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NHK新経営委員長の選出にあたっての要望書を提出

昨日(20081218日)、「開かれたNHK経営委員会をめざす会」は衆議院第1議員会館で、「視聴者・市民の推薦候補と各界・国会議員の意見交換会」を開催した。集会には、「めざす会」がNHK経営委員候補に推薦した桂敬一、湯山哲守の両氏のほか、国会議員(民主党<秘書1名>、日本共産党2名、社民党<議員1名、秘書1名>)が出席され、それぞれ所信表明とスピーチをいただいた。また、意見交換会では、元NHK解説委員の小出五郎さんや札幌から駆け付けていただいた元NHK職員の方などから発言があった。

 なお、この日、院内での集会に先立って、「めざす会」の代表4名がNHKに出向き、下記のような要望書を提出した。

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                         20081218
NHK経営委員 各位

          新経営委員長の選出にあたっての要望

開かれたNHK経営委員会をめざす会(世話人:松田浩・桂敬一・野中章弘)
 
賛同団体:NHK問題京都連絡会 NHK問題を考える会(兵庫)
            
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ  
            NHK問題大阪連絡会 NHK問題を考える大阪の市民の会
            日本ジャーナリスト会議  放送を語る会



 経営委員の皆様には日頃より、公共放送NHKの充実・発展のためにご尽力いただき、厚くお礼申し上げます。

 伝えられるところでは、1222日に開催される次回経営委員会において、古森重隆氏の後任の経営委員長の選出について話し合われると伺っています。改定された放送法によって権限が強化された経営委員会には、権限に見合う透明な運営、視聴者の声に真摯に耳を傾け、説明を尽くす責任がひときわ強く求められています。経営委員会を主宰する新経営委員長はこのような趣旨に沿って、視聴者主権の理念に基づき、透明で公正な手続きの下に選出される必要があると考えます。
 そこで、当会は新経営委員長の選出にあたって、以下の要望を申し入れます。熟慮あるご検討をお願いいたします。

1. 新経営委員長は残る3人の経営委員が選任され、これら委員が協議・議決に加わるのを待って選出すべきです。
 (理由)
  ① かつて、石原邦夫経営委員長が母体企業の「不祥事」の責任をとって委員長を辞任されたとき、新委員長が選出されるまでの間、委員長代行が委員会を主宰されました。こうした措置で特段、支障があったとは聞いておりません。今回も23ヶ月の間、この方法を採用することで特段、支障はないと考えられます。
  ② 経営委員会を全委員の合議で運営する以上、来年1月早々に召集される予定の通常国会で選任される3人の委員も委員長の選出に加わるのが民主的なプロセスです。 

2
. 各方面から批判が絶えなかった古森経営委員長時代の経営委員会の運営を教訓として、新経営委員長には次のような委員が選出される必要があると私たちは考えます。
 ① 公共放送としてのNHKと民間営利企業との経営理念の違いを十分理解した人物。NHKは多様な意見が交わる言論の広場としての役割を担うものであり、視聴者へ還元すべき第一義的な目標はコストダウンによる受信料の値下げではなく、多様で良質な番組のはずです。また、NHKは国策遂行の道具でもなければ、国論を束ねる手段でもありません。このことを深く認識できていることが経営委員長に不可欠の条件です。
 ② 経営委員会が視聴者の代表機関としてNHK執行部と緊張関係を保ち、是々非々の姿勢を貫くよう、委員会を主宰できる人物。その際、NHK執行部が担う経営計画立案・執行機能と経営委員会が担う議決・監督機能の責任分担をわきまえた委員会運営をできる人物であることも重要です。
 ③ NHKに対する外部からの干渉に対し、放送の自主自立を守る砦として経営委員会を機能させる意欲と能力を持った人物。

3
. 上記2のような条件を備えた人物が経営委員長にふさわしいとなれば、古森経営委員長の選出にあたって採用された委員長の要件――①委員会の効率的で円滑な運営を図るため、東京(もしくは首都圏)に在住する委員、②経営に携わった経験がある委員――には合理的根拠はなく(過去、地方在住の経営委員長は数多く存在)、こうした要件を棄却するのが当然であると考えます。

