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醍醐志万子の短歌(1)

醍醐志万子の略歴
 去る917日、姉・醍醐志万子は肺炎で他界した。享年82歳。志万子は歌人・小島清氏の知遇を得て、1947(昭和22)年から同人誌『六甲』、『短歌山脈』に出詠を始めた。1949(昭和24)年7月には「くさふぢ短歌会」(現「ポトナム」)に入会、1951(昭和26)年には「女人短歌」に入会した。1993(平成5)年にポトナムを退会、翌年、『風景』を創刊し、2005(平成13)年に第115号を以て終刊するまで編集・発行にあたった。その後、親しい4人の歌人とともに『塩』を刊行したが、編集にあたった志万子が体調を崩したことから、20087月に4号で終刊となった。
 この間、志万子は『花文』(1958年)、『木草』(1967年)、『花信』(1977年)、『霜天の星』(1981年)など、9冊の歌集を刊行した。最後の歌集『塩と薔薇』(2007年)は前記4冊の歌集からの自選歌集である。
 不特定の方に公開するブログに、身内の生前の足跡を書き留めるのには躊躇いがあった。しかし、晩年の1年10カ月間ほど、近くで姉に接し、姉が死の間際まで自己抑制を保ちながら、作歌に意欲を持続させる姿を目の当たりにして、いつしか私も姉の歌の世界に引き寄せられていった。そこで、世間でいう忌が明けた今、姉であると同時に、戦中・戦後を生きた一人の女性としての醍醐志万子とその短歌について私なりの感想を書き遺しておきたいと思うようになった。
 もとより、私は短歌の世界の門外漢であるから、姉の短歌に関する以下の文章は歌人の方々からすると、稚拙な感想にすぎないことを初めにお断りしておく。

若き日の姉
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最晩年の個人誌「暦」

 自他に厳しい気質を通してきた姉であったが、今年の春、体調の不良を訴え、2週間の入院後、ショートステイへ転所した。一時は食欲も回復し、気持ちの張りを取り戻したが、気力・体力の衰えは否めず、ふさぎこむ日が続いた。そんな中、7月下旬にショ-トステイを訪ねると、枕元に置かれたティシュペーパーの箱や食事の献立カードの余白に、なにやら書きこまれているのが目にとまった。よく見ると、往年、書道教室を開いていた姉の字体からは想像もできないような弱々しいメモ風の短歌だった。思わず、「それなら、今度は個人誌を出し、それに載せれば」と言葉をかけた。「近況報告に代えて、親しい人に送るといいと思うよ。原稿をもらったら編集・入力や印刷はやるから」。
 すると、考え込んで10分もしないうちに、「題は『暦』にする」と言い出した。この前訪ねた時の様子からは想像もできない反応に正直、驚いたが、「それじゃ、1人で出すんだから、だいぶ原稿が要るよ。しっかり用意してね」と言い残して施設を後にした。
 翌々日、連れ合いが施設に出かけたが、夜、帰宅した私に向って、「こんな原稿を預かってきたよ。どうしたの」と話しかけてきた。題まで付けたものの、その頃の姉の様子から言って、本当に原稿が出来上がるのか半信半疑だったので、連れ合いには何も話していなかったのだ。手渡された原稿を見ると、「醍醐志万子 個人誌『暦』 原稿」という表紙付きで、短歌数首とあとがき用の短い文章が書きこまれていた。言い出したら、すぐに取りかからないと気が済まない姉の気性は変わらないなと感じさせられた。
 姉の素早い反応に背中を押される思いで編集と入力にとりかかった。「個人誌」といっても手作りの4ページ建て(B4サイズ両面印刷)のワープロ文書である。用紙は厚口の若草色にした。第1号は8月半ばに完成し、下の姉の助言に従って、とりあえず、『塩』に参加された4人を含む10名足らずの方々に送った(姉自身はもっと多くの人に送って欲しげだったが)。ポトナム時代以来、厚誼をいただいてきたEさんから早々にいただいたE・メールをプリントして持参すると、無言で読み返していた。
 その後、姉からどんどん原稿を手渡され、第3号分まで溜まった。結局、2号、3号は姉の死後となったが11月の忌明けに合わせて完成させ、お供えをいただいた方々への返礼に添えて送った。以下は、その全文である。
 
