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人格権を蹂躙する日勤教育を放免してきた司法と行政(2)

日勤教育の長期化だけが問題なのか?
 
前回の記事で紹介した2つの判決は日勤教育に見られた不当労働行為(労働組合活動への支配介入)と日勤教育対象者が蒙る経済的不利益(根拠のない日勤勤務期間の延長による逸失利益)を無効とした点では重要な意義を持っている。特に、日勤勤務の期間があらかじめ定められておらず、現場の区長の裁量で恣意的に延長されることが日勤勤務対象者の心理的不安を増幅させ、精神的に彼らを追い詰める原因になっていることからいうと、大阪地裁判決が区長の根拠のない主観的判断で日勤教育が長期化した点を不当としたことは高く評価されてよい。
 しかし、どちらの判決も日勤勤務期間の長期化を対象者が蒙る経済的不利益の観点から違法とするにとどまり、人格権を侵害する日勤教育の実態には一切踏み込んでいない。例えば、大阪地裁は、知悉度テストの成績不良等知識技術の不足など客観的な根拠がある場合はやむを得ないとしても、区長面談の際の態度や応答、提出レポ-トに意欲や反省が不十分などという主観的な判断を主たる理由として日勤勤務期間を長期化させたのは違法と指摘している。
 しかし、そこでは、そもそも日勤教育の内容自体が安全教育など運輸業に必要とされる業務の再研修とは無縁の、「教育」に名を借りた懲罰の場、上司への忠誠・服従を誓わせる場として濫用された実態(労働者の人格権侵害行為)の認定には一切及んでいないのである。これを前記の広島地裁事件に即して検討してみよう。

業務命令権は治外法権なのか?
 
この事件は運転士が上司の命令に従わず、被告会社から支給された白手袋を着用しなかったこと、右手での指差喚呼をしなかったことを理由に日勤教育を命じられたことに端を発したものである。まず、白手袋着用についていうと、ここでの白手袋が被告会社の厚生業務規程
35条に記載された「被服類」に該当するとすれば、職務の執行にあたってそれを着用しないのは服務規律違反といえる。
 問題はこうした行為が
26日に及ぶ日勤教育を正当化するに足る理由になるのかどうか、日勤教育の内容がそうした規律違反を是正するためのものであったかどうかである。これについて被告JR西日本は「運転士が白手袋を着用することは、乗客に対して清廉な印象を与え、規律ある職場であることをアピールして、安全輸送に対する信頼感を高めると共に、運転士に対して事業の公共性とその任務の重要性を認識させ、自らの職責に対する自覚を高めることにつながる」(判決文より引用。下線は醍醐が追加。以下、同じ)と述べている。こういう物言いを聞くと、「服装の乱れは品行の乱れ」などと古めかしい道徳論を持ち出して制服着用を義務付けた学校教育を思い起こさせる。白手袋の着用を「清廉な印象」と誇張し、「安全輸送に対する信頼感」、「公共性の認識」へと舞い上げる独善的な主張が司法の場でまかり通れば、業務命令権は治外法権となるに等しい。
 次に、「右手での指差喚呼」の件を検討しよう。これについて、原告側は次のように主張している。「被告会社には列車が駅で停車した際の指差喚呼を右手で行うべきとする規程はないし、原告
Bも右手で指差喚呼を行うよう指導されたのも本件が初めてであった。また、被告会社金沢支社や和歌山支社のように左手による指差喚呼を求めているところもある。」
 これについて、被告会社側は次のように反論している。「被告会社には右手により指差喚呼すべきことを定めた規程はなく、左手による指差喚呼を求めている支社もあるが、原告
Bが所属する被告会社広島支社では、列車運転の際、原則として右手で指差喚呼を行うようかねがね指導してきた。けだし、運転士に対し、運転動作の際、指差と声出しの動作を加えた確認を行い、乗務員によるヒュ-マンエラ-の防止の徹底を図り、指差喚呼を確実に行うためには、指差喚呼することを体質化する(確実に身につける。)必要があり、そのためには左右いずれか決まった手で常に指差喚呼を行う癖をつけておくことが望ましいからである。」
 こうしたやりとりを読むと、安全運転の見地から見れば、指差喚呼を左右どちらの手でするかで安全運転に有意な違いはないと考えられる。被告会社がいうように、右手で指差喚呼することが安全運転の面で必要不可欠なら、同じ社のなかで左手による指差喚呼を求めている支社を放置している責任が問われなければならない。

