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視聴者コミュニティ、NHK経営委員会に抗議・要請・質問書を提出

〔速報〕さきほどNHKは、今日開催された経営委員会で同意を得て副会長に今井義典氏を任命したと発表した。
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/080129.html
 今井氏は放送総局解説委員長、同解説委員室主幹を歴任した人物である。


「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は昨日(1月28日)、NHK経営委員会に宛てて、次のような文書を提出した。このうち、質問事項については25日までに文書で回答するよう求めている。
 このうち、最後の質問事項に挙げた、NHK会長選考の核心部分が議論されたはずの経営委員会議事録の公開は視聴者の負託を受けて活動する経営委員会にとって必須の説明責任であるので、曖昧に済ませるわけにはいかない。

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                   2008128
NHK経営委員会 御中

  副会長、理事「更迭」に対する越権的介入に対する
  抗議・要望・質問

      NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
           共同代表: 醍醐 聰・湯山哲守  
 HPhttp://space.geocities.jp/shichoshacommunity/ 
 Eメール・アドレス:shichoshacommunity@yahoo.co.jp


           抗議と要望

 125日付の毎日新聞は「・・・経営委は橋本氏に対し、永井多恵子副会長と原田豊彦放送総局長(専務理事)を辞任させるよう求めた。これに対し、橋本氏は永井氏の辞任を了承、原田氏は留任させる意向を示した」と報じました。もしこの報道が事実だとしたら、貴委員会は放送法を無視した越権行為を行ったことになり、私たちは見過ごすわけにはいきません。放送法では、会長人事は経営委員会が行うが、副会長・理事の任命は「総営委員会の同意を得て」会長が行い(27条)、「罷免」も同様に規定(29条)されています。このように放送法が、わざわざ会長と監事の任免権は経営委員会にあり、副会長以下の人事は会長に発議権があることを規定しているのは経営委員会と会長の二元体制を認めているからに他なりません。それは執行体制を会長のリーダーシップに委ねることが事業展開にとって有効であるからだと考えられます。今回、経営委員会が橋本NHK会長(当時)に突きつけた副会長ならびに理事の罷免要求は口頭での要求とはいえ、放送法で定められた経営委員会の権限を逸脱した違法なものであり、厳重に抗議するとともに、非を認め、同じような違法行為が繰り返されないよう、強く申し入れます。

 今回の貴委員会の違法な発言は、インサイダー取引の不正事件を利用した「副会長等の追放劇」ではないかと疑う根拠があります。今回の会長選出に当たっての貴委員会・指名委員会議事録がNHKのサイトで公表されています。その第3回分に、「橋本会長については、5カ年年計画が踏み込み不足により承認に至らなかったこと等の理由により会長職を委ねない。その他の現執行部についても、同様の理由により会長職を委ねない。」と確認されたことが記されています。

 振り返れば、貴委員会が執拗に旧執行部を全体として否認しようとしてきたことは紛れもない事実です。当会は昨年NHK執行部の5カ年計画の否決を行った貴委員会に対して、「NHKの次期経営計画の議決を見送った経営委員会の見解について――私たちの見解と質問――」(102日付)を提出し、その乱暴なやり方を批判し、合わせて、「受信料引き下げ幅に固執していることの偏狭性」と「NHK執行部との対立をことさら展開することの危険性」について警告しました。

 いまから振り返ればこれらの危惧は当を得ていたものと考えざるを得ません。昨年9月の貴委員会の「5カ年計画の否決」は来るべき「会長人事」において現執行部を一掃するプログラムのプロローグだったとしか言いようがありません。ほんの半年前、31日の貴委員会の「見解」と全体として整合する「5カ年計画」は「修正」こそあれ否決しなければならないほど杜撰なものではありませんでした。「否決」即ち、「現執行部否認」のアドバルーンと考えてはじめて理解できるものです。このような貴委員会の異常な行為はジャーナリズムの世界においては決してふさわしいものだったとは言えません。

 ところで、今回のインサイダー取引の不正問題の発生に貴委員会は責任がないのでしょうか。責任は「執行機関」(理事会)にのみにあって「監督機関」(経営委員会)にはないということなら「責任逃れ」のそしりは免れません。昨年109日の経営委員会席上で古森委員長が「番組基準や放送番組の編集に関する基本計画については、重要な事項であり、経営委員会で議決することになって」いると発言し、続けて小林経営委員が「経営委員会が、NHKの最高意思決定機関であることについては、異存はないですね。」と念を押し、橋本会長に「異存ありません」とむりやり答えさせていることが議事録に載っています。経営委員会は「ただの監督機関ではない」と執拗に確認していたのです。今回の不正事件について、もし貴委員会が「監督機関に過ぎない」として「最高機関」としての責任が不問に付されるとしたら二重基準といわれても致し方ありません。

