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NHKの番組編集の自由を守る自覚を促した参議院総務委員長見解――NHKスペシャルへの自民党議員の攻撃に関連して(その2)――

 1つ前の記事で、さる511日に放送されたNHKスペシャル「セ-フティネット・クライシス~日本の社会保障が危ない~」に関して、520日の参院総務委員会で磯崎陽輔議員(自民党)が参考人として出席したNHK正副会長ほかにむかって、政治的に偏向した番組だと非難したことを取り上げた。この質問に関しては、当の参議院総務委員会の筆頭理事の間でも議論が交わされた模様で、さる610日に開催された同委員会での質疑の中で、高嶋良充委員長は次のような委員長見解を読み上げている(参議院委員会議事録より引用)。

委員長(高嶋良充君) 速記を起こしてください。
 筆頭理事間協議も含めまして、委員長として見解を申し述べた方がいいと、こういうことでございますので、委員長の方から、ただいま加藤委員からの質問について見解を申し上げたいと思います。
 NHKを始めとする放送局には、国民の知る権利に奉仕するため、表現の自由が確保されております。放送法においても、何人も法律に定める権限に基づかなければ放送番組に干渉、規律することができない旨の放送番組編集の自由が保障されているわけでございます。
 しかし一方では、公共放送としてのNHKには、その番組編成に当たって政治的公平性、中立性をしっかりと担保していただくことが求められていることもこれまた事実でございます。
 本総務委員会は、放送を所管する委員会として、NHKの予算や決算等の委員会審議を通じて、放送の健全な発展と公共放送としての番組の政治的公平性の確保を図り、さらに、報道の自由や表現の自由を守っていくという責務を有しておるというふうに考えております。
 以上の観点から申し上げますと、総務委員会における審議に際しても、これらのことを再認識をしていただいて、個別の放送番組に対する発言は、その内容が番組編成権の干渉に及んだり、放送番組編集の自由を阻害するおそれのないものでなければならないというふうに思っております。
 もとより、委員会質疑に当たっての議員の質問権の尊重は当然のことでございますが、しかし、委員会における発言がNHKの放送番組編集の自由を侵害しているのではないかとの疑念を招くようなこととか、あるいは番組制作を萎縮させることがないような、そういう慎重な、より注意深い質問に当たることが委員各位には求められているのではないかというふうに思っております。
 委員長としては、この際、この点につきまして、改めて委員各位にも認識を深めていただきたいと考えておりまして、以上の見解を申し述べて、加藤委員の質問の答弁に代えさせていただきたいと思います。


 最近、国会質問の場でNHKの個別の番組を取り上げ、政治的に偏向しているとの非難が向けられることが少なくない。そうした中で、NHKの予算の審議、決算の審査を行う参議院総務委員会において各党筆頭理事の協議に基づき、上記のような委員長見解がまとめられ、議事録に残されたことは、今後の国会質問の場での政治と放送の関係を規律していく上で重要な意味を持つと考えられる。また、委員長見解の中で、番組制作を萎縮させるような国会議員の質問権の行使に釘を刺したことも注目に値する。

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生活保護・医療保険はセ-フティネットとしてどう機能しているか~NHKスペシャルへの自民党議員の攻撃に関連して(その1)~

