質問制限どころか「弁士中止」の再来

2019218

事実誤認はどちらなのか
 官邸は昨年1228日に、菅官房長官の会見における特定に記者の質問が事実誤認の連続として、是正を求める要請文書を内閣記者会に送った。
 しかし、2016年に沖縄防衛局がまとめた報告書で明記されていた辺野古沖における軟弱地盤の存在を「承知していない。防衛局に聞いてほしい」としらを切り、フェーク発言であることが明らかな安倍首相の「サンゴ移植」発言を弁護して見せた菅氏が記者に向かって「事実誤認」と決め打ち発言をしたり、記者の所属する新聞社に9回も注意をしたと得意げに語るのはおこがましい。赤土問題は事実誤認ではなく、地元では周知の事実である。語調の強さは真実の証しにならない。

「弁士中止」の再来
 官邸が内閣記者会に要請文書を出したことについて、菅氏は「会見は記者会の主催なので協力を依頼したまで」と語った。それなら、主催者でもない官邸の一員(報道室長)が特定の記者の質問の時に限って、約10秒ごとに「簡潔に」を連発するのは「質問制限」ではなく、「質問妨害」である。質問を受ける官邸がこれほどあからさまな発言妨害をするのは言論統制時代の「弁士中止」と同じだ。
 新聞労連は抗議声明を出したが、「要請」を受け、「問題意識の共有」を求められた内閣記者会が沈黙を続けるのはどうしたことか? 官邸と「問題意識を共有」するつもりなのか?

後藤謙次氏の気骨ある発言 
 212日の「報道ステーション」は816秒にわたって、「質問制限」問題を取り上げた。この番組で解説を務める後藤謙次氏については、官邸との親密さが問題になったことがある。しかし、この日のこのコーナーの最後に後藤謙次氏が語った発言は記者出身のベテラン解説委員の気骨を発揮した傾聴に値するものだった。以下は後藤氏の発言を私が原稿に起こしたものである。

 「今回の問題は1人の記者と菅官房長官の構図のように見えるが、本質は国家権力とメディアがどう向き合うのか、そこにある。政府のスポークスマンが国民の知る権利に誠実に応える、これが基本なんですね。どんな形にせよ、それが制限につながることはしてはならない。
 われわれ新聞記者は国民の知る権利を担って国民の目となり、耳となり、そして権力の考え方、方針、それを国民に提示していくというのが仕事なんですね。
 
私はその記者を直接知りませんけれども、その記者が発言する質問、それは我々全体に課せられた問題なんですね。 今回の官邸から『東京新聞』あるいは記者クラブ宛てに文書が出たようですが、記者クラブ宛ての文書は、記者クラブ全体で、この記者を村八分にしてくれよ、そういうメッセージと受け取れるんですね。
 これ記者クラブ側の問題があると思うのですが、こういう問題があった場合、なぜ、一致団結して、それをはねのけないのか、我々かつてやりましたけれども、どんな問題であるにせよ、考え方の違う人も一致して権力側に向かい合っている。それが記者のあるべき姿だと思うのですね。
 これを一記者の問題、あるいは一会社の問題として捉えている、そこ自体が私は間違いだと思う。現役記者の奮起を促したい。」


| | コメント (1)

宮城前の土下座写真、実はやらせだった?

 

201922

2015826日の『西日本新聞』に次のような記事が載っていたのを知った。

----------------------------------------------------------------

「土下座写真、演出だった?」
https://www.nishinippon.co.jp/feature/postwar_vol11/article/191171/ 

 「(19458月)15日の国民の様子は翌日の朝刊に載った。<永久忘れじ 痛恨の歴史 熱涙に拝す大御心>の見出しに、土下座をした人々の写真が添えられた。」
 「実はこの写真、15日に撮影されていない“やらせ”の可能性が高いことが分かってきた。同じ写真が他の地方紙でも使われており、通信社が配信したようだ。17日付で掲載した東奥日報(青森県)の説明文には「十四日」とある。
 その14日に写真を撮られた人の証言もある。74年、週刊誌で終戦の新聞について評論した外交評論家の加瀬英明さん(78)に一通の手紙が届いた。差出人は花田省三氏。宮城前を通り掛かったところ、腕章をしたカメラマンに土下座をするよう頼まれたという内容だった。他にも20人くらいが協力していたという。」

---------------------------------------------------------------------- 

 
記事は「報国報道も“終戦”を迎えた」で結ばれている。確かに、威勢のよい進軍ラッパを鳴らす「報国報道」は70余年前に終わった。しかし、それとは意識しにくい形で国策を後押しする、あざとい「報国報道」が今、強まっているように思える。

 
また、象徴天皇は、君主ではなく「象徴」であることによって、かえって、より多くの人々(かつては天皇制打倒を叫んだ政党の末裔までも)を自発的に恭順させ、臣民意識を温存する情動的思考停止装置として機能しているように思える。この装置は「平成」天皇一代限りではなく、「国民統合の象徴」という仕掛けで、この先も機能し続けるだろう。

| | コメント (0)

不正統計調査問題の報道でNHKに意見書を発送

2019128

 泥沼の底が見えない統計法に違反した厚労省の「勤労統計調査」問題。調査に当たった特別監察委員会の調査自体の杜撰さ、厚労省丸抱えの調査の実態が次々に発覚している。
 直近のニュースでは、厚労省の官房長が聞き取りに立ち会っていたという。

 厚労官房長同席、菅氏認める 麻生氏『それをやるかね』」
 (『朝日新聞DIGITAL2019128日、1124分)
 https://www.asahi.com/articles/ASM1X3F4ZM1XUTFK007.html

 この件で根本厚労相は25日、特別監察委員会に再調査を要請した。といっても、実態は報告書提出から3日後に再調査に追い込まれるという異例の事態。しかし、25日夜のNHKニュース7、ニュース・ウオッチ9の伝え方が醜かった。
 そこで、関係資料を集め、検討してまとめた意見書を昨日、NHK3つの部署(小池英夫報道局長、ニュース7担当、ニュース・ウオッチ9担当)宛てに発送した。以下、その全文を転載する。

 ------------------------------------------------------------------------

                      2019127

 

NHK報道局長 小池英夫 様

NHKニュース7 担当 御中

NHKニュース・ウオッチ9 担当 御中

 

   125日のニュース7、ニュース・ウオッチ9における

      不正統計調査問題の報道に関する意見

 

醍醐 聰

 

 

. 125日の番組で伝えられた項目(順序)と配分時間

 

ニュース7の項目、配分時間は次のとおりでした。
20190125
 また、ニュース・ウオッチ9の項目(順序)は次のとおりでした。

19歳、女子大生、行方不明 何が ②インフルエンザ流行拡大 ③ネット機器に国が無差別侵入 ④相模原傷害殺傷事件から明日で2年半 ⑤直木賞受賞 真藤順丈さんの描く沖縄 ⑥不適切な統計調査(47秒)
 <以下省略>

 ここ数日、厚労省の『毎月勤労統計』の不正調査問題と、その問題点を調査した特別監察委員会の調査報告に関して、与野党を問わず、疑問・批判の声が高まり、128日から始まる国会で最大の焦点になると見込まれています。3日前に提出された特別監察委員会の報告書に対しては、「身内からの聞き取り」という杜撰さに批判が相次ぎ、25日、衆参両院の閉会中審査を経て根本厚労相は、再調査を約束する事態に追い込まれました。

 25日午後以降、テレビ各局、全国紙は不正統計調査の実態と国会の動きを大きく報道しましたが、この日のNHKニュース7は、上記のとおり、主な項目の放送が終わった6番目にようやく、この問題を取り上げましたが、配分時間わずか49秒の駆け足報道でした。
 ニュース・ウオッチ9も、順序、配分時間ともにニュース7と同様で、不正統計調査問題はフラッシュの中でさらりと取り上げられただけでした。

. 意 見

 
(1) 3日後に開会が迫った国会の最大のテーマになると予想される不正統計調査問題に新たな動きがあった日のNHKの夜のゴールデンタイムのニュース番組において、この問題が、女子大生不明事件や特定のスポーツ選手の決勝戦を明日に控えた様子を伝えたあとで、配分時間もこれら2つの項目に充てた時間の3分の1以下、選抜高校野球の出場校決定のニュースに充てられた時間の2分の1以下という取り扱いは常軌を逸しています。

 (2)問題は放送の順序、配分時間だけではありません。問題の伝え方にも見過ごせない瑕疵がありました。それは、「内部的な調査にとどまっている」という抽象的な指摘で済ませ、どこに、どういう杜撰さがあったのかという肝心の内容を伝えなかった点です。
 125日の19時直前(1845分)にNHK NEWS WEBにアップされた「不適切統計調査問題 特別監察委員会再調査へ 根本厚労相」というタイトルの記事
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190125/k10011790761000.html?utm_int=word_contents_list-items_004&word_result
 
は、その内容から判断して、ニュース7で放送された読み上げ原稿(元原稿)に当たるものと考えられます。
 しかし、この元原稿にあった「課長級以下の職員のヒアリングは委員ではなく厚生労働省の職員が行っており」という部分がニュース7でもニュース・ウオッチ9でもカットされました。「内部的な調査にとどまっている」という指摘を伝えながら、その核心の一端といえる事実が元原稿にはあったにもかかわらず、番組の編集段階でカットされたのは視聴者に真相を伝える責務に背く作為と言って過言ではありません。

 (3)さらに、元原稿でも、実際の番組でも、特別監察委員会がまとめたとされる調査報告書の素案を厚労省の職員が作っていたこと、厚労省が調査方法を変更した理由として東京都の担当部署からの要望を挙げたことに関して、当時の都の職員がそのような要望をした事実はないと証言している点にもまったく触れませんでした。「内部的な調査」「不適切な調査」と言いながら、その核心に当たるこうした具体的事実を一切伝えなかったのは、ニュース報道における重大な瑕疵または不作為です。
 そうした事実は他の時間帯のニュースで伝えたとNHKは釈明するかもしれません。しかし、視聴者は、特に平日は、全ての時間帯のNHKニュースを視聴できるわけではありません。かりに他の時間帯のニュースで伝えられたとしても、視聴率が高い夜7時、9時のニュースで省いてよい理由にはまったくなりません。

 (4)125日のニュース7とニュース・ウオッチ9は、特別監察委員会による調査の杜撰さを一切、伝えない一方で、「根本厚労大臣は“調査結果は十分だった”との認識を示したうえで、“いささかも疑念が生じることのないよう”ヒアリングをさらに行っていただくことになった“と述べ、疑念を払拭するため、特別監察委員会が再び調査を行う方針であることを明らかにしました」で結びました。
 調査結果の杜撰さを裏付ける具体的事実を伝えない一方で、このような担当大臣の発言をおうむ返しに伝えるのは公正な報道から外れた番組編集であると同時に、特別監察委員会の調査は十分だったが、念のため、いささかの疑惑も払拭するよう,すすんで再調査を行うことにした、という厚労省の印象操作にNHKが加担し、拡散する政府広報と言って過言ではありません。
 こうした編集がNHKの「自主的編集判断」というのなら、今のNHKは国策放送局と呼ぶのがふさわしい組織に堕落していると言って差し支えありません。

 (5)NHK(をはじめとするメディア)に求められる報道機関として使命は、再調査というなら、最初の調査のどこを、どう改めるのか、「誰が」「誰に」「何を」聞き取る再調査なのか、再調査の報告書は素案の段階から、「誰が」「どういう手順で」まとめるのか、委員会の独立性を確保するため、どのような仕組み(委員の構成・補充、委員会ならびに議事録の公開)を採用するのかなどを、大臣会見の場で徹底的に質し、確認することです。視聴者が求めるのは、そうした質問力、自律的な調査・取材であり、これらに裏付けられた番組編集です。
 こうした自律的な問題意識、調査報道を欠いた政府発表の受け売りでは、もはや視聴者の知る権利に応えるメディアとは言えず、政府に不都合な真実を覆い、政府の意向に沿った印象操作に加担する政府広報機関です。そのようなNHKは、組織の維持・運営の財源を視聴者に請求する正統性をもはや失っています。
                           以上 

| | コメント (6)

辺野古報道~あざといNHKの政府広報。昨日、質問書を提出~

2019125

 辺野古沖で進められている土砂投入をめぐるNHKの政府広報ぶりがあざとい。見るにみかねて、私も共同代表の1人になっている「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」はこの件でNHK3名の幹部宛てに6項目の質問書をまとめ、昨日、渋谷のNHK放送センターへ出向いて提出した。

以下は、その全文。会のHPに載せている。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-7a7b.html

 質問項目の1~3は、16日に放送されたNHK「日曜討論」において、安倍首相が事実と食い違う「サンゴ移植」発言をしたことに関するNHKの報道のあり方に関するもの。
 質問項目の45は、土砂埋め立て海域で確認された軟弱地盤の問題に関するNHKの報道の不作為に関するもの。
 質問項目の6は、NHKが従来から、番組に関する質問について、「自主的編集判断」を盾に回答を拒むのは視聴者への説明責任に背くものと考え、編集の過程の説明を控えることができるのは、どのような場合かについて、当会の考え方を示したうえで、NHKの見解を質すもの。
 25日(火)までに文書で回答を求めている。

 ------------------------------------------------------------------------------ 

                       2019124
NHK
会長 上田良一様
NHK
放送総局長 木田幸紀様
NHK
報道局長 小池英夫様 

     辺野古での土砂投入工事をめぐる報道についての質問書

          NHK を監視・激励する視聴者コミュニティ

                 共同代表 湯山哲守・醍醐 聰
         http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/

 皆様におかれましては公共放送をつかさどる重責を担われ、ご多忙のことと存じます。
 以下、質問書を提出します。別紙の宛先へ、本年25日(火)までに文書でご回答をくださるよう、お願いいたします。

問題の経過
 (1)去る16日に放送された貴局「日曜討論」に出演した安倍首相は沖縄辺野古での土砂投入に関連して「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移している」、「砂浜に存在した絶滅危惧種は砂をさらって、しっかり別の浜に移した」と発言しました。希少資源のサンゴの保全に十分配慮した上での土砂投入であると言わんとしたものです。
 しかし、沖縄防衛局が移植したサンゴは埋め立て海域全体のサンゴ74千群体のうちの9群体にすぎず、その9群体も今回の土砂投入区域外のものでした。
 放送直後から、「事前に収録した録画の放送であるにもかかわらず、なぜ事実と異なる首相発言をそのまま放送したのか」という疑問、批判が多数、貴局に寄せられたと伝えられています。
 この点を質した報道機関の取材に対し、貴局は「NHKの自主的な編集判断」と応答するのみで、訂正も謝罪もないまま数日、経過しました。
 111日の「ニュース・ウオッチ9」で、ようやく安倍首相の発言が事実と異なっていたことを伝えました。

 
 () 121日、防衛省は辺野古埋め立て区域に存在すると指摘されていた軟弱地盤対策のための設計変更を検討することになったと伝えられました。軟弱地盤の存在は2016年に沖縄防衛局がまとめた地質調査報告書で確認され、国会でも取り上げられてきました。沖縄県の見通しでは、設計変更には約1500億円、5年ほどの年月がかかるとのことで、県知事の承認が必要とされることから、辺野古沖の埋め立て工事は大幅にずれ込むことが必至の状況です。
 しかし、この件について、NHK21日夜7時のニュースでも9時のニュースでもまったく取り上げませんでした。

質問1〕
 
「あそこの」「別の浜に」とはどこを指すのか、常識的に理解不能な安倍首相の発言を、その場で問い返すことなく終わった司会者の見識が問われますが、事前録画で、放送前に首相発言の真偽をチェックする時間があったにもかかわらず、事実上の否定報道が5日後の11日の「ニュース・ウオッチ9」となったのはなぜですか? 

〔質問2
 
今回の「日曜討論」の件に限らず、NHKは放送に関する外部からの疑問、質問に対して、自主的編集を盾に実のある応答を拒むのが通例になっています。これについては、後ほど質問しますが、自主的というなら、貴局内の自主的放送審査組織である考査室は、16日の「日曜討論」における安倍首相発言の放送のあり方について、放送後、どのような考査をし、担当部署に伝え、やり取りをしたのか、なにもしなかったのか、お聞かせ下さい。

〔質問3
 
111日の「ニュース・ウオッチ9」は、「辺野古埋め立て 土砂投入前にサンゴ移植急ぐ 防衛省」という大見出しで、先の安倍首相の「サンゴは移植した」という発言が事実と食い違うことを伝えたあとで、 「しかし、残りのおよそ7万4000群体の移植は県の許可が得られていないことなどから進んでいません。このため防衛省はサンゴが生息する区画に土砂を投入する前に移植するため、今後、県との調整を急ぐことにしています」と放送しました。
 このような伝え方は、沖縄防衛局は希少資源の保全のためにサンゴの移植を進めようとしているが、沖縄県が許可しないのが原因で移植が進んでいないという認識を誘導するものです。
 しかし、沖縄県が移植を許可しないのは、移植ではサンゴを保護できる保証はない、繊細な環境のなかで生息するサンゴは水流や光の強さが少し変わるだけで死滅する恐れがある、サンゴの保全を考えるなら土砂投入は避けるべきという専門家の判断も参考にしたものです。
 こうした沖縄県や専門家の意見を伝えることなく、政府・沖縄防衛局の言い分だけを一方的に伝えるのは、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めた「放送法」第4条第1項4の規定に反していると当会は考えます。これに対する貴職の見解をお示し下さい。

〔質問4
 121日に防衛省が土砂埋め立て海域における軟弱地盤対策のため設計変更を検討することになったという事態は辺野古沖での新基地建設に甚大な影響を及ぼすと予想されます。しかし、NHKは当日、夜7時のニュースでも9時のニュースでも、歌舞伎町で起った発砲事件を時間を割いて伝える一方で、軟弱地盤の問題はまったく伝えませんでした。
 なぜ、このような話題の取捨選択がされたのか、その理由、基準をご説明ください。

〔質問5
 
土砂埋め立て海域における軟弱地盤の問題は2016年以来、国会でも取り上げられてきましたが、NHKはこの問題について、これまでのニュース・報道番組でどのように(いつ、どの番組でも含めて)、伝えてきたか、ご説明ください。

〔質問6〕
 
今回の件に限らず、「放送法」第4条や「NHK放送ガイドライン」などにもとづいて、NHKの番組内容について質問をした側に対し、NHKは「局の自主的編集判断」を盾に、実のある回答を拒むのが通例になっています。
 しかし、NHKに認められる「自主的編集判断」とは、視聴者からの質問を遮る盾として認められたものではなく、NHKが監視の対象とする様々な権力の介入を防ぎ、視聴者の知る権利に応えるためのものです。
 この意味から、NHKがニュース報道等の編集過程・内容についての放送後の質問について、説明を拒めるのは次の場合に限られ、それ以外はむしろ、積極的な説明責任があると当会は考えています。これについて貴職はどう考えられるのか、見解を求めます。
 ①取材源(公的機関でしかるべき職務権限を持つ者は除く)の秘匿を必要とする場合。
 ②個人(公的機関でしかるべき職務権限を持つ者は除く)のプライバシ―を保護する必要があると認められる場合。
 ③営利企業に競争上の不利益を及ぼすと合理的に判断される場合。

                             以上 

| | コメント (0)

起立・斉唱の強制は「儀礼的所作の求め」で済まされない

20181214日 
 1211日に「東京・教育の自由裁判をすすめる会」の呼びかけで行われた
最高裁要請行動(卒業式等で日の丸・君が代に起立斉唱しなかったことを理由に懲戒処分されたり、慣例に反して定年後の再雇用を拒否されたりした都の教員が処分の取消等を求めて起こした裁判で教員を支援する活動の一環)に私も参加した。

  最高裁書記官補佐が応対した30分間の面会では、まず、小森陽一さんが会の共同代表9名(私も末席に加わっている)の共同代表のアピール、
  最高裁判所は司法の良心と独立を示す判決をだし、『行政を忖度
  した』などと揶揄されることがないよう望みます」
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/20181211kyododaihyoyosei.pdf …  
の全文を読み上げた。
 
続いて、私は「教育の自由裁判をすすめる会」の要請に応じて個人名でまとめた要請書、
 「起立・斉唱の強制は「儀礼的所作の求め」で済まされない」
  
sdaigo.cocolog-nifty.com/20181211daigo_yosei.pdf …
を読み上げた。
 その後、俵儀文さんが、戦時中の教科書で日の丸がどのように使われたかを記した資料を示しながら、日の丸・君が代が歴史において果たした役割に着目するよう求める発言をした。
 以下は私が読み上げた要請書の全文。

 ------------------------------------------------------------------------ 

最高裁第一小法廷
裁判官 各位
懲戒処分取消等請求事件
上告申立   事件番号 平成30年(行ツ)第283号
上告受理申立 事件番号 平成30年(行ヒ)第318号

             要 請 書
  起立・斉唱の強制は「儀礼的所作の求め」で済まされない

                        20181211
                          醍醐 聰

 最高裁(第一小法廷)は2018719日に示した「再雇用拒否に係る第二次訴訟」判決で、1審、2審判決を破棄し、原審原告が求めた再雇用拒否の撤回の訴えを斥けました。私はこの判決の有力な拠り所になったと考えられる「儀礼的所作」論について再考を求める意見をお伝えします。
 いうまでもなく、「儀礼的所作」論とは、学校の儀式的行事である卒業式、入学式等において、国旗掲揚・国歌斉唱を教育委員会なり校長なりが求めるのは、これら式典における慣例上の儀礼的な所作を促すものであり、教員らの思想・良心の自由を否定するものとはいえない、という考え方です。このような言い回しには、たかが一時の形式的身体的な所作の求めを、思想・良心の自由の侵害などと言い立てるのは過剰反応だという含みがあると思われます。はたして、一時の形式的な所作の求めと言って済むのでしょうか? 

 特段、疑問も持たず、求めに応じる人々にとっては、「一時の」「慣例的な所作」かもしれません。しかし、日の丸、君が代に宿る暗い歴史に照らして、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう同調を求められることに精神的苦痛を覚える教員にとっては、とうてい「たかが」、「一時の」「形式的所作」では済みません。
 それどころか、そうした教員にとっては卒業式、入学式が近づくたびに、学校行事を生徒本位のものとするために自分はどう振る舞うべきか、起立・斉唱に応じなかった場合の自分の今後の職や生活はどうなるのかなどをめぐって、自己の良心との葛藤にさいなまれる日々が続くのが現実です。

 さらに、日頃、自分の頭で考え、行動する大切さを伝えてきた教え子が見守るなかで、周りの空気に同調して、起立・斉唱する自分の姿をさらすことに耐えがたい苦痛を覚える教員がいたとして、それは法的保護に値しない身勝手な行為なのでしょうか? 

 起立・斉唱の求めに応じたくない教員の精神的苦痛は行事の当日、ピークに達します。大阪府教育委員会は、20123月の卒業式の際に、君が代斉唱の「口元監視」(いわゆる口パクチェック)を行い、その結果をメールで返信するよう、府立高校138校、支援学校31校に文書で通知しました。
 東京都でも、10.23通達が出されて以降、折に触れて、卒業式・入学式に数名の都教委職員が不起立の教職員を監視するために派遣されました。それまで教職員、保護者があたたかく見守る中、何の混乱もなく行われてきた卒業式・入学式が,10.23通達が出されたのを機に、思想・信条のいかんで教職員や保護者を分断し、起立斉唱に異議を持つ教員に「踏み絵」を突きつける場になったのです。
 こうした教員の良心、内心の自由を全体への調和の名のもとに切り捨ててよいのでしょうか? 私はそのような個の自立、内心の自由にまで踏み込む教育行政も、それにお墨付きを与える司法判断も、とうてい容認できません。

 なぜなら、自分の虚像を他者によって作り出されるのがプライバシーの侵害だとしたら、自分の内心(真意)に反する行為を当人に強要するのは、プライバシーの侵害よりもはるかに深刻な苦痛、呵責を当人にもたらすからです(堀口悟郎「人格と虚像――君が代起立斉唱事件判決を読み直す――」『慶應法学』201410月、55ページ)。
 それでも、最高裁が起立・斉唱の強要は、単なる形式的所作の求めとみなすなら、最高裁裁判官の人権認識が疑われます。

 起立・斉唱の強要は行事の日以降も、思想・良心の自由に対する深刻な侵害行為を惹起しています。
 職務命令に従わず、卒業式等で起立・斉唱しなかった教員は平常の授業時間帯にも再発防止を名目にした「研修」への出席を義務付けられ、自分の行為を「非行」と認めて「反省文」を書くよう強要されています。
 過去に起立・斉唱に応じなかったことを理由に、すでに内定していた定年後の再雇用を取り消されたり、再雇用を拒否されたりした「元」教員も少なくありません。
 起立・斉唱を「形式的所作」と呼び、さも軽い求めかのように言うなら、そのように軽微な求めに応じなかったという理由で、懲戒処分や再雇用の拒否といった重い報復的処分を課すのは、一貫性を欠く事の軽重判断と言わなければなりません。

 最高裁は、不起立行為をもって勤務成績を不良と判断するのは不合理ではない、思想・良心の自由を間接的に制約することはあっても、直接的な侵害には当たらない、と説明しています。最高裁や最高裁判決に準拠した地裁、高裁がこのように判断する根底には、内心の自由は尊重されるべきものだとしても、それを学校行事などの場で外形化(外形的行為として表出)するのは、おのずと制約を受けてしかるべきとみなす考えがあると思われます。最高裁が言う「間接的制約」論とはこういう趣旨と思われます。

 しかし、そうであれば、ここでも判断の首尾一貫性の欠落を指摘しなければなりません。なぜなら、こうした意味での「間接的制約」論を採るなら、教員が日の丸・君が代が果たした歴史的役割、個人の自立を尊ぶという自らの教育上の信条に照らして形成された自らの内心に反する行為に限って、なぜ外形化することを強要されなければならないのか、説明がつかないからです。
 内心とその外形化の捻じれが問題になる時に、教員の内心が一時の教育行政の意に沿わない場合は外形化を禁圧され、教育行政の意に沿う行為と偽って外形化することを強要されるのでは、教員個人の人格的自律の基盤となる思想・良心の自由が破壊されるのも同然です(堀口、前掲論文、38ページ)。

 また、(過去の)起立・斉唱への不服従を理由に懲戒処分をしたり、再雇用を拒否したりするのは、特定の思想信条を理由に個人に対し、著しい差別と不利益処分を課すものですから、思想・良心の自由の間接的制約どころか、直接的侵害にほかなりません。
 ましてや、「研修」に名を借りて、起立・斉唱に応じなかった自らの行為を非と認め、反省するよう迫るのは、自己の内心に背く行為を強要する行為であり、思想・良心の自由に対する非道きわまりない直接的な侵害です。

 教育の現場に同調ではなく、自分の頭で考え、自分の言葉で語る自立の精神を醸成することは、生徒を民主主義の担い手へと育む教育になくてはならない条件です。
 私は約40年間、3つの大学で教育に携わった者として、最高裁が、こうした教育環境を取り戻すのにふさわしい判断を示されることを希望してやみません。
                           以上

Pc051733


| | コメント (0)

大阪検察審査会に意見書を提出~工事に支障がない地下埋設物は瑕疵ではない~

20181212

私も参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」のメンバーほか市民有志は、森友学園への国有地売却をめぐる疑惑の徹底究明を求め、昨年1016日に美並義人・近畿財務局長(当時)を背任の罪で刑事告発し、1122日に佐川宣寿・財務省理財局長(当時)を証拠隠滅の罪で、また池田靖近畿財務局管財部統括国有財産管理官(当時)を背任の罪で、それぞれ東京地方検察庁に刑事告発した。

 しかし、これら2件を担当した大阪地検は今年の531日、いずれの告発についても不起訴処分とした。私たち告発人はこうした処分に到底納得できず、64日、大阪検察審査会に審査申立書を提出した。
 それから約半年間の経った1210日、この間の国会審議や会計検査院の追加検査等の状況を見届けたうえで、私たち審査申立人4名は代理人弁護士とともに、申立てを審査している大阪第一検察審査会(大阪地裁の建物内)へ出向き、背任を立証する補充文書(意見書)をした。
 補充文書(意見書)の全文
 提出した意見書の全文
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kokaihan_sinsahozyuusho20181210.pdf
 

 その後、同じ大阪地裁の建物の中にある大阪司法記者会で約50分間、記者会見を行い、意見書提出の経緯、意見書の内容を報告、記者諸氏と質疑を交わした。

 この日の模様は、同日、NHK関西がニュースで報道した。
 「森友問題で検察審査会に意見書」
 (関西NHK WEB 20181210日、1751分)

       https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20181210/0010553.html

 意見書のポイントを的確に伝えたと感じた。

 意見書で強調したのは、森友疑惑の核心であるにもかかわらず、国会も会計検査院も素通りした点、つまり、「地下埋設物はいかほど存在したのか」ではなく、「仮に存在したとしても、それが補償を必要とする法的意味での瑕疵にあたるのかどうか」に焦点を当てるべきという一点である。
 以下、補充文書(意見書)の要点部分を節ごとに転載する。

