ゼミ志望学生のエッセイ
キャンパスが活気づく季節
今日の昼休み、私のゼミを志望した新3年生の面接をした。本郷のキャンパスはこの時期が1年中で一番活気づいているように見える。駒場から本郷に進学してきた新3年生を迎え、新入社員を迎えた企業と同様、キャンパスにどこか緊張感が漂っているからだ。
会計への垣根を低くした書物
私は毎年、ゼミ生選考のための資料として「志望動機」と「最近読んだ書物(会計関係に限らない)か自分の体験をもとにしたエッセイ」を2000字程度にまとめたレポ-トを志望生に提出するよう求めている。今年の第一次志望者は8名だったが、レポ-トで取り上げられた書物は多種多様だった。
その中で目に止まったのは、『ナニワ金融道』とか『さおだけ屋はなぜ潰れないか』といった読み物を取り上げた志望生が数名いたことだった。「会計なり経済学への垣根を低くした読み物」というのがその理由のようだ。ミクロ経済学や統計学のように抽象度が高く、実務との隔たりが大きい専攻への不適応現象あるいは拒否反応なのかも知れない。
切実な必要に裏付けられた質問こそ貴重
そうかと思うと、永井均『<子ども>のための哲学』、三島憲一『東西ドイツ』のような硬派の書物を取り上げた志望生もいた。その中で、永井さんの書物を取り上げた学生が小浜逸郎『なぜ人を殺してはいけないのか』で記された次のような一節を紹介しているのが印象に残った。
「(この)タイトルのような質問に対する返答として、質問者がこの質問をするにあたって自身の切実な必要からこの質問を発しない限り、言い換えればこの質問をするだけの真剣な心の用意がなされていない限り、この質問に答える義務はなく、またこの質問は意味をなさない。」
人と人との応答において、真価が問われるのは問いへの答えというよりは、問いそのもの、その問いがどれほどの切実さで裏付けられているかだ――私は常々、そう感じている。
他方、三島さんの書物を取り上げた学生は、ネオナチのスキンヘッドが実はジャマイカ系イギリス人に起源を持つこと、それがイギリスの階級社会の中で希望を持てない白人の若年労働者に広がり、ドイツ駐留イギリス軍を経由してドイツにもたらされたといういきさつを紹介していた。こういうスケ-ルの大きな問題に関心を向ける大学生が健在であることに安らぎを覚えた。
『スウェ-デンの税金は本当に高いのか?』
竹崎孜著の表記の書物を取り上げ、消費税などの増税に対するアレルギ-が根強い日本と対比しながら、25%の消費税(ただし、食料品は12%)を国民が受け入れているスウェ-デンの社会保障制度を論じた学生のエッセイも興味深かった。米国のような個人主義社会にもメリットはあるが、既存の格差が経済的には非効率や社会不安を生み出し、経済的発展の妨げになるではないか、とも記している。格差社会論争がかまびすしい昨今、これから大切にしてほしい問題意識である。
なお、この学生は福祉重視の国家を目指すにせよ、経済至上主義国家を目指すにせよ、日本が抱える巨額の負債をどうするのかが課題とも記している。本年度、私のゼミでは政府負債をどう捉え、どう開示するのか、という問題を財政運営のインフラとしての公会計という視点から検討する予定である。実り多いゼミにしたいと改めて感じさせられた。
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