NHKスペシャル~セ-フティネット・クライシス~が伝えようとしたこと
 
さる511日に放送されたNHKスペシャル「セ-フティネット・クライシス~日本の社会保障が危ない~」は、国民健康保険料滞納により、保険証を取り上げられて医療が受けられず、亡くなった人々のことを取り上げた。
 これについて520日の参院総務委員会で磯崎陽輔議員(自民党)は、参考人として出席したNHK正副会長ほかにむかって、政治的に偏向した番組だと咎めた。健康保険料には減免制度があることを番組はきちんと伝えなかった、保険料滞納の背景を説明していない、保険証の取り上げと死亡の因果関係を証明していない――これが磯崎議員のいう「偏向」の中身だった。もとより、ある番組で取り上げたテ-マについて、その背景を十全に説明することは時間的に不可能である。
 それを承知で、この番組が伝えようとしたのは、人件費の削減のため企業が雇用を拡大した非正規社員は、社会保険への加入が認めらない例が少なくない、その結果、非正規社員の国民保険への加入 国民保険の医療費負担の増加 保険料の引き上げ 滞納者の増加、という悪循環が生まれている実態だった。日本の社会保障(セ-フティネット)が直面する危機的状況を伝えることは、市民が日本の社会保障制度が向かうべき方向と政策課題を考える上で貴重な素材になると考えられる。

生活保護の申請を抑制する水際作戦
 磯崎議員は医療保険制度には生活保護制度という補完的セ-フティネットがあるのにこれに触れなかったとNHKスペシャルを非難した。しかし、それをいうなら生活保護制度が補完的セ-フティネットとしてどれほど機能しているのかに言及する必要がある。
 折しも、2008722日の『朝日新聞』朝刊に、同紙が情報公開法によって厚生労働省から入手した全国各市と東京23区の2006年度の生活保護申請率(福祉事務所の窓口に相談に訪れた世帯数のうち生活保護の申請をした世帯の割合)の実態調査の結果が掲載された。それによると、それによると、全市集計では相談に訪れた世帯は348,276でうち申請したのは155,766、申請率は全国平均で44.7%だった。ただし、都市によって申請率のバラつきが大きく、指定市で最高の千葉市は70.5%だったのに対し、最低の北九州市は30.6%だった。また、同じ市の中でも大阪市では24区のうち、北区72.4%から浪速区の21.8%まで50ポイント以上の開きがあった。このことは相談窓口での対応が市あるいは区ごとの裁量によって左右されていることを意味する。

 事実、「親族がいるからダメ」とか、「仕事を探せ」などといって、申請書を渡さない「水際作戦」が各地に広がり、申請権が侵害されたと相談した世帯が訴訟を起こす動きも出ている。たとえば、申請率全国最低の北九州市では1980年頃から各福祉事務所が保護開始数を目標値以下に抑える「目標管理」を導入したという。同市では2007年までの3年間に保護申請を拒まれた男性が孤死に至る事件が3件起こった。その中には、半ば強制的に申請の辞退書を書かされた男性がいた。

セ-フティネット・クライシスの制度的背景
 このようにセ-フティネットが半ば機能不全の状態に陥った本質的原因は自治体の窓口対応のあり方ではなく、非正規雇用者に対する日本の社会保障の後進性にある。以下では、この問題を雇用保険、健康保険、厚生年金に分けて検討した戸田典子「非正規雇用者の増加と社会保障」『レファレンス』20072月、を参照しながら、非正規雇用者に対する日本の社会保障の実態を確かめておきたい。

  表1 雇用形態別の各種保険の適用率         単位:%

雇用保険

健康保険

厚生年金

正社員

99.4

99.6

99.3

非正社員全体

63.0

49.1

47.1

契約社員

79.0

77.4

72.2

嘱託社員

83.5

87.7

84.5

出向社員

87.4

90.9

89.3

派遣社員

77.1

69.9

67.3

臨時的雇用者

28.7

24.7

22.7

パ-トタイム労働者

56.4

36.3

34.7

その他

70.9

67.0

65.6

(出所)厚生労働大臣官房統計情報部『平成15年就業形態の多様化に関す
る総合実態調査報告』
pp.148149.戸田典子「非正規雇用者の増加と社会
保障」『レファレンス』
20072月、32-ジ、より作成。

 上の表1から、
①正社員と非正社員では3つの保険の適用率にいずれも大きな開きがあること、
②さらに、その開きは健康保険・厚生年金の間で顕著な差が見られ、非正社員へのこれら2つの適用率は50%を下回っていること、
③非正社員の中でも、契約社員、嘱託社員、出向社員はどの保険でも70%を超える適用率となっているのに対し、臨時的雇用者、パ-トタイム労働者の健康保険、厚生年金の適用率は40%を下回っていること、
がわかる。