人格権蹂躙の日勤教育そのものを断罪すべき
 百歩譲って、それでも広島支社内では一律に右手指差喚呼を義務付けるというなら規程に明記し、日常的に周知徹底を図るべきところ、そうした前提がないまま、右手で指差喚呼しようとしなかったことを以って原告
Bの言動を上司の指導指示に反発する非違行為と断じ、それを理由に日勤教育を命じた被告会社の行為は業務命令権の濫用に当たると見なすのが当然である。しかも、日勤教育の内容はというと、「自責ノ-ト」なるものに就業規則を機械的に書き写させたり、反省文を書き直させるだけで「白手袋着用の必要性」、「右手で指差喚呼を行う必要性」についての説明は何もなかった。また、知悉度テストも被告会社の資本金、発行済株式数、事業内容、各種利益、経営理念を問うたり、広島支社の支社長・次長の念頭挨拶を虫食い問題として問うものであった。
 こうした実態から見ると、日勤勤務の長期化以前に日勤勤務の内容及びそうした内容を承知のうえで原告
Bに日勤勤務を命じた区長ならびに被告会社の行為そのものが業務命令権の濫用に当たるというべきである。しかも、原告Bが涙ながらに反省文を何度も書き直し、部長面談の折に職場への復帰を懇願したにもかかわらず、上記のような自責ノ-トなるものへの規程等の機械的な書き写し作業を強いたり、可部駅本部での朝の点呼の際に、他の社員の面前で「可部鉄道部箇所目標」の読み上げを強いたりした上司の行為は教育的効果がないばかりか、原告Bの人格権と人間としての尊厳を蹂躙する残忍非道な見せしめ行為として断罪されなければならない。
 現に、たとえば、最高裁は
1996223日の判決(最高裁二、平成5年(オ)502棄却)で、国労のマ-ク入りベルトを着用して就労した組合員に対し、JR東日本が仕事として就業規則の書き写し等を命じたことは人格権の侵害に当たるとして、会社に損害賠償を命じた原審(仙台高秋田支平41225(ネ)142)の判断を支持している。

経営に優しく労働者に冷たい判決
 ところが、広島地裁は「本件日勤勤務の原因は上司への反発・反抗という原告
Bの非違行為にある以上」、原告Bに上記のような自責ノートへの書き込み作業を命じた被告会社の措置には必要性が認められると言い放っている。また、被告らが原告Bに他の社員の面前で点呼を命じたことについても「可部鉄道部に所属する運転士として同部の目標を認識させ自覚を深めさせることは原告Bの非違行為の内容を考慮すると有用なものというべき」と述べている。要するに、「上司に立てついた者にはこの程度の見せしめもやむなし」という物言いである。ここでは、日勤教育の中身が、問題の発端となった「白手袋着用の必要性」、「右手指差喚呼の必要性」を理解させる教育的意味を持つものであったのかどうかという肝心の判断をスキップし、問題の焦点がいつの間にか「上司への反発・反抗」という職場秩序の議論にすり替えられている。
 しかも、被告会社と広島地裁は「非違行為」という栄華物語に登場する思わせぶりな言葉を多用して上司とのトラブルの原因を原告
Bの反抗に帰そうとしている。実態はどうだったのか? 繰り返しになるがトラブルの発端は白手袋着用の必要性と右手での指差喚呼の必要性に関する理解の相違である。その内容については既に触れたので繰り返さないが、それが一般乗客からの苦情を招く口論に発展したとしても、判決も「原告Bのみならず、被告Cも感情的になっていたと認めるべきである。したがって、本件では、原告B、被告Cの双方共に感情を高ぶらせて、だんだんと声を荒げていったと認めるのが相当であり、この認定に反する主張及び供述はいずれも採用できない」と記している。ところが、結論部分になると、トラブルは原告Bに帰責され、Bの「非違行為」の根拠にフレ-ムアップされている。
 このように実態をつまみ食いした事実認定に基づく判決では「経営者に優しく乗務員に冷たい」判決と評しても過言ではない。しかし、これでは経済的地位・交渉力の面で劣位の労働者の経済的利益ばかりか、人権をも蹂躙する経営者の傍若無人の行為を放免するに等しく、法の番人たる司法の役割を放棄したのも同然である。

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人格権を蹂躙する日勤教育を放免してきた司法と行政(1)