 「暦」第1
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/reki_No1.pdf
 「暦」第2
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/reki_No2.pdf
 「暦」第3
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/reki_No3.pdf


 以下、上の「暦」に収録した晩年の作品を含め、醍醐志万子の短歌の中から、私なりの興味に沿って作品を選び、感想を記していくことにしたい。

食卓の歌
林芙美子死にたる朝もさくさくと生の胡瓜を食めば香に立つ
                       (『花文』所収)
それほどの食の好みの変わるなし煮物のありて今日の食卓
      (西紀短歌会『短歌作品集』第37編、2007年度、所収)
白菜をちぎりて鍋に入れてゆく白菜の香はわが生を呼ぶ
                     (『暦』第1号、所収)

 母の介護を終えてからは個食が多かったせいか、姉は食事が不規則になったが、もともとは料理が好きで上手だった。帰省すると、幼年時代から慣れ親しんだ手料理を用意してくれた。物資不足の時代を体験し、食欲も細かったこともあってか、姉が用意した食卓は質素な方だったが、あり合わせの食材で食欲をそそる盛り付けの料理を用意する手際のよさは見事だった。
 1首目で、「林芙美子の死」というニュースが伝わる朝も、「生の胡瓜を食う」という、いつもと変わらない食卓風景を「さくさくと」という切れのよい句でつないでいるところが感情移入を好まなかった姉らしい。

犬の歌
わが膝にかけたる犬の手の重さいずくよりきしものと驚く
                       (『花文』所収)
いきもののわが犬われを信じゐてねむるかたちの夕闇に見ゆ
                       (『花信』所収)
一匹が死に黒き犬ウメ太り来ぬ桜散るころ
                          (未発表)

 私の実家は家族みんなが無類の犬好きで、何代も犬を飼った。私が幼稚園に通っていた頃、わが家の飼い犬を「捕獲」して連れて行こうとした野犬狩りの保健所職員に立ちはだかって、「これは飼い犬です、野犬ではありません」と必死に食い下がった姉の光景を今でもはっきりと記憶している。母が他界してからは実家では姉の一人暮らしになったが、最後に飼った「チョコ」という犬(後掲の写真の犬)は、姉によると、朝、2階から姉が下りてくるのを待ちかねたように、よろよろと姉に倒れかかり、そのまま息を引き取った。2首目にあるような飼い主に信頼を寄せる飼い犬のもの言わないいちずな仕草は、人間同士の関係よりも濃いのではと感じさせられることがある。

 3首目はわが家の姉妹犬を歌ったものである。先だったのは姉犬チビで、1匹になった妹犬ウメは姉犬への遠慮がなくなったせいか、以前よりものびのびとふるまうようになり、ご近所からは「太りましたね」とよく言われる。散歩の途中で時々姉のマンションに寄ったが、前足を挙げて人懐っこく向き合う人によりかかるので、そうでなくてもやせた姉がよろけて転倒しなかいか、はらはらしたものだった。

実家で飼った最後の犬「チョコ」

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正念場を迎えたNHK経営委員人事――視聴者の意思を反映させる貴重な第一歩――

 1221日に任期が切れる4人のNHK経営委員の後任を決める国会同意人事が大詰めを迎えている。これについて、すでにこのブログでもお知らせしたように、メディア研究者、ジャーナリスト、各地の市民団体でつくられた「開かれたNHK経営委員会をめざす会」(以下、「めざす会」と略す)は、さる1114日、経営委員の任命権者である麻生総理大臣とNHKを所管する鳩山総務大臣に対し、桂敬一氏と湯山哲守氏を経営委員候補として推薦する旨の申し入れを行っている。

