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NHK受信料義務化法案の阻止に向けて

放送法改定法案は悪法のオンパレード
 総務省は来月にも放送法改定法案を国会に提出する予定と言われている。伝えられるところでは、この法案には、テレビ設置の通知を義務化したうえでNHKの受信料の支払いを義務化するほか、不払いに対する割増金、延滞金制度も盛り込まれるという。

 しかし、改定はNHK関連にとどまらず、「マスメディア集中排除原則」を緩和して、総務相の認定を条件に、複数の放送局を100%子会社として傘下に置く「認定放送持ち株会社」を解禁するほか、「関西テレビ」の<あるある大辞典2>の番組捏造事件を端緒にして、事実と異なる報道をした放送局に対して「再発防止計画」の提出を求める権限を総務大臣に与える規定も盛り込まれる模様である。

 こうした一連の改定に共通するのは、①NHKか民放かを問わず、放送事業や個々の番組内容にまで公権力が介入できる仕組みを作り、②受信料制度をNHKと視聴者の双務契約に基づく自律的関係から、行政の管理下に引き寄せようとする点である。

  たとえば、事実と異なる報道をした放送局に対して「再発防止計画」の提出を求める権限を総務大臣が持つというが、何が事実かを公権力が決めるとなれば、事実の調査・確認を理由に行政が個々の番組内容に立ち入るのは不可避である。

 また、菅総務相は、受信料義務化と抱き合わせで受信料の2割程度の値下げを執拗にNHKに迫っているが、NHKの財政的基盤である受信料の水準まで行政のイニシアティブで左右されるとなれば、NHKの経営は行政の意向に揺さぶられる結果になるのは必至である。受信料の現行の水準が適正かどうかは議論されてしかるべきであるが、それは行政が口出しする問題ではなく、NHKが視聴者に対して十分に財務内容を開示し、それを受けて視聴者とNHK、経営委員会が自立的に判断する問題である。

NHKへの視聴者の異議申し立てを封じる受信料義務制
 今回の放送法改定案の柱の一つともいえる受信料の義務化は、双務契約で結ばれてきた視聴者とNHKの自治的関係を、公権力が介在する強制力を後ろ盾にした片務的な関係に変質させようとするものである。
 
  これについて、受信料を払う者と払わない者の不公平を解消させるためには、受信料の支払いを法律で義務付けるのもやむなしという議論がある。しかし、支払い義務を双務契約で定めるのか、それとも法律で定めるのかで、NHKと視聴者の関係は根本的に変化する。

 なぜなら、双務契約のなかで定められる義務は無条件で絶対的なものではなく、契約の相手方の義務の履行状況によって条件付けられる相対的な相互牽制的なものとなる。言い換えると、契約の相手方であるNHKが公共放送としての根幹的な責務(その中心をなすのは、公権力から自立し、視聴者の知る権利に応える放送を提供すること)の履行を怠った場合は、視聴者は、支払いを免れたいがための後ろ向きの不払いではなく、NHKに責務の履行を促すための手段として受信料の支払いを停止する抗弁権が留保されていると考えられるからである。

  「受信料はNHKに対する国民の信任投票であり、それを義務化すれば信頼度を測るバロメーターを失うことになる
  (『日本経済新聞』2007年1月14日、社説)

とは、このことを言うのである。

 ところが、受信料の支払いが法律で義務付けられるとなれば、視聴者はNHKの放送がどうであれ、無条件に受信料の支払いを強制され、支払い停止には割増金が予定されている。逆にNHKは、番組編成や番組内容が公共放送に照らして問題があるなしにかかわりなく、税金と同様に公権力の強制力を後ろ盾にして、受信料を確保できることになり、視聴者の目線に対する感度が今以上に鈍ることは避けられない。

受信料義務化を考える全国市民連絡会を結成

 そこで、私たち各地の市民団体はこの2月20日に、受信料義務化を廃案に追い込むべく、「ちょっと待って! NHK受信料義務化を考える全国市民連絡会」を立ち上げ、義務化反対の署名運動に各地で取り組むことにした。この連絡会への参加の呼びかけ文は次のとおりである。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/rerakukaisankanoyobikake.pdf