早くから告発されていた日勤教育の実態
 
425日でJR西日本の福知山線列車脱線事故から1年が経過した。その2日後の27日、同社の「日勤教育」によって人格権を侵害されたとしてJR西日本労働組合(JR西労)に所属する運転士と車掌264人が大阪地裁に総額で2億6,400万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。多くの人は今回の事故で始めて「日勤教育」という言葉を知ったと思われる。私もその一人である。しかし、調べていくと、日勤教育は福知山線事故以前から、運転士(の遺族)らによっていくたびか違法性が提訴され、判決でも部分的にせよ訴えが認められていたことがわかった。ここでは判決文を入手できた2件の要旨を紹介しておく(下線は醍醐が追加)。

区長の権限濫用、差別処遇を違法とした大阪地裁判決(平成10年(ワ)第4622号、損害賠償請求事件、2000927日判決
 
*「日勤期間が長期に及ぶことによる賃金の不利益は大きいのであるから、いかに指導教育のためとはいえ、・・・・客観的な根拠もなく長期の日勤勤務を命じることは違法というべきである。」
 *「・・・・客観的な根拠を有する場合はやむを得ないとしても、同被告が述べるところでは、主として区長面談の際の態度や応答、提出レポ-トにわずか数行しか記載がなく、また、記載内容も真摯なものと認められないことから意欲や反省が不十分と判断したなどというものであり、主観的な判断が主たる理由となっているのであって、かかる主観的な理由を根拠に実質1か月以上に及ぶ日勤勤務を合理化することはできず、少なくとも、右
26日以上の13事例の日勤勤務はいずれも違法であったというほかない。」
 *「右のとおり違法と考えられる長期の日勤勤務が著しく原告組合所属の組合員に偏っていることを併せ考えると、原告組合所属の組合員に対して命じられた右違法な日勤勤務は、被告
Fが、原告組合らを嫌悪しその弱体化を企図して原告組合所属を理由になしたものであり、不当労働行為意思に基づくものと推認することができるというべきである。」

69日に及んだ日勤教育の一部を不当労働行為、業務命令権の濫用と判断した広島地裁判決(平成14年(ワ)第991号損害賠償等請求事件、20041222日判決
 
*「原告Bには就業規則上の指揮命令系統に反したとの非違行為が認められるが、その具体的態様は・・・・ヒヤリハットなどといった過失に基づくものではなく、上司の指導に対して反発・反抗したという故意に基づくもので、態様が過失行為に比して悪質であるといわざるを得ない。・・・・また、旅客運輸鉄道を業とする被告会社では、経営理念として客本位のサービス提供を掲げ、旅客の信頼確保を行動規範としているところ、・・・・本件における原告Bの言動は一般乗客からの苦情を招来するなど、その信頼を裏切りかねないものであった。これからからすれば、原告B勤務種別を変更するについての業務上の必要性を認めることができるから、本件日勤教育は必要性を欠いており違法であるという原告らの主張は採用できない。」
 *「部長面談において、被告
Aは、原告Bに対して、渡り鳥をしてどの組合が1番かを確かめればわかるという趣旨の発言をしたことが認められるが、これは原告組合に所属する原告Bが同組合を脱退して他の組合に加入することを慫慂する発言と解することができる。そして、・・・・この被告Aの発言は支社からの叱責と組合の変更とを関連づけてなされたものといえる。これらを考慮すると、被告Aの発言は、被告会社として原告Bに原告組合から脱退するよう勧奨するものといえるから、労組法7条3号が禁止する原告ら組合活動に対する支配介入として、不当労働行為に該当するというべきである。」
 *「・・・・同月〔平成
142月のこと〕6日を経過する段階においては、本件日勤教育を継続する理由及び必要性は既に実質的にはほとんど消滅していたものといわなければならない。このことは、同月7日以降の日勤教育では、教育の成果を確認するための部長面談が1度も行われず、ただ自責ノ-トの作成が続けられたに過ぎないことによっても裏づけられる。 したがって、・・・・同月7日以降同年34日までに実施された本件日勤教育は不当労働行為意思に基づくものであって違法であるといわなければならない。そして、上記不当労働行為に該当する行為は、被告らの業務命令権を逸脱濫用するものとして、その意味でも違法である。」

