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『坂の上の雲』放送開始にあたって申し入れ

 来る29日からNHKスペシャル・ドラマ『坂の上の雲』の放送が始まる。これに先立って、歴史研究者、メディア研究者、市民団体が結成した「『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワーク」は11月26日、共同でNHK福地会長、NHK理事宛に次のような申し入れを提出した。
 なお、この申し入れに賛同した方々は次のとおり(11月26日現在)

 申し入れへの賛同者名簿
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sandosha_meibo_20091126.pdf

 なお、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティも独自に次のような質問書を福地会長、日向放送総局長、西村エグゼクティブ・ディレクター宛に提出した。

 『坂の上の雲』の放送開始にあたっての質問(NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sakanoue_situmon_20091126.pdf

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                      20091126

NHK
会長 福地茂雄 様
NHK
理事 各位

  NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」放送についての共同申し入れ

           「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワーク

呼びかけ人(50音順)
 井口和起(京都府立大学名誉教授)
 石山久男(歴史研究者・前・歴史教育者協議会委員長)
 岩井 忠熊(歴史研究者・立命館大学名誉教授)
 桂 敬一(元東京大学教授・日本ジャーナリスト会議会員)
 崔善愛(ピアニスト)
 隅井 孝雄(メディア研究者・京都ノートルダム女子大学客員教授)
 醍醐 聰(NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表・東大教   授)
 中島 晃(弁護士)
 中塚 明(奈良女子大学名誉教授)
 松田 浩(メディア研究者・元立命館大学教授)
 湯山哲守(NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表・元京都   大学教員)

賛同団体
 えひめ教科書裁判を支える会 
 坂の上の雲ミュージアムを考える会
 NHK問題大阪連絡会
 NHK問題京都連絡会
 NHK問題を考える会(兵庫)
 NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ

 賛同者:別紙名簿のとおり

 皆様方が日頃より豊かで民主主義の発展に寄与する放送番組の制作にご尽力いただいておりますことに、深い敬意を表します。

 さて、NHKは来る1129日から3年間にわたって、スペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送を予定しておられますが、ドラマ化の企画意図を次のように説明しておられます。

「『坂の上の雲』は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語です。そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています。
 この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いありません。」

 私たちはこうした意図のもとに『坂の上の雲』がドラマ化され、多数の視聴者に向けて放送されることに強い危惧を覚え、以下のとおり、申し入れをいたします。

1.ドラマ化にあたって、原作『坂の上の雲』がもつ歴史小説としての重大な歴史認識の誤りをどのように扱うのかについて十分な検討はされているのでしょうか?
 小説とはいえ、作者司馬遼太郎氏は「本来からいえば、事実というのは、作家にとってその真実に到着するための刺激剤であるにすぎないのだが、『坂の上の雲』に限ってはそうではなく、事実関係に誤りがあってはどうにもなら」ない(文春文庫、新装版『坂の上の雲』第8巻)と述べています。そして新聞連載に吟味を加えた上で「全集」に収録されたその後にも「重大な誤り」について「月報」に訂正文を掲載しています。つまり、『坂の上の雲』は単に日清・日露戦争とそこに登場した人物を題材にしたというだけでなく、全編を通して歴史の事実にそって編まれた小説です。しかも、NHKは原作の著作権継承者の許諾を得て原作をドラマ化するわけですから、映像表現上の脚色はありえても著作権法上の定めに照らし、原作の骨格をなす歴史認識を改変することはできないという制約を受けています。

 ところが、その原作を貫く歴史観には次のような重大な誤りが含まれています。たとえば、司馬氏は「日露戦争はロシアからは侵略戦争、日本からは祖国防衛戦争であった」と記していますが、ここには根本的な歴史的事実の誤認があります。当時、ロシアが日本を侵略しようとしていたことを示す歴史的事実はありません。ロシアに侵略される現実的な脅威もないのにロシアと戦うことが「祖国防衛戦争」とどうして言えるのでしょうか。朝鮮半島がロシアなどの大国の勢力下におかれると日本の主権が脅威にさらされるというのは、明治の為政者たちが軍備拡大のために意図的に唱えた対外政略論に過ぎません。さらに、開戦前のロシアには、朝鮮半島制圧の企図もありませんでした。これらの事実は、戦後の歴史研究で多くは明らかにされていましたが、とりわけ最近の根本資料に基づいた研究でいっそう詳しく実証されています。かえって、日清戦争と日本の朝鮮王宮占領、「東学党の乱」の武力制圧、朝鮮王妃の殺害などを経て、日露戦争での朝鮮占領、そして「韓国併合」、さらに「満州」占領へと政策展開していったという近代日本の歩みこそが歴史の事実であることが明らかにされています。つまり、原作者司馬氏の「極東情勢」認識や朝鮮半島制圧についての認識には、明らかに誤りがあります。
 NHKは「ドラマ化」にあたって、これらの明らかに事実に反する記述については十分な検討を加え、必要とあれば著作権に一定の配慮を払った上で「訂正または補足」の措置を講じる必要があります。また「原作」にあくまで忠実に放送するというのなら、視聴者に「事実との違い」を何らかの形できちんと伝える責任があります。それが困難であれば、『坂の上の雲』が放送される期間に別途、日清・日露戦争の経緯を検証する番組の放送を企画するよう要望します。

