壁崩壊後20年~ドイツの今を伝えたNHKの番組に旅の思い出を重ねて~

 昨日、ドイツ統一にちなんだ2つのNHK番組を見た。一つは録画で視た『名曲アルバム』(114日、教育テレビ放送)、バッハ作・ミサ曲ロ短調である。ただし、曲というよりも画面に映し出されたドレスデンの光景に見入った。昨年824日~91日に夫婦でドイツに出かけた折、ベルリン巡りの後、ドレスデンで3泊した旅のことが思い出された。特に曲の冒頭でエルベ川の対岸から見たドレスデンの旧市街が写し出された時、夫婦で「あれ」と声を上げた。私たちが泊ったホテルから眺めた懐かしい光景だったからである。

エルベ川の対岸から見たドレスデンの旧市街(2008830日撮影)
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 また、画面で紹介されたドレスデンの聖母教会(フラウエン教会)は第2次大戦末期のドレスデン空爆で全壊した建物を旧連合国の支援も受けて60年後に再建された建物で、ドレスデン復興の象徴ともいえる建物である。夜には同教会で開かれたミサ・コンサートに出かけ、パイプ・オルガンで演奏されたバッハの曲に聴き入った思い出を再現できた。詳しくはドイツ旅行記を書く予定の次の記事で触れることにしたい。

復興なったフラウエン教会の前で(2008830日撮影)
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  昨日視たドイツ統一にちなんだもう一つの番組は、1930分から放送されたクローズアップ現代「壁崩壊20年 欧州の光と影」である。この119日でベルリンの壁崩壊20周年を迎える。番組は政治体制転換後20年を経たハンガリーと東西統一後20年が経過したドイツの現状を欧州統合、金融危機がもたらした影響と重ね合わせて、ぞの光と影を伝えようとしたものだった。

 ブタベストも5年前にウィーンへ出かけた折にバスで国境を越えて出かけた街なので懐かしかった。しかし、放送では外資が引き揚げた今、失業率9.9%、消費税25%へ引き上げ、社会保障の削減という厳しい経済状況の下で国民の3分2が自分は資本主義化の負け組と考えているという調査結果が紹介された。その一方で国営企業を安く買い取って外資系企業に転売し、300億円に上る個人資産を蓄財した旧体制の高級官僚の豪華な生活ぶりも紹介された。そして、こうした貧富の格差の拡大に不満を募らせた国民の間で極右翼政党ヨビックを支持する気運が広がり、同党への支持率が10%まで高まっていると伝えられた。

 ドイツでは東西統一で旧東ドイツ圏の経済成長が進み、市民の所得水準も上昇した。しかし、金融危機のあおりで経済復興を牽引してきた外資系企業が相次いで旧国営コンビナート工場等を閉鎖したり、資本を引き揚げたりした。そのため、ここでもブタベストと同様、失業率が上昇し、若年世代では25%に達しているという。就職先を求めて旧西ドイツ圏へ出かけた旧東ドイツ圏の市民の中には、2級市民扱いされ解雇されて東側に戻ってきた人もいるという。そこから、旧東圏の市民の間では、「オスタルギー」=「東」+「ノスタルジー」(旧東ドイツをなつかしむ心情)が広がっているという。他方、旧東ドイツ圏の市民の55%が「連帯税」(旧東圏の経済復興のための財源確保を目的とする税)の廃止を求めているという。

 こうした動きを厳密に評価するのに十分な判断材料を持ち合わせていないので軽々に意見はいえない。しかし、現実のある一面だけを捉えて旧東ドイツの社会体制なり東西ドイツ統一の功罪なりを訳知りに速断するのは戒めるべきである。この点から、番組を視て感じた23の感想を記しておきたい。

1.「クローズアップ現代」を視て強く感じたことの1つはスタジオゲストとして登場したデオ・ゾンマー氏(ドイツ・ツァイト紙論説主幹)の見解の公正性である。映像で紹介された上記のような旧東ドイツ圏の市民の声について感想を尋ねられた氏は、「問題は旧東ドイツの負の遺産であって資本主義の欠陥ではない」と答えていた。また、ハンガリーの現状を聞かれたとき、「あれが一般的とは思わない。ブタベストのやり方がまずかっただけだろう」とも答え、「大切なことは『見えざる手』ではなく、『見える心』だ」とも答えていた。はたしてそうなのか?
 氏は東西統一で旧ドイツ市民も恩恵を得た証拠として所得水準の向上を数字で挙げていた。しかし、これはあくまでも平均値である。格差が先鋭化している時代に「平均値」を挙げても意味は乏しいことを氏は認識していないのだろうか? また、ゾンマー氏に限らず、東西ドイツになお「心の壁」が残っているという指摘を見聞きする。それも否定できないかもしれないが、欧州の市場経済に組み入れられた旧東欧諸国で軒並み失業率が上昇し、現状への不満が高まっている一方、旧西ドイツ圏では市民の間に連帯税の廃止を求める意見が広がっている現実を直視すれば、問題が「心」の壁だけで済まないことは明らかである。

2.東西統一の意義について、旧東ドイツ圏の市民の間に懐疑的な見方が広がっているのは、旧社会主義体制を美化するような教育が残っているからではないかとして、公的研究機関が教師を集めて開いた講習会(?)の光景が番組の中で紹介された。その場面で、参加した旧東ドイツ圏の数名の教師が立ちあがって、<旧東ドイツの良い面も教える必要がある。それが公平な教育だ。旧東圏のことは私たちがよく知っている>という趣旨の発言をした。教育内容となると学習指導要領が独歩し、学校行事で国旗に向かって起立一礼し、君が代の斉唱を生徒にも従わせる上意下達で事実上教育現場に強制される日本との彼我の差を実感させられた。「強制ではない」といいつつ、従わない教師を処分し、再発防止と称して呼び出し、「研修」という名目で事実上の「思想改悛」を迫る行為がまかりとおっている東京都などの現実と照らし合わせると、教師が当局の指導と異なる持論を堂々と発言する場面に接して頼もしく感じた。旧東ドイツでは密告と監視の目が張り巡らされていたといわれるが、先進資本主義国を自認する日本で類似の強制と上意下達の教育がまかりとおっている現実から目をそらし、旧社会主義圏の自由の窒息状況を嘲笑するのでは理性に忠実な言動とかけ離れている。

旧東ドイツ圏から西側への脱出を試みる市民の記録写真(2008年8月25日、ポツダム広場近くのベルリンの壁の跡地で撮影)
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還らざる学友の碑~慶応三田キャンパスで~

 近頃、デジカメに凝っていて、どこかへ出かける時にはたいていカバンに入れて歩く。今年度後期(慶応義塾では秋学期と呼ばれている)、慶応義塾の商学研究科の会計職コースの「現代会計論」という講義科目を非常勤で担当している。この科目名からして、現代の会計問題なら何でも扱えるという自由を有難く思っている。最初の3回は最近、会計基準の国際的コンバージェンスの焦点の一つになっている「のれんの会計」を取り上げ、その後3回は「負債と資本の区分」を取り上げた。多くは私の講義中心であるが、時々、題材(文献)を指定して受講者(7名)にそのテーマ、文献に関する各々のコメント、見解をプリントで準備してきてプレゼンを求め、そのあと、全員で議論をかわすゼミ形式のやり方も採用している。先々週は「条件付償還義務株式の会計問題」をテーマにしてゼミ形式の授業をした。保有者のオプションで償還義務が生じる株式は、それを発行した企業にとって株式なのか負債(債券)なのかという問題である。なかなかユニークなコメントをする院生が多く、活発な議論になった。こういう授業は楽しいものである。

 さて、話をデジカメに戻すが、昨日(金曜日)は講義の日で、秋晴れに誘われてキャンパス風景を撮ろうとカバンに入れて家を出た。早めに三田キャンパスに着いたので中庭をぶらぶら歩きした。中央にある大銀杏は学生の待ち合わせ場所とかでキャンパスのシンボルになっているそうだ。ちょうど昼休みでいつもながら、弁当を広げたり談笑したりする学生で華やいでいた。そのうちに、図書館の北側にある細長い庭に何か音楽の指揮者の前に置かれる楽譜台のような形の碑が見えたので近づくと、読みとりにくい字で次のような言葉が刻まれていた。

