« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

了解にはほど遠い――NHKの自主自立を脅かす放送法改定法案――

放送法改定法案審議入り

 前国会で継続審議となった「放送法等の一部改正法案」が今日(29日)から衆議院で審議入りすることになった。私が入手した情報によると、衆議院での審議日程は次のとおりである。

 11月29日 14:00~17:00 提案理由説明、質疑、参考人招致の
              議決
 12月 4日 午前中 参考人(NHK会長、経営委員長、民放連会長、
              BPO理事長)の意見陳述・参考人に対する質
              疑
         午  後 質疑
 12月 6日 質疑・修正、委員会採決(?) 


法案の主な修正点

① 民放に対する行政処分条項の削除
② NHKのガバナンス強化に関しては、経営委員会による番組編集   への関与を禁止する文言を追加
③ 命令放送を「要請放送」とする点は変更せず、実施にあたって付   帯条件を付ける。
④認定放送持株会社への出資上限を原案の「2分の1以下」から、     「3分の1未満」に引き下げる。
⑤BPOの機能を強化する。


総務省焼け太り法案

  原案と対比すると、上記の各修正は改善といえることは確かである。特に、①の修正は、民放の放送番組のすべての分野(報道番組も含む)について、何が「虚偽」であり「事実」であるか、何を以て「国民生活への悪影響」ありとみなすかの判定権を総務省に与える条項を削除することを意味するから、重要な改善といえる。

 ただし、「引いたふりをして芽を残す」文言のあやとりをするのが官僚の習性であるから、実際の修正案を見届けないうちから、評価を先走るのは危険である。これは、かつて電気通信審議会、情報通信審議会で専門委員、委員として約10年間、官僚の素行を近くで見てきた私の経験から骨身にしみて感じる戒めである。

 しかし、上記修正が名実ともに実現するとして、それを以て法案の成立を歓迎できるのだろうか? これについて、11月28日『朝日新聞』朝刊は次のように論評している。

 「・・・・・・放送法改正案をめぐる自民・民主両党の修正協議は27日、NHKの経営委員会が個別の番組の編集には介入しないよう新たな文言を入れる方向で最終調整に入った。放送・表現の自由を尊重するよう求める民主に自民が配慮した。・・・・・古森委員長が参院選後の9月、選挙中の放送について『歴史ものなど政治的問題に結びつく可能性もあり、ご注意を』と発言。個別番組を想定した発言とも受け止められ、NHK内外から批判が出ていた。修正では、個別番組については経営委の権限の対象外と明記する方向だ。」

 しかし、私は上記の修正点②を以て、「放送・表現の自由を尊重する」ことが担保されたとはとても思えない。なぜなら、こうした修正だけでは、

 ①新設される監査委員会メンバーとなる一部の経営委員に強大な権限を集中させる結果、合議機関としての経営委員会全体のガバナンス機能がむしろ弱まる恐れがある点、

 ②強化される経営委員会の権限の運用細則を国会審議を要しない総務省令で定めることになっていることから(注)、経営委員会を通じてNHKに対する総務省の間接介入が強化される仕組みになっている点、

は不変だからである
(注)詳細は、このブログに掲載した次の記事を参照いただきたい。

放送法「改正」法案の実態は「総務大臣の権限拡大」法案
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_dfeb.html

 国会の場でこうした点が十分検討され、将来に禍根を残さない審議が尽くされることを要望したい。

| | コメント (0)

フェルメール展に出かける

 「レトリック会計学を超えて――M&Aの会計を題材にして――」
 日本大学経済学部でゲスト・スピーチ

 さる22日、日本大学経済学部の今福愛志氏のお招きで、同学部の会計学関係の院生、学生ほかの皆さん相手に表題のような話をさせてもらった。スピーチ用に用意したレジュメを掲載しておきたい。

「レトリック会計学を超えて――M&Aの会計を題材にして――」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/retorikku_kaikeigaku_wo_koete.pdf