 古森委員長にはNHKに放送機材(ビデオテープ)を納入する会社の社長であることから、精神として「放送法に抵触する」との疑問がわき起こりました。また、執行部に対して「選挙期間中の放送については、歴史ものなど微妙な政治的問題に結びつく可能性がありますので、いつも以上にご注意願いたいと思います」と発言し、各界から抗議が寄せられました。そして、放送法の改正においても、わざわざ16条に経営委員の権限の項に

 「1 委員は、この法律又はこの法律に基づく命令に別段の定めがある場合を除き、個別の放送番組の編集その他の協会の業務を執行することができない。
  2 委員は、個別の放送番組の編集について、第三条の規定に抵触する行為をしてはならない。」

と新条文が追加されました。さらに古森委員長は安倍晋三前首相を囲む経済人の集まりである「四季の会」のメンバーだったことに関連して「退会したかどうか」という当会としての質問状(1018日付)にいまだ回答をいただいていません。マスコミも「退会した」との確認報道をしていません。NHKが政治からの独立性を生命線とする公共放送である以上、そのNHKを監督するNHK経営委員会も政治からの独立性が不可欠であることは言うまでもありません。

 このように「政治的に中立」であることに疑義をもたれる人物を長に持つ貴委員会が今後も強引な経営を行うのではないかとの不安がぬぐえません。貴委員会を構成される委員の皆様が合議機関としての機能を十分発揮され、放送法に経営委員会自らの放送へ介入を防止する条項が新設されるといった不名誉な実態を反省して、NHKの監督に当たって頂くよう強く要望する次第です。

        回答の督促と申し入れの補足

1.今回のNHK会長人事にあたって、当会は昨年1221日付けで貴委員会に対し、要望・質問書を提出しましたが、いまだ回答をいただいていません。念のため、再度、同文書を同封しますので、すみやかに下記宛てに文書でご回答ください。

2.1221日付けの上記の文書でも要望しましたが、NHK会長人事に係る貴委員会の議事のうち、下記の部分の議事録がいまだに公表されていません。これは視聴者に対する説明責任の不履行を意味する重要な問題です。

14回にわたる指名委員会の議事録

21225日午前中に開催された福地茂雄氏と面通しの経営委員会の議事録
3)貴委員会が橋本前会長らNHK執行部(当時)を次期会長の選考対象から除く根拠とされた次期5カ年経営計画(執行部案)に対する否定的評価(却下)をまとめた「5カ年経営計画(執行部案)についての経営委員会の見解」をめぐって議論された(はずの)経営委員会の会合の議事録(開催日時、場所も含め)

 このうち、(1)については貴委員会のホームページに「議事録」と称した記録が掲載されていますが、発言者の氏名も付されず、委員の個々の発言も示さない、極めて粗い議事要旨であって、当会が公表を求めた議事録には程遠いものです。

 貴委員会は昨年1225日付けの公表文書で、菅原委員が経営委員会内の議論の模様を「備忘録」として他の委員に通知せず公表されたことを非難し、不正確な個所があると指摘されました。であれば、貴委員会の総意で、あの「備忘録」に代わる正式の議事録を公表されるのが道理です。そうした視聴者に対する当然の説明責任を果たさないまま、菅原委員の行動を非難して事足れりとするのは本末転倒です。

 上記3点の議事録をすみやかに公表されるよう、重ねて申し入れます。
                        以 上

 各質問に対するご回答は項目ごとに書面で、25日までに下記宛てにお送りください。
 
×××

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視聴者コミュニティ、福地NHK会長宛てに申し入れ

 昨日(128日)、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は新たにNHK会長に就任した福地茂雄氏とNHK経営委員会に宛てて、それぞれ申し入れ書を提出した。まず、福地会長に宛てた申し入れ書を以下に転載する。
 NHK経営委員会に宛てた申し入れ書は、この後掲載する記事として転載する。

〔速報〕さきほど、NHKは今日開催された経営委員会で同意を得て、副会長に今井義典氏を任命したと発表した。
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/080129.html
 今井氏は放送総局解説委員長、同解説委員室主幹を歴任した人物である。


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                   2008128
NHK会長 福地茂雄 様

公共放送の役員にふさわしい副会長と理事の選任を要請する申し入れ

       NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
          共同代表: 醍醐 聰・湯山哲守
  HPttp://space.geocities.jp/shichoshacommunity/
  Eメール・アドレス:shichoshacommunity@yahoo.co.jp

 福地茂雄様のNHK会長就任に当たり、当会は以下のことを申し入れます。これを真摯に受け止めて日本の公共放送の充実・発展のために尽力されるよう要望します。

1) 貴方は125日のNHK会長就任に当たって、「疑惑で揺らいだ視聴者からの信頼回復を最大の課題に挙げ」、「コンプライアンス(法令順守)の徹底をNHKの組織風土にする」と決意を語り、番組制作や組織運営をめぐる政治との距離については「政治からどんな圧力があるのか分からないが、不偏不党は常に判断の中心に置いていく」と語ったと報じられています。これらの決意について、私たちは「所信忘れることなく」貫かれることを期待します。