 この署名運動の先陣として、当会(NHKをNHKを監視・激励する視聴者コミュニティ)とNHK問題を考える会(兵庫)、NHK問題京都連絡会は明日(2月23日)から、この署名運動を始める。
 当会が受け付ける署名用紙は次のとおり。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/gimukahantai_shomei.pdf
 このブログにアクセスいただいた方もご協力をいただけると幸いである。なお、当会では、ネット署名も受け付ける予定で今、そのための入力フォーマットを準備中である。まもなく、会の下記のHPにアップされるので、ネットを利用される方はそちらからでも署名をいただける。
  http://space.geocities.jp/shichoshacommunity/

 もちろん、ネットを利用されない方々は高齢者をはじめ、まだまだ多い。そういった方々には上記の署名用紙をお届けいただき、署名への協力を呼びかけていただけるとありがたい。

近く全国紙に「義務化法案を廃案に!」の意見広告を掲載

 上記の全国市民連絡会は、受信料義務化阻止のための署名運動に続き、来月中旬には、全国紙に「義務化法案を廃案に!」の意見広告を掲載する企画を立て、そのために車の両輪となる①紙面作り、②募金活動、の準備を進めている。来月早々から募金を呼びかける予定だが、こちらにも皆さんのご協力を訴えたい。

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マイリスト「詩歌に触れて」に高見順作「帰る旅」を掲載

 このブログの左サイドバーのマイリストに「詩歌に触れて」と題するジャンルを新設し、最初の記事として、高見順の詩「帰る旅」の原文と、この作品に関する私の雑感を記した。雑感の中で、この詩を編んだ作者の心境を率直に吐露した『高見順日記』の一節も書き出した。

 まだ、自前の教科書を持ち合わせていなかった頃、駒場の教室で配布したプリントの余白にこの詩を書き付けたことがあった。すると、最終講義の日に回収した授業アンケートの自由記入欄に、「どうしてこんなに暗い詩を載せるのですか? どうせ紹介するなら、もっと明るい詩を」という感想が記した受講生がいた。

 そんなものなのか、とそのときは考えこんだが、、当の高見順はこんな反応を予想したかのように1974(昭和39)年8月20日の日記に次のように記している。

  「真に悲しむには、悲しみを抑え得るに必要なのと同じ一種の精神修養がなくてはならない。精神力の鍛錬がなくては真に悲しみえないのである。普通は、悲しみを抑える場合のみ精神鍛錬が必要な如くに考えられているが、ほんとうは真に悲しみ得るための精神鍛錬の方が悲しみを抑え得るためのそれより遥かに難しいかもしれないのだ。・・・・・・・・浅薄な心は真に悲しむこともまた喜ぶこともできない。浅薄とは正にかかる心のことをいうのである。」 (『高見順日記』第5巻、勁草書房、1965年、45ページ) 

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新しい視聴者運動体へ

NHK受信料支払い停止運動の会の解散を決定
 私が共同代表を務めてきた「NHK受信料支払い停止運動の会」は本日を以て解散することになった。それに伴い、会の賛同者の方々に、支払い停止を呼びかけた2年前にさかのぼって、受信料の支払いを再開するよう呼びかけた。それと同時に、旧停止運動の会の呼びかけ人ほかが中心となって新たに「NHKを監視・激励する視聴者コニュニティ」を本日、立ち上げた。

 賛同者の方々には1月28日にこの件を通知していたが、これまで視聴者運動をともにしてきた団体、個人の方々に昨日、このことを伝え、今日、報道関係者にこの件をE・メールで通知した。
 なお、停止運動の会呼びかけ人は会を解散するにあたり、2年間の活動の総まとめとして、橋本NHK会長宛に昨日、次のような文書を送った。
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/nhkkaicho_ate20070208.pdf

