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独裁政治下での人間の苦悶と絆を描いた作品~映画「懺悔」観賞記(1 あらすじ)~

グルジアのことをもっと知りたくて
 岩波ホールで上映中の『懺悔』を観てきた。4つ前の記事で書いたように、NHK教育テレビの「新日曜美術館」で放送された画家ピロスマニの伝記を通じてグルジアに関心を持ったのがきっかけだ。岩波ホールのホームページに掲載された紹介記事には、「グルジア映画の巨匠テンギス・アブラゼの『祈り』(68)、『希望の樹』(77)に続く、“懺悔三部作”の悼尾を飾る大作」と評され、「ペレストロイカ(改革)の象徴となった、ソビエト連邦崩壊前夜の伝説的映画」と記されている。198412月に完成したが、政治的理由で直には公開されなかった。19871月、ゴルバチョフ書記長がペレストロイカ(改革)を掲げ、グラスノスチ(情報公開)を打ち出したのを機にようやくモスクワで公開されるや、最初の10日間で70万人以上の観客がつめかけたという。
 さいわい、岩波ホールのロビーで買い求めたこの映画の小冊子に、春日いずみさん作の採録シナリオ(全編の脚本)が収録されているので、それを基にこの記事では映画のあらすじを紹介したい(ただし、以下のあらすじは採録シナリオの摘記である。表現も一部手直ししている)。そして、次の記事では自分なりの観賞記を書きとめることにする。ただ、その前に、スタッフとキャストを紹介しておきたい。それによって、この映画の輪郭を知っていただけると思う。

スタッフとキャスト
監督:テンギズ・アブラゼ
脚本: ナナ・ジャネリゼ/テンギズ・アブラゼ/レゾ・クヴェセラワ

ヴァルラム・アラヴィゼ(独裁市長):アフタンディル・マハラゼ
アベル・アラヴィゼ(ヴァルラムの息子):アフタンディル・マハラゼ
 <父子をアフタンディル・マハラゼが12役>
アベル・アラヴィゼ(子供時代):ダト・ケムハゼ
グリコ(アベルの妻):イア・ニニゼ
トルニケ(ヴァルラムの孫):メラブ・ニニゼ
サンドロ・バラテリ(画家、ケテヴァンの父親):ディシェル・ギオルゴビアニ
ニノ・バラテリ(ケテヴァンの母親):ケテヴァン・アブラゼ
ケテヴァン・バラテリ(サンドロの娘。墓を掘り起こした犯人):ゼイナブ・ボツヴァゼ
ケテヴァン・バラテリ(子供時代):ナト・オチガワ


Photo









父親の消息を追う少女時代のケテヴァン・バラテリ


3たび
掘り掘り返された市長の遺体
 物語はある地方都市のケーキ店を営む1人の女性が、強権をほしいままにした独裁市長ヴァルラム・アラヴィゼの死亡を伝える新聞記事を客から知らされ、立ち止まる場面から始まる。アラヴィゼ家では市長の生前の功績を讃える弔問者とそれに応対する息子アベル夫婦でごった返す。葬儀は滞りなく終わり、アベル夫妻は床につく。翌朝、犬の鳴き声に気付いた妻のグリコが庭に出るや、大声で叫んでアベルを呼んだ。「ヴァルラムの死体よ」。近づくと、父ヴァルラムの遺体が庭の大木にもたれかかるように置かれていた。その夜、アベル一家は懐中電灯を照らしながら、ヴァルラムの遺体を墓地に運び、元の位置に埋めて帰る。しかし、翌朝、目を覚まして寝室の窓辺から庭を見下ろしたグリコはまたもや同じ木に寄りかけられたヴァルラムの遺体を発見する。アベル夫妻は向いの男の勧めるままに、今度はヴァルラムの墓地を柵で囲い、カギをかけて帰ったが、翌朝、またもや庭の木に寄りかかるヴァルラムの遺体を発見する。
 そこでアベル家は次の夜は警察官とともに墓地に潜んで犯人が現れるのを待つ。警察官が各々勝手な理由をつけて墓地を離れた深夜、一人の人間が墓地に近づくのを見とどけたヴァルラムの孫のトルニケはその人物をめがけて発砲した。飛びかかったトルニケが見届けたのは何と男性ではなく、ケテヴァンだった。

墓地で眠らせない
場面は法廷。パロディ風の衣装をまとった判事が正面中央に、その両サイドにコの字形に原告・被告双方の弁護士が着席するのは日本と同じだが、なぜか、被告のケテヴァンは弁護人の背後の最後列の椅子に悠然と座る。反対側の数列にはアラヴィゼ家の遺族や友人が着席している。

 裁判長「被告ケテヴァンは、3度にわたり遺体を掘り返し、遺族の家に運んだことを認め、自分を有罪と認めますか?」
 ケテヴァン「事実ですが、無罪です。掘り返したことが罪だとは考えません。私が生きている限り墓地で眠らせません。私が決めたことです。邪魔はさせません。こうなるのが私と彼の運命なのです。必要なら300回でも掘り返します。」

 ここで、彼女の弁護士は被告人に動機を詳細に語らせるよう求める。やがて、裁判長の許可を得たケテヴァンの長い回想の場面が始まる。


独裁市長との息詰まる会話
 ヴァルラムがその都市の市長に就任したのはケテヴァンが8歳の時だった。バラテリ家の向いの建物のテラスで市長就任の演説をするヴァルラム。見下ろす広場では大勢の市民が喝采を送る。ケテヴァンとニノがその様子を楽しそうに眺めていたところへサンドロが現れ、2人を促して窓を閉める。その様子をヴァルラムはしっかりと目撃していた。

 場面は変わって、老朽化した教会の中庭(?)の温室。何やらの実験による騒音が聖堂内に響き渡る。ヴァルラムと向き合った老人の傍らからサンドロは聖堂の保存を訴える。
 サンドロ「音の引きおこす振動でフレスコ画や壁全体がひび割れしています。この実験が続けば聖堂は崩壊します。」
 ヴァルラムはサンドロらの訴えに理解を示す素振りを見せるが、実験場所を移す研究所の建設には資金が足りないと、うやむやな返事をする傍ら、不気味な笑いを浮かべて、「他になにか? それでは皆さんの身元調査でもやりますか。私は何も見逃さない。だから、君たちも私には用心した方がいい」
と捨てゼリフを残す。

 場面はある夜のサンドロ家。親子3人がくつろいでいたところへベルが鳴る。駆け寄ったケテヴァンがドアをあけると、赤いチューリップの花束を持った2人の男。といきなり、2人の後ろから白いマントをまとったヴァルラムが踊り出る。そばには息子のアベルが立っていた。それから20分ほど、用件を告げるでもなく、部屋中をなめ回すように観察したり、陰湿に絡みついたりするヴァルラムとサンドロ夫妻の息苦しいやりとりが続く。その間、サンドロ夫妻の娘ケテヴァンとヴァルラムが連れてきたアベルは子供部屋でキリストについてあどけない会話をかわす。それから数十年後に、法廷で被告・原告の席に分かれて座るとは思いもよらない2人だったが。

暗い部屋で黒猫を捕まえることができる。たとえそこに猫がいなくても
 ヴァルラムがサンドロ家に押しかけてきてから、しばらく過ぎたある夜、ニノは鎧兜をまとった兵士に追われて逃げ惑う夫婦の夢をみた。その後、スクリーンには、地上に首だけを出して土に埋められてもがくサンドロ夫妻の姿が大写しされる。目が覚めたニナは泣きながらサンドロを抱きしめ、どこか遠くへ行こうと言いだす。しかし、サンドロはあきらめ顔で、どこへ行っても彼らは探し出すと答えるだけだった。とその時、玄関の鈴が鳴る。開けると槍をもった鎧兜の兵士たち。たちまち、サンドロは連れ出される。おまけに部屋に飾られた絵もごっそり持ち去られた。

 幻想の世界も交えながら展開する物語の途中で、市長ヴァルラムの演説が流れるが、その中に次のような一節がある。

 ヴァルラム「中国の孔子という哲学者は次のように言った。“暗い部屋では黒猫は捕まえにくい。いないなら尚更だ。”・・・・われわれの課題は確かに困難なものだ。だが、われわれは不屈だ。暗い部屋で黒猫を捕まえることができる。たとえそこに猫がいなくてもだ。」

 そんなある日、ヴァルラムの秘書がニノのもとを訪れ、今晩、あなたは逮捕される。急げば助かる、といってお金と切符をニノに手渡して足早に立ち去る。ニノとケティヴァンは家を離れる支度をするが、衣類を包んで出ようとしたところを兵士に踏み込まれ捕まってしまう。馬車で連行される途中でケテヴァンだけが降ろされ、戸を叩きながら泣き叫ぶケテヴァンを振り切ってニノを乗せた馬車は行ってしまう。
 
孫の反抗、そしてアベルの懺悔
 ここで、画面は法廷に戻る。ケテヴァンの回想談が終わるやアベルは立ち上って叫び、グリコも怒鳴り出す。しかし、ケテヴァンは動じる気配はなく、右ひじを椅子にかけて悠然と言い返す。

 アベル「異議ありだ。その女の話したことはすべて嘘だ。中傷だ。」
 グリコ「なぜ掘り返すの!」
 ケテヴァン「彼には墓に入る資格がないからよ。人並みに葬れば、彼の罪を許すことになる。・・・」

 こうしたやりとりに聴き入っていたアラヴィゼ家の遺族の中で激しく動揺した人物がいた。ヴァルラムの孫のトルニケである。
 その日からトルニケは、罪は叔父の市長にあったのだと父親に迫るが、アベルは息子の前では頑として聞き入れない。とはいっても、アベル自身も一人になると、自分の良心の分裂、道徳の基準の瓦解にさいなまれ、神にすがるのだが。しかし、神は、「お前は偽善者だ。心に分裂などない。お前は自分が手に入れた名誉と自分が築き上げた立派な家庭を失うのを恐れているだけだ」とアベルを突き放す。
 トルニケは留置場に出向き、ケテヴァンに会い、許しを乞う。ある日、アラヴィゼ家ではこの問題をめぐって激しい口論が起こる。トルニケはケテヴァンを精神鑑定と称して病院に強制収容しようとした父親に激しく詰め寄った。しかし、アベルは聞き入れる気配がない。絶望したトルニケはついに自分の部屋で銃で自殺を図る。妻の知らせでそれを知ったアベルは愕然とし、一挙に動揺が噴出する。自分の罪を何も知らない息子に負わせてしまった懺悔の意識にさいなまれた彼は自ら、スコップを持ってヴァルラムの遺体を掘り返し、絶壁から放り投げるのだった。

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