(2)「政治からの圧力」の中には「経営委員会」からの圧力も入っていることを忘れないで頂きたい。今回改正された放送法の中では、経営委員の権限に関してわざわざ「個別の放送番組の編集その他の協会の業務を執行することができない」と制限を明示的に加えられ、「個別の放送番組の編集について、第三条の規定に抵触する行為をしてはならない」と念を押されています。これは現経営委員長が昨年9月の経営委員会の席上で「選挙期間中の放送については、歴史ものなど微妙な政治的問題に結びつく可能性がありますので、いつも以上にご注意願いたい」と発言し、各界から強い批判を浴びたことと無関係ではありません。

 また、橋本前会長の時期には経営委員会がNHKの監督・議決機関としての役割を逸脱して経営執行機能にまで介入する例が多々見られました。福地会長は古森経営委員長と同じ経済界出身で、古森氏と親しい間柄と聞いています。しかし、ひとたび、NHK会長に就任されたからには相互に緊張関係を保ち、独立自主の立場を貫かれるよう、強く要望します。 

(3)新会長として最初にためされるのが「副会長人事」です。上記と同じ報道の中で貴方は「内部の方が望ましい」と述べておられますが、放送文化人・ジャーナリズムを担う人としての人格について十分に考慮して頂きたい。2006331日に発表された貴局の「新放送ガイドライン」は冒頭に「自主自律の堅持」をかかげ、「NHKは、公共放送として、憲法で保障された表現の自由のもと、正確で公平・公正な情報や豊かで良質な番組を幅広く提供し、健全な民主主義の発展と文化の向上に寄与する。この役割を果たすため、報道機関として不偏不党の立場を守り、番組編集の自由を確保し、何人からも干渉されない。ニュースや番組が、外からの圧力や働きかけによって左右されてはならない。NHKは放送の自主自律を堅持する。全役職員は、放送の自主自律の堅持が信頼される公共放送の生命線であるとの認識に基づき、すべての業務にあたる。日々の取材活動や番組制作はもとより、放送とは直接かかわりのないNHKの予算・事業計画の国会承認を得るなどの業務にあたっても、この基本的な立場は揺るがない。」と約束しています。是非、副会長・理事の選任に当たって、このガイドライン精神を立派に果たせる人を任命して頂くよう、重ねて強く要望します。

(4)橋本前会長時代にNHK執行部がまとめた次期経営5カ年計画は理不尽な口実で経営委員会により却下され、ペンディング状態にあります。これに関連して貴方は就任にあたって「番組の質を落とすようなコストカットは行わない」と明言されました。当然のことと思います。公共放送としてのNHKの経営は利益の最大化という単一の目標達成を目指す民間企業とは違って、多様性と文化的価値を尊ぶことを銘記され、業務に邁進されるよう要望します。
                      以 上

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NHK執行部の「地上げ」を意味する理事の連帯責任論

 このところインサイダー取引をめぐるNHK追及記事が紙面をにぎわしている。22日、自民党の電気通信調査部会は橋本会長を呼び、理事全員の辞任を迫ったと伝えられている。昨日(23日)は経営委員長代行の多賀谷氏が民主党の総務部門会議に呼ばれ、経営委員会の監督責任を追及されたと伝えられている。また、その場では古森経営委員長の辞任を求める意見も出たという

 こういう状況を見て、私は(今回に限らないが)日本のマスコミ、世論の理性の底の浅さを痛感する。誤解を恐れずに言うと、NHKほどの規模の職員を擁する組織では「確率的に」今回のような「不祥事」を皆無にするのは大変難しい。もちろん、約5,000人もの職員が放送前のニュース原稿にアクセスできるという仕組みはルーズすぎる。もっとアクセスを制限すれば、「確率」を下げることはできたはずだ。

 しかし、不正行為をゼロにするのは不可能に近い。この場合にNHK執行部としてなすべきことは、

1.不正行為の可能性はあっても(あるからこそ)、それを抑制する倫理を育み、インサイダー情報の範囲、取り扱いに関する基礎知識を日頃から職員に周知徹底すること

2.不正が起こった場合、厳正に対処するとともに、不正が行われた仕組みを解明し、再発防止策の一助にすること、

である。これらは当然のことであるが、逆に言うと、これ以上の何かができるはずだという想定のもとに、NHKの対応が生ぬるいという世論の心情をかきたてるかのような報道を連日繰り返すのは、NHK批判をエスカレートさせても世間に受けるという大衆迎合的な心理が働いているからではないかと考えられる。

 今、視聴者、市民がなすべきことは、NHKの再発防止策が身内意識から腰の引けたヌエ的なもので終わらないよう厳正に監視すること、それとは独自に、上記のようなマスコミ発の状況づくりに便乗する形で、政治が、そして経営委員会がNHKの人事に越権的に介入してくるのを許さない世論の喚起である。

 任期半ばの今の理事を、「連帯責任」を名目に一掃するのは、正確さよりもわかりやすさを優先していうと、NHKという建物に新たな意中の住人(副会長以下、理事)を送り込むための「地上げ」を仕掛けるに等しい。

 経営委員会が2名以外の理事の進退伺いを福地新会長の判断にゆだねたのは放送法からいえば当然のことである。しかし、重要なことは、経営委員会内に理事全員の責任を問う動きがあるかのような情報操作をして、理事の連帯責任を問うムードがあおられた点である。それは政治の側から理事の連帯責任を追及する動きが出たのと符節を合わせている。

 NHK職員や理事の資質を問うことは、もちろん重要であるが、問題の全体像に目配りをした大局的な言論が強く求められる。

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NHKにおけるインサイダー取引の再発防止と責任追及のあり方を考える

求められるのは実効性のある再発防止策

 橋本元一NHK会長は121日、記者会見をしてNHK記者ら3人によるインサイダー取引疑惑の責任を取って辞任する意向を古森重隆・NHK経営委員長に伝えたという。また、コンプライアンス(法令順守)担当の畠山博治理事と報道担当の石村英二郎理事も22日付で辞任すると報道された。

 このほか、経営計画担当の中川潤一理事は、次期5ヶ年経営計画が経営委員会に却下された責任を取って、今月7日に辞表を提出しているという。他の7人からも橋本会長宛てに進退伺が出されたが、橋本会長は「連帯責任はあっても、業務の空白は避けなければならない」として、7人の理事は辞任させない意向という。

 それにしても、3人の職員は勤務時間中に自宅へ戻ってインサイダー情報を利用した株の売買注文にふけったというから、あさましいかぎりである。しかし、今回の事件はNHK職員が私生活の領域で起こした放火や痴漢などとは違って、NHKの取材・報道番組制作の業務に密着した犯罪だけに根は深い。それだけに、個人の倫理を問う精神論だけでは済まされず、NHKが保有する公的な情報が不正な私的利益の追求のために利用されない具体的措置を講じる必要がある。

 私は証券取引やM&A情報等を取材する部署の記者、それら記者から出稿される原稿を扱うデスク職員、放送前のニュース原稿にアクセスできる職員については、その家族も含め、あれこれの例外を設けず、包括的に株式取引を禁止する内規を定めるのが一番、わかりやすい措置だと思う。また、放送前のニュース原稿にネット上でアクセスできる職員が5,000人もいるというのは必要限度をはるかに超えたルーズなシステムである。放送後のニュースでもその後の取材の参考に供することは十分可能なはずである。

不祥事に便乗した経営委員会の越権行為は許されない

 ところで、NHK経営委員会は今回の不祥事を受けて、24日に急遽、臨時の会合を開き、今回のインサイダー取引の責任をとって、全理事に辞表を提出するよう促す方向で検討に入ったと一部で報道されている(『日本経済新聞』2008120日)。しかし、 誤解を恐れずに言えば、私はこうした経営委員会の動きが事実とすれば、NHKの不祥事を大々的に報道するマスコミとその影響を受けた世論のNHK批判に便乗した、越権行為だと考えている。

 そもそも、放送法上、経営委員会には会長及び監事の罷免権はあるが、副会長以下、理事を罷免する権限は会長にあり、経営委員会は会長の罷免案に同意するかしないかの権限があるだけで、自ら副会長、理事の罷免を発議する権限はない。以下、関係する放送法の条文を示しておく。

29 経営委員会は会長若しくは監事が職務の執行の任にたえないと認めるとき、又は会長若しくは監事に職務上の義務違反その他会長若しくは監事たるに適しない非行があると認めるときは、これを罷免することができる。
2
 会長は、副会長若しくは理事が職務執行の任にたえないと認めるとき、又は副会長若しくは理事に職務上の義務違反その他副会長若しくは理事たるに適しない非行があると認めるときは、総営委員会の同意を得て、これを罷免することができる。

 このような権限配分の下で、会長から罷免案が示されない段階で、経営委員会が現職理事の辞任を促すのは放送法で定められた経営委員会の権限を逸脱した行為であり、許されるものではない。インサイダー事件に関して経営委員会が果たすべきは、NHK執行部が示した再発防止策の実効性をチェックし、防止策の浸透をNHK執行部に促すことである。人事面ではコンプライアンス担当と報道担当の理事の辞任が適度な引責であり、他の理事まで辞職という形の責任を追及するのは「連帯責任」に名を借りた「みせじめ的な懲罰人事」といわなければならない。

 さらにいえば、正副会長が交代するこの時期に、まだ残任期間がある現職理事全員が辞任するとなれば、125日以降、NHKは正副会長以下、理事全員が新任となり、業務の継続性に大きな障害が起こる懸念がある。まして、このように正副会長以下、現理事全員を執行部から一掃することが、福地―古森の財界コンビで副会長、理事について意中の人事を行う布石であるとすれば、人事権の乱用以外の何者でもない

 視聴者も報道関係者もNHK執行部が職員のインサイダ-取引の再発防止のために実効性のある措置を講じるかどうかを厳正に監視すると同時に、不祥事にまぎれて経営委員会が職権を逸脱した「見せしめ人事」を強行しないよう、監視の目を注ぐ必要がある。

日銀総裁としての信任を失墜させた福井日銀総裁の利益相反責任はどこへ行ったのか?

