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民意からかけ離れたNHK会長人事(2・完)

 経営委員会に民意が反映されなかった構造的原因

 では、経営委員会によるNHK会長選びが民意とかけ離れた原因はどこにあったのだろうか? 個別的な事情を別にすると、次のような構造的原因が存在したように思える。

1.財界出身者に偏した委員構成
 
 現在の経営委員12名中4名が経済界のトップ(会長、社長)である。これらの委員に、「報道機関であるNHKの会長に財界代表はふさわしくない」という指摘を、わが身を省みながら、冷静に咀嚼する素地があったのか疑問である。最近NHKは、ワーキングプアや地球温暖化対策など、現代の日本の経済界が抱える深刻な問題をテーマにした良質の番組を制作している。これらのテーマはどれも財界の雇用政策、環境保護政策の負の側面を取り上げた部分が少なくない。NHKの執行機関と監督機関の双方のトップを財界出身者が占めたことが、こうした番組の企画立案に陰に陽に影響を及ぼすことはないか、視聴者の厳しい監視が必要である。

2.政治からの自主自律の資質に懸念を抱かせる委員構成

 現経営委員のうち、古森委員長は上記の各紙社説の多くが指摘しているように、経営委員としての出自からして安倍前首相による政治任用という評価が定着している。このことは、古森氏の存在それ自体が経営委員会の政治からの独立性に対する信認を損ねる宿罪となっていることを意味する。

 現に古森氏は参議院選挙で与党が大敗して間もない9月に開かれた経営委員会で、選挙期間中の歴史ものの番組などは微妙な政治問題に結びつく可能性があるので、いつも以上に慎重に、と政治的牽制と取れる発言を行い、各方面から批判を浴びた。そして、これがきっかけになって、国会で審議中の「放送法等の一部を改正する法律案」に対する修正条文第16条2として、経営委員会は個別の放送番組の編集等、協会の業務を執行することはできない、との条文が追加された。

 また、小林英明委員はかつて安倍晋三氏に関わる裁判で安倍氏の代理人を務めた弁護士であったことが判明した。

 しかし、考えてみれば、経営委員会は対外的には、外部からの干渉・圧力からNHKを守る防波堤の役割を担っている。その経営委員会自身について、個別の放送番組への介入を禁じる法律が新設されなければならなかったというのは、たとえていえば、番犬が悪さをしないよう監視するために別の番犬を連れてくるようなものである。  

3.各経営委員の独立不羈の資質の欠如

 今回のNHK会長選考の経過を振り返ると、古森委員長は9月にNHK執行部がまとめた次期経営計画案を却下した後から、水面下で意中の会長候補に次々と受諾の意思を確認し、延べで財界人など2けたの人物にあたったと言われている。しかし、古森氏がこれらの人物に打診するにあたって、事前に経営委員会に諮り、会長候補とする了承を得ていた形跡はない。

 福地氏の場合も直前の経営委員会で名前を明かすよう求めた委員の意見を拒み、次回の会合で面通しの紹介をする、その折には会長として否認されると本人のメンツが潰れるから困る、と発言したと伝えられている。これでは、『北海道新聞』社説も指摘したように、「自分の推薦候補を黙って承認せよ」と迫ったに等しい。

 このような 横暴極まりない運営を強行した古森氏もさることながら、それをむざむざと追認した他の経営委員(古森氏の独断的運営を告発した2名の委員を除く)のふがいなさには開いた口がふさがらない。これでは、NHK会長選考は、古森委員長の「意中の人」を追認する場と化していたと言っても過言ではない。一人一人の委員が独立不羈の精神を持ち合わせないようでは合議機関の体をなさない。

 経営委員の任命にあたって指名聴聞会の制度化を

 韓国では、大統領が総理を任命するにあたって、国会で指名聴聞会が開かれる。その場で候補者の経歴、所信等をめぐって質疑が交わされ、それを判断材料として大統領の提案に同意するかどうかを国会が決定するのである。

 日本でも、一部の政党から、国家公安委員を警察庁が作成した候補者リストを国会が追認する仕組みを改め、候補者に国会の関係委員会への出席を求めて経歴、資質、専門性等を質疑する場を設けるよう提案がされている。これによって、公安委員会の警察庁からの独立性を確保し、後を絶たない警察不祥事に対する監督を実効あるものにするのが眼目である。

 同じことは国会同意人事の一つであるNHK経営委員にも当てはまる。誰がどこで作成したのかも不明な委員候補のリストがさしたる審議もないまま同意されてきたこれまでの慣例を変えて、「ねじれ国会」の副産物として、こうした指名聴聞会を制度化することは大いに検討されるべきである。

 これによって、経営委員候補の専門性、特定の利害関係の有無等を判断する材料が整い、国会同意人事の実を挙げる一助になることは間違いない。もっとも、このような改善された形にせよ、経営委員の人選に国会が関与することが適当かどうかという根本問題は別途検討される必要がある。

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民意からかけ離れたNHK会長人事(1)

 政府に歓迎され、総務省にベストと称賛されたNHK会長選び

 NHK経営委員会は12月25日に開かれた会合で、賛成10名、反対2名の議決で次期NHK会長にアサヒビール相談役の福地茂雄氏を選出した。今回の会長人事は途中で2名の委員が古森経営委員長の強引な委員会運営に抗議の記者会見を行うなど、これまでとは様変わりの経過をたどった。

 問題は「様変わり」の中身である。それを探る判断材料になるのは、福地氏で決着した今回のNHK会長人事を誰が歓迎し、誰が疑問を呈しているかである。次の節で紹介するように、福地氏の名前が表面化した段階から、多くの全国紙、地方紙は古森氏の主導で進められた選考に強い疑問を投げかけた。これと対照的に、福地氏に会長が決定したのを受けて、総務省関係者は次のように反応したと報道された。

 「総務省内には、ほっとした空気が広がった。総務相経験者は『来年任期が切れる日銀総裁の人事よりよっぽど国民にとって関心事だ。』ある幹部は『考えられる中でベストの結果。混乱して年越ししても、何もよいことはない。2票は仕方ないにしても、10対2で決まったのもよかった。』」(『朝日新聞』2007年12月26日)

 また、町田官房長官は12月26日午前の記者会見で次のように述べたと報道されている。

 「残念ながら今の執行部は国民の期待に応える実績を上げてこなかったのではないか。思い切った政策転換をしてもらうことが大切だ。今回の判断は評価していい。」(YOMIURI ONLINE 2007年12月26日、12時41分)

 それにしてもNHKをはじめとする公共メディアは時の政治と緊張関係を保ち、権力の行使を監視する番人としての使命を負っている。その公共放送のトップを選ぶ人事の顛末を監視される側の政府、行政当局に称賛されるという奇妙な構図ーーーこれこそ、今回のNHK会長人事の本質を如実に物語っている。まさに「問うに落ちず、語るに落ちる」である。
 
 多数の全国紙、地方紙が危惧・批判を表明

(1)両論併記の社説

 では、マスコミは今回のNHK会長人事の顛末をどのように評価したか。それを確かめるために、ひとまず全国紙、地方紙の社説を調べてみた。地方紙のすべてを確かめたわけではないが、私が調べた限りでは今回の会長人事の経過、結果を上記の町田官房長官や総務省関係者のように称賛した社説は皆無だった。

