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書評:石川純治著『変わる社会、変わる会計』(2006年、日本評論社刊)

「本のなかの会計」から「社会のなかの会計」へ

 今も拙宅宛に会計学関係の献本を数多くいただいている。居ながらにして新刊書に触れられるのはありがたい。しかし、中身はというと、半分ほどは大同小異の教科書、受験参考書である。専門書といっても、海外の会計基準の動向を追いかけた解説書か、会計技術の解説に始まって解説で終わる内向きの書物が多い。そんななか、石川純治氏(駒沢大学教授)が公刊した本書の「はしがき」に記された次の一節は、私の日ごろの実感と近く共鳴するところが大であった。

  「会計が社会のなかで現実にどのように機能しているかをみるには、10の論文を読むより1つの時事や実話(新聞・雑誌などの記事)を素材にした方がよっぽどタイムリーで有益な場合が多い。」

  「むろん新聞などの記事がすべて真実であるとはかぎらないが、総じていえば学者の手による書物よりも、ずっとタイムリーでリアリティーに富んだ素材を提供しているというのが筆者の実感である。」

  「本のなかの会計ではなく、社会のなかの会計の学習、これが本書の目的である。」

 このような問題意識にそって本書は、27のトピックスを収録している。どれも、著者のホームページ「時事会計教室」に書き留められた記事のなかから選ばれたものだけあって、時論とはいっても、入念で行き届いた編集の跡が窺え、「単なる時事解説にとどまらず理論的視点も随所に織り交ぜている」(はしがき)という著者の意図が十分に達成されていると感じさせられた。また、27のトピックスのなかには、「5 アカウンティング・スクールの苦戦」、「7 会計改革と司法改革」のように、会計の周縁で起こっている近年のトピックスも含まれている。さらに、会計に関わるトピックスを扱った章でも、「公と私のはざま」で揺れる会計士の実像、統計的有意性を振り回す資本市場ベースの実証研究の危うさなど、会計に携わる主体の研究スタイルや自己規律、倫理に警鐘を鳴らした項もあり、著者の関心と見識の広さを読み取ることができる。

 ここでは、これら27のトピックスのなかから、評者の最近の関心と重なる「新会社法における剰余金分配の自由化」問題に絞って、感想を書き留めることにしたい。本書に収録されたその他のトピックス、たとえば、彼我の会計基準に顕著な違いがあるのれんの償却問題や見せかけの資本増強策となっている税効果会計などについては、今後、順次、感想を書き留めていくことにしたい。

開示制度の拡充で剰余金分配規制の緩和を代替できるのか?

会計学界では、会計計算と関わる新会社法の規定が最近の話題の種の一つになっている。先日もある出版社の編集者と電話でやりとりをしたとき、「先生は今の教科書を直されるのですか?」と聞かれた。以前から、私は法令の改廃に合わせて年毎に改訂を重ねる法学部の教科書の献本を受け取るたびに、ダイヤ改正がビジネス・チャンスになる時刻表を思い浮かべるのが習いになっている。出版社は法制度がどういう理由で改訂されたのか、改訂は合理的なものなのかどうかは二の次で、改訂された箇所をすばやく取り込み、それなりの解説を書き足して教科書の市場性を維持することで手一杯のようだ。法令の改廃に関わった省庁や審議会委員が改訂のたびに特集を組む雑誌への解説記事の執筆に追われ、あちこちの雑誌の座談会にはしごで登場するのは理解できないではない。しかし、学会に所属する多数の研究者までが、法令の改訂箇所の解説に励み、座談会に参加しても改訂の当否に触れることは少なく、付和雷同の発言が目立つのはどうしたことか?

本書は、3つ目のトピックスとして、剰余金分配の自由化問題を取り上げている。そして、今回の新会社法が最低資本金規制を緩和・撤廃し「1円資本金会社」も認めたこと、期中で随意に「臨時計算書類」を作成して、その時点までの利益を原資に分配を可能にしたこと、その結果、理屈の上では「1年中会計、1年中監査、1年中開示、1年中配当」が起こりうる状況が生まれたことを手際よく解説している。また、「会社財産の横断的規制」という表現の下に、分配財源が資本か利益かを問わない制度が採用されたこと、そうした規制緩和を開示制度の拡充で代替するため、新たに株主資本等変動計算書や上記の臨時計算書類が導入された経過がわかりやすく説明されている。

しかし、こうした剰余金分配の自由化は、これまで商法が金科玉条のようにしてきた資本充実の原則、配当可能利益規制とどのように関わるのか、明快な説明は見当たらない。不思議なことに、商法学者の間から、こうした制度の抜本的転換について、批判的な検討がほとんど見当たらず、改訂箇所の解説にいそしむ研究者が後を絶たない。比較でいえば、むしろ、会計学者の間から、そうした剰余金分配規制の緩和に疑問が投げかけられてきた。資本剰余金からの配当も自由化した商法改訂、新会社法の制定は、企業会計の大原則である「資本と利益の区別の原則」とどう折り合いをつけるのか、突っ込んだ議論が避けられないからである。

債権者・少数株主の保護はどこへ行ったのか?

