誤った12.29談話とのつじつま合わせに陥っている日本共産党への4つの質問~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(8)~

2016128
 
安倍首相の「おわび」と「反省」はそれでも「成果」?
 
 来日中の韓国の元「従軍慰安婦」が昨日、日本共産党の2人の国会議員と懇談した。その模様が今朝の『しんぶん赤旗』の1面の記事で伝えられている。

笠井・紙議員「慰安婦」被害者と懇談
安倍首相は合意基づき具体的事実認め謝罪を
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-01-28/2016012803_02_1.html

 その中で笠井亮衆議院議員が次のように発言したことが紹介されている。
 「笠井議員は、被害者や支援者らの粘り強いたたかいが今回の合意で安倍政権に『おわび』と『反省』を言わせたと敬意を表し、『当事者抜きの解決ではなく、これからが大事だ』と強調しました。合意後も、自民党議員による暴言を放置する政府や、まだ合意が履行もされていないのに『終止符を打った』などとする安倍首相の言動を批判。『今回の合意に基づき加害と被害の事実を具体的に認め、それを反省し謝罪することが重要だ。安倍政権をこの立場に立たせるよう、一層努力していきたい』と語りました。」

  「被害者や支援者らの粘り強いたたかいが今回の合意で安倍政権に『おわび』と『反省』を言わせた」

 こういう発言を読むと、笠井氏なり日本共産党なりは、今でも安倍首相が「お詫び」と「反省」を表明したこと(させたこと)を成果と認識していると受け取れる。

 私も、さまざまなバッシングを受けながらも、自らの人間としての尊厳をかけて、日本政府に公式の謝罪と法的賠償を求めるたたかいを20年以上にわたって続けてきた元「慰安婦」と内外の支援団体の労苦に敬意を表することに何ら異論はない。
 しかし、その粘り強い運動に敬意を表することと、今回の日韓合意にあたって、安倍首相が表明した「おわび」と「反省」をどう評価するかはまったく別問題である
 笠井氏の発言を見ると、同氏あるいは日本共産党は、慰安所設置に「軍が関与」したこと、その上で日本政府として謝罪したことを問題の全面的解決に向けた「前進」と評価した昨年1229日の志位委員長の談話を維持し、見直す意思がまったくないことを示している。
 もっとも、笠井発言の後段では、今回の合意が当事者抜きで交わされたこと、合意のあとも自民党議員から出た妄言を政府は放置していること、今回の合意にもとづき、加害と被害の事実を具体的に認め、それを反省し謝罪することが重要、としている。
 しかし、これと前段の発言を通して読むと、全体として意味不明の発言となる。

日本共産党への4つの質問
 
 ①「今回の合意にもとづき、加害と被害の事実を具体的に認め、それを反省し謝罪することが重要」という発言を裏返すと、笠井氏も安倍首相の「お詫び」は加害と被害の事実を具体的に認めないままの謝罪だったと判断しているに等しい。的確な歴史認識に依拠しない「お詫び」がなぜ「前進」なのか、なぜ、たたかいの成果といえるのか?
 このシリーズの(5)(6)(7)で詳しく検討したように、安倍首相の「お詫び」は前進どころか、河野談話からも歴代の首相やアジア女性財団理事長の「お詫び」からも大幅に後退したものである。 ちなみに、韓国の『中央日報』が行った世論調査(15日、同紙掲載)によると、「安倍首相の謝罪に誠意はあるか」という問いに対して、「あまりない」が39.6%、「全くない」が37.0%で、両者を合わせると76.6%が 「誠意はない」と答えている。日本共産党はこの事実をどう見ているのか?

 ②合意後の自民党議員の妄言というが、安倍首相が118日の参議院予算委員会で示した「慰安婦」集めに強制はなかった(強制を裏付ける資料は見つかっていない)という発言を笠井氏あるいは日本共産党は「妄言」と考えていないのか? この発言について韓国内では合意に違反するという反発が広がっていることを笠井氏は知らないのか?

 ③安倍首相や自民党議員の間から、10億円の資金拠出は日本大使館前の「少女の像」の移転とセットだとみなす解釈や意見が公然と出ているが、これについて日本共産党はどう考えているのか? 被害国の市民の発意で建立された「少女の像」の移転を加害国が要求することを日本共産党はどう考えているのか? 政府間の「合意」で移設したりできると考えているのか?
 ちなみに、韓国の世論調査会社リアルメーターが1230日に発表した少女像の移転に関する世論調査(1229日に成人535人を対象に実施)によると、回答者の66.3%が移転に「反対」と回答、「賛成」は19.3%にとどまった。

 ④笠井氏は昨年末の日韓合意で終止符を打ったとする安倍首相の発言を批判し、「今回の合意にもとづき加害と被害の事実を具体的に認め、それを反省し謝罪することが重要だ。安倍政権をこの立場に立たせるよう、一層努力していきたい」と発言しているが、そんな悠長なことを言っていてよいのか?
 安倍政権は昨年末の合意で「慰安婦」問題は不可逆的に決着したと繰り返している。安倍首相は合意に向けて外交交渉が行われている間は封印していた「慰安婦」問題に関する持論を合意後、早くも開封し、「強制性はなかった」という自らの歴史認識を国会の場で公言した。

 今回の日韓合意で終止符ではないと日本共産党がいうなら、「不可逆的解決」が既成事実化しないよう、直ちに国会で日韓「合意」のまやかしを質すべきところ、昨日(127日)、衆議院で代表質問に立った志位委員長は安保法制の廃止、立憲主義の回復、アベノミックスの3年間の検証、貧困と格差の問題の解決、緊急事態条項の危険性などについて安倍首相に質問したが、日韓合意、慰安婦問題については一言も言及しなかった
 「不可逆的解決」が既成事実化しつつある中で開かれた今国会で、このような代表質問では、懇談した元「慰安婦」に対して2人の国会議員が「一層努力したい」、「問題解決に向けて力を尽くす」と語った約束はどこへいったのか?

12
29日の志位談話を撤回することが不可欠
 志位氏が代表質問で取り上げた課題は確かに、どれも目下の日本にとって喫緊の問題である。しかし、残虐な人権、個人の尊厳の蹂躙を意味する「慰安婦」問題をいろいろな国内問題と秤にかけてよいのか? 安倍首相の理性、政治家としても品性の崩壊を雄弁に表す彼の歴史認識を質すことは「安倍政治を許さない」運動の一翼とするのにふさわしい問題のはずである。

 日本共産党が今回の日韓合意後も、正しい見地に立って「慰安婦問題」の解決に貢献する運動に取り組むには、合意を「前進」と評価した1229日の志位談話を撤回することが不可欠である。あの談話の誤りに頬かむりしたまま、合意後に示された韓国の世論、元「慰安婦」の意思とつじつまを合わせようとするから、我田引水の強弁に陥るのである。

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強制否認の持論を政略的に開閉する安倍首相(下)~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(7)~

2016126

安倍首相の強制否認論は理性崩壊の証し
 安倍首相が強制の広狭論を語ったり、歴史教科書に介入までして「慰安婦」問題を封印しようとする根底には何があるのかを考えていくと、自国の加害の歴史を引きずり、被害国に謝罪を続けるのを「国恥」とみなす自虐史観に行きつく。

 例えば、「朝日新聞」が一昨年856日の紙面で、「韓国済州島で若い朝鮮人を狩り出した」などと述べた吉田清治氏の発言を従軍慰安婦の強制連行を裏付ける証拠として用いた同紙の1982年以降の計16回の記事すべてを誤りとして取り消したことに関して質問を受けた安倍首相は、「慰安婦」問題に関する持論を全開させ、「現在でも、紛争下において女性の人権が侵害される、これに対して、日本は積極的に、そうした状況において女性の人権が侵害されることのないように貢献していく」と断った上で、次のように答弁している。

 「慰安婦問題については、この誤報によって多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、ただいま委員が指摘をされたように、日本のイメージは大きく傷ついたわけであります。日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実であります。この誤報によってそういう状況がつくり出された、生み出されたのも事実である、このように言えますし、かつては、こうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました。」
 「しかし、今回、これが誤報であったということが明らかになったわけでございます。政府としては、客観的な事実に基づく正しい歴史認識が形成され、日本の取り組みに対して国際社会から正当な評価を受けることを求めていく考えでありますし、そのため、これまで以上に戦略的な対外発信を強化していかなければならないと思っております。」
2014103日、衆議院予算委員会) 

 さらに、同じ日に開かれた衆議院の予算委員会では、次のように答弁し、自ら教科書検定に介入して「成果」を挙げたことと誇らしげに語っている。

 「基本的には、事実は強いわけでありまして、吉田清治証言が、これはでたらめであるということがかなり早い段階からわかっていたわけであります。だからこそ、きょうは中川昭一さんの命日でもありますが、中川昭一さんを中心に、それが教科書に、事実であるかのごとくの前提に強制連行を書かれるのはおかしいという運動を展開してきました。
 しかし、なかなかそれは成果を生むことができなかったのでありますが、随分時間はかかったのでありますが、しかし、だんだん強制連行の記述はなくなっていったわけであります。」(2014103日、衆議院予算委員会)