 その中には、福地氏への期待と懸念を両論併記する論調もあった。読売新聞』の12月26日付の社説はその典型例である。

 「会長の外部起用自体は悪くない。過去には池田〔芳蔵〕氏のほかにも、新聞社や官僚OBも会長に就いている。報道の現場を知らないことを懸念する向きもあるが、技術畑の橋本会長に対しても同じような見方があった。」

 「しかし、経営委員会と執行部のトップがともに効率ばかりを追求すれば、良質で公正な番組づくりに制約が加わることになりかねない。NHKは国民の受信料で運営されている公共放送だ。それを常に念頭に置いて経営にあたる必要がある。」

(2)財界に偏重した選考に批判を向けた社説

 しかし、社説の中で顕著なのは、古森氏の主導で進められた今回のNHK会長の人選が経済界に偏重した点を厳しく批判した社説が多数見受けられたという点である。その中からいくつかの例を摘記しておく。

 「NHK会長 自主自律の人を透明に
 報道機関であるNHKの会長に財界代表はふさわしくない。政治との距離が近すぎる人による強引な選考も視聴者の期待に反する。放送の自主自律を貫ける人を透明な手続きで選ぶべきである。・・・・・・・・
 福地氏の適否はともかく、古森委員長主導の新会長選びは財界人中心で経営の視点を偏重している。古森氏はNHK会長も企業経営者も、求められる資質は同じであるかのような発言をしているが、会長は決して会社の経営者ではない。・・・・・・・
 経営面に偏った舵(かじ)取りは新生プランを空文化し、放送文化を圧殺してしまうだろう。」(中日新聞』2007年12月22日)

 「NHK会長 疑問にどう答える
 “福地NHK”が進む方向を今の時点で見通すのは難しいとしても、経営委員長と会長の2人とも財界出身でバランスが取れるか、心配になる。NHKはそうでなくても政治からの圧力にさらされている。報道機関として筋を通すために、言論界や報道界、文化人から選ぶ方法もあったのではないか。」(『信濃毎日新聞』2007年12月26日)

 「NHK新会長 改革は視聴者の目線で
 唐突であり、12人の委員のうち2人が『人選のプロセスが不透明』と会見を開いたほどだった。しかもふたを開けてみたら『お友達』とやゆする声が出るほど近い関係の人である。これで、NHK本体と、それを監視する経営委との緊張関係が十分保たれるのだろうか。
 ・・・・・・ジャーナリズムとほとんど無縁の人であるのも気掛かりだ。NHKはこれまでも政治との距離が議論を呼んできた。だからこそ、いくら政治からの風圧を受けようと、それに屈することなく現場を守る骨太の気慨がトップには求められる。これまで主に営業の畑を歩いてきた財界人に、それが期待できるだろうか。」(『中国新聞』2007年12月27日)

 「NHK会長 視聴者忘れた混乱では
 二委員によると、〔古森〕委員長は自分の推薦する候補を委員会で紹介する考えを示し、『そこで否定されると本人のメンツがつぶれる』と語ったという。事実なら『自分の推薦候補を黙って承認せよ』と迫ったに等しい。・・・・・・
 NHKは報道機関である。政治家との距離を疑問視されてはいても、政治介入は断じて許されない。加えて、経済効率や経営力学だけで公共放送を運営できるとは思えない。」(北海道新聞』2007年12月23日)
 
 「NHK新会長 経営委員会の見識を疑う
 私たちはこれまで社説で、『NHK会長は何よりも高いジャーナリズム精神の持ち主でなくてはならない』と述べ、財界人では務まらない、と主張してきた。・・・・・・福地氏は放送界にもジャーナリズムにも無縁だ。報道機関のトップとして適任とは思えない。」(朝日新聞』2007年12月26日)

 「NHK新会長 政治的中立性の確保が正念場だ
 古森氏は安部晋三前首相に近く、政権の意向を体現する形で執行部と対峙(たいじ)してきた。経営委の権限も放送法改正で強化された。その肝いりで起用された福地氏が政治的圧力をはねつけられるのか。執行部と監督機関のトップに気心の知れた財界人同士が座るのもいびつに映る。」(『愛媛新聞』2007年12月27日)

 「公共放送の使命を肝に
 最高意思決定機関であり経営監視役である経営委員会と執行機関、双方のトップが友人関係では、適度な緊張関係を保てまい。古森氏が安倍晋三・前首相の意向で送りこまれたことを重ねれば、NHKと政治との関係にも不安が一層募る。
 企業経営の実績はあっても放送にもジャーナリズムにも無縁な福地氏が会長に適任とは思えない。決定に賛同した経営委員は、公共放送を企業人に任せることに疑問がなかったのだろうか。」(『東京新聞』2007年12月27日)

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NHK会長人事をめぐる不可解な報道

 NHK会長人事が大詰めを迎えているが、これをめぐる最近の報道の中で見落とされている不可解な点を二つ、取り上げておきたい。

 (その1)経営委員会で名前も挙がっていない人物が有力候補と報道される怪

 古森重隆NHK経営委員長は「意中の人」=福地茂雄氏を来たる25日の経営委員会で一気にNHK会長として決定する腹づもりのようだ。しかし、「NHK会長、福地氏を軸に調整」という報道を見て、「おや」と感じた。

 というのも、古森氏は12月13日の経営委員会内の指名委員会で、「候補者のプロフィールを見てもわからない。自分の意中の候補者を次回25日の会合に連れてきて紹介する」と言っていた。これに対し、別の委員から「名前を挙げてほしい」と求められても「今は言えない」と拒んでいた。

 ところが、古森氏が「意中の候補者」を経営委員会に連れてくる前に、その人物の名前が堂々と新聞紙上に掲載されたのである。これは、水面下の会長候補打診に関わっている人物、あるいは打診の模様を知る立場にある人物が「意中の人」の名前を報道陣にリークしたと考えるほかない。

 私は複数のルートから、福地氏の名前が関係筋に打診され、了解を得たうえで報道に至ったという情報を得ている。

 しかし、経営委員会では名前を伏せる一方で、次の会合を待たず、マスコミに福地氏の名前が伝わり、新聞紙上で大きく報道されるとあっては、他の経営委員を侮辱する不謹慎極まりない行為である。

 (その2)総務省幹部の談話がなぜ消えたのか?