 私が「レトリック会計学」と呼ぶのは、

1.論証すべきことを前提に滑り込ませて、特定の結論を、それとは意識させず誘導する議論、
2.論証すべき難問を、用語の置き換えで論証・説明できたかのような錯覚をふりまく議論、
3.論証の過程に非学問的な感性に訴える用語を挿入することによって、論証の飛躍を取り繕おうとする議論

を指す。

 オランダ風俗画展で考えたこと

 ところで、日大でのスピーチは午後3時からだったので、前日、急に思い立ってその前の時間を利用して連れ合いと乃木坂にある国立新美術館で開かれている「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」に出かけることにした。本展はアムステルダム国立美術館に所蔵されるオランダ美術コレクションの中から選ばれた、女性のイメージを描いた油彩画40点、素描・水彩画9点、版画51点で構成されている。館内はオランダの風俗画を17世紀から19世紀後半までに時代区分して配列されていた。

 展示された作品の大半は台所や炉辺で調理や裁縫にいそしむ女性(使用人)の姿を写実したものだった。平日とはいいながら、相当な人出で館内はあちこちで人の流れが滞っていた。

 海外に出かけた時は滞在先の美術館やコンサートによく出かけるが、美術館に展示された作品のほとんどは聖書や古典を題材にした宗教画である。その生活感の希薄さに私はなかなかなじめないのが常である。絵画の世界では、風景・風俗画を、眼に見える世界を単に模倣したものに過ぎず、独創性も高尚な理想・思想もない一段劣った作品とみなす伝統が根付いているらしい。

 そういえば、パリのマルモッタン美術館へ出かけて、印象派の巨匠とされるクロード・モネの「印象・日の出」に出会ったとき、ある評者がこの作品を「単に印象を描きだしただけの作品にすぎない」と酷評したのが「印象派」という名称の始まりだと知った。

 しかし、もともと写実的作品に親近感を感じる私には、ヨハネス・フェルメール<牛乳を注ぐ女>とともに、ヨーゼフ・イスラエルスの<小さなお針子>、ニコラース・ファン・デル・ヴァ-イの<アムステルダムの孤児院の少女>、ヤン・エーケルス2世<ペンを削る男>などの作品に魅かれた。

 どこにでも見られる台所で働く女性の姿にドラマ性は全くない。そこから伝わってくるのは、≪静寂≫、≪ひたむきさ≫だけである。ちなみに、出口近くの売店で買い求めた展覧会解説書によると、<小さなお針子>を描いたヨーゼフ・イスラエルスについて、次のように記されていた。

 「ヨーゼフ・イスラエルスは下層階級の日常生活を描いた最初の19世紀オランダ画家の一人であった。とはいえ、彼の絵画は、何らかの社会批判を含むものではなく、むしろ貧困を空想的に美化する傾きがあったことを付け加えておかねばならない。この傾向は、当時の中産階級の都市的な環境からは消えつつあった古い儀式や習慣に対する懐古的な願望から生じてきたものである。」

 しかし、そうだとしても、台所で働く使用人を、脇役としてではなく、正面に据えた作品がこれほど多く描かれたということは、華やかな中産階級の生活の陰にうずもれてしまいがちなこうした女性の存在に深い関心を注ぐまなざしがあったからに違いない。展覧会は12月17日まで。

 出口で連れ合いと交互にポスターを背に写真を撮った後、近くにいた係員に教えてもらった近道を抜けてメトロの乃木坂駅へ向かった。

2007_11240072_6

| | コメント (0)

次期NHK会長選出に視聴者の声を――賛同署名の呼びかけ――

 来年1月で任期切れとなるNHK会長の後任人事が注目されている。なぜ注目されるのか、私はその理由を次のように考えている。

 ①本来、NHK会長には放送文化の担い手たる公共放送の最高責任者にふさわしい高い見識が求められる。また、NHK会長は健全な民主主義を発展させる言論の広場としての公共放送の「顔」ともいうべき役職である。目下、巷間で名前が取りざたされている人々が、このような役割を担うにふさわしい人物であるかどうか、広く視聴者の間で議論を喚起する必要がある。