 しかし、「事実は強い」という言葉はそっくり安倍首相に返上しなければならない。安倍首相は折に触れて河野談話の見直しに言及したが、談話の取りまとめ責任者を務めた石原信雄氏(当時の内閣官房副長官)は、2014911日に放送された「報道ステーション」に出演し、吉田証言が河野談話に及ぼした影響を尋ねられた際、「「吉田証言をベースにして韓国側と議論したということはありません」、「私は繰り返し申しますけれども、河野談話の作成の過程で吉田証言を直接根拠にして強制性を認定したものではないということなんです」と語っている。また、この石原発言の後、番組では政府の慰安婦担当者の次のような証言が字幕入りで放映された。
 「私は吉田さんに実際会いました。しかし、信憑性がなく、とても話にならないとまったく相手にしないことにしました。」

 実際、河野談話のどこにも吉田証言を引用なり参照なりした箇所はない。また、この連載記事の(中)で紹介した、小林久公氏の資料リスト(「慰安婦」の強制性、違法性を裏づける公的資料)には吉田証言は含まれていない。
 つまり、「慰安婦」強制徴集の事実は、吉田証言の信憑性によっていささかも動じないのである。この点を知らないはずがない安倍首相が、「朝日新聞」が吉田証言に依拠した記事を撤回したことに小躍りして、まがいものの持論を全開させる理性の崩壊現象は見るに堪えない。
 その上、「慰安婦」徴集の場面にひたすら焦点を当て、徴集された『慰安婦」が事実上、拘禁状態の「慰安所」で、連日、多くの兵士相手に性交渉を強要された実態を直視せず、言及もしようともしない安倍首相の一片の「お詫び」が、元「慰安婦」に通じると考える方が不見識である。

 このように、愚かな自虐史観に冒されて理性崩壊に陥っている安倍首相に対し、前記の報道ステーションの番組に登場した元外務省条約局長・東郷和彦氏の発言を献上し、自分の持論が国際的理性ではどう受け止められるかを伝えておきたい。
 東郷氏は、20075月にカリフォルニア大学のサンタバーバラ大学で開かれたシンポジウムにスピーカーの一人として出席して日本の議論を丁寧に説明したが、参加者から次のように反問されたと語っている。

 「狭い意味での強制性、それがあるかないかということにこだわっている日本が本当に世界と落差があって世界の世論とかけ離れているところにいることをあなたは理解していないんじゃないか。私たちは今、自分の娘が慰安所に送られていたら、どう思うかというふうにこの問題を見るんですよと。強制連行があったかなかったかということは問題の本質ではまったくなくなっている。」

愚かなのはどちらか
 
 「小躍りして」というなら、この人の言説にも触れる必要がある。天木直人氏は自身のブログで、安倍首相が「軍の関与」を認め、日本国の首相として心からおわびと反省の気持ちを表明した点を挙げ、「これは安倍首相とその子分たちが繰り返してきた従来の主張の全面的撤回であり豹変だ」、「これまでの方針の全面否定であり、完全な転換である。これで韓国側が評価しないはずがない」、「これで元慰安婦が反発するようでは、批判は元慰安婦に向かうだろう」と日韓合意にこぎつけた安倍首相の「決断」を絶賛した。

 しかし、天木氏の予想〈期待?〉とは裏腹に、元「慰安婦」の多くは「合意」の受け入れを拒否し、10億円は受けとらないと宣言した。韓国の世論も天木氏の予想に反し、54%が合意を評価しないと答え、58%が交渉のやり直しを求めた。
 日本の野党も、安倍首相が「軍の関与」を認め、「心からのおわび」を表明したことを「問題解決に向けての前進」と評価したが、韓国の世論はこうした評価も一蹴した。
 では、元「慰安婦」や韓国の世論が安倍首相の「誠意」に応じないほど頑ななのか? そうではない。この3回の記事で見てきた安倍首相の持論、そしてそれを政略的に開閉する狡猾な言動に照らせば、そっけない「お詫び」が被害国に通じると考える方が浅慮である。
 まして、そっけない「お詫び」と趣旨も明かさない10億円の拠出で取り引きするかのように、歴史の事実の封印を要求したり、被害国の市民の意思で建立された「少女の像」を加害国が撤去を求めたりする傲慢な態度が反感を買うのは当たり前である。

 さらに視野を広げて言えば、「慰安婦」徴集の場面にひたすら焦点を当て、事実上、拘禁状態の「慰安所」で、連日、多くの兵士相手に性交渉を強要された「慰安婦」の実態を直視せず、その事実に言及しようともしない安倍首相の一片の「お詫び」が元「慰安婦」に通じると考える方が不見識である。

 他虐を自虐と言いくるめる極右派ならともかく、リベラルを自認する論者や個人の尊厳を掲げる野党が、これほどまでに「他者のまなざし」に無頓着な姿もまた、理性の「崩壊」とは言わないまでも、理性の「劣化」を意味することは間違いない。そのように劣化した理性が安倍外交に野党まで飲み込まれるという惨めな結果をもたらしているのである。 

国家責任を追及しない民衆の不作為は国家との共犯関係に通じる
 「国家責任と民衆責任」と出した徐京植氏と山田昭次氏との対話の中に次のようなやりとりがある。

   ところで、たとえば関東大震災の朝鮮人虐殺に関する先生の研究などについて、同じ研究者の間から、日本民衆に対して厳し過ぎるという批判もあったと聞き及びますが?
 山田 そうですね。はっきりとはおっしゃいませんが、国家とか、軍隊の責任は追及するけれども、あまり民衆責任については言わない方が多いようですね。
 ・・・だって、民衆責任の問題で一番大きいのは、民衆が国家責任について沈黙していることなんですよ。・・・・
   企業だけでなく日本の民衆の大多数も近現代史を通じて国家との共犯関係を保ち続けているともいえますが、こうした共犯関係をきっぱり拒絶したのが金子文子だと考えていいでしょうか?
 山田 そうです。国家はそういう人間を、歴史から抹殺してしまうわけです。なかなか国家との共犯関係をビシッと切れる日本人は少ないんですよ。」
 (徐京植『新しい普遍性へ――徐京植対話集』1999年、影書房、207208ページ)

 愚かな自虐史観に冒された持論を政略的に操作して、「慰安婦」問題を「不可逆的に」決着させるという安倍首相の外交戦略に易々と飲み込まれたリベラル左派の論者や野党の姿は、ふがいないで済む問題ではなく、加害国の国家責任を免罪する不作為を意味し、国家との共犯関係に通じる危うさをはらんでいるのである。

   派は知らず流儀は無ければ我が歌は圧しつけられし胸の焔よ
   燃え出づる心をこそは愛で給へ歌的価値を探し給ふな
   真白なる朝鮮服を身に着けて醜き心をみつむる淋しさ
    (金子文子『獄中歌集』より)




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強制否認の持論を政略的に開閉する安倍首相(中)~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(6)~

2016126

強制否認論は実証的に破綻している
 私から言えば、河野談話は「慰安婦」集めの段階でも一部に強制といえるものがあったと記しているが、実態に照らせば、極めて控えめな認定である。甘言・強圧に加え、安倍首相が言う狭義の強制連行(官憲による物理的拘束を含めた徴集)、それらに日本政府が深く加担もしくは主導していた事実を裏付けるおびただしい資料が明らかにされている。ここでそれらを逐一紹介するのは不可能なので、該当資料をリストアップした小林久氏作成の資料を紹介しておく。

 小林久公「公文書で明らかにする日本軍『慰安所』制度の違法性」
 
http://www.news-pj.net/siryou/ianfu/pdf/20131017.pdf

 
この中で小林氏は、「慰安所」制度が、軍と政府による組織的、体系的なものであったことを示す文書として9点を挙げている。そのうち、「支那渡航婦女の取扱に関する件」(1938〔昭和13〕年223日、第5号警保局長通達、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」1938〔昭和13〕年34日、陸軍省通達、「慰安婦規則」の3点は河野談話発表前に政府が収集していた文書である。また、それ以外も内務大臣決裁書、閣議決定文書(1940〔昭和15〕年57日)、警察庁関係公表資料や外交史料館、防衛省関係資料に含まれるものである。
 このうち、小林氏が⑨⑩として挙げた「支那渡航婦女の取扱に関する件」(1938〔昭和13〕年223日、第5号警保局長通達、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」1938〔昭和13〕年34日とは、南支那方面の日本軍からの要請を受けて、醜業(慰安)婦とする女性400名を極秘に、しかし「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取り運び之を選定する」よう、国内5府県の知事に命じた内務省警保局長の通牒である。
 安倍首相が、このような河野談話公表の時点ですでに政府が把握していた資料さえ伏せて、強制連行を裏付ける資料は見当たらなかったというのは偽りの答弁である。

 さらに小林氏は、「慰安所」制度が強制によって行われたことを裏付ける資料として、⑯東京裁判に提出された証拠と起訴状、判決文(国立公文書館、国立国会図書館所蔵)⑰バタビアの慰安所事件裁判の起訴状と判決文(国立公文書館、BC級〔オランダ裁判関係〕バタビア裁判・第5号、第69号、第106号)を挙げている。
 このうち、⑯について言うと、1999年に法務省から国立公文書館に移管された東京裁判関係文書の中には当時の日本軍や官憲が被害女性を慰安婦として強制的に連行したことを証する日本陸軍中尉の宣誓陳述書や被害女性の証言記録が数多く残されている。例えば、書証番号353には中国桂林での事案として「工場ノ設立ヲ宣伝シ四方ヨリ女工ヲ招致シ、麗澤門外ニ連レテ行キ強迫シテ妓女トシテ獣ノ如キ軍隊ノ淫楽ニ供シタ」との記載がある。

