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歴史の荒波を生き抜いたプラハの人々~NHK世界遺産の旅 チェコ・プラハ編をみて~

 412日夜、NHK総合で放送された「世界遺産の旅 奇跡の美 街に宿る不屈の心~チェコ・プラハ~」を録画に撮り、食後のひとときにみた。画面に現れたプラハの街の各所は2003年秋に夫婦で出かけた所でもあり、山根基世さんの気さくなリポートで進んだこの番組を感慨深く終わりまで観た。ご覧になれなかった方、見過ごされた方は、次のとおり再放送が予定されているので、ぜひ、ご覧いだけたらと思う。
 417日(木)   330 413
 418日(金) 16051648
 http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr108.html

 人形はプラハの言語を守った命綱

 プラハは「建築博物館の街」といわれるだけあって、完成までに長年月が費やされた由緒ある建築物が点在する。プラハ城内にある聖ヴィ-ト大聖堂は現在のゴシック様式に改築されるまでに実に600年を要したという。プラハ市博物館に所蔵されている1873年当時の市街地の模型は11年がかりで歩いて街を回り、歩幅で距離を測って製作したという。

 しかし、長い時間を経過したのは建築物だけではない。番組では、プラハの歴史遺産を守り抜くために一つの仕事に長年月打ち込んできた人々の姿も紹介していた。中でも国立マリオネット劇場を拠点とする人形劇団の中には52年間劇団のメンバーとして仕事を続けている人がいた。ほかにも、49年間、30年間、28年間、劇団で活動しているという人々が紹介された。
 チェコにとって人形劇は「文化の命綱」といわれている。そのわけは、チェコを支配したハプスブルグ家あるいはドイツ軍がドイツ語を公用語として強制したことから、チェコ語が忘れ去られようとした時期に劇団はチェコ語を使った人形劇を各地で公演し、母国語を守る砦になったからである。
 また、人形を売る店の若い店員は腹話術を交えて操り人形を動かしてみせた後、「人形は単なるおもちゃではなく、自分の気持ちを表現する手段」と語ったのが印象的だった。

 歴史の荒波を生き抜いたプラハの歌手、マルタ・クビショヴァ

 番組全体を通して私がもっとも感銘を受けたのは激動の歴史を生き抜いたプラハ人の象徴ともいえる女性歌手、マルタ・クビショヴァさんが
3度、登場した場面だった。

 最初の場面は、チェコで進みつつあった自由化の波(「プラハの春」)に危機感を抱いたソ連軍率いるワルシャワ条約機構軍が1968820日にチェコに侵攻した時だった。番組では侵攻軍を惑わすため、市内の標識を取り外す一方、帰ってほしい行先(モスクワなど)だけ残す若者の姿を映していた。しかし、プラハを武力で制圧した侵攻軍は放送局も占拠した。そこで、市民は工場の地下に秘密のラジオ局を設けて放送を流した。その時、人々の耳に聞こえてきたのは当時、デビュ-曲「マルタの祈り」が大ヒットしていた人気歌手、マルタ・クビショヴァの歌声だった。しかし、地下のラジオ局も閉鎖され、ソ連の影響を受けた共産党政権が成立すると、マルタ・クビショヴァは歌の世界から永久追放され、レコードはすべて廃棄されてしまった。

 次に、番組の中でマルタ・クビショヴァさんが登場したのは、秘密警察が幅を聞かせた共産党一党支配に対する市民の批判が噴出したいわゆる「ビロード革命」の時だった。1989年、学生の抗議行動に端を発し50万人のデモにふくれ上がった民衆の力で一滴の血も流さず共産党一党独裁政権に終止符を打った喜びに沸きかえる広場の正面の建物のバルコニーに20年ぶりに姿を現わしたマルタ・クビショヴァはあの「マルタの祈り」を歌いあげたのだった。20年間、歌の世界から追放された彼女は内職で生活をしのいできたという。長い苦難の生活のせいか、やつれてはいたが、逆境を生き抜いた強靭な知性を彷彿とさせる場面は感動的だった。

「祖国の自由」への意思を込めて
~マルタ・クビショヴァが歌ったもう1つの「ヘイ・ジュード」~


 マルタ・クビショヴァさんが最後に登場したのは番組が終わりに近づいた時だった。山根さんが、ぜひ出かけたいといって足を運んだのはマルタさんが常連で歌っているというライブハウスだった。小さな舞台に登場したマルタさんが歌ったのは、ビートルズが歌った「ヘイ・ジュード」の歌詞を替えた歌だった。後で調べて見つけた日本語訳の最後の
2つの節を書き出しておく。
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/d4a9ce618371d1d908587900069f289e を参照。)

