醍醐志万子 第九歌集『照葉の森』の出版によせて
昨年9月に死去した姉・醍醐志万子の一周忌にあわせて、このたび志万子の第九歌集『照葉の森』を短歌新聞社から出版した。2005年3月に出版した第八歌集『田庭』以後、亡くなるまでの間の既発表、未発表の作品の中から選び、ほぼ制作順に収録したものである。私も出版社との交渉、校正に多少関わったが、編集・校正の大半は2人の姉(清水和美、安倉瑞穂)があたった。短歌に関わっている私の連れ合いも協力してくれた。
改めて、読み返してみると、姉のこと、姉が80数年過ごした郷里のことがなつかしく思い出される。特に、親子ほど年が離れた私にとって、女学校時代を回顧した姉の歌から、戦中・戦後を生きた姉の姿に思いをはせることになる。また、姉が晩年に詠んだ歌に目を止めると、遠からず自分も向き合わなければならない老いの世界を考えさせられる。
以下、弟として、また一人の人間として、印象深く思われた作品を、短い感想を添えて、書きとめておきたい。
それの名も練兵場の花といひし花ふえて咲くわが庭のうち
今はなき村を発ち来しバスならん朱のバスの行く雨しぶく中
郷里・兵庫の丹波篠山の実家周辺の風景を詠んだ歌である。実家の隣は広大な練兵場で実家の向かいは兵隊の宿舎だった。そのため、実家は慰問にやって来た兵士の家族の宿になったことがあった。小学生の頃、裏山で遊んでいると斜面の土中から演習用に使われた銃弾がぞろぞろ出てきた。
父と子と二代のえにしと 誄歌賜ぶ歌を作らぬわが父のために
長命の母を言ひ出でこの人も励ましくるる有難きかな
姉の終生の友人、遠藤秀子さんに「解説」をお願いしたが、その中で遠藤さんは「人は誰しもそうだが単純な優しさとのみは限らない。しばしば身震うほどの嘆きもあったろう。しかし『歌』に向かうとき、その感情の殆どを浄化した」(236ページ)と書いておられる。上の二首をそうした感情の起伏、清浄を思い浮かべながら読みかえすと感慨を覚える。
戦前も戦中戦後もわがうちを通り過ぎゆく一つくくりに
大阪に二十代歌人会ありきわが二十代終はらんころに
戦後終はらんころに終はりし二十代ただ一つの思想を思想と呼びて
一首目の歌の意味は人それぞれに解釈があるだろう。ただ、三首とも遠い過去のことを飾り気のない簡明な言葉でずばりと表現したところに凛とした作者の性格を感じさせる。
八十年たつた八十年住みし家に別れんとしてお辞儀一つす
照葉の森に氏神おはすとぞ八社(はっしゃ)大神と鳥居に掲ぐ
丹波より来し干し柿をくらはんと身をさかしまにひよのとりゐる
亡くなる2年ほど前に八十年住みなれた兵庫の実家を離れ、わが家の近くのマンションへ転居した前後に詠んだ作品である。マンションの近くの八社大神へは数回、車いすで出かけた。遠方からやって来た下の姉2人と出かけたこともあった。ひんやりとした冷気の森の急な坂道を足を踏ん張りながら押して上がった。実家では広い庭にいろんな植物を育てていたが、ひよどりがひっきりなしにやってきて柿の実をつついていた。転居先のマンションのベランダにもひよがやってきたのは姉にとって心温まる光景だったに違いない。
病人の思ひを今にして知る清しとばかり言いてもをられず
たちまちに夕焼けの色うすれゆきひとつところにともしびの色
つぎつぎと思ひ出だしぬ白蘭と紫蘭の花の群れ咲ける庭
すべてこのブログに転載した姉の死の直前の手作りの個人誌「暦」に収められた作品である。あれから1年経った今、読み返すと姉の心境をより冷静に受け止められるような気がする。気力、体力ともに限界に近づいた中で、このような凛とした歌を詠んだ姉の強靭な精神に身の引き締まる思いがする。
最後になるが、遠藤秀子さんが渾身の思いで執筆された「解説」の中の一節を引用させていただく。
「醍醐志万子は時流に媚びず、分析の痕跡を単念に消し、直載・単純な作風を好んだが内容は濃密である。
≪照葉の森≫も平明な言葉を選び、心身の衰えを受容しながら穏やかな晩年の心象風景を描こうとしている。しかし一首一首に心血を注いだその作品は、時に生命の根源に触れて怖ろしい。草木・虫・食べ物・人への愛情を作品に仕立てるまでの渾身の力を、醍醐志万子はしばしば『仕事』或いは『働く』と言った。それは四六時中『歌』で物事を考え、熟成の過程を苦しみ抜いた人のゆるぎない言葉だったと思う。病弱ゆえ家の周辺に在るものを対象とせざるを得ない環境が、限られた視界を見る目の確かさを養ったのであり、観察の深さ、鋭さにそれがよく現れている。」(233ページ)
上 「戦前も戦中戦後もわがうちを通り過ぎゆく一つくくりに」
下 『照葉の森』表紙
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