 12月19日午後から夜にかけて、菅原明子、保ゆかりの両経営委員が古森氏の独断的非民主的な会長選びに抗議する記者会見を開いたニュースがネット上で飛び交った。私もWEBニュースに目を通していたところ、asahi com が19日20時41分付けで掲載した「『委員長は強引』NHK会長選び、経営委員が異例の抗議」という記事の中に次のような総務省幹部談があるのが目にとまった。

 「両氏の主張を額面通りには受け取れないという見方もある。総務省幹部は『あの議事録は協力者なしに2人だけでは作れないだろう』とNHKの巻き返しを示唆。別の総務省関係者はあきれはてた表情で『くだらない内輪もめだ。だが、これで会長選びは白紙に戻ったのではないか』と語った(傍線は醍醐の追加)

 しかし、総務省幹部のこの発言は行政府から独立した組織であるべきNHK経営委員会の審議に対する露骨な干渉以外の何物でもない。経営委員会内での自らの少数意見が古森委員長の記者ブリーフィングで無視され、「全会一致」などと報道された上に、会合の議事録の公表も拒否されたとあっては、両委員が経営委員会の実態を視聴者に伝えねばという思いに駆られたのは無理からぬことである。このような両委員の行動を「くだらない内輪もめ」などと揶揄する総務省関係者の言動こそ、あさましい低次元の嘲笑である。

 ところが、上の記事を私が発見してから34分後の21時15分に、同じタイトルの記事を再度閲覧すると、下線部分が削除され、残りの部分だけが総務省関係者の談話として掲載されていた。翌日の『朝日新聞』でも当該個所は削除されまま掲載された。ちなみに、私は上記の二つの時刻現在の記事をどちらもコピーの上、保存している。

 ネット上で掲載された記事の一部が紙面に掲載される時に削除されるのは珍しくない。しかし、ネット上でまだ30分程しか経たないうちに総務省幹部の経営委員会に対する露骨な干渉発言が削除されたのはどのようないきさつからだろうか? 

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「視聴者コミュニティ」、NHK経営委員会に質問・要望書提出――古森氏の独断的人事強行を経営委員の良識で食い止めるよう要請

 今日(12月21日)、湯山哲守さんと私が共同代表を務める「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は広報担当運営委員がNHKに出向き、NHK経営委員会に宛てた次の文書を提出した。

 「次期NHK会長の選出をめぐる貴委員会の審議のあり方に関する質問と要望」
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kaicho_zinzi_situmon_yobo20071221.pdf

 その中の【質問5】と【要望1】を引用しておきたい。

 【質問5】 菅原委員が公表された議事メモによれば、12月13日の会合の最後で古森委員長は「その方(意中の候補者のこと:醍醐補注)の名前を教えてほしい」という菅原委員の求めに応じないまま、「次回、自分がノミネートした人物を連れてきて紹介する、しかし、そこで否決されると本人の面子がつぶれるから困る」と発言しておられます。

 5-1 この発言が事実とすれば、古森委員長はNHK会長を選考する会合に「意中の候補者を連れてきて他の経営委員に紹介する腹づもりと考えられます。しかし、人事を審議する場に候補を連れてきて紹介するという進め方を私たちは寡問にして知りません。

 なおかつ、古森委員長が事前にその人物の名前を他の委員に知らせることなく、面子をつぶされては困るから否決しないでほしいという趣旨の発言をされるに至っては、自分に白紙一任を迫ったのも同然です。

 このような古森委員長の不透明で独善的な議事運営を経営委員会は総意として了承されたのでしょうか? 

<5-2は省略>

【要望1】 上記の【質問5】で指摘した理由から、12月25日に開催される経営委員会の場で古森委員長が連れてこられるという人物を会長に選出されることは、あまりに乱暴で非民主的な審議の進め方と言わざるを得ません。当会は経営委員の皆様の良識において、そのような乱暴で非民主的な審議の進行を思いとどまっていただくよう、強く要望致します。

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NHK会長候補は財界人の間をタライ回しするポストなのか?

 昨夜、「次期NHK会長候補、アサヒビール相談役の福地茂雄氏で調整」というニュースがかけめぐった。古森経営委員会委員長は同日、福地氏起用で経営委員の理解を求める説得を始めたとも伝えられている。福地氏は福岡県出身で古森氏といっしょに米国視察にも出かけた親しい間柄という。

 しかし、古森委員長は前回の会合で「意中の人の名前を言ってほしい」という菅原委員の要望にも応じず、「次回、当人を連れてくる、その時否決されては当人の面子をつぶすので困る」と語ったという。これでは、他の経営委員は福地氏がNHK会長に適任かどうかをなにほどの材料を以て判断できるのだろうか?

 水面下での各経営委員に対する説得工作の有無は別にして、正規の会合での審議という意味では、いきなり候補者を連れてきて紹介し、「この人を信任してほしい」というやり方で即日決定するなどという議事進行をまかり通らせてよいのか? これでは 合議機関としての体をなさない。他の経営委員はこのような不十分な情報のもとでNHKの会長選出を強行決定しようというやり方を黙認したり、同調したりしてよいのか? 各経営委員は自らの良識が厳しく問われることを銘記すべきである。

 なによりも不可解なのは、古森委員長一人が、経営委員会の合意も経ない財界人に次々と会長受諾の意向を打診して回っていることである。そうしたやり方で福地氏が会長就任に前向きの回答をしたからといって、古森氏が福地氏を委員の前に連れてきて、「この人を否決して私の親友の面子をつぶされては困る」と一任を迫るやり方は常軌を逸している。こうした手法を独断的運営と批判するのは至極当然である。

 そもそも、なぜNHK会長候補を財界人に絞って打診するのか、その選考理由が全く明らかにされていないし、古森氏が連呼する「思いきった改革」の中身も一向に示されていない。それなしに、「改革を断行できる人」と叫ぶのでは、「改革」というフレーズが一人歩きする思考停止の議論である。

 「異論があるなら、なぜ委員会の中で言わないのか」と菅原、保両委員を非難する向きがある。しかし、委員会を代表して審議の模様を報道発表する古森氏が少数意見を公表せず、議事録も残さないとなれば、自分たちの意見を別の形で公にせざるを得ないと両氏が判断したのも無理からぬことである。なによりも両氏が視聴者に対する責任という視点から委員会運営の透明性を訴えたのは、「自分の周囲から聞こえてくる声」しか口にしない古森氏と対照的である。

 どちらが経営委員としての職責に忠実なのかを判断するのは政治家でも総務省でもなく、視聴者である。

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古森委員長が目論む常軌を逸した面通し会長選考

選考の場に候補者を連れて来て面通し!?

 昨日の記者会見の場で菅原経営委員が公表したNHK経営委員会(12月13日開催)の議事メモによると、古森委員長と保委員、菅原委員の間で次のようなやりとりが交わされている。

 「菅原委員  私は最終日の候補の中に内部OBの方を残していただきたいと思います。ノミネートしたその方のプロフィールは追ってお送りしたいと思います。」

 「古森委員長  プロフィールを見たって人物の中身などわかるものではない。自分がノミネートする人物は、追って皆さんに直接御紹介したいと思う。ただし、そこで否定されると本人の面子がつぶれるから困る。」

 「保委員  これは面子のためではなく、受信料を払っている視聴者にとって最良の人を選ぶことが大事なのだと思いますが。」

 <中略>

 「菅原委員  ・・・・・・もし古森委員長の連れてきた方が素晴らしい方であれば大賛成ですし、そうでなければ賛成しかねることになります。あくまでもその人の人物象です。名前を教えてもらわなければ判断の材料が無さすぎて、判断できないとしか言いようがありません。なぜ名前を出さないのですか。」

 「古森委員長  それは今日は出せない。・・・・・・」

 「菅原委員  古森委員長が連れてこられた方がもしもマスメディアから批判されるような人であれば、また受信料が下がるということも考えられます。その点は大丈夫ですか。」

 「古森委員長  私自身も最初は経営委員長としてマスメディアから大いにバッシングされたが、今ではメディアからも大いに尊敬されている。多少マスメディアにたたかれて、受信料が下がってもそれは長くは続かないから大丈夫だ。
 それでは、次回21日(25日のこと?--醍醐補注)に1人だけ会長候補を自分で連れてきて紹介する。他に会長候補を今からでも出したい人がいたら、出してください。」

公共放送の長たる見識よりも「意中の候補者」の面子が大事?