 あなたはこっちへ 私は向こうへ歩き出す
 でも ジュード あなたと遠くはなれても
 心はあなたのそばに行ける
 今 私はなす事もなく あなたの歌を聴く自分を恥じて いる
 神様私を裁いてください
 私はあなたのように歌う勇気がない

 ジュード あなたは知っている
 口がヒリヒリ 石をかむようなつらさを
 あなたの口から きれいに聞こえてくる歌は
 不幸の裏にある「真実」を教えてくれる

 これも後で調べてわかったことだが、この曲は1969年、プラハの春の時期にレコ-ディングされた。マルタ・クビショヴァは「ジュード=祖国の自由」という意味を込めて、この歌をアルバムの最後に入れた。しかし、レコードが売り出される頃、ソ連軍の武力侵攻で「プラハの春」は挫折し、それ以来、マルタさんはこの歌を歌う機会に恵まれなかった。そのためか、ビロード革命の後、カレル大学に招かれたマルタさんは学生たちからこの歌をリクエストされたが、「長い間歌っていないので〔歌詞に〕自信がない」というと、学生たちは「僕らは(何度も歌って)知っている。教えますから」と答えたという。

 不条理な迫害に屈せず苦しい時代を生き抜いたマルタ・クビショヴァ、そして彼女の強靭な意思に応えたプラハの人々――番組はこうした感動のドラマを見事に描き切っていた。

(追記)20011月、NHK総合で「世紀を刻んだ歌:ヘイ・ジュード~革命のシンボルとなった名曲」というタイトルの番組が放送された。しかし、残念ながら私は見損なった。NHKアーカイブスにも入っていないようだ。

プラハの思い出のアルバムから


 以下、番組を見ながら思い出に耽ったプラハの街並みのアルバムの中からいくつかを載せておきたい。

上から順に、
1.人出でにぎわう旧市街広場
 (向かいの建物の2階にあるカフェ・ミレナから撮影。カ  フカの恋人の名を冠したカフェと聞いて入った。)
2.プラハ城正面玄関広場での観閲式
3.プラハ城内の大統領府がある聖十字礼拝堂
4.プラハ城からみおろした街並み
5.国立博物館からみたヴァツーラ広場の遠景
6.悠然と流れるヴァルタヴァ川
7.旧市街広場でボヘミアの踊りに興じる人々
8.旧市街広場で並んだ出店(焼き菓子店)
9.カレル橋

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コメント

ウィルヘルミナ 様 コメントありがとうございました。『放送レポート』を手に入れられたとのこと、座談会に参加した1人としてうれしく思います。民放連も国策放送なら、外国人向けの映像国際放送に参加しないと言っています。デザインを変えましたが、これからもよろしくお願いします。

投稿: 醍醐聰 | 2008年4月18日 (金) 02時55分

醍醐さん、こんにちは。
私のような小さな地方都市に住んでいるものにとっては、「放送レポート」のような超硬派の雑誌、手に入りにくかったのですが、ようやく全国チェーンの蔦屋書店ができてから、手に入るようになりました。
「放送レポート」(№212)を拝読させていただきました。例のシンポジウムの内容、わかってよかったです。できれば会場に行って聞きたかったのですけど、本当に濃い内容の討論だったと思います。
この調子で、徐々に、視聴者に、現会長・現経営委員長の考えていること、そしてその背後にいる、安倍・竹中・管の3人のことを炙り出していくしか、NHKを守っていく方法ないのではないでしょうか?道は恐ろしく険しいですけど、皆で頑張っていくしかありません。民放にも、少数ですけど、ジャーナリズムの危機を憂えている人、いるはずですから。(私は、個人的には、TBSの金平さんなんかいいと思います。金平さん、TBSの報道局長として、「ニュース23」の後任に、あのみのもんたさんではなく、後藤謙次さんとしました。金平さん、大衆迎合主義ではなかったのです。)
民放の良心的な人達とも手を取り合って、放送への政府の介入を阻止する、という方法も考えられると思います。
本当に、今は、NHKばかりでなく放送全体の危機ですからね。
醍醐さん、どう思われますか?

投稿: ウィルヘルミナ | 2008年4月16日 (水) 22時37分

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