    還らざる友よ
   君の志は
   われらが胸に生き
   君の足音は
   われらが学び舎に
   響き続けている


碑の裏側に回ると、さらに読みとりにくい字で次のよう文章が刻まれていた。

    還らざる学友の碑
  この碑は今次大戦において志半ばにして逝った
  学友を偲び慶応義塾が建立する
    平成十年十一月
    慶応義塾塾長 鳥居泰彦
 
 慶応義塾の名誉教授の白井厚氏は第二次大戦中、義塾が被った戦禍の記録と戦争体験の継承、戦没者名簿の作成などに取り組んできた人である。2005810日付『慶応キャンパス新聞』に掲載された同教授のインタビュー記事によると、194311月、慶応義塾でも出陣塾生壮行会が行われ、臨時徴兵検査を受けた学生4,268名のうち、3000人以上がこの時に入隊した。しかし、白井教授らがまとめた戦没者名簿によると、日中戦争以降の塾関係の戦没者数は2,224名に上るという。
 また、白井教授は1991年から「太平洋戦争と慶應義塾」というテーマでゼミナールの学生と共同研究に取り組んできたが、その一環として行った昭和1724年卒業生7,500人を対象にしたアンケート調査(戦中の学生の生活と意識に関する調査)によると、勇んで戦地に向かったのは全体の2割程度、反対に、体質的、性格的に軍隊に向かない、あるいは反戦思想から、戦地に向かうのを嫌った学生が約1割だったという。残りの7割は仕方がない、と考えたようだ。そう答えた人たちの中には、小学校の同級生などの多くが戦地に向かう中、高等教育を受けた同年代の自分たちが学業を終えるまで徴兵を猶予されたことを申し訳なく感じていた人も多かったのだろうと白井教授は語っている。
 このインタビュー記事の最後で、今学生に伝えるべきことはと問われて白井教授は、日本で310万人が亡くなっただけでなく、アジアで2千万~3千万人が亡くなったと言われている、このことを知り、考えなければアジア諸国との友好関係は築けないと語っている。それに続けて、白井教授が「戦争の実態を知らないで平和を求めることはできません。日本では、戦争放棄は戦争研究放棄であるという雰囲気が少なからずあります」と語っていることに惹き付けられた。

上:還らざる学友の碑
下:三田キャンパスの風景
(いずれも2009年10月30日、撮影)
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雇用不安の最中、なぜ多額の失業給付予算が使い残されるのか?~知られざる雇用保険特別会計の実態~

  自己都合退職の3割、実態は会社都合
 20091027日の『毎日新聞』に「自己都合退職 3割『本当は会社都合』」という見出しの記事が掲載された(東海林智記者稿)。若者の労働問題に取り組む大学生らが立ち上げたNPOPOSSE」が18歳~39歳の若年労働者を対象に行ったアンケート調査の結果を紹介した記事である。調査は東京都内4か所と京都市のハローワーク前で行われ(実施時期が記載されていない)、522人から回答を得た。それによると、離職した理由の69.9%は自己都合、19.3%が解雇など会社都合だったという。そこで、自己都合の理由を尋ねると、「パワハラやセクハラ」(12.5%)、「雇い止め」(12.8%)、「長時間労働」(6.9%)、賃金・残業代の不払い」(4%)となっていたという。しかし、後述のとおり、これらの退職理由はどれも会社都合となり得るものである。
 
 失業後の生活苦を加重する「自己都合」強要
 働きざかりの若年世代にまで雇用不安が広がる中、退職と失業保険に関して法律相談が目立っているのは「会社に自己都合退職を強要された」というものである。その一端を伝えた『中日新聞』の
2009130日の記事を紹介しておきたい。

 「人員整理や強要など、会社側の都合で退職したにもかかわらず、会社が労働者に原因をかぶせて「自己都合」にしてしまうケースが目立つ。解雇が多いと、新たに労働者を雇う際に国の助成金がもらえないという企業の論理が見え隠れする。労働者は自己都合にされると失業手当支給が先延ばしに。それだけに「会社の不当行為を許さない国の対策が必要」と指摘されている。
 東京都内の教育関連会社で編集業務をしていた女性(42)は昨年6月、営業への部署替えと賃金の大幅カットを提示され、社長から「嫌なら退職するように」と言われ、悩んだ末に退職した。
 ただ、残業代のことで納得がいかず、1人でも加入できる労働組合に相談したところ、退職理由が自己都合になっているのはおかしいと指摘された。交渉の末、会社は理由を会社都合に変更、残業代の訴えも聞き入れた。
 倒産や解雇など会社都合の場合、退職8日目から失業手当がもらえるが、自己都合だと3カ月間待たねばならない。希望退職の募集や退職の強要、セクハラなども会社都合だが、立証が難しいと泣き寝入りする例もある。
 事務機器メーカーで働いていた派遣社員の男性(38)は昨年9月、雇い止めに。同時に派遣会社も解雇された。離職票には、退職は自己都合だと記され、ハローワークに異議を申し立てたが認められなかった。
 失業手当受給までの3カ月の生活は預金を取り崩してももたない。男性は手当をあきらめて別の派遣会社に登録、事務の仕事に就いた。
 「失業手当があれば、じっくり仕事を探せた。一番苦しい時期に受給できないなんて」と憤る。派遣ユニオンによると「会社都合を自己都合とされるトラブルは、雇用保険に関して寄せられる相談の半分以上」という。」(下線は引用にあたって追加)

 このように実態は会社都合であるのに自己都合による退職を強いられると、『毎日新聞』の記事にも記されたように、離職後、給与所得が断たれるのに加え、失業給付も受けらなくなり、失業者の生活苦が加重され、求職活動もままならなくなる。そのため、会社の強要に「応じた」失業者の怨嗟の声がネット上にも溢れている。次のデータはILOが今年の3月に発表した失業手当受給状況報告書に収められた資料からの抜粋である。

   失業給付を受けていない失業者の割合
 中国(2005年現在)       84%
 日本(2006年度現在)           77%
 米国(2008年12月20日現在)  59%
 カナダ(2008年12月現在)      56%
 英国(2008年Q4現在)       45%
 フランス(2008年12月現在)     20%
 ドイツ(2008年10月現在)        6%
  (ILO, The financial and Economic Crisis: A Decent Work Response, 23 March 2009, P.16

 これをみると、日本では失業者の77%が失業給付金を受けていないことにあり、その割合は中国に次いで高く、米国、カナダ、英国、フランス、ドイツと比べても突出して高い水準になっている。
 政府はこの3月に成立した雇用保険法の改正により、失業手当の受給に必要な保険料納付期間をそれまでの1年から半年に短縮するなどして受給条件をいくぶん緩和した。しかし、こうした措置だけでは、会社都合を自己都合とする強要がなくならないかぎり、会社都合なら退職8日目から失業手当がもらえるにもかかわらず、自己都合とされたがために3カ月間待たなければならないという不利益はなくならない。

その結果、失業給付の受給資格期間(1年)が自動的に短くなる。また、それ以前に、会社都合の退職であれば雇用保険の必要加入期間は半年以上のところ、自己都合の場合は1年以上が必要となる。

 平成21年に改正された
「雇用保険法等の一部を改正する法律」(平成21年法律第5号)は、こうした事情を考慮して、「特定受給資格者」という制度を創設し、一定の救済措置を講じている。ここでいう「特定受給資格者」とは、「倒産・解雇等の理由により再就職の準備をする時間的余裕がなく離職を余儀なくされた者」と定められている。具体的には次のような基準で「特定受給資格者」に該当するかどうかを判断することになっている。
  「特定受給資格者及び特定理由離職者の範囲と判断基準」
  http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/koyouhoken05/pdf/03.pdf
 