なぜ今、支払い再開か?
 支払い再開の呼びかけを受けた停止運動の会の賛同者の幾人かからは、さっそく新しい会への入会の申し込みが寄せられている。しかし、中には戸惑いの声や様子見という反応も返ってきている。とはいえ、今回の決定は停止運動の会の呼びかけ人の間での数ヶ月にわたる議論を経てたどり着いた結論である。
 
 その間、NHKによる民事督促の強行、相次ぐ金銭的不祥事の発覚、受信料義務化法案提出の動きなど、NHKをめぐる状況は揺れ動いた。それだけに支払い再開の節目とタイミングの判断は難しかったというのが実感である。また、長期にわたって支払い拒否を続けてきた人々からは「徹底抗戦」を求める声が起こることは当然予想された。

 今回の支払い再開の決定は、そうした様々な要因をすべてしん酌して、たどりついた結論である。参考までに、停止運動の会の呼びかけ人名で1月28日に賛同者の方々に送った文書を転載しておきたい。この中で、支払い再開の決定に至った経過と理由がまとめられているので一読いただけると幸いである。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sanndoshanominasamae.pdf 
 以下、多少私の個人的見解を付け加えておきたい。

1.支払い停止運動の原点とオール・オア・ナッシングではない状況判断
 私たちが提起した受信料支払い停止の原点は半恒久的な不払いではなく、NHKが公共放送としての責務―ーとりわけ政治的商業的圧力から自立し、政治権力を監視するジャーナリズムにふさわしい放送を行う責務―ーを履行していないこと(私たちがこうした判断のよりどころにしたのは2001年1月に放送されたETV番組「問われる戦時性暴力」が安倍晋三氏らの政治介入とそれにおもねてNHK上層部が制作現場のスタッフの強い反対を押し切る形で番組内容を大幅に改ざんするよう指示した事件だった)を根拠に一時的に支払い義務の履行を停止するという運動であった。

 その際、私たちが1月29日に言い渡されるNHK裁判の控訴審判決を節目にしたのは、この係争事件こそ私たちが政治に弱いNHKの体質を思い知らされ、旧停止運動の会を立ち上げるきかっけになった出来事だったからである。そして、今回の控訴審では、原告、同弁護団の周到な弁論はもとより、長井暁、永田浩三両氏の事件の核心に迫る証言がなされ、番組改ざんの相当部分が法廷でつまびらかにされた。裁判長ほかもこうした証拠資料に真摯に向き合い審理が進められえたことは衆目の一致するところだった。
こうした審理を経て言い渡される判決は、その内容はともかく、この間の私たち視聴者運動の到達点といえるのではないかーーそのような位置づけから、1月29日のNHK裁判控訴審判決を私たちは節目としたわけである。

 もっとも、そうはいっても、上記のようなNHKの責務放棄が修復されたかどうかの判断を度外視したわけではない。しかし、公共放送としてのNHKの責務が履行されているかどうかはオール・オア・ナッシングで判断できるものではない。極論すれば、NHKの予算・事業計画が国会での承認を要する現行の法制度のもとで、政治とどう向き合うかは、NHKに課された根源的な宿題といえる。それだけに、支払い停止を提唱した視聴者運動がオール・オア・ナッシングで支払い再開の可否を判断するとすれば、「支払い停止」といいつつ、実態としては、出口の見えない半恒久的な「不払い」運動と差異のないものとなりかねない。

 こうした観点から、停止運動の会の呼びかけ人は、昨年3月にNHKが発表した新放送ガイドラインの中に、<NHKの予算・事業計画を国会で承認を得るにあたっても、全役職員が自主自立を堅持することが公共放送の生命線>という規律が明記されたことを旧会を含む視聴者運動の重要な到達点と理解し、今後はこれを単なる字面で終わらせない運動が重要と考えた。

 ただ、その時点で支払い再開に踏み切らなかったのは、時を同じくしてNHKが発表した向こう3年間にわたる経営計画の中で、新年度以降、不払い者に対する法的督促手段を検討するとうたったため、その進捗状況を見守り、かりに私たちに対して民事督促が届いたなら、異議申し立てをして法廷でNHKとオープンに論戦を交わす意思を固めていたからである。

