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デザインを変える

 このブログを始めて22か月が経ったのを機にデザインを変えた。それに合わせて、本文のスペースを広げるため、左右2列のマイリストを右側一列に改めた。これからも多少ともオリジナルな情報、意見を発信していきたいと思う。また、アクセスしてくださった方々に和んでいただけるような楽しい記事も掲載したいと思う。
 
楠の木は残った

 下の写真は、昨年、みなとみらい線の「日本大通り」駅のそばにある「放送ライブラリー」で調べものをするため、泊まりかけで横浜へ出かけた折に立ち寄った「横浜開港資料館」の「玉楠の木」の写真である。横浜開港資料館は英国領事館跡地の建物であるが、その中庭に茂る「玉楠の木」は1854年に来航したペリーに随行した画家ハイネが残した絵に描かれていることから、当時すでに存在していたとされる。その後、1866年に関内地区を襲った大火、1923年の関東大震災、そして第2次大戦中の横浜大空襲と歴史上の惨事をしのいで生き延びた。特に、関東大震災の時は、樹形が変わるほど焼失したが、どうにか残った根から芽を出して再生したという。その生命力に思いをはせながら、中庭のベンチでしばし足を休めた。

横浜開港資料館にある「玉楠の木」

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犬の生死を分ける5日間

 昨夜、夕食時、連れ合いから「毎日の夕刊に犬の記事が出ているよ」と教えられた。ページを追うと「ペットブームの残酷」というタイトルよりも、物悲しげにカメラの方を見つめる犬の大きな写真が目に飛び込んだ。千葉県富里市にある千葉動物愛護センターの収容棟に入れられた犬の運命の5日間を取材した佐々木順一記者の文・写真だった。記事によると、2006年度に千葉県で捕獲・収容された捨て犬や迷子犬は4,970頭、処分依頼で引き取ったのが2,446頭だった。これらの犬は毎日一部屋ずつ右へ移動しながら5日間、これまでの飼い主あるいは新しい飼い主が現れるのを待つ。5日間経っても引き取り手がなければ殺処分される運命にある。先の7,216頭に前年度捕獲分20頭を加えた7,236頭のうち、それまでの飼い主への返還が609頭、新しい飼い主の引き取りが576頭だったという。2006年度収容分でいうと86.3%が殺処分されたことになる。

  「収容室で泣き叫ぶようにほえる犬とは対照的におとなしく座る雑種の中型犬と目が合った。何か言いたげに愛らしいまなざしで私を見つめる。幼さが残る顔から放たれるその視線に胸が締め付けられた。」

と佐々木記者は記している。私には、「捨て犬」と「処分依頼」を区別する基準、理由が分からなかった。事情やむを得ない引っ越し等のために飼えなくなる場合があることは想像できる。しかし、犬が飼い主を選んだわけでなく、飼い主が犬を選んだことは間違いない。飼うのも自由だが捨てるのも自由では犬はいたたまれない。

飼い主に寄り掛かるウメ

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歴史の荒波を生き抜いたプラハの人々~NHK世界遺産の旅 チェコ・プラハ編をみて~

 412日夜、NHK総合で放送された「世界遺産の旅 奇跡の美 街に宿る不屈の心~チェコ・プラハ~」を録画に撮り、食後のひとときにみた。画面に現れたプラハの街の各所は2003年秋に夫婦で出かけた所でもあり、山根基世さんの気さくなリポートで進んだこの番組を感慨深く終わりまで観た。ご覧になれなかった方、見過ごされた方は、次のとおり再放送が予定されているので、ぜひ、ご覧いだけたらと思う。
 417日(木)   330 413
 418日(金) 16051648
 http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr108.html

 人形はプラハの言語を守った命綱

 プラハは「建築博物館の街」といわれるだけあって、完成までに長年月が費やされた由緒ある建築物が点在する。プラハ城内にある聖ヴィ-ト大聖堂は現在のゴシック様式に改築されるまでに実に600年を要したという。プラハ市博物館に所蔵されている1873年当時の市街地の模型は11年がかりで歩いて街を回り、歩幅で距離を測って製作したという。

