« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

日本の医療費抑制政策は正当か? ~医薬品製造業の高収益構造が問いかけるもの~

 さる59日付けで拙書『会計学講義』第4版、東京大学出版会、を刊行した。このブログにアクセスされる方々は会計学に関心を持たれた方ばかりではないと思うが、自分の専攻分野での仕事の一端をお伝えできればと思い、以下、東京大学出版会のHPに掲載された拙書の紹介記事(目次と担当編集者のコメント)を同会の許可を得て、PDF版で転載することにした。

醍醐聰『会計学講義』第4版、20085月、東京大学出版会、目次
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kaikeigakukougi4ed_mokuzi_UP.pdf


同上書、表紙カバ-(絵は衣川史さんの作品「浸透」である。衣川さんの了解を得て、このブログに転載することにした。)
4_2


















 









 

  この記事では、日本の医療費抑制政策の正当性を検討する一助になると思われる医薬品製造業の高収益構造を示すデータ(拙書の第
3章の冒頭に掲載したTopix3)をこのブログにアクセスしていただいた方々にも参照いただければと思い、一部割愛のうえ、転載することにした。なお、Topix3は損益計算書の読みこなし方を学ぶ事例として掲載したものである。

【Topix 3】医薬品製造業の損益計算書の特異性

下の表は製造業、医薬品製造業ならびに医薬品製造業に属する2社の2004年度の百分比損益計算書(売上高を100とした場合の主な収益・費用項目、各種利益の割合)の一部である。

   図表31 医薬品製造企業の百分比損益計算書(2004年度)
          製造業    医薬品   小野薬   武田薬
                 製造業   品工業   品工業
売上高       
100.0                100.0             100.0              100.0
売上原価
                       78.5                  34.1              14.5                 25.4
 売上総利益
                21.5                 65.9               85.5                 74.6
販売費及び
一般管理費      15.8                 44.7               44.3                30.7
  うち研究開発費               4.3                                     21.2                18.9

 営業利益
                     5.7                21.2               41.2               43.9
営業外収益
                     1.9                  2.0                  1.5                 3.2
営業外費用
                     1.4                  1.1                  0.3                 1.7
 経常利益
                     6.2                22.1                 42.5               45.4

(注) 製造業、医薬品製造業は資本金100億円以上の企業の総計
(出所)製造業、医薬品製造業は、経済産業省経済産業政策局調査統計部『企
業活動基本調査報告書』平成17年、平成193月。小野薬品工業、武田薬品工業は各社の有価証券報告書より作成

【設問】
  1.売上総利益、営業利益、経常利益はそれぞれどのように異なるのか?
  2.上の百分比損益計算書から、製造業と医薬品製造業では損益計算の構造にどのような違いかあるか、説明せよ。その違いは医薬品製造業の営業活動のどのような特徴を表していると考えられるか?


【Topix 3の解説】
医薬品製造企業の高収益構造から見えてくる日本の医療費抑制政策の歪み


 この章の冒頭に掲げた図表31から次のような特徴を読みとることができる。
 1.企業の定常状態での収益性を表すといわれる経常損益の段階で医薬品製造業は製造業平均の3.6倍の収益率を記録している。また、医薬品製造業の中でも図表31で上げた2社は同業種の平均のさらに約2倍の経常利益率を記録している。

 2.医薬品製造業では営業費用に占める研究開発費の割合が高いが、それを差し引いた営業損益段階でも製造業平均の3.7倍の利益を確保している。

 
3.  このように医薬品製造業が製造業平均と比べて極端に高い利益水準を記録した原因は、異例ともいえるほど高い売上高総利益率(売上総利益/売上高)にある。これは薬価が原価を大きく上回る水準で設定されていることを意味する。
    
 従来、日本では医療機関に納入される医薬品の卸価格が市場の実勢価格を下回る結果、その乖離に相当する「薬価差益」が大きいことが問題にされてきた。なぜなら、このように卸価格と実勢価格が乖理した状態では、医療機関は患者に医薬品を投与すればするほど利鞘を稼ぐことができ、それが薬漬け診療をはびこらせ、医療費を押し上げる要因になっていると考えられたからである。
 このような議論を踏まえて厚生労働省は薬価改定の都度、薬価差の縮小を促してきた。その結果、1991年には23%とされた薬価差益は2006年には8%まで縮小した。しかし、それでも医療費の高騰傾向は止まっていない。そこで、政府は医療費の総合的抑制策を打ち出し、患者負担の引き上げとそれによる受診の抑制を誘導している。

 しかし、上で指摘したデータを見ると、このように需要側をコントロールすることを主眼にした医療費抑制政策には疑問が生じる。なせなら、医療費を管理する上で重要なのは薬価差益というよりは薬価そのもの(供給側の要因)だと考えられるからである。つまり、かりに医療機関への納入価格を市場の実勢価格に近づけたとしても、その市場価格が原価と大きく乖理している限りは国の医療保険費と患者負担の総枠は変らないからである。

 残念ながら、医薬品価格の国際比較をした最近のデータは見当たらないが、旧経済企画庁がまとめた
1996年版の『国民生活白書』で引用された資料(大阪府保険医協会調べ。19931994年当時)によると、日本の主な医薬品の価格はアメリカの1.1倍、ドイツの1.4倍、イギリス、フランスの2.7倍となっている。このように、国際比較で見た日本の薬価の高い水準が日本の医薬品製造業に異例ともいえる高率の利益をもたらしている大きな要因ではないかと考えられる。なかには、薬価を切り下げると医薬品製造業界の生命ともいえる研究開発のインセンティブを損なうとの指摘がある。しかし、図表31を見ると、医薬品製造業は業界に特有な多額の研究開発費を支出したうえで、なお既述のような異例ともいえる高率の利益を確保していることを見過ごすことはできない。


  

| | コメント (1)

鳳仙花二題――植民地韓国の辛酸と自国独立への希望を託した歌

 植民地支配下の朝鮮人の痛恨と独立への希望を託した「鳳仙花」
 NHK教育テレビ(一部総合テレビ)で放送される「名曲アルバム」を10年ほど前からよく聴いている。この34年はNHKのホームページに解題付きで掲載される「今月の放送曲目」を印刷し、録画予約をするのが習慣になった。各曲にまつわるエピソード、歴史的背景を説明した字幕付きの映像を見ながら曲を聴くのは音声だけ聴く場合とは一味違った趣がある。夫婦で出かけたウイーンやプラハなどの風景が映るときは、旅の思い出がよみがえり会話がはずむ。
 この5月の放送曲目の中では「鳳仙花」(作曲 洪蘭坡/編曲 金子仁美/演奏 北原幸男<指揮>、NHK交響楽団/映像 ソウル)の美しいメロディと作曲者洪蘭坡の生い立ちに惹きつけられた。

 洪蘭坡(ホン・ナンパ。18971941年)は韓国の「楽聖」と呼ばれた同国の近代音楽の先駆的作曲家であるが、バイオリン演奏、評論も手がけた人物でもある。1917年から東京音楽学校で学んでいたが、31独立運動を機に帰国し、独立運動に参加した。帰国後、彼は「哀愁」という題の曲を作り、声楽家、金享俊(キム・ヒョンジュン)が5年後にこれに詩をつけたのが「鳳仙花」だった。表向きは鳳仙花の四季のうつろいを詠んだ歌であるが、実際は、日本の植民地支配で祖国を滅ぼされた朝鮮人の哀切を、秋風に花を散らせ、北風に吹きつけられる鳳仙花の悲しげな姿に託すとともに、のどかな春風の季節に蘇る鳳仙花になぞらえて祖国の独立を夢みる朝鮮人の希望を代弁した歌である。メロディはこの詩にふさわしく、静かな哀切調の中に、自国の独立、人間としての尊厳を固持しようとする朝鮮人の強靭な意思をにじませて実に美しい。

 洪蘭坡の苦難の生涯
 しかし、「鳳仙花」の成り立ちを調べていくにつれ、この歌は作曲者、洪蘭坡の苦難の生涯と切り離して語ることはできないと悟った。名曲アルバムも映像の字幕で紹介していたが、日本の官憲は鳳仙花の歌詞に込められた抗日・祖国独立の隠喩を嗅ぎつけ、洪蘭坡を日本の朝鮮支配に抵抗する危険人物と見なして日常的に監視し出した。その圧力に耐えかねた彼は1941年、43歳の若さで他界した。太平洋戦争開戦の3か月前だった。

 しかし、洪蘭坡を死においやった理由はこうした官憲の監視による精神的肉体的疲弊だけではなかったと考えられる。彼は日本軍国主義による朝鮮統治が頂点に達した時期に日本に強要されて数編の軍歌を作曲するとともに、京城放送管弦楽団の指揮者として「皇国精神にかえれ」、「愛馬進軍歌」、「太平洋行進曲」など日本の軍歌を指揮・演奏した。音楽活動を通じて朝鮮民族の痛恨と誇りを代弁しようとした彼にとって、こうした反民族的行為への服従がいかに耐えがたい残忍なものであったか、想像を絶する。

 後世、韓国内では洪蘭坡のこうした日本軍国主義への「協力」行動を理由に彼を「親日派」に加える動きがある。たとえば、韓国民族問題研究所は本年4月に「親日人名辞典」に掲載するリストを改訂するにあたり、洪蘭坡を親日派のリストに加えた。これについて『朝鮮日報』は本年51日の紙面に「親日・反日の尺度では量りきれない歴史」と題する社説を掲げ、次のように記している。

  「しかし日帝が朝鮮を支配した1910年から45年までの36年間、この地で生きた朝鮮人の数多くの人生を、親日と反日の二分法で区分するにはあまりにも事情が複雑だ。日帝時代に青年から壮年の時期を過ごした世代は、洪蘭坡(ホン・ナンパ)が作曲した数百の韓国歌曲、中でも『成仏寺の夜』『鳳仙花』などを口ずさみながら、国を失った民の悲しみと悲哀を骨身に染みて痛感し、祖国を取り戻さなければならないという思いを新たにしていた。もちろん洪蘭坡 は日本による統治が最悪の状況に至った当時、日本に強要された数編の軍歌も作曲した。現在は独立した国である大韓民国で心穏やかに日々を過ごしているわれわれが、あたかも批評や論評でも加えるかのように、洪蘭坡に対して『親日派』のレッテルを貼っていいものだろうか。・・・・・親日派リストを発表した当事者たちが、あの過酷だった植民地時代を生き抜き、『自らに対しては霜柱のように、他人に対しては春風のように対せよ』という『持己秋霜 待人春風』の姿勢を持っていたなら、今回のような行いをすることは決してなかっただろう。」

 もうひとつの「鳳仙花」
 ――在日二世の哀切と憤怒を歌った李正子――
 洪蘭坡の「鳳仙花」について調べている中で、李正子の歌集『鳳仙花のうた』があることを知った。私が読んだのは、磯貝治良・黒古一夫編『<在日>文学全集17巻 詩歌集Ⅰ』勉誠出版、2006年に収録されたものである。この歌集には、李正子の別の歌集『ナグネタリョン―永遠の旅人』も収録されている。

 巻末の年譜によると、李正子(イ・チョンジャ)は1947年に三重県上野市に生まれた在日韓国人二世である。中学生の時に短歌に出会い、20歳の頃から「朝日歌壇」に投稿をしていた。その後、上野市で喫茶店を営む傍ら、近藤芳美が主宰する「未来」の同人として作歌に打ち込んだ。『鳳仙花(ポンソナ)のうた』(雁書館)は彼女が37歳の1984年に刊行された第一歌集である。第二歌集の『ナグネタリョン―永遠の旅人』(河出書房新社)が刊行されたのはそれから7年後の1991年だった。収録された歌はどれも彼女の生い立ちが投影し、植民地時代の朝鮮人が日本軍国主義から受けたつめ跡と哀切が随所にほとばしり出ている。また、他者の痛みをいまなお感受できない日本人への抑えがたい怒りが噴出した歌もちりばめられている。以下、数首を書き出しておきたい。

 替えられし弁当の砂に額伏せて食(は)めばたちまち喚声あがる
 喚声にかこまれて食(は)む砂の粒声こらえつつ地を這うわれは
 泣きぬれて文盲の母を責めたりき幼かりし日の参観日のわれ
 国籍の壁越え得ねば去る君の弱さが憎しじっと目を伏す
 隠滅のはてに還らぬ慰安婦ら朝鮮おみなと知れば哀しく
 誰が為に征(ゆ)きて還らず鮮人の兵に国なく慰めもなく
 臨時休業の札かけ見知らぬ町へゆく広き優しき海を見むため
 あきらめることも生き方とゆき戻るわれの歩みを波が消しゆく
 日本の男はみな卑怯者弱虫と日本のおとこのみ愛して知りぬ
 世界史に残しおくレジスタンス「三・一」いま暴動と記され傷む


 今回、「名曲アルバム」で放映されたのを機縁に二つの「鳳仙花」を知った。どちらの鳳仙花にも日本軍国主義が朝鮮半島で侵した戦争犯罪が今日まで朝鮮人の心身に残した深いつめ跡への直視を迫るものだった。それだけに、一人の日本人として李正子の歌に背筋を正される思いがしたのである。

 侵略戦争語らず詫びず恥じるなく戦後を了(お)えて日本は強し
 ひとりよがりの平和うたがうこともなく四十二年は日本人のもの

(追記)
洪蘭坡作曲「鳳仙花」(ホン・ナンパ)は523日(金)55分からNHK教育テレビ「名曲アルバム」で再度放送される。この記事をご覧いただいた方はぜひ視聴していただきたいと思う。

| | コメント (7)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »