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古森重隆氏は行政府からNHKに送りこまれたトロイの木馬なのか

NHKにリストラ合理化を迫る古森氏に喝采を送るマスコミのジャーナリズム精神の退廃

 一つ前の記事で、NHK経営委員会が去る9月25日に開かれた経営委員会で、NHK執行部が提出した次期経営計画案を差し戻した件について論評した。そこでも少し触れたが、こうした経営委員会の対応をNHKにさらなる改革の要求を突きつけた快挙と評価する論調がその後も見受けられる。『朝日新聞』が9月27日の朝刊に掲載した「NHK改革 とんと晴れぬ橋本会長」と題する社説はその典型例である。その中で朝日新聞は次のように記している。

  「NHKの経営委員会もなかなかやるじゃないか。執行部が出した来年度からの5ヵ年経営計画案を突き返したと聞いて、そう思った人も多いだろう。」

  「民間企業の現職社長が委員長を務めるようになったことも大きい。今の古森重隆氏は富士フィルムホールディングス社長だ。写真フィルムからの転換を大胆に推し進めた人だけに、NHKの生ぬるさが我慢ならなかったに違いない。」


 本当にそうか? 公共放送としてのNHKの放送事業に関する議論をそっちのけで、受信料の下げ幅に執着してNHK執行部と綱引きをすることが経営委員会の長の本来の職責なのか? では朝日新聞も、「初めに値下げありき」の論法で、民間企業流のリストラ「改革」によるコスト削減で購読料の値下げ原資を捻りだすよう迫られたとき、それをありがたく受け入れるのだろうか? この社説には、NHK執行部と経営委員会の軋轢を対岸の火事かのように面白がる、そんな軽薄さが付きまとっている。同じジャーナリズムに身をおく新聞社として、民間経営者の「効率主義」が言論・報道機関に持ち込まれることに拍手喝采を送るのでは、ジャーリストとしての見識の退廃と言うほかない。

 ところで、古森氏は安倍前首相を囲む「四季の会」のメンバーとして、安倍氏の「お友達」人事でNHK経営委員長に推挙されたことは朝日新聞はじめ、多くのメディアが報道したとおりである。
 この記事では、そうした「政治介入の申し子」としての古森氏の最近の言動をフォローし、同氏を絶賛する朝日新聞社説子に警鐘の一筆を献上したい。

政治介入の申し子としての本性を露見し始めた古森氏の言動 

 
昨日(9月28日)公表された第1051回NHK経営委員会(2007年9月11日開催)の議事録にさっそく目を通したところ、古森氏が次のような発言をしているくだりがあった。

 (
古森委員長) 放送内容のバランスに関しても、さまざまなご意見をいただきますが、選挙期間中の放送については、歴史ものなど微妙な政治的問題に結びつく可能性がありますので、いつも以上にご注意願いたいと思います。

 (石村理事) NHKの番組は、主張を声高に述べるのではなく、事実をどれだけ客観的に伝えられえるかという立場で放送しています。

 
(古森委員長) NHKは、放送法で不偏不党が謳われているわけですから、政治的に中立でなくてはなりません。その観点から選挙期間中の放送については、特にバランスを考えていただきたいと思います。

 (原田専務理事) 歴史的な事象にはさまざまな見方があり、時を経て扱うわけですから、可能な限り、多角的な見方を入れて取り扱っております。

 (橋本会長) ご指摘の点については、NHKは特に慎重な配慮をして番組を作り、放送しております。

 (永井副会長) そういう観点で言うと、NHKには非常にさまざまな意見が寄せられています。その点、NHKは放送法に基づいて、できるだけ多くの論点を明らかにし、公平な放送業務を遂行しております。


 古森氏が言う選挙期間中に放送された「歴史もの」とは、先の参議院議員選挙に先立つ時期(8月ごろ)にNHKが数多く放送した戦争と平和、原爆、憲法などの歴史的考証を試みた番組を指すものと思われる。

  これらのうち、私が視聴したのは一部だが、例えば、8月15日に放送された「日本のこれから 考えてみませんか憲法第9条」は、このブログでも記したように、改定の賛否両論の参加者が、中身はともかく、激突する展開だった。司会者の進行も極めて公平で論争的な雰囲気を大切にする配慮が伺えた。

 また、NHKスペシャルがシリーズで取り上げた東京裁判の考証でも、A級戦犯全員の無罪を主張した(安倍前首相が訪問先のインドで遺族に面会までした)パール判事の思想を丹念に追った番組も組まれていた。私には、パール判事を過大にまた一面を過度に評価しているのではないかとさえ思えたが。

 古森氏はこれらの番組のどこを指して政治的公平を欠くと言うのか、不明である。それとも、古森氏はこれらの番組のどこそこを問題にするのではなく、参議院選挙を控えた時期に政治的に対立するテーマをNHKが取り上げたこと自体が気に入らないのだろうか?

