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日本簿記学会関東部会で研究発表

628日、東京理科大学で日本簿記学会第24回関東部会が開催された。統一論題は「税効果会計の現代的課題」だった。私は同学会の会員ではないが準備委員会から報告依頼を受け、「法人税等調整額の性格の再検討」という論題で研究発表をした。

 以下は、その報告要旨と報告用に使ったパワーポイントの原稿である。未定稿なので引用・転載等は固くお断りする
  なお、会場で補足資料と参照事例資料を配布したが、ここでは掲載を省略する。

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   法人税等調整額の性格の再検討(報告要旨)

                      醍醐 聰

 税効果会計の目的は法人税等調整額を介して法人税等を適切に期間配分することにより、税引前当期純利益と法人税等を合理的に対応させることにあるといわれている。しかし、わが国の銀行業では税効果会計適用後の法人税等の負担率が法定実効税率から乖離している例が少なくない。しかも、その乖離の主たる原因は永久差異にではなく評価性引当額にあることがわかる。しかし、評価性引当額は仕訳上、法人税等調整額の相手科目であり、税効果会計を構成する勘定科目である。とすると、税引前当期純利益と法人税等を合理的に対応させるために採用された現行の税効果会計の体系の中に、この目的達成を阻害する要因が混在しているのではないかと想定される。本報告は法人税等調整額の性格に焦点を当てて、このような想定を理論、実証の両面から検討することを主眼としている。

 わが国の「税効果会計に係る会計基準」によると、法人税等調整額は、①一時差異の発生または解消に伴って繰延税金資産または繰延税金負債が変動した場合、②過年度の繰延税金資産または繰延税金負債の回収(決済)可能性を見直した結果、修正差額が生じた場合、に増減変動する。このうち、①の場合、法人税等調整額は当年度中に一時差異が発生または解消したことに伴う法人税等の増減変動を調整し、企業会計から誘導された税引前当期純利益に対応する法人税等を導くための調節弁としての役割を果たす。これが語の本来の意味での税効果会計の姿といえる。しかし、②の場合の法人税等調整額は繰延税金資産の評価の見直しに起因する過年度損益修正額に対応する法人税等を意味するが、現行の税効果会計基準ではこの場合の過年度損益修正は税引前当期純利益計算に反映されない。これが、税効果会計適用後の法人税等の負担率を法定実効税率から乖離させる要因になっていると考えられる。本報告では、このような原因分析にもとづいて税引前当期純利益と法人税等を合理的に対応させるための方法を探るとともに、企業会計と課税所得計算の関係はどうあるべきかについても考察することにしたい。

報告用パワーポイント原稿
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/boki_gakkai_houkokuyo_pp.pdf

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視聴者コミュニティ、NHK番組改編事件判決に関する見解を最高裁裁判官ほかに提出

「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は617日、次のような見解をまとめ、今回の裁判を担当した最高裁第一小法廷の5人の裁判官(横尾和子、甲斐中辰夫、泉徳治、才口千晴、涌井紀夫の各氏)とNHK正副会長以下全理事、NHK経営委員全員に提出(手交または郵送)した。

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                           2008616

    ETV番組改編事件に対する最高裁判決についての当会の見解

             NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
                    共同代表 湯山哲守・醍醐聰

 さる612日、最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)はETV番組改編事件に対して第1審原告(VAWW-NET JAPAN。以下、「原告」という)の訴えを全面的に退ける判決を言い渡しました。判決の中で最高裁は原審東京高裁判決が挙げた2つの争点のうち、1つ目の番組改編にあたって政治介入があったかどうかにはまったく言及せず、2つ目の争点、すなわち、番組改編が取材に協力した原告の期待権、信頼を侵害するものであったかどうかを検討し、どのように番組を編集するかは放送事業者の自主的判断にゆだねられており、取材対象者の期待や信頼は原則として法的保護の対象にならないとして原告の訴えを退けました。
 しかし、私たちは以下述べる理由により、こうした最高裁判決は本件番組改編の本質から目をそらせた、まれに見る悪質な判断であると考え、最高裁を厳しく批判するものです。

