、受信料の不払いも訳ありの「停止(凍結)」も一括りにした「公平負担論」は、「お隣が払っていないのになぜ自分だけ」という国民感情をかき立て、NHKの放送番組や経営のあり方への関心(批判や不満)からではなく、損得の次元で受信料の支払いの是非を考える視聴者を増やすことにならざるを得ないからである。

無関心を喜ぶ者は無関心のつけを負わされる
 
 番組に対してうるさくものを言う視聴者よりも「粛々と」受信料を払ってくれる視聴者、あるいは少々、クレームをつけても受信料となれば「国民の義務」と自分に言い聞かせて「真面目に」支払いをしてくれる視聴者の方がNHKにはありがたいのかもしれない。しかし、<無関心を喜ぶ者は無関心のつけを負わされることも確かである。
 戦後、NHKは幾度か、政治の介入や第三者を標榜した審議機関の市場競争万能論的な規制「改革」論によって、公共放送としての存立が危ぶまれる危機に直面してきた。前者の例としては「従軍慰安婦」問題を扱ったETV特集番組に対する政権幹部の介入などが挙げられる。後者の例としては、放送事業の民間開放をうたい文句にNHKの民営化を唱えた上記の「規制改革・民間開放推進会議」の答申などが挙げられる。
 しかし、こうした公共放送の存亡の危機を食い止めたのはNHK内部の良識ある人々の抵抗とともに、文化人、研究者、ジャーナリストらと連携した視聴者・国民の理性的なサポートにも依るものだった。「公平負担論」を錦の御旗にしたNHKの受信料拒否者対策は、こうしたNHKの国民的支持基盤を掘り崩し、多くの国民を公共放送の価値に対する無関心層に追いやる結果になる。
 多菊さんが指摘した、「事業体に寄せられる受信者の信頼」と「右顧左眄せず公共放送の王道を歩む真摯で勇敢な経営姿勢」こそ、今日における受信料制度の不可欠の補強材であるという指摘は、それこそが公共放送としてのNHKの存立の条件であると同時に、受信料拒否者解消策の王道でもあることを意味している。この
ことをNHKのすべての役職員は銘記する必要がある。(完)

| | コメント (0)

元NHK職員・多菊和郎さんの受信料支払い停止行動(1)~制度の深い洞察と気骨ある行動に敬服して~

201499
 
 ある機縁で、元NHK職員の多菊和郎さんのことを知った。多菊さんはNHKに在職中、国際放送局国際企画部、NHK放送文化研究所のメディア経営研究部長などを歴任され、2005年に江戸川大学のマス・コミュニケーション学科に教授として着任された。ネットで調べると、今年の319日に多菊さんが開設されたHPが見つかった。そこには4つの文書が掲載されていた。

 「多菊和郎のホームページ」トップページ)
 
http://home.a01.itscom.net/tagiku/
1.
 籾井勝人NHK会長あて「会長職の辞任を求める書簡」(20143
  3日) 
2.
 浜田健一郎NHK経営委員長あて「NHK会長の罷免を求める書簡」
  (201433日) 
3.
 受信料支払い停止の経緯に関する報告資料(2014428日) 
4.
 参考資料(論文)「放送受信料制度の始まり―ー『特殊の便法』をめ
  ぐって」(『情報と社会』江戸川大学紀要、20093月)


 どれを読んでも深く共鳴した。多菊さんご本人から、このブログで紹介することについて了承を得たので、4つの文書を適宜、原文引用しながら、記事を書くことにした。

玄関のすぐそこに裏口があるような人物はNHK会長に不適
 
 籾井勝人NHK会長および浜田健一郎NHK経営委員長に宛てた多菊さんの「会長職の辞任・罷免を求める書簡」を読んで私が注目したのは次の一節である。
 「籾井氏が会長就任時の記者会見で『私見』を述べたことが悪かったとは私は思いません。この場(会長就任会見の場)で籾井氏が述べた『私見』によって、籾井氏がNHKの会長にふさわしい人ではないことが露呈し、経営委員会の人選の失敗が明らかになったからです。
 建物の玄関を開けるとすぐそこに裏口があるような奥行きの狭い思考をする人は報道機関・ジャーナリズムの仕事に向いていません。その玄関と裏口の間に『政治権力』という1枚のフィルターが立ててあるような考えかたの人はなおさらです。」

気骨ある受信料支払い停止行動、それを支えた受信料制度の深い洞察
 
 3つ目の「受信料支払い停止の経緯に関する報告資料」を読むと、銀行口座引き落とし解約届の「お客様控え」を添え、昨年10月に1年分、先払いした受信料のうち、未経過分の返還請求までするという、気骨のみなぎった受信料支払い停止行動であることが窺える。
 NHKに批判的な人々の間には、受信料の支払いを停止(凍結)している人が少なくないが、それを公言する人は少ない。そのような人たちと会話をしていると、受信料の支払いを停止していることに「後ろめたさ」を感じている様子が窺える。こうした人々と多菊さんの言動の違いはどこからくるのだろうか? 
 4つ目に<参考資料>として転載された多菊さんの論文「放送受信料制度の始まり」(『情報と社会』江戸川大学紀要、20093月)には、この違いの由来を知る手がかりがちりばめられているように思えた。

 本稿は、日本でラジオ放送が開始された1925(大正14)年以前まで遡り、日本放送協会が歴史的に民間放送という形態をとらず、あるいは、財源の面で、国庫を経由せず、視聴者が受信料を直接、日本放送協会に納付するという仕組みが出来上がった歴史的沿革を、『日本無線史』(1951年、電波監理委員会編)や『日本放送史』(1951年、日本放送協会編)、『日本放送史』(1965年、日本放送協会放送史編集室編)などを紐解きながら、克明に検証したものである。
 ここでその中身を詳しく紹介するゆとりはないが、私が注目したのは多菊さんが受信料制度の要素として、①法規、②解釈(論理)、③負担者心理、の3つを挙げ、「受信料を負担すべき人々が、公共放送としてのNHKの必要性とその費用負担の合理性を観念的に認めることと、実際に受信料を支払うこととの間には懸隔がある。そこには『法規』や『論理』が求めるものを現実の行動に結びつける『心理』の要素が大きく介在する」と記し、受信料を徴収する側の「建前」だけでなく、受信料を支払う側の「心理」を重視している点である(205ページ)。
 これを敷衍して、多菊さんは、受信料の性格を、NHKを維持運営するための「特殊の負担金」と表現しても、視聴者に受信料支払いの必要性を説得する力は乏しく、「見もしないチャンネルにお金を払いたくない」、「お隣が支払っていないのになぜ」という気持ちを切り替えさせるのは容易でない、という。この点を評して多菊さんは、日本放送協会の受信料制度は「それ自身では受信料徴収の正統性の主張を完結できないという『脆弱性』をはらんでいる」(205ページ)と記している。

受信料の支払いを内面から促す社会慣習の力
 
 にもかかわらず、元NHK副会長・永井多恵子さんをして、「現況の受信料支払率は7割で、この数字を向上させることに全力をあげなければならないが、『罰則なしで、この数字はすごい』というのが率直な感想だ」(「朝日新聞」2006918)と言わしめるほど、NHKが堅調な受信料徴収実績を挙げてきたのはなぜだろうか?
 これについて、多菊さんは戦中から戦後にかけて逓信行政の現場に在り、戦後は日本放送協会の幹部に転じて放送法の制定に関わった荘宏氏の著書『放送制度論のために』(1953年)の中の次の一節を紹介している。
 
 「このようにして協会は国の保護と協力の下に発展してきた。両者の関係が極めて緊密であったので、世の中には放送局(中略)を一つの役所と思う人もあったくらいである。さらに当時は協会以外には放送事業体がなかった。このような状態で四分の一世紀が経過した。その間に日本人の間には、放送を受信するには受信料を納めることを要するものという社会常識、社会慣習が成立した。民族がつくり上げた貴重な歴史的所産の一つといえる。」(原書、253ページ。下線は多菊氏の付加。)

 確かに、私の体験に照らしても、こうした「社会常識」、「社会慣習」が国民の間に広く浸透していることが受信料の支払いを内面から促す心理として視聴者に大きな作用を及ぼしていると思える。これまで、NHK問題をテーマにした各地の集会に参加し、それぞれの地で参加者や主催者の人々と話をした折、ごく一部とはいえ、そうした人々の中でも、凍結運動に強硬に反対する人と出会った。それらの人たちとやりとりをして感じたのは、受信料凍結(保留)と不払いがいわば先入観として同列視されていること、テレビを見ている以上、受信料を払うのは国民の義務だという観念が根強いということだった。まさに荘宏氏がいう、受信料の支払いを社会慣習として受け入れる国民意識そのものである。