 ---------------------------------------------------------------------------- 

                       20181210
大阪第一検察審査会 御中 

          審査申立への補充文書 

1
.本申立補充書を提出するに至った理由
 「大阪地検特捜部は、一定量のごみがあったと認識していた近畿財務局職員らによる撤去費の算定は、不適切とまでは言えず、ごみ撤去で開校が遅れれば学園から損害賠償を求められる恐れがある中、売買契約に今後、賠償請求をできなくする特約が盛り込まれた点も踏まえ、故意に国に損害を与える目的があったとは認められないと語った。」
 「今回、本件審査申立人(以下、「申立人」と略す)が申立補充書を提出しようと考えたのは、大阪地検特捜部が挙げた上記のような不起訴の理由、とりわけ、森友学園から損害賠償を求められる恐れがある中、売買契約に今後、賠償請求をできなくする特約が盛り込まれた点を不起訴の主な理由に挙げたことは到底、納得できず、反証資料を添えて、貴審査会に厳正な判断を仰ぎたいと考えたからである。」

2
.地下埋設物の瑕疵についての核心的な争点 
 「それなら、実際に地下埋設物はどれほどあったのか、その単価はどれくらいで、撤去に要する費用の総額はいくらと見積もられるのかとなると決め手を欠き、追加検査を実施した会計検査院も8億余円の値引きの妥当性に関しては判断を見送った。
 申立人も、困難を承知の上で、地下埋設物の存在とその分量、総額を、例えば、ゴミ混入率から割り出そうとする試算や、土地の履歴をもとに地下埋設物の種類、形状を推定して撤去費用を見積もろうとする試みを無意味というわけではない。しかし、そのようなアプローチの仕方では、上記のような壁に行き当たることは十分予見されるところである。では、この壁を乗り越えるのは不可能かというと、そうではない。

 そのカギは、国会も会計検査院も的確に問いかけなかった一点、つまり、『地下埋設物が存在するのかどうか』、『存在するとしたら、どれだけか』ではなく、『地下埋設物が存在するとして、それは値引きの根拠となるような法的意味での瑕疵に相当するものだったのかどうか』を検証することである。」

3
.判例の検討
3-1 工事の支障になるとして地下埋設物が瑕疵に当たると判断された判
    例
 「宅地の売買において、その地中に、大量の材木等の産業廃棄物、コンクリートの土間や基礎が埋設されていたことが、土地の隠れた瑕疵になるとされた事例」(東京地裁、平41028判決、『判例タイムズ』No.831199421日、159頁)」
 「つまり、東京地裁は、地中埋設物が存在したこと自体ではなく、買主が土地を買受の目的に充てる工事を遂行する上で、埋設物が障害になったという事実にもとづいて「瑕疵」に当たると判断し、当該地中埋設物の撤去に要した費用を売主が賠償すべき損害と認定したのである。」

3
2 工事の支障にならないとして地下埋設物が瑕疵に当たらないと判断さ

  断された判例

これに該当するリーディング・ケースとして次の判例がある。
『鉄筋三階建ての分譲マンションを建築する目的で買い受けた造成地の地下にビニール片等の廃棄物が混入していたとしても、杭打工法により予定どおりのマンションを新築して買受目的を達している場合には、右造成宅地に瑕疵があるとはいえないとされた事例(神戸地裁、昭59920判決、『判例タイムズ』No.541198521日、180頁)』

 「その理由として神戸地裁は、本件土地にはビニール片等の廃棄物が混入していたため、当初予定していたベタ基礎工法を杭打工法に変更を余儀なくされたにせよ、現にこれを新築することができて、その買受目的を達していたこと、また工法の変更は必要不可欠なものであったという確証はないことを挙げている。」

3
3 まとめ
 以上、紹介した2つの事例が意味したことをまとめると、「売買される土地の地中に土以外の異物が存在するというだけで、土地に『瑕疵』があると言えるわけではないという点では判例は概ね一致している。そして土地に『瑕疵』があると言えるのは買主が買い受けた土地を予定した用途に充てるための建築をするにあたって工事の障害となるような質・量の異物が地中に存在する場合に限られると解釈する点でも判例は共通している」(中原洋一郎・廣田善夫「地下埋設物が存在する土地の売却における瑕疵担保責任と行うべき調査――福岡地裁小倉支部平成21714日判決・判例タイムズ1322188頁」『季刊不動産研究』201310月、61頁)と言えるのである。

4.豊中市が買受けた給食センター予定地から発見された地下埋設物が瑕疵に
 当たるとして市が補償を請求した事例~森友学園案件との比較~

4
1 事例の概要

 「20171127日に開かれた衆議院予算委員会で竹内譲委員は、近畿財務局が森友学園との国有地売買契約書において、当該土地に関する一切の瑕疵担保責任を免除する特約条項が付され、それを前提に地下埋設物撤去、処分費用が算定されたのは一定の合理的な考え方に基づいていると述べたうえで、そうした持論を補強する証拠として、20156月に豊中市が新関西国際空港株式会社から、給食センターを建設する目的で7210平米の土地を約77000万円で購入した事例(以下、「豊中市給食センター案件」という)を挙げて次のように発言した。」

 「竹内委員は、豊中市給食センター案件で地下埋設物に起因して豊中市が売却価格の2倍近くの損害賠償金を請求したことを引き合いに出して、近畿財務局が森友学園に国有地を売却する際に、瑕疵担保責任を免除させる対価として、鑑定価格の86%もの値引きをしたのを正当化しようとしたわけである。
 しかし、2つの事例を立ち入って比較すると、両者における地下埋蔵物は瑕疵の法的評価という点で似て非なるものであったことがわかる。」
 それを一覧表で示すと、次のようになる。これにもとづいていうと両者の地下埋設物にどのような違いがあるかを説明する。」 
Photo_2
42 形状の違い

4
3 工事への支障・撤去工事の実施の有無
 「豊中市給食センター案件で問題となった地下埋設物は、有害の石綿含有物は含まれていたことに照らしても、また、埋設物が大量の基礎・支持杭、コンクリートがらだったことからも、給食センターの建設にあたって撤去は当然のこととみなされた。現に、豊中市はこれら地下埋設物を除去する処置を行うため、2018年度の債務負担行為の限度額を251,810万円に補正し、建設工事を請け負った共同企業体と契約金額を改訂した。

 他方、森友学園案件はどうかというと、半世紀前に蓄積された陶器片、廃材、その他生活ごみが、かりに3.9m以深の地中に存在したとして、それが現時点で校舎等の建築の支障になるとは考えられない。佐藤善信航空局長(当時)も、廃材、生活ごみが存在していても『工事の施工には問題はございません』(2017228日、参議院予算委員会)と答弁している。森友学園の籠池理事長(当時)も2017220日に放送されたTBSの単独インタビューで、『運動場の下は取り出さなくていいんですから、さわっていないんだから、そこにお金がかかることはありません』と明言している(2017221日、衆議院財務金融委員会会議録も参照)。

 また、佐川宣寿財務省理財局長(当時)は『地下の埋設物につきましては、その土地を売却した後に相手方において適切に撤去したというふうに聞いてございますが、売却後でございますので、具体的な撤去の状況につきましては把握してございません』(2017220日、衆議院予算委員会)と答弁し、富山一成理財局次長も『その契約後に森友学園側が実際にどれだけの地下埋設物を撤去するかということは森友学園側の判断ということでございまして、当方としてそれについて何らか指示をするということもございませんし、我々として実際にその状況を把握していないということでございます』(2018417日、参議院内閣委員会)と答弁している。

 こうした関係者の発言から、森友学園が国有地を取得して以降、小学校の開校に向けた準備の過程で、瑕疵担保の見返りとして値引きされた8億余円を地下埋設物の撤去工事に充てたことを裏付ける形跡はまったくないと言える。」

4
4 瑕疵の補償の方法~事前補償と事後補償~
 「一般に隠れた瑕疵については、買い手が買受けた土地から発見された瑕疵を除去する工事を行い、それに要した費用を売主に請求して補償を得るという『事後補償』が通例である。
 豊中市給食センター案件もこれに準じ、市は給食センター建設を請け負った事業者と地下埋設物の撤去のための追加契約を交わし、工事に要した費用を売主である新関西国際空港株式会社に請求するという手続きを踏んでいる。

 他方、森友学園案件では、売却される土地の価格を瑕疵相当分だけ値引くという『事前補償』方式が採られた。では、それに見合って瑕疵を除去する工事が実際に行われたのかと言うと、上記のとおり、行われたことを裏付ける証言も記録もない。ここに森友学園案件の疑惑が集中的に露見している。」

5
 精算なき事前補償
 「もともと概算払いとは、前払金と違って、金額が未確定な支払い方法を意味する。そのため、概算払いがなされた場合は、後日、金額を確定するための精算(または清算)が義務付けられている。現に、『計算証明規則(昭和2767日、会計検査院規則第3号)』は第30条の2で「前払金又は概算払いをしたもの(旅費を除く)について、・・・・精算の事実についての計算を明らかにした明細書を支出計算書(官署分)に添付しなければならない」と定めている。」

 「しかし、森友学園側から、8億余円の精算を証する明細書等が近畿財務局なり会計検査院なりに提出されたことを裏付ける記録文書または報告は見当たらない。というより、財務省理財局は、上記のように、売却後に森友学園が8億余円をどのように使用処分したか、地下埋設物をどのように扱ったのか、与り知らないという態度なのである。

 となると、概算払いであるにもかかわらす、事後の精算を求めないのは、瑕疵の補償を名目にして森友学園に支払われた8億余円が国庫に返納されず、森友学園に滞留するという事態になったことを意味する。」

「ましてや、本件国有地の売買価格交渉の場で近畿財務局の担当者が『土地の瑕疵を見つけて価値を下げていきたい』などと発言した(『新たなメモ見つかる』『報道ステーション』20178月3日)のは、森友学園に利益を得させるための官主導の談合交渉と言っても過言ではなく、『各省各庁の長は、その所管に属する国有財産について、・・・・適正な方法による管理及び処分を行わなければならない』と定めた「国有財産法」第9条の5の規定に違反する行為であり、背任の罪に問われてしかるべきである。」

