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マイリスト「詩歌に触れて」に高見順作「帰る旅」を掲載

 このブログの左サイドバーのマイリストに「詩歌に触れて」と題するジャンルを新設し、最初の記事として、高見順の詩「帰る旅」の原文と、この作品に関する私の雑感を記した。雑感の中で、この詩を編んだ作者の心境を率直に吐露した『高見順日記』の一節も書き出した。

 まだ、自前の教科書を持ち合わせていなかった頃、駒場の教室で配布したプリントの余白にこの詩を書き付けたことがあった。すると、最終講義の日に回収した授業アンケートの自由記入欄に、「どうしてこんなに暗い詩を載せるのですか? どうせ紹介するなら、もっと明るい詩を」という感想が記した受講生がいた。

 そんなものなのか、とそのときは考えこんだが、、当の高見順はこんな反応を予想したかのように1974(昭和39)年8月20日の日記に次のように記している。

  「真に悲しむには、悲しみを抑え得るに必要なのと同じ一種の精神修養がなくてはならない。精神力の鍛錬がなくては真に悲しみえないのである。普通は、悲しみを抑える場合のみ精神鍛錬が必要な如くに考えられているが、ほんとうは真に悲しみ得るための精神鍛錬の方が悲しみを抑え得るためのそれより遥かに難しいかもしれないのだ。・・・・・・・・浅薄な心は真に悲しむこともまた喜ぶこともできない。浅薄とは正にかかる心のことをいうのである。」 (『高見順日記』第5巻、勁草書房、1965年、45ページ) 

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