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本多勝一著『NHK受信料を拒否して40年』を読んで

メダカ社会論が冴えわたる新著

 本多勝一さんの<貧困なる精神U集>『NHK受信料を拒否して40年ーーメダカ社会とジャーナリズムーー』(株式会社金曜日、2007年7月10日)が刊行された。書名にちなんだNHK受信料拒否のことはじめ、NHK報道番組の変わらぬ政府広報体質への批判のほか、ご自身の体験をまじえながら国歌・国旗法案を「軍国少年」への迷信を植えつけるものと批判する論説、石原慎太郎という行動力なき臆病者を痛罵すると同時に、彼を東京都知事に再選した都民の民度にこそ問題の根源があるとする論説など、その舌鋒は健在である。
 私事にわたるが、『週刊金曜日』誌上で連載された私との対談(一部追記あり)も収録されている(40~70ページ)。

 本多さんの論説にはいくつかのキーワードがあるが、対談を通じて私が強く印象付けられた言葉は本書の副題にも使われている「メダカ社会」である。<権威に弱く体制順応ないしは長いものに巻かれることに痛痒を感じない集団依存型人間からなる社会>という意味で使われている。

 例えば、「メダカ社会での自民党総裁選」と題したコラム(162ページ)では、『朝日新聞』の社説(2006年8月11日)を引用しながら、靖国問題やアジア外交をめぐって安倍晋三氏の路線を危ぶむ声が自民党内でも少なくなかったにもかかわらず、福田康夫氏が出馬を断念するや、理念や政策そっちのけで、なだれを打って安倍支持一色に変わった総裁選の模様が皮肉を込めて取り上げられている。

 その安倍氏の続投をめぐって自民党内に不満がくすぶりながらも、次第に党内の関心が次期内閣改造でのポスト確保に移っている報道を見ながら、このコラムを読むとなるほどと考えさせられる。ただし、本多さんのメダカ社会論は日本人の体質に向けられるだけでなく、そうした体質を助長し温存してきたマスコミ(ジャーナリズムではない)にも向けられている点が重要である。

批判は紙の上のものではなく、具体的な実践が伴わなければならない

 これは本書の冒頭で引用された本多さんの30年前の著書『NHK受信料拒否の論理』の中の一文である。本多さんは1931年生れというから、今年で75歳ということになる。70歳でのイラク取材はきつかったと述懐する(182ページ)本多さんではあるが、昨年11月に『朝日新聞』声欄に「NHK受信料未払いの理由」という見出しで送られた投書が本書に収録されている(74ページ)のを知り、驚いた(結局はボツになったとのこと)。

 その中で、本多さんは受信料支払い拒否の本質的な理由は受信料制度の不公平ではなく、NHKがジャーナリズムの核心的な使命である権力の監視役を果たしていない点にあると力説され、末尾で「業務(経営)と編集の分離そのほか、ジャーナリズムの基本が確立されたら払うつもりです」と記している。この一文を読んで、本多さんが私との対談の中で、自筆の黄色がかったノートに目をやりながら、「醍醐さんの言っていることと同じだと思うんです。『知る権利に応えると共に偏狭な市場主義に抗していくのだったら〔NHKを〕支援していくことをためらうものではない』と」(62ページ)と苦笑(?)しながら語られたのを想い起こした。

 「苦笑」に?を付けたのは、そうはいっても本多さんから見て、NHKがジャーナリズム精神を取り戻す可能性は限りなく小さいからであろう。ちなみに私が共同代表を務めたNHK受信料支払い停止運動の会は、支払い拒否を続ける本多さんに「後ろ髪を引かれる思い」(?)で、今年の2月8日を以って賛同者に支払い再開を呼びかけ、会を解散して、新しく「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」を立ち上げた。その経過は、編集者の求めに応じて、本書の68~70ページに追記として収録しているので参照いただけると幸いである。

 話は戻るが、「批判は紙の上だけのものではなく、相手に具体的な打撃を与え得る実践がともなわなければならなぬ」(5ページ)という本多さんの指摘に私も、自分の拙い体験から、共鳴すること大である。特に、日本には、公共放送の理念を語るメディア「論」専門家は多くても、NHKをいかにしてあるべき公共放送に近づけるかの実践的道筋を示すメディア専門家は少ないように思われてならない。

