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NHKの経営委員長は経営者としての実績が物を言う役職なのか(前編)

 古森重隆氏はどういう基準でNHKの経営委員長に選出されたのか?
 このブログでも何度か取り上げたNHKの新しい経営委員長人事がさる6月26日に開かれた経営委員会で議題にされ、先触れ報道どおり、古森重隆氏が全会一致で委員長に選出された。すぐに感想を書こうかと思ったが、経営委員会が選考の経過を公表するのを待つことにした。

 その間、私も参加している「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は7月7日付で次のよう見解を発表し、その中の第1項目(発言者の氏名も明記した議事録の全面公開によって経営委員長の選出経過を視聴者に説明すること)の実行を要請する文書を添えて、この見解をNHK経営委員会宛に送った。

 「古森重隆氏のNHK経営委員長選出について」
 (「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の見解)

 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/siniinncho_senshutu_ni_atatte20070707.pdf

 さて、古森氏を新経営委員長に選出した1047回経営委員会の議事録が7月13日にNHKオンラインにリンクされている経営委員会のホームページにアップされた。経営委員長の選出に関わる部分の抄録は次のとおりである。

 1047回NHK経営委員会議事録(2007年6月26日開催)抄録
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/1047nhk_keieiiinnkai_giziroku20070626.pdf

 また、これに先立って、上記の経営委員会終了後に行われた経営委員長、同代行の会見の模様が次のとおり、経営委員会のホームページに掲載されている。

 経営委員会委員長、委員長職務代行者の選出について
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/keiei_iinncho_kaiken20070626.pdf

 企業経営者としての実績がなぜNHK経営委員長の選考基準になるのか?
 経営委員会が公表した上記の議事録は、NHKの役員が加わる前の経営委員のみの会合の模様を数行の文章に要約したものであり、発言者の氏名入りの記録ではないから、正しくは議事要旨と言った方がよい。

 それでも、この記録を読んで私が驚いたのは、次のくだりである。

  「まず、経営者としての実績や東京在住であることなどの選考基準が提起され、他にも委員からは、NHKはさまざまな問題を抱えており、委員長には企業の経営者が好ましいこと、経営委員会を円滑に運営するためには、東京在住が望ましいこと等の意見が出され、複数の候補者の中から古森氏が推挙された。古森委員が所属する企業とNHKとの取引は当該企業の0.02%程度であり、特別な利害関係にはないことや本人の意思を確認した後、全会一致で古森委員を経営委員会委員長に選任。<以下、省略>」(下線は醍醐の追加)

 あらかじめ委員長の選考基準として、①経営者としての実績があること、②東京在住であること、を挙げれば、古森氏ともう一人の委員に絞り込まれるのはお見通しである。それでも複数の候補が残ったそうなので、「出来レース」という批評はひとまず控えておく。

 私が不可解に思うのは、企業経営者としての実績をNHKの最高意思決定機関の長に求められる資質として真っ先に上げた経営委員の見識、その提案を全会一致で承認した経営委員会全体の見識である。ちなみに、放送法第16条では経営委員の任命基準として、「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者」と定めている。これが委員長の選任となると、なぜ、「企業経営者としての実績」に置き換わるのか、企業経営者としての実績が公共の福祉の判断にどうつながるのか、全く不明である。

 私は企業経営者にはNHKの経営委員長にふさわしい見識を持った人物はいるはずがない、と先験的に言うつもりはない。事実、経営者であると同時に、文化、芸術に深い造詣を持った人々がいる(いた)ことは確かである。

 しかし、そうした人々も経営者としての実績がおのずから幅広い教養を培ったわけではなく、企業経営に携わる傍ら、文化、芸術等の分野にも関心を傾け、知性と教養を拓く自助努力を傾けた結果として、幅広い見識が修得されたと言うべきであろう。
 
 そうした個人の資質を離れてそもそも論をいえば、企業経営者は公共の福祉を制約条件として、その枠内で最大限の私益(株主利益の最大化)を追求することを職務にしている人々であって、そこから自ずと公共の福祉への認識が培われるわけではない。さらに端的にいえば、営利企業の経営者に求められる資質と、視聴率という営利の原則ではなく文化的に良質な番組、権力を監視する報道・ドキュメンタリー番組等を提供することによって、視聴者の知る権利に応え、言論の公共空間を提供することを使命とするNHKの最高意思決定機関の長に求められる資質は、おのずと異なると理解するのが当然である。