 今回、発覚したNHK職員によるインサイダ-取引事件に関連して、思い起こしたいことが2つある。

1
.今回のインサイダ-取引が行われたのは昨年3月8日である。それから約11ヶ月後の、橋本会長の任期切れを1週間後に控えたこの時期に不正取引が公表され、事件化されたのは偶然なのかどうか? 

2.2006年6月、日本銀行の福井俊彦総裁が村上ファンドに対し1000万円を投資していたことが発覚し、国会でも取り上げられた。その後、福井氏が提出した資産公開から、同氏が民間にいた1998~2003年の間に社外取締役を務めた民間企業数社の株式を取得し、日銀総裁在任中も保有していることが明らかになった。また、福井総裁が村上ファンドへの投資から得た利益は総裁就任後急増し、投資利回りは年率32.5%に達していた。

 日銀総裁といえば、金利政策の決定に直接関わる当事者であるから、インサイダ-情報を利用し得る立場にいたというだけでなく、インサイダ-情報を生み出す地位にいた人物でもある。福井氏がこのような地位に就任後も株取引を自ら行っていたことは、「インサイダー取引が可能な格好のポジション」に身を置いていたことを意味し、公私のけじめのなさは今回のNHK職員の比ではない。

 しかし、小泉首相(当時)は、福井氏の村上ファンドへの投資は「ルールにのっとっていれば問題ない」と語り、責任追及のそぶりさえ見せなかった。こうして福井氏は日銀総裁の座にとどまり、マスコミから真相解明を迫られることもなく、まもなく任期を終えようとしている。

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NHK会長を決定した経営委員会議事録を読んで

一昨日、NHK職員によるインサイダー取引が発覚した。これにについては状況を正確に、詳しく把握したうえで、別途、意見をまとめたいと思っている。

 ところで、昨日(118日)、福地茂雄氏をNHK会長に決定した昨年1225日の第1058回NHK経営委員会議事録が公表された。
 http://www.nhk.or.jp/keiei-iinkai/giji/giji_new.html

 当日午前中に行われたという福地氏との面通しの会合の模様は公表されず(注)、菅原委員が「備忘録」という形で他の委員の了解を得ず、「不正確な内容を含む」記録を外部へ出したことをめぐるやりとりが長々と公表されている。

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(注)ただし、今回、公表された議事録の中に福地氏をどう評価したかについて、数名の委員が発言した記録がある。そのなかで、

(多賀谷代行)
 それから、福地氏が財界で活動されているといっても営利的なものではありません3つあって、1つは芸術・文化支援として、新国立劇場の理事、企業メセナ協議会、東京芸術劇場等にも関与されている。第2に環境保全として、東京商工会議所の環境委員長を最近まで務められるとともに、環境を考える経済人の会の一員として、全国の大学で講演をしておられました。第3に教育関係として、長崎の県立高校で3年間、人生論を講演したとおっしゃっていました。(下線は醍醐が追加)

という多賀谷氏の発言が印象に残った。福地氏の「非営利」の各種社外活動をあげて福地氏の経済人としての(主たる)活動は営利活動ではなかったかのような言いくるめは尋常ではない。

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さて、今回公表された議事録の中で、菅原委員が不正確な記録を公表したことを謝罪させるやりとりがスペースを割いて記され、小林英明委員などは「私の名誉にかかわる」と言っている。しかし、会長選考の途中経過(福地氏に絞り込まれた経過、市民団体・ジャーナリスト・文化人らが推薦した原俊雄、永井多恵子の両氏について、どのような検討がされたのかなど)、あるいは橋本会長の再任不可の引き金になったNHKの次期5ヵ年計画案を経営委員会が却下した際に同委員会が公表した見解はどのような議論を経てまとめられたのかなどを視聴者は何も知らされていない。自分の名誉は気にかけても、視聴者の名誉(知る権利)を気にかけた発言が菅原委員以外、まるでないのはどうしたことなのか?

 
私は菅原委員が公表したメモから、これまで知り得なかった経営委員会の議論の一端が公開されたことに重要な意義があったと思っている。もちろん、経営委員会の議論の模様が特定の委員の独自の判断で公表されるというのは正常なやり方でないのは確かである。

 しかし、自分の発言が不正確に伝えられたと抗議をするくらいなら、経営委員の総意でなぜ発言者名入りの議事録を公開しなかったのか(選考途上で名前があがった候補者の個人情報を伏せる工夫はいくらでもある)。それがきちんと実行されていれば、菅原委員が独自の議事メモを公表する必要はなかったのである。


 経営委員会としてなすべきこと(会長選考経過の議事録公表)をせず、委員長が記者ブリーフィングで外部からの会長選考を全員一致で決定した等、歪曲した発言をしたのをみかねて独自にまとめた議事録を公表した菅原委員の行動を、――一部不正確な記載があったことを謝らせて鬼の首でも取ったかのように――非難し、その部分のやりとりを微に入り細にわたって公表する――この本末転倒、木を見て森を見ない言動をどの経営委員もおかしいと自覚した形跡がないのはどうしたことか?

 現に、菅原委員は1つ前の1057回の経営委員会で議事録を公表するよう発言している。

(菅原委員)
 議事録に残していただきたい意見があります。それは、現在、指名委員会で次期会長について議論を行っておりますが、経営委員の権限が非常に強化されてきている中で、NHK会長を人選するというのは、歴史的な転換となるような、いい結果をもたらすかもしれませんし、逆になるかもしれません。それはわかりませんが、いずれにしても、経営委員ひとりひとりの意見を議事録として公開していくことが、透明性の確保の観点から、これから非常に大事になってくると考えます。次回の指名委員会からは、ひとりひとりの名前入りで議論の中身が公開されることを切に期待します。このことは、経営委員意見交換(経営委員のみの打ち合わせ)の場で結構ですから、議論していただきたいと思います。

(古森委員長)

 はい、ご意見としてお受けいたします。ただし、人事の問題ですから、慎重に取り扱う必要があり、合理的な範囲で検討したいと思います。

 1058回経営委員会の冒頭で菅原委員はこの意見の扱いを決めるよう求めているが、古森氏は「ご意見としてお受けいたします」といったまでと聞き流している。

(菅原委員)
 緊急動議です。私はその前に、今日から議事録を詳細に取っていただきたいと思います。私が会見で言った中の1つが、議事録をていねいに、記名入りで公開することがとても大事だということですので、まず、そのことをお願いしたいと思います。

(古森委員長)冒頭でそれを確認するというのですか。


(菅原委員)はい、今すぐ。


(古森委員長)前回の経営委員会の最後でもおっしゃいました。私はあの時、意見として受けますと申し上げました。ただし、人事問題を名前入りで公表するのはいかがかと思いますが、いかがでしょう。


(菅原委員)名前はいりません。名前入りっていうのは、ノミネートされている人の名前とか、例えば、発言者の氏名はイニシャルでもいいですから、どんな議論がそこでなされたのか、国民・視聴者は知る権利があるということです。それが透明性だと思います。


 これについて多賀谷委員は「後で名前入りで公表されるとなると発言がしにくくなる」などと言って反対している(審議会で議事録の公開を渋る委員の常套句である)。しかし、名前入りで自分の発言が公表されるのが嫌なら公的な委員を引き受けるべきではないというのが私の持論である。

 「自分の名誉」は気にしても視聴者の名誉(知る権利)は眼中にない――人権と向き合うべき弁護士でありながら、それに無頓着な発言をする人物が法律専門家と称して経営委員に選ばれているわけである。発言をした他の委員も自分の発言が不正確に伝えられたと抗議はするものの、ならば正規の議事録の公開となると消極論ないしは反対論が大勢である

 視聴者に向けた視線のない内向きの議論に終始した今
回の議事録を読んで、NHKとともに、経営委員会を監視する課題の重大さを再認識させられた。

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今に生きる内村鑑三の「愛国心」論

 国歌・国旗への「敬意」の強要
 
 近年、東京都はじめいくつかの地域の公立学校で、学校行事における国歌斉唱・国旗掲楊の場面で起立せず、斉唱に参加しない教員を教育委員会が処分をする事例が多発している。そればかりか、東京都では再発防止のためと称して、処分を受けた教員を呼び出し、国歌・国旗と無関係な一般的服務規律を筆記させるなどの「研修」を強制している。内容からして、「再発防止」という名目の公権力による「思想改造」の勧めの場といってよい。

君が代斉唱時に起立しなかった北海道文化賞受賞者

 このように国歌・国旗への「敬意」の強要は学校現場にとどまらない。昨年11月5日、札幌市内で開かれた北海道文化賞贈呈式で壇上にいた受賞者の一人で演劇作家の鈴木喜三夫氏(76歳)と夫人が、国歌斉唱時にいったん起立したものの、国旗に背を向けたまま自席に着席し、斉唱に参加しないという一幕があった。