 また、(財)女性基金がまとめた『「慰安婦」問題調査報告書』(1999年)に収録された倉沢愛子「インドネシアにおける慰安婦調査報告」によると、日本軍の特定の部隊が女性を集めて利用した私設の慰安所の場合は、「村から町に働きに出ている女性が帰り道を襲わるというようなケース、あるいは、両親が仕事で出掛けていて1人で留守番をしている間にさらわれるというようなケース」など、軍人が直接手を出して連行したというケースが多かったようだと記している。

 では、朝鮮半島ではどうだったか? 同じく女性基金が収集した韓国の元慰安婦から聞き取った証言によると、ある女性は「7歳になった1938年秋のある日・・・・突然、日本の官憲が家に来て刀で脅かしトラックに乗るよう強制。・・・・父が止めたが聞き入れられずトラックの荷台に放り込まれ、栄山浦(ヨンサンポ)への道すがらあちこちで娘狩りをし、40人にもなった。」天津駅前につくと1,000人以上の若い女性が集められ、15人ずつに分けられてトラックで3里ほど運ばれた前線部隊ではむしろで仕切られた部屋で兵隊の相手を強制された。最初は逃げようとしたが、各部屋から殴打される悲鳴が響く地獄のような状況で2名が首つり自殺をしたことを後で知ったという。(以上、『アジア女性基金ニュース』No.26, 200510月、9ページ)

 また、小林氏が挙げた⑰は小林氏が事務局長を務める「強制動員真相究明ネットワーク」の公開請求を受け、201310月に国立公文書館が開示したものである。

http://livedoor.blogimg.jp/woodgate1313-sakaiappeal/imgs/5/c/5cc3c82c.jpg
(「神奈川新聞」2013107日)

 こうした数々の資料に照らせば、安倍首相が言う狭義の強制も含め、強制的な「慰安婦」徴集がアジアの各地で行われたことは動かしがたい事実であり、なんとしても強制徴集の事実を否定しようとする安倍首相の執念は証拠によって破綻している。

強制広狭論は法的にも破綻している
 と同時に、ここで指摘しておく必要があるのは、「広義の強制募集」―――甘言、目的を偽った誘引などで慰安所に連れて行かれ、性行為を強要されたケースは、家に上がり込んだ官憲に人さらいのように連れていかれた「狭義の強制募集」よりも罪としては軽いかのように言い募る安倍首相の発言が法的にも破綻しているという点である。
 すでに、幾人かの専門家が指摘しているように、当時の刑法でも第33章の「略取及び誘拐の罪」の第226条の「国外移送目的略奪罪」「国外移送目的誘拐罪」「国外移送目的人身売買罪」「国外移送罪」が定められ、帝国外に移送する目的で人を略取または誘拐した者等には2年以上の有期懲役に処すとされている。
 現に、193735日の大審院判決は、1932年に海軍慰安所で働かせる目的を「女給」とか「女中」と偽って徴集し、上海に連れて行った事件で、業者他関係者10名を就労詐欺、誘拐と認定し、有罪(国外移送罪)とする判決を下している。
(この事件については、林博史・俵義文・渡辺美奈『「村山・河野談話」見直しの錯誤 歴史認識と「慰安婦」をめぐって』かもがわ出版、2013年、で解説がされている。)
 こうしてみると、安倍首相が固執する「強制の広狭論」は法的にも明白に破綻しているのである。

記憶の継承ではなく封印に執着する安倍首相
 歴代首相等の「お詫び」と対比して、今回の安倍首相の「お詫び」に欠落しているのは、歴史教育等を通じて「慰安婦」問題を将来の世代に伝える記憶の継承責任である。
 例えば、河野談話では、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」として、忌まわしい史実を歴史の教訓として将来世代へ伝承していく決意を表明した。

 「女性基金」設立にあたって歴代の首相が連名で元「慰安婦」宛に送った手紙でも、「我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」と後世への継承責任を謳っていた。

 さらに、橋本龍太郎首相は1997312日の参議院予算委員会における答弁の中で、「私は慰安婦問題というものが女性の名誉と尊厳を傷つけるこの上ないものであるということについてはどなたも認識は同じだと思います。その上で、私なりに申し上げさせていただきますならば、私どもは歴史の重みというものは常に背負っていかなければなりません。そして、その中でまた次の世代に伝えていくべき責任というものもあると思います」と、次世代への伝承責任を語った。
 さらに橋本首相は1996623日、サッカーワールドアップで韓国を訪問した折に行った金泳三大統領との共同記者会見の中で、1965年の日韓条約の署名が行われた後に日本の学生たちを連れて韓国を訪ね、野党議員や学生たちと対話した時の回顧談として、「我々が教育の中で学ばなかった長い両国の歴史の不幸な部分を現実に触れる、そして教えられる機会を持ちました。例えば創氏改名といったこと。我々が全く学校の教育の中では知ることのなかったことでありましたし、そうしたことがいかに多くのお国の方々の心を傷つけたかは想像に余りあるものがあります。私は総理に就任して以来、繰り返して、過去の重みからも、未来への責任からも、我々は逃げることは出来ないということを繰り返し申し述べてきました」と発言している。

 これらの発言がその後の各氏の政治活動にどう反映されたかは別途、議論があるにせよ、安倍首相の「お詫び」にはこうした歴史の継承責任に言及した発言は一切ない。それどころか、70年談話でも記されたように、将来の世代にこれ以上、謝罪を繰り返えさせない、被害国への謝罪を自分の手で打ち止めにすることを政治家としての使命感とすらしているのである。
 現に、2016年度から中学校で使われる教科書の検定結果では「慰安婦」問題を記述したのは、現場の教員などが中心となって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した「学び舎」の申請本だけになった。それもいったんは不合格となったところを不本意ながらも「訂正」の末の合格だった。その際、新たに「日本軍や官憲による強制連行を直接指示する資料は発見されていない」という記述が追加された上の合格だった。
 また、高校の公民科用に数研出版が申請した3点の教科書から、「従軍慰安婦」という言葉が削除されることになった。例えば、原本では、「強制連行された人々や『従軍慰安婦』らによる訴訟が続いている」という記述は、「国や企業に対して謝罪の要求や補償を求める訴訟が起こされた」と改めた上で合格となった。
 
 こうした記述の変更が起こった背景には2014117日付けでなされた「高等学校教科用検定基準」の改正がある。具体的には、地理歴史科の中に、
 「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」
という規定が加わったのである。
 こうなると教科書執筆者は、「従軍慰安婦」について、時の閣議や国会での政府答弁で、「日本軍や官憲が慰安婦を強制連行するよう直接指示した資料は発見されていない」という見解を示したら、その枠内でしか記述できないことになってしまうか、検定不合格を恐れて「慰安婦問題」は封印するという自粛が蔓延してしまうのである。
 このような安倍政権下での教科書検定方針は国定教科書への逆行を意味すると同時に、未来の世代に歴史の教訓を継承すると語った歴代自民党政権の言明にも逆行する、被害国への道義的背信行為と言わなければならない。

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強制否認の持論を政略的に開閉する安倍首相(上)~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(5)~

2016126

 安倍首相の「お詫び」のどこが「前進」?
 昨年1228日の日韓外相会談において示された安倍首相の「従軍慰安婦」問題に関する「お詫び」を日本国内では前進と評価する論調が大勢である。朴槿恵大統領も今月13日、「慰安婦問題」をめぐる日韓合意について「最大限の誠意を持ち、最上のものを引き出した結果」と成果を強調した(201601131523分、中央日報日本語版)。

 しかし、そう評価できるかどうかを日本の歴代の政権あるいは首相(経験者)等が公表した見解や書簡と照らし合わせて検証する必要がある。
 幸い、弁護士の金原徹雄さんが、昨年1229日にご自身のブログに掲載された、「慰安婦」問題についての日韓外相記者発表を読んで歴代総理大臣の「お詫びの手紙」を思い出す」というタイトルの記事で「慰安婦問題」に関する日本の歴代の首相の「お詫び」の文章を紹介しておられるので、それも参照した。
 (弁護士・金原徹雄のブログ、20151229日)
 
http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/46423096.html 

以下、対照する文書は次のとおり。

*慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話199384日)
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html 

*アジア女性基金の設立にあたっての歴代内閣総理大臣と財団理事長のお詫びの手紙
 
http://www.awf.or.jp/2/foundation-03.html

*橋本龍太郎首相の国会答弁(1997312日、参議院予算委員会

*橋本総理大臣・金泳三大統領共同記者会見での橋本首相の発言(1996623日)

*日韓外相会談後の岸田外務大臣による発表(20151228日)
 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001667.html

日韓首脳電話会談における安倍首相の発言20151228日)
 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001668.html

強制否認の持論を政略的に開閉する安倍首相
 
 わが国では、日韓「合意」にあたっての安倍首相の「お詫び」の中に「軍の関与」という文言が入ったこと、政府としての「お詫び」が表明されたことを指して「前進」と評価する向きが多い。
 しかし、「軍の関与」、「政府として」というフレーズは河野談話でもアジア女性基金の設立にあたっての歴代内閣総理大臣と財団理事長のお詫びの手紙でも明記された文言であり、何も目新しいことではない。今回の安倍首相の「お詫び」がこれまでと変わったのは、河野談話や女性基金理事長の手紙の中で弱いながらも言及された「強制性」を意味するフレーズが見当たらないことである。