 これをみると、解雇以外の理由であっても、①労働契約で締結した労働条件(採用条件)と実際の労働条件が著しく異なったことにより離職した者、②3分の1を超える賃金の未払いが2ヶ月以上発生したことにより離職した者、③賃金が85%以上カットされたことにより離職した者、④離職の直前3カ月間に連続して労基法に定められた基準を超える時間外労働等があったことにより離職した者、⑤上司、同僚等から故意の排斥、著しい冷遇、もしくは嫌がらせを受けたことにより離職した者、⑥事業主から直接または間接に退職を強要されたことにより離職した者等の離職者は被保険者期間が1年以上でなくても、6カ月以上であれば失業給付の受給資格を得ることができる。また、期間工の場合もいわゆる「雇い止め」により離職した場合や体力の不足、心身の障害、疾病等により離職した場合等の場合には、上で述べた特定受給資格者と同様の受給条件の読み変えが適用される。
 このような現行法に照らすと、冒頭で紹介したNPOPOSSE」のアンケート調査で明らかになった自己都合による離職の理由――「パワハラやセクハラ」、「雇い止め」、「長時間労働」、賃金・残業代の不払い」の多くは会社都合により余儀なくされた離職に該当する可能性がある。
 ただし、実際にハローワークの窓口で離職票を記入する時の扱いがどうかは別途、具体的な実態把握が必要である。げんに、上記の判断基準も後段で、実際に受給資格を得るための条件を細かに定めている。たとえば、①労働契約で締結した労働条件(採用条件)と実際の労働条件が著しく異なったことにより離職した場合であっても、事業主が正当な手続きを経て労働条件を変更した場合は、この基準に該当しないとされている。しかし、事業主と労働者が対等の立場で労働条件の変更を協議できない場合が少なくない実態の下で、「正当な手続き」を経た労働条件の変更かどうかを離職者が立証することは困難が予想される。また、⑤上司、同僚等から故意の排斥、著しい冷遇、もしくは嫌がらせを受けたことにより離職した場合でも、「当該労働者が事業主(又は人事担当者)、雇用均等室等の公的機関にセクハラの相談等を行っていたにもかかわらず、一定期間(概ね1カ月)経過後においても、事業主が雇用継続を図る上での必要な措置を講じなかったため離職した場合が該当する」とされている。となると、離職前に上記のような相談等を行うことなく離職した労働者は失業給付の受給条件の読み変えを認められない可能性がある。
 こうした職場での労使の力関係の格差に起因する交渉力の不均衡が不本意な「自己都合」離職者に失業給付の面で不利益を生まないためには、離職者の立場に立った専門の相談員が応対するネットワークを強化する必要がある。この点で、冒頭で紹介したNPOPOSSEの活動は同じ世代の若者の雇用を守る自発的ネットワークとして貴重な運動体といえる。

 失業給付歳出予算が3割近くも使い残されている現実
 連年、特別会計に多額の不用額が発生しているにもかかわらず、一部の例外を除いてそれが放置されることはこのブログでも何度か指摘した。しかし、特別会計の歳出予算額と歳出済み額の差がすべて文字通りの不用額かというとそうではない。中には、給付条件を過度に厳しくした結果、本来給付(執行)されるべき歳出が抑制された結果、使い残しが生じている例もないわけではない。社会保障関係の歳出予算の使い残しにはこれに該当する例が少なくない。地方公共団体の介護保険給付金と並んでこの失業給付金はその典型例といえる。


失業給付額(労働保険特別会計の雇用勘定の歳出項目)と雇用安定化基金の決算状況
                              (単位:億円)
  
 年  度        2003     2004   2005    2006     2007
  失業給付額
   歳出予算現額(A) 23,475  22,676    21,782  20,459    16,783

     支出済歳出額           19,618     14,672    13,772   12,803    12,598
   不用額(B              3,858      8,004     8,010     7,657      4,185
   不用率(BA       16.4%    35.3%     36.8%    37.4%     24.9%
  雇用安定化基金    
   支出(取り崩し)            0             0             0           0            0
   年度末残高               3,011       4,070      5,674     8,106    10,004
   (財務省主計局『特別会計決算参照書』各年度版より作成)


 上の表をみると、過去5年間、失業給付予算は連年、3,0008,000億円の「不用額」が発生し、不用率は1637%にも達している。国会に提出された歳入歳出決算書では「不用額を生じたのは、一般求職者給付の受給者が少なかったこと等のため」とそっけなく説明されている。しかし、実態はどうかというと、歳出予算の甘い査定による無駄の放置を意味するものではなく、国会で議決された歳出予算が失業給付の受給資格要件の過度の規制や離職者の正当な受給の権利が事業主による自己都合離職の強要によって侵害され、本来受給すべき離職者が受給できない状況に追いやられている実態を直視する必要がある。しかも、上の表からも明らかなように雇用の安定のために積み立てられたはずの基金は過去5年間、1円も取り崩されず増加する一方で、2007年度末時点で残高は1兆円を超えている。
 このような事実を知れば、新たな財源措置を講じるまでもなく、国会で議決され、財源を確保済みの歳出予算を適正に執行することによって、失業者の生活難の緩和、再就職活動の支援を可能にする財源が現に確保されていることがわかるのである。多くの市民が雇用保険特別会計のこうした実態を知ることがぜひとも必要である。

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醍醐志万子 第九歌集『照葉の森』の出版によせて

 昨年9月に死去した姉・醍醐志万子の一周忌にあわせて、このたび志万子の第九歌集『照葉の森』を短歌新聞社から出版した。20053月に出版した第八歌集『田庭』以後、亡くなるまでの間の既発表、未発表の作品の中から選び、ほぼ制作順に収録したものである。私も出版社との交渉、校正に多少関わったが、編集・校正の大半は2人の姉(清水和美、安倉瑞穂)があたった。短歌に関わっている私の連れ合いも協力してくれた。
 改めて、読み返してみると、姉のこと、姉が80数年過ごした郷里のことがなつかしく思い出される。特に、親子ほど年が離れた私にとって、女学校時代を回顧した姉の歌から、戦中・戦後を生きた姉の姿に思いをはせることになる。また、姉が晩年に詠んだ歌に目を止めると、遠からず自分も向き合わなければならない老いの世界を考えさせられる。
 以下、弟として、また一人の人間として、印象深く思われた作品を、短い感想を添えて、書きとめておきたい。

  それの名も練兵場の花といひし花ふえて咲くわが庭のうち

  
今はなき村を発ち
来しバスならん朱のバスの行く雨しぶく中

 郷里・兵庫の丹波篠山の実家周辺の風景を詠んだ歌である。実家の隣は広大な練兵場で実家の向かいは兵隊の宿舎だった。そのため、実家は慰問にやって来た兵士の家族の宿になったことがあった。小学生の頃、裏山で遊んでいると斜面の土中から演習用に使われた銃弾がぞろぞろ出てきた。

  父と子と二代のえにしと 誄歌賜ぶ歌を作らぬわが父のために

   長命の母を言ひ出でこの人も励ましくるる有難きかな

 
姉の終生の友人、遠藤秀子さんに「解説」をお願いしたが、その中で遠藤さんは「人は誰しもそうだが単純な優しさとのみは限らない。しばしば身震うほどの嘆きもあったろう。しかし『歌』に向かうとき、その感情の殆どを浄化した」(236ページ)と書いておられる。上の二首をそうした感情の起伏、清浄を思い浮かべながら読みかえすと感慨を覚える。

