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ジャーナリズムの真髄をラジカルに綴った警世の書:   原寿雄『ジャーナリズムの可能性』(岩波新書、2009年1月刊)を読んで

 本書は著者、原寿雄氏が12年前に同じ岩波新書として出版した『ジャーナリズムの思想』の続編として書かれたものである。全体をとおして、この十余年のジャーナリズムの潮流と問題点を言葉の本来的意味でラジカル(根源的)に問い直すとともに、現状批判に終わらず、とかく空気のように忘れられがちなジャーナリズムの存在価値と可能性にも随所で言及している。
 著者はいうまでもなく、戦後60年の間、(社)共同通信社の編集局長・専務理事・編集主幹、民放連放送番組調査会の委員長などを歴任した日本のジャーナリズム界の重鎮である。その現場体験と重厚な見識から蒸留されたメディア批評と提言を読み終えて、私は問題の核心を射る著者の思考の鋭さに深い感銘を受けた。紹介し、感想を記したい箇所は多々あるが、以下では次の4つのテーマを取り上げることにした。
 読売グループ会長・主筆の渡邊恒雄による政党大連立工作にみるジャ  ーナリズムと政治の距離(序章)
 「編集の自由」をめぐるジャーナリズムの自律と自主規制(第3章)
 ③政治的多数派が放送を支配する体制への警鐘(第4章)
 ④座標軸を持たないジャーナリズムが「世論ととともに立ち上がる」危  険性への警鐘(第5章)

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権力を監視すべきジャーナリストが権力づくりに加担する腐食の構造

 著者は「はじめに」の中で、政治報道を本書の柱の一つにしたきっかけは、200711月に発覚した読売グループ会長・主筆の渡邊恒雄による自民・民主両党の大連立工作であったと記すとともに、現役新聞人が政界工作に奔走することに対して無関心を装うメディアの現状に対する危機感が政治報道に重点を置いた動機であったと記している。著者はこの時の渡邊の行動を次の3点にわたって厳しく批判している。
 第1に、現役新聞人によるこうした政治活動はジャーナリズム倫理の基本にもとるということ。
 第2に、その倫理違反が日本新聞協会会長という、日本のジャーナリズムを代表する経歴をもった人物によって行われたこと。
 第3に、現代の日本の新聞・放送が、ジャーナリズムの倫理の基本を逸脱したこの行為を大勢として黙認しているばかりか、政治評論家の間からは共鳴や支持の声さえ挙がったこと。
 これに対して、原氏は、「非当事者原則は、ジャーナリスト活動の出発点であり、権力を監視すべき役割を担う者が権力づくりに加担しては、ジャーナリストとは呼べない」(4ページ)と断罪している。
 と同時に、こうしたマスコミ人の政治活動が渡邊恒雄に限られたわけではない、と本書はいう。古くは、平民主義から国権主義に変身し、超国家主義者として時の政府を擁護する論陣を張った徳富蘇峰、近くは、「組閣になるとたくさんの代議士が私に挨拶にきた」と与党政治家との関係を誇らしげに語った元NHK会長・島桂次、「日本は天皇を中心とした神の国」発言で窮地に立たされた森善朗首相(当時)の記者会見での応答をNHK記者が指南したといわれる事件など、権力とマスコミ人の癒着はわが国ジャーナリズムに連綿と続いていると著者はいう。しかも、著者が重視するのは、メディア界の中から、こうした動きに自律的な批判が出るどころか、「ナベツネさんの憂国の情は単なるマキャベリストのものではない」(岩見隆夫)などと共鳴の声が上がったことである。
 こうしたマスコミ人の言動の背景には、「有力政治家にアドバイスするくらいになって初めて政治記者として1人前」という考えがあるという著者の指摘を読んで、日本のマスコミ人、特に有力政治家との親交や人脈を誇らしげに語る論説委員、与党政治家の「ぶら下がり取材」に明け暮れる番記者の倫理感覚のマヒが浮かび上がってくる。

トラブルを避ける保身の術にすり替えられた編集の自由
 20084月、最高裁はETV番組改ざん事件について、これを上層部による編集権の濫用とした東京高裁の判断を覆し、被告NHK逆転勝訴の判決を言い渡した。しかし、著者は、この判決を評して、「政治的干渉を拒否するための『編集の自由』が、政治的圧力を受け入れる自由として保障されてしまった」(75ページ)と手厳しく批判している。さらに著者は批判の矛先をNHK執行部にも向け、「編集の自由」が「トラブルを避ける経営上の安全運転の自由」に変質し、「編集の自由」を「自己検閲」の口実にしていると警鐘を鳴らしている。
 しかし、「編集の自由」への脅威は目に見える外部からの介入だけではない。著者は、ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』を例に挙げて、目にみえにくい「空気による社会支配」(79ページ)が自主規制の連鎖を生む構図にも注意を促している。なぜなら、「法的な規制は目に見えやすいが、社会的政治的な圧力はそれと気づかないうちに醸成される」(79ページ)からである。たとえば、本書でも紹介されているが、198917日の昭和天皇の死去に際し、放送界は「歌舞音曲中止」、「広告スポンサーなし」の自粛サスプロ(自主番組)に徹した。こうした放送界のお行儀のよさを、「自粛」という名の「他粛」と評されたのを思い起こす。
 表現はどうであれ、「『法律上は自由だが実際は不自由』という、この深刻なギャップが埋まらない限り、表現の自由は確立できない。圧力をおそれ、自粛・自主規制が安易に横行する日本の現状は法治国家とは言えない」(79ページ)という著者の言葉は鋭く、かつ重い。

「知性を排除するメディア」に朽ちないために 
 「放送ジャーナリズムを支えるもの」というタイトルの第4章にも含蓄に富んだ記述がちりばめられている。「視聴率に支配されるテレビ」と題するこの章の最初の節で著者は、「大衆の喜びそうなものは何でも食いついてゆく。そこに価値判断というものがない。量があって質がない」という大宅壮一の言葉を引用し、「昨今のゴールデンタイムのバラエティ番組を見ていると『テレビは本質的に知性を排除するメディアだ』との批判に反論し切れない」(92ページ)と述べている。
 犯罪事件報道への偏重や「俗悪番組」にみる面白主義の幼児化に共通する背景として視聴率至上主義、視聴率がそのまま広告料金に跳ね返る仕組みがあることは衆目の一致するところである。ところが、本来、財政基盤を視聴率に依存しないNHKまで最近、「接触者率」を経営目標の一つに掲げ、民放で売れたタレントを次々に娯楽番組に起用して、民放と区別がつきにくいまでにお笑いバラエティ番組をならべているのはどうしたことか? 紅白歌合戦の視聴率が数ポイント下がるたびに、「NHK離れ」を騒ぎたてるマスコミ、その喧噪に焦るかのようにお笑いタレントや著名人を応援団、審査員に動員して視聴率の「失地回復」に躍起になるNHKを見ていると、何のための「テレビへの接触」なのかを問い返したい思いに駆られる

国会の多数派に監視されてよいのか?
 これに関連して、問題になるのは、番組の質(倫理違反かどうか、政治的に公平かどうかなど)を「誰が」判断するのかということである。視聴率至上主義が番組の俗悪化や「やらせ」を生む土壌であることは先に述べたとおりであるが、誰がこれを判断するのかということは放送の自主自律と関わる大問題である。
 これについて、本書は19784月の衆議院逓信委員会における石川晃政府委員の答弁と199310月の衆議院逓信委員会における江川晃正放送行政局長の答弁を対比して、番組の倫理違反、政治的公平の判断をする主体についての政府見解が転換したこと(郵政省には判断する権限がないという見解から、最終的には郵政省が判断するという見解への転換)に注意を促している。その上で著者は、「放送界が一致して『規制的な行政指導など受け入れない』という強い態度を表明すれば、状況は変えられる」にもかかわらず、「ジャーナリズムが監視すべき行政から逆に監視され、指導を受け入れるような現状は、表現活動を業とする放送界として情けない」(101ページ)という原氏の言葉を現役の放送人はどう受け止めるのだろうか?

