人格権を蹂躙する日勤教育を放免してきた司法と行政(2)
日勤教育の長期化だけが問題なのか?
前回の記事で紹介した2つの判決は日勤教育に見られた不当労働行為(労働組合活動への支配介入)と日勤教育対象者が蒙る経済的不利益(根拠のない日勤勤務期間の延長による逸失利益)を無効とした点では重要な意義を持っている。特に、日勤勤務の期間があらかじめ定められておらず、現場の区長の裁量で恣意的に延長されることが日勤勤務対象者の心理的不安を増幅させ、精神的に彼らを追い詰める原因になっていることからいうと、大阪地裁判決が区長の根拠のない主観的判断で日勤教育が長期化した点を不当としたことは高く評価されてよい。
しかし、どちらの判決も日勤勤務期間の長期化を対象者が蒙る経済的不利益の観点から違法とするにとどまり、人格権を侵害する日勤教育の実態には一切踏み込んでいない。例えば、大阪地裁は、知悉度テストの成績不良等知識技術の不足など客観的な根拠がある場合はやむを得ないとしても、区長面談の際の態度や応答、提出レポ-トに意欲や反省が不十分などという主観的な判断を主たる理由として日勤勤務期間を長期化させたのは違法と指摘している。
しかし、そこでは、そもそも日勤教育の内容自体が安全教育など運輸業に必要とされる業務の再研修とは無縁の、「教育」に名を借りた懲罰の場、上司への忠誠・服従を誓わせる場として濫用された実態(労働者の人格権侵害行為)の認定には一切及んでいないのである。これを前記の広島地裁事件に即して検討してみよう。
業務命令権は治外法権なのか?
この事件は運転士が上司の命令に従わず、被告会社から支給された白手袋を着用しなかったこと、右手での指差喚呼をしなかったことを理由に日勤教育を命じられたことに端を発したものである。まず、白手袋着用についていうと、ここでの白手袋が被告会社の厚生業務規程35条に記載された「被服類」に該当するとすれば、職務の執行にあたってそれを着用しないのは服務規律違反といえる。
問題はこうした行為が26日に及ぶ日勤教育を正当化するに足る理由になるのかどうか、日勤教育の内容がそうした規律違反を是正するためのものであったかどうかである。これについて被告JR西日本は「運転士が白手袋を着用することは、乗客に対して清廉な印象を与え、規律ある職場であることをアピールして、安全輸送に対する信頼感を高めると共に、運転士に対して事業の公共性とその任務の重要性を認識させ、自らの職責に対する自覚を高めることにつながる」(判決文より引用。下線は醍醐が追加。以下、同じ)と述べている。こういう物言いを聞くと、「服装の乱れは品行の乱れ」などと古めかしい道徳論を持ち出して制服着用を義務付けた学校教育を思い起こさせる。白手袋の着用を「清廉な印象」と誇張し、「安全輸送に対する信頼感」、「公共性の認識」へと舞い上げる独善的な主張が司法の場でまかり通れば、業務命令権は治外法権となるに等しい。
次に、「右手での指差喚呼」の件を検討しよう。これについて、原告側は次のように主張している。「被告会社には列車が駅で停車した際の指差喚呼を右手で行うべきとする規程はないし、原告Bも右手で指差喚呼を行うよう指導されたのも本件が初めてであった。また、被告会社金沢支社や和歌山支社のように左手による指差喚呼を求めているところもある。」
これについて、被告会社側は次のように反論している。「被告会社には右手により指差喚呼すべきことを定めた規程はなく、左手による指差喚呼を求めている支社もあるが、原告Bが所属する被告会社広島支社では、列車運転の際、原則として右手で指差喚呼を行うようかねがね指導してきた。けだし、運転士に対し、運転動作の際、指差と声出しの動作を加えた確認を行い、乗務員によるヒュ-マンエラ-の防止の徹底を図り、指差喚呼を確実に行うためには、指差喚呼することを体質化する(確実に身につける。)必要があり、そのためには左右いずれか決まった手で常に指差喚呼を行う癖をつけておくことが望ましいからである。」
こうしたやりとりを読むと、安全運転の見地から見れば、指差喚呼を左右どちらの手でするかで安全運転に有意な違いはないと考えられる。被告会社がいうように、右手で指差喚呼することが安全運転の面で必要不可欠なら、同じ社のなかで左手による指差喚呼を求めている支社を放置している責任が問われなければならない。
人格権蹂躙の日勤教育そのものを断罪すべき
百歩譲って、それでも広島支社内では一律に右手指差喚呼を義務付けるというなら規程に明記し、日常的に周知徹底を図るべきところ、そうした前提がないまま、右手で指差喚呼しようとしなかったことを以って原告Bの言動を上司の指導指示に反発する非違行為と断じ、それを理由に日勤教育を命じた被告会社の行為は業務命令権の濫用に当たると見なすのが当然である。しかも、日勤教育の内容はというと、「自責ノ-ト」なるものに就業規則を機械的に書き写させたり、反省文を書き直させるだけで「白手袋着用の必要性」、「右手で指差喚呼を行う必要性」についての説明は何もなかった。また、知悉度テストも被告会社の資本金、発行済株式数、事業内容、各種利益、経営理念を問うたり、広島支社の支社長・次長の念頭挨拶を虫食い問題として問うものであった。
こうした実態から見ると、日勤勤務の長期化以前に日勤勤務の内容及びそうした内容を承知のうえで原告Bに日勤勤務を命じた区長ならびに被告会社の行為そのものが業務命令権の濫用に当たるというべきである。しかも、原告Bが涙ながらに反省文を何度も書き直し、部長面談の折に職場への復帰を懇願したにもかかわらず、上記のような自責ノ-トなるものへの規程等の機械的な書き写し作業を強いたり、可部駅本部での朝の点呼の際に、他の社員の面前で「可部鉄道部箇所目標」の読み上げを強いたりした上司の行為は教育的効果がないばかりか、原告Bの人格権と人間としての尊厳を蹂躙する残忍非道な見せしめ行為として断罪されなければならない。
現に、たとえば、最高裁は1996年2月23日の判決(最高裁二、平成5年(オ)502棄却)で、国労のマ-ク入りベルトを着用して就労した組合員に対し、JR東日本が仕事として就業規則の書き写し等を命じたことは人格権の侵害に当たるとして、会社に損害賠償を命じた原審(仙台高秋田支平4.12.25(ネ)142)の判断を支持している。
経営に優しく労働者に冷たい判決
ところが、広島地裁は「本件日勤勤務の原因は上司への反発・反抗という原告Bの非違行為にある以上」、原告Bに上記のような自責ノートへの書き込み作業を命じた被告会社の措置には必要性が認められると言い放っている。また、被告らが原告Bに他の社員の面前で点呼を命じたことについても「可部鉄道部に所属する運転士として同部の目標を認識させ自覚を深めさせることは原告Bの非違行為の内容を考慮すると有用なものというべき」と述べている。要するに、「上司に立てついた者にはこの程度の見せしめもやむなし」という物言いである。ここでは、日勤教育の中身が、問題の発端となった「白手袋着用の必要性」、「右手指差喚呼の必要性」を理解させる教育的意味を持つものであったのかどうかという肝心の判断をスキップし、問題の焦点がいつの間にか「上司への反発・反抗」という職場秩序の議論にすり替えられている。
しかも、被告会社と広島地裁は「非違行為」という栄華物語に登場する思わせぶりな言葉を多用して上司とのトラブルの原因を原告Bの反抗に帰そうとしている。実態はどうだったのか? 繰り返しになるがトラブルの発端は白手袋着用の必要性と右手での指差喚呼の必要性に関する理解の相違である。その内容については既に触れたので繰り返さないが、それが一般乗客からの苦情を招く口論に発展したとしても、判決も「原告Bのみならず、被告Cも感情的になっていたと認めるべきである。したがって、本件では、原告B、被告Cの双方共に感情を高ぶらせて、だんだんと声を荒げていったと認めるのが相当であり、この認定に反する主張及び供述はいずれも採用できない」と記している。ところが、結論部分になると、トラブルは原告Bに帰責され、Bの「非違行為」の根拠にフレ-ムアップされている。
このように実態をつまみ食いした事実認定に基づく判決では「経営者に優しく乗務員に冷たい」判決と評しても過言ではない。しかし、これでは経済的地位・交渉力の面で劣位の労働者の経済的利益ばかりか、人権をも蹂躙する経営者の傍若無人の行為を放免するに等しく、法の番人たる司法の役割を放棄したのも同然である。
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