  戦前も戦中戦後もわがうちを通り過ぎゆく一つくくりに

   大阪に二十代歌人会ありきわが二十代終は
らんころに

   戦後終はらんころに終はりし二十代ただ一つの思想を思想と呼びて

 
一首目の歌の意味は人それぞれに解釈があるだろう。ただ、三首とも遠い過去のことを飾り気のない簡明な言葉でずばりと表現したところに凛とした作者の性格を感じさせる。

  八十年たつた八十年住みし家に別れんとしてお辞儀一つす

   照葉の森に氏神おはすとぞ八社(はっしゃ)大神と鳥居に掲ぐ

   丹波より来し干し柿をくらはんと身をさかしまにひよのとりゐる

 
亡くなる2年ほど前に八十年住みなれた兵庫の実家を離れ、わが家の近くのマンションへ転居した前後に詠んだ作品である。マンションの近くの八社大神へは数回、車いすで出かけた。遠方からやって来た下の姉2人と出かけたこともあった。ひんやりとした冷気の森の急な坂道を足を踏ん張りながら押して上がった。実家では広い庭にいろんな植物を育てていたが、ひよどりがひっきりなしにやってきて柿の実をつついていた。転居先のマンションのベランダにもひよがやってきたのは姉にとって心温まる光景だったに違いない。

  病人の思ひを今にして知る清しとばかり言いてもをられず

   たちまちに夕焼けの色うすれゆきひとつところにともしびの色

   つぎつぎと思ひ出だしぬ白蘭と紫蘭の花の群れ咲ける庭


 すべてこのブログに転載した姉の死の直前の手作りの個人誌「暦」に収められた作品である。あれから1年経った今、読み返すと姉の心境をより冷静に受け止められるような気がする。気力、体力ともに限界に近づいた中で、このような凛とした歌を詠んだ姉の強靭な精神に身の引き締まる思いがする。
 最後になるが、遠藤秀子さんが渾身の思いで執筆された「解説」の中の一節を引用させていただく。

 「醍醐志万子は時流に媚びず、分析の痕跡を単念に消し、直載・単純な作風を好んだが内容は濃密である。
 ≪照葉の森≫も平明な言葉を選び、心身の衰えを受容しながら穏やかな晩年の心象風景を描こうとしている。しかし一首一首に心血を注いだその作品は、時に生命の根源に触れて怖ろしい。草木・虫・食べ物・人への愛情を作品に仕立てるまでの渾身の力を、醍醐志万子はしばしば『仕事』或いは『働く』と言った。それは四六時中『歌』で物事を考え、熟成の過程を苦しみ抜いた人のゆるぎない言葉だったと思う。病弱ゆえ家の周辺に在るものを対象とせざるを得ない環境が、限られた視界を見る目の確かさを養ったのであり、観察の深さ、鋭さにそれがよく現れている。」(233ページ)

 上 「戦前も戦中戦後もわがうちを通り過ぎゆく一つくくりに」 
 下 『照葉の森』表紙
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放送行政の独立機関化について提言を提出

 政権交代を機に放送行政を政府から切り離し、独立の第三者委員会(独立放送委員会・仮称)に移す構想が検討され始めた。その根本にあるのは「国家権力を監視する役割を持つ放送局を国家権力が監督するという矛盾を解消する」という理念である。この理念には国家と放送局のあるべき関係が凝縮されており、私も大いに賛同する。問題はこの理念を各論にどう貫くのかである。
 
これについて私も世話人として参加している「開かれたNHKをめざす全国連絡会」は1023日、代表者が内藤正光総務副大臣と面会し、「『日本版FCC』でない独立放送委員会を」と題する5項目の提言をまとめ内藤総務副大臣に提出した。以下は、そのPDF版のURLと全文である。その後に私のコメントを添えることにする。
~放送行政の独立機関化について提言します~
「日本版FCC」でない独立放送委員会を

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/teigen_dokurituhosoiinnkai20091023.pdf

    ~放送行政の独立機関化について提言します~
    「日本版FCC」でない独立放送委員会を


                       20091023
                 開かれたNHKをめざす全国連絡会

 原口一博総務大臣は、記者会見などで「通信・放送委員会」の創設を言明しています。民主党の『INDEX2009』にも「国家権力を監視する役割を持つ放送局を国家権力が監督するという矛盾を解消する」とあり、放送行政を政府から切り離して放送に対する国家権力の不当な介入を排除しようという姿勢を示したことは、率直に評価したいと思います。
 そのうえで私たちは、新しい委員会の創設にあたって、言論・表現の自由を守る観点から、最低限以下の各点の実現を求め、ここに提言します。今後の議論の参考にしていただくことを強く希望します。

1.新委員会には免許権限を、しかし内容規制はNO
 これまで政府は、放送局に対して放送内容に踏み込んだ行政指導を繰り返してきました。このような措置は憲法・放送法が保障する表現の自由・番組編集の自由から見て疑問の拭えないものでしたが、放送局は免許権限を政府に握られているために、反論もせず委縮してきたと言えます。こうした弊害を払拭するために、放送局への免許権限を政府から切り離して独立機関に委ねることが必要です。現に先進諸外国では、放送行政は政府から独立した機関が担っているところが主流であり、この機会に日本も世界の趨勢に倣うべきです。
 一方、放送局が番組で人権侵害などの問題を起こした場合、日本では放送倫理・番組向上機構(BPO)が迅速に、経済的負担も少ない形で救済する仕組みがすでに機能しています。屋上屋を架すことがないように、この仕組みを生かして、放送内容に関わる問題については、新委員会は一切タッチしないことが肝要です。
 この点で付言しますと、放送局に免許を付与する権限や電波の割当権限を総務省に残し、新委員会がその権限行使をチェックするという制度設計では、国家の介入から放送の自主・自律を守る制度にはなりえないことを申し添えます。

2.多数委員制と選任過程の透明化を
 アメリカのFCC(連邦通信委員会)は、与野党および大統領の推薦による5名の委員で構成されていますが、日本の場合、国民各層のさまざまな意見を放送行政に反映させるためには少なすぎると思われます。中央・地方からの委員選出などのバランスも考慮すれば、最低でも10名前後の委員が必要だと考えます。
 また、委員の選任に当たっては、選考委員会を設けて委員の候補を推薦する方法をはじめ、一般からの公募枠や、日弁連などいくつかの団体からの推薦枠を設けるなど、選任過程を可能な限り公開して、市民の目に見えるような形にすることが求められます。その際、政府・総務省は委員候補の選考過程には一切関与しない仕組みにするよう要望します。

3.議事の公開など組織運営も透明化を
 政府の審議会が曲がりなりにも公開の方向にあるにもかかわらず、総務省の電波監理審議会はその議事を一切公開しないままとなっています。市民各層の意見を反映した放送行政のために、新委員会における会議の公開は重要な検討課題です。少なくとも、発言した委員名を明示した議事録の速やかな公開を義務付けることは必須だと思われます。

4.事務局には役人OBでなく民間登用を
 アメリカのFCCは1800人に及ぶという事務局スタッフを抱えていますが、番組内容の規制を行わない組織なら、これほど巨大な事務局は必要ないと思われます。それでも、事務局スタッフを総務省などからの出向や天下りで占めてしまっては、独立行政委員会方式を採用する意義が大きく減じられることになります。電波行政は高度に専門的な知識や経験が必要でしょうから、官僚経験者をまったく排除することは非現実的かもしれませんが、なるべく民間から事務局スタッフを登用することにして、新委員会の独立性を高めることは重要なポイントであると考えます。

5.NHKと政府の関係も同時に見直しを
 放送行政の分離と合わせて、現在のNHKと政府の関係についても、見直しが必要だと考えます。国会がNHK予算の審議・承認の権限を持っているために、NHKが政治記者まで動員して質問取りなどの国会対策を行うという非常に不健全な慣習が続いています。政治介入を排除し、報道機関としてのNHKの自立・自律を促すためにも、NHK予算の国会承認制度の廃止を求めます(NHKと同様に受信料で成り立っている英国のBBCは、国会に対しては決算の報告のみで予算の承認は受けていません)。

 また、放送行政の新しい委員会について上記のように最高度の透明性を求めるのと同様に、NHK経営委員会のあり方についても改善が必要だと考えます。委員選出過程に公募枠を設け、政府・総務省は委員候補の選考に関与しない仕組みにするなど、市民の立場に立った経営委員会の改革を、この機会に強く求めます。