 こうした番組内容への行政の関与と関連して私が注目したのは、NHKの予算、決算、経営委員の任命等に政府・国会が直接関与するわが国の現行の仕組みに関する著者の見解である。著者はNHKの運営費のほぼすべてが視聴者が支払う受信料で賄われていることから、「本質的に見れば、内閣や国会など政治の関与はまったくのフィクションに過ぎない」(107ページ)とし、「政治と政治を監視すべき報道機関の代表選出を、同質に論じることはできない。政治的な多数派が文化である放送まで支配する仕組みは文化を歪める」(107ページ)と断じている。
 このような著者の考えに私も諸手を挙げて賛成である。なぜなら、別の場(拙稿「視聴者に開かれたNHK経営委員会をめざして」『放送レポート』No.21720093月、所収)で述べたが、多様な意見が出会い、影響し合う「言論の広場」を提供すると同時に、時々の政治体制の権力行使を監視することを使命とするジャーナリズムには多数決原理はなじまないからである。この意味で、会長の任命権などNHKの重要な事項を議決する権限を持つ経営委員の選任を、与党の意思で決着する国会の同意人事に委ねている現在の仕組みは、NHKの政治からの自立という点で大きな問題を抱えている。「政治的な多数派が文化である放送まで支配する仕組みは文化を歪める」という本書の指摘は現在のNHKが抱える制度問題の根幹に迫る論点提起といえる。

ジャーナリズムに求められる自立した座標軸
――世論とともに危険な道を歩まないために――
 本書の目次を概観してまず目に止まったのは、第5章の一節に付けられた「『国民とともに立たん』の危険性」(135ページ)という小見出しである。いうまでもなく、この言葉は朝日新聞が1945117日に発表した戦後の再出発宣言のタイトルである。これについて、著者は「趣旨はわかるが」と断ったうえで、次のように書いている。

 「私には、『国民の声を聞き国民とともに戦ってきてしまった15年戦争ではなかったか』との思いのほうが重くのしかかる。新聞経営者は戦犯追放で一時退いたが、朝日新聞の従業員は、むのたけじ記者ら終戦とともに退社したごく一部を除いて、天皇と同じく戦後も変わっていない。」「『国民とともに立ち上がるのは危険だ』いう事実こそ、ジャーナリズムにとって最大の歴史的教訓ではなかったのか、そう思えてならない。」

 戦中・戦後のジャーナリズムの世界を生き抜いた著者ならではの重い反語に身の引き締まる思いがする。そしてこの後で著者が引用した『記者たちの戦争』(北海道新聞労働組合。径書房、1990年)の次の一文は、今なお、不条理な同一化圧力が社会の隅々に行きわたる日本において、ジャーナリストが引き受けるべき特別な役割を記した決意の表明といえる。

 「少数者であることの恐怖に打ち勝つ力を身に付ける以外に、道はありそうもない。それは異端を許し、少数意見を尊重する心を育むことにもつながる。新聞も同じである。『国民感情』との確執を恐れず、異端を切り捨てない幅の広い紙面づくりをめざし――。」

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自由の抑圧が人間道徳を崩壊に導く危機への警鐘~映画「懺悔」観賞記(2・完 批評)~

隠喩に託した現世界への警鐘
 法廷でのリアルタイムの場面と主人公ケテヴァンの8歳の頃の回想が交差し、さらに幻想の世界が挿入されたこともあって、この作品のメッセージ、余韻をどう読み取るかは、人によって様々ではないかと思う。それが制作者の意図だったのかも知れないが、旧ソ連邦下の厳しい検閲を経て完成されたという事情が絡んでいるようにも思える。
 たとえば、騒音が響き渡る聖堂の温室の中で教会の建物の保存を訴えた画家のサンドロに対し、強権市長ヴァルラムが恫喝まがいの言葉を吐いてその場を去った後、突然、聖堂内に“偉人シリーズ”の放送と称して、アインシュタインの言葉を朗読するアナウンサーの声が流れる。

 「現代の科学者の運命は悲惨だ。何よりも自由と明晰さを欲する彼の創り出したものが、自分の隷属や人類滅亡のための道具として使われてしまうからだ。彼はものを言う権利も奪われる。・・・・頭脳と研究の成果を、科学者が自由に活用し、世の中に貢献できた時代は既に終わったのか。研究に没頭するあまり科学者は、社会的責任も自尊心も忘れ果てたのか。現代の危機の規模を権力者達は知らない。」

 いささか唐突なシーンではあるが、幻想の世界で科学者の権威の力を借りることによって検閲をかいくぐり、自由を失った科学者の不幸、科学者の自由を奪う権力者の野望が全人類を不幸に追いやる危機への警鐘を隠喩に託して伝えようとしたのだろう。

国の命運を盾にした強権正当化への懐疑
 私がこの映画の中で特に印象に残るのは、ヴァルラムの遺体を掘り返した罪を問われたケテヴァンの法廷での証言を聴くうちに、事件の真相、背景を知ったトルニケが父親アベルに詰問する場面である。

 アベル「彼は悪人じゃなかった。難しい時代だったんだ。お前には分からないさ。」
 トルニケ「時代は関係ない。」
 アベル「大いに関係ある。国の命運がかかった時代だったんだよ。周りの国はすべて敵だ。そんな時は国内の敵をまずやっつけるんだ。」
 トルニケ「国の安定が先だなんて言うけど、言い訳じゃないか。」
 アベル「知った口をきくな。公務に就いている者は、社会の利益を真っ先に考えた。個人のことは後回しだ。」
 トルニケ「公務員だって結局は個人じゃないか。」
 アベル「お前は現実無視の理想論だ。オヤジは公益を優先してた。自分の意に反する事もやらざるをえなかった。」
 トルニケ「命令されたら皆殺しもやったわけだ。」

 こうしたやりとりは、ある時代、ある国、ある地方でたまたま見られる会話ではない。その後も、現在も少なからぬ国で、ある時は「国体の護持」、「公共の安寧の維持」と称して、ある時は「テロの脅威とのたたかい」と称して、繰り返されてきた会話である。この映画では、「国の安定」を訳知りに語る大人と、そうした言い回しにストレートに疑問を投げかける少年を向き合わせることによって、問題の本質を観賞者に突きつけたのだ。