 しかも問題は、そうした意識が受信料支払い停止(凍結)に強硬に反対する人たちだけにあるのではなく、現在のNHKの報道番組の国策放送化に抗議するため、あるいは「政府が右と言えばNHKは左とは言わない」と公言して憚らないような人物が会長に居座るかぎり、受信料を支払わない、支払う気になれない、支払うのを止めたという人の中でさえ、自分のそうした思いを公言したり行動に移すのをためらったりする人が少なくない。その根底には、自分の行動が日本社会に行き渡った上記のような「社会常識」になじまないことを気にし、「粛々と」受信料を支払っている周りの人たちから冷ややかな目でみられないかという「後ろめたさ」にとりつかれた心理が働いているように見える。それだけに、受信料の支払い義務をNHKと視聴者の契約関係でとらえるのではなく、「社会常識」として多くの国民に受容させる「社会慣習」の「事実上の規範力」を実感させられる。
(次の記事に続く)

| | コメント (0)

受信料支払い義務が放送法ではなく受信規約で定められている理由を説明できないNHK

2014827

「受信料支払いのお願い文書」が届いたので
 
 受信料支払いを凍結している視聴者の人たちから、ここ数日来、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」に、「受信料Q&A」という文書が入った支払い督促がNHKから送られてきた、どう対応したらよいか、という問い合わせが届くようになった。拙宅にも一昨日(825日)、届いた。
 開封すると、「ここが知りたい! 受信料Q&A」という説明書が入っていた。中身はNHKのホームページに掲載されているものとほぼ同じで、特段、目新しいものではなかったが、「Q3 ずっと支払わないとどうなるの?」という項を初めて読まれた方は心穏やかでないと思う。
 そこで、じかにNHKに、このQ&Aをめぐる論点を確かめようと、昨日、この文書に記載された問い合わせ先(NHKふれあいセンター 0570-077-077)に電話した。途中から代って電話口に出た責任者と名乗るN氏とやりとりを始めたが、話題が「Q2 受信料の支払いは法律で決まっているの?」に及ぶと、「私はNHKの者ではないので、その件は答えられない。NHKに直接聞いてほしい」という応答の繰り返し。
 問い合わせ先と明記されたところへ電話して、このような応対とは不可解だったが、押問答を続けても実りがないので、ではといって教えられたNHK千葉放送局営業部(043-203-0700)へかけなおした。最初に電話口に出たのはOという女性。まず、一昨日、前記のような文書が届いたこと、しかし、自分は籾井勝人氏が会長を辞めるまで、当面、向う半年間、受信料の支払いを凍結中と告げた。その上で、あらかじめ用意していた以下の3つの質問を伝えた。

私がNHKに投げた3つの質問
 
 1Q21つ目の項で、放送法(第64条第1項)により受信設備を設置した者にはNHKと受信契約を締結する義務が課されていると記され、2つ目の項で、NHK受信規約(第5条)において、放送受信契約者には放送受信料を支払う義務があると記されている。
 このように、受信契約締結義務と受信料支払い義務が分離され、受信料支払い義務が放送法でではなく、受信規約で定められている理由をNHKはどのように理解しているか?

 2.受信料は税金ではないという前提で。法で定められた納税義務は原則、無条件の国の債権、国民の債務と考えられるが、受信規約はNHKと視聴者(受信契約締結者)の間の双務契約であり、NHKの受信料請求権と視聴者の受信料支払い義務は、視聴者に対するNHKの一方通行的な、無条件の権利・義務ではないと私は考えている。NHKはこの点をどう理解しているか?
 言い換えると、受信規約とは、他の民法上の契約と同様、契約当事者であるNHKと視聴者(受信契約締結者)が双方向的に権利と義務を分かち合うものだと私は解釈しているが、NHKはどう考えているか?

 3. 私は以上のような理解のもとに、受信料の支払い義務自体を否定するか、あいまいにする不払いをするつもりはなく、条件を付けた支払い凍結(一時的な支払い留保)をしているつもりでいる。
 しかし、双務契約というなら、NHKには受信料請求権だけでなく、受信料を請求するに足る放送を視聴者に提供する義務も課されているはず。この場合の義務を定めたのが放送法(注:第1条通則、第4条放送番組の編集に関する通則)や「放送ガイドライン」などである。
 NHKは視聴者に受信料の支払いを請求するにあたって、自らに課されたこれらの義務を履行(遵守)できているかどうかを省みる必要があると思うがどうか?
 例えば、籾井氏は会長就任記者会見で、「領土問題については明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と発言したが、これは明確に放送法(注1)および「NHK放送ガイドライン」(注2)に違反している。これは公共放送の信頼の根幹をなす政治からの自主自立の立場を放棄するに等しい。
 NHKは視聴者に対して受信料の支払いを請求するにあたって、このような異常な状態を解消することが求められると私は考えているが、NHKはどう考えているか?

(注1)「国際放送の実施の要請等」に関する放送法(第65条)の定め

「総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項(邦人の生命、身体及び財産の保護に係る事項、国の重要な政策に係る事項、国の文化、伝統及び社会経済に係る重要事項その他の国の重要事項に係るものに限る。)その他必要な事項を指定して国際放送又は協会国際衛星放送を行うことを要請することができる。 2 総務大臣は、前項の要請をする場合には、協会の放送番組の編集の自由に配慮しなければならない。」
(注2)「国際報道の基本姿勢」についての「NHK放送ガイドライン」の定め

 「各国の利害が対立する問題については、一方に偏ることなく、関係国の主張や国情、背景などを公平かつ客観的に伝える。」

NHKと視聴者の関係を視聴者間の関係にすり替えるNHK
  以上3つの質問を伝えると、応対していたOさんは、「少し時間をいただいてからお答えします」とのこと。10分後にこちらから改めて電話することにしていったん切る。
 約15分後に再度、NHK千葉放送局営業課に電話。応対した職員によるとOさんは今、別の電話の応対中とのこと。そこで、先ほどの電話の用件をかいつまんで話すと、「お待ちください」。間もなくして、別のOと名乗る男性が電話口に。上の3つの質問は伝わっていたらしく、1つ目の質問に対する回答らしきことを話し始めた。

O: 私どもはお支払いをいただける視聴者の方には、公平負担という意味から受信料の支払いをお願いしているということです。」

「醍: あのう、それは私の質問とは外れていますよ。今、お話になったのは視聴者と視聴者の相対的な関係のことですが、私が尋ねたのは受信規約をめぐるNHKと視聴者の関係です。受信料支払い義務が放送法でではなく、受信規約で定められている理由をNHKはどのように理解しておられるのですか?」

受信料支払い義務が放送法ではなく受信規約で定められている理由は?
O: 受信規約も放送法の定め(注:第64条第3項)に従って、総務大臣の認可を受けています。放送法で細かなことまで書けないので受信規約で定めることにしたのだと思っています。」 

「醍: 総務大臣の認可が必要ということは、受信料支払い義務を放送法で定めたということとイコールですか? それなら、戦後3回、受信料の支払い義務を放送法に盛り込もうとした放送法改正案が国会に提出されたり(19663月、19803月)、改正の是非が国会で審議されたりした(19993月)のに、いずれも廃案になったり、法案提出にいたらなかったりしたのは、なぜだとお考えですか? 受信料の支払いを放送法改正で義務化しようという動きが幾度かあったということは上の2つがイコールではないからではないですか?」

O: そういう経緯があったことは承知しています。いずれにしても受信契約をしていただいた方には受信料をお支払いいただくことになっています。」

「醍: 私が尋ねているのは、言い方を変えると、受信料の支払い義務は無条件で一方的なものなのかということです。もしそうなら、受信料は税金と同じということになり、NHKの受信料請求は『取り立て』となりますが、そう理解されてよいのですか?」

O: 受信料は税金ではありません。」

「醍: そうですよね。視聴者の受信料支払い義務は、公共放送らしい放送を提供するというNHKの義務と相互依存的なものだと思っています。
 かつて、海老沢会長が国会で、NHKの受信料は、罰則付きのBBCの場合とは違って国民との信頼関係の上に成り立つ、世界に例のない理想的な制度だ、と発言されたのもそういう趣旨からではないですか?」

O: 信頼関係ということはそうだと思います。そのためにも公平負担の趣旨から支払いをお願いしています。」

「醍: 理由もなく支払い義務を免れようと不払いをする人に対してなら、そういう議論も成り立つと思います。しかし、『籾井会長が居座ったままでは受信料を払う気になれない』という視聴者には、そういう議論は問題のすり替えです。支払いを請求するなら、公共放送の意味を理解しない人物がNHKのトップにいるという今の異常な事態を解消する必要があるとお考えになりませんか? そうなったら、私は滞納分も含めて支払いを再開すると通知しています。」

