強迫的な日銀総裁空白リスク報道に思うこと
横並びの思考停止報道の標本
最近の新聞、放送を見ていると、横並びの思考停止報道を繰り広げるメディアの腐食ぶりを思い知らされる。
アメリカ民主党大統領候補の予備選をめぐって「オバマ候補はどういう政策を掲げているのか、クリントン候補とどこが具体的に違うのか」にほとんど触れず、オバマ・ブームだけをあおる報道が続いている。これでは、一国の大統領候補を選ぶ政治報道として落第である。
あるいは、日銀総裁のポストが1日でも空席になったら、市場から不信を突きつけられ、株価がさらに暴落する一大事かの強迫的報道は何を根拠にしているのか? 総裁ポストが空席になることは異例には違いない。しかし、期日までに誰でもよいから決めればよいというものではない。総裁、副総裁候補として名前が挙がった人物は過去、日銀が採用してきた超金利政策をどう評価しているのか、今後、物価上昇にどう対処しようとするのかなど、日銀首脳候補に不可欠な見解を問うことなく、経歴ばかりに焦点を当て、空白責任をめぐる与野党の駆け引きばかりをズーム・アップする報道も政局報道ではあっても政治・経済ジャーナリズムに値する報道ではない。
自分の持ち場で直球勝負を
一昨日(3月21日)の『毎日新聞』朝刊2面の「発信箱」に経済部記者の中村秀明氏筆の<歴代総裁の責任>というタイトルの短い論評が載っていた。中村氏はその冒頭で次のように記している。
「マスコミの編集幹部が数人集まった会合で、だれかが言った。『いまさらだけど、日銀総裁って、大事な仕事なのかな?」
そう思うなら、仲間うちの雑談で済ませず、コラム欄でやんわりと疑問をもらすのではなく、自分の持ち場の政治・経済紙面で日銀総裁人事の核心に迫る記事を書くのがメディアに携わる人間の本領ではないのか――そう思いたくなるコラム記事であった。
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