 河野談話では「旧日本軍の直接あるいは間接の関与」に言及した後、慰安婦の募集にあたって「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあ」ったこと、「官憲等が直接これに加担したこともあったこと」を認定するとともに、徴集の段階にとどまらず、慰安所の実態も「強制的な状況の下での痛ましいものであった」と指摘していた。
 また、女性基金理事長の手紙でも、「慰安婦」集めにおいて「直接強制的な手段が用いられることもありました」と明確に強制性を認定していた。

 しかし、今回の安倍首相の「お詫び」は「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」、「慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する」というこれまでの表現を踏襲するにとどまり、「強制性」については一切、言及していない。その一方で、「日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ」という安倍氏特有の「自負」は抜かりなく挿入している。

 ところが、日韓「合意」が発表されてから21日後の今年118日に開かれた参議院予算委員会で安倍首相は、しばし封印していた持論を開封し、「政府として、政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接指示するような記述は見当たらなかったという立場に全く変わりはない。『当時の軍の関与のもとに』というのは、慰安所の設置・管理および慰安婦の輸送について、旧日本軍が間接あるいは直接にこれに関与したと、従来から述べてきているとおりだ」(2016118日、1946分、NHK NEWS WEB)と答弁した。

安倍首相の強制否認発言に対し韓国内では反発が沸騰
 この安倍発言について、わが国では野党もメディアもほとんど問題にしなかったが、韓国では大きな反発が起こった。
 『ソウル聯合ニュース』(119日、1718)は韓国外交部の趙俊赫(チョ・ジュンヒョク)報道官の定例会見での発言として、日本の安倍晋三首相が前日に旧日本軍の慰安婦強制連行を否定したことに対し、「慰安婦動員の強制性はいかなる場合でも否定できない真実だ」と反論したが、この発言が韓日合意に反するのではないかとの記者質問には明言を避けた、と伝えた。
 『中央日報日本語版』(120日)は「安倍首相の『慰安婦妄言』に抗議しない韓国政府」と題する記事を掲載し、「強制性」を否定した安倍首相の国会答弁に抗議しない政府の態度に対して記者から、「日本が合意破棄言動をしているが具体的対応策は何か」という質問が続いたと伝えている。
 さらに、『朝鮮日報日本語版』(120日、1000)は韓国の最大野党「共に民主党」の都鍾●(ト・ジョンファン)報道担当は上記の安倍発言に対し、これは「韓日慰安婦合意が無効であることを宣言したのと同じだ」と批判したことを伝えた。

従来の政府見解を捻じ曲げた安倍首相の発言
 そもそも、安倍首相の上記答弁は従来の日本政府の見解を捻じ曲げている。なぜなら、河野談話は、慰安婦の募集にあたっては、「業者が主としてこれに当たった」と指摘しているが、その前段で「軍の要請を受けた業者が」という一文がある。この点を安倍首相は捨象しているのだ。
 さらに、河野談話は、この文章に続けて、「その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に官憲等が直接これに加担したこともあった」と記している。強圧も含め、本人の意に反する徴集は「強制」そのものであり、それに官憲が直接加担したこともあったと河野談話は記しているのだから、安倍首相の曲解ははなはだしい。 
 さらに、安倍首相の発言で恣意的なのは「慰安婦」の強制性を徴集の場面だけに焦点を当てて論じ、徴集後の「慰安所」での「慰安婦」の置かれた状況にまったく触れない点である。
 これについて河野談話は「強制的な状況の下での痛ましいものであった」としか記していないが、談話の取りまとめにあたって行われた政府調査の結果を内閣官房内閣外政審議室名で発表した「いわゆる従軍慰安婦問題について」(199384日)と題する文書の中では次のように記されている。

 「慰安所の経営及び管理
 旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。」

 これを読めば、慰安所での「慰安婦」たちは、管理の実態としては拘禁状態に置かれ、生活の実態としては売春を強要された性奴隷の状態と呼ぶのが相当である。「募集」の強制性を否定するのに躍起の安倍首相は、政府がまとめた報告書のこの部分をどう読み取ったのか? 読み取る意思がなかったのか?

安倍首相の「強制広狭論」
 
 では、日韓合意に向けた交渉の間、安倍首相が暫時封印した慰安婦問題に関する同氏の本心はどのようなものだったかというと、一口でいえば「強制の広狭論」である。それは次のような国会答弁に示されている。
 2006106日の衆議院予算委員会で、「本人たちの意思に反して集められたというのは強制そのものではないか」という質問を受けた安倍首相は次のように答弁している。

 「ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていってしまったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。」

 「そうではなくて・・・そういう環境の中にあって・・・・結果としてそういうことになった」という発言は意味不明の言葉の継ぎ足しであるが、「家に乗り込んでいって」云々は慰安婦の「募集」を語る時の安倍氏の常用句である。2015914日のNHK日曜討論でも、同旨の発言を繰り返した。こういう物言いを聞くと、家に乗り込んでいって強引に連れていったのでなければ強制的な募集(徴用)にあたらず、取り立てて問題にするにあたらないと言いたげに聞こえる。
 しかし、デジタル大辞泉によると、「強制」とは、「権力や威力によって、その人の意思にかかわりなく、ある事を無理にさせること」である。であれば、河野談話が記した慰安婦徴集の実態は言葉の本来の意味での「強制」そのものである。これを広狭に分けて安倍首相は何を言いたいのか?



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なぜマイナンバー制度から離脱できないのか~内閣府担当室に質問書を提出~

2016114

 このブログにも書いたが、私は昨年1029日、地元市長宛にマイナンバー法に基づく個人情報の相互利用等の事務の停止を求める申し立て書を提出した。

  個人番号の利用事務等の停止を求める申し立て書を提出
  
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f4f5.html


 これについて、昨年1120日付で市長から回答が届いた。結論は、「申し立てに関しては対応いたしかねる」というものだったが、その前段で、内閣府番号制度担当室によれば、として同室に照会した模様が紹介されていた。その中で、「個人番号を利用するかどうかを個別の自治体の裁量に委ねるということではなく・・・・」というくだりがあった。自治体への法定委任事務である以上、当然ではある。
 そこで、昨年124日、事前に予約をした上で赤坂にある内閣府願望制度担当室を訪ね、応対した同室の参事官補佐ならびに主査とやりとりをした。その模様は同行取材された『週刊金曜日』の記者の稿(同誌、20151211日号)でまとめられている。
 しかし、筆者としては、地元市町からの回答に記された内閣府担当室の見解について持った疑問がいっこうに解けないばかりか、応対した二人の職員の説明の中に
、疑問に輪をかけるような内容があった。要約すると、それは、①行政の効率性を個人のプライバシー権よりも優先させる思考、②行政の効率性を公共の福祉に置き換え、それを、個人の意思にかかわりなく、すべての住民を一律にマイナンバー制度に参加させる根拠にした、ことである。
 この点はマイナンバー制度の根幹にかかわる問題であり、見過ごすわけにはいかないと考え、内閣府担当室に書面で質問書を提出して回答を求めることにし、今日、発送した。以下がその全文である。 


                        2016114
内閣府大臣官房番号制度担当室 御中

個人番号に基づく利用事務の停止の求めを拒む根拠等についての質問書

                   住所 (ここでは削除)
                           醍醐 聰

 私は昨年1029日に居住地の千葉県佐倉市長宛に「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」に基づく個人番号利用事務等の停止を求める申し立て書」を提出したところ、1120日付で佐倉市長より回答が届きました。その回答文書に、

 「内閣府番号制度担当室によれば、『番号法第9条第1項において、自治体は別表第1に掲げる事務について「個人番号を利用できる」と規定されているが、番号法の趣旨に鑑みれば、これは個人番号を利用するかどうかを個別の自治体の裁量に委ねるということではあく、別表第1やその委任に基づき制定された主務省令に規定された事務については、すべての自治体において個人番号を利用すべきであると解される。』とされています。」

として、貴室の解釈が敷衍されていました。
 この点について、理解が困難な点があり、昨年124日に貴室を訪ね、応対された本間貴明・参事官補佐、ならびに安倍健一・主査と1時間あまり質疑をさせていただきました。その折、以下のようなやりとりがありました。

 醍 醐 91項の解釈を読んだが、個人として求めた利用事務の停止
    を行政が拒む根拠が見当たらなかった。マイナンバー制度から
    離脱したいという個人の選択の自由を認めないのは個人の権利
    を侵害するものではないか?
 内閣府 住民個々人の承諾を得なければならないという定めはない。
    番号法は、国の代表である国会議員が可決したもの。行政はそ
    れを施行していく責任がある。逆にお聞きするが、共通番号で
    情報連携すれば行政の効率化が図られるというメリットをどう
    考えるか?
 醍 醐 私は、自分の個人情報が漏えいしたり、不正使用されたりす
    るリスクを避けるためなら、これまでどおり、年に1度あるか
    ないかの書類提出のために市役所へ足を運ぶ手間暇は何ら厭わ
    ない。行政の効率化を個人のプライバシー権、個人情報の自己
    コントロール権よりも優位に置く理由は何か?
 内閣府 公共の福祉による制限だと思う。
 醍 醐 行政の効率性を公共の福祉と呼ぶことはできない。
 内閣府 そんなことはない。この制度によって国がよくなると考える
    から、われわれはこうして制度導入の仕事をしている。