 その場合、古森氏は参議院選挙で仮に自民・公明両党が勝利していたとしても、同じ発言を経営委員会の場でNHK執行部に向かって発したのだろうか? 当時の参議院与党が大敗した結果を受けての発言であったとすれば、不偏不党を侵したのはほかでもない古森氏自身だということになる。 

 また、選挙期間中だからという理由で政治的テーマを扱うのは控えよという論法は、国民投票法案で、投票期間中は憲法に関わる放送を禁止しようとする思想警察的発想と軌を一にしている。こういう発言を臆面もなく口にする人物が、言論・報道機関の監督機関の長に就くことは由々しい問題であり、わが国公共放送の見識を失墜させる人事と言って過言でない。
  

 

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空疎な意気込みと的外れな指摘の合成ーーNHKの次期計画を差し戻した経営委員会の見解についてーー

経営委員会の自主自立は大歓迎だが

 NHK経営委員会は、9月25日に開催された委員会でNHK執行部がまとめた次期5ヵ年の経営計画の議決を見送った。いくつかのマスコミは、経営委員会がNHK執行部の重要提案を差し戻すのは異例のことと大きく報道している。しかし、放送法でNHKの最高意思決定機関と位置づけられている経営委員会が、業務執行機関であるNHK理事会の提案を是々非々の姿勢で審議し、NHKに対してストレートに物申すのは当然のことである。今回の議決見送りを「異例」と報道されるのは、これまでの経営委員会がNHK執行部の意思決定の追認機関にすぎなかった実態を反証するものといえる。

 しかし、問題は、経営委員会が次期経営計画のどこを、どういう理由で不十分と判断して議決を見送ったのかである。これについて経営委員会は同日のうちに「5ヵ年経営計画(執行部案)についての経営委員会の見解」を発表し、委員会のサイトに掲載した。
  http://www.nhk.or.jp/keiei-iinkai/new/keiei070925.html

 これを読んで私は、見かけとは裏腹に、経営委員会の議決見送りを、NHKに対し強い姿勢で改革を迫った勇断と評価することはできないと判断した。それどころか、経営委員会の見解には公共放送としてのNHKの進むべき道を誤らせかねない危険な内容が少なからず含まれていると感じた。以下、そうした私の判断を説明しておきたい。

 その前に、議論の前提として改めてNHKの次期経営計画と、それに対して湯山哲守氏と私が共同代表を務める「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」が提出した意見を再掲しておく。

 NHK次期経営計画(2008~2012)の考え方
  http://www.nhk.or.jp/css/keiei/print.pdf

 NHK次期経営計画(2008~2012)の考え方に対する視聴者コミュニティの意見
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/nhk_keieikeikaku_nitaisuru_iken_community20090830.pdf

放送サービスの内容を素通りした空疎な見解

 経営委員会の見解を読んで、まず感じるのは、公共放送としてのNHKの核にある放送サービスに関する議論が素通りされ、不祥事の再発防止を目指すコンプライアンス体制の確立、関連団体の整理統合、受信料の値下げに多くのスペースが費やされている点である。経営委員会が重点的に取り上げたこれらの問題はNHK内外で話題に上った社会的関心事であることは確かである。

 このうち、コンプライアンスについていえば、受信料の横領が絡む不祥事はあってはならないし、業務時間内外を問わず、職員の非行が許されないことは自明である。しかし、これについては様々な場で議論が繰り返されてきた。これ以上、抽象的な精神論を重ねないためには、経営委員会自からが、「より効果的なコンプライアンス体制を確立するため、より実効性のある施策を示すべきである」といった無内容な議論に輪をかけるのではなく、一つでも具体的な施策を提示すべきである。
 
 とはいえ、NHKに対する視聴者の信頼回復の原点はあくまでも放送番組への信頼であり、権力を監視するという放送メディアの使命をよりよく果たすことを置いてほかにない。これについていうと、NHK執行部がまとめた次期経営計画案では、①信頼に応える報道の充実、②質の高い大型企画・見ごたえのあるドラマ、③“地域の応援団”として地域社会の発展に貢献、④日本の未来を担う若い世代に向けた放送の充実、⑤視聴者との回路を広げ、視聴者とともに作る番組の開発、という5つの重点課題を掲げている。 

