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通信と放送の融合はバラ色か?

パブリックなオーディエンス不在の融合論
 「通信と放送の融合」が流行語になっている。しかし、「融合」とはいっても、放送業界やメディア関係者は、一般にこの議論に冷淡で、今のところ通信業界の「片思い」の感がある。私が気になるのは、この融合論が、産業界の思惑、少数の通信技術のプロの思い入れ、あるいは通信と放送の縦割り行政・法体系の是正といった行政組織再編論が先行する形で展開され、それが市民社会の成員としての視聴者、利用者の意思形成にどのような影響を及ぼすのかという基本的な視点が欠落してしている点である。「ネットワーク」、「プラットホ-ム」、「コンテンツ」という各機能を通信と放送という業種ごとに垂直的に仕切ったビジネス・モデルを、業種の垣根を越えて各機能を水平的に融合させたビジネス・モデルに再編するといった議論はその標本である。

 この点で、桂敬一教授が最近の学生のレポートの書き方について、次のように指摘しているのを読んで考えさせられた。

  「・・・・・巻末に記載させる参考文献に、書冊形式の文献名の記載がめっきり少なくな
 り、代わりにデータを検索したネット・サイトのURLの記載が増加している。・・・・・それ
 も、専門データベースを当たったのならまだしも、グーグル、ヤフーなどの検索サービス
 から、ヒット数の多い情報項目を開け、使えそうな記述や資料を適当にみつけ、それら
 を自分の文章として貼り付けていく、というようなものが多くなっているのだ。」

   「ネットは個々人が好みの断片を手に入れるためのツールであってよい。だが、放送
 や新聞、雑誌の存在意義は、その社会に生活する人全体に等しく、知るべきこと、理解
 すべきことを送りつづけ、パブリックなオーディエンスを創るところにある。」(桂敬一 9.
 11総選挙以後、メディア規制のゆくえ」『出版ニュース』2006/1、上・中、12~13ペ
 ージ。)

 いまや、オン・ラインで洋雑誌のフル・テキストや各種報告書、有価証券報告書の全文を入手できることを考えると、ネット上の情報を「断片的」と言って済ませられるかは議論の余地がある。しかし、それよりも、桂教授が指摘したネット情報の私事性に私も危惧を感じる一人である。確かに、「自分が見たい情報や番組を見たいときに選んで見る」というスタイルは自分の趣向を重んじ、フレキシブルな生活様式を好む若者世代には受け容れられやすい。

他者との応答経験をはぐくむ公共メディア
 しかし、「自らの言葉が他者によって受けとめられ、応答されるという経験は、誰にとっても生きていくための基本的な経験であ」(斎藤純一『公共性』岩波書店、2000年、15ページ)り、「他者の思考に触れ、それによって現代の思考習慣が動揺するとき、私たちの思考は始まる」(斎藤純一、同上書、26ページ)のだとしたら、ネット上での1対1形式の情報検索、番組視聴が言論の公共圏を担うメディアの代替物となり得ないことは明らかである。

 イギリスではサッチャー政権時代に、同首相の諮問を受けたピーコック委員会が、視聴者が見たい番組だけを個々に対価を払って見る有料契約方式(subscription)が消費者主権にかなっているとし、BBCがしかるべき時期にこの財源方式に移行するよう勧告した(これについては、蓑葉信弘『BBC パブリック・サービス放送の伝統』東信堂、2002年、参照)。しかし、その後の英国政府もBBCも、「ユニバーサル原則」に反するとしてこの方式を採用しなかった。わが国では最近、規制改革・民間開放推進会議や総務省内に設置された懇談会でNHKにスクランブル化を導入するよう促す議論が台頭している。今のところ、NHKは正副会長がBBCと同様、スクランブル化に踏み切れば公共放送ではなくなる、と反対の姿勢を明確にしているが、サーバー型放送の導入には前向きの方針を示している。

社会連帯システムとしての受信料制度
 私は、こうした1対1の有料契約方式の受けのよさに流されて、公共放送が担ってきた役割を軽んじる政策には強い疑義を覚える。むしろ、有料契約方式との対比で受信料制度が持つ次のような役割を再評価することが、通信と放送の融合を議論する上で不可決であると思う。つまり、受信料制度は平たくいうと、「自分が見たい番組に低廉なコストでアクセスできるよう、他人が拠出した財源に頼る反面、他人も自分が見たい番組に低廉なコストでアクセスできるよう、財源を拠出するという社会連帯のシステムだという点である。これによって、放送法がいう多様な番組の制作・放送が可能になる。また、各視聴者が特定の事業主体に財源をプールし、番組制作を委託することによって、視聴者誰もが市民社会の成員としての見識と思考力をはぐくむ知見、情報に触れる共通体験を可能にする。もちろん、委託とはいっても、公共放送の経営・番組編成と事後の評価に視聴者が主体的に参加する制度を取り入れることも重要である。

 「自分の老後は自分で守る」という聞こえのよいフレーズで公的年金の民営化(私的年金化)を喧伝した一部の経済学者の議論は、世代連帯の社会保障システムである社会保険方式の公的年金制度を解体へと導くものである。それと同じように、「自分が見たい番組を自分の負担で見る」という有料契約方式の放送は、上で述べた受信料制度に内在する視聴者相互の社会連帯システムを解体ないしは弱体化させると同時に、「視聴者をなじみのなかった考え方と出会わせ、偏見を打破する」(注)という公共メディアの役割をも解体させる危険性を孕んでいることを銘記しなければならない。

 (注)「英国 受信料制度を今後10年維持/市場競争には任せない」『共同通信』2006年2月7日配信記事で  紹介された、ウェストミンスター大学のステーブ・バーネット教授の言葉。

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