O: ・・・・・・」

今のNHKには威嚇めいた文面で支払いを督促する資格はない
 
「醍: Q&Aの最後に、『受信契約がお済みでない方やお支払いが滞っている方への取り組み』として、<受信料制度についての理解促進活動 → 電話・訪問・文書などによるお支払いのお願い → 裁判所を通じた法的手続きの実施>という流れが書かれています。私のような者に対して、今後、NHKはどういう対応をされるつもりですか?」

O: あくまでもご理解をいただくよう、訪問、あるいは電話や文書でお願いをします。」

「醍:  必ず、訪問されるのですか?」

O 必ずというわけではありません。文書等でお願いすることもあります。」

「醍:  『ご理解いただけるよう』という言い方ですと、支払いを凍結している視聴者は受信料制度を理解していないと決めてかかっておられるように聞こえます。しかし、先ほどからのやりとりからすると、NHKこそ受信料制度の根幹に関わる問いに答え
ていません。それでも払えというなら、無条件の『取り立て』ではないですか? 今のNHKにそんなことができますか?」

O: あくまでも公平負担をご理解いただけるようにお願いしています。」

「醍: 繰り返しになりますが、私が尋ねているのは視聴者間の負担の公平ではなく、視聴者とNHKの権利と義務の相互関係です。
 QAの最後に、裁判所を通じた法的手続きの実施、と書かれていますが、これはどういうことですか? 私は受信料制度に関する自分の理解は間違っていないと確信して受信料の凍結をしていますので、このような文面を見てもどうとも思いません。しかし、こういう一文を見ますと、受信料を凍結している人を『威嚇』して支払いをせき立てる意図が透けて見えます。
 公共放送の意味が解っていない人が会長に居座っている上に、特定の政党の地方の大会に出て講演をしたり、都知事選で特定の候補者の応援演説をしたりする経営委員、あるいは、『私は安倍首相の応援団』と公言する経営委員を放置したままで、威嚇めいた文面で受信料の支払いを視聴者に迫る資格はNHKにありません。そういう異常な事態を解消してから受信料を請求するのが筋です。」

 なお、以上のやりとりでの私の発言は、かつて、私が呼びかけ人の一人になって受信料支払い停止運動を起こした時にまとめた次の拙稿をもとにしている。できれば、これもお読みいただけるとありがたい。

「受信料支払い停止運動の論理」(200610月、醍醐聰稿)
 
 http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/teisi/teisi_ronnri.PDF
 

| | コメント (0)

安倍首相の資金管理団体を虚偽記載で告発

2014819

 告発状、提出
 昨日、私を含む4名は、安倍晋三首相の資金管理団体「晋和会」が総務大臣に提出した2011年分、2012年分の政治資金収支報告書に虚偽記載があったと判断し、8名の弁護士を代理人として、晋和会の会計責任者××××氏を政治資金規正法第2513号(政治資金収支報告書の虚偽記載)で、同会代表者の安倍晋三氏を同法同条第2項(会計責任者の選任と監督に係る注意義務違反)で、それぞれ東京地方検察庁に告発した。

 告発に至った経過

 本件の発端は、安倍首相の資金管理団体「晋和会」がNHKの一職員(チーフプロデュ-サ-・小山好晴氏)から2011年、12年に受け取った寄附を、「NHK職員」という身分を隠し、「会社役員」からの寄附と偽って記載をしていた事実を『サンデー毎日』727日号が報道したことにある。
 私は、この件で同誌から取材を受け、問題の所在を知ることになった。同誌にも記載されているが、晋和会は、『サンデー毎日』から小山好晴氏の献金について取材を受けた日(本年7月10日)の翌日、小山氏および同氏の妻・小山麻那氏の職業を「会社役員」から「会社員」に変更済みと回答したという。しかし、小山好晴氏の職業は「NHK職員」または「団体役員」とするのが正しいから、「会社員」と記載することも、なお虚偽記載である。

 ところで、本件を調査していく中で、総務省のHPに掲載されている「晋和会」の2011年分、2012年分の「収支報告書」を閲覧していくと、718日付で寄附者の職業名が多数箇所にわたり、再度、訂正されていることがわかった。
 合計16箇所(2年分につき重複を除くと9名分)に及ぶ寄附者の職業名の訂正の中には、著名な作曲家を当初「会社役員」としていた例や、「会社役員」を「無職」と訂正した例、「会社役員」を「弁護士」と訂正した例などが含まれていた。こうした訂正がなされたこと自体、晋和会の政治資金収支報告書がいかにずさんなものであったかを物語っており、政治資金規正法第27条第2項が定めた重過失による虚偽記載に該当すると判断される。
 また、NHKのチーフプロデュ-サ-の職業を「会社役員」「会社員」と記載したのは寄附者の実の職業を隠蔽する意図を強く推定させるものであり、刑法第38条第1項が定める故意犯に該当する可能性が高い。

 そこで、前記4名は晋和会の会計責任者××××氏を政治資金規正法第2513号(政治資金収支報告書の虚偽記載)で、同会代表者の安倍晋三氏を同法同条第2項(会計責任者の選任と監督に係る注意義務違反)で、それぞれ東京地方検察庁に告発するに至ったのである。

「職業」も国民監視のための重要な情報
 「たかが肩書の誤記を何で」という議論がある。しかし、例えば、国政情報センター編著『政治資金規正法違反事例集』(2012年、国政情報センター刊)を調べると、「国交省関係者らから寄附を受け、職業を『会社員』と記述」したことが違反事例の一つとして取り上げられている(82~83ページ)。この事例は参議院議員A氏が代表を務める資金管理団体が2006年の政治資金収支報告書の中で、個人献金をした国交省の現役局長や外郭団体トップらの職業を「会社員」と記載していた事実を違反事例として解説したものである。
 A氏の政治資金報告書では寄附者のほとんどの職業が「会社員」と記載されていたが、その中には、上記の現役国交省局長や同省の外郭団体の理事長のほか、旧建設省OBの市長、元技監なども含まれていたという。また、寄附者の中には、国から出資、補助金を受けていた公益法人などのトップも含まれていた。
 A氏は旧建設省出身で、2007年の参院選で初当選した。個人献金をした人物の多くはA氏と親交が深かった国交省関係者と見られている。
 この事例からもわかるように、寄附者の職業は、寄附者、若しくは個人を装った団体献金者と政治団体との癒着、不明朗な政治過程を国民が監視し批判するうえで重要な情報となりうる場合があるのである。

 今回の晋和会の例でいうと、「プロジェクトX」、「プロフェッショナル」、「ファミリーヒストリー」など人気を博した番組の制作に携わったNHKチーフプロデューサーが時の政権トップの政治団体に献金をした事実は、NHKの放送の政治的公正、不偏不党、自主・自律の原則を定めた「NHK放送ガイドライン」、「職員の服務準則」に反する行為であり、NHKはそうした原則を堅持しているという視聴者の信頼を失墜する行為である。しかも、この「自主・自律の堅持」を定めた「NHK放送ガイドライン」の冒頭の節で定められた「放送の公正、不偏不党」、「信用失墜行為の禁止」、「兼職の禁止」はNHKの「全役職員」が遵守すべき規範として設けられたものである。
 また、NHKが定めた「行動指針」では「私生活でも公共放送の信用を損なう行為をしません」と謳っている。
 以上から、小山好晴氏の「晋和会」に対する献金はこれらガイドライン、服務準則、行動指針のいずれにも反する公算が大である。

 このような文脈でいうと、「晋和会」が小山好晴氏の職業を「会社役員」と偽って記載したのは小山氏の上記のようなコンプライアンス違反行為を隠蔽する故意犯に該当する可能性が高いと言わなければならない。
 さらにいうと、晋和会への寄附者の中にある小山麻那氏は小山好晴氏の妻であり、麻那氏の母は安倍晋三氏の熱烈な支援者として知られる金美齢氏である。このことからすると安倍氏、あるいは主たる事務所が安倍氏の国会事務所となっている「晋和会」の会計責任者・××××氏が小山好晴氏の実の職業を知らなかったとは考えにくい。こうした事情を勘案すると、小山好晴氏の職業を「会社役員」と虚偽の記載をした事実は故意犯に該当する可能性がいっそう強まるのである。

後で訂正しても違法性は消えない
 「すでに当事者が訂正したものを告発するのはいいがかり」という議論が見受けられる。しかし、事後の訂正は虚偽記載の罪責判断において情状酌量の要素になることはあっても、処罰の認否に影響するものではないというのが法曹界の定説であり、政治資金規正法第27条第2項後段でその旨の定めが置かれている。
 前記の政治資金規正法違反事例の解説でも、「処罰対象となるかどうかは行為を行ったときを基準に判断するため、事後に訂正しても処罰対象から逃れるというわけではない。あくまでも行為時(この場合は記載時)に故意、あるいは重過失があるかどうかが問題となる」と記されている(83ページ)。