6 むすび 
 以上の検討から、森友学園に売却された国有地には法的な意味での瑕疵、つまり、当該土地を買受目的に供するための工事の支障となるという意味での瑕疵は存在しなかったことは明らかです。
 にもかかわらず、被告発人らが、瑕疵にあたる地下埋設物が存在するかのように偽装して(少なくとも、瑕疵に当たるような地下埋設物が存在するどうかについて確証を得ないまま)、価格交渉の妥結を急ぎ、そのために売値を鑑定価格の約14%まで引き下げたのは、『適正な価格による処分』から逸脱したものであり、背任の罪が問われて当然です。
 また、売買契約書に、今後、賠償請求をできなくする特約が盛り込まれたことを理由に挙げて、被告発人らに背任があったとはいえないと語った大阪地検特捜部の説明は、地下埋設物に係る瑕疵の法的意味を全く理解せず、幻の瑕疵担保責任を理由に挙げて被告発人を免罪したものであり、到底、容認できません。

 ただし、国有地の売却価格の算定方法、売買交渉に精通した被告発人らが、森友学園との国有地売買交渉の中で、自らの意志と判断で背任の罪が問われるような稚拙な行為に及んだとは考えられず、上層部からの指示に従ったか、上層部の意向を忖度した結果と考えられます。
 この意味では、指示を受けたか、忖度をすることを余儀なくされた被告発人らについて背任の罪を問うのは、法令の制約からやむを得ないこととはいえ、忸怩たる思いが募ります。

 本件申立人は、この審査申立を端緒として、被告発人らに背任の罪を負わせるような力がどこから、どのように働いたのかについてまで厳正な捜査が行われ、社会正義にかなった司法判断が示される道を開くため、貴審査会が起訴相当の議決を下されることを強く期待するものです。
                          以上 」

| | コメント (0)

徴用工判決:河野外相の韓国政府への責任転嫁論は奇弁

20181119日 

 河野外相は113日、神川県内の街頭演説の中で次のように発言した。

 
「河野太郎外相は3日、神奈川県茅ケ崎市で街頭演説し、日本企業に賠償を命じた韓国人元徴用工訴訟判決に関し、韓国国民への補償は韓国政府が責任を持つ取り決めになっているとの考えを示した。1965年の日韓請求権協定に言及し『日本政府は一人一人の個人を補償するのではなく、韓国政府にその分のお金を経済協力として渡した』と強調した。」
 
(「徴用工判決 河野外相『韓国政府が責任持ち補償を』」「毎日新聞」2018
  113 2237)
 
https://mainichi.jp/articles/20181104/k00/00m/030/071000c?pid=14509

 
以下、この河野発言の真偽を逐条的に検討したい。

「個人への補償分を一括、経済協力として韓国政府に渡した」は本当か?
 1965年の協定書本体と附属の議定書には日本国は大韓民国に対して、経済協力の目的で一括して供与、貸付けをするという明文はあるが、「個人への補償」という記載は一切ない。
 繰り返しになるが、協定の第1条第1項では、「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済発展に役立つものでなければならない」と明記され、同条第1項(a)で、日本が韓国に無償供与する3億米ドル相当は全額現金でではなく、日本の生産物、及び日本人の役務で供与するものと明記された。
 また、同条同項(b)で、日本が韓国に対して行う2億米ドル相当の貸付は、この協定にしたがって実施される経済協力事業に必要な日本の生産物、日本人の役務を調達するために充てるものと明記された。
 
 こうした条文から考えて、日本政府が韓国政府に渡す供与、貸付けは金銭(同等物)に換価できない生産物、役務だったから、分割して韓国の元徴用工に分配することは使途の点でも形状の点からも不可能だった。

 もっとも、協定成立に至る日韓政府間の交渉の過程で、韓国政府は、日本から受領した無償3億ドルは、請求要綱に記した各項目を積み上げたものではなく、総額決定方式で包括的に決定されたが、そのうちの相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任がある、との公式意見を述べていた(「大法院判決、仮訳、9ページ)
 しかし、大審院判決も指摘しているように、無償供与3億円は政府、個人の請求権を項目ごとに積み上げたものでないばかりか、請求権と代価関係があるのかどうかも明らかでなかった。そもそも協定第1条で、経済協力として一括供与・貸付けされたものを個人の請求権の決済に充てるという発想自体に無理があった。
 協定発効後、後述のように、韓国政府が「強制動員犠牲者」に幾何かの資金を給付したが、それは大韓民国政府が独自に道義的次元から行った「補償」であり、その金額は被害者補償としては不十分なものだった(大法院判決、仮訳、9ページ)。また、今回、元徴用工が求めた「賠償」でもなかった(この点、後述)。
 
「韓国政府が責任を持つ取り決めになっている」は本当か?
 これも、協定書本体にも附属の議定書にも交換公文にも、該当する記述は一切ない。韓国政府が負ったのは、供与および貸付けを、大韓民国の経済発展に役立つものに充てるという責任だった。だから、厳密にいうと、供与等を換価処分して個人に分配することは協定の第1条第1項に違反する行為だった。

 もっとも、協定は1965814日に大韓民国国会で
批准同意され、これを受けて大韓民国は1969219日に「請求権資金の運用及び管理に関する法律」、続いて「請求権申告法」を制定して、補償の対象となる対日民間請求権の正確な証拠と資料を収集する作業を準備した。
 その上で、大韓民国政府は1974年に通称「請求権補償法」を制定し、1976630日までに83519件に対して合計9187693000ウォンの補償金を支払った。これは割合に換算すると、無償提供された請求権資金の約9.7%に当たった。(以上、「大法院判決」張界満・市場淳子・山本晴太仮訳、58ページ参照」

 これと関連して、大韓民国政府が2005年に一部を公開した日韓請求権交渉の経過を記した文書によると、交渉当時、韓国政府は、日本から受領した無償3億ドルは、請求要綱に記した各項目を積み上げたものではなく、総額決定方式で包括的に決定されたが、そのうちの相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任があるとの公式意見を述べていた(「大法院判決、仮訳、9ページ)

 以上のような交渉経緯を確認した上で韓国大法院は次のような結論を下した。

 「本件で問題となる原告らの損害賠償請求権は日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下、「強制動員慰謝料請求権」という)である点を明確にしておかなければならない。」(判決文、仮訳、11ページ)

 「②原告らは、・・・・その後日本で従事することになる労働内容や環境についてよく理解できないまま日本政府と旧日本製鉄の上記のような組織的な欺罔により動員されたと見るのが妥当である。」
 「③さらに、原告らは成年に至らない幼い年齢で家族と離別し、生命や身体に危害を受ける可能性が非常に高い劣悪な環境において危険な労働に従事し、具体的な賃金額も知らないまま強制的に貯金をさせられ、日本政府の過酷な戦時総動員体制のもとで外出が制限され、常時監視され、脱出が不可能であり、脱出の試みが発覚した場合には過酷な殴打を受けることもあった。」(判決文、仮訳、12ページ)

 「(1965年の日韓)請求権協定は日本の不法な植民地支配に対する賠償を請求するための協定ではなく、基本的にサンフランシスコ条約第4条に基づき、韓日両国間の財政的・民事的な債権・債務関係を政治的合意によって解決するためのものであったと考えられる。」「従って、上記の『被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済要求』に強制動員慰謝料請求権まで含まれるとは言いがたい。」(判決文、仮訳、1213ページ)

 このように見てくると、
 ①河野外相が言うような「取り決め」は1965年の日韓協定文ならびにその附属文のどこにも明記されていない。仮に非公開の「密約」として取り決めが交わされていたとしても両国の国会で協定文が批准される際に公開されていないから、法的効力はない。

 ②大韓民国が国内的措置として「強制動員被害者」への補償金を支払ったのは事実であるが、それはあくまでも協定を離れた大韓民国政府による独自の道義的次元の措置であり、支払われた補償金と、協定に基づいて日本が経済協力として無償供与した生産物、役務との相関関係は、質的にも金額的にも、見い出せない。

 ③そもそも、日本からの供与:貸付けの目的を「経済協力」とすることにこだわったのは日本政府だった。これについては、このブログにアップした一つ前の記事で紹介した椎名外相の国会答弁に加え、政府は次のような国会答弁をしている。
 
 「国務大臣(佐藤榮作君)・・・・私は急転直下解決したとは実は思わないのです。十四年間の積み重ねで初めて解決したと、かように私は思います。池田内閣時分に大平・金メモができ上がって、そうして請求権問題が経済協力の形で話が進んだ。これあたりも大きな積み重ねの一つであります。」
(参議院、日韓条約等特別委員会会議録、19681126日)

 「国務大臣(椎名悦三郎君) あくまで経済協力でございまして、日本といたしましても、この供給する資金が、真に韓国の経済建設のために最も有効に役立つ方法であるかどうかというような点を十分に審議いたしまして、そしてこの供給に応ずる、こういう仕組みになっておる次第でございまして、・・・・」

 このような日本政府の説明から見ても、日本が無償供与した3億ドルを以て韓国政府が元徴用工を含む個人の請求権の充足させるよう取り決めたと見るのはあまりに無理な解釈である。
 
「賠償」か「補償」か
 ここで、注意したいのは、協定交渉当時、また協定締結後、日本政府が無償供与の性格を「賠償」とみなすことを拒み続けたことである。
 日本からの供与を「賠償」とみるか、「補償」とみるか、あるいは「経済協力」とみるかは、それと相対する「請求権」の性格を見極める上で決定的な意味を持つ。これについて、大審院判決で、多数意見を補充する意見を示された金哉衡大法官、金善洙大法官の意見の中で以下のような理由を列記して、協定により放棄された「請求権」には「不法行為」を前提にした「慰謝料請求権」は含まれていなかったと指摘している。

