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大相撲賭博の調査委員会の拙速な判断と不可解な行動

「初めに場所開催ありき」の拙速決定
 力士、付け人、床山に限らず、親方にまで広がっていたことが発覚した日本相撲協会の野球賭博問題について「外部」有識者からなる特別調査委員会は予定を繰り上げて、627日、相撲協会の理事会に対して処分案を勧告し、それを受け入れることを条件に名古屋場所の開催を容認するとの判断を示した。相撲協会理事会はこれに素早く対応し、勧告案を受け入れる方向で74日の理事会に諮るとし、名古屋場所の開催を先行決定した。
 ところで、調査委が理事会に勧告した処分案は「予想以上に厳しいもの」と報道されているが、いままで百年一日のように言われてきた「ウミを出し切る」ことができる内容とは程遠いと思える。
 ①そもそも、621日に発足した特別委がわずか1週間の期間、2回の会合でどこまで賭博汚染の実態を解明できたのか、疑問である。ここで実態というのは、賭博汚染の範囲と暴力団とのかかわりである。現に名前が挙がった協会員からさえ、一週間でどこまで丹念な調査ができたのか、疑問視されて当然である。
 ②賭博汚染の範囲についていうと、調査委は今週末までに約1000人の協会員全員に調査票を届け、回答を求めることにしている。その調査結果を待たず、現時点で判明したという状況にもとづく条件を付けて名古屋場所の開催にゴーサインを出したのでは「初めに場所開催ありき」と言われてもやむを得ない。もし、今後の調査で賭博汚染の新たな広がりが発覚した場合、場所開催はどうなるのか、拙速の感は否めない。
 ③暴力団との関わりについていうと、調査委は調査したどの協会員もつながりはなかったと断定したが、賭博には表か裏かは別にして胴元が存在し、掛け金の一部が暴力団に流れることが多いとされている。現に、勝ち金の支払いを求めた琴光喜が逆に恫喝を受け、口止め料の支払いを迫られた場には相撲関係者以外の人物が同席していたと言われている。調査委は賭博を申告した親方、力士以外のこれら関係者からどこまで事情を聴取したのだろうか? また、今回の野球賭博行為が発覚する直前に明るみに出た「維持員」席を協会員が暴力団関係者に横流ししていた問題を調査委は究明したのだろうか? さらに、スポーツ評論家の中には、賭博は野球だけにとどまらないのではないかと指摘する論者もいる。こうした疑問を積み残したまま、場所開催を先行決定した調査委と相撲協会理事会の関係について、厳しい監視が必要である。


調査委は相撲協会の代役者なのか?
 もうひとつ、不可解なのは調査委が、相撲協会理事会が行うはずのNHKとの協議を買って出ようとしている点である。私がこの件を知ったのは次のような報道ニュースからである(下線は引用にあたって追加)。

 
NHK相撲中継、4日夜にも結論(20106290134  読売新聞)
 
日本相撲協会の緊急理事会の決定を受け、NHKは28日、今後の視聴者意見の動向と4日に開かれる理事会での結論を踏まえた上で、早ければ同日夜にも中継するかどうか決める方針を固めた。NHK幹部によると、今回の理事会の決定に対し、「NHKとしてある程度納得できる部分はあるにしても、放送する側としてまだ最終結論を出す必要はない」と判断。特に、「将来的な抜本的な改革」を同協会が十分に示していない点を問題視。「4日の時点で、協会側がどこまでそこに踏み込めるか注視したい」としている。今回の件については、他の幹部以上に福地茂雄会長が重大視。「中継を行うことを前提としないで検討するように」と関係職員に指示を出している。また、同協会の特別調査委員会が28日までにNHKに対して事情説明を申し出たが、NHK側がこれを拒否していたことも明らかになった。幹部によると「今はまだそれを受け入れる段階ではないため」という。

名古屋場所中継、NHKなお慎重姿勢 協会側の接触断る(asahi com  201062931分)
 
名古屋場所を中継するかどうかについて、NHKは慎重な構えを崩していない。「勧告について説明したい」と特別調査委員会が接触を求めてきたが、「まだ話を聞く段階ではない」と断ったという。 調査委の勧告が27日に出たのちも、NHKには視聴者からの意見が相次いでいる。28日は午前中だけで電話やメールが約170件寄せられ、約6割が名古屋場所の中継に反対する声だった。賛成は1割ほどしかないという。相撲協会が処分を決める7月4日の臨時理事会を待ち、組織の自浄能力や視聴者の反応などを見極めた上で、結論を出す方針だ。