 日本は、アメリカのように民間放送のネットワークが圧倒的に普及している国や、ヨーロッパ諸国のように政府が関与した公共放送が主体になっている国々とはいずれも異なって、巨大な公共放送と複数の民間放送のネットワークという、非常に充実した放送実態を持っています。ですから、放送行政のあり方についても、日本独自の仕組みが求められるはずです。「日本版FCC」という言い方にとらわれず、諸外国の制度の良いところを参考にしながら、より豊かで自由な放送環境を創出できる放送行政の実現を、切に望みます。

                             以 上

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理念を各論に貫くために

 
提言の冒頭でも引用されているように、放送行政を独立の機関に移管しようとする構想の根底には「国家権力を監視する役割を持つ放送局を国家権力が監督するという矛盾を解消する」という理念がある。これ自体は、国家と政府のあるべき関係を簡潔に表すものであり、私も大いに賛同している。問題はこの理念を各論にいかに反映させるのかということである。
 この点で気がかりなのは、原口総務大臣が放送に関する行政権限は政府に残し、権力の不当な介入がないかどうかを監視するのが委員会の役割だという趣旨の発言をしている点である。しかし、独立放送委員会が総務大臣なり政府の放送行政権の行使を不当と判断した時、その権限行使を差し止めるほどに強い権限を持たないかぎり、委員会は総務大臣の諮問機関ないしは現在の電波監理審議会と大差ないものとなる。これでは放送局を国家が監督するという矛盾を解消できない。そうならないためには、放送行政権限そのものを独立放送委員会に移管する必要がある。

 もうひとつ気がかりなのは、内藤副大臣が、「緊急の場合に限って」と断りながらも、委員会に番組内容を規制する権限も持たせるべきと発言している点である。しかし、わが国では人権侵害や虚偽の放送がなされた場合は、放送倫理・番組向上機構(BPO)が迅速に審査にあたり、被害者を救済するなどの仕組みが機能している。独立の第3者機関といえでも、行政権限を持つ者が番組内容を規制する権限を併せ持つことは避けるべきである。

 最後に、独立放送委員会への国家権力の干渉・介入を排除する上で重要なことは委員の選任方法である。従来の政府審議会のように政府が自分の意に沿う「有識者」を物色して委員会に送りこみ、これら政府に「優しい」委員を遠隔操作することによって委員会を政府のコントロール下に置くのでは独立機関の名に値しない。そうならないためには、委員を選考するプロセスに政府は一切関与しない仕組み(選考委員会の設置、公募・推薦制の採用など)を工夫する必要がある。

政府・国会とNHKの関係も抜本的に改革すべき
 「開かれたNHKをめざす全国連絡会」がまとめた今回の提言の中でもうひとつ注目したいのは、放送行政の独立機関化と併せ、NHKに対する国家権力、政府の干渉、介入を排除するために不可欠と考えられる制度改革として、NHKの予算・事業計画に関する国会承認制の廃止を打ち出した点である。国民、有権者の代表が国政をめぐって審議をする公開の国会でNHKの事業活動の骨格をなす予算、事業計画を審議し、その承認をまって成立するという仕組みは一見、民主主義の手続きに沿うかにみえる。
 
 しかし、よく考えてみると、NHKの放送事業は「国政」ではない、むしろ、「国政を監視する有権者の知見を涵養する」活動である。国家権力を握る政府・与党がメディアによる監視の第1の対象であるといはいえ、メディアは国政全般を監視する使命を負っており、国家の三権――司法、行政、立法の各機関――から独立性を保つことが求められる。とりわけ、議員内閣制の下で多数党が立法府のみならず、行政府をも組織し、行政権の行使に強い影響力を及ぼす制度の下では、国会からの独立性を確保する必要がある。

 予算、事業計画の国会承認制があるがために、従来、与党議員は予算審議に名を借りて、NHKの個別の番組や人事にまで干渉し、番組制作に対する威嚇、牽制を繰り返してきた。また、予算、事業計画の国会承認制があるがために、予算案等の国会提出に先立ち、NHK役職員が総出で国会議員を回り、会長以下幹部は与党の非公式の部会等に呼ばれて、様々な注文をつけられてきた。さらにいえば、予算、事業計画の国会承認制があるがために、総務大臣はNHKから提出された予算案、事業計画に「意見を付けて」国会に提出する手続きが法制化されている。そして、その一環として、総務大臣が重要と認めた課題について特に留意して放送をするようNHKに「要請する」(従来は「命令する」)制度も法制化されている。しかし、数あるテーマの中で「何が重要か」を選別するのは編集の自由の根幹をなすものである。これについて所管大臣が判断を差し挟むことを可とする仕組みは放送の自由と本質的に相いれない。

 政権交代を機に、こうした行政府によるNHKへの不当不合理な干渉・介入を可能にした法制度を廃止することは放送行政の独立機関化を実効あるものとするためにも不可欠の課題であることを強調しておきたい。

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時価会計批判のいびつさと俗流「政治主義」

ある会計学界の集まりで
 半年ほど前、都内で会計学界関係者の集まりがあった。非常勤の講義を終え、開会時刻に遅れて会場に入ると、旧知のA氏とB氏がグラスを片手に会話していた。近づくと2人は時価会計のことを話していることがわかった。ちょうど、当時、サブプライム・ローン問題で有価証券の市場取引が低迷した起因として全国紙等が行き過ぎた時価会計に批判の矛先を受けているさなかだった。そのうち、B氏は私が近寄ったのを見て、「時価時価と言っていた人はどうしてくれるのですかね」と話しかけてきた。ちなみに私は会計学界では熱心な時価会計推奨論者の一人とみなされてきた。その後、次のようなやりとりを交わした。

 「醍醐:どうしてくれるのかって、どういう意味?」
 
「B氏:こんな状況になってどう思うのかということですよ。○○さんが〔時価会計を〕批判してきた通りになったじゃないですか?」
 「醍醐:あなたがいう時価会計批判とは時価会計のどこを指しているのですか? 私は時価会計に向けられた最近の批判は、①市場の流動性が極端に下がった時、それでも市場価格を時価として使うのかという批判、②もう一つは保有の目的別に有価証券の評価を分類してきた会計基準を見直す動き、だと思っていますが。」
 「A氏:それだけですかね。」
 「醍醐:時価会計のどこを問題にするのか定めないで時価か原価と言ってみても不毛ではないですか? ①の問題は、サブプライム問題が起こって急に浮上したことではなく、市場価格に代えて理論価格を使うこともありうると実務指針で定められています。問題は一口にいう理論価格とは何を指すのか、理論価格をどのように算定するの
かという問題だと思っています。これについては検討の課題だと考えています。②は今回あらたに浮上した問題ですが、私はもともと保有目的別時価会計、特に満期保有目的という目的を会計が一方的に定め、罰則を科してでもこの目的の中途変更を抑制しようとする会計基準は時価会計に固有のものとは考えていません。ですから、有価証券の保有目的別会計基準の見直しが始まったからといって、『それみたことか』と言い立てるのはナンセンスだと思っています。」
 「A氏:そうは思わないけれど、まあ、勉強させてもらいますよ。」