 以上のような経緯を踏まえ、以下、質問をいたします。質問項目ごとに、ご回答を本年126日(火)までに文書でお送りくださるよう、お願いいたします。

                質問事項

【質問1】 憲法論の学説上、公共の福祉による人権の制約は人権と人権の衝突を調整する原理として有効とされ、表現の自由や個人のプライバシー権など精神的自由権を制約する原理としては厳格に適用すべきものとされています。この点を踏まえて、お尋ねします。
 昨年124日の上記の質疑の中で、共通番号(マイナンバー)制度からの個人の離脱(利用事務の停止の求め)を不可と解釈される理由として貴室担当者は「公共の福祉」を挙げられました。では、上記の憲法学の定説に反して、貴室が個人のプライバシー権よりも行政の効率性が優先すると解釈される根拠は何なのかをお示し下さい。

【質問2】 貴室は、共通番号(マイナンバー)制度を採用することによってどの程度、行政の効率性を達成できると見込んでおられるのか、①その定性的定量的根拠を、②制度の導入・運営に要するコストの見積もりとの対比で、お示し下さい。

【質問3】 国および地方の行政職員が個人番号の利用を促進するための施策を実施する責務を負っていることは確かですが(番号法第4条、第5条)、番号法には個人が一律にこの行政事務に協力・応諾することを義務付けた条項はなく、共通番号(マイナンバー)制度への参加を一律に義務付けた条項もありまません。
 にもかかわらず、貴室が、個人番号をキーにした個人情報の利用事務の停止の申し出を拒む根拠をご説明ください。

                             以上


(参考1)市役所でのやり取りの模様をまとめた『週刊金曜日』(2015年10月23日号)の記事(同誌の許可を得て転載)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/siyakushode_kinyubi_20151023.pdf

(参考2)市長から届いた回答

Photo_2

(参考3)内閣府でのやり取りの模様をまとめた『週刊金曜日』(2015年12月11日号)の記事(同誌の許可を得て転載)
20151211





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『帝国の慰安婦』と日韓合意:Lさんのコメントによせて~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(4)~

2016113
   
 連載中の「『従軍慰安婦』問題をめぐる日韓政治『決着』を考える」の2回目の記事(「韓熱日静」:日韓合意をめぐる両国世論の落差は何を意味ずるのか?)に対して、Lさんから長文のコメントをもらった。この記事ではLさんのコメントを全文、掲載するとともに、私からのとりあえずの返信(いずれも、このブログの当該記事のコメント欄に公開済み)も添え、その前後に私の追加の感想を添えることにした。
  なお、Lさんのコメントは文体上、引用文とご自身の感想を判別しにくい箇所があるが、原文のまま掲載する。

L
さんからのコメント
 
こんばんは。
 今回、国内での評価が高いこと、共産党が肯定的に評価したことに非常に不審に思っていらっしゃるご様子ですね。しかし、先日のパクユハ名誉毀損起訴抗議声明を補助線とし経緯を考えに入れれば自然な反応だと思います。
>「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」に対する違和感と本来何を問題とすべきだったかについてhttp://d.hatena.ne.jp/scopedog/20151128/1448732567

>抗議声明の主目的が、朴裕河「帝国の慰安婦」に対する賛美であり、朴裕河路線での“慰安婦問題”の最終解決に手放しで賛成することであり、韓国における言論の自由の状況を日韓市民で共有し協力しようというものになっていない、と評せざるを得ないんですよね。
 また、日韓両国がようやく慰安婦問題をめぐる解決の糸口を見出そうとしているとき、この起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害する要因となることも危ぶまれます。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html

 この一文がそれを物語っています。韓国における言論の自由の状況を憂いているというより、(朴裕河路線での)“慰安婦問題”の最終解決が遠のくことを恐れているという感じです。
 引用終了

※朴裕河路線での“慰安婦問題”の最終解決

原則論的な挺隊協を黙らせた上で元慰安婦のみなさんの頭越しに日韓のボス交で、日本の国家責任と謝罪を曖昧にした形でアジア女性基金の延長のような仕組みで手打ちして慰安婦に金を握らせて終わったことにする路線らしい。たぶん水曜デモと少女像の禁止も込みで。

>朴裕河教授は日本の右翼でもなければ容易に試みない真に独特な挑戦に乗り出した。 ~日本政府に法的責任はないという点を論証しようと努めている 原文は
 2015/02/27 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19811.html
と。


>慰安婦がこうした苦痛を受けた1次的原因は当時の不幸な社会像のせいであって日本政府の責任ではないという点を強調
>著者の見解は、日本政府に慰安婦を作った構造的な“罪”に対する責任を問うことはあっても、それが法的責任を負わなければならない“犯罪”ではないということ
>日本政府の法的責任を追及できる端緒である慰安婦動員過程で広範囲に行われた人身売買に対する軍の黙認と慰安所設置に関する軍の指示などに対する言及は消極的に扱っている。
>日本政府が「法的責任」を負わなければならないという主張を曲げない挺対協に非難の矛先を転じる。
>挺対協が自分たちが考える運動の正義のために
>実際には日本を「容赦」し「和解」する意志のある慰安婦被害者の小さな声を死蔵させた(と主張)
>しかも「併合(韓日併合条約)が両国の条約締結を経たことだったので法的には有効」であり「植民支配という不法行為に対する他国の国民動員に関する賠償」を通じて慰安婦に対する賠償を主張できず、1965年の韓日協定で個人請求権が消滅し個人補償を要求する根拠もなくなったという指摘も忘れない
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19811.html

 もちろん、日本で教育を受け日本で活躍しているパクユハ世宗大学教授だけが悪いわけでなく、彼女の提起は安倍自民的政治家のみならず、日本のインテリたちの受容体に特異的に結合したからこそこのようなことになったのだけれども。
>なぜ、こういうことが起こるのだろうか? その理由を推測するに、朴裕河の言説が日本のリベラル派の秘められた欲求にぴたりと合致するからであろう。
徐京植、「和解という名の暴力−−朴裕河『和解のために』批判」
(『植民地主義の暴力』、高文研、2010年)
http://readingcw.blogspot.jp/2015/02/blog-post_18.html

 というわけで、11月末に「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」に賛成したみなさんは、(12月の末に)「朴裕河路線での“慰安婦問題”の最終解決」で野合することを予期し希望していたわけです。先月発売の?「世界」の和田春樹さんの記事には、10月の段階で日韓の話が進んでいた旨が書いてあるそうです。

 で、かの「抗議声明」の賛同人は
浅野豊美、蘭信三、石川好、入江昭、岩崎稔、上野千鶴子、大河原昭夫、大沼保昭、大江健三郎、ウイリアム・グライムス、小倉紀蔵、小此木政夫、アンドルー・ゴードン、加藤千香子、加納実紀代、川村湊、木宮正史、栗栖薫子、グレゴリー・クラーク、河野洋平、古城佳子、小針進、小森陽一、酒井直樹、島田雅彦、千田有紀、添谷芳秀、高橋源一郎、竹内栄美子、田中明彦、茅野裕城子、津島佑子、東郷和彦、中川成美、中沢けい、中島岳志、成田龍一、西成彦、西川祐子、トマス・バーガー、波多野澄雄、馬場公彦、平井久志、藤井貞和、藤原帰一、星野智幸、村山富市、マイク・モチズキ、本橋哲也、安尾芳典、山田孝男、四方田犬彦、李相哲、若宮啓文(計54名、五十音順)

 小森陽一さんのような共産党系な方をはじめ、国会前で「安倍政治を許さない!」とスピーチなさってる方も少なからず含まれていますし、朝日や毎日などの偉い人もいます。自民や社会の重鎮も。
 ですから、野合後の反応自体には不思議はないのです。むしろ不思議は、沖縄ノート裁判を戦った大江を含め、なぜ彼らは野合を望みそれが正当だと考えたか?でしょう。(翻訳してもらった大江辺りのように深く考えないまま、義理で署名した人も多かったろうとは思いますが。しかし、さすがに柄谷行人さんは断ったようで)
 それは、ソキョンシク先生が指摘する”日本のリベラル派の秘められた欲求”を探ればきっと分かるのだろうと思います。で、先生のような階層の方なら、きっと上記の人々のハラを知ることが出来ると思います。とりあえず、本郷に行って後輩の小森さんと、対照として高橋哲哉さんにインタビューしてみては如何でしょう?
 期待しています。

私からのとりあえずの返信コメント

L様
 いろいろと示唆に富むコメントと情報をお知らせいただき、ありがとうございました。『帝国の慰安婦』と著者の朴裕河さんが検察に告発された件、それについて日韓の識者が抗議声明を出したことについては、私も関心を持ち、今回の日韓外相の共同声明以前に何人かの知人と意見交換をしました。
 コメントを拝見して、目下、連載中の記事の一つとして『帝国の慰安婦』と日韓「合意」の関わりを取り上げ、上記の抗議声明が日韓「合意」の補助線になったというLさんの指摘についても吟味したいと思います。
 抗議声明についての私の意見を言えば、同調しないということです。その理由は、声明が、言論の自由に過度に重きを置き、『帝国の慰安婦』の歴史認識それ自体、同書の記述が元「慰安婦』の人権と尊厳を正当に扱っているのかどうかの検討がおろそかにされていると考えるからです
 今回の件の示唆も含んだと思える徐京植氏の論説として、「ハンギョレ新聞」2015919日に掲載された「寄稿 他者認識の欠落――安保法制をめぐる動きに触れて」
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/21990.html
 