 そのような感想を抱きながら、今なお、新聞紙面に意見を投稿された本多さんの行動力に感服したのである。

旅先の風景、ウシの乳とヤギの乳、田中康夫論など

 以上は本書の書名にそった本多さんのメディア論であるが、本書にはこのほか、各地を取材で回った本多さんの旅行記や本多さんの生まれ故郷、伊那谷の風物記も収録されている。これらの中で、私は一人の読者として、私も立ち寄って名産の刃物を買い求めたドイツのゾーリンゲンの紀行文を収めた「旅先の風景」(157ページ以下)に感慨を覚えた。

 また、2006年の長野県知事選で田中康夫氏が落選したニュースに触れて、次のように発言されているのに興味深くうなずいた。

  「田中は負けるべくして負けたと思っています。相手が誰であっても負けたと思いますね。あの人が掲げている政策や、これまで進めてきた方向性は、決して間違っていなかったと思うんですよ。ただ、私は彼が知事になる前から知っていますが、人格としてダメなんです。そのことが県民に広く知られてきたら負けますよね。しかも石原慎太郎あたりに秋波を送るに及んでは(笑)・・・・・」(179ページ)

 私は田中知事時代に長野県が設置した二つの審議会委員に参加し、それを機縁に田中氏と多少交わりを持ったり、長野県議会に参考人・証人として呼ばれた経験から、田中氏が進めた政策や県政の方向性そのものにも疑義を感じる点があるが、「負けるべくして負けた」、「人格がダメ」という本多さんの指摘には完全に同感である。
 田中氏に対する私の寸評は、このブログの「私の仕事(新聞記事等)」に掲載した「審議会は知事の親衛隊か」(『朝日新聞』長野版記事)
http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000159999990980
を参照いただけると幸いである。

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コメント

まだ自分でよくまとまってませんが。安倍保守政権の下心がわかりかけてきたような気がします。NHKには従軍慰安婦問題を扱うような良心的な職員がいるため、「値下げ」圧力で弱体化させる。そのため自分の意見が反映できる古森氏を経営委員長に送りこむ。民放には、「あるある問題」で世論を味方につけた風を装い、親衛隊の菅大臣を送り込み“検閲”制度のある放送法の改セイを行う。
ちがうかなぁ。

投稿: | 2007年8月30日 (木) 01時10分

本多勝一がマスコミを批判するとは笑止千番!
日本人の民度云々する前に自分のジャーナリストとしてのあり方を猛反省しろといいたいが、無理でしょう。恥を恥とも思わぬ武士道精神を知らぬ年寄りには。日本で最後を迎える気か?シナでも朝鮮でも日本以外なら英雄だろ。

こいつは絶対許せない。死ぬ前に日本に迷惑をかけたことを誤れ。

投稿: 怒る日本人 | 2007年8月20日 (月) 15時19分

きょう、ひさしぶりに醍醐さんのブログを拝見して、たまたま、この記事を目にして笑ってしまいました。
田中県政をずっと取材していたものとして書かせていただきたいと思います。

>人格としてダメなんです。
こうまで言われる人も珍しいのでは、そして、それを隠して参議員に当選してしまうのはスゴイ。(笑) 見抜けない国民がばかなのか、それを伝えないマスコミがおろかなのか。

>田中は負けるべくして負けたと思っています。
私はそうは思っていませんでした。

>相手が誰であっても負けたと思いますね。
これもそうは思えません。相手が村井仁という安全パイみたいな人だから、田中じゃダメだと思った人が入れやすかったのだろうと思います。
それと、一本化されたからでしょう。それがなければ落選はなかったでしょう。

>政策や、これまで進めてきた方向性は、決して間違っていなかった
これは口先でいっていたことは確かにそうですが、それを実行する術を持たなかったわけですから、
これは人徳というものがなかったからで、話は振り出しに戻って、結局ダメということになります。

投稿: 追撃コラム 発行人 | 2007年8月18日 (土) 00時43分

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