人間を道徳崩壊の危機に追いやる自由の抑圧

 この映画を観る前、予備知識を持っておこうとネット上で紹介記事をいくつか読んでみた。しかし、あらすじと「懺悔」というタイトルの関係が今一つ理解できなかった。観終わってもしばらく、誰の、何に関する「懺悔」なのか、腑に落ちなかった。しかし、こうしてブログ用の記事を書き進むうちに、この映画の主題は自由を抑圧された人間の苦悶と絆を描くこともさることながら、それ以上に、自由の抑圧は抑圧した側の人間、そして抑圧を黙過した人間を道徳崩壊の危機に導くという悲劇を描くということだったのではないかと感じるようになった。ストーリ―をふりかえれば、これは平凡な感想なのかも知れない。それはある夜、アベルが燭台をかざして自宅の地下に降り、十字架に向かって次のように語りかける場面に隠喩されている。一部は紹介済みだが、改めてその前段から引用しておこう。

 アベル「神父様、懺悔に参りました。私の心は分裂しています。」
 アベル「私は良心の分裂に悩んでいるのです。無神論を唱えながら、宗教にすがり、迷っているのです。」
 男「無神論を宣伝した後に、教会で懺悔をするのは立派なことだ。」
 アベル「そんな事ではなくて、私の道徳の基準が崩れたのです。善と悪の区別がつきません。信念を無くしました。」
 男「どんな信念を?」
 アベル「私はすべてを許したい。密告、裏切り、欺瞞、嘘・・・・すべての卑劣な行為を許したい。」
 男「すべてを許せるなら、お前はキリストだ。本当にそうか。」
  <中略>
 アベル「確かに怖い。空しさの恐怖を、自分をだましながら耐えてきた。仕事に没頭した。自分と向き合う暇を作らないためだった。考えたくなかったのだ。」
 男「一体何を?」
 アベル「最も大切な何かを。自分は何者なのか。なぜ生きているのか。自分の存在価値は何か。」

 つまり、この映画は、アベルの上記のような苦悶、懺悔を赤裸々に描くことによって、自由の価値を、自由を抑圧された人間にとっての問題としてだけでなく、抑圧した側の人間、自由の抑圧を看過した人間にとっての問題――そうした人間を襲う道徳崩壊の危機の問題――として描こうとしたのではないだろうか? 
 さらにいえば、こうした道徳崩壊の危機は孫をも襲ったし、研究に没頭するあまり、社会的責任も自尊心も忘れ果てた科学者にも実は忍び寄っているのだ――この映画は自由への抑圧が襲う人間道徳崩壊の危機をこのように普遍化して描き、警鐘を発したのではないか? そして、自由の価値を限られた人間――先鋭な反政府主義者など――にとっての問題に局限せず、広く市井の人間にひとしなみ関わる問題として訴えようとしたのではないか思われる。

 この映画の主人公は誰かと問われれば、誰しも、独裁市長を「墓地で眠らせない」と言い放ち、実行したケテヴァンを挙げるにちがいない。また、ケテヴァン役を演じたゼイナブ・ボツヴァゼが法廷で悠然と語る回想談はこの映画の骨格を描くにふさわしい力強さを見せつけている。また、映画のポスターに登場する少女時代のケテヴァン役を演じたナト・オチガワがマフラーで顔をすっぽり包んだ姿で父親を探すあどけない光景にも魅せられる。
 と同時に、独裁市長ヴァルラム・アラヴィゼを演じたアフタンディル・マハラゼの、鎧の下に剣を隠したかのような陰湿な演技は、この映画が発するメッセージを引き立たせるのにひときわ貢献している。

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独裁政治下での人間の苦悶と絆を描いた作品~映画「懺悔」観賞記(1 あらすじ)~

グルジアのことをもっと知りたくて
 岩波ホールで上映中の『懺悔』を観てきた。4つ前の記事で書いたように、NHK教育テレビの「新日曜美術館」で放送された画家ピロスマニの伝記を通じてグルジアに関心を持ったのがきっかけだ。岩波ホールのホームページに掲載された紹介記事には、「グルジア映画の巨匠テンギス・アブラゼの『祈り』(68)、『希望の樹』(77)に続く、“懺悔三部作”の悼尾を飾る大作」と評され、「ペレストロイカ(改革)の象徴となった、ソビエト連邦崩壊前夜の伝説的映画」と記されている。198412月に完成したが、政治的理由で直には公開されなかった。19871月、ゴルバチョフ書記長がペレストロイカ(改革)を掲げ、グラスノスチ(情報公開)を打ち出したのを機にようやくモスクワで公開されるや、最初の10日間で70万人以上の観客がつめかけたという。
 さいわい、岩波ホールのロビーで買い求めたこの映画の小冊子に、春日いずみさん作の採録シナリオ(全編の脚本)が収録されているので、それを基にこの記事では映画のあらすじを紹介したい(ただし、以下のあらすじは採録シナリオの摘記である。表現も一部手直ししている)。そして、次の記事では自分なりの観賞記を書きとめることにする。ただ、その前に、スタッフとキャストを紹介しておきたい。それによって、この映画の輪郭を知っていただけると思う。

スタッフとキャスト
監督:テンギズ・アブラゼ
脚本: ナナ・ジャネリゼ/テンギズ・アブラゼ/レゾ・クヴェセラワ

ヴァルラム・アラヴィゼ(独裁市長):アフタンディル・マハラゼ
アベル・アラヴィゼ(ヴァルラムの息子):アフタンディル・マハラゼ
 <父子をアフタンディル・マハラゼが12役>
アベル・アラヴィゼ(子供時代):ダト・ケムハゼ
グリコ(アベルの妻):イア・ニニゼ
トルニケ(ヴァルラムの孫):メラブ・ニニゼ
サンドロ・バラテリ(画家、ケテヴァンの父親):ディシェル・ギオルゴビアニ
ニノ・バラテリ(ケテヴァンの母親):ケテヴァン・アブラゼ
ケテヴァン・バラテリ(サンドロの娘。墓を掘り起こした犯人):ゼイナブ・ボツヴァゼ
ケテヴァン・バラテリ(子供時代):ナト・オチガワ


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父親の消息を追う少女時代のケテヴァン・バラテリ


3たび
掘り掘り返された市長の遺体
 物語はある地方都市のケーキ店を営む1人の女性が、強権をほしいままにした独裁市長ヴァルラム・アラヴィゼの死亡を伝える新聞記事を客から知らされ、立ち止まる場面から始まる。アラヴィゼ家では市長の生前の功績を讃える弔問者とそれに応対する息子アベル夫婦でごった返す。葬儀は滞りなく終わり、アベル夫妻は床につく。翌朝、犬の鳴き声に気付いた妻のグリコが庭に出るや、大声で叫んでアベルを呼んだ。「ヴァルラムの死体よ」。近づくと、父ヴァルラムの遺体が庭の大木にもたれかかるように置かれていた。その夜、アベル一家は懐中電灯を照らしながら、ヴァルラムの遺体を墓地に運び、元の位置に埋めて帰る。しかし、翌朝、目を覚まして寝室の窓辺から庭を見下ろしたグリコはまたもや同じ木に寄りかけられたヴァルラムの遺体を発見する。アベル夫妻は向いの男の勧めるままに、今度はヴァルラムの墓地を柵で囲い、カギをかけて帰ったが、翌朝、またもや庭の木に寄りかかるヴァルラムの遺体を発見する。
 そこでアベル家は次の夜は警察官とともに墓地に潜んで犯人が現れるのを待つ。警察官が各々勝手な理由をつけて墓地を離れた深夜、一人の人間が墓地に近づくのを見とどけたヴァルラムの孫のトルニケはその人物をめがけて発砲した。飛びかかったトルニケが見届けたのは何と男性ではなく、ケテヴァンだった。