NHK経営委員候補者の推薦に関する申し入れ(両氏の略歴も掲載)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/20081114suisen_kobo_mousiire.pdf


そして、「めざす会」は国会での審議が大詰めを迎えたのを受けて、一昨日から緊急に桂、湯山両氏の推薦に賛同を呼びかける署名を始め、19日夜までで497名の方々が賛同の返答をされた。以下はその名簿である。そして、「めざす会」は19日に、この推薦賛同者名簿を各政党の関係議員に提出した。

桂、湯山両氏の経営委員推薦に賛同された方々の名簿50音順;1119日現在)

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/keieiiin_suisen_sandosha_meibo20081119.pdf

 最新の情報によると、民主党は今日、開かれた国会同意人事検討小委員会と役員会で、政府が国会に提示した4名の候補者(現委員の篠崎悦子ホームエコノミストと多賀谷一照千葉大教授、新任候補の前田晃伸みずほフィナンシャルグループ社長と桑野和泉・玉の湯社長)のうち、桑野氏を除く3人について反対する決定をしたという。そして、他の野党もこれに同調するものと伝えられている。

 こうして、公共放送の自主自立、ジャーナリズムとしてのNHKの役割を理解する資質を欠く言動を繰り返してきた古森重隆氏を退任に追い込んだのに続き、NHK経営委員のポストを財界首脳にタライ回しする人事の象徴であった前田氏の不再任が濃厚になった。これは、参議院の与野党議席数の逆転という現実もさることながら、公共放送にふさわしい見識を備えた人材を経営委員に登用するよう求める視聴者の声、メディアの論説の力によると考えられる。

 そこで、3人の経営委員候補が明日に予定されている国会本会議で否決されると政府は改めて、別の候補者3人を国会に提示しなければならないことになる。このような状況の下で、桂、湯山両氏の選任を求める視聴者の主体的運動が一層、重要になってきた。

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余録
朝の散歩の途中で(後ろは親水公園へと続く緑地)
20081023

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自主退任を示唆したNHK経営委員長、古森重隆氏の発言をめぐって

古森重隆氏は昨日(1111日)開催されたNHK経営委員会の後の委員長会見で、「経営委員長としてやることはやった」、「これからは本業に専念したい」と発言し、12月に任期切れとなる経営委員を続投する意思が薄いことをほのめかしたと伝えられている。
 発言の詳細は不明であるが、ここに至る経過を考えると、近く、政府から新経営委員候補の内示が各党に示されるものの、野党が過半数を占める参議院で古森氏再任の同意が得られにくい状況にあることから、自ら続投の意思がないことを表明することによって、国会で再任拒否を突きつけられる汚名を回避しようとしたのではないか、と考えられる。
 しかし、その一方で、「これは国会の同意人事なので私からどうこう言う問題ではない」とも付け加え、かりに国会で再任が同意された場合は、それを「お墨付き」にしてすすんで続投に応じる意向も含んでいると思われる。
 こうした状況の中で、メディア研究者、ジャーナリスト、各地の市民団体は、このたび、松田浩氏(メディア研究者・元立命館大学教授)、桂敬一氏(メディア研究者・立正大学講師)、野中章弘氏(ジャーナリスト、アジアプレスインターナショナル代表)を世話人とする「開かれたNHK経営委員会をめざす会」(以下、「めざす会」)を結成し、1016日に、NHK経営委員の国会同意人事に関わる内閣総理大臣と国会議員宛に、
  1.経営委員の選任4人にあたり、公募や視聴者による推薦を受け付けること
  2.古森重隆氏を経営委員として再任しないこと
  3.両院による同意人事に先立ち、経営委員候補者に視聴者への所信表明を行わせること
2,886筆の賛同署名を添えて申し入れた(その後、10月末日現在で署名は6,761筆)。
 さらに、「めざす会」は上記の公募・推薦制の趣旨を自ら実践するために、2名の方を新しいNHK経営委員の候補として推薦することを決し、それぞれの方から推薦の応諾をいただいた。これを受けて、「めざす会」は1114日に麻生総理大臣(内閣府大臣官房総務課経由)と鳩山総務大臣(総務省放送政策課経由)へ経営委員候補者の推薦の申し入れをするとともに、その後に、被推薦者も出席していただいて、記者会見を行うことにしている。