 このうち、①のような実態が生れたのは、被雇用者側の要因からいうと、健康保険、厚生年金の場合は配偶者の被扶養者となれば保険料を負担する必要はない、そのため、労働時間、労働日数の基準を満たしていても、非正規雇用者本人としての加入を避ける場合がある。また雇用者側の要因としては、正社員であれば雇用保険とともに負担しなければならない社会保険料を負担しなくて済むという事情がある。その結果、
2005年現在、国民年金の第1号被保険者の37.2%は雇用者で、そのうち、25.2%は臨時・パ-トの労働者が占め、自営業主の割合は17.8%にとどまっている。1996年当時、臨時・パ-ト労働者の占める割合は13.8%であったから、この10年間に2倍弱の伸びを記録したことになる(戸田、前掲論文、26ページの図2参照)。

 また、短時間労働者の医療保険への加入状況の一端を確かめた資料として、戸田論文(
37ペ-ジ)は厚生労働省『平成16年国民生活基礎調査』を紹介している。それによると、35歳未満のパ-ト、アルバイトをしている者(求職中を含み、学生を除く)のうち、自分の勤務先の医療保険に加入している者は男性で20.1%、女性で25.0%に過ぎず、男性の49.9%、女性の36.0%が市町村国保または国保組合に加入している。

 このように見てくると、
NHKスペシャル~セ-フティネット・クライシス~は時間の制約の中で、非正規雇用者に対する日本の社会保障の貧困を的確に伝えたと言って差し支えない。加えて、前記のような日本の生活保護制度の歪んだ運用の実態を知るにつけ、(最後の)セ-フティネットとしての生活保護制度を紹介しなかったとNHKスペシャルを攻撃した磯崎議員の国会質問は、放送法が禁じた公権力による個別の番組への露骨な干渉であると同時に、同議員自身の生活保護制度に関する認識の欠如を露呈したものといえる。

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大学生の学業機会を侵害する企業の横柄な採用活動

大学3団体が全国の企業に早期採用活動の自粛を申し入れ
 79日午後7時のNHKニュースで、企業が大学生の採用選考と内定を出す時期が早くなりすぎて学生が就職活動に追われ学業に支障が出ているとして、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学団体連合会の3つの団体が全国の企業に対して、大学4年生になる前には採用の働きかけを行わないよう要請した、というニュースが放送された。

 このニュースによると、この10年ほど企業が大学生の採用を決める時期が年々早まり、大学生の多くが3年生の早い段階で就職活動を始めているのが実態だという。そこで、上記の大学3団体は「学生が就職活動に追われて十分に学べないまま社会に出ている憂慮すべき現状にある」として、全国の企業や業界に対して、早い時期からの働きかけを控えるよう要請したのだそうだ。具体的には、大学4年生になる前の学生を対象にした採用の働きかけは行わないことや、就職セミナーや面接などは大学の授業がない休日や夏休みに行うよう求めたという。

目に余る企業の学業妨害行為
 このニュースを私は、「何を今頃」という思いで聞いた。大学教員なら大なり小なり、こういう状況は先刻承知のことである。私自身、学期の途中で、担当した講義科目について小テストを数回行っている。私の大学生時代はというと、試験といえば、学期末1回が当たり前で、試験開始時刻の数分前に事務職員が試験教室に現れ、封筒から問題文が書かれた用紙を取り出して、「産業革命の特徴を論ぜよ」などと大味の問題を板書する科目が多かった。中には、答案用紙の右肩に「希望する点数を記入せよ」と書いて「記入欄」が用意されていた科目もあった。それならと不遜にも「95点」と記入した。後日、成績簿を見たら、95点だったか98点だったかの点数が付いていて驚いた。そんな自分自身の牧歌的というか、自由放任の学生時代を振り返ると、今の大学教育はずいぶんと細やかになったものだと思う。