を興味深く読みました。
 取り急ぎ、お礼と返信をいたします。

謝罪しない国家の主権者としての責任
 
~徐京植さんの『ハンギョレ新聞』への寄稿より~

 徐京植さんは、上記の私の返信コメントで記した寄稿の中で次のように述べている。下線は醍醐が追加。

 「近代日本においては『他者』は自己認識を更新するための批判的参照軸としてではなく、対抗的な自己肯定や自己賛美のための素材としての役割を負わされてきた。そのもっとも醜悪な到達点が、現在の反中・嫌韓論の横行である。」

 「目の前で起きている事象をその由来にさかのぼって反省的に考察することができない。このような、合理的判断力と歴史認識を欠いた人間は、人種、民族、国籍、性別、階層といった属性によって相手を決めつけること(差別)や、国家に無批判的に自己同一化して他者を一律に敵視すること(戦争)に役立つ存在なのである。さらに寒心に堪えないことは、こうした政府と資本の企図に対する広汎な批判や抵抗が、知識人の間からさえほとんど起こって来ない現実である。」

 「ジャン=ポール・サルトルはその著書『ユダヤ人』で、反ユダヤ主義(ひろく人種差別主義)は思想ではなく、『ひとつの情熱である』と述べている。そうだ、それは実証性や論理的整合性とは無関係な、ひとつの非合理的な情熱なのである。いわゆる『安保法制』をめぐる昨今の安倍晋三首相の発言や国会での政府答弁を聞いていて、私は安倍氏とその支持層の執拗な『情熱』に息を呑む思いがする。筋の通らないことをオウムのように反復する能力を持つ彼らは、その非合理的な情熱ゆえにどんな論戦にも不敗なのだ。」

 「『安倍談話』は、その結語部分で、『あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません』と述べている。だが、謝罪すべき主体はまずは国家であり、謝罪しない国家の主権者であるという限りにおいて、戦後生まれの世代は応分の責任を負うことになるのである若い世代を国家の共犯に引き入れ、『謝罪を続ける宿命』を負わせているのは日本政府そのものではないか。」

 最期の一節は今回の日韓合意を評価するうえで示唆に富んでいると思える。



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思想としての立憲主義、毒薬条項としての緊急事態条項

2016111

 今国会で安倍首相はこの夏の参院選(衆議院とのダブル選挙の可能性も論じられている)で改憲に必要な3分の2超の議席獲得に意欲を示している。その改憲で要注目は自民党の憲法改正草案で謳われている「緊急事態条項」である。

 私は昨年95日、6日、神戸で開催された第19回中小商工業交流集会の憲法講座のセッション(95日)に、石川康宏(神戸女学院大学)さんともにゲスト・スピーチをした。私のスピーチのタイトルは「日本国憲法から読み解く戦争法案の違憲性と欺瞞性」で、石川さんは「憲法をめぐるたたかいの可能性」だった。
 2人のスピーチの全文とその後の質疑の模様をまとめた報告集の抜粋(URL)を石川さんが、ご自身のツイッターに掲載されているので、目下の政治状況に照らして、このブログでも紹介することにしたい。ただし、ここでのスピーチは安保関連法案(戦争法案)が参議院で可決される日が近いと報道された時期に行ったものであるという事情を断っておく。

19回中小商工業交流集会 憲法講座(報告集からの抜粋)
醍醐聰「日本国憲法から読み解く戦争法案の違憲性と欺瞞性」
石川康宏「憲法をめぐるたたかいの可能性」
質疑)。『第19回中小商工業全国交流・研究集会 報告集』2016年12月
)。『第19回中小商工業全国交流・研究集会 報告集』2016年12月
http://walumono.typepad.jp/files/160107-%E5%85%A8%E5%95%86%E9%80%A3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E9%9B%86%E4%BC%9A-%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%AC%9B%E5%BA%A7-2.pdf

 全文を貼り付けると長くなるので、私のスピーチの中で、今の政治状況に照らして意味があると思える2つの部分――思想としての憲法・立憲主義に触れた部分と、緊急事態条項に触れた部分――の原稿を転載しておきたい。文中、不正確な話し言葉があるが、報告集に記載のまま転載することにした。

思想としての憲法・立憲主義
 
 醍醐と申します。私は憲法の専門家、法律の専門家ではございませんので、法律論をお話しするのは大変おこがましいと思いますが、きょうは憲法といいましても、とにかくこの戦争法案をどうするのかということで、皆さんの関心もそこに集中していると思いますので、国会審議を通じて浮かび上がってきた戦争法案の問題点、論点、核心部分を、立憲主義、あるいは、憲法に引き寄せて考えたいと思います。
 きょうは新幹線でこちらに出向いたんですけれども、車内のニュースのテロップでは、自民党、与党は15日に参考人招致をやる。16日に参議院の安保特別委員会で採決する。そして、同日、16日に本会議で即時可決する、採決すると、そういう方向で固まってきたと伝えてきております。従って、この1週間半の間が、本当に日本の歴史を左右するような重大局面に立っている、そういうつもりでお話をさせていただきたいと思います。

 まず、最初に、法律論としてではなく、思想としての憲法、あるいは、立憲主義というものはどういうものなのかということを考えておきたいと思うわけです。
 まず、立憲主義という言葉がこの間盛んに使われますが、その基礎にある考え方というものは、何なんだということを、少し歴史的にさかのぼって考えてみますと、アメリカの大統領のトーマス・ジェファソンという方を、皆さんもよくご存じだと思いますが、彼が講演したことが、ケンタッキーの州議会の決議という形で残されております。
 その中に次のようなくだりがあります。「信頼はどこでも専制の親である」信頼といえば、お互い同士の良好な関係のきずなのように、普通私たちは思うんですけれども、しかし、立憲主義の考え方、国民と政府との関係に関して言えば、逆だと。信頼というものは専制を生む土壌だということを言っているわけです。自由な政府は、信頼ではなく、疑い、猜疑(さいぎ)に基づいて建設されると。憲法の問題においては、他人に対する信頼に耳を貸さず、憲法の鎖によって、政府が非行、悪い事をしないように拘束する、縛っておく必要があると。この言葉は、まさに立憲主義の核心をずばり突いた言葉ではないかと思うんですね。国民は政府を疑ってかからなければいけない。やすやすと信頼したら、これは危ないことになるということですね。


 次に、またこれも日本で有名な思想家、植木枝盛という人を知っておられると思います。その植木枝盛の評論集が岩波文庫から出ている『植木枝盛選集』というのがございます。その中に、「世に良政府なるものなきの説」という、1877年に書かれた文章なんですね。「人民にして政府を信ずれば、政府はこれに乗じ、これを信ずること厚ければ、ますますこれに付け込み、もしいかなる政府にても、良政府などといいて、これを信任し、これを疑うことなく、これを監督することなければ、必ず大いに付け込んで、いかがなことをなすかも、はかりがたきなり」と、こういう言葉を残しているんですね。ジェファソンが言ってることとほとんどぴったり同じですね。歴代の偉大な思想家というものの考え方は、こうやってくしくも一致するんだなっていうことを、今回非常に感慨深く思ったわけです。こんなような考え方が立憲主義の根底にあるということを、私たち、理解しておくことが大事だと思うんです。

自民党憲法改正草案が目指す国家ビジョンと国民像の危険性

 最後に私がお話ししておきたいのが、自民党の憲法改正草案についてです。憲法講座ですので、少しそこのところだけは触れておきたいと思います。緊急事態条項というのがありますので、ここだけ大急ぎでご紹介をしておきたいと思います。自民党の草案の中にこんなのがあるということを、ぜひとも知っておいていただきたいなと思って出しました。


 これは緊急事態というのを設けて、有事や大規模災害などが発生したときに、緊急事態宣言をすると。内閣総理大臣に一時的に権限を与えるということになっているのですが、どんな権限を与えるのかということなんですけども、二つあります。一つは内閣が法律と同じだけの効果を持つ政令を制定できるようになっています。2番目は、なにびとも公の機関、国とか、公の機関の指示に従わなければならないという条項です。緊急事態条項、これはまさに治安維持法だと思うのですけど、ここで非常に気になることは、要するところ、公の機関の指示に従わなければいけないといったって、何も限定されてないんですよ。非常事態を乗り切るためには、内閣は、こういうことが必要だと思ったら、国民はそれに従わなければいけないというのです。他の国からの武力攻撃に応戦するためには、今の自衛隊だけでは人が足りない。それは後方支援か、前線か、知りませんけど、ここで予備兵を募集すると言っちゃったら、嫌だとは言えない。これまさに徴兵制ですよね。自民党はこういう草案をつくっているんですよ。将来にわたって徴兵制は断じてあり得ないなんて、安倍首相がいくら言ったって、自民党の改憲草案ではそうなっていません。もちろん言論の自由だって、一時停止されちゃいますね。これは恐ろしい条項なんですね。こういうものが用意されているっていうことを、ぜひとも知っておく必要があるんじゃないかなと思います。


