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啄木の犬の歌に寄せて

犬を飼わんと妻にはかれる
 
先月、実家に住む一番上の姉から、千勝三喜男編『現代短歌分類集成』(おうふう、2006年刊)が送られてきた。副題にあるように明治・大正・昭和・平成の歌人316名の短歌30,026首を3,184の小項目に分類した「20世紀“うた”の万華鏡」という体裁の大著である。なにげなく「犬」の項を繰っていくと、石川啄木の次の歌が目に止まった。

庭のそとを白き犬ゆけり。/ふりむきて、/犬を飼はむと妻にはかれる。(悲しき玩具)

下の句の「犬を飼はむと妻にはかれる」という表現に啄木の(というより男の)幼児性を想い浮かべながら、わが家の飼い犬の来歴を重ね合わせた。こういう場合、犬を飼おうとか飼いたいとか言い出すのはたいてい、男性や子どもである。しかし、飼ったあとの毎日の散歩、食事の世話をするのは母であり妻である女性の務めとなるのが慣わしのようだ。そういう先のことがわかっているから、女性は庭の外を走る犬をみかけたといって、わが家で飼おうと気安く「はかられても」困るのだろう。

隣家から1匹目の犬を引き取った事情
 わが家には2匹の飼い犬がいる。どちらも隣家が2度(一度は夫君の職場の異動のため、もう一度は一家そろっての転居のため)引っ越すときに、1匹ずつ引き取った犬である。といってもそうなったのは偶然である。1匹目がわが家へ来たのは、引越しの途中、暴れてトラックから飛び降り、2週間放浪の末、ようやく元の飼い家(隣家)へかけ戻って来たのを引き取ったからである。放浪中、野犬に襲われたのか、首の周りは噛み付かれた傷跡が痛々しく肉がむき出て痩せ細っていた。
 
元の飼い主に連絡をしたが、引き越し先が遠方のため引取りにはいけないとのこと。といって、命からがら生還した犬をおいそれと保健所へ連れていくわけにはいかない。こういう成り行きで「チビ」はわが家の飼い犬になった。このときは、妻にはかるもはからないもなかった。

隣家から2匹目の犬を
 ここまでなら特別珍しい話ではないが、それから2年後に同じ隣家から2匹目の犬を引き取ることになった。先の転居のあと、夫君の職場の関係で隣家は家族そろって、また当地へ戻ってきた。話はややこしくなるが、隣家にはもともと「チビ」とその母犬が同居していたのだが、当地へ戻ってきてしばらく経ってその母犬は2度目の出産をした。ところが隣家は、今度は土地・建物を売り払い、一家そろってマンションへ引っ越すことになった。
 
問題は母犬と生後1年あまりの子犬の行方である。世話焼きといえばそれまでだが、なんとなく気になり、もらい手を捜すポスタ-をあちこちに貼る手伝いをした。しかし、引越しの日が近づいても、引き取り手が現れた気配はない。「親子2匹をマンションに連れていくのは無理だろうな」と連れ合いと話す日が続いた。引越し前日になっても親犬、子犬の姿はそのままだ。いよいよ保健所行きかなどと案じる。
 
10時ごろ、私が受話器を取ろうとすると、連れ合いは「どこへかけるのよ!まさかお隣じゃないでしょうね!絶対反対だよ。これ以上引き取ってどうなるの!」とすごい剣幕だった。「妻にはかれる」という雰囲気ではなかった。制止する連れ合いの声をさえぎって電話をすると、夫君が出た。
 「どうですか、どこか見つかりましたか?」
 「いやあ、だめです。」
 「そうですか・・・・」
 「もし、ほかにあてがなければ、うちが“ウメ”を引き取りましょうか?」
 「ええ!そうですか、そうしてもらえると助かります!」
 連れ合いは簡単に納得できる風ではなかったが、翌朝、母子2匹の最後の散歩を申し出た。近くの中学校の校門前で撮った写真は今もアルバムにある。いよいよトラックが来て手際よく荷物の詰め込みが終わった。母犬を運転席に乗せ、子犬の紐は私が持って動き出した車を見送った。こうして子犬の「ウメ」はわが家の飼い犬となったのである。


声が出なくなったチビ
 こうして2匹はわが家に住むようになったが、14歳を過ぎた「チビ」は昨年12月4日夜、突然、ぐるぐる回り歩き出した。そして何度も身体のバランスを崩し、起き上がってはまた転ぶ有様だった。一瞬、私は狂牛病の情景を想い起こした。深夜12時を過ぎていたが、タクシ-を呼んで2キロほど離れた動物病院へ駆けつけた。医師に言われて初めてわかったのだが、「チビ」の眼球はぐるぐる回っていた。「三半規管がやられているか、脳に悪い病気があるか、どちらかだと思います」とのこと。
 とにかくめまいを止める注射と抗生薬をもらい、約1週間、点滴だけで過ごした。車がないわが家はタクシ-で通院したが、そのたびに車の中で大暴れ。2度、膝のうえで大便も。これではというので、1週間ほど経ったところで自宅での点滴に切り替えた。この間、正月をはさみ、夫婦交代で「チビ」の添い寝をした。明け方になって布団のなかへ導くとすんなり入ってきて朝まで熟睡した。
 1月中旬になって食欲も戻り、スロ-ペ-スながらも妹の「ウメ」といっしょの散歩をできるところまで回復した。しかし、これが後遺症かと思うのだが声が出なくなった。飼い主が呼んでも、大きな声で話しかけても反応しなくなった。娘がプレゼントしてくれたオイル・ヒ-タ-が気に入ったようで、昼夜、動き回るとき以外はそのそばでうたた寝する時間が多い。足が弱らないようにと晴れた日、連れ合いは近くの公園へ散歩に連れて行くのが日課になっている。私はといえば、週末、昼と夕方の散歩に出るだけになっている。男は「外面のよさ」を見せかけ、苦労するのは女性という構図はわが家も同じなのかと思い知るこのごろである。

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