 人事において面接選考は珍しくない。選考委員にあたる経営委員の前で公共放送に関する候補者の所信、抱負、見識を確かめ、判断材料にするのは望ましいことでもある。というより、経営委員会が推す候補に加え、視聴者、市民が推す候補も含めて、すべての候補者に平等に所信表明の機会を与え、オープンな形で公正に会長を選考するプロセスを踏むことが求められる。

 ところが、古森氏が言うやり方では、古森氏以外の経営委員は次回の会合の折に古森氏が連れてくるという人物の名前さえ、知らされず、面通しをしたその日の午後に賛否の判断を求められることになる。これでは、その人物の経歴、見識等をあらかじめ調査し、質問の準備をすることもかなわない。

 それどころか、古森氏が連れてくるという人物の面子を潰さないよう、会長として不可とはしないでほしいとまで釘を刺されている。これでは面接選考も名ばかりで実態は古森氏の「意中の人」を容認するよう強要されているに等しい。こんな専横な運営をするのでは、菅原、保両委員が告発をするのも無理からぬことであり、その勇気を私は讃えたいと思う。

 それにしても25日の指名委員会の場に古森氏に連れられて現れるのは、いったいどのような人物だろうか? 私の想像力が乏しくなければ、そういう人物はなかなか見当たらないはずだが・・・・・・。 
 

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【速報】委員長としての適格性が問われる古森経営委員長

明るみに出た古森委員長の暴言語録

 菅原委員と保委員は、これまで非公開とされてきたNHK経営委員会の議事メモ(注)を公表した。その中で、各紙が報道した古森委員長の発言録を見ると、「このような人物がなぜ公共放送の長はおろか委員になったのか(なれたのか)」を疑わせるような珍弁、暴言のオンパレードである。
 (注)当初、「備忘録」と表記してきたが、種々確認した結果、菅原委員が個人のメモの形でまとめたものであることがわかった。また、記録された会合は指名委員会ではなく、経営委員会ではなかったかと思われるので、私の判断でそのように改めた。

 「私はたくさんの人からリサーチをかけた。NHKの人にも聞いたけれどOBや内部の職員では無理だといっている。私の回りの人は全部、外部の人がずっとよい改革ができるといっている。」


 (次回紹介するという候補者の名前をこの場で挙げてほしいという意見に対して)、

  「自分がノミネートする人物は、追って皆さんに直接御紹介したいと思う。ただし、そこで否定されると本人の面子がつぶれるから困る。」


  「私は忙しく、NHKの番組をあまり見ていない」と公言した古森氏が、9月11日に開催された経営委員会でNHK執行部に向かって、「選挙期間中の歴史ものの放送はご注意いただきたい」と発言したときも、「私の元に寄せられた投書」も含めてそういう発言をしたと釈明した。

 今回、公表された面子云々を見ると、古森氏の脳裏には「私の友達」の意見は浸透しても、日本の文化を担い、言論界で活躍する67名の人々がこぞって原寿雄さん、永井多恵子さんを会長候補に推薦した事実は念頭に入らないらしい。

 特定の人物が公共放送の会長候補としてふさわしいかどうかよりも、自分のお友達の「面子」を優先するに至っては会長人事の私物化そのものである。その上で、自分がノミネートした人物を否定されては困るというのでは、自分への白紙一任を求めるに等しく、独善的運営の極みである。

 「経営改革は文化をよく理解する人、そして、放送のことを理解する人であると同時に経営者としての才能が必要だ。無駄な出費を大胆にカットするような経営者としての能力が必要とされている。今回非常に大事なのはそこだと思う。」

 古森氏は12月13日の経営委員会後の記者会見で、「番組の質を高めることが一番の課題」と発言していた。しかし、この発言を見ると、古森氏がいう「改革」とは番組の充実、それを通じた視聴者の信頼回復は二の次で、決断力でリストラ合理化を断行することに主眼があったことがよくわかる。

 「無駄な出費を大胆にカットする」のは当然である。しかし、問われるべきは無駄な出費とは何を指すのかである。NHKも他の民間企業も業種の違いに過ぎないと言い放つ古森氏の言動を見ると、古森氏が思い描く無駄と公共放送にとっての無駄が同じかどうか非常に疑わしい。

 最後に極めつきをひとつ。

 「私自身も最初は経営委員長として、マスメディアから大いにバッシングされたが、今ではメディアからも大いに尊敬されている。多少マスメディアに叩かれて、受信料(収入)が下がってもそれは長くは続かないから大丈夫だ。」

 委員長就任当時、前安倍首相の政治任用で任命されたと報道された頃に古森氏がメディアから批判の矛先を向けられたという前段の指摘は間違っていない。しかし、今現在、古森氏を尊敬しているメディアとはどこのメディアを指しているのだろうか? NHKをめぐる報道をそれなりにフォローし、そこそこに取材も受ける私の耳には、残念ながら古森氏を「尊敬する」という人物は皆無である。

 それどころか、12月17日付けの記事で紹介した『毎日新聞』の報道によれば、財界人の間でも、「選挙期間中の歴史ものはご注意を」とか、「私はあまりNHKを見ていない」などという配慮を欠く発言を繰り返す古森氏を敬遠して会長候補を辞退する人が多いという。これでは、NHKのガバナンスの強化をめぐる最大の課題は、執行部の力量というよりもまず、経営委員長、古森氏の見識の真贋であるように思える。

 経営委員会の自浄努力が先決、それでも独断的運営が改まらない時は

 今、経営委員会に問われているのは、菅原、保両委員が告発した古森委員長の独善的運営、公共放送の監督機関の長にふさわしからぬ言動、ひいてはNHKの信用を揺るがしかねない言動を他の経営委員がどう受けとめているのかである。ここまで来ると、古森氏個人の問題を超えて、古森氏を経営委員長に互選した経営委員一人一人の責任、特に視聴者に対する責任が問われることになる。さらにいえば、古森氏を経営委員に推挙した内閣総理大臣、それに同意した衆参両院の与党議員の任命責任にも波及する。

 この問題を経営委員会が自らの手で解決するのが先決である。しかし、経営委員会にこうした自浄を行う意思が欠けるのなら、視聴者は古森氏の委員長解任を求める運動を起こすことが必要になる。
   

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【速報】 2名の経営委員が古森委員長の独断的運営に抗議の記者会見

 菅原、保両経営委員が緊急の記者会見で古森委員長の独断専行の是正を要求

 いましがた、速報が入った。NHK経営委員会の菅原明子、保ゆかり委員が今日の午後、NHK放送センターで緊急の記者会見を行い、次期NHK会長人事をめぐる古森委員長の独断的運営に抗議をし、透明で公正な運営を行うよう申し入れを行った。

