「予算制度改革と公会計の役割」をテーマにシンポジウム
12月16日、「予算制度改革と公会計の役割」をテーマに東大本郷キャンパスでシンポジウムを開いた。今年の春から同僚の神野直彦氏と相談してきた企画だった。財政学と会計学に架橋した公会計にチャレンジしたいというのが7,8年前からの私の抱負だった。6年前に当時のゼミ生といっしょに苫小牧市、大阪府、川崎市などへ現地調査に出かけ、そこで得た知見を練ってゼミ生も執筆に加わった『自治体財政の会計学』(2000年、新世社)を出版したのは、そうした抱負のささやかな実践だった。そのとき、鎌倉市へいっしょに出かけ、同市の土地開発公社で聞き取り調査をしたゼミ生のM君が卒業後、監査法人に就職し、某自治体の包括外部監査のチームに加わって分担執筆した報告書を送ってくれたときは感慨深かった。今回は神野氏と共同で企画し、相談のうえ、次のようなプログラムでシンポジウムを開催した。
シンポジウム「予算制度改革と公会計の役割」
日時 2006年12月16日 午後1時30分~5時
場所 東京大学本郷キャンパス 経済学研究科棟2番教室
報告1 「予算制度改革と公会計」 神野直彦
討論者 兼村高文(明治大学大学院ガバナンス研究科教 授
報告2 「財政運営のインフラとしての公会計の役割」 醍醐 聰
討論者 古市峰子(日本銀行金融研究所)
座長 田邊國昭(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
当日は飛び入り参加も含め、財政学会、会計研究学会所属の研究者のほか、監査法人から8名、官公庁から4名、民間研究所から3名、マスコミから3名の参加があり、参加者は約61名(正確な人数は未確認)だった。
下記は当日私が参加者に配布した報告用資料である。このブログに訪問いただいた方にも一読いただけると幸いである。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/zaiseiunei_infuratositenokoukaikei.pdf
報告と討論を通じて次のことが明らかになったように思う。
1.公会計は予算制度そのものではなく、予算参考書として意義付けられるべきである。
2.政府と企業を区別しないアングロ・アメリカン的な資源配分の効率性を重視するニュー・パブリック・マネジメントの流れもあるが、今、日本で公会計に求められているのは政府と企業を区別し、財政の所得分配機能や経済安定化機能を支援する情報提供あるいは財政規律を促す情報を提供する役割ではないか。
他方、討論を通じて、近年、公会計が指向する政府部門への「発生基準」の導入について、財政学者と会計学者の認識にずれがあることも浮かび上がった。
つまり、財政研究者は発生基準の合理性を必ずしも自明とはせず、現金基準のメリット(市民にとってのわかりやすさ、操作の余地の少なさなど)も評価すべきと考えるのに対して、会計研究者は単年度予算制度に縛られず行われている現実の財政活動(複数年度にまたがる契約やプロジェクトなど)を捉えるうえで発生基準の採用は不可避とみなすという見解のずれがあることが明らかになったように思われた。
これについては私の報告でも多少触れたが、今後、両分野の研究者が交流を重ねて議論が深められる必要があると感じた。
シンポジウム終了後、本郷のカジュアルイタリアン・レストランで懇親会を開いた。こちらも飛び入り参加を含め、25名の方が参加され、飲み放題のプランも手伝ってか、ワイン・グラスを傾けながら、歓談とその合間のスピーチに大いに盛り上がった。特に、公認会計士の方々、あるいは遠路、関西大学、関西学院大学、愛知大学から参加いただいた方々の熱気あふれるスピーチを聞いて感謝の気持ちとともに、疲れが癒される思いがした。
最後になるが、案内はがきの宛名書き、当日の受付、会場案内、機器、録音、マイク回しなどを神野ゼミ生とともに総出で手伝ってくれた私の現役ゼミ生の皆さんにお礼を申し上げる。
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