 道教委は入学式や卒業式で国歌斉唱時に起立しない教職員を処分しており、今回の事態についても「道教委の行事で国旗・国歌を尊重しない行為があったことは問題だ」という声が上がっているという。道教委は「こういう事態は聞いたことがない。事前にこういう考えの人だとは聞いていなかったので、事情を調べる」(吉田洋一教育長)そうである。式典後、鈴木氏は「先の戦争で多くの仲間が特攻隊で死んでいった。とても立って(国歌を)歌う気になれない」と語ったという。
(以上、『産経新聞』2007年11月5日、17時16分配信)

 ちなみに、北海道教育委員会のHPにアクセスして、北海道文化賞の趣旨を調べてみると、「本道の芸術、科学、教育などの文化の向上発展に貢献した方々の功績を讃え」て贈呈すると記されている。では、吉田教育長の「こういう考えの人だとは聞いていなかった」という発言はどういう意味だろうか? 「国歌・国旗を尊重しない」人だとわかっていたら受賞候補者から外したという意味なのだろうか? また、吉田教育長の「事情を調べる」とは、どういう事情を調べるのだろうか? 「愛国心の欠けた人」を事前にチェックできなかった体制の不備を調べるということなのか? 調べてどうするのだろうか? 今後は受賞候補者のリストを作る際に、 「国歌・国旗を尊重する」人かどうかの思想調査をするということだろうか? そうだとしたら、、「本道の芸術、科学、教育などの文化の向上発展に貢献した」人かどうかだけでなく、思想傾向が教育委員会の審査基準にそわなければ受賞はかなわないということにある。
 しかし、このように、まるで教育委員会が人間の思想を裁く権限を持つかのようなふるまいは思想信条の自由を保障した憲法第19条をまっこうから踏みにじる行為である。

  人の真心はその愛国心によりて保証することあたわざるなり、そは愛国心はあまりに「悪漢の最後の拠り所」なればなり(内村鑑三)

 
昨年、あるきっかけで内村鑑三の著作を調べる機会があった。そして、その短い文章の中に現代に生きる鋭い時代評論が数多くあることに驚いた。その中に「病的愛国心」(Diseased Patriotism)と題する時評がある。『万朝報』1898年3月11日に掲載された短文である。以下はその一部である。

 「愛国心が純粋にして真実なる為には、其は無言にして無意識ならざるべ可からず。真実なる人にして己が国に対し熱裂なる愛を有せざる者は有り得ざるなり。・・・・・・我等に真の人を示せ、然らば彼の愛国心を保証せん。然れ共、人の真心は其愛国心に依て保証すること能はざるなり、そは愛国心は餘りに屢々『悪漢の最後の拠り所』なればなり。」

 「無言に畑に耕す農夫、
読書に勤む学生は、愛国心を説くことを職業とする人々より遙かに愛国者なり。しかして数百万の斯る無言の農夫と数十万の斯る勤勉なる学生のこの国にあるは、少数のこれら職業的愛国説教者のあるよりも、日本国民の愛国心のために多くを弁ずるものなり。・・・・・・」

 「しかして愛国心とは、我等が己れの国に負う明白なる義務を果すこと以外の何物なりや! 隣人に親切なること、貧しき者乏しき者に同情すること、謙遜にして鄭重なること、等々は、我等の見る所に依れば、国家の拡大を策し我国民の美徳を誇ることと同じだけ愛国的なり、多くの場合は其以上に愛国的なり。芝居がかりの愛国心は、実に十分以上を有せり。日本が大いに必要とするものは、深き、無言の無意識なる愛国心にして、今日の騒々しき愛国心にあらざるなり。」

 国に帰依する愛の危うさ

 「芝居がかりの愛国心」、「騒々しき愛国心」に対する内村鑑三の警鐘を読むと、研修が必要なのは、国歌斉唱・国旗掲揚の時に起立斉唱しなかった教員ではなく、「愛国心を悪漢の最後の拠り所」にするがごとき教育委員会であるといえる。

 しかし、私は内村鑑三の愛国心論に無条件に傾倒するものではない。私が内村鑑三の愛国心論と一線を画したいと思う所以は、彼が愛国心そのものの価値を認めたうえで、その方法――有言の他律的な方法による「注入」か、自然の内面からの涵養に委ねる自律的な方法か――を問題にしている点である。

 これに対して私はそもそも国に帰依する愛には危うさが付きまとうと考えている。ただし、議論の順序からいえば、愛の対象とする「国」とは何なのかを問うことが先決である。国=民衆なのか、それ自体が一個の巨大な「私」にほかならない国家権力なのかである。隣人に親切なること、貧しき者乏しき者に同情すること、勤勉にして鄭重なること、を指して愛国心というのが内村鑑三の愛国心の本旨であれば、それは前者の意味での「国」を対象にした愛である。それなら私は内村鑑三の愛国心論に異議はないどころか全面的に賛同する。