墓地で眠らせない
場面は法廷。パロディ風の衣装をまとった判事が正面中央に、その両サイドにコの字形に原告・被告双方の弁護士が着席するのは日本と同じだが、なぜか、被告のケテヴァンは弁護人の背後の最後列の椅子に悠然と座る。反対側の数列にはアラヴィゼ家の遺族や友人が着席している。

 裁判長「被告ケテヴァンは、3度にわたり遺体を掘り返し、遺族の家に運んだことを認め、自分を有罪と認めますか?」
 ケテヴァン「事実ですが、無罪です。掘り返したことが罪だとは考えません。私が生きている限り墓地で眠らせません。私が決めたことです。邪魔はさせません。こうなるのが私と彼の運命なのです。必要なら300回でも掘り返します。」

 ここで、彼女の弁護士は被告人に動機を詳細に語らせるよう求める。やがて、裁判長の許可を得たケテヴァンの長い回想の場面が始まる。


独裁市長との息詰まる会話
 ヴァルラムがその都市の市長に就任したのはケテヴァンが8歳の時だった。バラテリ家の向いの建物のテラスで市長就任の演説をするヴァルラム。見下ろす広場では大勢の市民が喝采を送る。ケテヴァンとニノがその様子を楽しそうに眺めていたところへサンドロが現れ、2人を促して窓を閉める。その様子をヴァルラムはしっかりと目撃していた。

 場面は変わって、老朽化した教会の中庭(?)の温室。何やらの実験による騒音が聖堂内に響き渡る。ヴァルラムと向き合った老人の傍らからサンドロは聖堂の保存を訴える。
 サンドロ「音の引きおこす振動でフレスコ画や壁全体がひび割れしています。この実験が続けば聖堂は崩壊します。」
 ヴァルラムはサンドロらの訴えに理解を示す素振りを見せるが、実験場所を移す研究所の建設には資金が足りないと、うやむやな返事をする傍ら、不気味な笑いを浮かべて、「他になにか? それでは皆さんの身元調査でもやりますか。私は何も見逃さない。だから、君たちも私には用心した方がいい」
と捨てゼリフを残す。

 場面はある夜のサンドロ家。親子3人がくつろいでいたところへベルが鳴る。駆け寄ったケテヴァンがドアをあけると、赤いチューリップの花束を持った2人の男。といきなり、2人の後ろから白いマントをまとったヴァルラムが踊り出る。そばには息子のアベルが立っていた。それから20分ほど、用件を告げるでもなく、部屋中をなめ回すように観察したり、陰湿に絡みついたりするヴァルラムとサンドロ夫妻の息苦しいやりとりが続く。その間、サンドロ夫妻の娘ケテヴァンとヴァルラムが連れてきたアベルは子供部屋でキリストについてあどけない会話をかわす。それから数十年後に、法廷で被告・原告の席に分かれて座るとは思いもよらない2人だったが。

暗い部屋で黒猫を捕まえることができる。たとえそこに猫がいなくても
 ヴァルラムがサンドロ家に押しかけてきてから、しばらく過ぎたある夜、ニノは鎧兜をまとった兵士に追われて逃げ惑う夫婦の夢をみた。その後、スクリーンには、地上に首だけを出して土に埋められてもがくサンドロ夫妻の姿が大写しされる。目が覚めたニナは泣きながらサンドロを抱きしめ、どこか遠くへ行こうと言いだす。しかし、サンドロはあきらめ顔で、どこへ行っても彼らは探し出すと答えるだけだった。とその時、玄関の鈴が鳴る。開けると槍をもった鎧兜の兵士たち。たちまち、サンドロは連れ出される。おまけに部屋に飾られた絵もごっそり持ち去られた。

 幻想の世界も交えながら展開する物語の途中で、市長ヴァルラムの演説が流れるが、その中に次のような一節がある。

 ヴァルラム「中国の孔子という哲学者は次のように言った。“暗い部屋では黒猫は捕まえにくい。いないなら尚更だ。”・・・・われわれの課題は確かに困難なものだ。だが、われわれは不屈だ。暗い部屋で黒猫を捕まえることができる。たとえそこに猫がいなくてもだ。」

 そんなある日、ヴァルラムの秘書がニノのもとを訪れ、今晩、あなたは逮捕される。急げば助かる、といってお金と切符をニノに手渡して足早に立ち去る。ニノとケティヴァンは家を離れる支度をするが、衣類を包んで出ようとしたところを兵士に踏み込まれ捕まってしまう。馬車で連行される途中でケテヴァンだけが降ろされ、戸を叩きながら泣き叫ぶケテヴァンを振り切ってニノを乗せた馬車は行ってしまう。
 
孫の反抗、そしてアベルの懺悔
 ここで、画面は法廷に戻る。ケテヴァンの回想談が終わるやアベルは立ち上って叫び、グリコも怒鳴り出す。しかし、ケテヴァンは動じる気配はなく、右ひじを椅子にかけて悠然と言い返す。

 アベル「異議ありだ。その女の話したことはすべて嘘だ。中傷だ。」
 グリコ「なぜ掘り返すの!」
 ケテヴァン「彼には墓に入る資格がないからよ。人並みに葬れば、彼の罪を許すことになる。・・・」

 こうしたやりとりに聴き入っていたアラヴィゼ家の遺族の中で激しく動揺した人物がいた。ヴァルラムの孫のトルニケである。
 その日からトルニケは、罪は叔父の市長にあったのだと父親に迫るが、アベルは息子の前では頑として聞き入れない。とはいっても、アベル自身も一人になると、自分の良心の分裂、道徳の基準の瓦解にさいなまれ、神にすがるのだが。しかし、神は、「お前は偽善者だ。心に分裂などない。お前は自分が手に入れた名誉と自分が築き上げた立派な家庭を失うのを恐れているだけだ」とアベルを突き放す。
 トルニケは留置場に出向き、ケテヴァンに会い、許しを乞う。ある日、アラヴィゼ家ではこの問題をめぐって激しい口論が起こる。トルニケはケテヴァンを精神鑑定と称して病院に強制収容しようとした父親に激しく詰め寄った。しかし、アベルは聞き入れる気配がない。絶望したトルニケはついに自分の部屋で銃で自殺を図る。妻の知らせでそれを知ったアベルは愕然とし、一挙に動揺が噴出する。自分の罪を何も知らない息子に負わせてしまった懺悔の意識にさいなまれた彼は自ら、スコップを持ってヴァルラムの遺体を掘り返し、絶壁から放り投げるのだった。

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公職任命コミッショナー制度に学ぶ~政官に従順な「有識者」審議会に泣かされないために~

市民の前に立ちはだかる「有識者」審議会
 わが家が千葉県の今の地域に引っ越してきて20年経った。この間、周囲の環境も一変し、2年前から近くで土地区画整理事業組合が主体の大規模な宅地開発事業が始まった。そこに高層マンションの建設、24時間営業を掲げるスーパーが進出予定とわかるや、近隣住民から日影や景観、車の通行量の激増などに対する不安が高まり、自治会をとおして組合、ディベロッパ-、県・市の担当部署との交渉を続けてきた。私ども夫婦も自治会の下に立ち上げられた「開発対策協議会」のメンバーに加わり、行政、組合などとの交渉やそれに備えた地元住民内の協議、資料・判例調査などに多大なエネルギーを費やした。
 こうした経験を通じて痛感したのは、決定的といえる局面で必ずといってよいほど、「有識者」からなる審議会が住民の前に立ちはだかるということである。上の土地区画整理事業についていうと、都市計画審議会がそれである。土地区画整理組合の事業認可にあたっては、事業計画案の縦覧、意見募集、公聴会が行われ、地元住民からは多数がこれらに応募した。しかし、提出された意見にも公聴会の場で出された意見にも、木で鼻をくくったような数行の「考え方」が示されたのみ。参加した住民の間には「出来レース」に付き合わされたのかという徒労感と空しさが募るばかりだった。
 そこで、改めて千葉県都市計画審議会の委員の顔ぶれを調べると、会長・副会長を含む7人は「民間人」だが、その他は千葉県議会議員が8人、国の関係省庁の部局長が5人、県下の市町村の市長・議会長が6人、それに県警察本部長の計28人となっている。これでは行政から独立し、行政に意見を具申する機関としての役割を期待するのがそもそも無理である。その上、民間人7人もどういう基準、手続きで選ばれたのか、市民には不明である。
 
小泉「改革」の先兵役を務めた「民間委員」
 こうした状況は単に一地域の特殊事情ではなく、わが国の行財政の中枢にまで及んでいる。たとえば、20011月の中央省庁再編にともなって設置された規制改革会議と経済財政諮問会議は、小泉「改革」賛美のマスコミに頻出し、与党や官庁などの「抵抗勢力」に対抗する規制緩和路線の旗振り役として甚大な影響を及ぼした。マスコミ自身もこの会議に参画した「民間委員」を郵政民営化、三位一体改革など、政官の「既得権」に切り込む勇士のように、その一挙一動にスポットを当てた。
 しかし、それから8年後の今日、小泉政権が手がけた規制緩和と「構造改革」(タクシー業界における新規参入の自由化、社会保障費予算の総枠の抑制、労働者派遣法の改定など)は、地方における医療と経済の荒廃、安全軽視の事故の続発、セーフティネットの整備なしの自己責任論と競争原理がもたらした格差助長といった弊害が次々と露呈し、与野党を問わず、見直しの声が起こっている。また、小泉政権が改革の本丸と絶叫した郵政民営化について、現職総理大臣までが「実は賛成ではなかった」、「有権者は民営化の中身を知らなかった」と言い出す有様である。さらに、この1月の参議院本会議では代表質問に立った自民党議員が、公私混同の規制緩和、行き過ぎた市場原理主義がもたらした惨状の結果責任をとって、経済財政諮問会議の解散を要求するに至っている。

小泉「改革」はどのような「既得権」を蹴散らしたのか?
 こうした事態の推移から透けてみえるのは、「民間委員」が先兵役を務めた小泉「改革」が蹴散らした「既得権」とは、経済的強者に偏在した機会と権限ではなく、市井の国民の安全で健康で文化的な生活を享受する権利と就業の機会だったということである。経済的強者の特恵的な地位を「国際競争力の強化」、「民間活力の維持・向上」という実態不明のスローガンの下に擁護する一方、経済的弱者の憲法で保障された権利を「自己責任」と「モラルハザード排除」の名のもとに蹴散らしたこと――これこそが小泉「改革」の本質であり、その旗振り役を務めた「民間委員」の最大の罪と罰と言って過言でない。
 そこで、「民間委員」の顔ぶれを見てみると、経済財政諮問会議の設置根拠法である内閣府設置法は10名以内とされた議員総数のうち通称「民間議員」(正式には、経済又は財政に関する政策について優れた識見を有する者)が4名以上とすることを定め(第20条第3項)、これら民間議員は内閣総理大臣が任命することとしている(同条同項)。しかし、「民間」とはいってもそのうちの2名は財界から起用され、具体的には経団連会長が任命されてきた。残り2名は学界から選ばれてきたが、程度の差はあれ、効率性と市場原理を重視する経済学者が起用されてきた。

オピニオン・ショッピング
 会計監査の世界で「オピニオン・ショッピング」という言葉がある。意訳すると、「監査を受ける企業が自分に都合のよい監査意見を付けてくれる監査法人や公認会計士を探しまわること」をいう。
 私は、過去約10年間、情報通信審議会(旧電気通信審議会)委員を歴任し、その後、田中康夫県政時代の長野県で2つの審議会委員を務めた経験から、この「オピニオン・ショッピング」という言葉が政官による審議会委員の選任の実態にそっくり当てはまると感じている。
 私の体験については次の論稿を参照していただくことにして、ここでは、審議会委員の選任にまつわるオピニオン・ショッピングの氷山の一角ともいえる事例を紹介しておきたい。

 醍醐聰「総務省が審議会委員の私を『解任』した真相」(『エコノミスト』2003121日、掲載)
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/shingikai_iin_kainin_no_sinso.pdf

 内定委員を解任 規制改革に慎重発言(『読売新聞』20041116日)
 「株式会社の学校経営の是非などを論じるため、内閣府に設けられた規制改革・民間開放推進会議の教育・研究ワーキンググループ(作業部会)で、委員に内定していた会社社長が規制緩和の一部に慎重な意見を述べたところ、内閣府の要請で委員就任を辞退させられていたことが16日、分かった。政府が定めた結論に合わせて人選しようとする審議会の実態が露呈した形だ。
 委員就任を辞退させられたのは、飲食チェーン『ワタミフードサービス』の渡辺美樹社長(45)。・・・・・渡辺社長は、委員の辞令交付を受ける前の初会合に参考人として出席。NPO(非営利組織)法人の学校経営については賛成したが、株式会社については『利益の株主還元を優先するため、不適当』と慎重意見を述べた。渡辺社長以外のメンバーはおおむね賛成論だったという。
 内閣府によると、渡辺社長の見解は他の委員や事務局内で問題化し、同月25日、河野栄・同推進室長が渡辺社長を訪れ、委員就任の辞退を求めた。
 渡辺社長によると、『考えを変えるか、就任を辞退するか選んでほしい』と言われた。委員就任を辞退した渡辺社長は『就任を頼んでおいて、意見を変えろと迫るのは、あまりに失礼な話で驚いた。推進会議の議論の進め方は乱暴過ぎる』と話している。
 河野室長は『結果的に失礼なことになったが、年内に答申をまとめるには、基本的な意見の違う方はふさわしくなかった。規制改革はもともと省庁の反対が強いので、あえて委員に反対派を入れる必要はないと考えている』としている。」

プリオン調査会、半数の委員が辞任/揺らぐ食の番人の信頼性(『東奥日報』2006412日)
 「米国産牛肉の輸入再開をめぐる安全性評価を担ってきた内閣府の食品安全委員会プリオン専門調査会で、12人の委員のうち半数が4月の改選で一気に辞める異例の事態が起きた。消費者団体などから慎重派とみられていた6人の辞任で、食の番人である同委員会が掲げる『公正中立』の立場が大きく揺らいでいる。」
 「露骨な圧力も 委員の不信の始まりは、国内のBSE対策を検証した049月の報告書『中間取りまとめ』にさかのぼる。審議の過程で『科学的根拠がない』と退けられ、吉川座長が記者会見で削除を明言した『生後20ヵ月以下の感染牛を発見することは困難』との文言を、座長に無断で事務局が残したまま、結論として公表したという。・・・・。その後、米国産輸入再開に関し、政府の姿勢に異論を呈したある委員の研究室を厚生労働省の担当者が訪れ『(国から)研究費をもらってますよね』と露骨に圧力をかけたこともあったという。上部組織の食品安全委メンバーから調査会に提出する慎重意見を変更するよう電話で指図された委員もおり、不信感は増すばかりだった。」
 「狙い打ち 自ら辞任した委員ばかりではない。メディアで食品安全委へ批判的な発言を繰り返した山内一也(やまのうち・かずや)東大名誉教授(74)がその一人だ。『70歳以上は原則選任しない』という安全委が昨年策定した方針が適用されたが、山内さんは就任時、既に70歳を過ぎており『発言が嫌われた』(関係者)との見方も。山内さんは辞任直前まで『何も(事務局から)言われない。自分が辞めるのかどうかも分からない』とこぼしていた。」