2.NHKを挟んで視聴者と政治・行政が対峙する3極構造の中で
 支払い停止運動の継続か収束かを検討したときのもう一つの大きな判断要素は、竹中総務相時代以降、日本の公共放送をめぐる状況が、NHK対視聴者という2極構造ではなく、NHKを挟んで視聴者と政治・行政が対峙する3極構造に変貌してきたということ、こうした流れが菅総務相の就任以降、さらに加速されているという点である。

 竹中氏が唱え、同氏が設けた懇談会が目指したNHK民営化路線は視聴者、メディア専門家の強い批判はもとより、与党内からの異議も重なって、ひとまず立ち消えになった。しかし、安倍政権下の菅総務相に代わるや今度は、国際放送おいて拉致問題を重点的扱うことを命じたり、受信料の2割値下げと抱き合わせて受信料義務化を盛り込んだ放送法改悪案を今国会に上程する動きを強めるなど、NHKへの最近の行政介入は目に余るものがある。

 これに対して、NHKは「自主的放送」というお題目の言葉をあてがって、その実、受信料の義務化や住民基本台帳システム内の除票の利用といった形で、次々と総務省への依存にのめりこみ、結果的に、行政府に「借り」を作る愚策を昂じている。その一方で、橋本会長らは、政治家の言動を忖度するあまりに編集の自由を放棄したとNHK首脳を断罪した東京高裁判決(1月29日言い渡し)に逆切れして、即日上告するという醜態をさらけ出した。

 こうしたNHK首脳の姿を目の当たりにすると、「なかなか受信料を払う気になれない」という思いもわからないではない。しかし、だからといって、NHK対視聴者という構図で膠着し、「支払い停止」という手段でNHKとの綱引きを続けることが日本の公共放送をめぐる差し迫った状況への対応として最善かどうかは冷静に検討しなければならない。

 むしろ、私は、「受信料を払う人と払わない人との視聴者間の不公平」を大義名分にして、視聴者の声を封殺する受信料義務化法案が行政主導で今国会に提出されようとしている今、視聴者運動が優先すべき大義は、受信料の支払いを再開する人、なお支払いを拒否する人、今までから支払い続けている人ーーーその差異にとらわれず、受信料義務化法案の成立を阻止する運動のために連携することだと痛感している。

 なぜなら、受信料の支払いが義務化されるということは、受信料の支払いをNHKと視聴者の双務的契約関係から、視聴者と公権力の片務的関係に置き換えることを意味する。そうなると、視聴者とNHKが自律的緊張関係のもとでNHKを統治する市民的公共性が後退を余儀なくされ、NHKへの行政の干渉・介入をとおして、国家が市民を監視する国家的公共性に変質する危険性が濃厚だからである。

 こうしたNHKをめぐる公共性の変質は、受信料を支払っている人にも、払っていない人にも、それこそ分け隔てなく関わる問題である。
 このような動きを視聴者の手で阻止し、視聴者主権の公共放送を日本で実現するには、<今、NHKに必要なことは、視聴者の義務の強化ではなく、権利の強化である>という声を全国から盛り上げ、それをNHKはもとより、放送法を所管する総務省ならびに立法府に集中することが緊急の課題であると私は考える。

「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の立ち上げ
 そのような思いを旧停止運動の会のメンバーと交わす中から、これまでの「NHK受信料支払い停止運動の会」に代わって、新たに表記のような会を立ち上げようということになった。 本日、報道関係者や市民団体・個人の方々にお知らせした同会の趣意書をここに転載しておきたい。
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/shuisho20070208.pdf
 併せて、新しい会の運営委員会で議論してまとめた会則も掲載しておきたい。
    http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kaisoku.pdf
  これら趣意書、会則に賛同いただき、年会費1,000円を納めた方はどなたでも―ー受信料の支払いを再開した人、なお支払いを停止している人、これまでから支払いをしてきた人の区別なくーー入会していただける。
入会を希望される方、会の活動状況を知りたいという方は、会のホームページ
  http://space.geocities.jp/shichoshacommunity/
のトップページに設定されたE・メールのフォーマットから申し込みをいただくか、
 会のE・メールアドレス、
 shichoshacommunity@yahoo.co.jp
へ申し込みを送信してくださるようお願いしている。
 なお、会の専用電話番号は、停止運動の会のときと同じ、
 048-873-3520
である。
 すでに、5人の運営委員内では任務分担も決め、ニューズレター(当面、隔月刊行)担当は創刊号の編集計画を立て、原稿依頼を始めている。今月中旬の刊行を目指しているとのこと。

