まれにみる稚拙で悪質な最高裁判決――ETV番組改編事件に対する最高裁判決への論評
昨日(6月12日)、最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)はETV番組改編事件に対して原告(VAWW-NET JAPAN)の訴えを認めた(一部は棄却)東京高裁判決を覆す原告全面敗訴の逆転判決を言い渡した。公判の成り行きから原告に厳しい判決が出ることは予想していたが、27ページからなる判決要旨を通読して、予想を越える最悪に近い内容であると感じた。これによって司法判断は確定したが、この番組改編問題は私がNHKの放送に関心を持つきっかけになった事件だったので、判決要旨から理解できた範囲で今回の最高裁判決について論評しておきたい。
判決の要点
原審である東京高裁では本件をめぐって2つの点が争われた。1つは番組改編にあたって政治家の介入があったかどうか、あったとしたらそれは番組改編にどのような影響を及ぼしたのかであった。もう1つは、番組改編が取材に協力した原告の期待権、信頼を侵害するものであったかどうか、改編についてNHKに原告への説明義務違反を理由とする不法行為責任があったかどうかだった。
今回の最高裁判決は1つ目の争点には全く触れず、もっぱら2つ目の争点について判断を示している。その要点を摘記すると以下のとおりである(下線は引用にあたって追加)。
「これら放送法の条項〔第1条~第3条〕は、放送事業者による放送は、国民の知る権利に奉仕するものとして表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることを法律上明らかにするとともに、放送事業者による放送が公共の福祉に適合するように番組編集に当たって遵守すべき事項を定め、これに基づいて放送事業者が自ら定めた番組基準に従って番組の編集が行われるという番組の自律性について規定したものと解される。」
「そして、放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる。」
(上記からすれば)「放送事業者又は制作事業者から素材収集のための取材を受けた取材対象者が、取材担当者の言動等によって、当該取材で得られた素材が一定の内容、方法により放送に使用されるものと期待し、あるいは信頼したとしても、その期待や信頼は原則として法的保護の対象とはならないというべきである。」
国民の知る権利に背く番組改編を憲法が保障した「表現の自由」の名の下に免罪した支離滅裂な判断
そもそも放送法第1条が定めた放送による表現の自由、第3条が定めた放送番組への干渉の排除、自律は今回の最高裁判決自身も指摘しているように、「国民の知る権利に奉仕する表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にある」ものである。ところが、本件においてNHKが行った番組改編は、戦時性暴力の実態を伝えようと、被害者である「元従軍慰安婦」と加害者である元日本軍兵士が行った証言をカットするなど、国民が日本の戦争責任を考える上で貴重な意味を持つ証言を切り捨てる改編にほかならなかった。このように憲法21条の目的に反し、国民の知る権利を裏切る番組改ざんまで「表現の自由」を持ち出して免罪した最高裁裁判官の憲法と放送法解釈は稚拙というほかない。
政治介入に起因する番組改編をNHK内部の検討の結果にすり替える歪んだ事実認定
最高裁判決は上記のとおり、「放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる」と指摘している。
確かに、本件番組改編はある時点まではNHKならびにNHKから番組制作を委託されたNHKエンタープライズ21(NEP)、ドキュメンタリー・ジャパン(DJ)の担当者内部での議論をつうじてなされたものであったといえる。そして、この段階(東京高裁判決によれば2000年12月26日まで)の番組改編は東京高裁判決が指摘したように「本件番組の制作責任者としてより良い番組を作ろうとした純粋な姿勢によるも」と手放しに評価できるかどうかは別にして、政治介入を忖度したりそれにおもねたりしたものではなかったと考えられる。
しかし、少なくとも本件番組の放送直前の2001年1月29日の夕刻から夜にかけて行われた上記の証言場面の削除は、同日、安倍晋三氏(当時、官房副長官)と面会し安倍氏から本件番組を公平公正なものにするよう促された松尾放送総局長(当時)や野島国会担当役員らがNHKの制作現場に戻り、番組制作とは無縁な野島氏が主導・指示する形でなされたものである。これも「NHK内部での」検討の結果であるかのように描いた最高裁の事実認定は、番組改編の核心部分から政治家の関与をそり落とし、政治介入に煙幕を張る悪質なすりかえのレトリックといえる。
最高裁判決は政治介入と政治におもねるNHKの体質の免罪符にならない
今回の最高裁判決は先に記したように、本件番組改編への政治家の介入について全く触れていない。しかし、そのことから、NHKあるいは安倍晋三氏ら関係政治家の不当な介入が免罪されたとは到底いえない。今回の最高裁判決も、番組制作に直接かかわった永田恒三、長井暁の両氏が東京高裁法廷で陳述した政治家の数々の介入を裏付ける証言の証拠能力を否定したわけではないから、それらも踏まえて東京高裁が認定した政治家の介入、それを忖度した当時のNHK幹部の政治におもねる根深い体質は消せない事実として記録に残る。さらに、こうした政治におもねる体質を象徴したかのような当時のNHK理事の「政治家への番組の事前説明はNHKの日常業務」という発言についてNHKは今なお、公式に非を認めていない。であれば視聴者は、こうした政治におもねたNHKのジャーナリズムとしてあるまじき行為を長く記憶にとどめ、NHKの優れた番組には激励を送る一方で、政治に弱いNHKの体質を厳しく監視し、視聴者主権の公共放送の実現を目指す行動を続けていく必要がある。
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コメント
まれにみる といわれますが、このところ こんな判決ばっかりですよ。 「抽選箱の中はすべて空くじ」みたいなもんでしょ。 日本で裁判に訴えるのはムダですよ。
投稿: I.. T. | 2008年6月14日 (土) 00時38分
醍醐先生、論評、読ませていただきました。ありがとうございます。
NHK裁判、私は、原審の「政治介入によって公共放送が改変された」という点がこの裁判の本質であると思っていましたが、高裁判決で「期待権」へ論点の比重が移ったことに、違和感を持っていました。
安倍元首相が、今朝の朝日新聞の朝刊に「朝日新聞がねつ造だったと再度確認した」とのコメント。
朝日はここまでいわれてもこのままねつ造だと認めるのか、「訴訟の当事者ではないので・・」とか広報部は言ってますが、社説を読んでも、
もうすっかり当事者からはずれていますね。
感情的な言葉しかでてきませんが、
高校1年の娘が昨日夜の7時のニュースで今回の判決を説明するニュースキャスターに「この人まで、にくらしくなってくるね」といってました。
この問題は結局、天皇の戦争責任を追及させないぞ、という、なんだかそれだけのメッセージが残ったように思います。
S. Z.
投稿: S. Z. | 2008年6月13日 (金) 11時16分