 調査委は文部科学省の意向を受けて、相撲協会理事会が委嘱して設置された「外部」調査委
員会のはずである。調査委は調査の結果とそれを踏まえた勧告を相撲協会に提出するのが務めであって、その勧告を受けてNHKと間で名古屋場所の開催の如何、開催した場合の中継の如何等について協議するとしたら、それは相撲協会理事会の任務であって、NHKから勧告について説明を求められたわけでもない調査委の出る幕ではない。これでは調査委は相撲協会理事会に外向けには厳しい対応を迫っているかにみえて、水面下では、「謹慎中」の相撲協会理事会になり代わって、NHKが中継をできる環境づくりに動いていると受け取られてもやむを得ないのではないか? 調査委ははたして相撲協会から本当に自立した第三者機関といえるのか、注意深いウオッチが必要である。
 (注:もともと、調査委委員長の伊藤滋氏、委員の村山弘義氏は相撲協会の外部理事であり、同じく調査委の委員の吉野準氏は協会理事会の監事であることから考えると、調査委を「外部委員会」と呼べるかどうか、疑問である。)

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視聴者コミュニティ:大相撲名古屋場所の中継の中止を申し入れ

 本日、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティはNHK福地会長と小丸経営委員長宛に、大相撲名古屋場所の中継の中止を求める申し入れを提出した。以下はその全文。

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                                                       2010
628
日本放送協会会長 福地茂雄 殿
NHK
経営委員長 小丸成洋 殿

      
賭博にまみれる日本相撲協会の名古屋場所中継の中止を求めます

            NHK
を監視・激励する視聴者コミュニティ
                  
共同代表 醍醐 聰 湯山哲守

 私達NHKを監視・激励する視聴者コミュニティは会員が毎週いくつかの番組を視聴し、その公平性、客観性、科学性につき分析し、議論し合っています。議論の成果の一部はNHKにも伝え、番組の改善を求めております。これまでにも、夜7時のニュースでの必要以上に多い大リーグ情報の提供を問題にし、縮小あるいは22時前後のスポ-ツニュースへの集約などを求めてきました。特定の競技に関する情報提供がNHKに求められている公平性に抵触すると考えたからです。
 ところで、現在、日本相撲協会の構成員が、反社会的組織(暴力団)の主催する賭博へ深く関与したとして国民の厳しい目にさらされています。報道によると、2000件近い非難の声がNHKに寄せられ、名古屋場所中継の中止を求めているといいます。過去には親方が刑事責任を問われた暴力死亡事件、複数の力士による麻薬使用事件、横綱の暴力事件等が世間を騒がせできた中で、特に今回、力士の個人的関係ではなく、相撲協会全体が暴力団と深い関係にあったことが暴かれた事実は重大です。
 相撲の発生は古墳時代の中頃、野見宿禰と當麻蹶速の闘いに遡るといわれています。特に奈良時代になると77日の節会の一つとして実施されたことが知られます。7月に開かれる夏場所は相撲の原点ともいえる場所なのかも知れません。その場所に臨む60余人にも上る力士や親方、関連構成員が犯罪である賭博に手を染めていた事実は深刻です。公共放送たるNHKが、犯罪にまみれたスポーツ団体の競技を中継するには慎重な検討が必要ではないでしょうか。土俵を巡る懸賞金が賭博の資金源だと子供達が知ったらどう思うでしょうか。
 この間の日本相撲協会の対応も賭博に対する認識の甘さを露呈しています。犯罪に手を染めた力士や関係者の厳重な処分がなされ、組織をあげて反社会的組織との関係の根絶の姿勢が明確に示されるまで、大相撲の放映を停止すべきと考え、当面、名古屋場所中継の中止を求めます

                              以上

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入不二基義『相対主義の極北』を読んで(2)

相対主義は自己無効的か?
 著者は、相対主義は自己矛盾によって自己論駁的であるとも、無限後退によって自滅するとも証明されていないという。しかし、それでも、と著者は続けて次のように反問する。

 「相対主義は、相対主義者でない者を説得して自らの考え方を認めさせるだけの力を持たないのではないか。いわば、相対主義は、自らを否定しないまでも、他者に対して自らを積極的に肯定できない。そうして、相対主義は自らその主張を弱体化し、結局は自ら退場していく思想ではないのか。相対主義は、自分の主張が認められるという目標を、自ら拒んでいる主張ではないのか。つまり、相対主義は『自己無効的』ではないかという批判である。」(102~103ページ)