 しかし、「愛国心とは、われらが己れの国に負う明白なる義務を果たすこと以外の何物なりや」という時の内村鑑三の愛国心は後者の意味も混濁したあいまいさが拭えない。それは彼の真意ではなく、時代の空気へのぎりぎりの配慮だったのかもしれない。その推測は別にして、「国を愛する心」が再び高調される今日、国に帰依させる愛がしばしば排外的で偏狭な愛の喧伝に利用され、国境を超えたより普遍的な愛への進化を妨げる他律的なイデオロギーに通じることを認識する必要がある。
 自己への「愛」を強要する国家がいかほど民(たみ)に災禍をもたらしたかを私たちは歴史から学ぶ必要がある。

一周忌近づく姉犬の骨壺にかけし首輪の硬くなりける

姉犬が遺せし首輪妹犬の首に回せば寸法足りず

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陽だまりを移動する飼い犬

 西日本や日本海側は大雪というが、千葉は穏やかな晴天に恵まれた3が日だった。一日中自宅で過ごす日が続くと飼い犬と向き合う時間が多くなる。とはいっても、休み明け前に仕上げなければならない仕事とゼミ生の卒論のコメントに追われる毎日である。そのため、このブログに論説めいた記事を載せるのはままならない。

 その代わりといっては何だが、飼い犬と過ごす時間になにげなく思いついた短歌を日記帳に書きとめた。文字どおりの駄作であるが、日々の思いを書きとめる励みのつもりで載せることにした。


姉犬が逝きて翌年の年賀状に姉妹と記して写真を挿入(いれ)る

陽だまりにあわせて居場所を移す犬の胴毛に手をやり鼻すり寄せる

紐を解けば飼い犬小さき庭を駆け夕べの散歩を私にせかす

遠からずファミリーマンションが建つという高台に響く「野ばら」のメロディ
 

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年越しの風景

 皆様、新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 皆様はどのような年越しだったでしょうか?

 すぎもとまさと「吾亦紅」によせて
 私は大晦日は近くのマンションに住む姉のところで22時ごろまで一緒に紅白を見た。その中では、すぎもとまさとの「吾亦紅」(われもこう)の歌詞とそれを情感を込めて歌ったすぎもとさんの場面に惹かれた。バイオリンとのハーモニーのよさも熱唱を盛り上げたように思った。ただ、後で歌詞を活字で読み返すと、後半の母を慕う平板なセリフに興ざめを感じた。「マッチをすればおろしが吹く 線香がやけにつきにくい」というてらいのない、しかし意表をつく歌詞が後半までつながっていたら、と一人思いをした次第である。

 ゼミ生の卒論と向き合う日々
 さて、この時期は例年のことながらゼミナールの4年生の卒業論文の追い込みの期間である。今年も夏から一人ずつ、中間発表を2巡したが、年末年始は2稿目、3稿目が進行中である。今年のテーマは、
 *ストック・オプション会計
 *株式会社における剰余金の配当規制
 *環境負債の認識と測定
 *包括的長期為替予約の会計処理
 *国立大学法人会計
と多岐にわたる。
 正月休みの今はゼミ生からE・メールで原稿を受け取り、それに変更履歴付きでコメント・添削を返送する毎日である。教員のコメントに真険に応え、稿を改めるごとに内容が充実していく卒論を見届けると、打てば響くの責任の重さを感じる。
 学部に提出して終わりではなく、学生の意欲に報いるために、大学内外の多くの人々の目に留まるような卒論の公表、優れた作品の顕彰や雑誌への掲載など、もっと考慮されてよいと思う。私が担当するゼミではひとまず、ゼミのHPに完成論文を掲載したいと考えている。

 今年のブログの抱負

 昨年はNHK問題を取り上げた記事が多かった。政治介入の申し子ともいうべき経営委員長に加え、その経営委員長と親しい間柄の財界人が会長に就任するとあっては、NHKに対する視聴者の監視が一層重要になる。その意味では今年もNHKに関係した記事が多くなると予想される。

 ただ、それとともに、現在私が専攻分野で手掛けている会計の研究についても逐次、紹介したいと思っている。さしあたり、1月前半には、昨年12月22日に東大で開催した公会計シンポジウムの模様、特に、昨今「霞が関の埋蔵金」と通称されている特別会計の積立金の活用、不透明性の問題を取り上げたいと思っている。
 
 ↓ 元旦の日差しが注ぐ近くの公園内の池で遊ぶカモ
人目を意識したパフォーマンスなのか、それとも食べ物をねだ
るしぐさなのか、こちらへ近づいてきて何度も水面で羽根をばた
つかせ、しぶきを飛ばしていた。

Photo


↓ わが家の姉妹犬
視線の先は? → 台所でコーヒーを挽く私。姉妹ともどもコーヒー
を混ぜて温めた牛乳が大好物。
(後方は昨年1月に他界した姉犬、手前は9歳の妹犬)
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