日勤教育を苦に自殺したとする損害賠償の訴訟も
 
このほか、
200196日、運転中の通勤電車に警告灯がついたことから安全点検を行ったため、列車に約50秒の遅れが出たことを理由に日勤教育を命じられた服部匡起さん(JR西労所属)がそれから3日後に自宅で電気コードで首を吊って自殺するという事件が起こった。それから1年後の200292日、匡起さんの父親であり、元国鉄職員でもあった服部栄さんが自殺は日勤教育による精神的苦痛に起因するうつ病によるものであるとして損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしている。今現在、この裁判の経過を把握できていないが、訴状は日勤教育の実態について次のように記している。
 *日勤教育の中心的な作業は業務命令にしたがって
1時間1テーマのレポートを作成することであるが、そこでのテーマは「同業他社を凌ぐ強い体制づくりについて」とか、「指示に対してあなたは社員としてどうあるべきか」など、列車遅延とは無関係なものが多かった。
 *「水平展開」と称して、各駅のプラットホームに立って、自分が起こしたミスを見せしめ的に読み上げさせられた。
 *日勤教育期間中は同僚と話をすることもお茶を飲むことも禁止され、トイレに行くのも管理者の許可が必要だった。また、日勤教育期間中、管理者から様々な罵詈雑言を浴びせられた。
 *日勤教育中は乗務手当(月額
10万円前後)等の支給がなくなるにもかかわらず、日勤教育の期間が定められておらず、終了の基準となる教育効果の評価は区長の主観的判断に委ねられていた。
  イギリス紙『サンデータイムズ』は同年10月21日号でこの事件を「1分の遅れの代償を命で支払った列車運転士」(Train driver pays for one-minute delay with his life)という見出しで報道した。

(上記の判決に関する論評は次の記事で)
 

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「マイリスト」の「旅の思い出」にフランス旅行記をアップ

 10日間も更新が途絶えた。つなぎにというわけではないが、マイリストに「旅の思い出」を追加し、20049月から10月にかけて、大学の試験休みの間に夫婦でパリと南仏へ出かけた旅行記をアップした。といっても、今回新しく書き下ろしたわけではなく、旧HPに「きまぐれ日記」と題して掲載するつもりで書いたまま、約1年半、「工事中」にしていた記事が日の目を見た格好である。
 
ただ、旅の主目的だった南仏(アビニョン、エクス・アン・プロヴァンス)めぐりの記録が未完なのが心残りだ。いずれ追録したい。
 他人に見せるというよりは、自分のための記録といった方がよいが、私以上にフランスになじみの薄い方の参考になればと思う。これから「小さな旅」の思い出も書き留めていきたい。

 最近、アイフルの業務停止、「グレ-ゾ-ン金利」の撤廃問題が論議されているのに触発されて、消費者金融の決算内容を調べている。近いうちに、このブログに掲載したいと思っているが、学生ゼミの題材としても取り上げてみたい。

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ゼミ志望学生のエッセイ

キャンパスが活気づく季節
 
今日の昼休み、私のゼミを志望した新3年生の面接をした。本郷のキャンパスはこの時期が1年中で一番活気づいているように見える。駒場から本郷に進学してきた新3年生を迎え、新入社員を迎えた企業と同様、キャンパスにどこか緊張感が漂っているからだ。

会計への垣根を低くした書物
 私は毎年、ゼミ生選考のための資料として「志望動機」と「最近読んだ書物(会計関係に限らない)か自分の体験をもとにしたエッセイ」を2000字程度にまとめたレポ-トを志望生に提出するよう求めている。今年の第一次志望者は8名だったが、レポ-トで取り上げられた書物は多種多様だった。
 その中で目に止まったのは、『ナニワ金融道』とか『さおだけ屋はなぜ潰れないか』といった読み物を取り上げた志望生が数名いたことだった。「会計なり経済学への垣根を低くした読み物」というのがその理由のようだ。ミクロ経済学や統計学のように抽象度が高く、実務との隔たりが大きい専攻への不適応現象あるいは拒否反応なのかも知れない。

切実な必要に裏付けられた質問こそ貴重
 そうかと思うと、永井均『<子ども>のための哲学』、三島憲一『東西ドイツ』のような硬派の書物を取り上げた志望生もいた。その中で、永井さんの書物を取り上げた学生が小浜逸郎『なぜ人を殺してはいけないのか』で記された次のような一節を紹介しているのが印象に残った。

  「(この)タイトルのような質問に対する返答として、質問者がこの質問をするにあたって自身の切実な必要からこの質問を発しない限り、言い換えればこの質問をするだけの真剣な心の用意がなされていない限り、この質問に答える義務はなく、またこの質問は意味をなさない。」

 人と人との応答において、真価が問われるのは問いへの答えというよりは、問いそのもの、その問いがどれほどの切実さで裏付けられているかだ――私は常々、そう感じている。
 他方、三島さんの書物を取り上げた学生は、ネオナチのスキンヘッドが実はジャマイカ系イギリス人に起源を持つこと、それがイギリスの階級社会の中で希望を持てない白人の若年労働者に広がり、ドイツ駐留イギリス軍を経由してドイツにもたらされたといういきさつを紹介していた。こういうスケ-ルの大きな問題に関心を向ける大学生が健在であることに安らぎを覚えた。