 話が横にそれたが、春先に1回目の小テストの事前アナウンスをすると、「その日は就職活動で受けられません。何とかしてもらえませんか?」と言いに来る学生が必ず数名いる。当然、「何ともならないね」と答えるが、割り切れなさを感じるのも確かである。中には、「就職活動で授業に出られなかったので、今まで教室で配布されたプリント資料をもらえませんか?」と言ってくる学生もいる。最近は講義用ブログを開設しているので、そこに掲載した資料を自分で印刷するようにいうことにしている。

 
会計士試験(2次試験)に合格したゼミ生が正規のゼミの時間帯に新合格者向けに行われる実習に出なければならないのでと、ゼミの欠席や早退を申し出てくることがある。そのときは、「君が就職する監査法人の上司の名前は? 手紙を書くから持っていきなさい」というと、「それだけは勘弁してください」という返事が返ってきた。

 本来、こういう状況を諦観している大学教員はふがいないのだが、企業が一斉に青田買いに動き、どの大学の学生もそれに対応せざるを得ない状況では、個々の教員が自分の周辺の大学生に学業専念を諭してもどうにかなるものではない。だからこそ、全国の大学当局が共同で経済団体に対し、大学の威信をかけて、学生の学業を妨害する行為を自粛するよう毅然と迫るのが当然である。NHKニュースが伝えたように10年ほど前から、このような企業による学業妨害行為が横行していることを承知しながら、今まで放置してきた大学当局の無責任さは深刻である。と同時に、大学のカリキュラム、大学生の学業の機会を侵害して意に介さない企業の横柄な行動を社会に訴え、強く自制を求めたい。

レジャーランド 今は昔
 かつて、大学はレジャーランドと嘲笑されたが、昨今は大学生の間に学びの姿勢が広がっていると実感している。この春、私が担当するゼミに入った新3年生一人一人に夏学期中(東大では4~9月の学期をこう呼んでいる)順次、自分でテーマを探し発表するよう指示した。例年であれば、発表前に個別にミーティングをして、論点や参考文献のアドバイスをしたものだが、今年度は候補になるテーマのリストを配布し、発表の順番を決めただけで、後は各自が独学をしてかなりの質量の発表用原稿をまとめた(この程度の勉学は当たり前と言えば、それまでだが)。発表したテーマは次のとおりだった。
 *排出権取引
 *株式会社アイ・エックス・アイの粉飾決算
 *粉飾決算について(ミサワホーム九州の粉飾決算の研究――醍醐補    注)
 *ストックオプション
 *サブプライムローン問題 
 *ハイブリッド金融商品の貸借対照表上の分類について
 *ポイント・マイレージの会計
 *企業結合とのれん
 *新銀行東京について
 *粉飾~その実態と背景~(日興コ-ディアルグループ、ライブドア、    カネボウ、サンビシの粉飾事例の研究――醍醐補注)
 *ブルドックソース株式会社の新株予約権無償割当てについて

 どの発表も大学3年生にしてはなかなか充実しており、毎回、発表の後の議論も例年以上に活発だった。定年まで残り少なくなった私にとっても、この夏学期は充実感を味わえた。それだけに、求人側のスケジュールに受け身にならざるを得ない大学生の事情を見透かして彼らの学業の機会を侵害する企業の横柄な行動に強く自制を求めたいのである。求人活動は土・日か夏休み中に限るということを事細かにルールで縛ったり、大学側から申し入れをされたりしなければ、やりたい放題というのでは嘆かわしい。

道路に面したわが家のフェンスにからむてっせん
(季節はずれになったが)
20080717_2   

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NHKの内的自由の抑圧の走狗と化した小林経営委員

小林経営委員による最高裁判決の「改ざん」
 さる624日に開催された第1071NHK経営委員会の議事録が711日に公表された。この日の会合で議題になったETV番組改編事件に係る最高裁判決をめぐって小林英明委員は次のように発言している。