4
. どなたが委員長に選出されるにせよ、委員長就任にあたって公の場(たとえば、経営委員会議事録か正規の記者会見の場など)で視聴者に対して文書で所信を明らかにされるよう要望します。そして、その所信の中には、当会からのこの申し入れに対する回答にあたる内容を、形式はともあれ実質において、含むよう要望します。
 また、他の視聴者団体、個人から新経営委員長の選出に関して同様の申し入れがあった場合は、適宜、それらを整理・集約した形の回答を所信に含めていただくよう、要望いたします。

 最後になりますが、近時、NHKのあり方に関心(激励や批判)が高まる中で、視聴者を代表するNHK経営委員会の言動、運営のあり方にも熱い関心が注がれています。この点を十分にお汲み取りいただき、公共放送NHKの議決・監督機関の長にふさわしい見識を備えた経営委員長が選出されますよう、心より期待するものです。
                            以 上

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「大学生の就学機会を侵害する研修等の自粛を求める要望書」――日本公認会計士協会会長宛に発送――

2008718日付けの記事で、民間企業や監査法人が、求人活動の前倒しや法人内の研修等に就職内定者を呼びだすことによって、大学4年生の学業の機会を侵害している問題を取り上げた。
「大学生の学業機会を侵害する企業の横柄な採用活動」
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_6c6f.html

 最近、同様の問題が私の担当するゼミナールでも再発したので放置する限度を超えたと思い、昨日(1211日)、以下のような要望書を日本公認会計協会会長・増田宏一氏宛に発送した。

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                         20081211
日本公認会計士協会
会長 増田宏一 様
  
   大学生の就学機会を侵害する研修等の自粛を求める要望

 時下、貴協会におかれましては職業会計人の社会的使命を遂行するため、日々、ご精勤のことと存じます。
 さて、過日、本年度の公認会計士試験の合格者発表があり、私のゼミナールの学生も数名が合格しました。それぞれの学生が今後、さらに研鑽を重ね、職業会計人として成長してくれることを大いに期待しているところです。
 しかし、その一方で憂慮すべき問題が生じています。それは、すでに過年度から起こっていたことですが、会計士試験合格者が、大学での正規のゼミナールの曜日・時間帯と重なる曜日・時間帯に、入所が決まった監査法人から法人内の研修等に呼び出され、ゼミナールに出席できない状況が頻繁に起こっているという問題です。
 御承知のことかと思いますが、本年79日、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学団体連合会は大学生が就職活動に追われて十分に学べないまま社会に出ている憂慮すべき現状にあるとして、全国の企業や業界に対し、早い時期からの求人活動を控えるよう要請しました。その中で、学生の就学機会を損なわないよう、採用選考活動は可能な限り休日や長期休暇期間などに実施するよう求めています。
 また、本1022日、国立大学法人8大学工学部長会議は、企業の採用活動の早期化と長期化および就職前研修による拘束により、大学院教育に甚大かつ深刻な影響が生じていることを憂慮し、企業の行き過ぎた採用活動や就職前研修が是正され、大学院における教育研究が正常に推進される環境を取り戻せるよう強く要望しています。
 各監査法人が行う上記のような研修等によって大学生の就学機会が損なわれている現状は、民間企業による求人・採用選考活動の早期化とは事情に違いがありますが、大学生が卒業前に就職(内定)先から様々な名目で呼び出しを受けることによって、学業の遂行に深刻な支障が生じている点では共通しています。
 しかも、大学生にとって、例年、11月から翌年1月にかけては卒業論文の完成に向けて勉学に専念する極めて重要な時期です。また、各自の卒業論文の完成を目指すというだけでなく、他のゼミ生の研究発表をめぐる討論に参加することによって知見を広げ、思考力を鍛錬する貴重な時期でもあります。
 このような時期に、会計士試験に合格し、監査法人に入所が決まったゼミ生の欠席が頻発することは、各ゼミ生本人が学業上の深刻な機会損失を蒙ると同時に、ゼミナール全体の活力を削ぐ結果にもなっています。
 このような企業による就学機会侵害行為は多くの大学で起こっていると考えられます。それだけに、こうした行為を看過してきた大学当局あるいは大学教員の無為無策が問われなければなりません。しかし、それにもまして、大学のカリキュラム、大学生の学業の機会を侵害して意に介さない各監査法人の行き過ぎた行為を改めるのが先決です。
 貴協会におかれましては、各監査法人において見られる、就職決定者に対して卒業前の期間に研修・実習等への呼び出しによる就学機会侵害行為をただちに是正する――各種の研修・実習等は平日の夜か土曜日・日曜日を利用して行うなど――よう、毅然とした指導を行っていただくことを要望いたします。
 なお、この申し入れに対して、どのような措置が講じられたかを、20091月末日までに文書で回答くださるよう、要望いたします。
 