『スウェ-デンの税金は本当に高いのか?』
 竹崎孜著の表記の書物を取り上げ、消費税などの増税に対するアレルギ-が根強い日本と対比しながら、25%の消費税(ただし、食料品は12%)を国民が受け入れているスウェ-デンの社会保障制度を論じた学生のエッセイも興味深かった。米国のような個人主義社会にもメリットはあるが、既存の格差が経済的には非効率や社会不安を生み出し、経済的発展の妨げになるではないか、とも記している。格差社会論争がかまびすしい昨今、これから大切にしてほしい問題意識である。
 なお、この学生は福祉重視の国家を目指すにせよ、経済至上主義国家を目指すにせよ、日本が抱える巨額の負債をどうするのかが課題とも記している。本年度、私のゼミでは政府負債をどう捉え、どう開示するのか、という問題を財政運営のインフラとしての公会計という視点から検討する予定である。実り多いゼミにしたいと改めて感じさせられた。

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啄木の犬の歌に寄せて

犬を飼わんと妻にはかれる
 
先月、実家に住む一番上の姉から、千勝三喜男編『現代短歌分類集成』(おうふう、2006年刊)が送られてきた。副題にあるように明治・大正・昭和・平成の歌人316名の短歌30,026首を3,184の小項目に分類した「20世紀“うた”の万華鏡」という体裁の大著である。なにげなく「犬」の項を繰っていくと、石川啄木の次の歌が目に止まった。

庭のそとを白き犬ゆけり。/ふりむきて、/犬を飼はむと妻にはかれる。(悲しき玩具)

下の句の「犬を飼はむと妻にはかれる」という表現に啄木の(というより男の)幼児性を想い浮かべながら、わが家の飼い犬の来歴を重ね合わせた。こういう場合、犬を飼おうとか飼いたいとか言い出すのはたいてい、男性や子どもである。しかし、飼ったあとの毎日の散歩、食事の世話をするのは母であり妻である女性の務めとなるのが慣わしのようだ。そういう先のことがわかっているから、女性は庭の外を走る犬をみかけたといって、わが家で飼おうと気安く「はかられても」困るのだろう。

隣家から1匹目の犬を引き取った事情
 わが家には2匹の飼い犬がいる。どちらも隣家が2度(一度は夫君の職場の異動のため、もう一度は一家そろっての転居のため)引っ越すときに、1匹ずつ引き取った犬である。といってもそうなったのは偶然である。1匹目がわが家へ来たのは、引越しの途中、暴れてトラックから飛び降り、2週間放浪の末、ようやく元の飼い家(隣家)へかけ戻って来たのを引き取ったからである。放浪中、野犬に襲われたのか、首の周りは噛み付かれた傷跡が痛々しく肉がむき出て痩せ細っていた。
 
元の飼い主に連絡をしたが、引き越し先が遠方のため引取りにはいけないとのこと。といって、命からがら生還した犬をおいそれと保健所へ連れていくわけにはいかない。こういう成り行きで「チビ」はわが家の飼い犬になった。このときは、妻にはかるもはからないもなかった。

隣家から2匹目の犬を
 ここまでなら特別珍しい話ではないが、それから2年後に同じ隣家から2匹目の犬を引き取ることになった。先の転居のあと、夫君の職場の関係で隣家は家族そろって、また当地へ戻ってきた。話はややこしくなるが、隣家にはもともと「チビ」とその母犬が同居していたのだが、当地へ戻ってきてしばらく経ってその母犬は2度目の出産をした。ところが隣家は、今度は土地・建物を売り払い、一家そろってマンションへ引っ越すことになった。
 
問題は母犬と生後1年あまりの子犬の行方である。世話焼きといえばそれまでだが、なんとなく気になり、もらい手を捜すポスタ-をあちこちに貼る手伝いをした。しかし、引越しの日が近づいても、引き取り手が現れた気配はない。「親子2匹をマンションに連れていくのは無理だろうな」と連れ合いと話す日が続いた。引越し前日になっても親犬、子犬の姿はそのままだ。いよいよ保健所行きかなどと案じる。
 