1
. そもそも放送法第3条が定めた番組編集の自由、自律といっても、それは今回の最高裁判決も指摘しているように、「国民の知る権利に奉仕する表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にある」ものです。ところが、本件においてNHKが行った番組改編は、戦時性暴力の実態を被害者である「元従軍慰安婦」や加害者である元日本軍兵士が証言した場面をカットするなど、国民が日本の戦争責任を考える上できわめて重要な意味を持つ証言を切り捨てる改編にほかなりませんでした。このように国民の知る権利に背くことが明白な番組改編まで「表現の自由」を持ち出して免罪した最高裁判決は憲法の番人たる司法の使命を自ら投げ捨てたに等しい、稚拙かつ前後自己矛盾の判断というほかありません。

2
. 最高裁判決は、「放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる」(下線は引用にあたって追加)と記しています。
 しかし、本件番組改編は純然たるNHK内部での検討の結果ではなく、東京高裁判決も認めたように、安部晋三氏ら政権与党政治家の干渉、圧力を受け、それを忖度したNHK幹部が制作現場の抵抗を押し切って強行したものにほかなりません。また、NHK内部といっても、改編を主導したのは制作現場のスタッフではなく、安部氏らと面会したあと制作現場に戻った野島国会担当役員らでした。こうした異例な一連の経過を見れば、本件番組改編をNHK内部での様々な意見・検討の結果であるなどと一般論に解消して済ませようとした最高裁判決が問題の本質をはぐらかせた皮相な判断であることは明白です。

3
. 今回の最高裁判決は上記のように、本件番組改編にあたって行われた政治家の介入について一切言及しませんでした。しかし、このことを以て、NHKあるいは安倍晋三氏ら関係政治家が無罪放免されたとは到底みなせません。それどころか、本件をめぐる東京高裁法廷で番組制作スタッフが証言した政治家の数々の介入を示す証拠、それらも踏まえて東京高裁が認めた政治家の介入とそれを忖度した当時のNHK幹部の政治におもねる根深い体質は、当事者自らが非を認め、反省の意思を行動で示さない限り、恒久に消えることのないNHKの汚名として視聴者の記憶にとどまることは間違いありません。
 私たちは、この記憶を風化させることなく、今後もNHKの優れた番組には激励を送る一方で、政治におもねるNHKの体質を厳しく監視し、是正を求める行動を起こしていきます。

4
. 最高裁が今回の判決で、国民の知る権利に背く番組改編まで放送事業者の編集の自由の名の下に免罪したことは、今後、NHKが自らの「編集権」を盾に同様の番組改編を繰り返すのではないかという懸念を抱かせます。しかし、国民の知る権利に奉仕するためにこそ、メディアに編集の自由、表現の自由が与えられているという憲法の原点に照らせば、今回の最高裁判決が司法の良識に背くことは明らかです。私たちはこのような憲法の原点を踏まえて、今後も国民の知る権利に奉仕する公共放送としてNHKが再生するよう、視聴者主権の運動を続けていく決意です。

                               以上

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まれにみる稚拙で悪質な最高裁判決――ETV番組改編事件に対する最高裁判決への論評

 昨日(612日)、最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)はETV番組改編事件に対して原告(VAWW-NET JAPAN)の訴えを認めた(一部は棄却)東京高裁判決を覆す原告全面敗訴の逆転判決を言い渡した。公判の成り行きから原告に厳しい判決が出ることは予想していたが、27ページからなる判決要旨を通読して、予想を越える最悪に近い内容であると感じた。これによって司法判断は確定したが、この番組改編問題は私がNHKの放送に関心を持つきっかけになった事件だったので、判決要旨から理解できた範囲で今回の最高裁判決について論評しておきたい。

判決の要点
 原審である東京高裁では本件をめぐって2つの点が争われた。1つは番組改編にあたって政治家の介入があったかどうか、あったとしたらそれは番組改編にどのような影響を及ぼしたのかであった。もう1つは、番組改編が取材に協力した原告の期待権、信頼を侵害するものであったかどうか、改編についてNHKに原告への説明義務違反を理由とする不法行為責任があったかどうかだった。
 今回の最高裁判決は1つ目の争点には全く触れず、もっぱら2つ目の争点について判断を示している。その要点を摘記すると以下のとおりである(下線は引用にあたって追加)。