 新しい運営委員のよきチームワークで、これまで以上に創意をこらしパワーアップした視聴者運動を展開したいものだと考えている。その第一歩は今国会に上程されようとしている受信料義務化を阻止し、視聴者の義務ではなく権利を強化拡充する取り組みである。

 

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「ワーキングプアⅡ」NHKふれあいミーティングに参加して

 印象深かった若い世代の参加
 2月3日、NHK放送センターで開かれた「ワーキングプアⅡ」ふれあいミーティングに夫婦で参加した。いきさつは、このブログの本年1月15日付の記事で触れたが、昨年12月10日に放送された「ワーキングプアⅡ」~努力すれば抜け出せますか?~をテーマに視聴者と番組制作者が直接意見交換をするという企画である。パートⅠの後に開かれたふれあいミーティングに応募したものの夫婦そろって抽選に外れたが、今回はどちらにも案内が届いた。

 開始時刻10分まえにNHK放送センターに着き、会場へ案内されると30人分ほど用意された席に20数名がすでに着席していた。
 正面のテーブルにはチーフプロデューサーのSさんほか5名のNHK関係者が着席していた。参加者の席を見渡して気がついたのは、20~30歳代と思われる若い男女が思いの外、多いことだった。もちろん、50~60歳代の男女、とくに男性も多かったが。特に、担当教員といっしょに参加した高校生、台湾出身の留学生が堂々と発言する様子を見ていて頼もしく感じた。
 
 “努力しても貧困から抜け出せない”現実にどう向き合うのか? 
 
参加者の発言で目立ったのは、個人の力では解決しようがない社会の歪みを番組がリアルに伝えたことを高く評価する意見だった。これからも続編を、という要望も多かったが、「努力しても貧困から抜け出せない原因に迫ってほしい」、「解決の道筋も触れてほしい」といった注文も少なくなかった。
 そうした中で議論が集中したのは、努力しても貧困からなかなか抜け出せない社会の現実を教育の現場で生徒にどう伝えるのか、自分はそれにどう向き合うのかということだった。途中で話題が中断したが、この問題について、次のような意見が交わされた。

 中学校教員:「努力しても貧困から抜け出せない社会の現実を生徒たちにどう見せていくのか、なかなか難しい。」

 参加者Aさん:「21世紀のワーキングプアの背中に乗っているのは誰なのか? 働く者の権利について学校で教えてほしい。」

 制作スタッフXさん:「あの番組から、正社員がえらいんだ、正社員にしがみつくんだといったような受け止め方をしてほしくない。」

 参加者Bさん:「私は経理関係の仕事をしているが、決算で忙しいときだけ、派遣の人を雇う。繁忙期が過ぎたらさっと止めさせている。そういう現実を見ていると、自分もワーキングプアの背中に乗っている一人かなと思うことがある。」

問われるべきは<景気回復の原動力は何か>ということ
 「21世紀のワーキングプアの背中に乗っているのは誰なのか?」という言葉でAさんが何を問いかけようとしたのか、私には今ひとつわからなかった。もしかしたら、働いても働いても貧困から抜け出せない大量のワーキングプアを生み出しつつ、「雇用調整」という名の下に人件費削減で業績を回復基調に乗せた大手企業のことを指していたのかも知れない。私自身、この番組に労働経済学の専門家として登場した八代尚宏さんの要旨次のような発言、