10時ごろ、私が受話器を取ろうとすると、連れ合いは「どこへかけるのよ!まさかお隣じゃないでしょうね!絶対反対だよ。これ以上引き取ってどうなるの!」とすごい剣幕だった。「妻にはかれる」という雰囲気ではなかった。制止する連れ合いの声をさえぎって電話をすると、夫君が出た。
 「どうですか、どこか見つかりましたか?」
 「いやあ、だめです。」
 「そうですか・・・・」
 「もし、ほかにあてがなければ、うちが“ウメ”を引き取りましょうか?」
 「ええ!そうですか、そうしてもらえると助かります!」
 連れ合いは簡単に納得できる風ではなかったが、翌朝、母子2匹の最後の散歩を申し出た。近くの中学校の校門前で撮った写真は今もアルバムにある。いよいよトラックが来て手際よく荷物の詰め込みが終わった。母犬を運転席に乗せ、子犬の紐は私が持って動き出した車を見送った。こうして子犬の「ウメ」はわが家の飼い犬となったのである。


声が出なくなったチビ
 こうして2匹はわが家に住むようになったが、14歳を過ぎた「チビ」は昨年12月4日夜、突然、ぐるぐる回り歩き出した。そして何度も身体のバランスを崩し、起き上がってはまた転ぶ有様だった。一瞬、私は狂牛病の情景を想い起こした。深夜12時を過ぎていたが、タクシ-を呼んで2キロほど離れた動物病院へ駆けつけた。医師に言われて初めてわかったのだが、「チビ」の眼球はぐるぐる回っていた。「三半規管がやられているか、脳に悪い病気があるか、どちらかだと思います」とのこと。
 とにかくめまいを止める注射と抗生薬をもらい、約1週間、点滴だけで過ごした。車がないわが家はタクシ-で通院したが、そのたびに車の中で大暴れ。2度、膝のうえで大便も。これではというので、1週間ほど経ったところで自宅での点滴に切り替えた。この間、正月をはさみ、夫婦交代で「チビ」の添い寝をした。明け方になって布団のなかへ導くとすんなり入ってきて朝まで熟睡した。
 1月中旬になって食欲も戻り、スロ-ペ-スながらも妹の「ウメ」といっしょの散歩をできるところまで回復した。しかし、これが後遺症かと思うのだが声が出なくなった。飼い主が呼んでも、大きな声で話しかけても反応しなくなった。娘がプレゼントしてくれたオイル・ヒ-タ-が気に入ったようで、昼夜、動き回るとき以外はそのそばでうたた寝する時間が多い。足が弱らないようにと晴れた日、連れ合いは近くの公園へ散歩に連れて行くのが日課になっている。私はといえば、週末、昼と夕方の散歩に出るだけになっている。男は「外面のよさ」を見せかけ、苦労するのは女性という構図はわが家も同じなのかと思い知るこのごろである。

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ブリオン調査会委員の恣意的再任―私の体験をダブらせて―

行政の恣意的な委員選別
 
米国産食肉の安全性を評価するブリオン専門調査委員会の委員再任をめぐって委員会事務局を務める行政と委員の間で説明が錯綜している。任期は設けられていなかったそうだが、45日付けの各紙報道によると、事務局は年齢制限にあたる4人を除いて再任を要望したが、半数にあたる6人は研究に専念したいなどの理由で固辞したと発表していた。しかし、結果として委員を辞した6人全員が輸入再開に関する政府の方針に批判的ないしは慎重な意見を唱えていた委員であったと知って、私は3年前の自分の体験を思い起こし、額面どおりに受け取れなかった。
 
実際、その後の報道によると、例えば、座長代理の金子清俊氏の不再任は自分の意思によるものではなく、「新たに設けられた」年齢制限によるものだった。6人の中の別の委員も再任については追って連絡するということだったが、その後通知がないまま、不再任が決まった形になったと話している。
 
ここまで来ると私が総務省の情報通信審議会委員を再任されなかったときの役所の「手法」と酷似している。「任期切れ」の時こそ、行政が自分の意向に沿うかどうかで審議会委員を選別する格好の機会なのである。

再任を拒まれた私の体験
 
私は旧郵政省の電気通信審議会(現情報通信審議会)委員に就任してから通算で63ヶ月が経過した20031月の時点で2年の任期切れとなった。その時、審議会事務局を務めた総務省の課長が訪ねてきて再任を見送るとの通知を受けた。しかし、大学に籍を置く委員の場合、前例では、48年が慣例だった。そこで不再任の理由を聞くと、「今回、先生を再任すると通算で8年を超えるから」という返答だった。では、通算年月が同じ委員は皆不再任なのかと尋ねると、「いえ、任務の継続性を考慮して会長、同代理、分科会会長、同代理は再任の予定」とのことだった。3ヶ月という端数が生じたのは、省庁再編で委員の発令日が以前の101日から16日に変わったからだった。
 