 「(小林委員) 先ほどの「ETV2001」の最高裁判決についてです。勝訴したことは喜ばしいことですが、これはNHKにも重い責任があることを示したものだと思います。この判決は、「放送現場の職員が当初、企画・制作した番組について放送局内でいろいろな立場、いろいろな視点から検討し、意見を述べるのは当然なことであり、その結果、最終的な放送内容が当初期待されたものと異なったり、企画や番組自体が放送されなくなることがあるのも当然のことだ」ということを言っています。つまり、放送事業体、すなわち法人としてのNHKに編集権、自主的判断権があり、放送現場個々にあるものではないということです。したがって、NHKが放送する以上、法人のNHKとして、きちんと責任を持った体制で、内容を吟味して放送するようにということです。放送現場が独走して、法律や倫理に違反した番組を作らないように、しっかりした体制で、きちんとした番組を作っていただきたいという趣旨の判決だと思いますので、その点をよろしくお願いいたします。」

 この発言を受けて、福地会長は次のように発言している。

 「(福地会長) おっしゃるとおりだと思います。記者や制作者はそれぞれ個人としての思想があると思いますが、NHKとして放送する以上は、ニュースや番組の内容は不偏不党でなくてはいけないと思います。私も、報道担当の今井理事もそのように考えております。」

 しかし、上記の小林委員による最高裁判決の引用・援用には判決のどこにも記されていないNHKにおける編集権の解釈に関する意図的な脚色がある。最高裁判決は1審原告バウネット・ジャパンの訴え(取材協力者としての期待権)を退けたが、その際に挙げた論拠は次のとおりである。

 「放送事業者の制作した番組として放送されるものである以上、番組の編集に当たっては、放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられるのは当然のことであり、その結果、最終的な放送の内容が編集の段階で当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のことと国民一般に認識されているものと考えられる。」

 私はこのような論拠に大いに疑義があると考えているが(612日付けのこのブログ記事を参照いただきたい)、ここで最高裁が指摘したNHK内部での独自の編集とは「放送事業者の内部で、様々な立場、様々な観点から検討され、意見が述べられる」ことを言ったにとどまり、小林委員がいうような「法人としてのNHKの編集権」という概念を使ったわけではないし、NHK内部での番組編集が上下の階層構造の下に成り立っているといった解釈を示したわけでもない。これらは小林委員による最高裁判決の「改ざん」にほかならない。

小林経営委員は誰の代理人なのか?
 さらに、小林委員は、「放送現場が独走して、法律や倫理に違反した番組を作らないように、しっかりした体制で、きちんとした番組を作っていただきたいという趣旨の判決だと思います」と発言しているが、小林委員は最高裁判決のどこからそのような「趣旨」を忖卓したのか、弁護士としての小林氏の判例解釈の資質を確かめたいものである。

 また、最高裁判決が、放送現場の番組制作にどのような法律違反や倫理違反があったとどこで指摘しているのか、上記のような重大な発言をする以上、根拠を示すのが弁護士としての小林委員に求められる議論の初歩的作法であり道義的責任である。

 今回の小林委員の発言は、もともと番組制作と関わりのない野島国会担当役員らが元「従軍慰安婦」や元日本軍兵士の証言などを快く思わない安倍晋三氏と面会したあと、番組制作現場に駆けつけ、安倍氏らの意向を忖卓して番組改ざんを指示した行為を、「放送現場の暴走を食い止めるための」「法人としてのNHKの編集権」なる修辞で言いくるめ、正当化しようとしたものといえる。これでは、小林経営委員は市民の知る権利の代理人たるべき経営委員として失格といわなければならない。

「編集権」なる概念とジャーナリズムにおける内的自由
 上記のような小林委員の発言が出る背景には、「編集権」なる概念とジャーナリズムにおける内的自由に関する認識の欠如があると考えられる。この機会にこうした概念の理解を正す必要があると思われる。NHKの職員OBが中心になって1989年に発足した「放送を語る会」の内部に設置された「私たちの提案」作業チームは2006626日付けで「“可能性としてのNHK”へ向かって(案)」と題する提案を公表した。その中で、NHKにおける「編集権」概念の意味が次のように記されている。

