飼い犬の死と向き合って
昨日(9日)午後1時2分、わが家の姉犬チビが息を引き取った。翌10日、近くの動物霊園「やすらぎの郷」で火葬した。享年16歳。
メニエル病から認知症へ
チビとわが家の縁は、このブログの昨年4月11日付けの記事「啄木の犬の歌に寄せて」のなかで触れたとおりである。
そこでも書いたが、一昨年12月4日、突然、横転を繰り返しながら、ぐるぐると時計回りに歩き出すメニエル病の症状が現れた。投薬と点滴で2週間後には食欲も回復し、スローペースながら妹犬といっしょに散歩にも出られるようになった。
しかし、発病を機に声が出なくなり、飼い主の呼びかけにもまったく反応しなくなった。目も見えにくくなったようで、遠近感覚がなくなり、物にぶつかることが多くなった。動物病院の担当医に言わせると、人間でいう認知症とのこと。そんな自分に不安を感じたのか、発病以来、居間から離れようとせず、食卓や台所にいる連れ合いや私の足元にまつわりつく室内犬に様変わりした。
冬場になって再発、新たに膣脱
こういう状況で昨年12月まで小康状態を保ったが、冬場になるにつれ、メニエル病の再発を思わせるような傾斜歩行がぶり返し、横転することも多くなった。1年前の発病のころはバレーの回転レシーブのように、横転してもすぐさま自力で起き上がったが、今回は転ぶと仰向けになったまま、両足で水をかくような仕草をするだけで、もはや自力で起き上がることはできなくなった。排便にも失敗するようになり、紙おむつが必需品になった。
そのうえ、もうひとつ、厄介な症状が起こった。人間にも見られる膣が体外に垂れ下がって露出する「膣脱」である。12月初旬には、1センチ足らずはみ出る程度だったが、見る見る垂れ下がってきて、亡くなる1週間ほど前には5、6センチも脱出するまでになった。紙おむつで覆ってはいたが、転んだ拍子に何かに脱出部分をぶつけたのか、突然、患部から大量の出血をし、動物病院へ駆けつけたこともあった。膣脱のせいか、排尿がしにくくなり、少しの間、室外へ連れ出すだけでぐったりして息苦しそうに深呼吸をするようになった。
医師に外科的治療のことを尋ねると、「この年齢では手術前の検査に耐えられえるかどうか。麻酔をかけると、そのままで終わってしまう可能性が高い」とのこと。
夫婦交代で添い寝
こうなると、夜一人で放っておくわけにはいかず、昨年12月20日ごろから、夫婦交代で居間で添い寝をするようになった。夜中も、ほぼ3時間おきに動き出す。あわてて抱きかかえ、外へ連れ出すと、タイミングよく排尿。その後はまた、飼い主にもたれかかる格好で寝入る有様だった。
昼間も寝たきりに近く、もはや自力で歩行できない状況になってしまった。亡くなる3日前からは食事も受けつけなくなり、自宅で12時間おきに点滴をすることにした。背骨の近くを手でつまんで針を挿そうにも、やせ細っていて、挿す場所を決めるのに手間取った。
1月7日からは意識もまだら模様となり、時折、目をさましては、かすれ声で何かを訴えるようになった。しかし、それが何を意味するのか飼い主はわからず、オムツを開いたり、脱脂面に水をしみこませて口元へ運んだりの試行錯誤だった。
異様を察知したのか、妹犬が
1月9日、鳴き止まないチビを見かねて、抱きかかえ外へ連れ出して用をたすのか試したが何もなし。ところが室内へ連れ戻したところで容態が急変。胸に手を当てた連れ合いが「呼吸をしていない」とつぶやく。私も手をあててしばらく様子を窺ったが反応はない。そのうちに口を大きく開いて最期の呼吸を数回したところで、動きが止まった。
そのとき、玄関の外につないでいた妹犬(ウメ)が室内に向かって吠え出した。静かに姉犬をふとんに寝かせたあと、ウメをチビのそばに連れてきた。ふとんにちらちらと視線を向け、様子を確かめる仕草をしたのを見届けて、玄関先に連れ出すと、さきほどの様子が嘘のように、ぴたりと鳴き止やんだ。
骨壷を抱えて柔らかな日差しの野道を帰る
10日、午前10時半、前の日に手配した動物霊園の「霊柩車」がやってきた。用意された棺に収め、その日の朝に帰宅した長女と夫婦の3人で後部座席に乗り込んだ。玄関では顔にあてがった布をとり、妹犬と最期の対面。
霊園は隣の八千代市だったが、10分足らずで到着。受付で手続きを済ませると、一回り大きい棺に移し、そこへ生花と菓子を供えて焼香。人間の場合と変わらない。「1時間ほどかかるので、あちらのロッジ風の部屋でお待ちください」と係の職員に言われて外へ。しばらくあたりの墓石を巡り歩いたあと待合室に入った。CDと思われる静かな曲が流れるだけの室内だったが、入れ替わりで2組の家族が入ってきた。
ちょうど1時間経った12時に別の職員が呼びに来た。皿に入れられた骨の部位の説明を聞いたあと、箸で壷に収めた。すべて人間の火葬と同じだ。白い袋に収められた骨壷を受け取り、かばんに入れて受付へ。支払いを済ませて霊園の外へ出た。帰りは柔らかな日差しが注ぐ野道を3人で歩き、チビとのいつもの散歩コースを通って帰宅した。
「走馬灯のように」などと常套句を使う気にはならないが、歩きながら、ともに過ごした春夏秋冬を想い起こし、死別の実感がこみ上げてきた。
みつめる
犬が飼い主をみつめる
ひたむきな眼を思う
思うだけで
僕の眼に涙が浮かぶ
深夜の病室で
僕も眼をすえて
何かをみつめる
(高見順『死の淵より』)
円空が仏像を刻んだように
詩をつくりたい
ヒラリアにかかったナナ(犬)が
くんくんと泣きつづけるように
わたしも詩で訴えたい
カタバミがいつの間にかいちめんに
黄色い花をつけているように
わたしもいっぱい詩を咲かせたい
飛ぶ鳥が空から小さな糞を落とすように
無造作に詩を書きたい
時にはあの出航の銅鑼のように
詩をわめき散らしたい
(高見順『死の淵より』)
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コメント
くぅのおかあさんへ
心あたたまるコメント、ありがとうございました。わが家にも、ときどきこのブログに写真を載せる13歳の妹犬がいますが、いまでも「飼い犬と離れて自由に暮らしたい」、「この犬がいなければ住み替えができるのに」とうらめしく思うことがあります。しかし、そんな飼い主の心を見透すかのように、飼い主を信じ、ムラ気なく寄り添ってくれる飼い犬を見ますと、人間の身勝手を思い知らされ、後ろめたさを感じてしまいます。
6ヵ月といいますと、かわしい盛りで、これから長いお付き合いですね。飼い主も犬も適度に距離を守ってマイペースで過ごすのが一番と悟りながら、そのとおりにいかない難しさを実感する毎日です。
投稿: 醍醐 聰 | 2011年8月22日 (月) 23時40分
本当に大切にしていた飼い主様でなければ語れない内容に心打たれました 私は何の覚悟も知識もなく犬を飼ってしまい正直困惑と迷いの毎日でした 飼い犬と離れて自由に暮らしたいとも思ってしまっていましたが生後6ヶ月のこの子犬を誠意を持って育て上げ添い遂げるという目標があることを幸せに感じるよう努力します 亡くなった動物たちがみんなやすらかでありますように
投稿: くぅのおかあさん | 2011年8月21日 (日) 21時14分