 これについて、視聴者コミュニティは上記の意見の中で、随所にわたって厳しい批判を加えるとともに、逐条的で具体的な代案、要望を提出した。経営委員会もNHK執行部の経営計画案を指して「NHKの将来ビジョンが十分示されていない」というなら、何よりもまず、上記の重点課題のどこがどう不十分なのかをわかりやすく説明する必要がある。でないと、議論は空回りの禅問答で終わる。

 例えば、経営委員会は若者のテレビ離れを力説している。この状況認識に異論はない。大事なことは、誰も異論を唱えないような状況をなぞることではなく、経営計画案で示された上記の重点課題の④のどこがどう足りないのか(足りているのか)を具体的に指摘すること、どうすればよいのかという代案を示すことである。

  これに関連して私は、NHKが携帯端末向けサイト「がんばれルーキー 大人のジョ-シキ大学」を9月15日にスタートさせたことを最近知った。その案内ページを見ると、郷土料理レシピ、日めくり英会話、有働アナのNY取材日記、あなたのジョーシキ力検定試験など、工夫の跡が窺える企画のように思えた。
 http://cgi2.nhk.or.jp/cgibin/qr/ajpro.cgi?d=741&f=friend
 
 制作現場でこのような地味ではあるが、創意を傾けた企画が試みられている実態を経営委員会も把握して、もっと具体的で建設的な議論を深めるよう望みたい。

関連団体の組織改革は受信料の値下げ原資を捻出するためではない

 会計検査院がNHKの関連団体に多額の利益剰余金が留保されている実態の改善を求める検査結果を発表したのをきっかけに、NHKと関連団体との取引の透明化を促す声が高まるとともに、関連団体に蓄積された利益の一部をNHK本体へ還元(配当)するよう促す指摘が出ている。経営委員会も同じ趣旨の意見をNHK執行部に提起している。

 私も大筋において、会計検査院の指摘に同感である。また、NHKのOBの再就職先となっている関連団体とNHK本体の取引に監視の目を光らせる必要があるのも確かである。関連団体に留保された多額の利益剰余金を適正にNHK本体に還元させ、NHKの財政に貢献させることも必要である。

 しかし、そうした組織改革や財務は営利企業のようにコスト削減や増益を至上命題としたものではないし、受信料値下げの原資捻出を意図したものでもないはずである。関連団体の構造改革といっても随意契約を一律に悪と決めつけ、競争入札の比率を高めてコストダウンを図ることが改革努力の証であるわけではない。良質の番組作りという見地から、番組制作のための優れたノウハウ、人材が関連団体に蓄積されているなら、随意契約によって、それを継続的に活用することは視聴者利益にかなうはずである。

受信料の値下げ幅がNHKの改革努力のバロメーターではない

 このところ、マスコミは受信料の値下げ幅をめぐるNHK執行部と経営委員会の綱引きにスポットを当てた報道に傾斜している。しかし、受信料の値下げを歓迎しない視聴者はいないからといって、次期経営計画をめぐる論点をこれに収斂させる論調には危うさがつきまとう。経営委員会は見解の中で、「受信料の値下げは、最初に数字ありきの問題ではない」と記しているが、次期経営計画をめぐって、経営委員会が受信料の値下げ幅に眼目を置き、NHKにさらなる値下げを迫ってきたのは間違いのない事実である。
 
 しかし、受信料値下げ論はもともと、視聴者の間から自発的に生まれたわけでなく、菅前総務大臣が受信料義務化とセットで2割程度の値下げを唱え出したのがきっかけである。経営委員会は今回の見解の中で受信料義務化を積極的に求めているわけではないが、視聴者間の不公平感を解決する選択肢の一つとして受信料の義務化を挙げている。経営委員会が受信料の収納率の向上による増収を原資に受信料のさらなる値下げが可能と主張していることからいえば、収納率向上の決め手として受信料の義務化が選択肢に入れられるのは自然な筋書きといえる。
  
 しかし、NHKと視聴者の双務契約に照らし、経営や人事、番組編成への参加権を与えられていない視聴者に、受信料の義務化だけを求めるのはありうべきことなのか、公権力を後ろ盾にして受信料を強制徴収できる支払い義務制を採用したとき、視聴者の意向に対するNHKの感度が今以上に鈍ることはないのか、ーーーこうした本質論を経営委員会はなにほど検討したのだろうか? 次元を異にする受信料の値下げと義務化をセットにして、値下げ原資の捻出というふれ込みで受信料の義務化=収納率の向上を無批判に容認するのは、わが国の受信料制度が契約義務制に止まり(これ自体、憲法論争に発展する可能性があるが)、支払い義務制を見合せた歴史的沿革に関する無理解を意味している。