 告発状全文は次のとおり。
 
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/shinwakai_kokuhatuzyo.pdf

| | コメント (1)

互いの老いを見つめ合ったウメとの別れ

2014729

 最期は痛ましい姿だったが
 718日、深夜の140分過ぎにウメが息を引きとった。
 前日の夜10時ごろから、いつもと違う吠え方が続くので気になり、連れ合いがあやしたり、スポイトで水分を飲ませようとしたりしたが受け付けず、日付が替わる頃、突然、嘔吐し始めた。
 最初は、これまでにも時々あった食物を戻す症状かなと思ったが、やがてドバっと、どす黒いものを吐いたことから、吐血とわかった。
 驚いて、深夜だったが、かかりつけの動物病院に電話、運よく居合わせた医師によると肺か胃からの出血ではないかとのこと。しかし、動かすこともできないので、吠え疲れて寝入るのを見守るしか、なかった。

 それから約1時間後、静まり返ったかと思った矢先、横たわったままの姿勢で突然、どっと吐血して、間もなく息を引き取った。呼吸が止まってからも、しばらく口から血があふれ、顔に当てたタオルを何度も取り替える有様だった。

 夫婦立ち合いで火葬
 思いもよらない急変に茫然としたが、ウメを寝かせた布団をエアコンの近くへ移動し、夜が明けるまで私たちもうたた寝。

 7時過ぎ、携帯メールで娘に連絡。その後、電話帳で近くの何か所かの霊園に電話したところ、わが家から近い「ペット霊園」とつながった。その主によると、この暑さなので、なるべく早く、出来れば今日のうちにも、火葬にした方がよいとのこと。
 ただ、この日は2限が某大学での非常勤の講義の日。その後、NHKへ出向いて4つの団体の共同で申し入れ書を提出するとともに、私が関わっている「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」単独で3つの文書をNHKに提出することになっていた。
 これらの用務は外せないので、連れ合いと相談の結果、この日の午後3時半ごろに、霊園から車で迎えに来てもらい、連れ合いが同乗して霊園に出向き、私はNHKでの用件を中座して最寄りの駅まで戻り、そこから車で霊園に直行、4時半ごろから火葬をしてもらうことにした。

 予定より少し早く霊園に着くと、火葬の準備は整っていた。一足先に着いていた連れ合いと一緒にウメと最後の対面、焼香をしてウメは火葬場へと向かった。

 火葬の間、控室で待機。その間2度、霊園の主が現われ、火葬の仕方を説明してくれた。話によると、この霊園では、1体ごとに骨の状況を確かめながら、なるべくお骨がきれいに残るよう、火葬の仕方を工夫しているとか。
 これまで人間の火葬に何度か立ち会ったが、そういう話を聞くのは初めてだった。そういえば、人間の火葬は1時間前後で終わるのが通例だが、ウメの場合、440分ごろから始まった火葬が終わったのは6時半ごろだった。
 まだ、様子がよくわからないまま、霊園主の案内でお骨になったウメのそばに近づくと、尾骶骨、歯、足、頭と小骨がきれいに整とんされていた。人間でもこのような形でお骨を壺に収めるのを見たことはなかった。

 仏壇で再会した姉妹犬
 霊園主に車で送ってもらって帰宅したのは7時だった。急いで仏壇を整理し、7年前にお骨で帰ってきた姉犬・チビの骨壺と並べて、焼香。好物だった牛乳のお湯割りを供えた。

 引っ越しをした隣家に居たウメを引き取った時、わが家には姉犬がいた。ウメが来てしばらくは、ちょっとしたきっかけで3度、双方が血を流す喧嘩をした。一度は止めようとした連れ合いにも歯が当たって血が出る騒ぎになった。特に、姉犬は自分が先住民と言わんばかりの態度で、容易にウメを受け入れようとしなかった。
 そのせいか、わが家に来てしばらくの間、ウメは家人が外から戻るのを見届けるや、玄関先にあった靴やサンダルをさっと咥え、これ見よがしにそれを差し出す仕草で近寄ってくるのが日課だった。あの愛らしい光景はウメと過ごした16年間で一番の思い出である。

Photo_2
  大ゲンカをした姉妹犬だったが、数年経つと写真のように、二匹並んで、しゃがんで前足を伸ばし、台所で挽きたてのコーヒー入りの牛乳を作る家人の姿を見つめるようになった。

Photo_3
 
 ウメの老いを見つめて

 7年前、姉犬がなくなってからも特に変わった様子はなかったが、2011311日の大震災の体験がウメの生活の大きな転機になった。
 あの日、夫婦そろって都内の催しものを見に出かけ、電車の中で地震に遭遇した。結局、その日は帰宅難民となり、やっとつながった公衆電話で近所の知人にウメの散歩と食事を頼んで、その日は都内泊。
 翌日、昼前に帰宅すると建物に被害はなかったが、家中、書棚などが倒れ、片づけに追われた。
 あの日、ウメは結局、家人不在の家の外で一夜を過ごしたことになる。わが家に来て初めての体験だった。そのせいか、それ以降、昼間は玄関の外で過ごしたが、夕方の散歩を終え、食事を済ませるや、居間に向かって猛突進。さっと自分の定位置となったマットに座るとしばし、そこに陣取るかのように座ったままだった。

 こうして、次第に室内犬になっていくにつれ、散歩の時も遠出を嫌がり、行動範囲が狭くなっていった。また、それからしばらくして、認知症と思える症状が現われ、声を出さなくなるとともに、家の中をよろめきながら徘徊するようになった。といっても、夜鳴きなどは全くなく、うたた寝から目を覚ました時、近くに人の気配がないのを知って鳴いて呼ぶことはよくあったが、穏やかな毎日を過ごしているように思えた。

Photo_4
 しかし、次第に足が弱り、最後の2年間は歩行や用便も自力ではできなくなって、要介護の状態になった。
 そして、年明けまもないころから、連れ合いと交代で添い寝をするようになった。起き上がろうとして、足をばたつかせるのを放っておくと、息苦しくなって消耗してしまうし、何とか立ち上がってもすぐによろめいて壁などに顔や頭をぶつける心配があったからだ。
 それでも夜中、目を覚まして覗き込むと、いつの間にか、こちらのそばに寄り添い、鼻が顔に触れていたこともあった。

 通学途中の近所の子どもから、よく、「ソックスを履いているみたい」と言われた。他人に吠えかかるでもなく、頭をなでられると前足を挙げて抱きついたウメの穏やかで愛らしい姿は、これからも私の思い出の宝物として生き続けることと思う。
  ウメ、また天国で会いたいね。

2013_0101
 

| | コメント (6)

NHK「ニュース7」は政府に不都合な話題を「さらり」とかわすのか? ~最近の番組ウオッチ経験の一コマ~

2014727

 集団的自衛権の行使容認を閣議決定で強行しようとする政府の動きが強まった今年の5月以降、NHK「ニュース7」を、録画を取りながら、ウオッチしている。すべての定時のニュース番組をウオッチするのに越したことはないが、個人の作業としては、そこまで手が回らない。それならと、NHKのニュース番組の中で最も視聴率が高い「ニュース7」に絞った次第である。

国連の人権勧告をさらりとかわした「ニュース7
 725日のNHKNEWS WEB」を検索すると、同じ話題(国連の自由権規約委員会が日本に対して人権状況の改善を求める勧告を発表したという話題)を取り上げた3つ記事が掲載されていた(カッコ内の数字は各記事がNEWS WEBに投稿された日時を示す)。

①「『知る権利の保障を』国連の委員会が日本に勧告」(725 414分)
  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140725/k10013275761000.html 
 「各国の人権状況を審査する国連の委員会は24日、日本について特定秘密保護法の適用にあたって国民の知る権利を保障することやヘイトスピーチと呼ばれる民族差別をあおる街宣活動を禁止するよう勧告しました。
 国連の自由権規約委員会は、表現の自由や男女の平等などの基本的な人権が日本で守られているかどうか審査した結果を、24日にスイスのジュネーブで発表しました。
 それによりますと、およそ20の点について日本に対する勧告が行われ、このうち年内に施行されることになっている特定秘密保護法については「国民の知る権利を保障する国際条約と適合するよう、あらゆる措置をとるべきだ」と指摘しています。
 またヘイトスピーチについては「差別や敵意、暴力につながるような人種的優越感や憎悪を助長する、宣伝行為をすべて国が禁止するべきだ」としています。
 このほか、これまでの審査と同様に、死刑の廃止を検討することや、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡り国家としての責任を認めて公式に謝罪することなども盛り込んでいます。
 委員会が発表した文書に法的な拘束力はありませんが、国連の公式文書であるだけに、今後日本政府に対して改善を求める声が内外で強まることも予想されます。」

