自主自律の堅持をNHKに迫った経営委員の気概と良識(2)
「自主自律の堅持」を明記するようNHKに迫った経営委員の良識
第1040回経営委員会の議事録を読んで印象深いのは、多数の委員が平成19年度の“約束”の中に「自主自律の堅持」を明記するよう、NHKに強く求める発言をしている点である。経営委員会に出席した永井副会長は、放送の自主自律の堅持は、一昨年3月にNHKが公表した「NHK新生プラン」や「経営3ヵ年計画」において掲げており、“約束”でも年度ごとにブレークダウンして盛り込んでいるので、“約束”に明記するには及ばないという発言を繰り返している。しかし、発言したすべての委員はこれに納得せず、次のような文言で“約束”に明記するよう、執行部に迫っている(このほか、経営委員会は委員の総意として、“約束”策定にあたり、2.教育番組・福祉番組の充実、3.視聴者を啓発するチャレンジングな報道および番組の制作、を重要項目として取り入れるよう求めている)。
「放送の自主自律の堅持(放送法に定める不偏不党を遵守するため、いかなる団体、いかなる組織からの圧力・介入にも屈しない)」
これについて、2人の委員の発言を引用しておきたい。
「(一力委員) ・・・・・今NHKに対する国民からの信頼が損なわれており、これを取り戻すためには、『不偏不党・自主自律を堅持し、いかなる権力や圧力にも屈しない』という決意表明が必要です。このことをぜひ“約束”に入れていただきたいと思います。今のNHKのおかれた状況では、視聴者に対して『これだけの覚悟でやる』と意思表示することが一番わかりやすいと思います。・・・・・」
「(多賀谷委員) 特に、放送の自主自律の堅持については、経営委員会として、執行部の外から指摘することに意義があります。会長のメッセージに入れるよりも、意見として伝えた方がいいと思います。」
BBCなら、放送の自主自律は当たり前のことで、それを視聴者への“約束”に書き込むかどうかでこれほど議論が交わされること自体、異様に思える。にもかかわらず、経営委員がある種の危機意識を持って、自主自律の堅持をNHK執行部に要求する背景には、かのETV番組改編問題をめぐる控訴審裁判でNHKが敗訴したという事情が絡んでいるものと思われる。
ETV番組改編問題をめぐるNHKの対応に疑問・批判を投げかけた経営委員
現に、2名の委員は、次のように発言し、この裁判におけるNHKの対応に疑問・批判を向けている。
「(保委員) 私は前回、公共放送の存在意義や放送の自主自律の堅持について、“約束”で明確にするべきだと申し上げたと思います。・・・・・ETV裁判において、番組の内容が変えられたということが議論されたこと自体、世に中に不信感がかなり根強く存在しているように思います。NHKとして、いくら『しっかりと放送している』、『それを踏まえている』と言っても、世論に今ひとつ理解されていないように思います。今回の“約束”においても、そのことを『十分踏まえたもの』、『反映している』とお考えかもしれませんが、きちんと伝わる形で明文化しなければ、国民・視聴者との溝は埋められないと思います。・・・・・」
「(小林委員) 報道に関して、やはり一番問題なのは、保委員がご指摘になったETV問題の対応だと思います。これに関する不信感がますます強くなっていると感じています。ETV裁判については、上告してしまったからには、しばらくは見守る時間も必要かもしれませんが、これについて、きちんと話し合うことが必要だと思います。また、あらためて考えてみますと、世界中が注目しているETV裁判の結果について、執行部が、経営委員会に何も相談なく上告したということは、それでよかったのでしょうか。東京高裁の判決が出てすぐに上告し、そのことが当日のニュースで放送されましたが、NHKの最高意思決定機関である経営委員会として、どのようにそれにかかわっていくのかという疑問が当然わいてくると思います。ですから、上告する前に相談というか、何らかの説明があってしかるべきではなかったか今あらためて思っております。・・・・・」
どちらの委員の発言も正論というほかない。特に、小林委員の発言はとかく「美しい言葉」で終わりがちな放送の自主自律を、現に起こった事実に引き付け、NHKの言行の乖離を質した点で、また、NHKの自主自律に経営委員会がコミットできるし、すべきことを明言した点で、特筆に値する。なぜなら、自主自律の堅持はNHKの責務であり生命線であると同時に、NHKの後見人たる経営委員会もNHKが自主自律の放送を堅持するための「砦」としての役割を果たす責務を負っているからである。
NHKは経営委員会の意見にどう対応したか
では、NHKはこうした経営委員会の意見にどう対応したのか――その顛末を見届けておく必要がある。
これについての詳しい経過は知る術がないが、4月5日付でNHKが報道発表した平成19年度の“約束”がHPに掲載されている。
「平成19年度“約束”の公表にあたって」(2007年4月5日)
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/070405.html
これを見ると、“約束”の前文の中に次のような記述がある。
「・・・・公共放送にとって変わらない役割は、放送の自主自律を堅持し、みなさまの安全・安心な生活を守り、だれもが知識や情報を共有したり、違いを超えて共感したりできるような場を提供することです。・・・・」
委員のなかには、「どうしても“約束”の中に3項目を明記して欲しい」という意見もあったが、結局は前文の中で書き流す形で「しぶしぶ、取り入れられた」形になったようである。こうしたNHKの対応に各経営委員がどう反応するのか、次回の委員会での議論を注目したい。
ともあれ、各委員が最後までこだわった“約束”それ自体は、抽象的な美辞の羅列である。そう割り切れば、“約束”に何を明記するか、表現ぶりをどうするかにこだわることにどれほどの実質的意味があるのかと冷めた見方もないではない。しかし、私は、第1040回経営委員会議事録から別の意味を汲み取れる気がした。それは、NHKの事業運営方針、番組編成の基本方針に自分たちもコミットできるし、しなければならない、そうすることが、視聴者の声を代表する経営委員としての責務であるという意識が経営委員の発言の端々に窺えるという点である。
もちろん、そうはいっても、NHKの番組編成の基本に何を据えるのか、NHKの事業運営方針に経営委員会はどこまでコミットするのかをめぐって、経営委員の間に認識のバラつきなり温度差なりがあることも読み取れる。事実、「いかなる権力や圧力にも屈しない」という表現を追加して放送の自主自律の堅持を重視する委員もあれば、自主自律の堅持を、災害報道などNHKならではの放送と並列で価値付けする委員も見受けられる。
こうしたバラつきは市民・視聴者の間にある公共放送像の多様性を反映したものといえるので、それ自体の当否を経営委員会で決する性格のものではないといえるかも知れない。
しかし、年度ごとに更新される視聴者への“約束”というからには、今、NHKに最も欠けていることを行動規範として明記し、事後の評価の対象にするのが本来の目的にかなっている。この点で、多数の経営委員が放送の自主自律の堅持を“約束”に明記するようNHKに結束して迫ったことは、ETV番組改編をめぐる控訴審判決でNHKが敗訴した現実、あるいは総務省による行政介入が目に余る昨今の状況に照らして、画期的な意義があったと評価できる。
こうした多数の経営委員の気概と良識を胎動で終わらせず、通常の姿として定着させるには、経営委員の責任意識の高揚もさることながら、視聴者からの監視・激励も欠かせない。この記事はそういう思いも込めて書き留めたのである。(了)
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