 以上、2つの事例についてはもはや解説はいらないだろう。しかし、悔しがってばかりでは現状は変わらない。どこをどうするかが問われている。
 私は今、NHKの経営委員の選任に公募・推薦制を採用するよう求める視聴者運動に参加している。しかし、これとは別に、最近、分野横断的に公職委員の選任全般を見直し、委員の選考過程に市民が参加する制度を作り上げようという運動が提起されている。次に紹介する、ComRights主催の企画で取り上げられる英国の公職任命コミッショナー制度はその先駆例として注目に値する試みである。

(参考)英国の公職任命コミッショナー制度の仕組み(下記の企画の主催者作成)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/commmissioner_for_public_appointments.pdf


英国の公職任命コミッショナー制度に学ぶ

2弾 みんなのメディア作戦会議

公職任命コミッショナー

政官財の癒着を断ち切る秘策があった!

派遣法や郵政民営化・・・
何もかも後から失敗だったと気付く仕組みはもうごめん。
自分たちの代表を審議会委員に送りこもう

主催 ComRights
   コミュニケーションの権利を考えるメディアネットワーク

2009
221日(土)1400
立教大学池袋キャンパス8号館8201教室

問題提起  日隅一雄(弁護士・NPJ編集長)
 「政財官の癒着を断ち切る秘策・英国任命コミッショナー制度とは」

パネリスト
 青山貞一(武蔵工業大学・大学院教授)
 醍醐 聰(東京大学教授)
 中野真紀子(デモクラシーナウ! 日本代表)
 服部孝章(立教大学教授) 
 三井マリ子(女性政策研究家)

私もパネリストの末席に参加させてもらうが、日本の政治・行政システムを大きく変える可能性を秘めた(と私は思っている)この企画に多くの方々が関心が寄せていただけると幸いである。

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「視聴者のみなさまと語る会」in 東京での私の発言用原稿

 前の記事で、昨日(2月7日)、東京の千代田放送会館で開かれた「視聴者のみなさまと語る会~NHK経営委員とともに~in 東京」の模様を記す記事をまとめたが、ブログにアップする時、書式が崩れ、お読みいただきにくい文面になっている。目下、修復中であるが、とりあえず、会場での発言用に準備した原稿(PDF版)を掲載するとともに、私の発言(質問)に対する会場での当事者の返答の要旨を紹介しておきたい(要旨は私のメモと記憶に基づいてまとめたものである)。

「視聴者のみなさまと語る会 in 東京で」での発言用原稿
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/hatugen_genko_atarukai_in_tokyo20090207.pdf

 私が発言で取り上げたテーマは次の2つで、それぞれに対する当事者の会場での返答の要旨は各質問の後に示したとおりである。

1.小丸経営委員長への質問
(ただし、会の終了間際に発言が回ってきて時間が押していたため、小丸氏への質問は原稿の一部を省略した。)
  
小丸氏が代表取締役社長を務める福山通運が、「試行」とはいえ、NHKの受信料収納等の業務を受託していることは、NHKとの間で「特別な利害関係」を生むものではないか?

小丸氏、大西NHK理事の返答の要旨
 小丸氏:中国地方一帯で受託している。詳しくは大西理事から・・・・(詳細聞き取り不能)
 大西理事:山間部で『試行』という形でお願いしている。

コメント
 私の質問への回答の体をなしていないが、「語る会」の終了後、この件で取材を受けた大西理事は、福山通運への本件の委託は随意契約であったことを認めたとのことである。

2.小林英明経営委員への質問
  小林氏がETV番組改編事件に関する最高裁判決を引いて、「法律や倫理に違反した放送現場の独走」と述べた根拠は何か? 安倍官房副長官(当時)から、「番組を公正に」と言われた国会担当局長が、安倍氏と面会後、NHKに戻り、番組制作現場に出向いて、政治家の発言を忖度して、そこここをカットせよと威圧的に指示したことこそ、放送の自主自律を放棄した「独走」ならぬ暴走ではなかったか?

小林委員の返答の要旨
 最高裁がNHK勝訴の判決を言い渡したことは、東京高裁の判決を退けたことを意味する。その最高裁判決は、NHKの編集権は会長にあると判断したものである。それを踏まえて、私は経営委員会の会合で福地会長に、法人としての編集権に基づいて放送現場が独走して法律や倫理に違反した番組を作らないよう、監督を求めたのである。

コメント(会場で発言する機会はなかったが)
 ETV番組改編事件をめぐる最高裁判決は番組制作にあたっての取材対象者の期待権・信頼は法的保護の対象にならないと判断したのであって、NHKの編集権は誰にあるかといったことは争点になっていないし、最高裁判決もそれに言及した箇所はどこにもない。したがって、小林氏の答弁は失当である。
 そもそも、私は「編集権は誰に帰属するか」を質したのではない。念のためいえば、私自身は多様な価値観が付きまとう番組制作において、特定の誰かに帰属する「編集権」なるもは不要であり有害と考えている。
 私が小林委員に質したのは、

 ①最高裁判決のどこに、小林氏がいうような、「法律や倫理に違反した放送現場の「独走」を戒めた箇所があるのか?
 ②「独走」(「暴走」)というなら、それは小林氏が直視しようとしない別の事実――安倍氏ら政治家の発言を忖度して、番組制作と無縁な国会担当局長が番組制作現場に踏み込んで、どこそこをカットせよと迫ったことーーがそれにあたると(醍醐は)考えるがどうか?

ということである。弁護士ならなおさら、質問の趣旨に沿った応答をする弁論の作法をわきまえてもらいたいものである。

公共放送らしさを求める鋭い発言が次々と
~福山通通運問題だけではない~


 「語る会」終了後、私が取り上げた福山通運問題について、多くのマスコミから取材を受けた。問題を提起した当事者として関心を向けてもらえることはうれしいが、昨日の「語る会」では、公共放送としてのNHKへの視聴者の期待とNHKの現実のギャップを鋭く指摘した発言が相次いだ。こちらにも大いに目を向け、報道してほしいというのが私の率直な気持ちである。

 そこで、以下、私の印象に残った参加者の発言を紹介しておきたい。

・ ガザ地区へのイスラエルの攻撃を「ハマスが攻撃を仕掛けたのを受けて」と伝えるのは真相を歪めている。NHKは次期経営計画の方針2で「報道・ジャーナリズムを強化します」と言っているが、正しくは「ジャーナリズムに立ち返る」というべきだ。

・ 夜7時のニュースを視ていると、相撲界の不祥事に多くの時間を割き、国会での質疑はその後でごく短い時間を充てるのみ。これで、どうして「健全な民主主義に資する」といえるのか? 