②「官房長官 国連勧告残念 強制示す記述なし」(725 2009分)  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140725/k10013300491000.html 
 

③「NGO『国連の人権改善勧告 速やかに実行を』」(725 2113分)   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140725/k10013301181000.html 

  ヘイトスピーチといい、秘密保護法といい、死刑廃止問題といい、従軍慰安婦問題といい、日本の内政、外交上の重要問題が網羅された国連の委員会勧告である。
 しかし、その日の「NHK ニュース7」では、①は、短い時間配分のフラッシュニュースも含め、一切、報道されなかった。NHK ONLINE の「ON DIMAND」の一覧にも載っていないので、今日、「NHKふれあいセンター」(☎0570-066-066) に問い合わせて調べてもらったところ、次のとおりだった。
 
 ①は25日の「おはよう日本」で43237秒から放送されたとのこと。し
  かし、この日の(「ニュース7」だけでなく)「ニュースウオッチ9」で
  も放送されていない。
 ②はBS1のニュース番組で放送された模様(何時のニュースかは未確認と
  のこと)。
 ③は筆者自身、未調査。

 
この間の「ニュース7」のウオッチ活動をしていて気が付いたのは、
  *その日の早い時刻のニュースで放送された重要な話題でも、「ニュー
   ス7」では省かれることが少なくない。
 
 *重要なニュースが短い時間配分のフラッシュニュースで、さらりと伝
   えられることがある。
 という点である。

佐賀県へのオスプレイ配備を例にして言うと
 これを、佐賀県へのオスプレイ配備を例にして言うと次のとおりである。
  *719日、「ニュース7」では、画面上、フラッシュニュースのリスト
   に挙げながら、読み上げがパスされた。
  *720日、昼のニュースで「オスプレイの配備検討 佐賀県知事に伝え
   る」という見出しで放送したが「ニュース7」では放送されなかった。
  *722日の「ニュース7」のフラッシュニュースのコーナーで短く伝
   えられた。

 
こうした経緯を見ると、佐賀県へのオスプレイ配備問題 ~広くいえば、政府が国民に周知されることを好まないと思われる問題 ~を「ニュース7」は極力、「控え目に」扱おうとしている気配を読み取れる。

| | コメント (3)

ETV番組改ざんの二の舞にしてはならない~「クローズアップ現代」をめぐる官邸とNHKのやりとりの真相は?~

2014725

NHK
の名誉棄損というなら
 722日、NHKは『週刊新潮』424日号に掲載された、籾井会長の初出勤の日の言動などを取り上げた記事について、NHKおよび籾井会長に対する重大な名誉棄損にあたるとして同誌出版元の新潮社を相手どり、損害賠償の支払いと謝罪広告の掲載を求める訴訟を、東京地方裁判所に提起した。

 「籾井会長に関する週刊新潮の記事をめぐる訴訟の提起について」
 
 http://www9.nhk.or.jp/pr/keiei/opinion/index.html
 
  『
週刊新潮』の記事に個人の人格を貶める不適切な表現や誇張、事実の裏付けに疑義があったことは否めないが、NHKの上記告知文によると、今回の提訴はNHKと籾井会長が原告となって起こしたとある。訴因となった『週刊新潮』の記事が籾井氏の名誉にとどまらず、NHKの名誉まで棄損し、NHKの信用まで失墜させるものだったからというのがその理由のようだ。
 NHKが訴訟に参加するとなれば、訴訟費用の一部はNHKが負担することになる。さらに、損害賠償が認められれば、訴訟費用補てん後のその一部はNHKが受け取ることになる。それだけに、『週刊新潮』の記事が籾井氏の名誉にとどまらず、NHKの名誉も傷つけたとする理由を示される必要がある。

「籾井よくやったと書いて」というけれど
140万円の期末報酬返上で償われるのか?~

 
 しかし、『週刊新潮』の記事を離れて言えば、籾井氏の会長就任会見以来の一連の妄言でNHKの名誉は著しく棄損されてきた。715日の定例記者会見で籾井氏は上期の期末報酬の全額140万円を自主返上した理由を質した記者に対して、「籾井よくやったと書いてくれれば十分じゃないか」と応えたという(『毎日新聞』716日)。
 それで本当に十分か?
 金銭に換算するのは容易ではないが、会長就任会見で「政府が右というものを左と言うわけにはいかない」、「通ちゃったもの〔特定秘密保護法案のこと〕はカッカすることはない」、「戦時には従軍慰安婦はどこにでもあった」などと言い放って国民を仰天させ、NHKの自主・自律、政治的公平、不偏不党の立場に対する信頼を貶めた籾井氏の罪は140万円で引き合うとは、とても思えない。

名誉毀損というならNHKは百田氏を訴えるべき
 私は『週刊新潮』を擁護する気はないが、NHKが名誉を毀損されたというなら、その深刻さにおいて百田尚樹氏の一連の暴言は『週刊新潮』の記事の比ではない。百田氏の暴言を挙げると枚挙にいとまがないが、代表的なものを摘記しておく。

 「日本がアジア諸国を侵略したというのも南京大虐殺も嘘である。」「他の候補者は人間のクズだ。」(23日、東京都内で行った都知事候補・田母神俊雄候補の応援演説で)

 「護憲派の人たちは大ばか者に見える。・・・・侵略されて抵抗しない国と、侵略されたら目いっぱい自衛のために戦う国、どちらがより戦争抑止力があるかというリアリティの問題だ。」(53日、「21世紀の日本と憲法有識者懇談会」が都内で開いた公開憲法フォーラムで)

 「(軍隊を持たない南太平洋の島しょ国、バヌアツ、ナウルは)家に例えると、くそ貧乏長屋で、泥棒も入らない」(524日、自民党岐阜県連の定期大会で)

 いずれもNHKの監督機関のメンバーとして、その稚拙な歴史認識、下品な言辞は、いかに職務外の発言と弁明しても、聴き手には通用しない。それぞれの言動に現れた見識と人格の低劣さがNHKの名誉をはなはだしく棄損したことは明白である。
 したがって、NHKは自らの名誉が棄損されたというなら、百田尚樹氏を訴えるのが道理である。また、経営委員会の他のメンバーは経営委員会の名誉と威信をかけて百田氏の言動を厳しく質し、それでも悔い改めないなら、彼に辞職を勧告するのが道理である。

 (追伸)今朝の「朝日新聞」に次のような見出しの記事が掲載された。
 「百田氏、番組へ異議 『強制連行で苦労』キャスター発言に 放送法抵
  触の恐れ」(2014年7月25日、朝日新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140725-00000007-asahi-soci

 
 NHKの名誉というなら『FRIDAY』の指摘をなぜ放置するのか?
 
 NHKが公表した前記の「籾井会長に関する週刊新潮の記事をめぐる訴訟の提起について」によると、NHKは『週刊新潮』に対し、422日付で謝罪と訂正を求めて抗議した、と記されている。問題の記事を掲載した『週刊新潮』は424日号となっているが、発売日は417日だった。したがって、NHKは発売日から5日後に新潮社に対して問題の記事について謝罪と訂正を申し入れたことになる。
 ところで、公共放送NHKの名誉というなら、『FRIDAY725日号に掲載された記事が伝えた内容の方がはるかに重大である。記事によると、73日放送の「クローズアップ現代」(「集団的自衛権 菅官房長官に問う」)の放送終了直後に、待機していた菅氏の秘書官が、国谷キャスターの突っ込んだ質問、再質問に不快感を覚え、「いったいどうなっているんだ」と抗議したという。さらにそれから数時間後に官邸からNHK上層部に「君たちは現場のコントロールもできないのか」と抗議が届いたという。
 これに対し、NHKの上層部は平身低頭、籾井会長は菅氏に詫びを入れ、NHK上層部は番組制作部署に対し、「誰が中心になってこんな番組作りをしたのか」など「犯人捜し」まで行ったと記されている。この番組は私も視聴し、感想を番組専用サイトに送った。このことは本ブログに書いたとおりである。
 もともと、この番組は71日の閣議で集団的自衛権の行使を容認する決定がされた件について、菅義偉官房長官を招き、国谷裕子キャスターと原聖樹・政治部記者が討論を交わすというものだった。国民の過半が異論・疑問を持つ閣議決定を担った官房長官だけを出演させる番組を放送したこと自体、問題だったが、国谷キャスターは閣議で憲法解釈を変えてよいのか、集団的自衛権の行使を認めると他国の戦争に巻き込まれるのではないかという、多くの国民が抱いている疑問を代弁する形で菅氏に質したまでであり、何ら非とするべき点はなかった。

 そうした質問を受けたことに官房長官側が不快感を覚え、クレームを付けたのだとしたら、NHKは官邸の意向通りに放送をするのが当然だと言わんばかりの傲慢な態度であり、NHKの放送の自主・自律を定めた「放送法」や「放送ガイドライン」への無理解を露呈したものである。

 にもかかわらず、籾井会長以下、NHK上層部が官房長官側の不当な干渉にうろたえ、番組制作現場に締め付けをしたのが事実なら、外部からの圧力を排除し、放送の自主・自律を守る活動の先頭に立つべきNHK会長らが、あろうことか、それと正反対の行動――官邸からの圧力を番組制作現場に伝える導管の役割――を演じたことになる。
 放送の自主・自律、とりわけ、時の政権からの独立は公共放送としてのNHKの生命線であるから、『FRIDAY』が指摘したNHK上層部の対応の真偽はうやむやにされてよいはずがない。NHKが自らの名誉を確固として守るというなら、事の真相を主体的に調査し、記事に誤りなりねつ造があるなら、直ちに『FRIDAY』編集部なり出版元の講談社なりに記事の訂正と謝罪を求めるのが道理である。
 逆に、記事で指摘されたことが真実なら、籾井会長ほかNHK上層部は自ら、事実関係を公表し、引責辞任するか、罷免されるのがふさわしい大罪を犯したことになる。

NHK
の静観は何を意味するのか?
 