 それから、もう一つ、自民党の草案の、思想・表現の自由は、これを侵してはならないというのが今の憲法19条でしょう。それを変えています。「思想・表現の自由は、これを保障する」となっています。「侵してはならない」と「保障する」同じじゃないか、こう思われるかもしれませんけど、これは全然違います。「侵してはならない」ということは、これは人間に持って生まれて絶対的な権利として、これは認められるというのが今の憲法でしょう。「保障する」といったら、国が保障するということですが、国がこれは保障の限りではないなんてことを言いだしたら、制限付きの権利になりますよね。保障するっていうことは、これは国の政策的な判断に関わってきますよということを、暗に言っているのと同じじゃないですかね。非常にこれは怖いことを言っているんです。


 今の戦争法案の中で、いろいろと議論になっている問題について、自民党の憲法草案ではどう言っているのかということを見極めておきませんと、後になって、そうだったのかでは、われわれとしては、将来の世代に対して大変な負の遺産を残してしまうことになると思うんですね。私はこの1週間、ものすごく大事だと思います。

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「1965年の日韓請求権協定で決着済み」は誤り~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(3)~

20161月10日 

  「従軍慰安婦」問題は決着したのか?
 今回の日韓外相会談に臨むにあたって、日本政府の最大の関心事は、慰安婦問題で合意にこぎつけ、それを受けてこの問題を「蒸し返さない」という確約を韓国側から取り付けることだった(NHK20151228日、おはよう日本、ニュース1152
 それだけに、両国外相会談後に行われた共同発表の中に、双方が「表明した措置が着実に実施されることを前提として慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」という表現が盛り込まれたことをさして、日本にとっては「満額回答」とみる向きがある。これまで何度か、最終決着を謳いながら、その都度、韓国がゴール・ポストをずらりして慰安婦問題を再燃させてきたという不信感が根強かった日本政府にとっては成功裏に決着を図ったという思いがあっても不思議ではない。
 しかし、それでも、慰安婦問題に関わった当事者や保守層の間では、これで本当に決着するのか、疑心暗鬼もくすぶっている。例えば、1993年の河野官房長官談話の作成に携わった石原信雄・元官房副長官は「慰安婦問題をめぐる最大の懸念は、戦後補償の請求権の問題を韓国政府が再び蒸し返さないかどうかだ」と発言している。(20151229日、朝日新聞)

 実際、今回の外相会談に先立ち韓国のユン外相は、慰安婦問題について「財産・請求権の問題は完全かつ最終的に解決」と明記した1965年の日韓請求権協定の対象外とするこれまでの韓国政府の見解を強調していた(NHK、おはよう日本、20151228日)。
 これに対し、岸田外相は、財産・請求権の問題は日韓請求権協定完全かつ最終的に解決済み、という日本政府の立場を堅持する考えで会談に臨んだ(NHK、同上)。
 しかし、会談後の共同発表を読んでも、見解が分かれていた請求権問題が会談でどのように決着されたのか、あるいは棚上げされたのかは明らかでない。
 それ以前に、何についての「最終決着」なのかを特定せずに、「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と言っても「手打ち」という以上に検討に耐える中身ではない。

「従軍慰安婦問題」に含まれる3つの責任
  
~賠償責任・道義的責任・伝承責任~
 
 問題の経緯を踏まえていうと、「慰安婦問題」には次のような複数の懸案事項が含まれている。
 ➀ 法的道義的責任 「従軍慰安婦」とされた女性を狩り出し、彼女らに日本軍兵士相手の売春を強要するという犯罪に日本が国家として組織的に関与し、しばしばそれを主導したという戦争責任を認識すること。こうした歴史認識を加害国である日本の政府が共有し、継承すること。それがあって初めて、何に対する、何ゆえの「お詫び」であるかが明確になる。

 ②賠償責任 ①の法的、道義的責任を前提にして、自らの人格、人間としての尊厳を蹂躙された元「従軍慰安婦」に対する賠償責任が問われる。法的にいえば、物心両面の被害をどのように賠償するのかという請求権問題である。この問題は国家賠償の問題であると同時に、「慰安婦」として狩り出され、日本軍兵士相手の売春を強要された元慰安婦個々人の日本政府に対する請求権(個人補償)の問題でもある。

 ③ 未来への責任 戦時性暴力=女性に対する売春の強要、は過去にも幾度となく繰り返されてきた人間の尊厳に対する深刻な犯罪行為であり、もっとも重い人道に対する罪である。こうした戦争にまつわる犯罪行為、引いてはその土壌ともいえる侵略戦争を繰り返させないためには、歴史の事実を教育の場で未来の世代に伝承することがひときわ重要である。戦時性暴力にかかわらなかった戦後世代も教育を通じて、歴史の事実を記憶にとどめ、伝承する戦後責任(第二次的な責任)を引き受けなければならない。

 以下、この記事では、②番目の賠償責任について考えたい。

元「慰安婦」の対日請求権が消滅したわけでない
~外務省も国会答弁で明言~

 
 上で指摘したように、日本政府は今回の日韓外相会談前も後も、元「従軍慰安婦」に対する賠償も含め、日韓両国間の賠償問題はすべて、1965年の「日韓請求権協定」で決着済みという立場を貫いている。他方、韓国政府は、公にされたかぎりでは、日韓外相会談の直前まで、元「慰安婦」に対する賠償は「日韓請求権協定」の対象に含まれておらず、未解決の問題という立場を取ってきた(注)。韓国側のこの立場が今回の日韓外相会談を通じてどう処理されたのか、共同声明を見ても明らかでない。
 (注)1992(平成4)年23日の衆議院予算委員会で、次のような質疑が
         交わされている。柳井氏は当時、外務省事務次官。
   「山花(貞夫)委員 請求権というのはどんな中身があったんです
            か。
     その中身には例えば慰安婦の皆さんの補償問題等は入っておったん
           ですか、入ってなかったんですか。」
   「柳井(俊二)政府委員 この交渉の過程で出されました具体的な請
            求につきましては、例えば対日八項目の請求というようなものもあ
            ったわけでございます。ただ、いわゆる慰安婦の問題について当時
            具体的にそのような請求がなされたというふうには私は承知してお
            りません
           ただ結論といたしまして、あらゆる請求権の問題が完全かつ最終的
           に解決されたということでこの条約上の合意をしたということでご
           ざいます。」

 しかし、韓国政府の認識は別として、1965年の日韓請求権協定で解決されたと日本政府が認識しているのは国家間の賠償問題であって、個人補償、例えば、元「慰安婦」個々人の対日請求権について言えば、請求権協定は国家の保護権を消滅させたという意味であり、これによって個人補償そのものが消滅したわけではないことは外務省も国会答弁で明言している。
 例えば、1992(平成4)年219日の衆議院予算委員会で伊東秀子議員と柳井俊二・外務省事務次官(当時)の間で質疑のようなやりとりが交わされている。

 「伊東(秀)委員 ・・・・平成三年の三月二十六日の参議院の内閣委員会で政府は、日ソ共同宣言における請求権放棄の問題に関して、放棄したのは国家自身の請求権及び国家が自動的に持っていると考えられる外交保護権であって、国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までは放棄していないという御答弁をしておられます
 これを裏返しますと、つまり今従軍慰安婦の方々が日本国政府を相手として損害賠償請求をしているわけでございますが、彼女らが個人として日本国政府に対する請求権、損害賠償請求、それは何ら消滅していないというふうに受けとめていいわけでございますね。」

 「柳井政府委員 お答え申し上げます。いわゆる請求権放棄の条約上の意味につきましては、これが国家の持っている外交保護権の放棄であるということは、従来からいろいろな機会に政府が答弁申し上げているとおりでございます。そして日韓の請求権の処理でございますが、いわゆる日韓請求権・経済協力協定におきましては、ほかの場合よりも若干詳しい規定を置いておりますことは、先生も御承知のとおりでございます。
 ・・・・・いわゆる外交保護権の放棄でございますから、そのような個人がこのようなクレームを提起するということまでも妨げるものではない。したがいまして、我が国の裁判所に訴えを提起するというようなことは、そこまでは妨げておらないということでございます。」

 さらに、1992226日の衆議院外務委員会で、土井たか子議員と柳井俊二との間で、次のように、より突っ込んだ質疑が交わされている。

 「柳井委員 ・・・・しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。」

 「土井委員 るるわかりにくい御説明をなさるのが得意なんですが、・・・・今ここで請求権として放棄しているのは、政府自身が持つ請求権、政府が国民の持つ請求権に取ってかわって外交保護権を発動するというその権利、これでしょう。だから、個々の個人が持つ請求権というのは生きている。個々の個人の持つ請求権というのはこの放棄の限りにあらず、これははっきり認められると思いますが、いかがですか。」


  「柳井政府委員 ただいま土井先生が言われましたこと、基本的に私、正確であると思います。この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます。」

国民をミス・リードする日本政府の説明
  ところが、最近の政府・外務省の日韓請求権協定に関する説明を見ると、「従軍慰安婦」問題が国会で取り上げられるようになった19911992年当時の外務省見解を薄め、元「慰安婦」の対日請求権は消滅していない点に触れない解説を繰り返している。
 例えば、20159月付で公開されている外務省北東アジア課作成の文書(8ページ)では次のように記載されている。
 