 公共放送の組織論を民間企業の組織論になぞらえる愚論
 例えば、古森氏は委員長就任早々のインタビューの中で、ドラマ制作やスポーツ部門などをNHK本体から切り離す論議について、「最適な組織づくりを模索するのは民間企業では当然の話。NHKにとっての是非はともかく、そういう議論が出てくるのはありうる話しだ」(『産経新聞』6月27日)と発言している。
 
 しかし、何が最適な組織づくりかに関して、民間企業とNHKでは評価の基準に大きな隔たりがある。民間企業であれば、限界収益性に基づいて限られた資源を種々の事業部門に効率的に配分するのが原則である。それに反した投資行動は株主利益に対する背任に当たる。他方、NHKの場合、視聴者から徴収する受信料は視聴の対価ではなく、見返りとしての収入(の指標となる視聴率)の多寡を基準に資源を配分するという原理はなじまない。

 また、留保はつけながらも、ドラマや娯楽番組を公共放送の枠外かのようにみなし、NHKの本体から切り離すこともありうるとする発想も放送文化への認識の貧困を表している。これについては、本ブログ(2006年9月18日付)で紹介したNHK副会長永井多恵子さんの言葉が思い起こされる。

  「NHKの役割とは、放送を通じて『公共』の時間を作り出し、意見のるつぼの中から人々の『共感』を導き出すことだと思う。そのために大切にしたいのが質。娯楽番組も同じで、ドラマでは脚本家に良い本を書いてもらうために段ボール箱に何箱もの資料を集めたり、一緒に徹夜で議論をしたりする。質こそ絶対譲れないというのが、公共放送としての『一分』だ。」
 
 実際、韓国では1980年にKBS(韓国放送公社)が文化娯楽番組中心のチャンネル、KBS-2を開設した際、財源確保のために広告料収入を導入した。しかし、広告料収入への依存度が高まるにつれ(1988年当時、73%)、扇情的な娯楽番組が増えたという批判が絶えなかった。これについて、2003年春に韓国の放送映像産業振興院が行った番組編成調査は、財源の多くを広告料に依存する同チャンネルの仕組みが視聴率を意識した番組編成に偏重する原因になっていると指摘した。

 こうした批判や指摘を受けて、金大中政権(当時)は1992年に提出された「放送改革委員会」の最終報告書に基づいてKBS-2の広告料を全面的に廃止する方針を打ち出した。ただ、現実にはKBS自身も識者、市民団体も広告料の全面廃止には踏み切らず、当面、受信料収入と広告料収入の比を7:3に改めることを目標にした。その理由は、財源のすべてを受信料で賄うのは困難であること、そうした状況の下で政府の介入を防ぐ緩衝帯として広告料をあてがうということだった。

 伝統的に民放の比重が高かった台湾でも、商業局の番組の質が視聴率主義によって悪化したことに批判が高まり、2006年に年頭に、従来の二民体制を一公一民体制に切り替えることが決定された(以上、韓国、台湾における公共放送の動向についての詳細は、醍醐聰「公共放送における受信料制度の意義」『現代思想』2006年3月、を参照いただきたい)。このように、アジアのいくつかの国では、娯楽番組を公共放送から切り離すのとは逆の方向ーーー民営化ではなく公共化の流れーーーが強まっているのである。

 富士写真フィルムにおいて写真感光材料生産のコスト競争力強化とフラットパネルディスプレイ(FPD)材料生産体制の充実を図るために国内生産体制の再編等を推進した古森氏の実績が、NHKの最高意思決定機関の長に求められる資質と相容れるのかーーー先の国会で継続審議となった放送法改定法案において、経営委員会の権限強化という鎧をかぶせてNHKに対する総務大臣の権限の強化が図られようとしている実情の中では、どうせ有名無実の名誉職だからといって、古森氏の経営委員長就任を見過ごすことはできない。古森氏が安倍人脈による「政治介入の申し子」だとすれば、なおさらである。

 続編では、経済界出身の歴代NHK経営委員長が、公共放送の最高意思決定機関の長にふさわしい見識の持ち主であったかどうかを検証してみたい。

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