 しかし、長い時間を経過したのは建築物だけではない。番組では、プラハの歴史遺産を守り抜くために一つの仕事に長年月打ち込んできた人々の姿も紹介していた。中でも国立マリオネット劇場を拠点とする人形劇団の中には52年間劇団のメンバーとして仕事を続けている人がいた。ほかにも、49年間、30年間、28年間、劇団で活動しているという人々が紹介された。
 チェコにとって人形劇は「文化の命綱」といわれている。そのわけは、チェコを支配したハプスブルグ家あるいはドイツ軍がドイツ語を公用語として強制したことから、チェコ語が忘れ去られようとした時期に劇団はチェコ語を使った人形劇を各地で公演し、母国語を守る砦になったからである。
 また、人形を売る店の若い店員は腹話術を交えて操り人形を動かしてみせた後、「人形は単なるおもちゃではなく、自分の気持ちを表現する手段」と語ったのが印象的だった。

 歴史の荒波を生き抜いたプラハの歌手、マルタ・クビショヴァ

 番組全体を通して私がもっとも感銘を受けたのは激動の歴史を生き抜いたプラハ人の象徴ともいえる女性歌手、マルタ・クビショヴァさんが
3度、登場した場面だった。

 最初の場面は、チェコで進みつつあった自由化の波(「プラハの春」)に危機感を抱いたソ連軍率いるワルシャワ条約機構軍が1968820日にチェコに侵攻した時だった。番組では侵攻軍を惑わすため、市内の標識を取り外す一方、帰ってほしい行先(モスクワなど)だけ残す若者の姿を映していた。しかし、プラハを武力で制圧した侵攻軍は放送局も占拠した。そこで、市民は工場の地下に秘密のラジオ局を設けて放送を流した。その時、人々の耳に聞こえてきたのは当時、デビュ-曲「マルタの祈り」が大ヒットしていた人気歌手、マルタ・クビショヴァの歌声だった。しかし、地下のラジオ局も閉鎖され、ソ連の影響を受けた共産党政権が成立すると、マルタ・クビショヴァは歌の世界から永久追放され、レコードはすべて廃棄されてしまった。

 次に、番組の中でマルタ・クビショヴァさんが登場したのは、秘密警察が幅を聞かせた共産党一党支配に対する市民の批判が噴出したいわゆる「ビロード革命」の時だった。1989年、学生の抗議行動に端を発し50万人のデモにふくれ上がった民衆の力で一滴の血も流さず共産党一党独裁政権に終止符を打った喜びに沸きかえる広場の正面の建物のバルコニーに20年ぶりに姿を現わしたマルタ・クビショヴァはあの「マルタの祈り」を歌いあげたのだった。20年間、歌の世界から追放された彼女は内職で生活をしのいできたという。長い苦難の生活のせいか、やつれてはいたが、逆境を生き抜いた強靭な知性を彷彿とさせる場面は感動的だった。

「祖国の自由」への意思を込めて
~マルタ・クビショヴァが歌ったもう1つの「ヘイ・ジュード」~


 マルタ・クビショヴァさんが最後に登場したのは番組が終わりに近づいた時だった。山根さんが、ぜひ出かけたいといって足を運んだのはマルタさんが常連で歌っているというライブハウスだった。小さな舞台に登場したマルタさんが歌ったのは、ビートルズが歌った「ヘイ・ジュード」の歌詞を替えた歌だった。後で調べて見つけた日本語訳の最後の
2つの節を書き出しておく。
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/d4a9ce618371d1d908587900069f289e を参照。)

 あなたはこっちへ 私は向こうへ歩き出す
 でも ジュード あなたと遠くはなれても
 心はあなたのそばに行ける
 今 私はなす事もなく あなたの歌を聴く自分を恥じて いる
 神様私を裁いてください
 私はあなたのように歌う勇気がない

 ジュード あなたは知っている
 口がヒリヒリ 石をかむようなつらさを
 あなたの口から きれいに聞こえてくる歌は
 不幸の裏にある「真実」を教えてくれる

 これも後で調べてわかったことだが、この曲は1969年、プラハの春の時期にレコ-ディングされた。マルタ・クビショヴァは「ジュード=祖国の自由」という意味を込めて、この歌をアルバムの最後に入れた。しかし、レコードが売り出される頃、ソ連軍の武力侵攻で「プラハの春」は挫折し、それ以来、マルタさんはこの歌を歌う機会に恵まれなかった。そのためか、ビロード革命の後、カレル大学に招かれたマルタさんは学生たちからこの歌をリクエストされたが、「長い間歌っていないので〔歌詞に〕自信がない」というと、学生たちは「僕らは(何度も歌って)知っている。教えますから」と答えたという。