 菅原晶子、保ゆかり経営委員の連名での申し入れ全文
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/komori_iinncho_ate_mosiire.pdf

 このあと、続報と解説、私の感想を書き込むとして、とりあえず、速報を掲載しておく。

  菅原、保両経営委員が古森委員長に申し入れた要望は次の3点である(原文のまま)。

1.特定の個人のプライバシーを侵害する部分を除き、指名委員会の議論を含め、会長選出の過程を、委員長ブリーフィングや議事録において公開すること

2.威圧的ともとれる言辞で議論を封殺することなく、各委員が自由闊達に意見を提出し議論を行えるよう、少数意見の取り扱いを含め、民主的な議事運営を行うこと

3.委員長個人の“意中の人物”があるとしても、一方的に押しつけるような手段はとらず、各委員からの推薦も平等に扱い、議論のうえ、最終的には放送法に定める採決により選出すること

「全会一致」という古森委員長のブリーフィングは虚偽発表だったのか?
――議事録の全面公開が最善の方策――


  12月13日の経営委員会の会合後の記者ブリーフィングの場で古森委員長は、次期会長はNHK内部からは登用せず、外部から選出することで委員の意見が一致したと発表した。しかし、 『読売新聞』の速報によると、その場では今月委員に着任したばかりの2名の委員は態度を保留、菅原委員ら2人はこれに反対し、NHKのOBを含む内部の人間を外すことに反対したという。このような意見分布が真相だとしたら、「全会一致」と発表した古森氏のブリーフィングは事実を歪めた虚偽発表の疑いがもたれる。

 さらに、『毎日新聞』の速報によると、NHK執行部が作成した次期5ヶ年経営計画を経営委員会が9月の会合で却下した際も、「部分的な反対を、計画案すべてを否決したかのようにねじ曲げられた」と不満を漏らす委員がいるという。

 役所寄りの審議会会長が会合後の記者会見で委員の意見の分布をねじ曲げ、役所の意向どおりに審議が進んだかのように発表する例を、私はかつての情報通信(旧電気通信)審議会の委員当時、何度もみてきた。しかし、審議会等の委員長が役所の意向を代弁してではなく、自分の「お友達」をNHK会長に据えたい一心で「大本営発表」がごとき虚偽発表をするのを聞いたことはない。

 こうした人物を公共放送を監督する機関の委員に選出した任命者の責任は後述するとして、このような独断をまかり通らせないためには、「委員のみの打ち合わせ」と称して、公表される議事録の対象外にしている最近の経営委員会の議事運営を抜本的に改め、経営委員会として協議・報告を行った議事部分はすべて公開することが必要である。

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市民の手でNHK会長を――その可能性は消えていない――

迷走するNHK会長人事

 
【追補】 

 今朝(12月17日)の『毎日新聞』24面に、「混とんとするNHK会長後任選び」という見出しの大きな記事が掲載されている。それによると、古森氏は経済界を中心に、これまでに2けたに上る候補者にあたったというが、誰も引いてしまって引き受け手が見当たらないという。その理由の一つに、「選挙期間中の歴史ものの放送はご注意願いたい」、「NHKの番組はあまり見ていない」という古森氏の一連の配慮を欠く発言を知って、「誰も古森さんの下で会長をやろうという気にはならないはずだ」と離れてしまったという。

 それだけではない。記事によると、11月27日の指名委員会で古森氏や多賀谷氏(委員長代行)は、前海老沢会長側近の元理事の返り咲きは認めないと決定したにも関わらず、それを記者に公表しなかったことに批判を浴びたという。さらに、記事はこう書いている。

 「『古森委員長中心の議事進行に不満が爆発。あきらかに潮目が変わった』と、求心力低下を指摘する声も出ている。」

 「さらに今月13日の経営委員会では、委員から『非公開となっている指名委のやりとりの議事録を公表すべきだ』との要求が出され、不信感が残っていることを印象づけた。」

 「会長の任命には、経営委員12人中9人以上の議決を経なければならない。古森委員長の“意中の人”が選ばれるまでには、委員との関係修復も求められそうだ。」


J-CASTニュースは昨夜(12月16日)18時3分に次のような見出しのニュースを配信した。

「西室氏ら財界人が次々固辞 NHK次期会長人事が迷走」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071216-00000001-jct-bus_all

 その中で、「NHK会長は外国へ出かければ国賓待遇だが、年収は3千万円弱と低く、国会答弁など難儀で忙しい。さらに、最近、経営委員会の力が強まって、会長になっても財界では格下の古森委員長の下で働く形になる。そうなると、大物財界人のなり手はいなくなる」という政治部デスク子の解説が引用されている。

 すでに、このブログでも伝えたが、NHK会長任命権を持つ経営委員会の古森委員長は12月13日の会合後の記者会見で、現NHKの会長以下役員は次期会長候補から外し、今後は経済界の中から人選をすることで委員の意見が一致したと発表した。

財界人でないとできない「骨太の改革」とは何なのか?

 上記のJ-CASTニュースが事実とすれば、こうした経営委員会(あるいは古森氏個人?)の意向通りに事が進んでいないことを物語っている。格の上下にこだわる人物はご免こうむりたいが、そこまでして古森氏が経済界の人物にこだわる理由は何なのか?

 古森氏は上記の記者会見の場で、「公共放送の質を高めるのが一番大事」(『朝日新聞』2007年12月14日)と発言している。では、この一番の課題を成し遂げるのに、なぜ財界人が会長に適材なのか、なぜ、放送・言論人として見識と実績を備えた人物を基本に人選しないのかーーーこの点を経営委員会あるいは古森氏は視聴者、NHK職員にむかって明確に説明する責任がある。

NHKに「筋肉質」を求める古森氏の品格が問われている

 「公共放送の質を高めるのが一番大事」と言いながら、古森氏が会長候補として財界人にこだわる理由は、上で引用した発言に続く次の言葉に凝縮されている。

 「(NHKを)もっと経営らしい経営で筋肉質にする必要がある。マスコミのエキスパートではなくても、経営者としての実績があり、しがらみがない人がいい。」(『朝日新聞』同上。ゴチック体は醍醐の追加)

 「NHKの経営を筋肉質にする」と聞かされると、たいていの人は??ではないか。古森氏は学生時代、スポーツに熱中した青年だったそうだ。しかし、NHKが手がける放送事業は筋肉質なり筋力が物を言う事業ではない。

 もっとも古森氏がいう「筋肉質」を忖度すると、「肥大化した」NHKをスリムにするという意味だと想像できる。私もNHKを取り巻く多くの関連会社が手がける事業の中に受信料で賄うのが適切かどうか洗い直しが必要な事業があると考えている。

 しかし、公共放送は視聴者・市民に多角的な知見や教養、娯楽を提供することを使命としている。そこではたとえ高い視聴率が見込めない番組であっても、わけ隔てなく放送することが求められている。娯楽番組は公共放送の守備範囲外だといってスリム化せよとか、チャンネルを民放に明け渡して競い合えなどという竹中流の発想は公共放送の文化的役割をわきまえない議論である。もっとも、それ以前に電波の希少性が薄れた今日、NHKが保有するチャンネル数の削減を議論することにどういう意味があるのかを考える必要がある。