このようにいうと、事務的形式的理由による不再任と受け取る人が多いかも知れない。しかし、私に対する事務局の説明は私が確かめた次の事実からでたらめであったことが判明する。
 
① 省庁再編を挟む時期に私と同じ審議会委員に就いていた大学教員3人(ABC氏)の通算在任年数を調べると、AB2人は83ヶ月で、もう一人のC氏は73ヶ月だった。つまり、C氏もあと2年在任すると通算で8年を超えることを承知の上で再任され、途中で総務審議官に着任したため、任期が73ヶ月となっただけである。
 
② また、A氏は83ヶ月の任期を終えた後も臨時委員として任用され某委員会の座長を務めている。
 
こうした事実を見ただけでも、行政が任期切れ・再任の機会を使っていかに恣意的に委員を選別しているか、おわかりいただけると思う。もっとも、それ以前に私の場合は任期切れの前の年(2002年)の夏に役所の某氏から、「政治家が先生を再任するなと言って来ています。あまり激しくNTTを批判するのは控えた方がいいですよ」と伝えられていた。そういうことから、不再任もありうるとは思っていたが、その可能性は34割と思っていた。
 
いずれにせよ、私の審議会委員不再任のいきさつと、私が体験した行政による審議会の操縦ぶりは、「総務省が審議会委員の私を『解任』した真相」(『エコノミスト』2003121日)で触れている。そのword版原稿をアップするので、一読いただけると幸いである。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/singikaiiinkainin.pdf

行政によるオピニオン・ショッピング
 
監査論の世界で「オピニオン・ショッピング」という言葉がある。粉飾決算と判断されかねないグレイな会計処理をした企業が、「適正意見」を付けてくれる監査(法)人を探し回ることを指して使う言葉である。総務省(旧郵政省)、大蔵省、内閣府(旧経済企画庁)の審議会、懇談会委員を務めた私の経験から痛感するのは、第三者機関を標榜した審議会等の答申の大筋は審議が始まる時点で、もっと端的にいえば、委員を人選する時点で固まっているということである。
 
そして、答申の趨勢を決める委員の人選は諮問をする役所が采配を握っており、1,2人の一家言ありの委員(といっても穏健な)を混ぜることはあっても、役所に「優しい」委員が大半を占める人選となることに変わりはない。そこから、私は審議会委員の選任、再任は「オピニオン・ショッピング」(意見の買い漁り)と呼ぶことにしている。
 
そして、審議会委員の体験を通して痛感するもう一つのことは、行政の傲慢な審議会操縦の害悪とともに、自らの肩書き作りのためか、それに加担する御用研究者の堕落ということである。
 
今回のブリオン調査会の委員再任の不透明さが、こうした悪弊を世に知らしめ、審議会に対する市民監視を促す契機となることを願っている。

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受信料督促ホットライン集約レポート

266件の電話相談
 このブログでも掲示したNHK受信料支払い停止運動の会の「受信料督促ホットライン」は4月2日でひとまず終わった。今日、事務局のホットライン担当者から、その集計結果をまとめたレポ-トが届いたので、この個人ブログにも掲載することにした。レポ-トの全文は次をご覧いただきたい。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/hotlinereport.doc
 私自身、そのうちの64件に応対した。1台だけの窓口だったため、つながったほとんどの人は開口一番、「何度もかけたんですよ」。

支払い再開の大半は不安感からの駆け込み、信頼回復とは無縁
 
私が応対した相談の大半は「支払い督促が来たら、どうしたらよいのか」というもので、明日にも督促が来るのではという不安に駆られた人が少なくなかった。特に、長期未払い者から寄せられた「遡って払えといわれたら、どうすればよいのか」という相談には切実さがこもっていた。
 最近、NHKは支払い再開件数が増えてきたことを、信頼回復の証かのように喧伝している。しかし、こうした相談者の様子を見る限りでは、支払い再開は、民事手続きによって煽られた不安感による「駆け込み」であり、「信頼回復」とは程遠い。むしろ、「準備が整い次第、督促に踏み切る」と繰り返すことによって不安を掻き立て、支払い再開を誘導するのがNHKのねらいだと見てよい。NHK発表の数字を無造作に伝え、数字を一人歩きさせる報道の弊害を実感させられた。