 A氏の最後の言葉が内心とかけ離れた社交辞令(捨てゼリフ?)であることは一目瞭然としていたが、それ以上会話を続ける意欲はなかった。

 俗流・軽薄の政治主義
 一つ前の記事の後段で、日本における会計基準の見直しは多くが海外での見直しの動きに追随した自律性のないものと論評した。しかし、日本の会計基準設定機関や会計研究者が国際会計基準にまったく異議を唱えてこなかったのかというとそうでもない。少なからぬ研究者は時価会計が国際的潮流になりかけたとき、それを「米国本位のグローバリゼーションの会計版」と見立てて執拗な異論を唱えてきた。しかし、私に言わせると、こうした抵抗は政治の世界の動きを会計の世界の動きに安直にダブらせる俗流「政治主義」以外の何物でもない。それでいて、時価会計が国際的潮流として定着したかに見えた時期には表向き沈黙を守りながら、サブプライム・ローン問題をきっかけにした金融不況で株価が低迷し、前の記事に書いたような保有目的別時価会計の見直しが始まるや、「それみたことか」と言わんばかりに沈黙を破って、時価会計を「株価至上主義の市場原理の権化」かのように咎め、原価主義への回帰を唱える時流便乗の研究者が見受けられる。時流の助けを借りなければ自己の見解を公然と表明できないのでは自立した研究者と呼ぶに値しない。
 ちなみに、「株価」を時価として用いることを以て、時価会計を「株価至上主義」とみなすのは軽薄な暴論の類である。時価会計に限らず、会計は実態を描写する道具であり、そのこと自体に特定の経済体制観が潜んでいるわけではない。「原価」か「時価」かの違いは何を以て「実態」とみるかの解釈の違いである。そして、どちらの解釈が適切かは、評価の対象である資産(ここでは有価証券)に備わるリスク・リターンの特性から判断するほかない。

 また、時価の下落で決算が評価損に直撃される状況の真因を時価会計に向けるのも本末転倒である。評価損が決算を直撃したのは価格変動リスクや信用リスクを伴う金融商品を銀行や企業が大量に保有したからである。時価会計はそれを描く鏡の役割を果たしたまでである。原価基準に切り替えたところで、売買を想定して保有し続ける限り、評価損は「消滅」するわけではなく、財務諸表に「表現」されなくなるだけである。会計情報を実態の鏡とするにとどまらず、リスク管理の道具にするというなら、リスクの顕在化を隠し、投資家や監督当局のモニターを効きにくくする原価会計よりも、「損失」を公表し、モニターを促す時価会計の方が優れていると考えるのが道理である。そこに、大げさな「主義」があるわけではない。

 しかし時価会計は万能ではない

 しかし、こういったからといって、私は時価会計が万能だと考えているわけでは決してない。その好例は債券の評価基準である。ここで詳しい説明をするゆとりはないが(詳しくは拙書の202204ページ、344~347ページを参照いただきたい)、満期のある債券には大きくは2つの投資のコースがある。一つは満期まで保有して約定どおりの元利のキャッシュ・フローを得るというコースである。もう一つは金利の動向とそれを基因とする債券の時価の動向を見極めながら、満期前に適宜売却してその時点の時価に相当するキャッシュ・フローを獲得した上で、手取り金を新たな投資対象に振り向けるというコースである。
ところが、現在の彼我の会計基準はいずれもこうした複数のコースの併用を認めず、企業が債券を購入した時点でどちらかのコースを選ばせ、原則としてそのコースを走り続けてゴールするよう、ペナルティ付きで規制してきた。
 それにしても、金利の変動等をにらんで、なぜ途中でコースを変更してはいけないのか? 満期前に売却する余地を残しておこうとすれば、一貫して時価評価を適用しなければいけないのか? 時価が低迷した時、満期まで保有する想定に切り替えてはなぜいけないのか? 満期まで保有するとなっても、なぜ時価を適用して市場価格の変動を貸借対照表に表さないといけないのか?
 逆に、当初は満期まで保有するつもりのところ、途中で時価が高騰した時、満期を待たず、当該債券の一部を売却しようものなら、残りの債券まで満期保有に分類することを不可とされることを厭わない覚悟を固めないといけないのか? 企業の投資行動への会計のいわれなき介入・干渉以外の何物でもない。

 前記のような金融商品の保有目的別会計基準を見直す動きは、外形的にはサブプライム・ローン問題をきっかけにした市場価格の暴落、低迷への対応ではあるが、その根底には企業の投資行動への会計基準の不条理な介入の行き詰まりがあったとみるべきである。また、こうした動きは金融商品の会計を安直に「原価」か「時価」かの選択に還元してしまう議論に対する戒めとも捉えるべきであろう。

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本文とは無関係ですが。今年の8月末、夫婦で出かけたノルウェーの写真

上:フロム港の前方に広がるフィヨルド
下:ベルゲンの郊外、トロールハウゲンにあるグリーク・ハウスのコンサ  ートホール。舞台の後方の窓から海が見える贅沢な設計だった。ここ  で、グリークにちなんだピアノ・コンサートを聴いた。

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拙書『会計学講義』第4版の重版を出版

 書きたいことはいっぱいあるのに公私の用事にかまけてブログの更新がだいぶ滞ってしまった。そんな後で自分の本のことを書くのは気か引けるが・・・・と言い訳をしながら、自分の新刊本(といっても重版)をPRさせていただく。(表紙のカバーの絵「浸透」は第3版に続き、衣川史さんの作品を使わせていただいたものである。)

 このたび、昨年5月に第4版を出版した拙書『会計学講義』の重版(第2刷り)を刊行する機会を得た。「堅い」大学の教科書の版を重ねられるのは著者としてうれしいことである。といっても、重版といえば、旧刷への加筆は原則なしで誤字・誤植の訂正を除けば増刷あるのみということである。しかし、第1刷を脱稿後も国際会計基準への調整(コンバージェンス)を理由とした会計基準の改廃が相次ぎ、それを取り込むのに苦労するのが最近の会計学教科書の書き手の共通の悩みの種になっている。
 そこで今回の重版にあたっては、編集担当者に要望して本文の末尾と索引の間(352355ページ)に、第1刷を脱稿後にわが国でなされた会計基準の改訂、および目下、見直しが進行している事項のうちから以下の主要な5項目を選んで簡潔な解説とコメントを追加した。

 1.財務諸表の表示に関する見直しの動き(その他包括損益の区分を設けて、従来の当期純損益と併記しようとする提案)
 2.後入先出法の廃止
 3.金融商品の測定区分の見直し(保有目的別に有価証券の会計処理基準を定めた従来の基準を見直し、区分を廃止または簡素化しようとする動き)
 4.退職給付債務の測定方法の見直し(将来の昇給を織り込んだ給付債務(PBO)を計上することにしている現行の会計基準の可否、給与改訂等に伴って生じる過去勤務債務を繰り延べ処理することを認めた現行の会計基準の可否等を再検討する動き)
 5.資本連結方法の改訂(部分時価評価法の廃止、全面時価評価法への一元化等)

 なお、この本の編集を担当してもらった東京大学出版会のOさんが出版会のHPで本書の紹介をしておられるので紹介をさせてもらう。本書の目次も掲載してもらったので参照していただけるとありがたい。
 http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-042128-7.html

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 ところで、上に挙げた最近の会計基準の見直しの中には、グローバル・スタンダードとして定着したかに見えた基準の見直しが少なくない。保有目的別の有価証券の会計基準の見直し、特に、満期保有目的の債券の目的外運用に対するペナルティを撤廃する動き、保有期間の長短を想定した有価証券の評価基準の区別を撤廃する動き、退職給付債務に将来の昇給を含める点を再検討する動きなどは、その典型例である。
 ここで気になるのは、わが国でのこうした会計基準の見直しがすべて海外発の見直しの動きを契機にした他律的なものだという点である。会計基準の国際的統合に自律も他律もないという主張があるかも知れない。しかし、現在、見直しが進められている会計基準のほとんどは、かつてそれらがグローバル・スタンダードになろうとした時、日本の会計基準設定機関は特段、独自の見解を表明するでもなく受け入れたものである。それが海外発で見直しされかけると、にわかに日本でも見直しの議論が始まる有様は何とも情けない右顧左眄である。この話をし出すと自著のPRからはずれるので、続きは次の記事で書くことにする。

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通勤は自転車に乗って~コペンハーゲンで見た朝の光景~

通勤自転車の長蛇の列
 むかし、「お使いは自転車に乗って」という歌があった。
 http://www.youtube.com/watch?v=-iuoXW2b2-c
 作詞・上山雅輔、作曲・鈴木静一、歌・並木路子で、昭和18年に発売された歌である。しかし、私がコペンハーゲンで朝の散歩の折に見かけたのは「通勤は自転車に乗って」といいたくなるような軽快な自転車通勤の列だった。