 ①日韓請求権協定は、基本的にサンフランシスコオ条約第4条(a)で定められた「日本の統治から離脱した地域の施政当局・国民と日本・日本国民の間の財産上の債権・債務関係」を解決するためのものであることは明らかである。したがって、ここでの「債権債務関係」は日本の植民地支配の不当性を前提とした精神的損害賠償請求権が含まれる余地はない。

 ②第一次日韓会談において韓国側が提示した8項目、具体的にはその第5項の「大韓民国法人または大韓民国自然人の日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済要求」は財産上の請求権(例えば、徴用の対価として支払われるべきだった賃金の未収分など)に限定されたものであり、不法な強制徴用に対する慰謝料請求権まで含まれていると見ることはできない。
 また、ここでの「徴用」は国民徴用令による徴用だけを意味するのか、募集方式、官斡旋方式による強制動員まで含むのかも明らかでない。

 ③前記第5項では「補償金」という用語を使用しているが、これは適法な「徴用」を前提した用語であり、不法性を前提した「慰謝料」を含まないことは明らかである。
 ちなみに、当時の大韓民国と日本の法制では、「補償」は適法な行為に起因する損失を填補するもので、「賠償」は不法行為による損失を填補するものとして明確に区別していた。
 (以上、判決、仮訳、4345ページ)

 こうした2名の大法官の多数意見を補充する意見は、「請求権」の内容を十分吟味しないまま、政治決着を急いだ当時の韓国政府に対する厳しい批判となっている。

供与を請求権の対価と見ることを否定した日本政府
 しかし、だからと言って、今回の旧徴用工の請求は韓国政府が負うべきと主張するのは条理に反する。なぜなら、そもそも、供与を「賠償」とみるのを忌避したのは日本政府であり、「請求権の対価」とみなすことさえ忌避したのも日本政府である。
 そして、その根底にはアジア諸国に対する日本の侵略責任、旧植民地住民を従軍「慰安婦」、徴用工等として強制動員し、その人権、人間としての尊厳を蹂躙した責任を問い、問われることを頑なに拒む、あるいは侵略・植民地支配責任を薄めようとする、忌まわしい「自虐史観」があった。また、今もこうした史観は日本政府にとどまらず、国民の間にも、広く、根深く残っていることを直視しなければならない。
 
 たとえば、日本政府は、国会審議の中で、1965年の日韓協定で合意された「供与」が請求権の対価ではなく、純然たる経済協力であるとする答弁を繰り返してきた。

 「国務〔注:外務〕大臣(大平正芳君) ・・・・それから請求権の問題と経済協力の関係でございますが、私どもがいま大筋の合意を見ておりますのは、純然たる経済の協力でございまして、請求権の問題とは直接の関連はございません。われわれが目ざす有償無償の経済協力を将来にわたってやるということを約束することによりまして、その随伴的な結果として、平和条約にいうところの請求権の問題が解決したことを双方認め合うと、こういう考え方に立っておるわけでございまして、経済協力は一〇〇%経済協力でございまして、請求権とは何らの関係がないわけでございます。」
(参議院「本会議」会議録、1964313日。下線は醍醐の追加)

 「○椎名国務〔注:外務〕大臣 請求権のいきさつ、経済協力と請求権の関係は、この審議のいきさつから申しますと関連はございます。そして同じく経済問題でありますから、同じ場所において取り扱っておるのでありますけれども、御指摘のとおり、この請求権の問題と経済協力の問題は、何らそこに法律上の因果関係はない。あくまでこれは有償、無償、総計五億の経済協力は、韓国の経済建設に役立つために日本がこれを供与するものであるという趣旨でございます。」
(衆議院「日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会」会議録、19651030日)

 かつて、国会でこのような答弁をした日本政府が、今回の元徴用工の賠償請求訴訟において、1965年の日韓請求権協定で一切の請求権は完全かつ最終的に解決したと語るのは自己撞着も甚だしい。

供与を「賠償」とみなすことを忌避した日本政府
 さらに、日本政府は、これまでの国会答弁の中で、1965年の日韓協定にもとづいて供与した3億ドルは「賠償」ではなく「経済協力」であるという解釈を繰り返してきた。

 「○楢崎委員・・・・私は、いまの日本政府の態度に、どうもかつての日韓併合時代の朝鮮人に対する支配者意識というものが魂の底にあって、そうしてそれがちらちらとしてまいる。・・・・あるいは、今度問題になっておる経済協力にしても、これは本来賠償的な性格を持つべきであろう、過去三十六年間の日本の支配あるいは圧制に対する償いの意味であろうと思いますが、これを、何か困っておるからやるのだというような、下に見るような関係でこの日韓会談をとらえておられるのじゃないか、こういう会談の進め方では、ほんとうに日本と韓国の両国の人民の真の正常化、友好親善にはならない、このように思うわけですが、こういう点に対して、池田内閣は、もう一ぺん根本的に、この交渉の姿勢について、私の申しましたような韓国に対する過去の圧制に対する贖罪と申しますか、申しわけないというような態度で進められるべきであろうと思いますけれども、・・・・この点についての池田総理の御見解を承っておきたい。」

 「○池田国務大臣 ・・・・請求権の問題につきましても、われわれは、誠意をもって、ほんとうに前向きに両国が手を握っていこう、助け合っていこうという気持ちで、いままでの過去の実績あるいは法律的根拠とかいうようなことを言っておってはとてもまとまりがつかぬから、いまの平和条約四条のあれを、経済協力によりまして、無償・有償の協力によりまして、そして、過去を捨てて、忘れて将来に向かっていこう、こういう気持ちが、いまあなたが言われた気持ちで、われわれの気持ちなんです。しかし、これは日韓交渉ここ二、三年のことでだんだんそれが国会にも出てきたわけなんです。二年前にはあなたのような議論はなかなか聞かれなかった。これがやはり正常化のあれで非常によくなった。私はその気持ちでいっておるのであります。だから、罪があったとかないとかいうふうなことを言うよりも、まずお互いにまっ裸になって助け合っていこうじゃございませんかということで・・・・」
(衆議院「外務委員会」会議録、196448日。下線は醍醐の追加)

 「○椎名国務〔外務〕大臣 日本は、御承知のとおり数カ国に対して賠償を支払う、現にそれを実行しておるのであります。この支払いの手段、方法が、今回の無償供与に、ただ方法論として、そのほうが便利である、いわゆる手段として便利であるという意味においてこれを採用しておるのでありまして、その本旨はあくまで経済協力である、かように申し上げます。」
(衆議院「日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会」会議録、19651030日)

 「過去を捨てて、忘れて将来に向かっていこう」「罪があったとかないとかいうふうなことを言うよりも、まずお互いにまっ裸になって助け合っていこうじゃございませんか」・・・・被害国の国民からの呼びかけならともかく、加害国の政府がこのような能天気で慇懃無礼な意識で交渉に臨み、それが玉虫色の政治決着を帰着した大きな理由だった。

問われているのは日本国民の歴史認識
 
あらためて、日本政府はもとより、日本国民が明記しなければならないのは、元徴用工や韓国政府だけでなく、韓国の民意が日韓協定交渉をどのように注視してきたかである。

 「当時の韓国国民が求めたものは、経済協力資金といった形態ではなく、植民地時代の収奪等を踏まえた賠償金であった。・・・・そうした中で、1962年に政権ナンバー2となっていた金鍾泌と外務大臣であった大平正芳の間で合意された『日本側が賠償という形ではなく、有償・無償併せて5億ドルを供与する』との内容が広まると、韓国国内は収拾がつかない状況に陥ったのである。」

 「植民地時代から20年近く経過していたものの、韓国人にとって、その記憶は創氏改名をはじめとした文化的基盤を無視した政策、および隣国に支配されたという屈辱と共に生々しく残っていた。にもかかわらず、36年間におよぶ高圧的な植民地支配が公式な謝罪のないまま『解決済み』とされることは、多くの韓国人には受け入れ難かったのである。」
 (以上、「金恵京「日韓基本条約成立過程にみる韓国の選択」、朝日新聞『WEBRONZA20171019日」)

 河野外相や歴代の日本政府が、日韓で「合意」された1965年協定の実態を吟味せず、いわんや問題の根底にあった日本による植民地統治時代の「賠償」を頑なに拒み、「経済協力」という名義で幕引きを図ろうとしてきた経緯を反省せず、「日本は無償の供与を渡した、後は韓国政府の責任だ」と言い放つ高圧的な外交姿勢を続ける限り、第2、第3の徴用工裁判が起こることは避けられない。

 こうした日本政府の恥ずべき外交を正せるかどうかは、日本国民一人一人が自力と真摯な対話を通じて歴史認識を深めるかどうか、周囲の嫌韓意識に染まらず、首をすくめず、声をあげる勇気を持ち合わせるかどうかにかかっている。



| | コメント (4)

徴用工判決:韓国政府に請求せよという小林節氏の主張は的外れ

20181119日 

 元徴用工をめぐる韓国の大法院判決について、日本政府は「1965年日韓協定で完全かつ最終的に解決済み」と繰り返している。しかし、その一方で、個人の請求権まで消滅させたものではないという従来の外務省見解を否定するつもりはないと述べている。が、「解決済み」と「消滅していない」は両立しない。

小林節氏の「韓国に請求すべき」論に条理はあるか?
 このジレンマから脱出する(?)ためか、無視するつもりか、一部の論者は、個人の請求権の存否には触れず、元徴用工は韓国政府に請求すべきと主張している。たとえば、小林節氏は『日刊ゲンダイ』の紙上でこう主張している。

 「韓国の最高司『法』府である最高裁は、その事件に判決を下すに当たり、その国際的問題に関する国際「法」(つまり条約、つまり政府の意向として既に公式に対外的に表明されたこと)を「正しく」認識して、それに従って判決を下すべきで、それが三権分立の意味である。」

 「韓国最高裁としては、本来、外交権を有する政府が署名・発効させた国家としての対外的約束(条約、これは紛れもなく国際法秩序の一部)に従い、「日本企業でなく韓国政府に補償を請求すべきである」と威厳を持って判決を下すべきであった。」
 
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/241557/2

 こういう小林氏の主張に条理はあるのか? 
 問題は、ほかでもない小林節氏自身が1965年日韓協定ならびに今回の韓国大法院の判決を「正しく」読み込んでいるのかどうかに尽きる。
 もともと、この件は韓国の個人(元徴用工)が日本企業に賠償を求めた訴訟であり、政治判断の次元ならともかく、法理論的には、元徴用工の損害賠償請求の相手方を、日本企業から韓国政府に転換するロジックはどこからも導けない。

 1965年の日韓協定書を咀嚼すれば、一つ前の記事で説明したように、本協定の実質は、請求権協定というより、「経済協力協定」だった。そのことは協定の第1条第1項の末尾に「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済発展に役立つものでなければならない」と明記されたことからも明らかだ。
 また、同条第1項(a)で、日本が韓国に無償供与する3億米ドル相当は全額現金でではなく、日本の生産物、及び日本人の役務で供与するものと明記されたこと、また、同条同項(b)で、日本が韓国に対して行う2億米ドル相当の貸付は、この協定にしたがって実施される経済協力事業に必要な日本の生産物、日本人の役務を調達するために充てるものと明記された。
 こうした条文からして、1965年の日韓協定の実質は経済協力協定であり、日本政府から韓国政府に引き渡された供与、貸付けは、元徴用工個々人に分割して分配できるものでなかった。
 また、この協定に附属して両国が交わした第一議定書の第6条陀3項では、「日本国の国民及び法人は、生産物又は役務の供与から生ずる所得につき、大韓民国における課税を免除される」と定められ、経済協力事業に参画した日本企業が当該事業から得る利益は韓国には帰属しないものとされている。
 
 このような1965年日韓協定の条文に照らすと、この協定にもとづいて日本が韓国に引き渡した供与、貸付けは経済協力事業に充てる旨、使途が特定され、分割して個人に分配する(できる)趣旨のものでなかったことは明らかである。
 したがって、1965年日韓協定の実質は、少なくとも韓国の元徴用工らから見れば、請求権を整理・決済する協定ではなかった。また、国家間の次元でいえば無償供与の部分に何らかの「補償」の意味があったとしても、貸付けの部分を含め、全体としては、国家間の経済協力協定とみるべきものだった。

 さらに、本件裁判で元徴用工が請求したのは、戦時下の反人道的不法行為に対する慰謝料で、それらは日韓請求権協定の交渉過程で韓国側が提出した8項目の請求外のものだった(大法院判決、張界満・市場淳子・山本晴太仮訳、811ページ参照)。こうした加害・被害の対称関係を考えれば、元徴用工の請求権を加害国の企業から被害国の政府に転換させることがいかに不条理かは明らかである。

「条約は司法審査の外」とする小林節氏の主張は根拠のない独断
 小林節氏の主張で見過ごせないのは、「条約」という国家の対外公約に司法審査を及ぼすべきではないという見解である。
 憲法学者の小林氏に向かって、専門外の私が言うのはおこがましいが、この問題は「違憲立法審査権は条約にも及ぶか」という形で長年、日本でも議論されてきた。小林氏の主張は、及ばせるべきではないという考え方だとみて間違いない。

 確かに、日本国憲法第81条には違憲審査の対象は「一切の法律、命令、規則又は処分」と定められている。しかし、今日の通説、判例は憲法が条約に優位するという立場を採用し(衆議院憲法調査会事務局「憲法訴訟に関連する用語等の解説」平成125月、22ページ)、憲法第81条の「法律、命令、規則又は処分」は例示にとどまり、条約の国内法的効力については違憲審査の対象となり得るとみなされている(諸橋邦彦「違憲審査制の論点」、国立国会図書館『調査資料』20052a20062月、18ページ)。

 もちろん、司法審査の対象内としても、その先の司法判断は、司法消極説をとるか、積極説をとるかで結論は分かれると言うのが従来の通説的解説だった。

司法積極主義に期待される今日的役割
 しかし、1117日に「国策に加担する司法を問う」と題して開かれた司法制度研究集会(日本民主法律家協会主催)に参加した澤藤統一郎弁護士によると、司法積極主義といっても、「逃げるな最高裁」「違憲判断をためらうな」「憲法判断を回避するな」という従来の主張だけではかみ合わない現実になってきたようだ。
 澤藤氏によると、「最近の判決では、司法部が積極的に政権の政策実現に加担する姿勢を示し始めたのではないだろうか。つまりは、われわれが求めてきた『人権擁護の司法積極主義』ではなく、『国策加担の司法積極主義』の芽が見えてきているのではないかという問題意識である。言わば、『人権侵害に目をつぶり国策遂行に加担する司法』の実態があるのではないか。これは社会の根幹を揺るがす重大な事態である。」
(「第49回司法制度研究集会『国策に加担する司法を問う』」、澤藤統一郎の憲法日記、20181117日、
http://article9.jp/wordpress/?p=11499 )

 そうであるなら、今回の徴用工裁判で、韓国の大法院が原告の尊厳と人権を蹂躙する強制労働に対する慰謝料を加害企業に請求した訴えを正面から受け止め、日韓協定の条理を慎重に咀嚼しながら、その枠組みを超えてでも条理にかなった結論を求めた司法積極主義を非難するいわれはない。それどころか、韓国の大審院の判断は、先例踏襲に逃げ込んで、人権蹂躙の救済を求める市民の訴えをことごとく斥ける日本の司法機関とって、範とすべき判決と言わなければならない。この点、改めて、小林節氏の見解を問いたい。

個人の賠償請求権をめぐる国際訴訟における日本政府の主張 
 もっとも、上記のような条約の違憲審査論は、国内法的効力に関するものであって、国際法に通じる論理かどうかは別途、具体的に検討しなければならない。
 この点で、参考になるのは、戦後補償をめぐる国境を超えた訴訟において日本政府が示した見解である。
 たとえば、日本の原爆被爆者が、サンフランシスコ平和条約第14条(b)、第19条(a)によって被爆者の対米損害賠償請求権を日本政府が放棄したのは自国民の財産権を不当に消滅させたものであるとして、日本政府に補償請求訴訟を起こした。この時、日本政府は次のように主張した。

 「対日平和条約第19条(a)の規定によって、日本国はその国民個人の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄したことにはならない。
 (一)国家が個人の国際法上の賠償権を基礎として外国と交渉するのは国家の権利であり、この権利を国家が外国との合意によって放棄できることは疑いないが、個人がその本国政府を通じないでこれとは独立して直接に賠償を求める権利は、国家の権利とは異なるから、国家が外国との条約によってどういう約束をしようと、それによって直接これに影響は及ばない。」
 (東京地裁、昭和38127日判決、下級裁判所民事裁判例集、第14巻、24502451ページ。下線は醍醐追加)

 また、シベリア抑留訴訟においても日本政府は次のように主張した。

 「日ソ共同宣言62文により我が国が放棄した請求権は、我が国自身の有していた請求権及び外交的保護権であり、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない。ここに外交保護権とは自国民が外国の領域において外国の国際法違反により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利である。」
 (山本晴太「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」、23ページ)
 
http://justice.skr.jp/seikyuken.pdf

 こうした日本政府の主張を踏まえると、政府自身の請求権は放棄したとしても、日本国民個人の請求権は国境を超えて生きているという解釈になる。であれば、請求権を韓国国民の立場に置き換えても、同じ論理、すなわち、元徴用工の国境を超えた損害賠償請求権は、たとえ韓国政府が放棄したとしても、生きているとみなすのが条理である。
 このように検討すると、元徴用工は韓国政府に請求せよとか、韓国の大法院に対して、政府が交わした条約を覆すような判決を出すべきではなかったという小林節氏の主張は、1965年日韓協定、ならびに一連の戦後補償訴訟における日本政府の見解に関する小林氏の無知または認識不足に起因する的外れな主張と言わなければならない。




| | コメント (0)

1965年日韓協定の実質は経済協力協定、個人の請求権は未解決

20181116日 


 韓国の大法院が日本企業に対する元徴用工の賠償請求を認める判決を言い渡したことについて、河野太郎外務大臣は猛反発し、本件請求権は1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決しており、あとは日本政府が渡した供与等で韓国政府が元徴用工11人に補償をすれば済む話だと発言している。
 本当にそう言えるのか? この問題を考える上で、重要なのは次の2つである。

個人の請求権は消滅していない(再論)
 一つは、日韓請求権協定で何が決着し、何が決着していないかである。この点で重要なことは、すでに多くの論者(私もそのうちの1人)が指摘しているように、1965年の日韓協定で決着したのは国と国の請求権(正確にはそうとも言えない。後述)であって、個人の賠償請求権は消滅していないことを韓国の大法院だけでなく、日本の外務省も認めているということである。
 たとえば、外務省の柳井俊二条約局長はで、「これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。」(1991827日の参院予算員会)、「韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない」(1992226日、衆院外務委員会)と答弁している。
 とすれば、1965年の日韓請求権協定で元徴用工の請求権も決着済みという日本政府の主張は通らなないことになる。

1965
年日韓協定の実質は国家間の経済協力協定 
 しかし、そうはいっても日韓協定で、日本が韓国に支払う3億ドルの供与と2億ドルの貸付を以て「両締約国及びその国民の財産、権利、請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決された」(第2条)と明記されている。これをどう考えればよいのか? 
 ここで重要なことは、1965年の日韓協定はしばしば「日韓請求権協定」と呼ばれるが、正式名称は「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との協定」である。しかも、内容に即していうと、実質は請求権協定というより、経済協力協定である。それは、協定の第1条第1項の末尾に「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済発展に役立つものでなければならない」と明記されていることから明らかである