 著者はこうした相対主義批判を、メイランドの「認識の相対主義のパラドックス」(Meiland, J. W,. “On the Paradox of Cognitive Relativism,” Metaphilosophy, Vol. 11, No.2, 1980の第5~8節)に従って次の3つに分解し、それぞれを順番に検討している(103ページ以下)。

①相対主義者でない者が相対主義を受け入れる可能性は、まったくない。
②相対主義者でない者には、相対主義を受け入れる理由――合理的な根拠――はまったくありえない。
③相対主義者は、相対主義の説を述べる動機、特に、相対主義者でない者に向かって述べる動機をまったくもちえない。

 しかし、私は相対主義の自己無効性に関する議論をこのように整理するのは多分に恣意的で、「有効な議論(批判)とはいえない」という答えを半ば誘導するのに等しいと思えた。なぜなら、①のように「受け入れる可能性がまったくない」と表すと、「可能性はまったくないとは言えない」というおざなりの批判をあてがうことはたやすいからである。また、②のように「合理的な根拠はまったくない」と表すと、メイランドならずとも、「批判者の言う『合理性』の要求自体が合理性を欠いたイデオロギーではないのか」という切り返しをいとも簡単に思いつく。しかし、これでは水掛け論に過ぎず、哲学的思惟に基づく応答とは言えない。では、③はどうか? 入不二氏も言うように、これに対するメイランドの返答はいたってシンプルである。つまり、相対主義者はそもそも何かを「語る」「言う」動機をもちえないのではないかという批判は「語る」「言う」ということを狭くとらえ過ぎているから、相対主義者の「語り」が無力に見えてしまうだけである。しかし、純粋に客観的なあるいは絶対的なことだけが表明に値するわけではなく、文学・美術・音楽・詩など私たちの生に意味や意義を与えてくれる主観的な世界経験を語ることも意義があるはずである、とメイランドは反論する。入不二氏はこうしたメイランドの反論を援用して相対主義の自己無効性という批判は挫折すると結論づけている(109~110ページ)。

 こうしたメイランドの反論はどうも直感の域を出ない月並みな議論と思える。しかし、だから価値が低いというわけではなく、そこには重要な示唆が含まれていると感じる。それはどういうことかというと、相対主義には他者に向かって何かを主張するという能動性に欠ける点があるとしても、相対主義でないものの主張に絶えず懐疑を差し向け、その否定形として機能し、彼らに絶えず内省を促す「ネガ」としての役割を果たす、という点である。入不二氏はこれを相対主義の一つの帰結である懐疑論の潜在力という観点から次のように述べている。

 「徹底的な懐疑論とは、実在や真理についての知をただ『否定する』だけでの単純な不可知論ではないし、実在や真理をただ『否定する』だけのニヒリズムでもない。むしろ懐疑論は、全体化する否定性を介して、到達不可能な実在や真理との関係を創出し続ける。」(176ページ)

 入不二氏がいわんとすることはわかるような気がするし、私が相対主義に対して抱く上記の積極的側面と近いようにも思える。現に、「ネガ」という巧みな言葉は入不二氏が用いたものである。ただ、入不二氏が相対主義の帰結としての懐疑論がたんなる不可知論でもニヒリズムでもない、それ以上の何か積極的なものを持つというなら、下線部分の意味が重要になるのだが、肝心のその部分の文意が私には理解不可能である。むしろ、懐疑論の積極的意義を考えるには、下線部分のような難解な言い回しよりも、その箇所の少し後で入不二氏が記している次のような文章を吟味する方が懐疑論の功罪をより日常レベルで考えるのに適していると思える。

相対主義の建設的転回
 「懐疑論は、証拠によっても(超越的な)論証によっても、根絶することはできないとしても、それを回避し無視することはできるかもしれない。現に私たちの実際の生は、懐疑論的な疑いの可能性とは別のところで進行していく。・・・・懐疑論もその批判もともに生じることのない、ただ『実際こうなっている/こうやっている』という無根拠な原事実こそが、私たちの自然なのである。・・・・私たちの生のありよう=自然は、懐疑論を論駁するのではなく、それを『遊び駒/遊んでいる歯車』として無力化して脇へ退けてしまうのである。」(178~179ページ)