  「ワーキングプアが増えている最大の要因は長期の経済停滞にある。もっと高い成長を実現することによって雇用機会を増やすこと、それが何よりのワーキングプア対策である。」

という主張こそ、リアルな現実で検証されなければならない机上の議論だと考えている。そして、ほかでもないこの番組が八代さんの主張のリアリティを検証する場にもなったように感じた。
つまり、問われるべきなのは景気回復が先なのかどうかではなく、何を原動力とした景気回復なのか―ーコスト削減を主因にした景気回復なのか、それとも内需拡大を主因にした景気回復なのか―ーという点である。
 この問題を経済学説に翻訳すると、ケインズ学派と構造改革派の対立に帰着する。これについて私は2005年9月に書いた次の小論で自分の見解を述べた。
 http://www.dhbr.net/booksinreview/bir200509.html

 つまり、日本経済の最近の現実がそうであるように、コスト削減、特に「雇用調整」という名の人件費削減を主因にしたいびつな景気回復であれば、景気回復はワーキングプア対策どころか、ワーキングプアを拡大再生産させる主因ですらあるといえる。ワーキングプアⅡでも取り上げられた外国人留学生・実習生の低賃金雇用が国内の零細事業所内の賃金をさらに押し下げたり、これらの人々を正規から非正規へ、さらには失業へと追い立てる貧困の連鎖はその典型例といえる。
 逆に、家計の購買力の回復→内需拡大→景気回復→雇用の拡大、という循環を主因とするとき初めて、景気回復はワーキングプアの解消と両立することになる。

 正規職員vs非正規職員という構図の危うさ
 NHK側のスタッフXさんの上記の発言、―-制作する側として、非正規より正規職員の方がえらいんだ、といったような固定観念を生むといやだなあという思いがあるーーをめぐって議論が盛り上がった。その中で、自分もワーキングプアの背中に乗っている一人かも知れないという趣旨の発言が出たことに危うさを感じた。非正規職員を見下すような態度を自戒するという趣旨かと思う。

 しかし、ここで重要なことは、正規職員vs非正規職員という構図に分け入ることではなく、両者の垣根は流動的だということである。自分はいつ要介護あるいは認知症の状態になるかもしれない、そのとき自分を介護してくれる人、施設をあてにできるのか? 離婚や夫婦のどちらかが病に臥したら、夫婦双方あるいは、一方の生活は激変するのが通例である。一部の富める世帯は別にして、正規勤務の継続もままならないという場合も少なくないだろう。

 この点では、障害児学級に勤めているというある
参加者が「この世の中には障害者と健常者がいるのではない。誰しも潜在的障害者なのであり、発症の時期に違いがあるだけだ」という意味の発言をされたのが印象深かった。

 貧困を拡大させる原因に迫る企画を
 先に述べたように討論のなかでは、「貧困の原因にまで迫ってほしい」、「今の政治の問題にぶつかるとしてもひるまず伝えてほしい」、「解決の道筋にも触れてほしい」といった発言が少なくなかった。
 これに対して、NHKのスタッフからは、「NHKは政府批判をするつもりはない」、「評論よりも多くの人が知らない現実をあぶりだしていくことを心がけたい」という返答があった。

 私も過剰な主張ではなく、事実に語らせる、その解釈を視聴者に委ねるというスタイルに共鳴する。しかし、ここで重要なことは、「事実」か「評論・主張」かではなく、どのような「事実」をクローズアップするのかということである。この点で私は、生活保護行政を引き合いに出して、「現代日本の貧困の多くは行政被害と呼べるものである。この点で、ワーキングプアの原因と考えられる現実にタブーなく迫ってほしい」と発言した。

 最後になるが、討論の中で、この番組の取材にあたったCさんから、今回の取材の原点は家庭の状況にあるとして、ご自分の家庭内での経験を縷々発言されたのが印象深かった。

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本多勝一さんの個展を訪ねる

 「ワーキングプアⅡ」のふれあいミーティングに参加する前に
 2月3日、久しぶりに夫婦で東京へ出かけた。NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ 働く貧困層」を視た視聴者と番組制作スタッフのふれあいミーティングに参加するのが目的だったが、その前に飯田橋駅近くのギャラリーで開かれている本多勝一さんの個展に立ち寄った。本多さんは不在だったが、来訪者名簿に記入をしておいた。