・ 視聴者対応報告を見ると、視聴者から寄せられた意見を「好評」と「厳しい意見」に2分しているが、たとえば、昨年9月の自民党総裁選報道について、「好評」は177件であるのに対し、「厳しい意見」は2756件(76%)となっている。にもかかわらず、月間の意見紹介では「好評」意見が「厳しい意見」の2倍以上のスペースを充てて紹介されている。NHKは自分に批判的な意見もきちんと受けとめるべきだ。

・ NHKは民放のまねをするべきではない。タレントの起用が多すぎる。大リーグの放送をNHKがやる必要はない。民放に任せたらよい。

・ NHKは目線が下がっている。背景の取材報道など、質の向上をめざすべきである。「派遣切り」の問題も社会的セーフティネットをどう作るかを考える番組にするべきだ。

・ 経営委員会は、自分たちの互選で選ぶ経営委員長の人選が政治の世界で「内定」と報道されても抗議しないのはなぜか? 経営委員会は議事録を公開しているというなら、NHK役員が加わる前に恒例のように開いている経営委員のみの打ち合わせの議事録も公開すべきだ。

・ NHK会長も経営委員長も財界人ということに強い違和感を感じる。もっとジャーナリズムに造詣の深い人を選ぶべきだ(ここで会場から拍手が起こった。)
 

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経営委員長が社長を務める会社とNHKが随意契約で業務の委託・受託(の試行)をしてよいのか?


<以下、ご覧のとおり、書式が崩れて、読みにくくなっています。そこで、以下の記事全文のPDF版を貼り付けましたので、こちらをご覧くださるようお願いします。

「経営委員長が社長を務める会社とNHKが随意契約で業務の委託・受託(の「試行」)をしてよいのか?」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/fukuyamatuun_nhk_zuiikeiyaku.pdf

なお、この記事の次に、「語る会」で私が質問した当事者の会場での返答の要旨、また、福山通運問題以外で、参加者から出された鋭い意見を紹介しましたので、こちらもご覧いただけると幸いです。>


 今日(
200927日)、東京の千代田放送会館で開かれた第6回「視聴者の皆様と語る会~NHK経営委員とともに in 東京」に参加した。参加した視聴者は59名で、NHK経営委員会からは小丸成洋委員長、岩崎芳史経営委員長職務代行者、井原理代経営委員、小林英明経営委員の4名、NHK執行部からは、福地茂雄会長、金田新専務理事、大西典良理事、今井環理事の4名だった。
 NHKアナウンス室の末田正雄さんの司会で、午後2時~410分ほどの間、テーマを<放送>と<経営>に分けて質疑、討論が進められた。参加者の発言は私が予想した以上に、公共放送NHKの使命、役割を意識した鋭い内容だった。特に目立ったのは、「NHKには民放の真似をしてほしくない」、「公共放送らしい番組を期待する」というものだった。

 詳しい内容は追って紹介するとして、以下、終了間際でようやく発言の機会を得た私の発言用原稿を掲載しておきたい。私が取り上げたテーマは大きくは次の2つだった。

 1.小丸経営委員長が代表取締役社長を務める福山通運株式会社がNHKの業務委託の「試行」を受託したことについて

 2.ETV番組改編事件に関する最高裁判決を引いた小林英明経営委員の発言について

 ただ、当日、私の発言に先立つ会場でのやりとりの中で、経営委員会の議事録の全面的な公開を求めた参加者からの意見に対して、小林英明経営委員から、「従来はともかく、私が経営委員会に参加するようになってからは、議事録は全面的に公開しており、透明性は確保さfれている」という発言があったので、急遽、これに対するコメント(反論)の発言を付け加えた。
また、小丸経営委員長に対する質問の箇所についての会場での発言は、時間が押していたことから、一部、要約(省略)した点がある。
 各質問、意見について、質問相手の経営委員あるいはNHK執行部から、発言(「回答」とうには程遠いものだったか、それも書き加えると長くなるので、次の記事に回すことにする。

  **********************************************************


「視聴者の皆様と語る会~NHK経営委員とともに in 東京」(200927日)

             発言用原稿

                           
醍醐 聰

 千葉県から参加した醍醐です。今日は視聴者と経営委員の「語る会」ですので、ご出席の経営委員の方々に質問をさせていただきます。

小丸経営委員長への質問
~NHKの業務委託の「試行」の委託先を福山通運にしたことについて~


 昨年1222日に開催された経営委員会の議事録の冒頭で、新しい経営委員長を選出した経過が記されています。その中で、新委員長を選出する基準の一つとして「NHKと特別な利害関係にないこと」が挙げられています。そこで、新経営委員長に選出されました小丸成洋(こまる・しげひろ)さんにお尋ねします。

 私が入手した平成1937日付のNHK作成と思われる文書によりますと、山口放送局エリアの一部において受信料の訪問集金、口座振替利用届の取次等の業務委託を「試行」するにあたり、小丸委員長が代表取締役社長をお務めの福山通運を委託先に決定したと記されています。
 また、平成2086日付の「事務連絡」と題する文書によりますと、鳥取・松江放送局地域の一部の業務委託も福山通運の試行エリアにすることにしたと記されています。
 さらに、平成20106日付の文書によりますと、姫路支局地域の一部における業務委託の試行も福山通運に委託したと記されています。

 「試行」とはいえ、こうしたNHKの業務を経営委員長が社長を務める会社が受託することは先に挙げられた「NHKとの特別な利害関係」に当らないのでしょうか?
 併せてお尋ねしますが、これら3件の業務委託は入札による契約だったのでしょうか、それとも随意契約だったのでしょうか? また、この業務委託はその後、どうなったのでしょうか? 「試行」で終わったのでしょうか? それとも正規の委託契約へと進んで現在に至っているのでしょうか? お御答えいただきたいと思います。

小林英明経営委員への質問
~ETV番組改編事件をめぐる「制作現場の独走」なる発言について~


 次に、小林英明経営委員にお尋ねします。

 平成20624日に開催された経営委員会で、小林委員は「ETV2001」番組改編事件に対する最高裁判決について言及され、NHKが放送する番組については、放送現場が独走して法律や倫理に違反した番組を作らないよう、法人としてのNHKがしっかりした体制を持つべきだというのが、この判決の趣旨だと思うと発言され、この点をよろしく、と福地会長に要望されています。
 
私は、この最高裁判決を何回も読んでいますが、小林委員が指摘されたような「趣旨」なるものを読み取れる箇所は見当たりませんでした。この判決のどこに、「放送現場が独走して法律や倫理に違反した番組を作らないよう」法人としてのNHKの監督責任を求めた箇所があるのでしょうか? お教えいただきたいと思います。

 東京高裁は、このETV番組改編変事件に対する判決の中で、番組の放送日の前日に、安倍官房副長官(当時)と面会して「公正な番組にするよう」、安倍氏に促されたNHKの当時の国会担当局長が面会の後NHKに戻り、自らこの番組の制作現場に出向いて、台本を手にして「これではぜんぜんだめだ」と発言し、どこそこをカットせよと制作スタッフに迫った事実を認定しました。最高裁も控訴審判決の中でこの事実を否認していません。
 このように、本来、番組制作に関わらない国会担当局長が制作現場に足を運んで、政治家の意向を忖度し、番組のどこそこをカットせよと威圧的に指示することこそ、編集の自主自律を放棄した「独走」ならぬ「暴走」だったと思いますが、いかがでしょうか?

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グルジア人の誇りと友愛の精神を描いた放浪の画家、ニコ・ピロスマニ

NHK教育テレビ「新日曜美術館」で
 1月25日にNHK教育テレビの「新日曜美術館」で<絵筆とワイン、そして誇り~グルジアの愛した画家ピロスマニ>が放送された。所用で放送時間帯は不在だったので録画を取り、先日、再生で視聴した。素晴らしい番組だったので翌日もう一度メモをとりながら視聴し、このブログに感想を書くことにした。

 グルジアといえば、昨夏のグルジア紛争が記憶に新しいが、カスピ海と黒海に挟まれた地理的事情もあって、歴史的にはビザンツ帝国、オスマン帝国、ペルシャなどに編入され、1991年にソ連邦から独立したばかりの国である。しかし、前記のとおり、今も南オセチア自治州の分離・独立問題で米露両大国の介入も絡み不安定な内政が続いている。

1杯のワインと引き換えに
 ピロスマニは1862年、グルジアの東部のミルザー二の農家に生まれた。後年の森の中のブドウの大甕やニワトリの親子を題材にした作品などは幼年期の故郷の情景を描いたものといわれている。しかし、両親が相次いで亡くなり、8歳の時、独学で絵を始めた。さらにその後、頼りにしていた姉もなくなり、一人きりの生活が始まった。28歳の時、首都トビリシで鉄道員の職についたが長続きせず、その後は一夜の宿、1杯のワインと引き換えに店の看板や壁に飾る絵を描くその日暮らしの放浪生活を続けた。絵の題材の多くは宴に興じる市井の人々、農場や森で出会う動物などだった。

 そんな中でピロスマニは奇抜な出来事を起こした。グルジアを訪れたフランス人女優マルガリータに一目惚れし、求愛の情にかられて町中の花屋からバラを買い集めて彼女が泊まったホテルの前の広場を埋め尽くした。加藤登紀子が歌ったロシア民謡「百万本のバラ」に登場する「貧しい絵描き」は彼をモデルにしたと言われている。

おごりを拒み、胸を張って生きる人間の魅力
 1913年、51歳の時、ピロスマニはロシアの美術界から注目され、モスクワで開かれた展覧会に出品した。そして、1916年にはグルジア画家協会に迎えられた。しかし、新日曜美術館では触れられなかったが、プリミティズム(原始主義)に分類された彼の作品はその素朴さのゆえに一部の批評家や新聞から「幼稚だ」とか「稚拙だ」などと批判された。これを苦にしてピロスマニは絵を描く意欲を失い、失意と貧困の中で1918年、建物の階段下の小さな一室で衰弱死していたのを発見された。彼の作品が本格的に評価され始めたのは没後であった。今日では彼は、貧しくても売れる画家を目指さず、グルジア人の矜持と友愛の精神を貫いた国民的英雄と称えられ、紙幣にも登場している。

 番組(「新日曜美術館」)では、3人の在日グルジア人が登場し、各々自国民としてピロスマニ像を語った。大阪に在住するチェロ奏者、ギア・ゲオンシバリさんはピロスマニの作品「宴にようこそ」を紹介しながら、初対面の訪問者も長年の友人のように何度も乾杯で歓待するグルジアの慣習を紹介し、ピロスマニのことを「貧しくとも誇りを持って生きたグルジア人」と称賛していた。また、つくば市に在住の遺伝子研究者、アレクサンダー・レシャバさんのご夫人は「自分の感情のままに生きた人。売れる画家を目指さず、人々を慈しむ謙遜を持ち合わせたグルジア人」とピロスマニを評した。そう語るアレクサンダー夫妻の居間には、食事を運ぶ女性の姿を描いたピロスマニの絵が飾られていた。
 最後に、ゲストとしてスタジオに招かれた在日グルジア語教師のメデア・ゴツィリゼ・児玉さんは自分が物心ついた頃には実家にピロスマニの絵が飾られていた。グルジア人にとって彼は空気のような存在、なぜなら、彼の作品のテーマ――葡萄、復活祭、宴はグルジア人にとって身近なものばかりだから、と語ったのが印象的だった。また、メデア・ゴツィリゼ・児玉さんは、個性やオリジナリティを大切にするグルジア人の誇りの高さも語った。家庭では弟が兄のまねをすると、自分の考えで行動するようにと親からきつくたしなめられるという。会話の時、相手と目を合わせて話さないと聞いてもらえない、胸を張って行動するプライドもグルジア人の特徴だという。

 そういえば、ピロスマニが描いた娼婦も宴のワインを運ぶ居酒屋の男性も小熊を連れた親白熊も農夫とともに働く馬も、すべて背筋をのばし、凛とした目つきが印象深い。そこには不遇にもしおれない、自分の尊厳は自分で守るという気概と魅力が漂っている。メデア・ゴツィリゼ・児玉さんとともにゲストとして登場した、絵本作家のはらだたけひでさん(著書に『大きな木の家~わたしのニコ・ピロスマニ』冨山房インターナショナル、2007年、がある)が、ピロスマニの作品に描かれた市井の人々、動物の毅然とした目つきには、人間のおごり、不条理を包むやさしさがあると語ったのも印象的だった。はらださんによると、ピロスマニが画材にした動物がどの面にも光があてられ、白く描かれているのは、自分にとっていとおしいもの、崇高なものという意識があったからだろうという。

Pirosumasu_utageniyokoso_3 























「宴にようこそ!」(1910年代の作)

グルジアとピロスマニのことをもっと知るために
 今まで私にとってグルジアは未知の国であったが、この番組を通して、ピロスマニともども深く知りたい国に変わった。さしあたり、次の催しに出かけたいと思っている。

映画「懺悔」
(1984年/グルジア映画/デンギス・アブラゼ監督/1987年カンヌ国際映画祭審査員特別大賞受賞。岩波ホールで2月中旬まで上映中)
 岩波ホールのホームページに掲載された解説によると、「ペレストロイカ(改革)の象徴となった、ソビエト連邦崩壊前夜の伝説的映画」。「旧ソビエト連邦の厳格な検閲の下、グルジア共和国で製作された本作は、1984年12月に完成した。86年10月、グルジアの首都トビリシでようやく公開された。
 物語はかつて両親を粛清のうえに殺害した(架空の)地方都市の市長の遺体を墓から掘り起こして、独裁政権の罪を告発しようとした一人の女性の不幸と苦悩を時に幻想的に、しかし力強く描いているという。ソビエト連邦の崩壊で終止符を打ったわけでは決してない自由への抑圧にどう向き合うのか――いずれ観た上で感想を書きたいと思う。

企画展「青春のロシア・アヴァンギャルド」
(埼玉県立近代美術館。2009年2月7日~2009年3月22日)
 埼玉県立近代美術館のホームページに掲載されたこの企画の解説によると、20世紀初め、帝政への不満、革命への機運が高まっていた時代にロシアの若い画家たちが西ヨーロッパのマティスやピカソなどの最先端の絵画を学ぶ一方、ロシアに根ざした民衆芸術の素朴さも取り入れた作品を集めたという。ピロスマニの作品がまとまって見られる貴重な機会とも記されている。なお、関連の催し物の一つとして、3月20日(金・祝)、ミュージアム・シアターでピロスマニの生涯をめぐる映像詩「ピロスマニ」(1969年。グルジアのゲオルギー・シェンゲラーヤ監督作)が上映されるという。

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