 ②2年半前に内部告発によってETV番組への政治家の介入が発覚したが、その後もNHK執行部はこの問題について明確な自省の態度を示していない。また、菅前総務大臣が放送への行政介入を制度化する放送法改定法案を国会に提出し、継続審議となっている。その中でNHKに対しては、ガバナンス強化を謳い文句に、一部経営委員に権限を集中させたうえで、その権限行使の大枠を国会審議を経ずに制定できる総務省令で定めることを可とする条項を盛り込まれている。また、看板を書き換えただけで国際命令放送を維持する条項を盛り込んでいる。こうしたことから、次期NHK会長には政治との距離をどう保ち、放送の自主自立をいかにして堅持するかという重い課題が待ち受けている。

 ③加えて、会長任命権を持つ経営委員会の委員長に安倍前首相の人脈で古森重隆氏が任命されたほか、かつて安倍前首相をめぐる係争事件で安倍氏の代理人を務めた人物が経営委員に就任した。そして、懸念されたとおり、古森氏は9月に開催された経営委員会で、「選挙期間中の歴史物の番組は慎重に」などと、特定の政治的立場を代弁するかのような放送への干渉発言をおこなった。

 こうした状況の下で次期NHK会長にどのような人物が選ばれるのかは、NHKの体質に甚大な影響を及ぼすと考えられる。それだけに、視聴者の厳しい監視と意見発信がこれまでになく強く求められている。

 そこで、私が参加する「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は親しく共同行動を取ってきた「放送を語る会」、「日本ジャーナリスト会議」のメンバーと協議をし、経営委員会に対し、下記のような申し入れを提出することにした。目下、この申し入れに関する賛同の署名を呼びかけている。

 1126に署名簿を添えて代表がNHKへ出向き申し入れを提出することになっている(次回NHK経営委員会が翌27日に開催されるのに合わせた期限設定である)。この申し入れに賛同くださる方は至急、次の方法で署名をお送りくださるよう、お願いしたい。

 なお、この署名は1125日以降も、次々回NHK経営委員会(1213日)に向けて継続するので、今回、間に合わなかった方もぜひ、お願いしたい。

 なお、この申し入れには、これまでに次の方々が賛同されている(敬称略)。

  桂 敬一(元立正大学教授)    松田 浩(元立命館大学教授)
  服部孝章(立教大学教授)     田島泰彦(上智大学教授)
  林 香里(東京大学准教授)    野中章弘(アジアプレスネット                        ワーク代表)

WRB署名の方法

   下記の「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」のホームページに設定された署名入力フォーマットに記入の上、送信してください。
   http://space.geocities.jp/shichoshacommunity/

****************************************************
                              20071126

          
NHK次期会長選出に際しての申し入れ

NHK経営委員会 委員各位

 経営委員各位におかれましては、公共放送の経営と放送番組の向上のために、日夜ご精励のことと拝察いたします。

さて、一連の不祥事などに端を発したNHKの経営危機を克服すべく、NHKの新生と改革、視聴者第一主義を掲げて会長に就任した橋本元一現会長の任期が、来年1月末に切れます。

私たちは、公共放送NHKが国民的な世論形成と、放送の文化的役割を果たすうえで極めて重要な責任を負っていることを思うとき、次期会長の選出のあり方に重大な関心を寄せざるを得ません。

わが国ではこれまで会長の人事は、政府の意向や一部関係者の間で水面下で進められ、受信料でNHKを支える主権者としての視聴者・市民には、会長選出の経過すら知らされて来ませんでした。