 8月下旬、1週間ほど夫婦でオスロ、ベルゲン、コペンハーゲンを回ってきた。ベルゲン滞在中は途中、フロム泊でベルゲン・ミュルダール・フロム・グッドヴァゲン・ヴォス・ベルゲンという定番のフィヨルド周遊を楽しんだ。定番とはいえ、ミュルダール・フロム間のフロム鉄道の両側に広がる自然そのままの雄大な光景、フロム・グッドヴァゲン間の2時間余りのフィヨルド巡りの折、両岸に点在した小さな村々、切り立った岸壁から流れ込む滝の光景などはさすがだった。湖畔の宿のようなフロムのホテルとその前に広がる埠頭から見渡すフィヨルドの絶景も忘れられない。しかし、こうした周遊の旅の紀行記は後回しにして、この記事では、旅の最後に束の間の滞在をしたコペンハーゲンで出会った自転車通勤について記録をとどめておきたい。

 ホテルをチェックアウトする827日の8時半ごろホテルを出て市庁舎前広場からチボリ公園の東側道路を通る頃、向かって道路の右側を様々な模様を凝らした自転車が次々と通り過ぎるのに気がついた。前日、ローゼンボー宮殿を経て国立美術館へ向かう途中でも自転車で行き来する人の姿が多いのに気がついていたが、新カールスベア美術館そばの交差点からランゲ橋あたりを歩く時に見かけた自転車の列には驚いた。

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赤信号のたびに交差点には自転車の長い列ができた。一見して通勤者だとわかるが、よく見ると、いろんな型の自転車に各々好みのデザインを施し、サイクリングカー並みのスピードで走りすぎていく。それにはわけがあることがだんだんわかってきた。


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 1つ目の写真からもわかるように、大通りでは車道と歩道の間に幅
3mほどの自転車専用レーンが設けられている。また、一方通行で自転車同士がすれ違うことはない。交差点に近づくと、さっと右手を横に挙げて後続の自転車に右折の合図をする人が多い。私が見た限りでは接触や追突の危険を感じる場面は全くなかった。市民は互いに自転車運転の作法をよく心得ている様子で、カラフルな衣装で颯爽と通りすぎる若者の後ろ姿を見送りながら、自転車通勤が個性をアピールする場面のようにも思えた。また、狭い道路にマイカーがひしめく東京の光景がいびつに思えてきた。
 そうかと思うと、下の写真のように前に取り付けたボックスに2人の子供を乗せた自転車も何度か見かけた。ぜひとも写真に収めようと後方を振り返りながらシャッターチャンスを待ち受けたのだった。10時前、コペンハーゲンの一番の繁華街、ストロイエを散歩するころには通勤時間帯は終わり、通りでは時々、さらにユニークさを競うようなデザインの自転車に出合った。

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デンマークを自転車王国にした社会事情

 帰国して、改めてコペンハーゲンの自転車通勤の由来を調べ、少しずつその社会的背景がわかってきた。デンマークは、世界有数の自転車国家である。デンマーク人が自転車で走る距離は、年間20億キロ以上にもなるという。デンマークの地形が平であること、移動距離が短いことなども自転車利用の活性化につながったようだ。職住が地理的に遠隔化し、電車での1~2時間の通勤が当たり前の日本では自転車通勤はままならない。また、デンマークでは自動車保有税が非常に高いため、自動車に代わる移動手段として自転車が利用しやすいインフラ整備(自転車専用レーンや駐輪場の設置など)が進んだといわれている。
 ネットで調べたところでは、今日、コペンハーゲンの住民の約36パーセントが自転車を通勤の手段にしている。そのうえにコペンハーゲン市は、この自転車通勤率を、2015年までに50パーセントに上げることを目標にしているのだ。自転車の利用率が50パーセントになると、年間8万トンものCO2排出量が削減できるという。
 日本では、高速道路料金を無料化が提唱され、電気自動車の開発・普及でCO2の排出量削減につなげようという動きもある。確かに、今になって、自転車専用道路といっても空想に近い。しかし、自分が車の運転免許を持たない超マイノリティだからかも知れないが、すべての発想が車の個人所有・利用を前提に生まれることに何の抵抗も感じない人が大多数であることに違和感を覚える。コペンハーゲンでは自転車は単なる移動手段であることを超えて、<自転車文化>にまで成熟していると感じさせられた。

京都からコペンハーゲンへ~COP15
 200912月にコペンハーゲンで開かれるCOP15に先立ち、駐日デンマーク大使館は環境への関心を高めるためのサイクリングツアーを各地で開催した。これは日本サイクリング協会をはじめ、様々な公的機関や民間企業などが支援する、「カーボン・ニュートラル(包括的に二酸化炭素を排出しない)」なイベントである。これに備えて、デンマーク大使館では、外交官をはじめ自転車好きが集まり、毎週火曜日と木曜日に多摩川沿いを40キロ走行したそうだ。このサイクリングツアーは、2009523日東京からスタートし、安城、郡山、札幌、宮崎、広島、今治、和歌山、京都を巡り、200965日、コペンハーゲンで終了した。
 環境問題というと、「地球にやさしい」の合言葉が愛好される。しかし、地球環境保全・改善は言葉ではなく、自分の身の回りから一歩を踏み出すことだと実感させられた旅だった。

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NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」を視て考えたこと

〔追伸〕「日本海軍 400時間の証言」が次の時間帯に再放送されます。
  98日(火) 010110 第1回 開戦 海軍あって国会なし

  9
9日(水) 010110 第2回 特攻 やましき沈黙
  9
10日(木)010110 第3回 戦犯裁判 第二の戦争

  現代史のなかでは私たち市民が知っているようで実はよく知らない、知らされていないことが少なくない。今年7月7日のNHKスペシャル「
JAPANデビュ-」第1回「アジアの“一等国”」が取り上げた日本による台湾統治はその一例である。さらに基本的な疑問として、あの太平洋戦争は具体的に誰のどのような発意で、どのようなプロセスを経て開戦に至ったのか、生きて帰れる道がない「特攻」という作戦は誰が発案し指揮したのか、東京裁判で死刑が軍部関係者6人に限られ、他に極刑を以て戦争責任を問われた者がいなかったのはなぜなのか?

「日本海軍 
400時間の証言」と題して89日から3回シリーズで放送されたNHKスペシャルは今まで謎に包まれていたこのような日本現代史の根本的な疑問に挑んだ番組だった。番組のタイトルにある400時間の証言とは海軍の基本作戦の立案・指導にあたった大本営の中枢ともいえる軍令部の元メンバーら(「水交会」と呼ばれた海軍OB会)の証言録のことである。彼らは昭和55年から11年間、秘密に集まって開戦から戦犯裁判までの経緯と戦争責任について延べ131回の「反省会」を開いていた。番組はそのやりとりを記録したテープを基本資料として編成された。ここでは3回シリーズを通して私の印象に強く残った点を記しておきたい。

「特攻は命令ではなく隊員の熱意から始まった」
 
1つは、「特攻」作戦が発案され、実行に移された経緯である。「自分が死ぬことでしか目的を遂げることができない」特攻作戦が始まったのは昭和1910月だった。当時、絶対防衛線と位置付けたアジア太平洋地域でアメリカ軍による攻撃を受け、大半の艦隊を失った日本海軍の中では「体当たりでやるしかない」といった空気が強まっていた。昭和188月の軍令部業務日誌には軍令部第2部長が「戦闘機による衝突撃」、「体当たり特攻機」を採用すべきと進言したとの記述が残されていた。さらに昭和20125日に総理大臣や陸海軍トップが参加して開かれた最高戦争指導会議では「1億総特攻」の名の下に特攻を主な戦力とすることが決定されていた。番組は海軍反省会の記録テープにこうした資料も添えて史実を固める作業を随所で施していた。
 
また番組では「自分の身体を兵器に代える」人間魚雷の訓練を受けた元隊員にも取材し、「鉄の棺桶」に入れられた時の恐怖、青年として生きたいという本能に変わりはなかったという述懐を伝えた。しかし、この「特攻」作戦を発案し指揮した軍令部のメンバーは反省会でも「あれは命令ではなく現場の熱意から始まった」、「命令ではなく、崇高な憂国の精神の発露だった」といってはばからなかった。その他のメンバーが自己責任に代えて異口同音に語ったのは、いかんともしがたい「組織の空気」になすすべなく「やましき沈黙」に流されたという釈明だった。
 特攻の最初の出撃基地フィリピンのマバラロットに建てられた碑文には“volunteer”(自ら志願した)という文字が刻まれている。また、この特攻隊の最初の出撃の12日前に戦果を鼓舞する電報を起案した源田実(戦後、航空幕僚長、国会議員を歴任)は神風特攻隊の慰霊碑に「青年が自らの意志に基づいて赴いた」と記していることも番組は紹介した。

「問題はどこで責任の遡上を食い止めるかだ」
 次に私の印象に強く残ったのは、元海軍軍令部のメンバーが第二復員省(二復)を拠点に東京裁判で旧組織のトップ(嶋田繁太郎元海相ほか)を守るために周到な作戦を練っていた事実を番組が生々しく伝えたことである。裁判を担当した豊田隈雄元大佐は東京裁判を「第2の戦争」と呼び、「与えられた裁判業務、これこそ私の戦場」と記している。彼らは出廷前の証人を密かに呼び出し、捕虜虐待は現場の判断によるものと証言するよう命じた。たとえば、東京裁判では潜水艦による魚雷が的中して海に浮かんだ連合軍隊員に機関銃を連射した日本海軍の行為に捕虜虐待の嫌疑がかけられたが、このような行為を命じたとされる軍令部の指示文書は何者かが偽造したものと言い張るよう命じた。しかし、実際はどうかというと、「口頭命令ではそのような行為はできない、やるなら文書による命令がほしい」という現場の指揮官の意向を受けて軍令部が文書で指示をしたものだった。

 また、番組は日本が中国本土への爆撃基地として香港の西、三灶島に第6航空基地を建設した際(昭和13~14年)に起こった現地住民迫害・虐殺事件を時間を割いて取り上げていた。日本軍は軍事機密を守るため、島民に島の外へ出ることを禁じ、家族の人数と名簿の提出を命じた。その記録と実際の人数が違った場合は逃亡の嫌疑がかけられ、厳しく追及された。番組では7歳の時に4人家族が日本軍に嫌疑をかけられたという現地住民が取材に応じ、山中に逃れ身を潜めていたところ幼い妹が泣き出した、自分たちが生き延びるため、心を鬼にして妹の首を絞めて殺したと嗚咽しながら語った。取材の過程で防衛研究所で発見された軍極秘の「三灶島特報」と題する資料によると、日中戦争勃発時に12,000人だった島民の人口は戦後は1,800人になっていた。大部分は逃走と考えられたが、資料には「一部に対し掃討作戦」とも記されていた。

 
東京裁判でオランダのローリング裁判官は元海相・嶋田繁太郎も死刑にすべきと主張したが、元軍令部の周到な裁判対策が功を奏し、嶋田は開戦の責任では有罪とされたが、捕虜虐待等の通常の戦争責任に関しては証拠不十分で無罪とされた。そして、嶋田は昭和30年には釈放された。反省会では「死刑になりさえしなければ終身刑でも講和条約まで頑張れば自由の身になれると考えていた」と証言したメンバーがいたが、現実はまさにそのとおりになったのである。
 
しかし、その一方で、捕虜虐待の罪で元海軍のBC級戦犯200人が死刑となった。番組では元軍令部のメンバーが作成したとみられる「弁護の基本方針」が紹介された。そこには、「天皇に累を及ぼさず。中央部に責任がないことを明らかにし、その責任は高くても現地司令官程度にとどめる。問題はどこで責任の遡上を食い止めるかだ」という記述があった。虐待を命じた者が最終的には無罪放免され、命令に従った者が死刑に処された――番組は侵略戦争の歴史のこうした悲劇を鮮烈に浮かび上がらせた。

「天皇に責任が及ばないためにはあらゆる場面で責任者がいなければならない」
 
最後に、私が注目したのは番組が海軍の東京裁判対策に触れる中で天皇に戦争責任の累が及ばないよう日米双方が水面下で突っ込んだ対策を練っていた実態を明らかにした点である。特に、マッカーサー元帥の軍事秘書官フェラーズ准将と接触した米内光政元海相の述懐として、アメリカ占領軍側は、「天皇が裁判に出されることは本国におけるマックの立場を不利にする」、「占領を円滑に進める上で、天皇には何らの罪はないことを日本側から明らかにしてほしい」、それには「東條(英機)に全責任を負わせることだ」とまで助言したという証言は東京裁判を検討する史実として注目に値する。
 番組は「戦犯裁判 第2の戦争」と題した3回目の放送の終盤で、海軍の用紙に記された「天皇の戦争責任に関する研究」という表題の文書を紹介した。そこには次のような記述があった。
 「天皇に責任が及ばないためには、あらゆる場面で責任者がいなければならない。」

 「軍隊は国民を守らない」という言葉をしばしば耳にする。しかし、それでもなお、日本の保守政権は国民のいのちと安全を守るためと称して防衛力強化を掲げ、「テロと戦う」アメリカへの軍事面での支援にまでのめりこもうとしてきた。では、その軍事力が本当に守ろうとするものは何なのか、軍事力の行使を発案した人間は常に安全地帯に身を置いて実働部隊を指揮すること、彼らは「戦後」の責任追及から生き延びる知恵にはたけていることを、知っておくことは無駄ではない。

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雑誌『WILL』の捏造・中傷記事に対して抗議と訂正の申し入れ

 目下、発売中の月刊誌『WILL20099月号に「NHK・中堅 番組ディレクター」なる筆者名で「NHKがドラマ 『昭和天皇 裕仁』を」と題する記事が掲載されている。 
http://www.web-will.jp/

 その中で、私が共同代表を務めている「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」がさる
77日付でNHK福地会長宛に、NHKスペシャル「JAPAN デビュ-」第1回「アジアの“一等国”」(20045日放送)の内容を高く評価すると同時に、同番組に対する攻撃に対し毅然とした態度を貫くよう求めた「要望書」を提出したいきさつに触れ、「台湾問題について打つ手のなくなったNHKが『決して批判だけでない』という材料がほしいがために、『番組を応援するような要望書を出してもらえないでしょうか』と醍醐氏側にそれとなくお願いしたと聞いています」(42ページ)と記している。

 「視聴者コミュニティ」の呼びかけ人・運営委員は、こうした荒唐無稽な捏造で当会を誹謗・中傷した記事に毅然と対処することにし、本日、当会名で次のような文書を『WILL』編集人・花田紀凱氏と同誌発行人・鈴木隆一氏宛に送付した。

貴誌20099月号に掲載された記事における悪質な捏造と当会に対する中傷への抗議と訂正の申し入れ
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/will_ate_kougi_community20090820.pdf


 また、同記事は、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の前身組織である「NHK受信料支払い停止運動の会」が200727日を以て解散し、「視聴者コミュニティ」に移行したいきさつにも触れ、それは200723日に開かれたNHK「ワーキング・プア ふれあいミーティング」に私が参加し、その場でNHKから「下にも置かぬ扱いでもてなし」を受けて懐柔されたことによるものであると記している。これも笑い話の類の捏造であり、私と旧「NHK受信料支払い停止運動の会」の名誉を著しく汚すものである。そこで、この点について、醍醐名で本日、次のような文書を同じく『WILL』編集人・花田紀凱氏と同誌発行人・鈴木隆一氏宛に送付した。

貴誌20099月号に掲載された記事における悪質な捏造と中傷に対する抗議と訂正の申し入れ
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/will_ate_kougi_daigo20090820.pdf

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«放送番組を監視する常設機関の設置を唱えた総務相