もっとも、企業会計の守備範囲からいえば、資本剰余金から分配がされた場合、分配を受けた株主の側で分配相当額を投資勘定からのマイナスと記帳して、当該分配がインカム・ゲインではなく、投資の払い戻しであることを明らかにすれば済む話ではある。しかし、分配会社の債権者から見れば、従来、株主総会の承認事項であった利益配当が、定款の変更により、取締役会の決議だけで期中のどの時点ででも実施できる、資本剰余金からの分配も含む剰余金分配へと変更された影響は小さくない。債権者から見たこのような不利益変更を上記のような開示制度の拡充で果たして代替・補償できるのかどうか――この点が問われなければならないのである。

 この点でいうと、上記の株主資本等変動計算書は、会社財産の横断的分配等の結果を事後的に開示する制度であって、当該分配に関する取締役会の判断を事前に牽制・監視する手段ではない。となると、たとえば、経営が危機に瀕し、利益剰余金が存在しない会社が資本剰余金を原資に会社財産を駆け込み的に分配した後、翌期になって破綻した場合、どうなるのか?

 この場合、当該分配が利益からの配当ではなく、資本からの分配(払い戻し)であることを後から知らされたところで、債権者、特に会社のガバナンスに関与できない従業員や分散した取引先債権者は自分の債権を保全する術がない。不服があれば、不当な分配による損害賠償の訴訟を起こせということなのか? しかし、長期化が予想される訴訟に持ち込む債権者がどれほどいるのか疑問であり、訴訟を見送った債権者は結局は泣き寝入りとなる。また、訴訟に持ち込んだ場合も、配当財源を利益剰余金に制限していれば、違法配当を立証することは比較的容易であるが、資本からの分配も認められる制度の下では、当該分配が会社の支払い能力を危うくするものであったかどうか、破綻との因果関係はどうであったかという立証責任を債権者が負わされることになり、裁判の帰趨は不透明になる。

 しかし、そもそも論をいえば、株主と債権者の利害に直結する配当規制とは、こうしたコストが予想される事後の個別的紛争処理に委ねるのではなく、事前の規制によって少ないコストで利害を集合的に調整するための知恵ではなかったのか? 経済産業活性化のため会社に最大限の自由を与え、経営の機動力を高めるという通り一遍の謳い文句でこうした知恵を易々と投げ捨ててよいのか?

 

支配と責任を均衡させる制度設計

これについて、石川純治氏は本書のなかで、次のように記している。

  「経営の自由度の増大はいいが、自由(定款自治)と規律(受託者責任、説明責任)はセットだ。後者の面での会計制度の再設計が必要になってきたわけで、株主資本等変動計算書や臨時計算書類はその一例といえる。特に、臨時計算書類は取締役会で確定できるので、それも含めて剰余金配当の規律面での論議が重要に思える。」(47ページ)

 自由と規律はセットであり、経営の自由度には規律が求められるという著者の主張はそのとおりである。問題は、株主資本等変動計算書や臨時計算書類の開示が経営の自由度に見合う規律として果たして有効なのかどうかである。私見では、今回ほど大胆に経営に自由度を与えるなら、それに対応する規律の方も、より実効性を期待できる大胆なものを採用すべきである。たとえば、「支配なくして責任なし」が群小株主から資本を糾合するのに適合した有限責任の法理だとすれば、その裏返しで「支配あるところに責任あり」の法理――会社の意思決定に支配的な影響力を行使できる大株主等には、投資額を超える対債権者責任を求める制度――の採用が検討されてしかるべきではないか? 現に拙稿(「支配会社のリーガルリスクと連結会計制度」『経済学論集』第65巻第3号、199910月)でも紹介したように、アメリカでは連邦あるいはいくつかの州の会社法、労働法、環境法などで、支配的株主について有限責任を排除する法制度を採用した例や、融資先の企業の経営にコミットした債権者の債権は他の債権よりも劣後扱いをするルールを法制化した例が見られる。

少数株主や分散する債権者の利益をいかに保護するかという観点から「自由」と「規律」の均衡をより具体的実践的に検討すると、「支配」と「責任」を均衡させた法制度が必要になると考えられる。

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