公共放送の会長選出については、英国や韓国などの先進国で、会長の公募制や推薦制が実施され、新聞紙上などで活発な論議が交わされており、日本でも、現行放送法の枠内で、経営委員会の裁量で公募制を採用し、民意を代表する優れた人材を選ぶ道は開かれていると、私たちは考えます。

私たちは、NHK次期会長の選出に当たっては、会長の任命権を持つ貴経営委員会が、何にもまして視聴者・市民の意向を尊重しつつ、会長候補の公募制に踏み切り、広い視野から公共放送の責任者としてふさわしい適格者を選ぶ努力をされるよう、次のように申し入れます。

                   申 し 入 れ

 一.会長の選出基準については、ジャーナリズムと放送の文化的役割についての高い見識を持ち、言論・報道機関の責任者として、放送の自主自立の姿勢を貫ける人物であるかどうかを判断の柱にすえること。

二.会長選出の審議経過の議事録を公開し、説明責任を果たすこと。

三.経営委員会が公募した会長候補の中から会長を任命する公募を採用すること。

以 上

| | コメント (0)

自ら企画・提案した事項を自ら議決・監督するという一部のNHK経営委員の珍妙な法解釈

誤解をしているのはどちらなのか?
――自らの権限拡大に執心する経営委員――


 NHK経営委員会のホームページに掲載された同委員会の第1053回会合(平成19年10月9日開催)の議事録を読むと、経営委員会の権限の範囲は監督機能にとどまるのか、重要事項を企画・提案し発議する機能まで含むのかをめぐって、一部の経営委員とNHK執行部との間で長い議論が交わされている。その中に次のようなやりとりがある。文中のカラーと下線は筆者の追加である。

古森委員長) “2ボード制”と言うと、どちらも対等であるようにとる向きもあります。そういういうことではなくて、そもそも機能が違うのですから、こうしたガバナンスの根幹にかかわることについては、誤解を受けないようはっきりと言っていただきたいと思います。

小林委員) 経営委員会が、NHKの最高意思決定機関であることは、衆・参議院の総務委員会でNHK予算を承認する際の附帯決議にも書かれていますが、会長以下執行部は、監督機能だけを強調されて、妙にこのことを口にされないように感じます。経営委員会が最高意思決定機関であることについては、異存はないですね。

橋本会長) 異存ありません。

原田専務理事執行の役割と議決の役割と、そこを踏まえるということだと思います。

小林委員) それからもう1つ、「経営委員会や経営委員が、みずから業務の運営に関する重要事項を企画・立案し、経営委員会の場で提案して、決定する権限を有する」という放送法の解釈は、7月の経営委員会で確認されましたが、これもよろしいですね。今一度確認したいと思います。 

原田専務理事) 経営委員会が決定するという役割はそのとおりですが、あらゆる事項についてみずから企画・立案をして、みずから決めるということではないと思います。

永井副会長
経営委員みずからが企画・立案なさった場合に、どなたがよいと判断されるのでしょうか?

 要するに、古森氏、小林氏ら経営委員は自分たち経営委員会の方がNHK執行部より、「偉いのだ」ということを認めるよう執行部に執拗に迫っているのである。

 しかし、ここで重要なことは、どちらが上か下かではなく、放送法第13条2項で定められた経営委員会の権限、すなわち、「重要事項を決定する権限」を「重要事項を
企画・立案し、提案して決定する権限」というように読み替えようとする小林氏らの法解釈論の是非である。最高意思決定機関と呼ばれているから、経営委員会には議決権だけでなく、企画・立案・提案権もあると主張するのは弁護士にしてはあまりに粗雑な議論である。

 永井副会長や原田専務理事ならずとも、提案(発議)した者が議決し、その執行状況も監督するというワン・ボード・システムが組織のガバナンスの常識から外れたものであることは、近年の民間企業における取締役会改革が明瞭に示している。


