最終講義~教室では8ヶ月早い私の卒業式~
今年度、私は本郷キャンパスで東京大学経済学部の3、4年生向けの夏学期授業科目「財務会計」を担当している。そういうわけで、今年度で東大教員の定年を迎える私にとって、通年開講の学部・大学院の演習・論文指導は残っているが、教室での講義は7月10日の「財務会計」の授業で終わることになった。予定していた講義内容は前回(7月7日)の授業で終わらせ、最終講義では今学期の講義を締めくくると同時に、東大での私の卒業式の意味も込めて、近年の内外の会計学界の動向について私が感じるところを話す準備をしてきた。
特別、意気込むこともなく、あわただしい日課をこなしながら、ストック・オプションの費用認識の根拠をめぐる議論を題材にして、「会計と実体経済」と題して話す準備をして来たが、まじかになって連れ合いと娘が聴きに行くと言い出した。教壇で話す姿を家族に見られるのは教師生活初めてのことなので、緊張気味になった。
かなり、欲張った分量になったが、なんとか前日に本体資料と参考資料を仕上げ、教室では時間内にすべてを話すことができて、ひとまずほっとした週末を過ごしている。
この間、資料準備、配布、講義アンケートの配布と回収を手伝ってもらった多くの人たち、講義に静かに聴き入ってくれた受講生の皆さんに謝意を表したい。ただし、教室での講義は終わったが、当然ながら、冬学期も大学院、学部の演習と論文指導は続くので、正式のお礼はすべてが終わる来年3月まで待つことにしたい。
ここで、最終講義に使った本体資料と参考資料を掲載しておく。なお、これら資料は近く発表する予定の論文でも利用するので、引用・転載は控えていただくよう、お願いする。
本体資料:「会計と実体経済~レトリック会計学を超えて~」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/accounting_realworld20090710.pdf
参考資料:
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/materials20090710.pdf
これらの資料をご覧になってもなじめないという方が少なくないと思う。そのような方にも、私がたどり着いた会計観の一端を伝えることができればという気持ちから、講義の冒頭で話した「日本の会計学界に思うこと」の部分を以下に貼り付けることにした。
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1. プロローグ~日本の会計学界に思うこと~
(1)レトリック会計学の危さ
*修辞を挿入・援用して会計(学)をめぐる焦眉の論点をずらしたり、争点に答えを出したかのような錯覚に自他を陥らせたりする議論が横行しているのではないか?
*そうした風潮が、多数説や既存の会計基準を安直に受け入れたり、わかったふりをして多数説や既存の会計基準に追随する風潮を生み、会計学研究者の自律性を蝕んでいるのではないか? これから会計を学ぼうとする人たちの自立した思考を育てにくくしているのではないか?
*題材による検証 ~買入のれんの償却vs減損論争における自己創設のれん置換論の吟味~ <資料1>を参照
・買入のれんを規則的に償却しないことは、買入のれんを自己創設のれん(資産として計上することを禁じられたもの)に置き換えることを意味するという議論は正当か?
・この議論は、当否を論証すべきこと(買入のれんは規則的に減価する)を前提においた一種の循環論ではないか?
・論証すべきことを前提に挿入して、特定の結論をそれと意識させず誘導するレトリックではないか?
(2)実体経済との対応関係を無視・軽視した会計自己完結型の会計基準論の危さ
*会計固有の概念・原則で会計問題を自足的に解決しようとする議論に危さはないか?
*抽象度の高い概念フレームワークから、たいていの会計基準が演繹できるかのように過信・錯覚し、会計基準と実体経済の対応関係に対する関心が希薄ではないか?
*会計基準をめぐる意見の不一致を目的観や方法論(○○観、○○アプローチ)の違いに安易に還元していないか? 不一致の原因はむしろ、事実認識の違いにあるのではないか?
・単一要素取引説と複数要素取引説の違いは、認識しようとする負債の違い(負債性引当金か、繰延収益か)という会計上の負債観の違いにあるかの外見を呈する。しかし、実際は、顧客から受け取る対価を単一種類のものと見るのか、複数の種類なら成ると見るのかの違いに起因している。こうした対価の認識の違いは、アフタ-・サ-ビスが付帯している製品の価格の方が付帯していない製品の価格よりも割高であるという、会計外の経験的事実(プライシング)に還元することができる。そうすることによって、複数要素取引説の方が事実写像的であると考えられる。
(以下、省略。上記の本体資料を参照いただきたい。)
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