                             以上
                 東京大学大学院経済学研究科教授
                          醍 醐  聰

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川口幹夫氏、石村善治氏から寄せられたメッセージ

「開かれたNHK経営委員会をめざす会」(以下、「めざす会」)は次期NHK経営委員候補に桂敬一氏と湯山哲守氏を推薦し、国会同意人事に関与する各党国会議員をはじめ、各界に賛同を呼びかけているが、元NHK会長・川口幹夫氏と言論法研究者の石村善治氏から次のようなメッセージが寄せられた。

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          候補者推薦運動に心から期待します  

                                         
川口 幹夫(元NHK会長)

 現在、腰椎骨折で病床に伏していて、残念ながら、まとまったメッセージを差し上げられる状況にありません。
 ただ、私はNHKの現状に深い憂慮をいだいております。経営委員には、政治の影響力からの独立性と、公共放送や文化・ジャーナリズムについての高い見識が資質として不可欠と考えており、それを制度的に保障する委員選任の仕組みが求められていると思います。その意味で、皆さん方の候補者推薦運動に心から期待しております。ご成功を祈ります。

 
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  NHK経営委員に桂敬一・湯山哲守両氏を候補者として推薦いたします

            石村 善治(福岡大学名誉教授、言論法研究者)

1 現代の高度情報化社会の平和で自由で民主的な運営のためには「言論の自由」の確保と保障が不可欠であることはいうまでもありません。とりわけ現在の日本においては、個人の「原初的言論の自由」(ビラ配布・集会・デモ等)とマス・メディア(新聞・放送)の国家権力および巨大資本からの独立と自由、そして市民のための権力批判が不可欠です。なかでも公共放送・NHKには、これらが緊急に求められています。しかし、「公共放送」たる資格を疑わせる状況が、ここで例示するまでもなく近年とくに頻発・進行しています。

2 このような状況を改めるためには、まず、市民が声をあげることが必要であることは論をまちません。しかし、その前提として、とりわけ公共放送・NHKの現状についての市民の「知る権利」と「意見表明の機会と権利」とが保障されていなければなりません。残念ながら、これらは、制度的に保障されているとはいえません。とくに、この点「経営委員会」の役割は重要であり、今こそ、市民の「目」と「声」を代表する「委員」の就任と活動が不可欠だと考えます。

3 桂敬一氏には、私の歴任大学である福岡大学や長崎県立大学でも「言論法・情報法」の講師として学生の教育にも長年携わっていただいたり、石村・堀部編著『情報法入門』や私の古希記念論文集に御論稿をいただくなど、研究・教育者としての識見に敬意を抱く一員として、推薦者に名を連ねさせていただきました。

4 湯山哲守氏とはまだ面識がありませんが、「所信表明」にもお述べになっているように、「『監視と激励』を標榜する視聴者運動の取り組みをオーソライズさせたもの、それは経営委員会の基本的任務につながるものと考えます」、「国民・市民の知る権利に奉仕する憲法21条の「言論・出版の自由」の立場を貫くよう貢献したいと思います」との「所信」が実現されることを期待して、同氏を推薦いたします。

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清水英夫、内橋克人、原寿雄の各氏から寄せられた桂敬一、湯山哲守両氏を推薦するメッセージ

 「開かれたNHK経営委員会をめざす会」は次期NHK経営委員候補として桂敬一氏と湯山哲守氏を推薦し、わが国の言論界を代表する方々に両氏の推薦に賛同を要請している。このブログの前回の記事で列記したように、これまでに多くの方々から賛同の返信をいただいているが、その中で3名の方々――清水英夫氏、内橋克人氏、原寿雄氏から「めざす会」に推薦のメッセージが寄せられているので、ここに転載する。