執行機能と監督機能の分離は組織のガバナンスの常道

 これまでわが国では、取締役会は会社法上、業務執行の権限と取締役の業務執行を監督する権限をあわせ持ってきた。これとは別にわが国では監査役を設置してきたが、有効に機能してきたとはいえなかった。そこで、新会社法は大会社たる公開会社でいうと、従来と同様の機関を組み合わせた「監査役設置会社」と、監査役制度に代わって社外取締役を中心に構成される3つの委員会(指名委員会、監査委員会、報酬委員会)と執行役を設置する「委員会等設置会社」のどちらかを選択できることにした。

 このような新しい機関設計が導入されたのは、これによって従来、取締役会に混在していた業務の執行機能と監督機能を分化独立させることに眼目があった。つまり、新しく導入された「委員会等設置会社」においては、執行役は取締役会からの委任を受けて会社の重要事項を決定し執行する機能を担う一方、取締役会は業務執行や業務上の意思決定は行わず、それを執行する代表執行役あるいは執行役を監督する職務を担うことになった。いうなれば、業務の執行と監督の分離を明確にすることによって権限と責任の帰属を徹底し、以て会社のガバナンスが有効に機能することを意図したのである。

つまり、営利か非営利かを問わず、業務の執行機能と監督機能の分離は組織のガバナンスのイロハである。そうした経営の常道を、この期に及んでNHK執行部がにわかに言い出したかのように描く古森氏らの発言の方が、よほど経営のトップの地位にあった経済人の発言としては珍妙である。業務計画を企画・立案・決定した組織がその業務の執行状況を監督するとしたら自己監査以外の何者でもなく、監督の体をなさない。

 また、古森委員長や小林委員は、NHKが執行機能と監督機能からなる2ボード制を採用していると説く橋本会長らの発言をイレギュラーな解釈かのように問い詰めているが、こうした解釈は放送法が制定された時点で想定済の通説であった。国会議事録でこの点を確かめておきたい。

執行機能と議決・監督機能の分離は放送法制定史からも明らか

政府委員〔綱島毅君〕) (日本放送協会は)この法律によって・・・・・現在の社団法人日本放送協会から継承するところの財産を運用しまして、経営委員会という議決機関、会長その他の執行機関等を持つところの特殊な法人でございます。・・・・・
 協会の業務の経営を民主的に行うために、協会には先程申し上げました経営委員会を置きまするが、この経営委員会は、協会の経営方針を決定し且つその業務の運営を指導統制するものでございまして・・・・・・」(第7回国会参議院電気通信・文部委員会、昭和25年2月15日)

 こうした政府答弁がその後の国会審議の中で踏襲されている。なお、この件に関して、1958年の第28回国会参議院逓信委員会の場で田中角栄国務大臣(当時)が、同国会に提出された放送法改正法案の審議の中で次のように答弁しているのも注目される。

国務大臣〔田中角栄君〕) ・・・・・会長が経営委員会に入っておって表決権を持つということは非常に便利なようでありますが、これは責任が非常に不明確になるのです。・・・・・でありますから、私は行政機関の責任者は総理大臣だ、こういうふうにやっぱり明確に規定しなければいかん、あいのこのような考え方はいかん、こういう考えで会長を経営委員会からはずしたのです。そうして経営委員会も現行法では指導統制でありますが、重要な問題に対してだけ決定するという意思決定機関としての明確に規定を分けまして・・・・・、意思決定機関と執行機関の責任者は当然責任が分かれておらなければいかぬということで、経営委員会からはずしたのであって・・・・・・。」

 ここからも、放送法の制定当初からNHKの機関設計については業務執行機関としてのNHK執行部と業務に関する重要事項の議決・監督機関としての経営委員会の権限と責任の区分に強い関心が向けられていたことがわかる。この意味で上記のNHK会長以下の執行部の2ボード制論は放送法の制定経過を知るものにとっては至極当然の解釈なのである。古森委員長、小林委員は「自分たちの方が上だ」と高圧的にふるまう前に放送法をその制定史も含めて勉強することが急務である。

| | コメント (2)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »