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鳳仙花二題――植民地韓国の辛酸と自国独立への希望を託した歌

 植民地支配下の朝鮮人の痛恨と独立への希望を託した「鳳仙花」
 NHK教育テレビ(一部総合テレビ)で放送される「名曲アルバム」を10年ほど前からよく聴いている。この34年はNHKのホームページに解題付きで掲載される「今月の放送曲目」を印刷し、録画予約をするのが習慣になった。各曲にまつわるエピソード、歴史的背景を説明した字幕付きの映像を見ながら曲を聴くのは音声だけ聴く場合とは一味違った趣がある。夫婦で出かけたウイーンやプラハなどの風景が映るときは、旅の思い出がよみがえり会話がはずむ。
 この5月の放送曲目の中では「鳳仙花」(作曲 洪蘭坡/編曲 金子仁美/演奏 北原幸男<指揮>、NHK交響楽団/映像 ソウル)の美しいメロディと作曲者洪蘭坡の生い立ちに惹きつけられた。

 洪蘭坡(ホン・ナンパ。18971941年)は韓国の「楽聖」と呼ばれた同国の近代音楽の先駆的作曲家であるが、バイオリン演奏、評論も手がけた人物でもある。1917年から東京音楽学校で学んでいたが、31独立運動を機に帰国し、独立運動に参加した。帰国後、彼は「哀愁」という題の曲を作り、声楽家、金享俊(キム・ヒョンジュン)が5年後にこれに詩をつけたのが「鳳仙花」だった。表向きは鳳仙花の四季のうつろいを詠んだ歌であるが、実際は、日本の植民地支配で祖国を滅ぼされた朝鮮人の哀切を、秋風に花を散らせ、北風に吹きつけられる鳳仙花の悲しげな姿に託すとともに、のどかな春風の季節に蘇る鳳仙花になぞらえて祖国の独立を夢みる朝鮮人の希望を代弁した歌である。メロディはこの詩にふさわしく、静かな哀切調の中に、自国の独立、人間としての尊厳を固持しようとする朝鮮人の強靭な意思をにじませて実に美しい。

 洪蘭坡の苦難の生涯
 しかし、「鳳仙花」の成り立ちを調べていくにつれ、この歌は作曲者、洪蘭坡の苦難の生涯と切り離して語ることはできないと悟った。名曲アルバムも映像の字幕で紹介していたが、日本の官憲は鳳仙花の歌詞に込められた抗日・祖国独立の隠喩を嗅ぎつけ、洪蘭坡を日本の朝鮮支配に抵抗する危険人物と見なして日常的に監視し出した。その圧力に耐えかねた彼は1941年、43歳の若さで他界した。太平洋戦争開戦の3か月前だった。

 しかし、洪蘭坡を死においやった理由はこうした官憲の監視による精神的肉体的疲弊だけではなかったと考えられる。彼は日本軍国主義による朝鮮統治が頂点に達した時期に日本に強要されて数編の軍歌を作曲するとともに、京城放送管弦楽団の指揮者として「皇国精神にかえれ」、「愛馬進軍歌」、「太平洋行進曲」など日本の軍歌を指揮・演奏した。音楽活動を通じて朝鮮民族の痛恨と誇りを代弁しようとした彼にとって、こうした反民族的行為への服従がいかに耐えがたい残忍なものであったか、想像を絶する。

 後世、韓国内では洪蘭坡のこうした日本軍国主義への「協力」行動を理由に彼を「親日派」に加える動きがある。たとえば、韓国民族問題研究所は本年4月に「親日人名辞典」に掲載するリストを改訂するにあたり、洪蘭坡を親日派のリストに加えた。これについて『朝鮮日報』は本年51日の紙面に「親日・反日の尺度では量りきれない歴史」と題する社説を掲げ、次のように記している。

  「しかし日帝が朝鮮を支配した1910年から45年までの36年間、この地で生きた朝鮮人の数多くの人生を、親日と反日の二分法で区分するにはあまりにも事情が複雑だ。日帝時代に青年から壮年の時期を過ごした世代は、洪蘭坡(ホン・ナンパ)が作曲した数百の韓国歌曲、中でも『成仏寺の夜』『鳳仙花』などを口ずさみながら、国を失った民の悲しみと悲哀を骨身に染みて痛感し、祖国を取り戻さなければならないという思いを新たにしていた。もちろん洪蘭坡 は日本による統治が最悪の状況に至った当時、日本に強要された数編の軍歌も作曲した。現在は独立した国である大韓民国で心穏やかに日々を過ごしているわれわれが、あたかも批評や論評でも加えるかのように、洪蘭坡に対して『親日派』のレッテルを貼っていいものだろうか。・・・・・親日派リストを発表した当事者たちが、あの過酷だった植民地時代を生き抜き、『自らに対しては霜柱のように、他人に対しては春風のように対せよ』という『持己秋霜 待人春風』の姿勢を持っていたなら、今回のような行いをすることは決してなかっただろう。」

 もうひとつの「鳳仙花」
 ――在日二世の哀切と憤怒を歌った李正子――
 洪蘭坡の「鳳仙花」について調べている中で、李正子の歌集『鳳仙花のうた』があることを知った。私が読んだのは、磯貝治良・黒古一夫編『<在日>文学全集17巻 詩歌集Ⅰ』勉誠出版、2006年に収録されたものである。この歌集には、李正子の別の歌集『ナグネタリョン―永遠の旅人』も収録されている。

 巻末の年譜によると、李正子(イ・チョンジャ)は1947年に三重県上野市に生まれた在日韓国人二世である。中学生の時に短歌に出会い、20歳の頃から「朝日歌壇」に投稿をしていた。その後、上野市で喫茶店を営む傍ら、近藤芳美が主宰する「未来」の同人として作歌に打ち込んだ。『鳳仙花(ポンソナ)のうた』(雁書館)は彼女が37歳の1984年に刊行された第一歌集である。第二歌集の『ナグネタリョン―永遠の旅人』(河出書房新社)が刊行されたのはそれから7年後の1991年だった。収録された歌はどれも彼女の生い立ちが投影し、植民地時代の朝鮮人が日本軍国主義から受けたつめ跡と哀切が随所にほとばしり出ている。また、他者の痛みをいまなお感受できない日本人への抑えがたい怒りが噴出した歌もちりばめられている。以下、数首を書き出しておきたい。

 替えられし弁当の砂に額伏せて食(は)めばたちまち喚声あがる
 喚声にかこまれて食(は)む砂の粒声こらえつつ地を這うわれは
 泣きぬれて文盲の母を責めたりき幼かりし日の参観日のわれ
 国籍の壁越え得ねば去る君の弱さが憎しじっと目を伏す
 隠滅のはてに還らぬ慰安婦ら朝鮮おみなと知れば哀しく
 誰が為に征(ゆ)きて還らず鮮人の兵に国なく慰めもなく
 臨時休業の札かけ見知らぬ町へゆく広き優しき海を見むため
 あきらめることも生き方とゆき戻るわれの歩みを波が消しゆく
 日本の男はみな卑怯者弱虫と日本のおとこのみ愛して知りぬ
 世界史に残しおくレジスタンス「三・一」いま暴動と記され傷む


 今回、「名曲アルバム」で放映されたのを機縁に二つの「鳳仙花」を知った。どちらの鳳仙花にも日本軍国主義が朝鮮半島で侵した戦争犯罪が今日まで朝鮮人の心身に残した深いつめ跡への直視を迫るものだった。それだけに、一人の日本人として李正子の歌に背筋を正される思いがしたのである。

 侵略戦争語らず詫びず恥じるなく戦後を了(お)えて日本は強し
 ひとりよがりの平和うたがうこともなく四十二年は日本人のもの

(追記)
洪蘭坡作曲「鳳仙花」(ホン・ナンパ)は523日(金)55分からNHK教育テレビ「名曲アルバム」で再度放送される。この記事をご覧いただいた方はぜひ視聴していただきたいと思う。

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コメント

始めまして鳳仙花について検索していてたどり着きました。

>1917年から東京音楽学校で学んでいたが

この部分に対する貴方の評価はどの様なものでしょうか?

投稿: | 2011年2月 3日 (木) 11時36分

初めてコメントさせて頂きます。
先生のこの御文を、田月仙さん「禁じられた歌」の、“「鳳仙花」の作曲者、洪蘭坡”のところでリンクさせていただきました。
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2008/11/081122.html

ご了承下さいませ。

投稿: 野村勝美(のむらかつよし) | 2008年11月24日 (月) 10時05分

みずの様
私も2つの鳳仙花を知った時、あまりに歴史を知らなかった自分を恥ずかしく思いました。他者の痛みを我が事と感じるそういう日本人でありたい」というお言葉、深く共感いたします。感想、どうもありがとうございました。

投稿: 醍醐 | 2008年10月15日 (水) 22時48分

ちまたでは、永住外国人参政権問題や
人権擁護法案を巡って、喧々囂々の議論が
盛んのようです。
特に右側に位置する若い人に反対論が
根強いようですね。
殴った方はすぐに忘れることができるし
いつまで謝罪?いつまで土下座という
論調は非常に乗りやすいものなんだろうなと
思います、土台を喪った日本人の不安と
苛立ちが基にあるんでしょうか。

しかしながらここに書かれた詩に
刻み付けられた痛みや苦しみや恨み、
日本人として
私は忘れてはならないものと思っています、
他者の痛みを我が事と感じるそういう
日本人でありたいものです。

投稿: みずの | 2008年10月15日 (水) 19時22分

ひづる様
返信と感想ありがとうございました。私は若い方々の関心に追いつけないことが多いですが、お話のとおり、ブログでは「硬派」の記事ととともに、素人なりに、文学、美術、映画、旅行記、自分の住む地域での出来事などいろんなことを書き留めたいと思っています。さきほど、改めて録画にとった名曲アルバムの「鳳仙花」を聴きました。何度聴いても素晴らしい曲ですね。字幕の解説を読みながら聴きますと、いっそう曲に惹き寄せられます。VTR、私も確かめてみます。

投稿: 醍醐 | 2008年10月13日 (月) 15時10分

daigo様、
こちらのほうこそ、何の連絡も差し上げないままに、勝手に記事を紹介してしまい、大変失礼いたしました。

私のブログは、テーマがテーマだけに?大変稚拙なブログで恐縮なのですが、また気が向いたときには覗かれてください。

こんなご立派な先生から自分のブログにコメントを頂けるとは、正直思ってもみませんでした。
こうして紹介されている記事を見ますと、daigo様の温かなお人柄が伝わってきて、いち在日コリアンとしては、嬉し限りでございます。

どうも素敵な記事を書いていただき、ありがとうございました!


それにしても、この名曲アルバムのVTR、是非見てみたいものです・・・。

投稿: ひづる | 2008年10月12日 (日) 23時13分

お知らせ 有難うございました。
とめどない涙をおさえながら読みました。
ほんとうに胸が痛い!
以前 私も「鳳仙花」を口ずさんでいたこともありましたのに、この頃は忘れていました。
23日の早朝を楽しみにしつつ・・・

投稿: J. U. | 2008年5月14日 (水) 20時24分

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