 不条理な迫害に屈せず苦しい時代を生き抜いたマルタ・クビショヴァ、そして彼女の強靭な意思に応えたプラハの人々――番組はこうした感動のドラマを見事に描き切っていた。

(追記)20011月、NHK総合で「世紀を刻んだ歌:ヘイ・ジュード~革命のシンボルとなった名曲」というタイトルの番組が放送された。しかし、残念ながら私は見損なった。NHKアーカイブスにも入っていないようだ。

プラハの思い出のアルバムから


 以下、番組を見ながら思い出に耽ったプラハの街並みのアルバムの中からいくつかを載せておきたい。

上から順に、
1.人出でにぎわう旧市街広場
 (向かいの建物の2階にあるカフェ・ミレナから撮影。カ  フカの恋人の名を冠したカフェと聞いて入った。)
2.プラハ城正面玄関広場での観閲式
3.プラハ城内の大統領府がある聖十字礼拝堂
4.プラハ城からみおろした街並み
5.国立博物館からみたヴァツーラ広場の遠景
6.悠然と流れるヴァルタヴァ川
7.旧市街広場でボヘミアの踊りに興じる人々
8.旧市街広場で並んだ出店(焼き菓子店)
9.カレル橋

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ジャーナリズムとしてのNHK――その過去・現在・未来――

 さる44日夜、NHK問題京都連絡会主催の集会で「ジャ-ナリズムとしてのNHK――その過去・現在・未来――」と題して講演をさせてもらった。ジャ-ナリズムの門外漢の私におこがましいタイトルではあったが、大正15年に社団法人日本放送協会として設立されて以来、NHKが戦中、戦後、どこまでジャ-ナリズムたりえたかをNHK編集の放送史や専門文献を調べて私なりに整理してみた。それは放送史への関心からというよりは、NHKの国際放送を国策広報に変質させる動きがNHKのおひざ元の古森重隆経営委員長の言動として顕在化したというにとどまらず、NHKの外国人向け国際放送を「ソフトパワ-」と称して国家の情報戦略に組み入れ、国家イメ-ジ改善に活用しようとする動きが総務省作の「uJAPAN」政策として推進されようとしているからである。

 そこで、限られた関係者の間でしか知られていない、こうした情報国家戦略を視野に入れてNHKの国際放送、ひいては国内放送も含むNHKの放送全体の将来を展望する参考資料になればと考え、拙い内容ではあるが、京都での講演のレジメ(一部割愛)をこのブログに掲載することにした。以下はそのPDF版である。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/nhk_as_journalism20080404_in_kyoto.pdf

 全体の構成を概観していただくために、以下、目次を書き出しておく。

 「ジャ-ナリズムとしてのNHK――その過去・現在・未来――」

1
.国益を背負う国際放送――ジャ-ナリズムの終わりの始まり――
 11 古森発言の問題点
 12 古森発言の背景――国際放送のソフトパワ-論に要注意――
 13 国益を背負うことはジャ-ナリズムとしての公共放送の死を意味する
  (参考)スポーツの自立、国際親善を損なう国益――瀬古利彦と荻村伊智朗の国歌・国旗観――
 14 「要請」(命令)放送と放送の自主自律は両立しない

2
.「国策」にどう向き合うか――ジャ-ナリズムとしてのNHKの分岐点――
 21 NHKの宿罪としての国益
 22 国家の命令機関、公示機関としての放送(満州事変以降)
 23 放送は政府・軍部の意思を伝える通路にすぎなかった
 24 戦後もなお国策を清算できなかったNHK

3
.公共放送の価値を唱導した人々
 31 戦後放送法の初志を綴った荘宏『放送制度論のために』
 32 押しかけた自民党議員を一喝した野村秀雄会長
 33 視聴者に開かれた経営委員会となることを訴えた矢野初代経営委員長
 34 受信料制度「国営化を防ぐ砦」と言い放った原経営委員長

4
.自民党国会議員を励ます会に発起人として出席してスピ-チをした古森経営委員長

6.ジャ-ナリズムとしてのNHKの将来――国家主義的「公共性」と決別して市民的公共性の担い手として――
 61 2つの公共性のせめぎあい
 62 表現の自由の原点に立ち返って

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旧敵国条項を持ち出して国連憲章を排斥した古森経営委員長の時代錯誤の歴史認識

国連憲章の敵国条項を持ち出した古森氏の意図は?

 さる3月11日に開催されたNHK経営委員会で次のような議論が交わされた。

今井副会長)第1章(一般基準)第1項で、「国際連合憲章の精神を尊重し、自由と正義とを基調とする」としたところを、「日本国憲法および国際連合憲章の精神を尊重し、自由と民主主義とを基調とする」と変更します。この基準ができたのが昭和34年です。昭和32年に日本が国連に加盟しており、その時の国内の考え方を反映したものと理解しています。それを今日的に、日本国憲法と民主主義という言葉を使って表現したいと思います。
古森委員長)第1章第1項で、日本国憲法および国際連合憲章の精神を尊重とありますが、国際連合憲章はよく吟味されましたか。これには確か今でも日本などを対象とした敵国条項が入っているのではないでしょうか。
今井副会長)日本についての敵国条項については、日本国政府もかねてから改正の要請を出し、そのうえで、国際連合憲章に基づく外交を進めています。
古森委員長)要請を出してはいますが、敵国条項がまだ消えていません。
今井副会長)国際連合憲章の精神を尊重するということです。


 このやりとりで問題になっている「敵国条項」とは、
2次世界大戦における連合国の対戦国だった日本・ドイツ・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・フィンランドらが国連憲章に違反する軍事行動を起こした場合、国連憲章第53条に定められた安保理の許可なしに軍事制裁を課す事が出来ると定めた国連憲章第107条のことをいう。

 しかし、今日、こうした条項は時勢に合わないとして、
1995年の国連総会において、同条項の削除を求める決議が圧倒的多数で採択されている。ただ、安保理改組問題が難航したため、国連憲章の改正作業が遅れ、同条項の削除はまだ実現していない。これについて、1990611日の安全保障特別委員会で外務省条約局長(当時)の福田博は次のように答弁している(下線は醍醐の追加)。

日本政府も実効性を否定

 福田(博)政府委員
 ・・・・我が国は旧敵国条項はもはや我が国に適用される余地はないという解釈を従来とっておりまして、一貫して国会でもその旨お答えをしておるところでございます。その理由を法的に申し上げますと、国連憲章の旧敵国条項というのは、先ほども説明がありましたが、第二次大戦後の経過的な規定として挿入されているものでありますが、我が国は国連憲章第四条に言う平和愛好国として国連に加盟を認められております。したがいまして、国連加盟国としての権利義務を持つことになるわけですが、その国連加盟国、ほかの国と我が国との関係というのはいろいろな条文がございますが、例えば憲章第二条、なかんずく主権平等の原則によって規律されることとなっております。したがいまして、法的にももはや我が国に対しては適用がないという考えでございまして、これは非常に多くの国がそういう考えを持っているということが言えると思います。」

 また、2005年6月3日、国連総会のビン議長は日本などが長年要求していた国連憲章から「旧敵国条項」を削除することなどを盛り込んだ「結論文書」の草案を公表した。これはビン議長が敵国条項を削除することについて加盟各国の合意が得られる見通しが立ったと判断したことによるものだった。このニュースを伝えた『産経新聞』2005年6月4日付の記事は、これで「同条項が既に『時代錯誤』であることが国連加盟国の共通の認識となったことを確認したといえる」と記している。

 国連憲章にも問題点がないわけではない。また、旧態の「敵国条項」はすみやか削除される必要がある。しかし、上の資料からも明らかなように、旧敵国条項は今日、国際政治の世界では死文とみなされ、日本政府自身も、もはや、わが国に適用される余地はないと断言している。にもかかわらず、古森氏はこうした歴史的経緯を知ってか知らずか、敵国条項をことさら持ち出して、国連憲章の精神の尊重をNHKの国際番組基準に明記することに異議を差し挟んだのである。

 このことは、古森氏が、2度にわたる世界大戦の惨害の反省に立って、「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し」(前文)て、平和的手段による紛争の解決を訴えた国連憲章の精神を理解する知性を持ち合わせていないことを告白したに等しい。かくも一知半解で時代錯誤の歴史認識の持ち主が公共放送NHKを監督する機関(経営委員会)の委員に選ばれた不幸を改めて感じないわけにはいかない。

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古森NHK経営委員長への公開質問書―ー政治家を「励ます会」への出席とスピーチについて―ー

47日、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」はNHK経営委員長、古森重隆氏に対して下記のような公開質問書を提出した。全文のPDF版は次のとおり。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/komori_situmonsho20080407.pdf
**************************************************
【挿入】
 古森重隆氏のNHK経営委員からの罷免を求める署名にご協力をお願いします。(下記の署名用紙にご記入の上、「視聴者コミュニティ」の事務局までFAX075-642-5354)でお送りいただけると幸いです。
 古森経営委員の罷免を求める署名用紙
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/komori_himen_yokyu_shomei.pdf
**************************************************

                  200847
NHK経営委員長
古森重隆様

 公開質問書:
   
国会議員を「励ます会」への貴殿の出席について

      NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
            共同代表:湯山哲守・醍醐 聰

 古森重隆様にはNHK経営委員長としてご多忙の毎日をお過ごしのことと存じます。
 去る331日の参議院総務委員会で古森委員長は委員の質問に答えて、本年226日に国会議員を「励ます会」の発起人を務め、会に出席したことを認められました。このことは不偏不党、自主自立の立場で公平な放送を行うことを責務とするNHKの監督機関の長として極めて由々しい行動です。そこで、視聴者が問題の経過と貴殿の認識を正確に理解するため、以下の質問をいたします。
 ご多忙の折とは存じますが、後掲の方法で誠意のあるご回答をいただきますよう、お願いいたします。なお、回答は一括形式ではなく、必ず、各質問事項ごとにお願いいたします

〔質問1〕 私どもの調査では、古森委員長が発起人の一人として出席された国会議員を「励ます会」とは、本年226日夜、東京都千代田区のルポ-ル麹町で開かれた「衆議院議員武藤容治君を励ます会」となっていますが、これに間違いないでしょうか? 確認をお願いいたします。

〔質問2〕 古森委員長がこの「励ます会」の発起人を引き受けられた経緯をご説明ください。

〔質問3〕 私どもは経営委員(会)も「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」という放送法第1条第2項の定めに服すべきものと考えますが、古森委員長はどのように認識されているでしょうか? 

〔質問4〕 上記の「励ます会」に古森委員長は富士フイルムホールディングス社長として出席されたとのことですが、あいさつでは、「NHKの経営委員長を仰せつかっている」と自己紹介された上で、「皆さんの応援をぜひともお願いします」と話されたと伝えられています。これに相違ないでしょうか? 

〔質問5〕 NHK経営委員長の職にある貴殿が、たとえ、かつての職場の上司としてであれ、特定の国会議員を「励ます会」の発起人を務め、その会に出席して上記のような発言をされることは、経営委員も服すべき放送法第1条第2項の定めに反し、NHKと政治の距離をわきまえない不見識な行動であることは明白です。これについて貴殿はどのように認識され反省されているか、お聞かせください。

〔質問6〕 武藤容治議員の公式ホームページに掲載された「GIFU39ニュース」Vol.2には「9.NHK放送産業を考える議員の会に参画」と題した次のような記述があります。

「おりしも不祥事が立て続けに発覚し、昨年からの論議で民営化の議論もあり、党内の部会では喧々諤々の議論がありました。国営放送の位置付けが必要であるという認識から西川公也先生(栃木県選出)にお声をかけていただき『放送産業を考える議員の会』を立ち上げ、47日NHK本社を訪問し、現場を視察しながら意見交換を実施いたしました。今後国営放送のあるべき姿や国際放送問題や受信料のあり方等提言していくことになりました。」(下線は引用に当たって追加) 

 このようにNHKを<国営放送>と呼ぶ国会議員を「励ます会」に出席した人々に向かって「応援」を求めるのは、公共放送の何たるかに関する無知、無理解をさらけ出したものであり、NHKの経営委員として失格であると私たちは考えます。貴殿はどのように認識されているか、お聞かせください。
                      以上

 ご回答送付先: ×××

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古森NHK経営委員長の罷免を求める署名運動、開始

 古森重隆氏はNHK経営委員長に就任以来、「選挙期間中の歴史ものの番組は慎重に」と番組内容に干渉する発言をしたり、国会議員を「励ます会」に発起人として出席し、NHK経営委員長と断ったうえで、「応援をよろしく」とあいさつするなど、不偏不党を原則とする公共放送の監督機関の委員長としては言語道断の言動を繰り返してきた。そして、さる311日の経営委員会では、「国益がぶつかりあう国際放送ではNHKも国益を主張する覚悟が必要」と語り、NHKを国策放送機関に変質させるかのような常軌を逸した発言を行った。

 そこで、各地の市民団体は、かくも公共放送の役割に無知・無理解な発言を繰り返す古森重隆氏をNHK経営委員から罷免するよう求める署名運動の準備を進めてきたが、このほど4団体の共同で署名運動を開始した。以下は署名用紙のURLと全文である。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/komori_himen_yokyu_shomei.pdf


 署名の第一次集約は421日。趣旨に賛同くださる方々は上の署名用紙にご記入のうえ、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の事務局(電話&FAX0756425354)までFAXでお送りいただくか、氏名、住所を記入のうえ、会の窓口アドレス(shichoshacommunity@yahoo.co.jp)までメールをお送りくださるよう、お願いしている。

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                               2008
47
内閣総理大臣 福田康夫様
衆議院議員 参議院議員 各位

   
古森重隆NHK経営委員長罷免の申し入れ

     NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
     NHK問題京都連絡会
     NHK問題を考える会(兵庫)
     NHK問題を考える大阪の市民の会

 公共放送であるNHKの最高責任者・古森重隆経営委員長は、就任以来数々の「政治的」発言を繰り返し、氏の資質が問題とされてきましたが、最近になって、「政治的」言動をいちだんと強めています。このまま進めば、NHKが放送法の定める「放送の不偏不党」「自主自律」「表現の自由」が侵され、「国営放送」に変質させられるのではと危惧さえします。以下簡単に同氏の言動を列挙します。
 古森氏は昨年911日の経営委員会で「選挙期間中の放送については、歴史ものなどの放映はいつも以上にご注意願いたい」と発言し、経営委員会の職責を逸脱した「放送内容に対する政治的発言」として国民的な批判を浴びました。この発言はあまりにも重大であったため、改正放送法で、「経営委員は個々の放送番組の編集その他の協会の業務を執行できない」との条文(第16条)の新設をもたらしたほどです。
 次に古森氏は就任前から参加していた安倍前首相を囲む財界人の集まり「四季の会」から退会すべきだとの批判に対しても退会を拒んでいます。同氏の「政治家への接触の鈍感さ」の表れが2月26日、自民党衆議院議員武藤容治氏を「励ます会」への出席と発言にも見られます。そこでは「NHKの仕事もしておりまして、経営委員長を仰せつかりまして昨年6月以来、苦闘しております。みなさんの応援をぜひお願いいたします」と発言しています。
 古森氏は129 日の経営委員会において、上記の新放送法第16条への無理解を露呈し、「経営委員会はNHK全体の監督責任を持っている。その責任を負う立場としておよそ全く関与できないことについては少し違和感を覚える。」と発言し、同席した他の経営委員等からたしなめられ「解説」を受け、なお執拗にこの種の発言を繰り返しています。
 そして311日の経営委員会での「国際放送における国益擁護報道」発言となりました。さらに国連憲章に対して疑義を呈し、「国際放送では国益を主張せよ」と執拗にNHK経営陣に迫っています。
 以上の古森氏の言動から次の申し入れを行うものです。

           申 し 入 れ

一 NHK経営委員長古森重隆氏は、政治から独立し自主・自立を堅持するNHKの先頭に立つべき責任者としての適格性を疑わせる一連の行為・発言を繰り返しており、それらは放送法第20条に規定される「委員に職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行」に該当すると考えられるので、内閣と国会の名において経営委員を罷免すること

                     以 上
取り扱い団体 NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
専用ファックス 075-642-5354へお送り下さい。

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