 「これら放送法の条項〔第1条~第3条〕は、放送事業者による放送は、国民の知る権利に奉仕するものとして表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることを法律上明らかにするとともに、放送事業者による放送が公共の福祉に適合するように番組編集に当たって遵守すべき事項を定め、これに基づいて放送事業者が自ら定めた番組基準に従って番組の編集が行われるという番組の自律性について規定したものと解される。」

 「そして、放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる。」

 (上記からすれば)「放送事業者又は制作事業者から素材収集のための取材を受けた取材対象者が、取材担当者の言動等によって、当該取材で得られた素材が一定の内容、方法により放送に使用されるものと期待し、あるいは信頼したとしても、その期待や信頼は原則として法的保護の対象とはならないというべきである。」

国民の知る権利に背く番組改編を憲法が保障した「表現の自由」の名の下に免罪した支離滅裂な判断
 そもそも放送法第1条が定めた放送による表現の自由、第3条が定めた放送番組への干渉の排除、自律は今回の最高裁判決自身も指摘しているように、「国民の知る権利に奉仕する表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にある」ものである。ところが、本件においてNHKが行った番組改編は、戦時性暴力の実態を伝えようと、被害者である「元従軍慰安婦」と加害者である元日本軍兵士が行った証言をカットするなど、国民が日本の戦争責任を考える上で貴重な意味を持つ証言を切り捨てる改編にほかならなかった。このように憲法21条の目的に反し、国民の知る権利を裏切る番組改ざんまで「表現の自由」を持ち出して免罪した最高裁裁判官の憲法と放送法解釈は稚拙というほかない。 

政治介入に起因する番組改編をNHK内部の検討の結果にすり替える歪んだ事実認定
 最高裁判決は上記のとおり、「放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる」と指摘している。

確かに、本件番組改編はある時点まではNHKならびにNHKから番組制作を委託されたNHKエンタープライズ21(NEP)、ドキュメンタリー・ジャパン(DJ)の担当者内部での議論をつうじてなされたものであったといえる。そして、この段階(東京高裁判決によれば20001226日まで)の番組改編は東京高裁判決が指摘したように「本件番組の制作責任者としてより良い番組を作ろうとした純粋な姿勢によるも」と手放しに評価できるかどうかは別にして、政治介入を忖度したりそれにおもねたりしたものではなかったと考えられる。

 しかし、少なくとも本件番組の放送直前の2001129日の夕刻から夜にかけて行われた上記の証言場面の削除は、同日、安倍晋三氏(当時、官房副長官)と面会し安倍氏から本件番組を公平公正なものにするよう促された松尾放送総局長(当時)や野島国会担当役員らがNHKの制作現場に戻り、番組制作とは無縁な野島氏が主導・指示する形でなされたものである。これも「NHK内部での」検討の結果であるかのように描いた最高裁の事実認定は、番組改編の核心部分から政治家の関与をそり落とし、政治介入に煙幕を張る悪質なすりかえのレトリックといえる。

最高裁判決は政治介入と政治におもねるNHKの体質の免罪符にならない
 今回の最高裁判決は先に記したように、本件番組改編への政治家の介入について全く触れていない。しかし、そのことから、NHKあるいは安倍晋三氏ら関係政治家の不当な介入が免罪されたとは到底いえない。今回の最高裁判決も、番組制作に直接かかわった永田恒三、長井暁の両氏が東京高裁法廷で陳述した政治家の数々の介入を裏付ける証言の証拠能力を否定したわけではないから、それらも踏まえて東京高裁が認定した政治家の介入、それを忖度した当時のNHK幹部の政治におもねる根深い体質は消せない事実として記録に残る。さらに、こうした政治におもねる体質を象徴したかのような当時のNHK理事の「政治家への番組の事前説明はNHKの日常業務」という発言についてNHKは今なお、公式に非を認めていない。であれば視聴者は、こうした政治におもねたNHKのジャーナリズムとしてあるまじき行為を長く記憶にとどめ、NHKの優れた番組には激励を送る一方で、政治に弱いNHKの体質を厳しく監視し、視聴者主権の公共放送の実現を目指す行動を続けていく必要がある。

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