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  「開かれたNHK経営委員会をめざす会」の経営委員候補擁立に
  対する推薦

                 (到着順・敬称略。126日現在)

推薦文

 
今回、 敬愛する桂 敬一氏がNHK経営委員会の経営委員に推されていることを知り、まことに最適任者であると存じました。私は、約10年に及ぶBRC委員長とBPO理事長の経験から、放送特にNHKの持つ社会的・政治的・文化的役割の重要性を改めて認識しました。そして、その役割、影響力からみて、最も重要なことは、透明性と説明責任だと考えます。メディア研究に明るく、実務的にも番組審議会委員長の経験がおありの桂 敬一氏を強く推薦申し上げます。
 
                                                                                           
以上

                 青山学院大学名誉教授弁護士    清水英夫


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 桂敬一、湯山哲守両氏を強く推薦する

 NHKは社会的公共財として生き続けなければならない。時の政権・財界・官僚・市場からの自由が担保されなければNHKの公共的使命の達成は危うくなる。
 NHKに対する市民社会的制御のシステムを装置化し、強権からの防波堤を築くには経営委員の公募制、市民社会による推薦制の導入など制度の変革が緊急課題である。
 ジャーナリズムに対する高い見識、市民社会意識を体現する桂敬一、湯山哲守両氏の経営委員への参画は、社会的公共財としてのNHKを守る必須の一歩と考える。

                                                 
経済評論家  内橋 克人

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推 薦 文 

   ジャーナリスト原 寿雄(元共同通信専務理事・編集主幹)

 公共放送NHKはいま重大な転機にあると考えます。そのNHKの運営の基本方針や会長を決めることのできる経営委員会委員の選出が、政府・与党の政治的な意図に基づいて決められるのには反対です。NHKの改革には法律による制度的な改正も必要ですが、とりあえず当面の経営委員選出については、公募制など、視聴者の意向が反映できるような民主的でオープンな手続を求めます。その上で転換期の公共放送の経営委員として、最もふさわしい見識と改革の意欲を持つ桂敬一、湯山哲守の両氏を推薦します。

 NHKは本来、視聴者の、視聴者による、視聴者のための公共放送です。NHKの財政基盤は視聴者の分担金(受信料)に依拠しています。ファミリー会社からの財政的寄与も少なく、政府からの交付金は、政府がNHKに求める国際放送の実費をまかなうにも不足するほどの僅少な額です。NHKの実態は、NPOの一種と言えるものです。

 現行の放送法によれば、建前としては視聴者が内閣や国会を通じてNHKをコントロールすると言う趣旨に見えますが、本質的には内閣や国会の関与は便宜的なフィクションにすぎないと言えるでしょう。NHKの実態は受信料を分担する視聴者が、代表者を選出し運営方針も経営人事も受信料も決めればよい、自主的で公共性の強い組織です。

 実際には視聴者の代表選出が容易でないために、内閣と国会がその機能を代行しているに過ぎない、と考えます。「民意を反映する国会に任せるのがよい」と言う積極的支持の声も聞かれるが、政治と、政治を監視すべき報道機関とを、同質に論じることはできないでしょう。政治的多数派が文化である放送まで支配できる仕組みは、民主主義社会にとって弊害が多いと考えます。

 推薦する二人はこれまでも、マスメディア全般についての豊富な知見の上で、公共放送としてのNHKのあり方について調査研究を進められ、機会あるごとに積極的に発言、行動されてきた方です。NHKに対して私がいま一番求めたいことは、政治からの独立と自由、つまり自主自律性、主体性の確立です。それに放送番組の多様性です。桂、湯山両氏は、これらの課題を実現する上で最も期待できる適任者と確信し、経営委員に推薦します。


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桂敬一氏、湯山哲守氏の所信表明文ーーNHK経営委員への被推薦者として――

 「開かれたNHK経営委員会をめざす会」は現在未定の経営委員候補として桂敬一氏(メディア研究者)と湯山哲守氏(「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表)を推薦した。このたび、お二人が経営委員候補者としての所信を表明する文書を公表された。以下はその全文である。

桂敬一氏の所信
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/katura_shoshin20081203.pdf

湯山哲守氏の所信
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/yuyama_shoshin20081201.pdf


 また、お二人の推薦に賛同を寄せられた641名(124日現在)の方々の中には次のような方々が名前を連ねている。

川口幹夫(元NHK会長)、奥平康弘(憲法研究者、東大名誉教授)、川竹和夫(ICFP-JAPAN代表、元東京女子大教授・NHK世論調査所長)、石坂 啓(漫画家)、大谷昭宏(ジャーナリスト)、小出五郎(科学ジャーナリスト、NHK・0B)、清水英夫(青山学院大学名誉教授・弁護士)、原 寿雄(ジャーナリスト・元共同通信編集主幹)、長谷川千秋(元朝日新聞大阪本社編集局長)、暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)、内橋克人(経済評論家)

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醍醐志万子の短歌(2・完)

戦中・戦後の歌
征く意味を尋ねし賢しき少女なるわれに言葉を探し応へき
                (『霜天の星』1981年、所収)
挺身隊という名恥ずかしその上に女子挺身隊となれば尚更
                (『塩』第2号、200710月、所収)
メーデーを母の日のごと思ひゐる少女は本に花はさみ置く
                     (『花文』1958年、所収)


 前回記したように、志万子の最後の歌集『塩と薔薇』は第1~第4歌集の自選集であるが、その中に、「千代紙」というタイトルをつけて戦争末期から終戦まもない時期の自分とその周辺の状況を詠んだ5首を収めている。これは1981年に出版した第4歌集『霜天の星』からの自選である。志万子は1942年、16歳の時に高等女学校を卒業、20歳の時、終戦を迎えたことになる。
 1首目は近隣あるいは親戚の若者が兵にかりだされる理由(わけ)を、大人に向かってぽつりと、しかし、詰問調で質す姉の姿が想い浮かぶ歌である。「言葉を探し応へき」という結句は、返答の中身を表すよりもはるかに、その場の大人の反応を生き生きと伝えているように思える。

 志万子は
1945年、東洋ベアリング武庫川工場に挺身隊として勤務中に終戦を迎えた。その後、長く家業の事務の仕事を続けた志万子にとって、東洋ベアリングでの勤務は生涯のうちでわずかな外勤の期間だった。私が大学生のころ、いっしょに汽車で大阪へ出る途中、武庫川を通りかかったあたりで、「戦時中、ここで勤めをしていた」とぽつりと話してくれたのを覚えている。しかし、その後は、こちらから尋ねなかったこともあったが、姉から当時のことを立ち入って聞いた記憶はない。「挺身隊」という言葉の仰々しさを当時から感じていたのだろうか。それから60数年後に「恥かし」という文字で表したところに魅かれた。

 3首目の「少女」は、作歌当時の姉からみた少女ではなく、これも終戦まもない頃の自分自身を指したものだろう。昨今、メーデーはお祭りムードに傾いているが、戦後長く、「たたかう労働者の意気を鼓舞する日」だった。そんなメーデーを「母の日のごと」と表した少女ののびやかな理知に、当時の時代の息吹きが伝わってくる。

折々のうた
人の負い目やすやす衝ける幼子を幼子のゆゑわれはゆるさず
                   (『木草』1967年、所収)

 『朝日新聞』2007310日の「折々のうた」で紹介された歌である。大岡信さんは、出典を『塩と薔薇』(2007年、所収)と記しているが、原典は1967年に出版された志万子の第2歌集『木草』に収められた歌である。この歌について、大岡さんは、「幼子がそんなにやすやすと大人の『負い目』を衝けるものだろうか。相手が幼子であるゆえに許すことができないというのだから、事は軽くない。それは、幼子に対してもこんなに真剣に怒れる作者への共感を呼び起こすものであろう」と評している。この批評について、姉は後日、次のように率直な違和感を記している。

 「幼子は無垢ゆえに眼も心も鋭くて相手を見抜く力を、我々大人以上に持っている。無垢かと思えばその反面の魔性もしっかりひそめているのだ。そこまで幼な子を理解しているなら、『幼な子のゆゑわれはゆるさず』にはならないだろうに幼子は清らかという思いが抜き難く心の奥にあるという矛盾。幼子とわれへの二重の怒りである。」(醍醐志万子「大人と子供」『塩』第3号、20082月、所収)

 志万子は1963年、日本書道連盟より師範の免許を受け、翌64年から自宅で書塾を開いた。多い時期には100人を超す児童が通ってきた。この書塾をつうじて志万子は多くの子供に接し、その中で上の歌にあるような、子供からぐさりと突き刺さる言葉を投げかけられたこともあったのだろう。こういう場面を「幼子のゆゑ」と表現したところに、相手を問わず、子供にも真剣に向き合う姉の生涯変わることのなかった気性が現われているように思う。
 
家族の歌
酒、煙草止めずたちまちに死にし父商売下手を子らに残しぬ
               (『暦』第3号、200811月、所収)
並びねし妹弟四人かかる夜のまれまれなりしこれより後も
                    (『花文』1958年、所収)
向きあひて本読むよふけこの家に残る二人の姉弟として
                    (『木草』1967年、所収)

 志万子の歌集には家族を歌った作品は少ない。代々の飼い犬を歌った作品の方がはるかに多い。それだけに、晩年、母の介護をした時期に両親を歌った姉の作品に惹き寄せられる。父は「お人好し」の代名詞のような人間で、そんな父が営む自営業を姉は気をもみながら、時には激しく口論しながら、手伝っていた。「商売下手」といいつつ、後年の姉は世渡りに疎かった父親へのいとおしさが募ったようだった。
 2首目はいつのことを歌ったのか、私にはまったく記憶がない。姉は妹弟をそれとなく呼びよせることがあったが、法事の時もあわただしくすれ違うのが常で、一番下の私が還暦を迎えた3年前に実家で姉弟4人がそろって食事をしたのは、何数年ぶりだった。
 私が姉の歌をのぞき見するようになって以降、姉が私のことを歌った作品に出会ったのは皆無のような気がする。それだけに今回、姉の初期の歌を読み進むうちに、3首目のような作品に出会ったのは意外だった。実家へ帰省する時、私は――結果的にはあまり開くこともなかった――書物を抱えて帰ったものだった。夜には姉も送られてきた歌の添削や自分の作歌で夜なべするのが習慣だったので、おのずと2人で向かい合い、黙々とめいめいの仕事を続ける時間が長かった。それでも、姉は思い出したように話しかけ、それがきかっけで私の近況や歌壇の現状(私は話し相手になれていなかったと思うが)についてひとしきり、話し込むことも珍しくなかった。ただし、この歌が作られた当時の私は大学生で両親が就寝した後、堀炬燵の部屋で向き合って過ごした時のことを詠んだものだと思う。

晩年の歌
来るときも帰りゆくときもふり返り手を振る人に手を振り返す
                (『塩』第4号、20086月、所収)
佛には赤つめ草をたてまつれ車椅子よりわが手さしのぶ
                (『暦』第2号、200811月、所収)
遠ざかる空気の尻尾もう見えず苦しきねむりの中に落ちゆく
                (『暦』第3号、200811月、所収)

 第1首は、姉が亡くなる前年、近くの介護施設へ飼い犬を連れて車椅子で出かけた時のことを詠んだ歌ではないかと思う。ガラス戸の向こうの広々としたリビングでソファにもたれかかってうたたねをしたり、定まらない視線で物憂げな表情でいたりした入所者が、近づいていく私たちに気がつくや、一斉にこちらへ視線を注ぐのを見て、どきりとした。犬が近づいてきたのが物珍しかったのかもしれない。次の瞬間、私がこちらを食い入るように見つめる人たちに手を振ると、姉もそれにつられたように車椅子から手を振っていた。束の間の出来事だったが、施設の奥まで行って、Uターンをして引き返すとき、もう一度私はこちらを見つめる人たちに手を振った。今度はあまり反応はなかったが、それでも姉は小さく手を振っていた。
 2首目は、いつのことか不確かだが、姉はたまに晴れの日を選んで車椅子で外出すると、調整池や道ばたに花を見つけては、車椅子を近づけるよう言い、小枝を折って持ち帰ることがあった。それほど、志万子は花に興味が強かった。
 3首目の歌は24時間酸素吸入の生活となった最晩年の作品である。最後の自力呼吸も力尽きて息を引き取った自分の姿を見越すかのような自らへの挽歌のように思える。

7歳の時
Photo



















少女時代
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女学校時代
2008_11250059

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