周知されていない受信契約の仕組み
 
応対をしていて、しばしば出くわしたのは受信契約の仕組みが周知されていないということである。「不祥事に腹が立って、口座引き落としを解約したのに、未納分が溜まっていくのはどうしてか」という質問が数件あった。口座の解約と受信契約の解約を混同しているからだろう。また、受信機を設置するとNHKと受信契約を結ぶことを義務付けられていることを知らない人がほとんどだった。
 なお、視聴者の無理解では済まない問題として、ケーブル・テレビの契約料とNHKの受信料の関係に関する質問が数件あった。「ケ-ブル・テレビに加入する時には、NHKの受信料は不要になるといわれたのに、加入してみると、NHKから受信料は要ると言われた」といった実状が報告された。

資格証明は役所で―始めて知った免除制度の手続き―
 
ホットライン開設期間中に、障害者の人から、いままでの分をまとめて払えといわれたら、どうすればよいのか」という相談を受けた。「障害者には免除制度がありますが、ご存知ですか」と尋ねたら、知らないとのことだった。集金人には障害者であることを話されたそうだが、何も説明を受けていないこともわかった。
 そこで、ただ免除制度があることを伝えてお終いでは役に立たないと感じ、NHKの受信料相談窓口へ電話をして手続きを確かめた。

   「受信規約の第10条で受信料免除の申請をするには、理由の証明書を提出するとありますが、この書類はどこで手に入れるのですか?」
「最寄の市町村役所の福祉課です。」
「え? NHKから取り寄せるのではないのですか?」
「はい。その方が免除に当てはまるかどうかは役所で確認してもらうことになっています。」
「とういうことは、NHKは適格かどうかを審査しないということですね?」
「そうです。役所に置いてある書類に証明印を押してもらって投函してもらうことになっています。」

 そうなら、免除規定を記した近くに、申請手続きの説明を添えることにしてはどうか。支払いの督促に注ぐ意欲の何分の1かを、経済的弱者に向けることが、なぜできないのか?

支部を作って運動を広げたいという人も
 理由はよくわからないが、新潟からの相談が多かった。その中の3名から、「新潟でそちらの会に入っている人がいたら、連絡を取りたいので教えてもらえないか」という申し出を受けた。また、4日には、仙台の人から同じような申し出と、資料請求があった。そのほか、20名近くの人から、督促が来たら異議申し立てをして裁判をやる。そのときは連絡をするので、全国的な集団訴訟となるよう、まとめてほしい」という要望やカンパの申し出も受けた。

ホットライン後も電話は常設
 
相談の最後に、「この電話は2日までですか」と聞かれることが多かった。「いえ、その後会の常設電話として残します。何かあったら、また連絡を下さい」というと、一様に喜ばれた。こうした反響は他の事務局メンバ-が応対した場合も同じだったそうだ。
 私たちの会は今後もホットラインの電話を会の常設電話とし、支払い督促その他の相談窓口としても使用することにしている。

NHK受信料支払い停止運動の会
常設電話 0488733520
(支払い督促の相談にも応対。時間帯は指定しないが、なるべく19時~21時がありがたい。)

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法廷での証言を理由にNHK職員の処分を迫った政治家の異常な司法介入

3月30日、NHKの新年度予算を審議した参議院総務委員会で自民党の山本順三議員は、先のVAWW-NET裁判公判における永田浩三氏の証言(松尾氏と野島氏が安倍氏に呼びつけられたのではなく、自分たちから出かけたことにしようと打ち合わせをしたと上司から聞いたと証言したこと)を取り上げ、NHKの公式の見解と違った証言をした同氏の言動にどういうけじめをつけるつもりか、と橋本会長らに迫った。

しかも、本田記者が取材現場からはずされた『朝日新聞』の場合と比べ、NHKは甘いとも発言し、事実上、永田氏(長井氏も挙げて)の処分を迫る発言までした。もともと、予算審議と関係ない放送現場で起こった問題を理由にしてNHKの人事に政治家が干渉すること自体、放送法第3条が禁じた外部からの介入にあたる可能性がある。
 
また、係争中の裁判で宣誓のうえ証言した人物の言動について国会審議の場で予断に基づいて証言内容を非難するのは、司法に対する政治の露骨な介入である。

 何はともあれ、山本議員の発言を多くの方にじかに確かめていただきたいと思う。それには、参議院のHPに掲載されているビデオが役に立つ。URLは次のとおりである。http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/library/result_consider.php
 次の順序で進むと、山本議員の該当発言にたどり着ける。
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