 それにしても、「どんと踏み込む力」、「決断する力」でNHKの抜本的改革をと連呼し、NHKの経営を「筋肉質」にと粗野な発言を言い放つ古森氏が、自分と息の合う財界人を会長に選び、二人でタッグを組んでNHKを混ぜかえしたら、いったいNHKはどうなるのか――こういう見通しを冗談ではなく、真面目に憂慮しなければならない状況にあると私は考えている。

 その後も寄せられる文化人からの賛同
――原さん、永井さんの推薦運動をあきらめず――


 しかし、NHK会長の人選が古森氏らの思惑どおりに進まず、迷走しているという状況は公共放送のトップにふさわしい人物を会長に選ぼうという市民の側からの運動にまだまだ可能性が残されていることを意味している。

 幸い、原寿雄さん、永井多恵子さんをNHK会長にという呼びかけに賛同し、お二人をNHK会長候補に推薦するという文化人の声がその後も、「原さん、永井さんをNHK会長候補に推薦する会」に寄せられている。以下、最近届いた3名の方のメッセージを紹介しておきたい。

湯川れい子さん(音楽評論・作詞家)のメッセージ

 「永井さんはよく存じ上げております。芸術への造詣も深く女性のためのリーダーとしても心強い存在です。ぜひ会長になっていただきたい人材だと思っています。」

山口みつ子さん(〔財〕市川房枝記念会常務理事)のメッセージ

 「永井多恵子氏と原寿雄氏の会長候補に賛成します。特に永井氏は見識が高く、又、女性たちは男女共同参画の必要から、最も適切な候補と存じます。」

池辺晋一郎さん(作曲家)のメッセージ

 「長くNHKで仕事をさせていただいてきた者としてNHKの未来に期待し、その明るさを信じています。だからこそ、このお二人なのです。」

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選ぶ人の見識が問われるNHK会長人事

NHK会長に選ばれる人に求められる見識と手腕

 さる12月13日のNHK経営委員会の会合の模様を伝える情報をWEB上で検索していると、nikkansports.com に次のような記事が掲載されているのがわかった。

 「NHK橋本会長再任せず外部から起用

  <前略>
 後任についてもNHK内部からではなく、外部から起用するという。トップが放送の素人ではいかがなものかという批判もあるが、『内部だと、出身母体、縦割り人事などで、なかなか思い切ったことをやるのは難しい。思い切った改革は外部の人が最適。しがらみのない人がドーンと行くのがいい』と反論した。・・・・・・・

 古森委員長はOBの起用を『二の次』とし、『こういう問題は経済関係の人がいいと思う。経済界のトップは業種が違っても経営できるもの』と語った。自身と同じく、財界トップ経験者を中心に起用を考える意向のようだ。」
ゴチック体は醍醐が追加)
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071214-295274.html

 はじめに断っておくと、私もNHK会長には経営的手腕が必要ないなどというつもりはない。文化人、メディア研究者、ジャーナリストが67名の推薦を添えて、原寿雄さん、永井多恵子さんをNHK会長候補に推薦することを発表した記者会見の席上で、『放送レポート』編集長の岩崎貞明さんは、こう発言した。

 「NHK会長にも経営的力量が求められる。その点では原さんは共同通信の社長を歴任された。永井さんはNHKの副会長として経営の現場を経験されている。このように、お二人はジャーナリズムの経営を見てきたという意味でも適任だと思う。」

 私も同感である。今回の会長人事をめぐって私の周囲にも知名度の高い、メディアに頻繁に登場する文化人を推す意見があった。しかし私はそのような意見には賛同しなかった。なぜなら、NHK会長は理事会の統括、番組編成、営業、視聴者対応、全国の放送局の事業の掌握といった日々の業務はもとより、予算・事業計画の国会承認にあたっては衆参両院への出席、答弁が求められる。こうした激務を兼業で成し遂げるのはとうてい不可能であるし、一言居士然の振舞いで務まるものでもない。

民間企業と公共放送の経営理念の根本的違い 

 しかし、NHK会長に求められる経営的手腕=民間経営流手腕、と見立てるのは極度に短絡した有害な発想である。一口に経営といっても、営利企業の経営者に求められる手腕と公共放送NHKの会長に求められる手腕には大きな違いがある。

  民間経営者に求められる手腕はつまるところ、企業価値の最大化に貢献する営利の追求という単一の価値であり、他のすべての価値はこの目標達成のための手段的従属的価値にほかならない。そこでは、いかに公益や文化が喧伝されても収益性の向上に寄与しないかぎりは、経営的には評価されない。

 他方、NHKは「皆様のNHK」を標榜するまでもなく、視聴者の多様な価値観、嗜好に配慮しながら、なおかつ、現在・将来の有権者が国政に参加するにあたって必要な、また自分の人生を豊かにする糧にもなるような政治・経済・社会・文化にわたる様々な知見・教養を提供することを期待されている。そこにはすべての視聴者を束ねるような単一の価値は存在しないし、ある価値を他の価値(たとえば国益、国威発揚)のための手段的従属的要素とみなす発想が介在する余地はない(単一の価値で視聴者・市民を染め上げた例といえば、戦時下の大政翼賛報道である)。

 選ぶ人の見識が問われている

 ところが、NHK会長の任命権を持つ経営委員会の長を務める古森重隆氏には民間経営と公共放送の経営の質的な違いを理解する能力・見識が欠けているようだ。上記のnikkansports com が伝えた「経済界のトップは業種が違っても経営できる」という古森氏の発言は、古森氏がNHKも民間産業と業種の違いでしかないと捉えていることをはしなくも露呈したものである。

 このような発想から、経済界の長老ならその経験を活かしてNHKの会長職は務まると決めてかかられてよいのか――今、この点が視聴者はもとより、NHKで働く職員に鋭く問われている。

 NHK職員、特に番組制作部門の職員の間には、会長が誰になっても自分たちは粛々と番組制作に携わるだけ、会長の意向で番組制作が左右されることはない、という自負があるのかも知れない。そうした自負は編集の自立は自分たちで守るという意思の表れとみれば、頼もしいことではある。

 しかし、放送の公共性、番組編集の自立は現場の職員の努力だけで本当に守れるのだろうか? 会長が誰になるか、その会長と経営委員長がタッグを組んで、NHKを民間企業的発想で経営しやすい副会長、理事を選任するとしたら、NHKと政治の距離はどうなるのか? 時の経済界の利害からNHKは本当に自立できるのか? NHKの教養・娯楽番組はリストラ・縮小の対象になる恐れはないのか? 受信料をめぐる不公平感に抜本的に踏み込めという古森氏の発言が次期経営計画の策定を通じて受信料の義務化に向かうようNHK執行部を仕向ける恐れはないのか? ――このような見通しを視野に入れて今回のNHK会長人事に誰よりもNHK職員が声を挙げることを私は願っている。

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NHK会長に求められる資質を理解できないNHK経営委員会

「しがらみのない人でどんといく」
ーー次期NHK会長は経済界から?ーー

 昨夜21時過ぎ、WEB上のニュースで、「NHK経営委、次期会長人選で現執行部は対象外」といった見出しの記事が流れた。当日、開かれた定例の経営委員会での議論を受けた報道である。それによると経営委員会は今後は主に財界の相談役や会長クラスから選考するという。NHKのOBも対象に含まれるが、古森経営委員長によると、「出身母体が(NHKの中に)あると、思い切った改革は難しい。今はしがらみのない人でどんといく」(YOMIURI ONLINE, 2007年12月13日21時37分:ゴチックは醍醐が追加)のだそうだ。

財界人でなければなし得ない「骨太の改革」とは何をすることなのか?

