電波監理審議会会長宛に抗議・質問書を送付
NHKに対して、北朝鮮による拉致問題に留意した国際放送命令を発することを適当とする即日答申を総務大臣に提出した電波監理審議会会長の羽鳥光俊氏に対して、7つの市民団体が連名で抗議と質問書を11月27日に提出した。以下はその全文である。
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2006年11月27日
電波監理審議会会長
羽鳥光俊 様
大阪市民グループ
放送を語る会
メディアの危機を訴える市民ネットワーク
NHK問題京都連絡会
NHK問題を考える会(兵庫)
NHK番組改ざんを考える市民の会
NHK受信料支払い停止運動の会
NHKに対する国際放送命令を容認した即日答申に
対する抗議と質問書
私たち7団体は、菅義偉総務大臣がNHK短波ラジオ国際放送で北朝鮮による拉致問題を重点的に扱う命令を行うことに反対してきました。そして、かりにそうした放送命令を発することの是非を電波監理審議会に諮問された場合、問題の重要性に照らして電波監理審議会が会議を公開し、透明で徹底した審議を行うよう、11月7日に連名で申し入れました。
私たちが放送命令に反対するのは、一般的な事項を挙げて放送命令を発すること自体、放送の自由・自律に照らして大問題である上に、今回のように時の政府の個々の重要課題に留意した放送を行うようNHKに命じるとなれば、NHKを政府の広報機関、国策宣伝機関に変質させてしまうからです。これでは権力の監視を使命とするジャーナリズムが権力の統制の下でそのプロパガンダの一翼を担う結果になってしまいます。
ところが、菅総務大臣から諮問を受けた電波監理審議会は、私たちが求めた会議の公開さえ拒み、わずか1時間ほどの審議で放送命令を適当とする即日答申を行いました。答申書は諮問を可とした理由として、「18年度国際放送実施命令の変更は、内閣総理大臣を本部長とする拉致問題対策本部が内閣に設置され、拉致問題解決を最重要課題として政府一体となって推進することとなったことに伴う変更であり、適当である」と記しています。しかし、これでは、NHKを政府一体の国策遂行に組み込み、政府広報の役割を負わせることを容認するのも同然であり、公共放送の自殺につながる暴挙です。
以上の認識を踏まえ、私たちは電波監理審議会が公共放送の使命をわきまえない政府・行政の諮問を可とする拙速の即日答申を行ったことに強く抗議するものです。
その上で、私たちは、総務大臣による今回の暴挙を追認して終わった電波監理審議会の形骸化を質す意味から、次の諸点を羽鳥会長に質問いたします。これらについて文書による回答を12月5日までに下記宛へお送りくださるよう、お願いいたします。
(回答の宛先省略)
質問1 11月7日に私たち8つの市民団体(その後、「NHK問題を考える会」(兵庫)も同日夜に同旨の要望書を提出しています)が連名で提出した4項目の要望を電波監理審議会はどのように検討されたのか、項目ごとにお答え下さい。
質問2 電波監理審議会が11月8日の審議会会合を非公開とされた理由をお答え下さい。
質問3 新聞報道によれば、羽鳥会長は「諮問を認めた理由の一つに、安倍内閣が拉致問題を最重要課題としていることを挙げた」(『毎日新聞』2006年11月9日)とされています。そこで伺います。国営放送ではなく、公共放送であるNHKに、時の内閣の意向を受けた課題を放送(広報)する責務があるとお考えかどうか、お答え下さい。「ある」とお答えの場合はその理由を付記下さい。
質問4 新聞報道によれば、羽鳥会長は即日答申した理由として、「拉致問題は現在進行形であり、早く答申することが大事」(『毎日新聞』同上記事)と語ったとされています。しかし、今回のように個別の課題を挙げてNHKに放送を命じることについては、私たち市民団体のほか、メディア研究者やメディア関連団体、民放各社首脳、さらには与党内からも、憲法21条が保障した表現の自由、放送法1条、3条で定められた放送の自由と相容れない、放送への行政介入に当たるのではないかという異論や懸念の声が相次ぎました。また、NHK自身、拉致問題についてはこれまでから自主的編集でたっぷり放送してきたと述べています。
にもかかわらず、電波監理審議会がNHKの自主的判断を超えて、命令による拉致問題の放送を急ぐことを優先された理由はどこにあったのか、明確にお答え下さい。
以上
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ところで、総務省のホームページを見ると、11月8日に開かれた電波監理審議会の議事要旨が公開されている。http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/denpa_kanri/pdf/061108_2.pdf
上記の抗議・質問書と重ね合わせながら、この議事要旨を読んで次のようなことを考えさせられた。
1.<公共の福祉による放送の自由の制限>に関する総務省の杜撰 な解釈
2.諮問をした総務省にお伺いを立てるばかりで、自らの意見を持たな い審議会の無機能ぶり
このうち1を論じるには、それなりの心得と紙幅が必要なので、ここではひとまず2について論じることにしたい。
議事要旨を読むと、肝心の論点について審議会委員が自らの意見を述べるのではなく、審議会事務局であり諮問をした総務省にお伺いを立てる場面が随所に見られる。例えば、
「いくつか申し入れなどがなされている中で、特に表現・報道の自由に今回のような命令が抵触するのではないか、と言う議論があるが、これについて総務省ではどのような考えを持っているか」
「いろいろなところから申し入れや要望書が出ており、その中で審議の過程でパブリックコメントを募るという申し入れがいろいろな団体の中に書いてあるが、これに対して、総務省はどのように考えているか。この案件に関してパブリックコメントを募るべきであるという申し入れに対して現状の判断があれば聞かせて欲しい。」
これらの箇所を読んで、私は電波監理審議会委員の当事者意識の欠落に唖然とした。放送命令が表現の自由と調和するのかどうかの判断・見識を問われているのは総務省ではなく、審議会委員である。これに対する回答を他人事のように総務省に丸投げするくらいなら審議会はいらない。「諮問」とは言ってみれば審議会に宿題を投げることである。宿題を与えられた審議会が出題者に解答を尋ねるようでは職務放棄である。これが「有識者」の素顔だとしたら、正視に堪えない。
パブリックコメントを実施するとなれば、審議会事務局(を務める総務省)のサポートが必要なことは私も審議会委員を務めた経験から理解している。しかし、パブリックコメントを実施するかどうかは諮問をした行政にお伺いを立てて決める問題ではなく、宿題の答案づくりをする審議会が主体的に判断すべき問題である。電波監理審議会委員の中には大学教員もいる。彼らはキャンパスでは、自分が指導する院生や受講生に向かって日頃、「自分の頭で考えよ」と言っているはずである。審議会の場で、その言葉の何分の1かを自分自身に向けてはどうか?
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