 視聴者への還元というなら、受信料の一律の値下げよりも、①障害者や母子家庭等の低所得層を対象にして受信料の減免枠を拡大すること、②テレビ難民を生まないよう、デジタル化にあたって難視聴地域の視聴者や経済的困窮者に無償または安価にチューナーを配布すること、③NHKアーカイブスに所蔵される番組を無償または安価な料金で開放することなど、格差社会において、より大きな社会的効用を期待できる還元方法を優先的に検討すべきであろう。この点で私は、NHK執行部が昨日、経営委員会に示した経営計画案の中に、障害者等への受信料減免枠の拡大を盛り込んだことは、部分的な施策にとどまるとはいえ、評価に値すると考えている。

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生活保護の申請拒否を「辞退」と伝えたNHKの体質

 高知の方から届いたNHKのいじめ報道への疑問

 昨日、高知県のAさん(面識なし)から電話をもらった。用件は、神戸の某私立高校における生徒の自殺事件を伝えた9月17日夜11時のNHKニュースについてだった。Aさんが問題にしたのは、ニュースの中でNHKが学校側あるいは警察情報をそのまま受け取り、自殺した生徒と金を要求した生徒を「普段は仲がよかった」と伝えたことである。「なぜ一方サイドの見方だけを伝えるのか? いじめられた生徒の実情を知る関係者、友人の見方もなぜ併せて伝えないのか?このような報道の仕方がいじめの実態を見過ごす、過小評価する、さらには見て見ぬふりをする風潮を助長するのではないか?」というのがAさんの意見だった。

 私はこのニュースを視ていないが、AさんはすぐにNHK視聴者センターとBPOに質問、連絡をしたそうだ。
 「NHKはどう答えましたか?」と聞くと、「私たちは警察情報をそのまま伝えるしかない」ということだったそうだ。BPOは「私たちはそういう問題は取り上げられない」との返事だったという。

 NHKの見解をもう少し詳しく聞く必要があるが、こうしたいじめ事件を取り上げるメディアの報道には、「当事者同士は普段は仲がよく、いっしょに遊ぶ仲間だった(と聞いている)。なぜ、こんなことになったのか見当がつかない」といった学校関係者の声をそのまま流すのが恒例になっている。これだと、ちょっとした悪ふざけが大きな事件に発展したといわんばかりの物言いに聞こえる。しかし、中には、「放課後に呼び出されて脅かされていた」といったような親しい生徒の証言を伝えるメディアもある。また、子供からいじめの模様を知らされ、心配になって学校あるいは警察に連絡したが有効な対策を取ってくれなかったという保護者の声が伝えられることもある。学校・警察側と生徒に近い関係者の状況認識や言い分にギャップを感じさせらる場合が多い。

 NHKに限らず、すべてのメディアは「いじめに遭っている被害者の本音は聞こえにくい、という当たり前のことを銘記した取材・報道がなぜできないのか? 学校サイドや警察の建前会見を伝えて事足りとするのでは、「マスコミあって、ジャーナリズムなし」である。

理不尽な生活保護の拒否を「申請辞退」と伝えたNHKニュースの体質

 Aさんの話しを一通り聞いた後、私から次のような感想を伝えた。「同じような感想を私も持ったことがあります。先月、北九州市で生活保護を打ち切られた人がその直後に自殺するという事件が起こりました。その日の夜7時のNHKニュースは冒頭で、『申請を辞退した人が』と伝えました。これも弱い立場にある人間のうわべの言葉を右から左へ流すだけの行政加担報道と思えたので、すぐにNHKへ異議を伝えました。」

 この件については、昨年も北九州市で同様の事件が起こっている。それを機に昨年10月に弁護士、研究者、住民ら300人が参加した調査団が同市を訪れ、3日間に渡って生活保護行政の実態調査を行っている。そこでは、厚労省も容認した、申請時に弁護士が同席することを北九州市が拒んでいる点などが問題にされた。

 今回も申請者の就労可能性について、主治医は「仕事をしていいとは言っていない」と語り、行政側の言い分と食い違いが出ている。事件後、不本意に申請を拒まれたことに対する怒りを記した申請者本人の記録も発見されている。こうした事実経過を踏まえ、事件後、弁護士らが理不尽な生活保護行政を告発する訴訟を起こしている。

 こうした事件の背景をNHKが知らないはずはない。その上で、ニュースの冒頭で「申請退」者と表現したことは、言葉の選択の次元の問題ではなく、時の政治・行政を監視するというメディアの使命をNHKがなにほど自覚しているかが問われる深刻な問題といわなければならない。

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