 現執行部を選考外とした理由について、古森委員長は記者会見で、「現執行部は次期経営計画で骨太の改革を策定できなかった」(YOMIURI ONLINE、同上)からと説明したという。「骨太の改革」というと竹中平蔵氏が担当大臣を務めた経済財政諮問会議がよく口にしたスローガンだった。しかし、財界人ならやれる「骨太の改革」とはNHKをどうすることなのか?

 古森氏をはじめ、経済界の人物が誇る民間経営流のコスト・人員削減で競争に勝ち抜く力をつけることが改革なのか? NHKは一体、誰と競争しようというのか? 視聴率という原理で動く民放とNHKを同じ土俵で競わせて効率化を促すことが公共放送に要請される改革なのか? 娯楽番組を公共放送にとって一段低い番組と見立てて縮小し、放送事業をスリム化しチャンネル数を減らすことがNHK改革なのか? 番組制作業務の随意契約率の高さを問題視し、競争入札を広げて制作コストを切り詰めることがNHK改革なのか? 改革=善、といったワン・フレーズのレトリックは、小泉政権が改革の本丸と称した郵政民営化の虚像に学んで卒業した方がいい。

 NHKの関連会社に支払われる出資金、委託費等が大なり小なり受信料を財源とする以上、それら関連会社の業務範囲を受信契約の及ぶ対象に照らして厳密に査定することは重要である。しかし、経営委員会には地方局制作を含む番組づくりや視聴者対応ラインの充実といった公共放送の生命線について通り一遍の理解しかなく、受信料の値下げ原資としてしか改革の目標を捉えない貧困な発想しか持ち合わせないなら、そもそも、そうした経営委員会に執行部のまとめた経営計画案を評価する能力があったのかどうか疑わしい。

 別の記事によると、古森委員長は「これから通信・放送の融合や受信料の不公平感是正に踏み込んでいかないといけないが、踏み込む力、決断する力が十分でない」(『毎日新聞WEBニュース、2007年12月13日 20時30分)と執行部を批判したという。

 しかし、「受信料の不公平感是正に踏み込む」とは何をどうすることなのか? NHKの会長に真っ先に求められるのは、「踏み込む力」、「決断する力」、「どんとやる力」なのか? 古森氏が手がけた経営がそういう精神主義で職員に号令をかけて成果を挙げたのかどうかは知らない。しかし、そうした知性のかけらも感じさせない経営委員長のメガネにかなう人物が公共放送の会長として選ばれるとしたら、辣腕経営で名をはせた磯田一郎経営委員長(住友銀行会長・当時)のひきで池田芳蔵氏(三井物産社長・当時)がNHK会長に選ばれた「お友達人事」の二の舞にならないか? ちなみに、池田氏は国会での答弁が支離滅裂とあってわずか9か月で辞任に追い込まれた。

踏み絵を突きつけて執行部をコントロールする気なのか?

 上記の毎日新聞のWEBニュースに次のような一節がある。

 「NHK経営委員会・・・・・は・・・・・橋本元一会長の後任について、橋本会長と現職理事は対象外とする方針を決めた。執行部が9月に示した08~12年度の中期経営計画案が『抜本的改革が期待できないためだとしている。ただし、トヨタ自動車出身の金田新理事は、計画案に執行部中ただ一人反対したとして、後任対象者に残す。」

 金田理事が執行部でただ一人中期経営計画案に反対したことについては、このブログの本年10月12日付け記事で触れた。
 
 「公表されたNHK理事会の議事録を読んで」
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_ec6e.html

 しかし、この時の議事録によると、金田理事が執行部計画案に反対をしたのは、提案された受信料値下げ案を実施すると、平成20年度以降当分、単年度収支が赤字になるからだった。つまり、金田理事は赤字予算を組まなければならないような受信料の値下げに異議を唱えて執行部案に反対したことになる。こうした金田理事のどこが古森氏のいう「抜本的NHK改革」なのか? 逆ではないのか? 

 それでも経営委員会あるいは古森氏が金田理事を評価したのは結局、現執行部案に反対したからという理由以外、見当たらない。これでは、執行部案をまるで踏み絵に使って、自分の意に沿う反対をしたかどうかで会長候補として残すかどうかを選別するに等しい。

 このように個々の理事の言動を独善的な「リトマス試験紙」にかけてテストするとなれば、理事は経営委員長の顔色を窺う卑屈な人間にならざるを得ない。

 ともあれ、今後は上述のように、知性のなさを億面もなく丸出しする人物を公共放送の議決機関の構成メンバーに選んだ国会の責任が厳しく問われることになる。そして、来年12月に(残任)任期が満了となる古森氏の再任に衆参両院が同意するのかどうか、判断が注目される。
 

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小山内美江子さんから賛同のメッセージ――原寿雄さん、永井多恵子さんをNHK会長候補に――

その後の賛同者

 ひとつ前の記事で紹介したように、12月10日に「原さん、永井さんをNHK会長候補に推薦する会」(世話人:松田浩、桂敬一、野中章弘の各氏)は文化人、メディア研究者、ジャーナリスト、67名の賛同名簿を添えて、原寿雄さん、永井多恵子さんを次期NHK会長候補に推薦する申し入れを、会長任命権を持つNHK経営委員会に提出した。

 その後、これまでに新たに、小山内美江子さん(脚本家)、降旗康男さん(映画監督)ら10名の方々から、上記「推薦する会」へ、原さん、永井さんを会長候補に推薦することに賛同の返答が寄せられた。

小山内美江子さんからのメッセージ

 このうち、小山内美江子さんからは次のようなメッセージが添えられている。公表可と記されているので紹介させていただく。

 1970年代後半、私は1人の脚本家としてNHKで放送される作品の執筆を依頼されましたが、放送総局長より会長になられた川口幹夫氏の考え方で良い作品が出来たと思います。それらをふまえて、次期会長には永井多恵子さん、そして原寿雄さんを推せんいたします。何よりもNHK内部を熟知した現場からの人だからです。

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原寿雄さん、永井多恵子さんを次期NHK会長候補に推薦―川口幹夫元NHK会長ら67氏が賛同―

 原寿雄さん、永井多恵子さんをNHK会長候補として推薦

 松田浩、桂敬一、野中章弘の3氏を世話人とする「原さん、永井さんをNHK会長候補に推薦する会」は12月10日、NHK経営委員会委員に宛てて、次期NHK会長候補に原寿雄さん(ジャーナリスト。元共同通信編集主幹)と永井多恵子さん(現NHK副会長)を推薦する、次のような申し入れを提出した。  
 