 繊細な画筆にびっくり
 年賀状代わりに本多さんからいただいた寒中見舞いに案内が記され、「何かのツイデがありますれば・・・・」と添え書きがされていたのが今回の個展を知るきかっけだった。
 「ドしろうとの横好きにすぎませんが」という文章を半分真に受けて出かけたが、印象派を思わせるような繊細な写実風の水彩、油彩、絹版画が並んでいるのを見て驚いた。

 計9点からなる「中央アルプス空木岳をへて南駒ヶ根へ」と題する新作は昨年10月に中央南駒ケ岳に登られたときのスケッチだそうで、本多さんの16歳のときの「わが青春の山」だそうだ。
 そのほか、岩手山、昭和新山、十勝川上流、日高山ろく、伊那谷駅、徳本峠などを題材にした作品とあわせて、ヒンズーラージ、ブータン、テヘラン、カンボジアなどの四季を描いた作品、あるいは神田駅や有楽町界隈を描いた作品も展示されていた。本多さんが現役の記者時代に取材先で手がけられた作品なのだろうか?
 なかでも、雪の伊那谷駅の風景画に私は魅かれた。連れ合いもそれが気に入ったようで、ギャラリーの管理者の了解を得て、そのそばで写真を撮らせてもらった。

 個展の期間、ギャラリーの場所は次のとおり。

 本多勝一作品展(油絵・水彩・スケッチ・絹版画)
 2007年1月15日(月)~2月10日(土)
 9:00am~7:00pm
 日曜・祭日は休廊 最終日は1:00pmまで
 健康事業団「東京顕微鏡院」
 こころとからだの元気プラザ
 1階 ギャラリー ひろば
 (飯田橋駅より徒歩1分)

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NHK問題を考える会(兵庫)の集会で講演

 熱気に包まれた神戸での集会
 さる1月28日、「NHK問題を考える会(兵庫)」が主催した集会に招かれ、集会名称どおりに、「放送命令、受信料義務化はNHKと国民をどこへ?」と題する講演をさせてもらった。主催者の意気込みが通じたのか、定員70名の会場(こうべまちづくり会館、2階ホール)にその2倍(140名)の参加があり、会場は補助いすで埋まった。
 この日の企画を『週刊金曜日』の掲示版で知ったという大学時代の同期生Yさんから、年明けに連絡があり、他の同期生2人といっしょに集会前に元町の繁華街でランチを取りながら、歓談する機会までセットしてもらった。おまけに3人の同期生には会場に入って私の話に耳を傾けてもらった。
 京都や大阪でNHK問題に取り組む市民団体の中心メンバーも駆けつけ、集会のあと、兵庫の会の方々ともども懇談の機会を持った。

 講演用資料
 ところで、2週間ほど前に主催者から講演用の資料について問い合わせがあったので、「2、3枚に収めましょうか?」と尋ねたら、「いえ、印刷はできますから、もっと多くても結構です」という返事だった。それではということで、主催者の熱意に背中を押され、A4サイズ7枚の資料を作って4日前に発送した。そのPDF版を転載することにしたい。(なお、その後に気がついた誤字、入力ミス等を改めている。)
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/hyogonokai_koensiryo.pdf

 資料作りのなかで得た新たな知見
 資料作りをするなかで、
 ①いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐって露見した「日本の前途と歴  史教育を考える若手議員の会」の歴史感、女性観
 ②(北朝鮮拉致問題を重点課題とするよう求める国際ラジオ放送命  令と関わって)日本政府による 在外邦人の棄民の歴史(ドミニカ   日本人移民問題、中国残留孤児問題など)
を調べる機会を得た。これらについては記事を改めて書き留めたいと思っている。

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