グルジア人の誇りと友愛の精神を描いた放浪の画家、ニコ・ピロスマニ
NHK教育テレビ「新日曜美術館」で
1月25日にNHK教育テレビの「新日曜美術館」で<絵筆とワイン、そして誇り~グルジアの愛した画家ピロスマニ>が放送された。所用で放送時間帯は不在だったので録画を取り、先日、再生で視聴した。素晴らしい番組だったので翌日もう一度メモをとりながら視聴し、このブログに感想を書くことにした。
グルジアといえば、昨夏のグルジア紛争が記憶に新しいが、カスピ海と黒海に挟まれた地理的事情もあって、歴史的にはビザンツ帝国、オスマン帝国、ペルシャなどに編入され、1991年にソ連邦から独立したばかりの国である。しかし、前記のとおり、今も南オセチア自治州の分離・独立問題で米露両大国の介入も絡み不安定な内政が続いている。
1杯のワインと引き換えに
ピロスマニは1862年、グルジアの東部のミルザー二の農家に生まれた。後年の森の中のブドウの大甕やニワトリの親子を題材にした作品などは幼年期の故郷の情景を描いたものといわれている。しかし、両親が相次いで亡くなり、8歳の時、独学で絵を始めた。さらにその後、頼りにしていた姉もなくなり、一人きりの生活が始まった。28歳の時、首都トビリシで鉄道員の職についたが長続きせず、その後は一夜の宿、1杯のワインと引き換えに店の看板や壁に飾る絵を描くその日暮らしの放浪生活を続けた。絵の題材の多くは宴に興じる市井の人々、農場や森で出会う動物などだった。
そんな中でピロスマニは奇抜な出来事を起こした。グルジアを訪れたフランス人女優マルガリータに一目惚れし、求愛の情にかられて町中の花屋からバラを買い集めて彼女が泊まったホテルの前の広場を埋め尽くした。加藤登紀子が歌ったロシア民謡「百万本のバラ」に登場する「貧しい絵描き」は彼をモデルにしたと言われている。
おごりを拒み、胸を張って生きる人間の魅力
1913年、51歳の時、ピロスマニはロシアの美術界から注目され、モスクワで開かれた展覧会に出品した。そして、1916年にはグルジア画家協会に迎えられた。しかし、新日曜美術館では触れられなかったが、プリミティズム(原始主義)に分類された彼の作品はその素朴さのゆえに一部の批評家や新聞から「幼稚だ」とか「稚拙だ」などと批判された。これを苦にしてピロスマニは絵を描く意欲を失い、失意と貧困の中で1918年、建物の階段下の小さな一室で衰弱死していたのを発見された。彼の作品が本格的に評価され始めたのは没後であった。今日では彼は、貧しくても売れる画家を目指さず、グルジア人の矜持と友愛の精神を貫いた国民的英雄と称えられ、紙幣にも登場している。
番組(「新日曜美術館」)では、3人の在日グルジア人が登場し、各々自国民としてピロスマニ像を語った。大阪に在住するチェロ奏者、ギア・ゲオンシバリさんはピロスマニの作品「宴にようこそ」を紹介しながら、初対面の訪問者も長年の友人のように何度も乾杯で歓待するグルジアの慣習を紹介し、ピロスマニのことを「貧しくとも誇りを持って生きたグルジア人」と称賛していた。また、つくば市に在住の遺伝子研究者、アレクサンダー・レシャバさんのご夫人は「自分の感情のままに生きた人。売れる画家を目指さず、人々を慈しむ謙遜を持ち合わせたグルジア人」とピロスマニを評した。そう語るアレクサンダー夫妻の居間には、食事を運ぶ女性の姿を描いたピロスマニの絵が飾られていた。
最後に、ゲストとしてスタジオに招かれた在日グルジア語教師のメデア・ゴツィリゼ・児玉さんは自分が物心ついた頃には実家にピロスマニの絵が飾られていた。グルジア人にとって彼は空気のような存在、なぜなら、彼の作品のテーマ――葡萄、復活祭、宴はグルジア人にとって身近なものばかりだから、と語ったのが印象的だった。また、メデア・ゴツィリゼ・児玉さんは、個性やオリジナリティを大切にするグルジア人の誇りの高さも語った。家庭では弟が兄のまねをすると、自分の考えで行動するようにと親からきつくたしなめられるという。会話の時、相手と目を合わせて話さないと聞いてもらえない、胸を張って行動するプライドもグルジア人の特徴だという。
そういえば、ピロスマニが描いた娼婦も宴のワインを運ぶ居酒屋の男性も小熊を連れた親白熊も農夫とともに働く馬も、すべて背筋をのばし、凛とした目つきが印象深い。そこには不遇にもしおれない、自分の尊厳は自分で守るという気概と魅力が漂っている。メデア・ゴツィリゼ・児玉さんとともにゲストとして登場した、絵本作家のはらだたけひでさん(著書に『大きな木の家~わたしのニコ・ピロスマニ』冨山房インターナショナル、2007年、がある)が、ピロスマニの作品に描かれた市井の人々、動物の毅然とした目つきには、人間のおごり、不条理を包むやさしさがあると語ったのも印象的だった。はらださんによると、ピロスマニが画材にした動物がどの面にも光があてられ、白く描かれているのは、自分にとっていとおしいもの、崇高なものという意識があったからだろうという。
「宴にようこそ!」(1910年代の作)
グルジアとピロスマニのことをもっと知るために
今まで私にとってグルジアは未知の国であったが、この番組を通して、ピロスマニともども深く知りたい国に変わった。さしあたり、次の催しに出かけたいと思っている。
映画「懺悔」
(1984年/グルジア映画/デンギス・アブラゼ監督/1987年カンヌ国際映画祭審査員特別大賞受賞。岩波ホールで2月中旬まで上映中)
岩波ホールのホームページに掲載された解説によると、「ペレストロイカ(改革)の象徴となった、ソビエト連邦崩壊前夜の伝説的映画」。「旧ソビエト連邦の厳格な検閲の下、グルジア共和国で製作された本作は、1984年12月に完成した。86年10月、グルジアの首都トビリシでようやく公開された。
物語はかつて両親を粛清のうえに殺害した(架空の)地方都市の市長の遺体を墓から掘り起こして、独裁政権の罪を告発しようとした一人の女性の不幸と苦悩を時に幻想的に、しかし力強く描いているという。ソビエト連邦の崩壊で終止符を打ったわけでは決してない自由への抑圧にどう向き合うのか――いずれ観た上で感想を書きたいと思う。
企画展「青春のロシア・アヴァンギャルド」
(埼玉県立近代美術館。2009年2月7日~2009年3月22日)
埼玉県立近代美術館のホームページに掲載されたこの企画の解説によると、20世紀初め、帝政への不満、革命への機運が高まっていた時代にロシアの若い画家たちが西ヨーロッパのマティスやピカソなどの最先端の絵画を学ぶ一方、ロシアに根ざした民衆芸術の素朴さも取り入れた作品を集めたという。ピロスマニの作品がまとまって見られる貴重な機会とも記されている。なお、関連の催し物の一つとして、3月20日(金・祝)、ミュージアム・シアターでピロスマニの生涯をめぐる映像詩「ピロスマニ」(1969年。グルジアのゲオルギー・シェンゲラーヤ監督作)が上映されるという。
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