2.司馬氏は生前、数々の映画、テレビドラマへの「映像化」要請を拒み続けたといわれます。1986NHK教育テレビでもその趣旨の発言を自らしています。そのことの持つ意味は重いものがあると私たちは考えます。氏が映像化を拒み続けた理由は、この原作そのものに加え、映像にした場合の「戦争」場面の多さが、過去の戦争の反省の上に実を結んだ憲法第九条の精神や人々の非戦の誓いに逆行すると考えたからではないでしょうか。氏は1945年以降の「戦後」を高く評価し、「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでもいいと思っているほどに好きである」(『歴史の中の日本』)と述べています。NHKは、こうした司馬氏の思いを深く尊重すべきではないでしょうか。
 憲法9条を「改正」して「普通の国」にしようとする動きが強まっている今日の状況のもとで、司馬氏が「迂闊に映像に翻訳すると、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりするおそれがあります」と懸念したことの意味が、今あらためて大きく現実感を帯びてきているように思われてなりません。

 私たちはドラマ化にあたって、番組制作者の表現の自由、編集の自由を尊重し、それに配慮する必要性は十分認識しています。しかし、来年「韓国併合」100周年を迎えるこの時期に、またNHKが過日放送した「JAPAN デビュー」で取り上げた戦前日本の台湾統治の認識をめぐって内外で論議が起こっている最中に「なぜ今『坂の上の雲』なのか」、「原作に含まれる歴史認識の重大な歪み、誤りをドラマ化にあたってどのように扱うのか」について、莫大な番組制作費を負担する視聴者が求める説明を「表現の自由」、「編集の自由」で遮ることはできないと考えます。
 私たちは放送開始後も引き続き貴局のドラマ制作姿勢を注意深く検証し、事実に即して批判と提言を行っていくことを最後に申し添えます。

                              以 上

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兵士を「持ち駒」、予備軍を「虎の子」の「新鮮な血」と呼んではばからない好戦趣向~『坂の上の雲』は軍国日本をいかに美化したか(第4回)~

多数の犠牲の責任を稚拙な作戦・指揮者に帰す戦術趣向
 『坂の上の雲』は日清・日露戦争を題材にした歴史小説であるが、前回、前々回の記事で紹介したように、その内容は交戦当事国、特に日本の陸海軍及び政府の戦争戦略・作戦の巧拙を実況中継さながらに描いた小説である。そこには日本軍の戦闘を指揮した職業軍人、東郷平八郎、乃木希典、山本権兵衛、伊地知幸助らの人物評や日本の命運を左右した作戦の巧拙に関する記述が続き、交戦相手のロシア軍あるいは侵略地・朝鮮、中国の市民がなめた苦難、不幸の描写は全くと言ってよいほどない。また、前線に駆り出された日本軍兵士の犠牲に関する記述が時折みられるが、その描写はあくまでも戦闘作戦・戦術の巧拙を語る傍論でしかない。たとえば、凄惨を極めた旅順総攻撃の模様を記した冒頭に次のような一節がある。

 「作戦当初からの死傷すでに2万数千人という驚異的な数字にのぼっている。もはや戦争というものではなかった。災害といっていいであろう。
 『攻撃の主目標を、203高地に限定してほしい』という海軍の要請は、哀願といえるほどの調子にかわっている。203高地さえおとせばいい、そこなら旅順港を見おろすことができるのである。大本営(陸軍部)参謀本部もこれを十分了承していた。参謀総長の山県有朋も、よくわかっていた。
 ただ、現地軍である乃木軍司令部だけが、『その必要なし』と、あくまでも兵隊を要害正面にならばせ、正面からひた押しに攻撃していく方法に固執し、その結果、同国民を無意味に死地へ追いやりつづけている。無能者が権力の座についていることの災害が、古来これほど大きかったことはないであろう。」(第4分冊、308~309ページ)

 つまり、司馬によれば、旅順総攻撃による死傷者2万数千人という犠牲は戦争の犠牲者ではなく、無能な作戦に固執した乃木軍司令部らの責に帰すべき災害とみなされたのである。ここには、戦争という行為そのものに対する評価ではなく、第一線で戦争を指揮した参謀らの作戦の巧拙の評価に関心を向ける司馬の問題意識が如実に表れている。自国兵士の犠牲をこのように個々の軍事作戦の巧拙に帰するのは視野狭窄といえるが、何よりも大きな問題は日本軍によって殺傷された交戦相手国の犠牲者が視野の外に置かれているということである。「国家間の戦争である以上、それは致し方ないこと」というのであれば、交戦両国の兵士らに多大な犠牲が生じることが予見できる開戦――領土拡大・占有地での権益保全のための武力行使――の意思決定に関わった当事者の戦争責任が問われてしかるべきだが、『坂の上の雲』にはそういう問題意識が欠落している。


兵士は「持ち駒」、予備隊は「虎の子」の「新鮮な血」!?
 「旅順総攻撃」の章では、上の引用文の後に次のような文章がある。

 「日本の陸軍兵力は、底をついてしまっている。例を将棋にとると、その対局に持ち駒が必要なように、戦争にもそれが必要であった。その持ち駒が、『予備隊』であるということは、すでに触れた。野戦で作戦中の軍司令官や師団長なども、かならずその持ち駒をもちながら駒をすすめている。必要かつ決定的な戦機をつかむと、すかさずその持ち駒を打って敵の死命を制するのである。
 全陸軍についても、この持ち駒が必要であった。それを大本営は後生大事に持ち、内地にひかえさせていた。」(第4分冊、310ページ)

 「戦場は、新鮮な血を欲していた。一戦ごとに減ってゆく兵力の補充については、いままで応招の後備兵を送っていた。後備兵は兵として齢も長け、妻子のある者が多く、戦士としては現役兵より相当劣るということは、この世界の常識であり、事実である。が、内地にひかえさせてきた第七、第八師団は新鋭そのものの現役兵師団であった。『それを旅順になど送れるか』というのが、大本営の一致した気分であった。乃木軍は戦術転換もせずに、新鮮な血だけを要求してきている。『日本にとっては虎の子というべきこの師団を、いたずらに無能な作戦のもとに全滅させるにしのびない』という気分であり、参謀本部次長の長岡外史などは、『至愚である』ということばさえつかった。」(第4分冊、312ページ)

 つまり、前線に配備される兵士を将棋の対局にたとえて「持ち駒」とみなし、国内に待機させられた予備隊を前線に送るのは「戦場は新しい血を欲していた」からだというのである。このような戦場の最前線に赴かされた兵士を軍事作戦上の手駒のように扱う表現が筆の走り過ぎといったものではなく、司馬遼太郎の明治期の日本社会をみる独特の史観に発したものであることは「あとがき1」の中の次のような文章から伺い知ることができる。

 「維新後、日露戦争までという30余年は、文化史的にも精神史のうえからでも、ながい日本歴史のなかでじつに特異である。これほど楽天的な時代はない。むろん、見方によってはそうではない。庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう。しかし、被害意識でのみみることが庶民の歴史ではない。明治はよかったという。その時代に世を送った職人や農夫や教師などの多くが、そういっていたのを私どもは少年のころにきいている。」(第8分冊、309~310ページ)

 だが、足尾の鉱毒事件も女工哀史も小作争議も「意識の世界」での被害ではなく、「現実の世界」で起こった被害である。これらを「暗い」時代を象徴する事例に挙げることに何のためらいも要らない。むしろ、現実世界については子供のころの伝聞でぼかし、動かぬ史実を「意識の世界」で濾過して「明るい明治」に改変する司馬の論法こそ問われなければならない。こうした歴史をみる目の歪みに触れず、彼の歴史認識を「史観」の次元で論じる危うさを悟る必要がある。



日露戦争のパラドックス
~戦費調達のための増税がもたらした有権者の激増=政治の民主化の地盤の培養~

 ところで、上の引用文に出てくる「重税」について補論的に言及しておきたい。三谷太一郎は自著『近代日本の戦争と政治』(1997年、岩波書店)の中で日露戦争当時の増税とそれがもたらした選挙権者の急増=政治的底辺の拡大について、次のように記している。

 「さらに戦争は戦費を支えるための著大な増税を国民に課し、その結果として選挙権者を倍増させた。すなわち戦時における第一次及び第二次非常特別税法(1904年3月31日及び12月31日公布)によって、直接国税三税目はそれぞれ大幅に増税され、地租は2.5%が20%(市街地)、8%(郡村宅地)及び5.5%(田畑その他)となり、所得税はとくに個人所得に対して、まず第一次非常特別税法によって一率に税額の70%が増徴され、さらに第二次非常特別税法によって、500円未満から10万円以上までの各所得階層について累進的に30%から200%が加徴されることとなり、また営業税においては、各種営業について150%の税率の加重をみた。しかも戦後第22議会において、非常特別税法が改正され(1906年3月1日公布)、戦費調達のための時限立法の性格を明らかにしていた文言が削除された結果、非常特別税は恒久税となるにいたった。このことによって直接国税10円以上の納税者である選挙権者が2倍を超える自然増加をみた。」(42~43ページ)

 「しかも日露戦争の4年前の1900年には選挙法改正が行われ、直接国税の納税要件が15年から10円に緩和された結果、選挙権者はほとんど倍増していた。したがって日露戦争をはさんでその前後の4年間に選挙権者は4倍に膨張したことになる。これは決して小さな変化ではない。そしてこれこそ日清・日露両戦争が日本とその交戦国の国民の犠牲を代償としてもたらした民主化そのものであったといえよう。このような変化を背景として、普通選挙運動が勃興し、1911年3月の第27議会においては、議員提出の普通選挙法案が衆議院を通過したのである。」(43ページ)

 三谷氏がこうした戦費調達のための増税がもたらした有権者の増大=政治の民主化基盤の培養を政治学者、ダ―ルの唱えた「ポリアーキー」の概念を適用しうる政治的底辺の拡大と評価しているのは注目に値する。

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職業軍人の国家への至誠を美化する戦時思想~『坂の上の雲』は軍国日本をいかに美化したか(第3回)~

秋山真之の出家志願を弱音と言ってのける好戦趣向
 『坂の上の雲』は黄海海戦で作戦参謀役を務めた主人公・秋山真之を次のように描いている。 

 「・・・・真之はこの追跡時間中、もはや人間の力ではどうにもならぬ状況下で、かれはかつてやったことのない精神の作業をせざるをえなかった。神仏に祈った。秋山真之というこの天才の精神をその晩年において常軌外の世界に凝固させてしまったのは、この日露戦争における精神体験によるものであった。かれは、渾身の精気をこめて天佑の到来を祈った。」(第4分冊、51ページ)

 つまり、黄海海戦で凄惨な体験を味わった真之はその体験を戦争という外界に向けるのではなく、内面の精神体験に閉じ込めたのである。もっとも、上の引用文の末尾に記されているように、真之は日露戦争が終わったあと、出家を口にする。原作はこの点にも言及している。

 「『作戦ほどおそろしいものはない』と真之はつねにいった。この人物は、軍人としてはやや不適格なほどに他人の流血をきらう男で、この日露戦争がおわったあと、『軍人』をやめたい」といいだした。僧になって、自分の作戦で殺されたひとびとをとむらいたい、というのである。海軍省はあわてて真之に親しい人々を動員して説得にかかったが、真之はきかず、一時発狂説が出たくらいであった。ともかくしかし海軍省としては真之に坊主になられては迷惑であった。かれのいうことを海軍が道理としてみとめれば、一戦争がおわるたびに大量に坊主ができあがることになる。」(第3分冊、257ページ)

 このくだりのあと、三笠艦上で閉塞作戦をめぐって作戦会議が開かれた、真之は、もし途中で敵艦隊に見つけられ猛射を受けた時は引き上げるべしと進言した。これを原作は「じつに弱いことをいっている」と突き放している


国家の命運に一身をささげた秋山好古に寄り添う原作
 では、もうひとりの主人公・秋山好古はどうだったか? 『坂の上の雲』は後年好古が書き留めた次のような原文を引きながら次のように記している。

 「さらに好古はやや遺言めいた重要なことを書いている。・・・・・・『自分の多年の宿論としてそろそろこの社会からひきあげて閑居したい。』・・・・・好古の原文でいうと、『一家一族、邦家の実利を挙げ、名利は放棄して速やかに閑居するを要す』となる。一族をあげて国家に実利をあたえ、その功績による名誉と利益を受けない、という意味である。国家が至上の正義でありロマンティシズムの源泉であった時代のもっともロマンティックな思想であろう。『この志望は戦争のために中止せざるえなないが』と好古は書き、最後に、『名誉の最後を戦場に遂ぐるを得ば、男子一生の快事』と書いた。」((第3分冊、288~289ページ)

 この記述を指して、あくまでも好古の原文の紹介であり、司馬の主観、価値観ではない、と注釈する人があるとすれば、いびつな客観主義というほかないだろう。むしろ、上の記述は国家の命運に一身をささげる職業軍人の至誠を心情的ロマンティシズムで美化する戦時思想の懐旧話といっても失当でない地点に司馬遼太郎が立っていたことを物語る証左といえるのである。

 このように見てくると、『坂の上の雲』を「国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語」などと評するNHKの解説がいかに原作を捻じ曲げた身勝手な解釈であるかが判明するはずである。『坂の上の雲』の主人公たちは「少年のような希望をもって国の近代化」に取り組んだのではない、彼らは「愛国的栄光の表現」(第2分冊、53ページ)という欺瞞的言辞で鼓舞された不条理な侵略戦争に赴き、多数の自他国兵士を殺傷した戦場を死の恐怖におののきながら駆け巡った職業軍人だったという歴然とした事実から目をそむけることは許されないのである。

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戦争の不条理を問わず戦果に執心する好戦趣向~『坂の上の雲』は軍国日本をいかに美化したか(第2回)~

 連載の第2回目では、司馬遼太郎作『坂の上の雲』が主人公(秋山兄弟)らの心象風景に焦点を当てることによって、日清、日露戦争をめぐる歴史の核心部分の認識をいかにはぐらかしているかを論じる予定だったが、その前に原作は戦場をどのように描写したかを作品に即して検討しておきたい。これが歴史小説としての『坂の上の雲』を評価する上での必須の土台になると思うからである。

『坂の上の雲』を「明治の青春群像物語」に改編するNHK
 NHKは来る1129日から始まるスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送を前に目下、出演する人気俳優を広告塔にして大々的な番組キャンペーンを行っている。その際、NHKはドラマ化の企画意図を次のように説明している。

 「『坂の上の雲』は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語です。そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています。この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いありません。」http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/viewpoint/

 本当にそうか? 原作を読めばこうした意図で原作が脚色されると、出来上がったドラマは原作と似て非なるものになることがわかるはずである。そこで、上のようなNHKの企画意図が『坂の上の雲』の内容をいかに捻じ曲げるものであるかを原作に沿って検証していくことにする。

戦争の不条理を問わず、軍事作戦の描写に執心
 『坂の上の雲』の主人公、秋山好古(よしふる)は日清戦争において内モンゴルで清国軍騎兵隊などと交戦した陸軍第一師団騎馬第1大隊長であり、後年「日本騎兵の父」とも呼ばれた人物である。また、もう一人の主人公、秋山真之(好古の弟)は日露戦争で東郷平八郎のもと連合艦隊司令長官として作戦参謀を務めた人物である。そして原作はひとことでいえば、日清・日露戦争を題材にした歴史小説であるが、その内容は両戦争を指揮した主人公ら日本の陸海軍及び政府の戦争戦略・作戦の巧拙を実況中継さながらに描いた小説である。そこには日本軍の戦闘を指揮した職業軍人の品定めや日本軍の命運を左右した作戦の巧拙を延々と記述した箇所はあっても、前線に赴かされた兵士を虫けらのように殺傷する戦争の不条理、非人道性を描く場面はほとんどない。この点は司馬自身が「あとがき6」で次のようにはっきりと自認している。

 「人間と人生について何事かを書けばいいとはいうものの、この作品の場合、成立してわずかに30余年という新興国家の中での人間と人生であり、それらの人間と人生が、日露戦争という、その終了までは民族的共同主観のなかではあきらかに祖国防衛戦争だった事態の中に存在しているため、戦争そのものを調べねばならなかった。特に作戦指導という戦争の一側面ではあったが、もしその事に関する私の考え方に誤りがあるとすればこの小説の価値は皆無になるという切迫感が私にあった。その切迫感が私の40代のおびただしい時間を費やさせてしまった。」(文春文庫、新装版、第8分冊、360ページ)

 つまり司馬は、日露戦争は時の政府なり軍部が国民の意思とかけ離れたところで仕掛けた侵略戦争ではなく、国家と国民が一体化した「民族的共同主観」なるものを精神的支柱として始めた「祖国防衛戦争」だったと解釈するのである。だからこそ、『坂の上の雲』では戦争そのもの、とりわけその中の作戦指導という側面に焦点を充てる必要があったとし、その側面の考え方の是非がこの作品の価値を左右するとまで言い切ったのである。

となると、この作品では戦争の作戦を立案し指揮した軍部上層部の動静、作戦の巧拙に関心が向かうのが必然となる。上の引用文に続く記述は次のとおりである。

 「満州における陸軍の作戦は、最初から自分でやってみた。満州への軍隊輸送から戦場におけるその展開、そしてひとつひとつの作戦の価値をきめることを自分ひとりのなかで作業してみるのである。戦術的規模より戦略的規模で見るようにしたため、師団以上の高級司令部のうごきや能力を通じて、時間の推移や事態あるいはその軍隊運用の成否を見てゆこうとした。」(第8分冊、360ページ)

 ここから、司馬が日清・日露戦争における作戦・指揮の描写にいかに執心していたかが伺える。その典型例ともいえる一節を紹介しよう。

人間の殺傷よりも戦果を問う好戦趣向
 日露戦争のさなか、旅順港の外洋に出て南方海上へ逃走するロシアのウイットゲフト艦隊とそれを追撃する東郷艦隊の激戦は「黄海海戦」として知られている。これについて『坂の上の雲』には次のような記述がある。

 「三笠の被弾はもっとも多く、1弾は中央の水線部に命中して穴をあけた。さらに1弾は甲板をつらぬいて炸裂し、また1弾は後部煙突に命中し、死傷者を多数出した。甲板は血だらけであり、肉の破片があちこちに飛び、艦橋にいた真之がふと見ると、目の前に片腕が飛んできて、物にあたって落ちてゆくのがみえた。」(第4分冊、47ページ)

 大変リアルな戦場の描写である。しかし、原作は次のように続く。

 「が、東郷艦隊は依然としてまだ十分な戦闘をしていないのである。ウイットゲフトにいなされつづけているために十分な砲戦ができず、戦闘の大半の時間は敵ともつれたり離れたりする運動でついやされた。時間がたつばかりで、東郷は敵の1艦をすら沈めていないのである。」(第4分冊、47~48ページ)

 「逃した直接の原因は、東郷艦隊の最後にくるりと回転したその1回転半の運動時間にあったといえるだろう。このあいだにウイットゲフトは逃げに逃げ、東郷が追跡に移ったときはすでに3万メートルも東郷をひきはなしていた。戦艦の主砲の有効射程が7千メートル前後であったから、もはや東郷にとって絶望にちかい距離であった。」(第4分冊、49ページ)

 つまり、『坂の上の雲』にあっては黄海海戦はそれが招いた人間殺傷の現実は二の次で、海戦の展開、とりわけ日本艦隊の作戦の巧拙、戦果こそが関心事だったのである。肉片が飛び交う凄惨な戦闘を経てもなお、まだ日本艦隊は露軍を1艦も沈めていない、まだ十分な戦闘をしていないと描写するあたりは、原作が何にこだわったかを示す好例といえる。

 こうした『坂の上の雲』のこだわり、好戦趣向は次の一節に典型的に表れている。

 「そこへ夜襲して、手さぐりで接近しつつ20本の魚雷を射ち、やっと3艦を傷つけただけであった。魚雷をうつとすぐさま背進し、全艦艇が無傷で帰ってきた。奇襲者が無傷で帰るとは、それだけ肉薄しなかったことであり、つまり軍艦を貴重だとおもうあまり、差しちがえて自艦をも沈める覚悟が、日本の駆逐艦指揮者に薄いからである。」(第4分冊、51ページ)

 どこから飛来するとも知れぬ砲弾におびえる兵士にとって恐れ入ったご託宣を真顔で得々と書き募るあたりを読むと、原作を好戦趣向の小説と呼んでも言い過ぎではないという確信に至る。

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『世界』12月号に新銀行東京問題の小論を寄稿

 発売中の『世界』12月号は<東京都政も転換を>と題する特集を掲載しています。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/index.html


(左サイドバーの「今月号の目次」をクリックしていただくと各論稿の要約をダウンロードできます。)
 そこに私は「新銀行東京には清算以外の道はない~あるべき中小企業支援策とは~」と題する小論を発表しました。他の執筆者の論稿と併せ、一読いただけると幸いです。
 全文を転載できないのは残念ですが、小論に掲載したデータを掲載しておきます。

図表1 新銀行東京の融資件数と融資実行額の推移

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/t1_yushi_zisseki.pdf

 ここから、新銀行東京の融資実績が件数、金額どちらをみても限りなく終末に近付いていることが分かると思います。

図表2 新銀行東京とその他の業態の銀行の預貸率の比較

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/t2_yotairitu.pdf

 ここでいう「預貸率」とは、集めた預金のうち、どれだけを融資に回しているかを示す指標です。新銀行東京の場合、この比率が20063月期以降、4045%台を推移し、70%台で推移している地方銀行、地方銀行Ⅱと比べ異常に低い水準であることがおわかりいただけると思います。これは新銀行東京の金融機関としての機能がいかに低いかを表しています。

 
『世界』200912月号 目次
<特集 東京都政も転換を 石原時代の終焉>

【対  談】

目標を見失った都市・東京

  平山洋介 (神戸大学)、町村敬志 (一橋大学)
【共同提言】

チェンジ・ザ・イシハラ――「石原的な政治」からの転換を

  新東京政策研究会
【東京を問う意味】

新自由主義転換期の日本と東京――変革の対抗的構造を探る

  渡辺 治 (一橋大学)【執筆者からのメッセージ】
【総  括】

データから見る石原都政の10年間――世界都市戦略、二極分化、そして新自由主義改革

  進藤 兵 (都留文科大学)
【予想された破綻】

新銀行東京に清算以外のはない――あるべき中小企業支援とは何か

  醍醐 聰 (東京大学)
【組織された競争への対抗】

新自由主義教育「改革」をどう乗り越えるか

  世取山洋介 (新潟大学)
【再開発とせめぎ合う】

築地市場――都市に欠かせない多様性

  今松英悦 (ジャーナリスト)
【メガイベントへの対置】

オリンピックと地域スポーツ振興の架橋

  尾崎正峰 (一橋大学)

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問題を軍事的実利に還元し、思想を封印するレトリック~『坂の上の雲』は軍国日本をいかに美化したか(第1回)~

 原作者の遺志はそれほど軽いのか?
 NHKが総力をあげて手掛けてきたスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送が1129日から始まる。それを控え、歴史学関係者やNHKのあり方を問い続けている市民団体の間から批判の声が上がっている。そこで、以下、数回にわたって、『坂の上の雲』は明治期の軍国日本をどのような手法でいかに美化したかを検討してみたい。

 上記の歴史学関係者や市民団体の批判の理由は次の2点である。
 (1)この作品をテレビとか映画とか、視覚的なものに翻訳されると軍国主義を鼓吹したかのように誤解されるとしてテレビ・ドラマ化を拒み続けた原作者・司馬遼太郎の生前の意思に反する。
 (2)原作の中には歴史の事実に反して、日清・日露戦争の侵略性を美化する内容が含まれ、ドラマとはいえ、これを放送するのは歴史の曲解を招く。

 (1)はどういうことかというと、司馬は生前、多くの映画会社やテレビ局から原作の映画化、ドラマ化の申し出を受けたが、それらをすべて断っている。原作をうかつに翻訳されるとミリタリズムを鼓吹しているかの誤解を生みかねないというのがその理由であった。ところが、NHKは司馬の遺族と司馬遼太郎記念館(館長・上村洋行氏)と協議の結果、「東西冷戦の対立構造は過去のものになり、また映像の技術レベルは圧倒的に進化していることから、司馬さんの危惧は解消できる」(西村与志木「制作者からのメッセージ 映像界の志を引き継ぐ、アンカーとしての誇りと責任」河野逸人編集『NHKスペシャルドラマ・ガイド 坂の上の雲』2009年、日本放送出版協会)として放送に踏み切ったと説明している。
 しかし、いわれるような説明で司馬の危惧が解消するかどうかは司馬が判断することであって、NHKが勝手な憶測で判断することではない。しかも、司馬はこの世にいない。著作権を継承した遺族の同意があれば法的には問題がないのかもしれない。しかし、NHKにとって法的手続きを踏まえたことで事足りるのか? 文化の世界で著作者の意思はそれほど軽いものなのか? 

 とはいえ、私は原作を読み終えて、(2)の論点がより重視されるべきと考えている。それほどに、原作にはドラマだからでは済まされない歴史――日清・日露戦争の史実――認識において重大な歪曲があるからである。そこで、1回目のこの記事では、原作全体をつらぬく歴史歪曲の手法について検討してみたい。

 
問題を軍事的実利に還元し、思想を不問にするレトリック
 
原作を通読して私が一番に感じたことは、原作が日清・日露戦争を舞台にした歴史小説と銘打ちながら、戦争の現実に代えて、軍事上の策略、実利と主人公(秋山兄弟と正岡子規)ら登場人物の心象風景に焦点を当てることによって、侵略戦争を鼓舞し正当化した思想を不問にしている点である。ただし、心象に焦点をあてて、歴史認識の核心がいかにはぐらかされているかは次回、検討する。

 文春文庫版の第8分冊の巻末に収録された「あとがき2」の中で司馬は次のように記している。

 「戦争という、このきわめて思想的な課題を、わざわざ純軍事的にみるとして、日露戦争というのは日本にとってやるべからざる戦争であった。あまりにも冒険的要素がつよく、勝ち目がきわめてすくない、という意味においてである。」(314ページ)

 「日露戦争後、旅順は地理的呼称をこえて思想的な磁気を帯びたようであり、その磁気はまだ残っている。私はその磁気を消して単に地理的呼称としての旅順をめぐるさまざまな物事を考えてみたわけであり、そのため、いまなお磁場にいるひとびとの機嫌を損じたかもしれないが、やむをえないとおもっている。」

 事実、原作は日清戦争の原因について次のように記している。

 「そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。原因は、朝鮮にある。といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある。」(第2分冊、48ページ)

 こう述べたあと、司馬は「ゆらい、半島国家というものは維持がむずかしい」と語り、朝鮮半島を領有しようとするロシアならびに清国という列強に伍していく軍事的戦略に焦点を当てて、「とにかくも、この戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」(第2分冊49ページ)と語り、日本軍の朝鮮出兵の侵略性を最大限に希薄化している。
 つまり、司馬にとって、日露戦争は自国民にも相手国民にも悲惨な犠牲を強いるからやるべきでなかったのではなく、勝ち目がなかったからやるべきではなかったのである。ここに、軍国主義思想に対する評価を封印して実利にすりかえる司馬の歪んだ歴史観、プラグマチズムで粉飾された侵略戦争免罪論が露出している。

 また、日清戦争についていうと、日本は開戦の理由として「朝鮮の独立擁護」を強調した。しかし、「朝鮮の『独立』擁護の実質的な意味は『主権の尊重』という一般的意味ではなく、特殊な意味、すなわち、朝鮮の清国化を阻止し、その日本化を促進するという意味であった」(三谷太一郎『近代日本の戦争と政治』1997年、15ページ)と見るのが定説である。

 また、『坂の上の雲』では随所で、山県有朋と伊藤博文を対比し、山県を開戦論者、伊藤を先鋭的な非戦論者と評価している。その際、司馬が二人をこのように区別するゆえんは両者における思想性の濃淡であった。

 「山県は伊藤と同じ現実主義者でも、伊藤にくらべてみれば多分に『思想性』があったことにもよるであろう。思想性とは、おおげさなことばである。しかし物事を現実主義的に判断するにあたって、思想性があることは濃いフィルターをかけて物をみるようなものであり、現実というものの計量をあやまりやすい。」(第8分冊、315ぺージ)

 ここでは、日清・日露戦争を鼓舞した軍国主義思想を思想一般に還元し、その思想をも軍事作戦面での現実主義にすり替える2重のレトリックが仕掛けられている。

 ちなみに、司馬は伊藤博文を先鋭的非戦論者というが、その伊藤を暗殺した安重根は韓国では自国の独立のために決起した民族の英雄として賛美され、さる10月26日には伊藤博文暗殺から100周年にあたって、政府主催の記念式典が開催された。そしてそこで、鄭首相は安重根を「民族の魂の表象だ」と称えている(『読売新聞』2009年10月27日)。

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壁崩壊後20年~ドイツの今を伝えたNHKの番組に旅の思い出を重ねて~

 昨日、ドイツ統一にちなんだ2つのNHK番組を見た。一つは録画で視た『名曲アルバム』(114日、教育テレビ放送)、バッハ作・ミサ曲ロ短調である。ただし、曲というよりも画面に映し出されたドレスデンの光景に見入った。昨年824日~91日に夫婦でドイツに出かけた折、ベルリン巡りの後、ドレスデンで3泊した旅のことが思い出された。特に曲の冒頭でエルベ川の対岸から見たドレスデンの旧市街が写し出された時、夫婦で「あれ」と声を上げた。私たちが泊ったホテルから眺めた懐かしい光景だったからである。

エルベ川の対岸から見たドレスデンの旧市街(2008830日撮影)
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 また、画面で紹介されたドレスデンの聖母教会(フラウエン教会)は第2次大戦末期のドレスデン空爆で全壊した建物を旧連合国の支援も受けて60年後に再建された建物で、ドレスデン復興の象徴ともいえる建物である。夜には同教会で開かれたミサ・コンサートに出かけ、パイプ・オルガンで演奏されたバッハの曲に聴き入った思い出を再現できた。詳しくはドイツ旅行記を書く予定の次の記事で触れることにしたい。

復興なったフラウエン教会の前で(2008830日撮影)
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  昨日視たドイツ統一にちなんだもう一つの番組は、1930分から放送されたクローズアップ現代「壁崩壊20年 欧州の光と影」である。この119日でベルリンの壁崩壊20周年を迎える。番組は政治体制転換後20年を経たハンガリーと東西統一後20年が経過したドイツの現状を欧州統合、金融危機がもたらした影響と重ね合わせて、ぞの光と影を伝えようとしたものだった。

 ブタベストも5年前にウィーンへ出かけた折にバスで国境を越えて出かけた街なので懐かしかった。しかし、放送では外資が引き揚げた今、失業率9.9%、消費税25%へ引き上げ、社会保障の削減という厳しい経済状況の下で国民の3分2が自分は資本主義化の負け組と考えているという調査結果が紹介された。その一方で国営企業を安く買い取って外資系企業に転売し、300億円に上る個人資産を蓄財した旧体制の高級官僚の豪華な生活ぶりも紹介された。そして、こうした貧富の格差の拡大に不満を募らせた国民の間で極右翼政党ヨビックを支持する気運が広がり、同党への支持率が10%まで高まっていると伝えられた。

 ドイツでは東西統一で旧東ドイツ圏の経済成長が進み、市民の所得水準も上昇した。しかし、金融危機のあおりで経済復興を牽引してきた外資系企業が相次いで旧国営コンビナート工場等を閉鎖したり、資本を引き揚げたりした。そのため、ここでもブタベストと同様、失業率が上昇し、若年世代では25%に達しているという。就職先を求めて旧西ドイツ圏へ出かけた旧東ドイツ圏の市民の中には、2級市民扱いされ解雇されて東側に戻ってきた人もいるという。そこから、旧東圏の市民の間では、「オスタルギー」=「東」+「ノスタルジー」(旧東ドイツをなつかしむ心情)が広がっているという。他方、旧東ドイツ圏の市民の55%が「連帯税」(旧東圏の経済復興のための財源確保を目的とする税)の廃止を求めているという。

 こうした動きを厳密に評価するのに十分な判断材料を持ち合わせていないので軽々に意見はいえない。しかし、現実のある一面だけを捉えて旧東ドイツの社会体制なり東西ドイツ統一の功罪なりを訳知りに速断するのは戒めるべきである。この点から、番組を視て感じた23の感想を記しておきたい。

1.「クローズアップ現代」を視て強く感じたことの1つはスタジオゲストとして登場したデオ・ゾンマー氏(ドイツ・ツァイト紙論説主幹)の見解の公正性である。映像で紹介された上記のような旧東ドイツ圏の市民の声について感想を尋ねられた氏は、「問題は旧東ドイツの負の遺産であって資本主義の欠陥ではない」と答えていた。また、ハンガリーの現状を聞かれたとき、「あれが一般的とは思わない。ブタベストのやり方がまずかっただけだろう」とも答え、「大切なことは『見えざる手』ではなく、『見える心』だ」とも答えていた。はたしてそうなのか?
 氏は東西統一で旧ドイツ市民も恩恵を得た証拠として所得水準の向上を数字で挙げていた。しかし、これはあくまでも平均値である。格差が先鋭化している時代に「平均値」を挙げても意味は乏しいことを氏は認識していないのだろうか? また、ゾンマー氏に限らず、東西ドイツになお「心の壁」が残っているという指摘を見聞きする。それも否定できないかもしれないが、欧州の市場経済に組み入れられた旧東欧諸国で軒並み失業率が上昇し、現状への不満が高まっている一方、旧西ドイツ圏では市民の間に連帯税の廃止を求める意見が広がっている現実を直視すれば、問題が「心」の壁だけで済まないことは明らかである。

2.東西統一の意義について、旧東ドイツ圏の市民の間に懐疑的な見方が広がっているのは、旧社会主義体制を美化するような教育が残っているからではないかとして、公的研究機関が教師を集めて開いた講習会(?)の光景が番組の中で紹介された。その場面で、参加した旧東ドイツ圏の数名の教師が立ちあがって、<旧東ドイツの良い面も教える必要がある。それが公平な教育だ。旧東圏のことは私たちがよく知っている>という趣旨の発言をした。教育内容となると学習指導要領が独歩し、学校行事で国旗に向かって起立一礼し、君が代の斉唱を生徒にも従わせる上意下達で事実上教育現場に強制される日本との彼我の差を実感させられた。「強制ではない」といいつつ、従わない教師を処分し、再発防止と称して呼び出し、「研修」という名目で事実上の「思想改悛」を迫る行為がまかりとおっている東京都などの現実と照らし合わせると、教師が当局の指導と異なる持論を堂々と発言する場面に接して頼もしく感じた。旧東ドイツでは密告と監視の目が張り巡らされていたといわれるが、先進資本主義国を自認する日本で類似の強制と上意下達の教育がまかりとおっている現実から目をそらし、旧社会主義圏の自由の窒息状況を嘲笑するのでは理性に忠実な言動とかけ離れている。

旧東ドイツ圏から西側への脱出を試みる市民の記録写真(2008年8月25日、ポツダム広場近くのベルリンの壁の跡地で撮影)
Photo_4

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