 「私たちは法的な根拠もないこのような〔NHKの編集権は会長の業務執行権の中枢であるという〕編集権概念を到底認めることはできません。編集権を、経営者である会長や放送総局長から番組制作局長に移せばよい、という見解もありますが、これも危険です。
 複雑で多岐にわたる現実を取材し、創造的な集団で集団的な作業と表現が要求される多数の番組について、たった一人のトップが適否を判断する、という体制は、番組制作・ニュース取材のように、精神的な作業を中心とする職場ではもともと不自然です。
 放送局の構成員ひとりひとりが、国民の多様な知る権利の付託をうけ、それを実現する任務を負っている、と考えるならば、企画の採否や、番組内容の適否については、できるだけ現場の民主的な合議によって決するのが健康な状態です。組織である以上、セクションのトップが決定するということは避けられませんが、その際も現場に対して説明責任が果たされ、判断の理由が局内で公開される必要があります。」

放送現場の自由を抑圧する走狗と化した小林経営委員
 言われてみれば、特に目新しいことはないかも知れないが、番組制作現場での長年にわたる実体験に裏付けられたこのような提言には説得力が伝わってくる。問題のETV番組の場合もある時点までは、制作現場のスタッフの間で時には激論も交えながら合議が続けられた。このような動きを指して「放送現場の独走」と咎める小林委員の発言はジャーナリズムにおける内的自由に関する無知無理解をさらけ出したものといえる。
 また、こうした小林発言に呼応して、ETV番組の制作にあたり、放送現場のスタッフの中にあたかも個人的な思想に固執した不偏不党の原則に反する行為があったかのように発言した福地会長の見識もNHKのトップに求められる見識とはあまりに懸隔が大きい。

 このような発言が平然と交わされるようでは、NHK経営委員会は放送ジャーナリズムの自由と自立のための砦どころか、脅威とさえいわなければならなくなる。視聴者はNHKの放送現場の良識ある人々と連繋して、このようにジャーナリズムの内的自由の抑圧の走狗と化した経営委員を厳しく監視し、経営委員としての適格性を質していく必要がある。

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愛知淑徳大学で講演:特別会計の埋蔵金の解剖――社会保障財源は増税なき増収で――

 昨日(72日)、愛知淑徳大学のビジネス学部からの依頼で標題のようなタイトルの講演をさせてもらった。声をかけていただいた同学部の吉村文雄教授から「話題を会計に絞らず一般学生の関心にも合うような話を」と頼まれたため、最初の3分の2は専攻からはみ出た社会保障問題に首を突っ込むことになった。ただ、199698年にかけて『週刊社会保障』(株式会社法研刊)の「今週の論評」欄に2ヵ月に1回のペースで執筆をさせてもらったのを機に、「賦課方式の公的年金をめぐる世代間不公平論」や「国民負担率抑制論」の真偽などを考えさせられ、以後も「小さな政府」論に対するささやかな批判を書きとめてきた。
 そこで、小泉政権が打ち出した社会保障費抑制路線の矛盾が噴出する一方、社会保障の財源論がかまびすしい昨今、折から専攻分野で手掛けている特別会計の研究成果の一端を活かせればと考え、標題のようなタイトルで講演をさせてもらった次第である。

 愛知淑徳大学のビジネス学部は名古屋市東部の長久手キャンパスにある。傾斜や石段を取り入れたモダンな庭園風のキャンパスは屈託のない学生の活気であふれていた。吉村教授のほか、梅田敏文現学部長、杉本典行前学部長(会計学教授)なども聴講いただき、恐縮した。 

講演用パワーポイントの原稿 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/tokubetukaikei_no_maizokin_no_kaibo20080702.pdf

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