 「最近の日韓関係」(8ページ)
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000033344.pdf
 「慰安婦問題 1 我が国の立場
   日韓間の財産・請求権の問題は、1965年の請求権協定により完全かつ
         最終的に解決済み。」

 日韓の国家間の財産・請求権問題が1965年の請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」と言えるかどうかも実のところ、疑問があるが、それは改めて検討するとして、個人補償の問題(元「慰安婦」の対日請求権)は協定によっても消滅していないことに触れない、こうした説明は事情に疎い国民をミスリードすることになり、「韓国はいつまで蒸し返すのか」という誤った感情を国民の間で醸成する温床となっていると言って過言でない。
 
 このような状況のまま、今回の日韓「合意」で、元「慰安婦」の対日請求権まで「不可逆的最終的に解決した」と両国首脳が「宣言」したのだとしても(文言上、そう読み取れるわけではないが)、道義的責任はもとより、法的にもなんら効力がないことは明らかである。


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韓国世論調査:慰安婦問題「再交渉すべきだ」58%、「すべきでない」28%

201618

 「従軍慰安婦」問題に関する日韓合意を韓国国民はどう評価しているかについて、
今度は韓国ギャラップが今月5~7日に行った世論調査の結果を日経新聞が報道している。

 「韓国世論調査、慰安婦合意『評価せず』54% 『評価する』26%」
 
 少女像移転反対72% 」
 
2016/1/8 19:09 「日本経済新聞」)  http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE08H07_Y6A100C1PP8000/

質問項目ごとの回答結果を摘記すると次のとおりである。

*日韓合意について
  「評価する」      26% 
    「評価しない」        54
 
否定的な回答の理由としてもっとも多かったのは、「元慰安婦の意見を
      聞いていない」

*朴槿恵(パク・クネ)大統領の支持率
  「支持する」      40%(12月の第3週から▲3ポイント)
  「支持しない」     53%(同 +7ポイント)

*従軍慰安婦を象徴する少女像の移転について
  「合意内容を日本が履行するかどうかに関係なく移転すべきでない」
              72
  「日本が履行すれば移転してもよい」              
              17

*韓国の野党や一部の市民団体が要求している日本との慰安婦問題再交渉に
 ついて
  「再交渉すべきだ」   58
  「すべきでない」    28

*日本政府が謝罪したと思うか
  「謝罪した」      19
  「謝罪していない」   72

 

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「韓熱日静」:日韓合意をめぐる両国世論の落差は何を意味ずるのか?~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(2)~

201617
 
「韓熱日静」
 
 
昨年末に発表された「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓合意に対する両国内の反応の落差を表すために私が造語したこなれの悪い言葉である。

前向き評価が大勢、静かな日本
 
昨日(16日)の『東京新聞』は日韓合意について、「国内反応ねじれ 保守層反発 共産は評価」という見出しの大きな記事を掲載した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201601/CK2016010602000130.html

 確かに一部に「ねじれ」は見られるが、マスコミの論調も含め、日本では日韓合意を前向きに評価する意見が大勢である。昨日の国会での野党の代表質問でも、日韓合意を取り上げたのは民主党の岡田代表のみ。それも「合意を率直に評価する」というものだった。

合意に不同意が過半の韓国

韓国でも「過去よりは進展した形式で日本政府が責任を認めたとみることができる」、「単純な『道義的責任』レベルは脱して『法的責任』の方向に進んだ形の外交的折衝」『中央日報日本語版』201601060927分)と評価する意見があることは確かだ。
 しかし、当事者である元「慰安婦」の女性の大半は自分たちの頭越しに合意がなされたこと、10億円で「最終決着」とされたことに強く反発している。
 また、このブログの一つ前の記事で紹介したように、韓国の世論調査会社リアルメーターが1230日に発表した少女像の移転に関する世論調査(1229日に成人535人を対象に実施)によると、回答者の66.3%が「反対」と回答、「賛成」は19.3%にとどまっている。
 さらに『中央日報』が行った世論調査(15日、同紙掲載)の結果も次のとおりである。
 「慰安婦問題の不可逆的解決」に同意するか
   強く同意する           5.4
   ある程度同意する         31.9
 
   「同意する」    小計 37.3
 
  それほど同意しない         36.2
 
  全く同意しない           22.0
    「同意しない」   小計 58.2
  分からない・無回答          4.5

安倍首相の謝罪に誠意はあるか
  非常にある               1.7
  ある程度ある            19.8
   「誠意はある」 小計   21.5
  あまりない             39.6
  全くない              37.0
   「誠意はない」 小計   76.6
  分からない・無回答            1.9

 なによりも私が注目したのは、少女像の移転に関する世代別の「反対」の割合である。20代では86.8%に達し、30代では76.8%、40代は68.8%と、若い世代ほど反対が多いのである。

合意廃棄を訴え、大学生が少女像を守る韓国
 現に、韓国では各地の大学の総学生会が合意廃棄を訴え、少女像は自分たちが守ると、徹夜で像の周りに座り込みをしている。そして、彼らを徹夜で現場取材した『ハンジョレ』の記者は、少女像を守る若者たちに近づいた中高年者が 「守ってくれてありがとう」とカイロを渡す光景や、「仕事の合間に立ち寄った」という運転代行のドライバーがいたと伝えている。
 
[ルポ]冬空の下、日本大使館前の少女像を徹夜で守る若者たち
 
(「ハンギョレ新聞」201616日)
  http://japan.hani.co.kr/arti/politics/22968.html
Photo_5  (ソウル市内のテヒョン文化公園内に建てられた少女像の前で、韓日交渉の破棄を主張する梨花女子大総学生会の学生たち。『ハンギョレ』201614日)

Photo_6
 (ソウルの駐韓日本大使館の向かい側の少女像の前で「少女像の守り役」として徹夜する若者たち。『ハンジョレ』201614日)

 また、韓国の元「慰安婦」支援団体の挺対協は16日、「自分たちの募金で元「慰安婦」支援の財団を作り、日本政府からの資金は受け取らないとする「特別声明」を発表した。
Photo_7        (TBSニュース、201617日、1時35分配信)

 志位氏が言う、尊厳を守るべき個人のなかに元「慰安婦」は含まれないのか?
 
 安倍首相の「お詫び」と10億円の資金拠出、それと引き換えの少女像の移転――被害者である元「慰安婦」も被害国の過半の国民も拒否し、廃棄を求めている日韓合意を、日本のマスコミ、野党までがこぞって「前進」と評価する「ねじれ」、しかも、このねじれに正面から疑問を投げかける団体も市民も現れない日本社会の光景――私は今、この光景に暗澹たる思いを募らせている。 

日韓合意が発表された翌1229日に、日韓外相会談の結果を「問題解決に向けての前進」と評価する談話を発表した志位和夫・日本共産党委員長は14日、党本部で開かれた党旗びらきのあいさつの最後で、同党が提唱した「国民連合政府」で掲げる「立憲主義の回復」とは平和だけの問題ではなく、「国家によって侵害を受け、傷つけられている『個人の尊厳』を回復し、守り、大切にする社会をつくろうということにほかなりません」と発言している。その真意を私は全く疑ってはいない。
 ここで問いたいのは、志位氏がいう「個人」とは日本人だけなのか、朝鮮半島で暮らす元「慰安婦」の女性は含まれていないのか、ということである。もちろん含まれているという答えが返って来ることを百も承知している。

 しかし、それなら、「日本軍慰安婦として強制動員され、人間の尊厳と価値が抹殺された状態で、長期間、悲劇的な人生を過ごした被害者たちの、毀損された人間の尊厳と価値を回復させるべき義務は、大韓民国臨時政府の法統を継承した今の〔韓国〕政府」にある(韓国憲法裁判所決定「大韓民国と日本国間の財産権及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定第3条不作為違憲確認」、2011830日)だけでなく、第一次的には加害国である日本政府にあることは自明である。

 その日本政府が、たとえ政府資金とはいえ、性格も理由も明かさないまま、10億円を拠出するのと引き換えに、「従軍慰安婦」問題を蒸し返すなと一札をとったり、韓国市民が平和の碑として建立した「慰安婦像」(少女の像)の移設を10億円拠出の条件にするかのような合意を、なぜ「問題解決に向けての前進」などと評価できるのか? 韓国国民の76.6%が「誠意を感じない」と受け止める安倍首相の「心からのおわび」がなぜ前進なのか? 
 金で被害者、被害国の国民の口を封じようとする野卑で傲慢な安倍政権の外交が「人間の尊厳」を守り発展させると謳う日本共産党の党是と合致するのか?

 今は「戦争法廃止」の一点に注力する時だから、で説明がつくか? 戦争法廃止のための政権構想として提案した「国民連合政府」が掲げる「立憲主義の回復」とは平和だけの問題ではなく、「国家によって侵害を受け、傷つけられている「個人の尊厳」を回復し、守り、大切にする社会をつくることを目指すものなら、日韓合意を「前進」と評価した談話をそのままにしておいてよいのか? 国会の代表質問で日韓合意が元「慰安婦」の尊厳を回復するものかどうかをなぜ、正面から質さないのか?

  私は前記の暗澹たる思いで立ちすくむのではなく、日本社会のこうした光景が何を意味するのかを考え、自分なりの見解を持ちたいと資料を集め、思案しているところである。

   

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