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古森重隆氏に献呈したい荘宏『放送制度論のために』

戦後放送法の初志を綴った荘宏『放送制度論のために』

 ここ数回、NHK経営委員会ならびに古森経営委員長の言動を論じてきた。これについて、もう少し掘り下げた考察をしなければと思い、参考資料にあたっていく中で、以前、このブログでも紹介した荘宏『放送制度論のために』(1963年、日本放送出版協会)を読み返したところ、示唆に富む記述が随所にちりばめられていることがわかった。と同時に、戦後、郵政省電波監理局次長として放送法の制定にかかわった荘氏のこの書物を誰よりもまず、現経営委員、とりわけ古森委員長ならびにNHK執行部や番組制作現場の諸氏に熟読してほしいものだと痛感した。そこで、この書物のどこを味読してほしいかを記すことにした。このブログにアクセスしていただいた方々のご参考にもなれば幸いである。

「政治的公平」は摩擦を避ける「守りの公共放送」を意味しない

 9月11日のNHK経営委員会で古森委員長は、選挙期間中の歴史ものなどの放送は微妙な政治的問題に結びつく可能性があるとし、不偏不党、政治的中立に留意するようNHK執行部に要請した。この発言の重大性については、このブログの9月29日付けの記事で取り上げたが、10月5日付けの『朝日新聞』、『読売新聞』、『毎日新聞』、『東京新聞』でも大きく報道された。また、翌6日の『毎日新聞』夕刊の「ブロードキャスト」欄(萩野祥三筆)でも、「では、『歴史もの』が『微妙な政治的問題に結びつく」とはどのようなことを言うのだろうか。これについて委員長は語っていない。事例に即して、言葉を尽くして説明していただきたい」と問い詰めている。全うな理性がかよった直言である。

 ただし、ここで注意しなければならないのは、古森氏が個別具体的な番組を挙げて、どこがどう問題だったのかを説明しなかったことだけが問題なのではないという点である。むしろ、注意すべきは今回の古森氏のような発言がさまざまな方面からNHKに向かって繰り返されることにより、「政治的に対立するテーマは避けるに越したことはない」という「守りの公共放送」へNHKを追いやる恐れがあるという点である。古森氏の発言もそうした委縮・牽制効果を見越したものと考えるのが正解であろう。

 荘氏は上記の書物のなかで、放送法(現行法では第3条の2の第2項)が謳った「政治的公平」の意味を次のように解説している。

 「この規定は一見政治的な不公平を避ければよいとの消極的制限の規定にとどまるかのように見える。しかしながら政治的な公平・不公平が問題となるのは意見がわかれている問題についてである。そこで本号では第4号との関連において、単なる消極的制限のみの規定ではなく、政治的に意見の対立している問題については、積極的にこれを採り上げ、しかも公平を期するように各種の政治上の見解を十分に番組に充実して表現していかねばならないとしているものと解される。」(136ページ)

 荘氏のこの見解は補足説明を必要としないほど明快である。わが国のメディア界には、ベンジャミン・クリフォードから「臆病の構造」と揶揄されるように、意見が対立したテーマを避けようとする保身の体質が染み付いている(ベンジャミン・クリフォード『日本のマスコミ「臆病の構造」』2005年増補版、宝島社)。「政府との距離感について例えれば、BBCは『闘う公共放送』、NHKは摩擦を避ける『守りの公共放送』」(柏木友紀「公共放送と政治の圧力 戦争報道にみるNHKとBBCの相違点」『AIR21』朝日総研リポート、2005年4月、72~73ページ)といわれる所以である。

 しかし、放送法が言う「政治的公平」は<意見が対立するテーマは避ける>ことを求めたのではない。それどころか、荘氏も説明しているように、<意見が対立しているテーマだからこそ、積極的に取り上げ、市民に判断の材料を提供するよう求めている>のである。これについて、荘氏は同じ書物の「放送の目的」に触れた箇所で次のような説明をしている。

公共放送は民主主義を成熟させる「言論の広場」

 政治運営に不可欠な常識の普及 (前略)この政治のあり方を決定づけるものは主権者たるわれわれである。すなわちわれわれは国会議員などの議員を選挙し、その活動ぶりを注視し、議決された法律・予算等を理解し、政府その他の行政当局の施策を知ってこれに基づいて行動するとともに、これを批判し、立法及び行政について希望を表明し、さらに次の選挙における意思を固める。・・・・・・民主主義国家が完全に運営されるためには、国民にあまねく高度の常識が普及していることが必要である。放送はこの目的のためにその機能を発揮しなければならない。」(荘、前掲書、148ページ)

 また、公共放送と政治との距離について荘氏が次のように記していることも記憶に留められるべきであろう。

 「放送法は、放送番組の編集について、国家の行政権力による干渉規制をきびしく排除している。このことは・・・・・NHKたると一般放送事業者たるとを問わない。
 NHKについては、それが法律によって特に設立され、国の手厚い保護と特別の監督下にあるがために、人は往々にしてその番組は国の特別の監督ないし規制の下にあるかのように誤解する。
 しかしその事実は全くない。放送法は、換言すればそこに現れた国民の放送による利益を確保するためにNHKの表現の自由を確保する必要を認めているのである
。」(荘、同上書、220~221ページ。下線は醍醐追加)

 「現行法を制定し、十余年の長きにわたってこれを改変を加えずに維持しているわが国民の叡智はお互いに自負してよいと思われる。また直接法律制定に参加し、またその後改正提案をしようとすればできた国会議員・政党・政府が、民主主義を守るために共通の広場としての放送の中立性・独立性を確保してきたことは高く評価されるべきである。」(荘、同上書、221ページ)

 こうした荘氏の解説から読み取らなければならないのは、放送法が「放送の不偏不党」を謳うことによって、誰のどういう利益を守ろうとしたのかという点である。

「放送の不偏不党」に関する古森氏の皮相な理解

 9月11日の経営委員会で、古森氏は、

 「NHKは、放送法で不偏不党が謳われているわけですから、政治的に中立でなくてはいけません。その観点から選挙期間中の放送については、特にバランスを考えていただきたいと思います。」

と発言している。ここから古森氏は、不偏不党=中立、と理解していることが読み取れる。往々見受けられるこうした解釈は一般視聴者ならともかく、NHKの監督機関の長の発言としてはお粗末である。

 そもそも、放送法には「中立」という言葉はどこにもない。ちなみに「不偏不党」を謳った放送法第1条第2項の規定は次のとおりである。

 「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」

 つまり、放送法が謳った「放送の不偏不党」は、国家が放送(事業者)を縛るための手段としてではなく、国家、政党等の介入から放送事業者の「表現の自由」を守る手段、言い換えると国家を縛る手段として定められたのである。そして、放送事業者に「表現の自由」を与えた趣旨・目的はなにかといえば、放送法のその後に置かれた放送法制定の目的――「放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」――ためであって、放送事業者の気ままな番組制作・放送を許すためではないことは言うまでもない。

 このように理解すると、日本放送協会史が放送の不偏不党について次のような説明を付しているのはうなずける。

 「放送法第1条(目的)には『放送の不偏不党、真実及び自立を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」の規定があり、これを放送事業者の義務と解釈する向きがあった。しかし、保障する主体は放送事業者ではなく公権力であり、これは国家が放送に介入しないように定めた規定である、というのが憲法学者たちの大方の見解である。」日本放送協会編集・発行『20世紀 放送史(下)』2001年、350ページ)

再び政府・軍部の意思を伝える「通路」に成り下がらないために

 もっとも、社史にこう記されているということと、20世紀のNHK(日本放送協会)が、この解釈どおりの放送に徹してきたかは別問題である。それどころか、第二次世界大戦中の日本放送協会の実態が次の記述にあるように、大政翼賛報道はあっても論評を放棄した疑似ジャーナリズムに堕落した苦い経験を経て、国民からの負託として放送の自由を与えられたことを忘れてはならない。ましてや、NHKの「外部勢力に対する抵抗力を強め」(荘、前掲書、233ページ)る合議機関の長たる古森重隆氏が、特定の政治勢力の意向に沿うかのような放送への政治介入発言をNHKの内部から行うのでは、経営委員長として失格の烙印を押されてもやむを得ない。
 
 「1925(大正14)年にラジオ放送を開始して以来、戦前、戦中のわが国のラジオはジャーナリズムではなかった。・・・・・・ジャーナリズムの定義を『時事的な事実や問題の報道と論評の社会的伝達活動』と定義するならば、戦前、戦中のラジオには『報道』はあっても『論評』はなかったからである。・・・・さらにその報道も、放送局独自の取材による報道ではなく、太平洋戦争下では国策通信会社である同盟通信からの配信であり、放送は政府・軍部の意思を伝える通路にすぎなかった。」(竹山昭子『戦争と報道』1994年、社会思想社、17~18ページ)

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