 「NHK会長候補者の推薦に関する申し入れ」(2007年12月10日)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/nhk_kaocho_koho_suisen_mosiire.pdf
 (文末に原さん、永井さんの略歴が記されている。)

 この申し入れには、文化人、メデア研究者、ジャーナリストら67氏と3つの市民団体が賛同している(12月9日現在)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/suisensandosha_meibo20071209_1340.pdf

 その後、降旗康男(映画監督)さん、吉原功さん(明治学院大学教授)、吉田俊実さん(東京工科大学教員、メディアの危機を訴える市民ネットワーク事務局員)が賛同の意思を寄せている。

 また、推薦賛同者のなかで山田太一さん(作家、脚本家)、大澤豊さん(映画監督)ら6氏が次のようなメッセージを寄せている。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/suisen_sandosha_messege.pdf

 私から見た2人の被推薦者

 今回、私は推薦賛同者に加わっていない。推薦候補に異論があるからではもちろんない。今回は文化人、メディア研究者、ジャーナリストの方々が連名でお二人を推薦するという動きである。

 「私はどのカテゴリーにもなじまないので遠慮します。」
というと、世話人の松田浩さんから、
 「いや、文化人でいいじゃないですか。」
と言われた。が、残念ながら私はまだ「文化の香りがする」人間の域には達していないので辞退した。しかし、以下述べるように原さん、永井さんを次期会長候補として推薦することには大いに賛同するので、できる限りのお手伝いはするつもりでいる。

 原寿雄さんとはシンポジウムで1度お目にかかった程度だが、著書は読み、E・メールで何度かやりとりをさせていただいている。ズバリ直言される一面と懐の深いおおらかなお人柄に敬意を抱いてきた。今回は開かれた会長選出の制度づくりに役立つならと推薦を承諾された。日本の言論・報道界の大御所としての面目躍如である。

 永井多恵子さんについては、このブログの2006年9月18日付の記事で触れたことがある。
 「NHK副会長、永井多恵子さんの公共放送像を読んで」
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/nhk_2e4c.html

永井さんの「文化ジャーナリズム試論」

 今回、永井さんを推薦するというので、どんな人なのか、もう少し詳しく知りたいと思い、国立国会図書館の文献データベースで永井さんの著作を検索した。その中で、目にとまったのは「文化ジャーナリズム試論」という論説だった。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座講義録2『ジャーナリズムの方法』(早稲田大学出版会、2006年)と題する書物に収められた、母校早稲田大学での講演録である。

 まず、私の目を引いたのは冒頭で、いわゆるイラク人質事件を取り上げていることだった。
 「人質」3人が政府や国民に迷惑をかけた――そう思う方は手を挙げてください、と会場に向かって問いかける永井さんの言葉に私は感慨深いものを覚えた。それは、私自身、「人質」となった高遠菜穂子さんら3人をバッシングから擁護する市民運動を呼びかけた一人だったことにもよる。しかし、それ以上に、3人に対し、「政府と世間に迷惑をかけた」という非難が渦巻いていた時期に、公の講演の場で控え目ながら、疑問を呈するのは相当に勇気が要ったに違いない。

 さて、講演の本論であるが、永井さんが一貫して強調しているのは、文化は精神を浄化するアーツだという持論である。

 「今は財政が逼迫しており、社会のなかで位置づけというのが低い、また、日本の社会は歴史的にも文化を社会の装置として明確にしてこなかった」

と永井さんはいう。また、

 「アーツ・文化は無駄である。金ばかり使う、役に立たない、という排斥論が今日でも散見されます。文化はまだ、社会におけるステータスを獲得していないのかもしれません。」

ともいう。しかし、永井さんはこういう。

 「文化ジャーナリズムの効果、それは一つの啓発です。感性を刺激し、啓発し、人々の感じ方を、考え方を変えていく。・・・・・・・美しいものが人々の心を浄化する。そのことこそが、文化には公共性があるといえる一つの根拠であろうと、私は思っています。」

公のことに民が参加するということ

 では、文化を市場経済に任せるとどうなるか? それでは人気のある大衆的なものしか生き残れない、と永井さんはいう。たとえば、ピカソは幸い、自分が生きているうちに評価を得、経済的にも功をなした。しかし、こんな幸せなアーティストはめったにいない。

 モジリアニは評価を得ることなく貧乏のどん底で死んでいく。しかし、彼の絵の価値を見抜いた画商は彼が死ぬと彼の絵を買占めた。すると、この画商の予想どおり、モジリアニの絵は彼の死後、爆発的な人気を得た。つまり、生きているうちに報われることが少ないのが芸術の常である。だからこそ、文化芸術は目先の営利性で動く市場経済にゆだねるわけにはいかず、公的な援助が必要なケースが大多数である――永井さんはこう結論づける。 
 
 では、文化を公的に支援するとは、どういうことなのか? これについて永井さんはメセナ(民間支援)の必要性を次のように記している。

 「結局、何でもかんでも国や自治体、つまり官に頼る必要はないわけですね。公のことは官だけという時代は終わりにして、公のことに民が参加するということは、これからはあっていいのではないでしょうか。」

 ゴチック体は私の追加であるが、大変含蓄に富んでいる。私も最近、公会計や放送の公共性、公的サービスの民営化論などを考える中で、公=官ではないし、民=私でもないことを認識する必要性を痛感している。官が公を独占するのは普遍ではなく、特殊に過ぎない。むしろ、これからは、民が私を超えて公に参加する時代である。この意味で永井さんのメセナ論は誠に卓越した見解である。

見る(息を吸う)ことと表現する(息を吐く)こと

 講演の最後に、永井さんは学生に次のように語りかけている。

 「とにかく私は一貫して、文化というものは大事だと言ってきた。なぜ舞台を見るのか、あるいは映画でもいいのですけれども、それはやはり自分の人生というものを振り返ってみる時間が、人間には日々、必要だということ、そして何かピュアなもので自分の精神が浄化される。そんな時間をもつことが人間には欠かせないと思っているからです。」

 「それともう一つ。これは見るだけではなくて表現をするということも、とても大事だと私は思うのです。・・・・・・皆さん学生の時に何か発表するということは自己表現のチャンスだし、仕事をするということも、私はひとつの自己表現だと思います。吸っては吐いて、それは呼吸なのですね。詩を創ったり、作曲したり。皆さん若いのですから、いろいろなチャンスがありますよね。そういうことを自分の生活のなかに組み入れながら、いい人生を送って欲しいと思っています。」

 私は最近、権力を監視するのがジャーナリズムの使命である、と言い募ってきた。しかし、それと同時に、ジャーナリズムは<魂の洗濯をする>文化の担い手でもある、というのが永井さんの持論のようだ。このような剛と柔を兼ね備えた見識の持ち主こそ、公共放送の顔として待望されているのではないか。

 ともあれ、ジャーナリズムのご意見番としての存在感にあふれる原寿雄さんと、しなやかな知性とジャーナリズムの自主自立にかける芯の強さを兼ね備えた永井多恵子さんをNHKの会長候補として視聴者たる市民が擁立したことは、きわめて賢明な判断であったし、画期的な出来事であったと私は思う。

 

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