 ところが、菅官房長官は711日の記者会見で、『FRIDAY』の記事について「事実とまったく違う。ひどい記事だ」と発言したものの、同誌編集部なり出版元の講談社なりに抗議するかどうかは「効果があるかを含めて考えたい」と述べるにとどまった。
 NHKの対応はどうかというと、『FRIDAY』の記事では、「ご指摘のような事実はありません。NHKは放送法の公平・公正、不偏不党などの原則に基づいて放送しております」という広報局のそっけないコメントが掲載されただけである。また、715日の会長会見の際、この件を質した記者に対し、広報局は「官邸から抗議を受けた事実はない」と答えたにとどまる。
 さらに、『東京新聞』719日によると、籾井会長は、「NHKで菅氏を出迎えたことは認めているが、『収録には立ち会っていない。テレビで放送を見ていた。菅さんはお化粧を落として帰っていった』」などと述べたという。
 私自身も何度かNHK視聴者部に問い合わせたが、717日現在、同誌編集部なり出版元の講談社なりに記事の訂正も謝罪を求める抗議も行っていないとの返答だった。その後も、一昨日(723日)までのところ、NHKがこの件で同誌編集部なり出版元の講談社なりに何らかのアクションを起こしたとは伝えられていない。

 
しかし、「そのような事実はない」という広報局の応答では『FRIDAY』の記事への反証力は無に近い。『東京新聞』が伝えた籾井会長の説明は肝心の場面を飛ばした駄弁である。
 また、NHKの会長が収録現場に立ち会うなど、もともと、ありえないことだから、「収録には立ち会っていない」という説明はアリバイ説明としての意味はゼロであり、「語るに落ちる」の感さえある。

 それにしても、問題の『FRIDAY』は724日号であるが、発売日は711日であるから、すでに12日が経過している。『週刊新潮』に対して発売日の5日後に記事の訂正と謝罪の申し入れをしたことと対比すると、記事が伝えた模様を頭から否定するにしては、反応が鈍すぎる。
 NHKとしては、事実を否定して見せるだけで、事の真偽には一切、立らないという「戦術」で押し通すつもりかと思われる。
 しかし、NHKは、その意思さえあれば、指摘された点を反証することは十分に可能である。にもかかわらず、「事実無根」と繰り返すだけで、進んで反証し、新潮社に対して行ったのと同様に、記事の訂正、名誉棄損の謝罪を求めないのはなぜなのか?
 NHKの名誉という点では『週刊新潮』の記事の場合と比べ、『FRIDAY』の記事の真偽の方がはるかに重大である。にもかかわらず、NHKが『FRIDAY』の編集部に対しても出版元の講談社に対しても何らの対応も取らないとなれば、記事で指摘された点を反証する自信のなさを意味するか、指摘された点を真実と認めたかのいずれかである。

「クローズアップ現代」の制作現場も声を上げるべき
 
 もう一つ、言いたいのは、NHKの上層部にとどまらず、「クローズアップ現代」の制作現場のスタッフも事の真偽について語るべきだということである。
 報道によれば、73日の放送の折、キャスターは事前の打ち合わせと異なる質問を繰り返した、それについて官房長官側がクレームを付けたとも伝えられている。一体、どのような事前の打ち合わせがあったのか、番組ではすべて台本通りに進行させないといけないのか、番組終了後、官邸から届いたクレームを受けて、NHK上層部が番組制作部署に対し、「誰が中心になってこんな番組作りをしたのか」など詰問したという事実はなかったのか、あったとしたら、それに対して番組制作スタッフはどのように応答したのか? こうした事実の有無を公にするべきだ。

 そんなことは無理強いだと言われるかもしれない。しかし、韓国の公共放送KBSでは416日に起こった客船「セオル号」沈没事故の報道をめぐって、大統領府から報道内容に圧力があったとして同局の2つの労組は、この圧力を受け入れた吉社長の解任を求め、記者や番組制作スタッフらが29日からストライキを決行した。その際、前報道局長は大統領府からKBS社長に事故報道に干渉する圧力があったと暴露した。KBSの理事会は65日、吉社長の解任決議案を可決、その後、朴大統領もこの決議を承認した。

 
 さる621日、大阪中之島中央公会堂で開かれた集会に発言者の一人として参加した私は第2部のパネル討論の折、壇上にいた元NHKプロデュサー/ディレクターに向かって、こうした内部からの告発が「韓国のKBSではできてNHKではできないのはなぜか」と質した。
 元NHKディレクターからは、日本と韓国での民主化闘争の歴史の違いが主な要因、という応答があった。しかし、このやりとりの前に、「内部から声を上げられないのを環境のせいにしていては、いつまで経ってもNHKの体質は変わらないのではないか」と質していた私としては、納得できる回答ではなかった。

 『FRIDAY』の記事の指摘を全面否定するNHKの上層部に対して制作現場が異議を申し立てるのがいかに困難かは十分、承知している。しかし、記事の指摘が要所において真実なら、「クローズアップ現代」のスタッフは一致結束して官邸からの圧力に媚びるNHK上層部を告発し、真相を国民の前に明らかにすることが強く期待される。
 否、問題は「クローズアップ現代」の制作現場にとどまらない。NHKの様々なドキュメンタリー番組や報道番組の制作現場のスタッフは、今回の問題を我が事として、番組編集の自由と自律を守るために結束し、真相を告発するよう求められている。
 また、『FRIDAY』の記事の指摘がありもしない事実のねつ造なら、それはそれで「クローズアップ現代」のスタッフはNHK上層部に対して、記事の訂正と謝罪を『FRIDAY』編集部と講談社に求めるよう意見を提出すべきだ。
 一遍の否定でこのまま真相を闇に葬るなら、「ETV2001」特集第2夜の番組改ざん問題の二の舞になる。

| | コメント (3)

「クローズアップ現代」がおかしい

201473

特定秘密保護法を取り上げなかったNHKの体質
 籾井NHK会長が125日の会長就任会見で、特定秘密保護法の報道のあり方を問われ、「通っちゃったんで、言ってもしようがない」、「あまり、かっかかっかすることはない」と発言して、多くの人を驚かせた。この発言のもとになった質問は、

 「秘密保護法について、NHKスペシャルやクローズアップ現代で取り上げられていない。法律の是非について幅広い意見があり、問題点の追及が必要との指摘もあるが、NHKの伝え方についてどう考えるか」
 
というものだった。つまり、質問者は特定秘密保護法が「通る前」の時期も含め、NHKがこの法律(法案)の問題点を大きな時間枠を持つ主たるドキュメンタリー番組で取り上げなかったことを質したのだから、「通ってしまったものはとやかく言っても仕方がない」という返答では答えになっていない。
 もっとも、法案が審議された時期、籾井氏はNHKの外にいたから、自分にどうだと尋ねられても答えようがないと受け止めるのは無理からぬところである。しかし、法案が「
通った後」はもう報道すべき問題はないと籾井氏が考えているとしたら、特定秘密保護法に関する無知、無理解を露呈したものと言わなければならない。

 籾井氏がNHK会長に就任して以降、政府が行う特定秘密の指定や解除が適切かどうかをチェックするために国会に常設される「情報監視審査会」の権限、実効性を定める改正国会法が成立したのは、この620日。この間の国会審議は籾井氏がNHK会長に就任して以降である。ところが、NHKスペシャルやクローズアップ現代はこの改正国会法についても、取り上げたことは皆無だった。

 しかし、改正国会法で設けられた「情報監視審査会」の権限はどうかというと、法案審議の過程で野党各党が問題にしたように、政府が「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれ」があると判断したら、審査会が資料の提出を請求しても拒否できる仕組みになっている。また、特定秘密の提出を政府に求める審査会の権限は「勧告」にとどまり、強制力がない。これでは、政府による特定秘密の指定、解除の適性性をチェックできるのか、きわめて疑問とみなされるのも当然である。このような状況で、政権を監視する役割を担うNHKのトップが「通ってしまったものはとやかく言っても仕方がない」と言い放ったところに重大な問題があったのだ。

優れた番組もあったが
 もちろん、この時期に「クローズアップ現代」が放送した番組の中には、NHKの取材力、企画力を存分に発揮した貴重な番組も少なくなかった。
 例えば、416日に放送された「イラク派遣 10年の真実」
 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3485.html

は、NHKが独自に入手した、迫撃砲を撃ち込まれた時の秘蔵映像、人道復興支援活動の全貌をまとめた内部資料などを駆使して、「多国籍部隊の中に派遣され、多くの自衛官が『最も戦場に近かった』と回想する自衛隊イラク派遣で、隊員たちが直面した活動の実情を浮き彫りにするとともに、今後の自衛隊の任務を考え」た番組だった。NHKの取材力を発揮したイラク派遣の貴重な検証番組といえるものだった。

 また、521日(水)に放送された「戸籍のない子どもたち」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3500.html
は、「毎年、日本では「無戸籍」となる人が少なくとも500人以上いる。学校に一度も通ったことのない人や、無戸籍のまま30年以上生きてきた人もいることがNHKの取材で明らかになった。背景には、DVや離婚の増加がある。夫の暴力から逃げ出し、居場所を知られるのを恐れて離婚もできずに歳月が経ち、新たなパートナーとの間に子供が生まれた場合、法律上は「夫の子」と推定され、「夫の戸籍」に入る。そのため、母親が出生届けを出せず、子どもが無戸籍になってしまうのだ。実の父親の戸籍に入れるには裁判所での手続きが必要だが、前夫が関与することを恐れて、断念する人が多い。法律ができたのは明治時代。DV、離婚、そしてDNA鑑定など、家族を取り巻く環境が大きく変わる今、無戸籍の子どもをどうしたら救えるのか考える」というのが趣旨だった。

 放送後、527日、「朝日新聞」の「はがき通信」欄と「東京新聞」の「反響」欄に2つの投稿が掲載された。

 21日の『クローズアップ現代 戸籍のない子どもたち』(NHK)は、胸痛む話だった。母のDV逃れなどで離婚手続きも出来ず、母の新しい伴侶との間に生まれ、戸籍のないままに育っている子どもたち。自治体で義務教育は配慮されても、進学、免許、就職、あらゆる面で道がふさがれる。『日本は戸籍がしっかりしている』なんて空論。自治体から国会まで、こんなに大勢の議員がいるのに、こんなことに気付いていないなんて。(東京都杉並区、無職、81歳、女性、」(「朝日新聞」527日)

 「旧来の家制度に重点を置いた法律の弊害により、さまざまな事情で、戸籍が得られない子どもが年間六百人もいるとは驚きでした。これは国家による人権侵害では?集団的自衛権の前に国民の生命と幸福を見直し、一日も早く救済されることを願います。(荒川区、65歳、女性)」(「東京新聞」527日)

 
集団的自衛権についても沈黙を守る「クローズアップ現代」
 しかし、この時期、「クローズアップ現代」が沈黙を続けたのは特定秘密保護法だけではなかった。71日のニュース7で、「戦後日本の安全保障政策の大転換」と表現した集団的自衛権の行使を安倍政権が閣議決定で容認しようとした今年の前半(16月期)に「クローズアップ現代」は一度もこの問題を取り上げなかった。このこと自体、異常といってよい。

 その一方で、「なぜこのテーマを今?」と、首をかしげたくなる番組もあった。
 例えば、623日には、「四国遍路1400キロ 増える若者たち」が放送された。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3518.html
 近年、若者が目立って増えているという。中でも、厳しい大自然の中を40日以上かけて歩く歩き遍路を行う若者たち。」「最近では、若手社員に遍路を経験させることで、人材育成につなげようという動きも出てきている。こうした歩き遍路の効果を、科学的に解明しようという動きも始まった。まだ予備調査の段階だが、わずか数日の歩き遍路で、日常生活の中ではなかなか体感出来ない、理想的な心理状態に至ることが判明、今後の本格調査が期待されている。いったい、若者たちを引きつける四国遍路の不思議な力とは何なのか。1200年も人々を惹きつけてきた理由は何か、考える」と言うのが番組の眼目だった。

 「最近増えている」というが、四国遍路に出かける若者がどれほどいるのか、企業の人材育成のために社員に遍路を体験させる心理効果を公共放送が探ることにどれほどの意味があるのか、疑問が募る。

 また、政府が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした翌72日に、「クローズアップ現代」が野球女子私が球場に行く理由」と題する番組を放送したのには唖然とした。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3524.html
 番組予告によると、「サッカーW杯の熱気もさめやらぬ中、20代~30代の女性たちが夢中になっているのがプロ野球の応援。今、野球女子が急増している。番組では、いま急増している野球女子に密着。なぜ、女たちは野球に夢中になるのか、現代女性の姿を描く」となっていた。
 しかし、なぜこの日なのか? なぜ、お昼の時間帯ではいけないのか?・・・・疑問を拭えなかった。

と思っていたら、今夜、菅官房長官の単独出演で

 と訝しがっていた昨夜、NHK ONLINEで「クローズアップ現代」の専用サイトを見ると、「集団的自衛権 菅官房長官に問う」を今夜(73日)放送するという予告が目に飛び込んだ。
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/#3525

 予告文によると、「政府はこれまでの憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定。今後、法整備などが図られれば、自衛隊とアメリカ軍などの連携強化が進み、海外での自衛隊の活動は拡大していくものとみられ、戦後日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えました。なぜ今、集団的自衛権の行使容認が必要なのか。行使容認は日本に何をもたらすことになるのか。そして今後の政権運営は。政権の要、菅官房長官へのインタビューで迫ります」とある。聞き手は、NHK政治部の原聖樹記者。

 「時の政権の要である官房長官に閣議決定の趣旨、今後の政権運営の抱負を聞いてなにがおかしい」という意見があるかも知れない。
 しかし、NHKは政府広報の放送局ではない。官房長官に、「なぜ今、集団的自衛権の行使容認が必要なのか」を問えても、「過半の世論の反対があるなか、集団的自衛権の行使を憲法改正を経ず、閣議決定で容認したのは立憲主義に照らして正当化できるのか」と正面から質せるのか、そう質す気概が原記者にあるのか? 多様な意見を反映させるというなら、解釈改憲反対論者、さらには集団的自衛権の行使にそもそも異議を唱える論者をなぜ登場させないのか? 

 また、「行使容認は日本に何をもたらすことになるのか」と言う時、武装による抑止力を高めることによって国民の生命、財産を守る砦は一層強固になるという政府見解を独演させる場にならないか? 「毎日新聞」の「特集ワイド」欄の71日に掲載された、
  特集ワイド: 集団的自衛権の行使容認で「日本が失うもの」
http://mainichi.jp/shimen/news/m20140701dde012010008000c.html
(全文を閲覧するには会員登録(無料)が必要)
が鋭く指摘したような、「集団的自衛権の行使など・・・・で政府が手に入れるのは、まさにそれ、憲法9条の無力化だ。だとすれば、代わりに「日本が失うもの」とは何か」(吉井理記)を問いかけることもぜひ必要だ。
 はたして、こういう「政府が答えにくい」問いかけを原記者が投げかけるのか、じっくり番組を見ることにしたい。

実態を直視した大局観が不可欠
~視聴者は現在のNHKにどう向き合うべきか~

 NHK問題に関心を持つ人々の集まりに出かけ、上のようなスピーチをすると、必ずと言ってよいほど、「NHKの制作現場のスタッフは物がいいにくい環境に置かれている。そうした中でも優れた番組を作ろうと必死に頑張っている人々がいるし、現に優れた番組も放送されている。だから、批判ばかりでなく、激励も大事だ」という意見が必ず出る。特に、NHKの制作現場の実情に多少とも通じた人々からこういう発言があると、共感を呼び、「そうか、それなら自分も激励しよう」という感想が少なくない。

 しかし、最近、私はこうしたやりとりに懐疑的な見方をしている。NHKに、特にドキュメンタリー番組の中に、優れた番組が少なくないことは、上記のとおり、私も承知している。しかし、今、NHKとの向き合い方で問われなければならないのは、「優れた番組」と「政府広報的、国策翼賛的な番組」を両論並列的に語り、批判と激励をバランス論で相対化してよいのかということである

 この問いに対する今現在の私の考え方を一言でいうと、「現実を直視した大局観で」ということになる。NHKの番組が扱うテーマは多岐にわたり、個々のテーマを制作するスタッフはそれぞれ独立しているから、十羽一からげに良し
悪しを論じられないのは当然である。

 しかし、今、NHKの報道番組が向き合うべき死活的テーマは、国の憲法体制の根幹を揺り動かす集団的自衛権の解禁問題であり、わが国の言論の自由に甚大な影響を及ぼす特定秘密保護法の法整備をめぐる動きである。原発問題や安倍政権が新成長戦略を盛り込んだ骨太方針も国民の命と健康、働く権利の根幹を揺り動かすものだから、十分な目配りが必要なことは言うまでもない。

 このような大局的観点に立つと、NHK解説委員が担当する「時論公論」の集団的自衛権をめぐる無気力でおざなりな論説は言うに及ばず、優れた番組を数多く輩出してきた「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」(詳しくは別の場で触れる)も、集団的自衛権や特定秘密保護法を封印している現実を直視することが、総体としてのNHKの報道番組を評価するにあたって欠かせない視点である。それなしに、個々の優れた番組を取り上げ、「激励を送ろう」と呼びかけるのは、視聴者運動のすすむべき方向を誤らせる恐れさえある、と私は感じている。

 報道の実態に照らして激励を、というなら、多くの記者が戦地体験者への聞き取り、かつて国連軍の一員として武力行使に参加した国々の「その後」を追跡取材して、意欲的な記事を出稿した「朝日新聞」、「毎日新聞」、「東京新聞」、そして多くの地方紙の記者にこそ、激励の声を送りたいと私は思う

  しかし、視点を変えると「良薬は口に苦し」である。「のど越しのよい」薬がいいのか、「苦い」薬がいいのかは先験的に決まるわけではない。どちらも道理にかなっていれば、薬に違いない。どちらが適切かは、当事者の「健康状態」できまるのであって、NHK憎しや番組制作者への思い入れといった情緒で判断すべきものではない。のど越しの良い薬は相手に受け入れられやすい。しかし、それが常に効果的だといえるものではない。どのような温かいまなざしも、理性が貫かれなければ主観的意図に反した結果を助長することがある。

 NHKは「被災者に寄り添う」という標語のもと、しばしば、被災者支援の「微笑えましい話題」や行政頼みでないNPOなどが手がける自助、共助の姿にスポットを当てる。その実践は確かに貴重である。しかし、しばしば指摘されるように、「自助」「共助」を強調する、それに焦点を当てることで、「公助」が後景に追いやられがちなことに留意しなければならない。
 批判にせよ、激励にせよ、理性に裏付けられた大局観が欠かせない。この視点をおろそかにすると主観的意図とは異なる誤った方向に視聴者運動が向かってしまう、と危惧している。

| | コメント (2)

つぶやき日記(6月28日・7月1日) ~創価学会・公明党関係者との対話より~

2014年7月2日
 このところ、自宅で物書きと犬の介護に時間を費やす日々だが、先週金曜日(628日)、創価学会本部へ電話した。応対した男性と思ったより落ち着いた対話になった。  

 「学会員の方ですか?」  
 「いえ、違います。学会員でないと話せませんか?」
 「いえ、そういうことはありません。たくさんの方から意見をいただいています。朝日新聞に出た学会の見解(注:後掲)についてですか?」
 「それだけではありませんが、読みました。公明党は集団的自衛権の行使容認に同意すると伝えられていますが、今でも学会はあの見解に変わりはないのですね?」
 「ここでお答えはしません。ご意見を伺えば、本部に伝えます。」
 以下、持論を伝え、15分ほどで終り。

 【参考】集団的自衛権行使「改憲経るべきだ」 創価学会が見解(「朝日新聞DIGITAL 20145170502分)
 http://digital.asahi.com/articles/ASG5J4407G5JUTFK004.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG5J4407G5JUTFK004 

 創価学会広報部が朝日新聞に回答した集団的自衛権に関する見解は以下の通り。  

 「私どもの集団的自衛権に関する基本的な考え方は、「保持するが行使できない」 という、これまで積み上げられてきた憲法第九条についての政府見解を支持して おります。    したがって、集団的自衛権を限定的にせよ行使するという場合には、その重大性に鑑み、本来の手続きは、一内閣の閣僚だけによる決定ではなく、憲法改正手続きを経るべきであると思っております。
 
  集団的自衛権の問題に関しては、今後、国民を交えた、慎重の上にも慎重を期し た議論によって、歴史の評価に耐えうる賢明な結論を出されることを望みます。」 

 その後、公明党本部に何度も電話したがつながらず。そこで、山口党代表の国会事務所に電話すると女性が応答。曰く、

 「新聞はもう党の対応が決まったかのように書いていますが、まだこれからです。山口がテレビでも言いましたように「解釈改憲」ではなく、「解釈適正化」です。」
 「機雷除去のための掃海活動も『適正化』ですか?」
 「まだ、そこまで決まったわけではありません。」
  ・・・・・・・
 「山口代表に入閣の誘いが来ているのですか?」
 「そんなこと聞いたこと、ありません。仮に入閣しても今の自公協議とは関係ありません。」

   続いて太田昭宏・国交大臣に、閣議決定の時、どうするのか聞こうと国会事務所に何度か電話したが、つながらず。
 その後、公明党千葉本部へ電話。次の「西日本新聞」の記事の真偽を尋ねたところ、「報道したのは西日本新聞だけということからして、信ずるに足りない」という応答。

  【参考】自衛権行使「新3要件」公明が原案 自民案装い、落としどころ   
 
 (西日本新聞 20140620日) 以下、抜粋。http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/96159  

 「実はその原案は、公明党の北側一雄副代表が内閣法制局に作らせ、高村氏に渡した ものだった。解釈改憲に反対する公明党が、事実上、新3要件案の「下書き」を用 意したのだ。 ・・・・
 
  『この紙を見たのは初めてだ』。協議会後に北側氏は明言した。だが、事実は違う。
 
 政府関係者によると、その数日前に公明党執行部がひそかに集合。解釈改憲で対立す  る首相と山口氏の「落としどころ」を探るためだった。連立維持を優先させ、解釈改  憲を受け入れる政治決断の場でもあった。
 山口氏が『憲法解釈の一番のベースになっている』と尊重してきた72年見解を援用  する形で、限定容認と読み取れる原案を内閣法制局に作成させる。北側氏がそれを指示  していた。

 
原案に自公協議の焦点となる「恐れ」があったかどうかは分からない。しかし、自民党関係者は言い切る。『新3要件は自公の『合作』だ」

   
公明党が、こうした水面下のやりとりを認めることはないだろう。しかし、自公協議の議事録が存在するのかどうか、わからない。存在しても公表されることはなさそうだ。  

 週が明けて71日。再度、公明党本部に電話したが、やはりつながらなかった。そこで、公明党千葉県本部へ2度目の電話。

 「もう閣議決定したのですか?」
 「いえ、まだ、聞いていません。」
 「先日、行われた党の地方代表者の会合で、千葉県本部はどのような意見を表明したのですか?」
 「ちっと、待ってください。確かめてきます。」  
 ・・・・・・・
 「三役に一任しました。」
 「三役とは党中央の三役ですか?」
 「そうです。」  
 「千葉県本部として、なぜ意見表明をしなかったのですか?」
 「大事な時に党として結束することが大切だということです。」
 「党の結束は目的ではなく、公明党が党の政策や理念を実現するためでは? 公明党は与党協議の当初、15の事例をひとつずつ、じっくり協議すると言っていました。まだ、どれについても合意がないのに閣議決定に同意するのですか?
 新聞報道(注:「朝日新聞」618日)では公明党の幹部は『15の事例は小道具。一つ一つの事例について吟味し出したら自民党との違いが出てしまう』と語ったと書かれていますが、そういうことだったのですか?」
 「新聞がそう書いているだけです。」
 「山口代表は『公明党は<下駄の雪>ではなく<下駄の鼻緒>だ、鼻緒が切れたら歩けなくなる、と話されたそうですが、今回、閣議決定に同意したら、鼻緒は切れますか?』 
 「これからを見ていてください。」
 「『これまで』と離れて、『これから』はないのでは?」

 「朝日新聞」、「毎日新聞」などは公明党内の意見の動向を取材し、何度か、大きく報道した。そのうち、「東京新聞」627日の記事の中で紹介された意見が印象に残っている。
 後になって『苦渋の選択だった』という言い訳は聞かされたくない。」

| | コメント (0)

«(再録)ためにする強制の「広狭」論 ~「従軍慰安婦」問題をめぐる安倍首相の理性に耐えない言辞 ~