椎名外相(当時)も賠償ではなく経済協力と明言
 現に、日韓協定の交渉に当たり、日本政府を代表して協定書に署名した椎名悦三郎外務大臣(当時)は19651119日に開かれた参院本会議で次のように発言している。 

 
「何か、請求権がという形に変わったというような考え方を持ち、したがって、経済協力というのは純然たる経済協力でなくて、これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らとの間に関係はございません。あくまで有償・無償五億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、これに対して日本も、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、この経済協力を認めたのでございます。」 

 であれば、
 ①1965年の日韓協定第1条第1項にもとづいて日本が韓国に提供した供与、貸付けはもともと韓国の経済発展のために使うことが義務付けられ、韓国内の個人に分割分配できるものではなかったことは明らかである。
 ②また、交渉に当たった日本の外務大臣も賠償ではなく、純然たる経済協力だと国会で発言していることから考えても、1965年の日韓協定は事実上、個人の分も含む請求権協定ではなく、二国間の経済協力協定だったと解釈するのが正解である。


 しかも、協定書の第1条第1項(a)では、日本が韓国に無償供与する3億米ドル相当は全額現金でではなく、日本の生産物、及び日本人の役務で供与するものとされた。
 
また、同条同項(b)では日本が韓国に対して行う2億米ドル相当の貸付は、この協定にしたがって実施される経済協力事業に必要な日本の生産物、日本人の役務を調達するために充てるものとされた。
 
このような条文に照らしても、1965年の日韓協定で定められた日本から韓国への供与・貸付は、国家間の賠償に当たるとしても、韓国の個人に属する請求権を決済するものでなかったことは明らかであり、同協定で元徴用工個々人の請求権も消滅した、あとは韓国政府の処理に委ねられていると言う日本政府、河野外務大臣の見解は条文解釈としても事実と道理に背く強弁である。

 
また、「ボールは韓国に投げられている」などと論評する日本のマスコミ(例えば、『毎日新聞』20181115日付の大貫智子論説委員の見解)
https://mainichi.jp/articles/20181115/ddm/004/070/019000c
は不勉強も甚だしい。


被爆者訴訟で日本政府は個人の請求権は条約に縛られないと明言 
 
元徴用工の賠償請求権も1965年の日韓協定で完全かつ最終的に決着済みという目下の日本政府の主張は、戦後賠償請求裁判で日本政府が示した見解にも背くものである。
 日本の被爆者が原爆投下の被爆によって蒙った損害を補償するよう日本政府に求めた裁判で、日本政府は次のように主張した。

「五、対日平和条約による請求権の放棄 
 
対日平和条約第19条(a)の規定によって、日本国はその国民個人の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄したことにはならない。
 
(一)国家が個人の国際法上の賠償権を基礎として外国と交渉するのは国家の権利であり、この権利を国家が外国との合意によって放棄できることは疑いないが、個人がその本国政府を通じないでこれとは独立して直接に賠償を求める権利は、国家の権利とは異なるから、国家が外国との条約によってどういう約束をしようと、それによって直接これに影響は及ばない。」
(東京地裁、昭和38127日判決、下級裁判所民事裁判例集、第14巻、24502451ページ。下線は醍醐追加)

 もともと、国家はその国民の持つ請求権を、当の国民の意思にかかわりなく、国家の名において放棄することができないのは、近代主権在民国家に共通する道義であるが、原爆裁判における上記のような日本政府の主張に沿って考えると、
 
1965年の日韓協定において、個人の請求権をも放棄するという文言は、日韓両国政府がそれぞれの国民個人の国際法上の賠償権を基礎として外国と交渉する国家の権利(外交保護権)の放棄を意味したことは明確であり、
 
②そうした日本国あるいは韓国政府の意思とは無関係に、条約にどのように記載されていようが、韓国国民(ここでは元徴用工)の請求権は奪われていない、と解釈するのが正当である。

 
1965年の日韓協定交渉において、個人の請求権まで放棄したかの解釈を生むような協定に応じた韓国政府にも責任がある。しかし、日本政府と日本の加害企業は、植民地支配の時代の負の歴史、責任を直視し、徴用・強制労働の犠牲者への補償に真摯に応じることが求められている。

(追記)
 この記事をまとめるにあたっては、次の文献・記事を参照した。

*山本晴太「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」
*岩月浩二弁護士のブログ記事 http://ur2.link/N7gN 

 

| | コメント (1)

外務省条約課・国際法課と交わしたやりとりメモ~元徴用工の賠償請求について~

20181112

 今日の1420分頃、件名のことで外務省の代表番号に電話したところ、北東アジア課→条約課→国際法課、と3つ課の担当職員と延べ約30分間やりとりする結果になった。
 以下は、中身のやりとりをした2つの課の応対者との問答メモである。


 (醍醐) 外務省ですね。日本政府は(韓国最高裁が下した)元徴用工の賠償請求判決について「国際法に明確に違反している。毅然と対処する」と発言しています。政府が言う「国際法」とは何を指すのか、マスコミは伝えていないのでわかりません。それを教えてほしくて電話しました。

 (代表) お待ちください。

 (北東アジア課) 北東アジア課ですが。

 (醍醐) <先ほどの用件の繰り返し> 政府が言う「国際法とは何を指しているのですか?

 (北東アジア課)その件でしたら、私どもではなく、条約課ですので、そちらに回します。

条約課とのやりとり

 (条約課) 韓国の最高裁で判決が確定した時点で、(1965年の)日韓請求権協定に違反する状態になったので、政府としてそのような発言をしています。

 (醍醐)とすると、政府が言う「国際法」とは1965年の日韓協定を指しているということですか?

 (条約課) そうです。

 (醍醐) 「国際法」というと、多国間の法のことかと思ったのですが、そうではなくて、日韓2国間の協定のことなのですね?

 (条約課) そうです。

 (醍醐) その点は、外務省の理解は事実としては分かりました。
 他方、外務省は1990年頃、国会で、日韓協定で国の外交保護権は消滅したが、個人の賠償請求を消滅させたものではないと複数回、答弁しています。たとえば柳井(俊二)さんは伊東秀子議員、土井たか子議員の質問に対して、そのように答弁されています。
 そうした外務省の国会答弁と今回の政府発言は、どのような関係になるのですか?

 (条約課)その点はこの課ではなく、国際法課になりますので、回します。

 <国際法課に転送される>

国際法課とのやりとり

 (醍醐)<上と同じ質問>

 (国際法課) 日韓協定で完全かつ最終的に解決
済みということです。外交保護権と個人の請求権に関する解釈は、お話しのとおりですが、個人の請求権も含めて解決済みということです。

 (醍醐) しかし、外交保護権は消滅したとしても、今回の裁判は韓国の個人と日本の企業間の争いです。とすれば、個人の賠償請求権は消滅していないと言いながら、解決済みというのでは一貫しないと思いますが。

 (国際法課)個人は裁判所に訴えることはできても「出口」はなくなっているということです。

 (醍醐)「出口」? 出口がなくなっているようなら、請求権がないのも同然で、無理な解釈ではないですか?
 日本政府は韓国政府に対して善処をと言っていますが、韓国政府に対して、司法当局に働きかけを求めるような発言は韓国での三権分立を否定するに等しく、おかしな発言ですよ。

 (国際法課)おっしゃっている意味は分かりますが・・・

 (醍醐)河野外務大臣はずいぶん、強気の発言をされていますが、大丈夫なんですか? 専門の職員の方からご覧になって、どう思われますか?

 (国際法課)・・・・

 (醍醐)政府は賠償請求を受ける日本企業を集めて、説明会を開き、請求に応じるな、と言っていますが、それこそ、日本企業に対して、消滅したはずの外交保護権を使っていることになりませんか?

 (国際法課)それは外務省ではなく、政府がやっていることなので・・・・

 (醍醐)最後ですが、そちら様のお名前を教えていただけませんか? 私も名前を伝えますので。
 (国際法課)名前は伝えないことになっていますので。

 (醍醐)そうですか、ありがとうございました。

------------------------------------------------------------------------ 

強気に反して拠り所を欠いた日本政府の対韓逆切れの言動

 「国際法に反する」と日本政府が連日、声高に発言するので、何か具体的な「国際法」があるのかと確かめたら、1965年の日韓協定のことだった。それなら、あえて「国際法」と語らなくても済む話である。

 私の一番の関心事だった、日韓請求権協定で個人の賠償請求権まで消滅したわけではないというこれまでの外務省の国会答弁と、政府がいう「国際法違反」は、どうつながるのか、について、外務省の担当課の説明は結局、「日韓協定で完全かつ最終的に解決済み」という空回りの説明だけだった。
 これでは、日韓請求権協定で個人の賠償請求権まで消滅したわけではない、という外務省の見解と全くつじつまが合わない

政府の強気の発言に追随する日本のマスコミ

 日本のマスコミは、今回の韓国最高裁(大審院)の判決を受けて、連日、「韓国大統領府 沈黙 元徴用工判決 対応に苦慮」(『朝日新聞』2018114;「韓国政府 対応に苦慮」(『東京新聞』2018111日;「韓国最高裁の徴用工判決 条約の一方的な解釈変更」『『毎日新聞』20181031日、社説、などと韓国政府の状況を伝えている。

 これまでの韓国政府の対応を辿ると、そのような状況があることは間違いない。
 しかし、それなら、日本政府の自信満々の発言に確たる根拠があるのか・・・・この点を日本のマスコミはなぜ検証し、真相を伝えないのか?
 そもそも、今回の裁判は、韓国の個人と日本の企業の間で争われた事件であって、国と国の係争ではない。
 そのような基礎的事実を国家間の係争かのようにすり替えて、強気の発言を繰り返す自国政府の対応に引きずられるように、追随する日本のマスコミに「自立」した報道は見る影もない。
 こうした日本のマスコミの政権追随報道を正すのは、日本の市民の務めである。

| | コメント (2)

«このブログを訪ねていただいた皆さまへ