住民座談会に参加
今日は朝から春めいた晴天。去年12月に15歳の飼い犬が突然、三半規管の障害を起こし、狂牛病のように歩行できない状態になって以来、交代介護であわただしい毎日が続き、夫婦で遠出する機会はなかった。最近、ようやく、まっすぐ歩くことができ、一人で留守番もできるようになったので、河津桜を見に出かけたいと思っていたところだった。
しかし、今日は10時から近くの集会所で地区社会福祉協議会が開いた「住民座談会」に参加した。「住民座談会」とは、市町村が社会福祉法第107条で定められた「地域福祉計画」を策定するとき、「あらかじめ、住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者その他社会福祉に関する活動を行う者の意見を反映させるために必要な措置」として開かれるものだ。
数日前からこの座談会に出ようと決めたのは、以前から、社会福祉協議会について、行政との境界のあいまいさ、地域福祉の分野でまるで指定席を与えられたかのような特恵的地位、募金や会費集めの仕方などに疑問を感じていたからだ。座談会には地区社協の役員や市役所の社会福祉課の職員も出てくると聞いていたので、疑問を質すよい機会だと思った。口頭だけでは伝わりにくいと考え、昨夜、3時ごろまで質問・意見書作りをして出かけた。
長野県外郭団体見直し委員会での経験
私が社協にこだわりを感じる理由はそれだけではない。2003年2月から約11ヶ月間、長野県外郭団体見直し専門委員会の委員の一人として県内57の外郭団体の事業、財政状況を調査し、その結果を踏まえて各団体の存廃等について報告書をまとめた。そこで、団体と委員会側で意見が鋭く対立した一つが長野県社会福祉協議会だった。私の印象に鮮明に残っているには、その年の8月19日、丹治幹雄委員といっしょに長野市内にある長野県NPOセンターを訪ねて事務局長の市川博美さんからヒアリングをした時のことだった。
市川さんの強い要望で、同行したNHKスペシャルのカメラを止めて2時間にわたり、活動分野が重なる社会福祉協議会や長寿社会開発センター、国際交流協会との関係について意見を求めたところ、思いのほか、率直で手厳しい意見・要望が返ってきた。県NPOセンターの意見を要約すると、次のとおりだった。
先発の外郭団体は県からの豊富な補助金で事務所費や人件費を賄っている。そのため、去年、これら外郭団体と共同でボランティア学習研究集会を開いたとき、社協は無料。しかし、自前で事務所費等を負担しているNPOは有料。そうなると、企画の上では私たちの方が参加者のニーズにかなっているという自負があったのに、参加者は無料の社協の分科会に流れてしまった。
行政はどんな事業を委託公募するのか、情報をしっかり公開してほしい。そのうえで、先発の外郭団体も後発のNPOも対等の関係で応募し、各団体が企画を提案して、そのなかで利用者のニーズに最もかなったものを選ぶ仕組みに変えてほしい。
こう語った市川さんは、「今日ヒアリングに来られると聞いたので、センター運営委員に外郭団体見直しについて意見を募ったら、こんな意見がメールで返ってきた」といって数枚の文書を取り出した。目を通すと、社協に対する厳しい意見が並んでいた。なかには、「社協の歴史的な価値は終了したので、早く解散すべきである」といった強硬意見もあった。長野県では社協とNPOの関係がギクシャクしていることがわかってきた。福祉、国際交流等のノウハウではNPOの方が優っているのに、社協は行政を後ろ盾にして既得の地位に安住し、利用者を囲いこもうとしているという批判・不信感がNPOの中に根強くあるのが摩擦の根源的な理由のようだった。
社協は指定席でなくなった
話を住民座談会に戻そう。1週間ほど前に自治会ル-トで座談会の案内文書が届いた。知人に声をかけられて、そこに列挙されていたアンケート項目に目を通して「あれ?」と思った。というのも、社会福祉協議会とは、文字通り、社会福祉の分野の活動をする民間組織のはずなのに、「道路の整備」、「住宅の整備」、「ゴミの減量化」、「子どものしつけや教育」、「学校教育」など、地域社会に関わるほとんどの問題が網羅されていたからだ。しかし、この種の疑問は「地域福祉計画」の議論からいえば、「入口」の話なので、文書での質問に回して、会場では触れないつもりで出かけた。
ところが、討論開始と同時に、Kさんが手を挙げて、「道路、住宅、ゴミ、学校教育などは、私が調べた社協の定款の範囲をはみ出ている。どうして、こういう問題まで社協が扱うのか」と質問した。前に並んだ社協の役員は一瞬、困惑した表情になったが、その中の1人がこう答えた。
「道路でいえば、たとえば、陥没なら社協が扱う問題ではない。しかし、バリア・フリーのことなら社協が扱う問題だ。いろんな問題を福祉の切り口で捉えて意見を出してほしい。」
すると、Kさんはすかさず、こう切り返した。
「しかしですね、今の社会、何だって突き詰めれば福祉に還元されるんですよ。そんなことをいったら、社協は何でもやるということになりますよ。」
これを聞いて、前にならんだ社協の別の役員がこう言った。
「いや、福祉にとらわれず、地域の生活での困りごとを何でも出してください。」
ここまで言われると、私は黙っていられず、立ち上がった。
「今の発言はどうかと思いますね。皆さんご存知のように、最近導入された指定管理者制度の精神から行くと、社協もone of them です。社協もNPOなどと対等の関係で企画を提案して、そのなかで利用者のニーズに一番かなっていると評価された団体の企画が行政の委託事業として採用される仕組みになっています。そうなると、社会福祉法から社協の名前が消える日も遠くないかも知れません。そういう時代に社協が行政を後ろ盾にして、福祉ばかりか、行政の代行業務を何でもやりますというのは、ずれていませんか?」
指定管理者制度の危うさ
しかし、「指定管理者制度」には重大な危うさがある。長野県で福祉や文化方面の外郭団体の現地を訪問して、それぞれのプロパー職員と直接意見交換したなかで、福祉事業では、人(職員)と人(施設入所者など)の信頼関係が事業の成否を左右する重要な要素であること、こうした信頼関係は長いつながりのなかで培われる「見えざる財産」であることを認識できた気がした。
また、文化の面では信濃美術館の学芸員の人たちや県立文化会館の舞台担当のプロパー職員の人たちと意見交換をするなかで、長年の職務で培われたノウハウを蓄積し活用することが、「県民益」に通じること、短期的な異動や身分の流動化でそうしたノウハウを切断するのは文化の価値を毀損させることを感じ取った思いがした。
そこで、私たち委員会は中間報告案で団体の廃止、あるいは指定管理者制度の導入としていた福祉・文化関係4団体を最終案では存続に変更した。
しかし、このように考えるとしても、行政の現役職員やOBが主要ポストを占める外郭団体に行政が独占的に事業委託をし続ける実態をそのままにしてよいわけではない。ついでにいうと、「官から民へ」というが、その場合の「民」は常に「民営化」を意味するわけではない。むしろ、「官業独占」の不公正、サービスの質の低さを問題にするなら、もっと福祉のノウハウとモチベーションが高いNPOなど非営利の組織へ官業を開放することが望まれる。ただし、その場合も「私人による行政」、「行政の私化」に伴う諸問題を慎重に検討し、法的なインフラを整備することが必須条件である。
最近のコメント