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シンポジウム「開かれたNHK経営委員会をめざして」のご案内

 この12月に4名のNHK経営委員の任期が満了し、新たに4名の委員が国会同意人事を経て任命されることになっている。そこで、各地の市民団体とメディア研究者・ジャーナリストの共同で、経営委員会を視聴者に開かれたものとし、委員の選任過程を透明なものにする運動に取り組み、さる9月16日、委員の任命権者である麻生太郎総理大臣に、
 ①委員の公募・推薦制を採用すること
 ②放送の自主・自律を理解しない言動を繰り返してきた古森重隆氏を再  任しないこと
 ③国会での同意人事に先立って、委員候補は視聴者に対して所信を表明  すること、
を申し入れた。
 そうした運動の過程で、上記の団体・個人が中心になって、「開かれたNHK経営委員会をめざす会」(以下、「めざす会」と略す)を結成し、次のようなシンポジウムを開催することになった。

 なお、116日に開催された「めざす会」の会合では、会として経営委員候補を推薦することが確認され、名前を挙げて推進候補の選考を協議した。その結果、複数の候補者を推薦することになり、近々に候補者を決定して発表するととも、国会同意人事に関わる内閣総理大臣、総務大臣、各政党に申し入れることになった。

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シンポジウム 「開かれたNHK経営委員会をめざして」

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月に4人のNHK経営委員の選任を控え、私たちは経営委員の公募・推薦制を求める運動を進めています。その際、NHKを政府の広報機関のようにとらえ、NHKの自主・自律を保障した放送法への無知、無理解を露呈した言動を繰り返してきた古森経営委員長の不再任も求めています。
 この運動の一環として、開かれた経営委員会をめざし、これからの公共放送のありかたを視聴者・市民の立場から考えるシンポジウムを行うことにしました。

日時 
20081122日(土) 13301700 (開場1300
会場 千駄ヶ谷区民会館 2F集会室
   JR原宿駅竹下口(新宿寄り)信号左明治通り方面へ徒歩7

基調講演 いまなぜ経営委員会か ~公募・推薦制の意義を考える~ 
  講師 松田 浩氏(メディア研究者・元立命館大学教授)
シンポジウム 開かれたNHK経営委員会をめざして
  パネリスト 小林 緑氏(国立音楽大学名誉教授) 
        須藤 春夫氏(メディア総合研究所所長・法政大学教         授)
        戸崎 賢二氏(放送を語る会運営委員・愛知東邦大学         教授)
  司会    野中 章弘氏(ジャーナリスト・アジアプレスインタ         ーナショナル代表)

当日会場で若干の資料代・カンパにご協力お願いします。

主催 開かれたNHK経営委員会をめざす会
      松田 浩(メディア研究者・元立命館大学教授)
    桂 敬一(メディア研究者・立正大学文学部講師)
    野中 章弘(ジャーナリスト・アジアプレスインターナショナル     代表)
    石井 長世(日本ジャーナリスト会議事務局)
    岩崎 貞明(放送レポート編集長)
    醍醐 聰(NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同
                  代表)

    松原 十朗(放送を語る会運営委員)
    渡邉 力 (NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ運
                  営委員)

    小滝 一志(放送を語る会事務局長)
    NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
    NHK問題を考える会(兵庫)
    NHK問題京都連絡会
    放送を語る会
連絡先 〒196-0015  東京都昭和島昭和町3-3-6
      
小滝方「放送を語る会」事務局

 

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