« 人を憎んでミスを憎まない日勤教育 | トップページ | 60回目の誕生日 »

天皇と皇室に寄り添う朝日新聞社説

 朝日新聞の5月4日の社説に強い危惧を感じた。数日、思案をした結果、今朝方、同社広報部を通じて論説室(社説執筆部署)に下記のような意見をメールで送った。

 **************************************

『朝日新聞』が憲法記念日にちなんで掲載した、天皇と憲法を考える 国民と伝統に寄り添って」と題する5月4日付の社説を読んで大いなる危惧を感じました。私には天皇制論をじっくり語るゆとりも、十分な学識もありませんが、次の一節についてコメントして、この社説に対する私の危惧を伝えたい思います。真摯に吟味くださるよう要望します。

  「朝日新聞の世論調査は、78年から象徴天皇制について断続的に聞いてきたが、支持率は常に80%を超えている。多くの国民と同じような家庭をつくり、平和の大切さを説き、恵まれない人たちに手を差しのべる。そうした皇室のあり方が共感を呼び、国民とのきずなを強めていると思う。そのような行動は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という憲法の精神に沿おうという天皇の意思の表れでもあるだろう。」

ここでの世論調査の方法を吟味してみる必要があるかも知れません。それは措くとしても、天皇制なり皇室が現代の日本社会で果たす役割(特に歴史の事実を直視し、それを伝えようとする言論を抑圧するための「タブー」として利用される役割)を、天皇個人のあれこれの言動(被災地訪問なども含め)に関する心情的評価にすり替えるのでは、ジャーナリズムの論説に値いしません。

2001年1月30日にNHKが放送したETV番組「問われる戦時性暴力)が政治家の介入によって「天皇有罪」の部分などが放送前に抹消・改ざんされた問題は、ほかでもない貴社が報道されたものですが、こうした政治介入は、上でいう「タブー」が今なお歴然と存在することを示す典型例です。

 また、「象徴」であれ何であれ、天皇によって「日本国民を統合」するなどという前時代的な言辞を無批判に反復する論説には、思考の退行を感じます。

ここまで、朝日新聞が「天皇と皇室に寄り添う」のはなぜなのでしょうか? 「目立たない」変質とは、このように進行するのかという思いに駆られました。

これに関連して、昨年11月19日にNHK教育テレビで放送されたETV特集「我が故郷はサイパン~玉砕戦を生き抜いた子どもたち~」を観て、私が知人にBCCで送ったメールを転送させていただきます。

***************************************
皆さま

昨夜、ご案内しましたETV特集「我が故郷はサイパン~玉砕戦を生き抜いた子どもたち~」(NHK教育テレビ、11月19日放送)を見ました。皆さんはご覧になったでしょうか? その後、NHKへ次のような感想をE・メールで送りました。

「番組を見た感想です。「玉砕」という美名の影に隠れがちなサイパンで「生き残った」民間人の生死を分けたものは何であったか、彼らは戦後をどう生き抜いたのかを、多くの証言に基づいて描いた秀作でした。異国の地でもなお、日本人を戦陣訓で染め上げた「言葉」の恐ろしさは決して過去のことではないと思われます。「逃げているときはアメリカ兵よりも日本兵の方が怖かった」という証言は、軍隊は市民を守らないどころか、市民を死へと駆り立てる本性を垣間見る思いがしました。」

なお、私はまだサイパンを訪ねたことはないのですが、インターネットで検索して、バンザイクリフのそばにある2つの慰霊碑に次のような詞が刻まれていることを知りました。

御製               

国のため命をささげし人々の      

ことを思えば胸せまりくる     


      皇紀二六五二年 平成四年二月吉日

慰霊碑

どんな気持ちで波間に消えた

時代は遠くはなれても

   なんでむなしく忘らりよか

   風も泣きますバンザイクリフ

    一九八一年 五月八日

私は、死者を今もって「臣民」視するに等しい、「国のため命をささげし」などという言葉は、「慰霊」の精神の対極にあるものだと思っています。「国のためと命を奪われし人々の」と言い表すべきところだと思います。歴史の現実を偽るこうした虚言は「胸せまりくる」という心情の吐露によって償われるものではありません。(下線部分は今回追加)


   
醍醐 

|

« 人を憎んでミスを憎まない日勤教育 | トップページ | 60回目の誕生日 »

政治」カテゴリの記事

コメント

いつも楽しく拝読しております。
『「臣民」視するに等しい、「国のため命をささげし」などという言葉は...』とありますが、国=天皇ということなのでしょうか??
臣民視するという意味が理解できませんでした。私の無学故でしょうか。
軍・民含め、当時、尊い命を失われた方のおかげで今の日本が良くも悪くも成り立っていると私は理解しています。そういう意味では、無学で、自分の国が好きな私は、素直に「国のために命を捧げた」方々に感謝するとともに、冥福を祈っております。この歌も、天皇のそのような素直の心の表れではないでしょうか。
これからも、先生の鋭いご指摘、ご意見を楽しみに、このブログを拝読させていただきます!

投稿: AM | 2006年5月11日 (木) 12時47分

この記事へのコメントは終了しました。

« 人を憎んでミスを憎まない日勤教育 | トップページ | 60回目の誕生日 »