 入不二氏がまとめた懐疑論に対するこうした自然の生の立ち位置は私が懐疑論に対して抱く感想とぴったり重なる。野矢茂樹氏は本書に収録された解説のなかで、入不二氏の議論が「きわめて明解な論理をもちえているのは、その図式性によるところも大きい。だが、図式的な議論の明快さは、やはりそれなりに失うものをもっている。錯綜した構造をもつ議論が大胆に裁ち切られていくとき、何か断ち切りがたい思いが手元に残される。そして再び、(これはつまりどういうことなのか)という感に打たれるのである」と述べた後、「せめて、読者とともに本書の議論に少しでも寄りつき、入不二がどこで私を振り切って走り去っていくのか、その地点のひとつを示してみたい」(296~297ページ)と記している。
 この野矢氏の巧みな表現を借用していうと、「私たちの生のありよう=自然は、懐疑論を論駁するのではなく、それを『遊び駒/遊んでいる歯車』として無力化して脇へ退けてしまうのである」という言葉は、現実の私たちの生は懐疑論を擁護する入不二氏の難解な言い回しを「遊び駒」として「無視し」、入不二氏を「脇へ退けて」黙々と走り去っていくのである、というように反転させることができるのではないか?

 しかし、入不二氏は、このような懐疑論、あるいはそれを擁護しようとする入不二氏自身を脇に退け、無視して通り過ぎしまおうとする人々を次のように引き止めようとしている。

 「しかし、自然と反省とを対置し峻別するというその思考自体は、哲学的な反省ではないのだろうか。あるいは逆に、自然に逆らう哲学的思考をすること自体もまた、私たちの生の原-事実=自然ではないのだろうか。むしろそのことを確認することは、(無視され回避されるものとしての)懐疑論を呼び出し続けることになる。自然主義は、懐疑論を忘れることはできても、忘れたということを忘れてしまうことはできないのである。」(179ページ)

 はたしてそうだろうか? このような言葉からは懐疑論者と日常の生を営む市井の人々の間の哲学的思考力の落差が問われているかに聞こえる。確かに事実としてそのような落差があることが否定するまでもない。しかし、話はそれを確認し、「自然主義は、懐疑論を忘れることはできても、忘れたということを忘れてしまうことはできない」という、いささかレトリックめいた言い回しを投げ返して済むとは思えない。これは本書全体を通して私が感じることであるが、入不二氏の議論には、相対主義批判の有効性を判断するハードルと、相対主義の反批判の有効性を判断するハードルには相当な落差があるように思えてならない。後者と比べて前者のハードルは不均衡に高いという落差である。こうした落差は懐疑論と自然主義の論理を比較検討する時にも見受けられるような気がする。
 つまり、懐疑論擁護者は、私たちの実際の生のあり様に反省を促す前に、自らの論理―日常の生を営む市井の人々になぜ自分たちは無視され、退けられるのか、自分たちの議論が市井の人々の関心を惹き付けるに足る魅力を持ちえていないのはなぜなのかを内省する必要があるのではないか?

 これに関する私の応答は単純といえば単純である。入不二氏も言うように、懐疑論がたんなる不可知論でもニヒリズムでもない、それ以上の何か積極的なものを持っていて、反相対主義者との建設的な対話を可能にすると同時に、日常の生を営む市井の人々を自分たちの議論に引きとめるよう動機付けるためには、絶対主義に内省を促す「ネガ」としての他律的存在にとどまらず、既成の真理を相対化する新しい見解を能動的に提示するよう心掛けることであると思われる。他者の議論を相対化することが自己目的かのような存在になった相対主義の極北は、やはり不可知論ないしはニヒリズムでしかない。市井の生活者はもとより、社会の実践的課題に向き合う規範的倫理学にとって、他者に内省を促す「ネガ」に甘んじることはできない。そればかりか、自らがポジティブな別の認識の枠組みを提示してこそ、他者の議論を相対化し、他者に内省を促す説得力が増すのである。

歴史相対主義を超えて
 議論を歴史相対主義に具体化し、日清、日露戦争を朝鮮半島に南下しようとするロシアとの対抗上、やむなく開戦するに至った受け身の戦争と捉え、そうした時代背景のもとで日本が朝鮮半島に派兵したことを「侵略」と呼ぶのは時代錯誤であるという議論の真偽を考えてみよう。と言っても、ここで問題にするのは結論ではなく、論証の方法・枠組みである。入不二氏は行論でしばしば、互いに共有できない前提条件に基づく批判は外在的批判ないしは「遠回りの批判」であるとみなしている。はたしてそうか? この論法でいくと、歴史学における相互批判の大半は外在的批判となり、入不二氏によるとそれは有効でないとみなされることになる。しかし、特定の歴史認識は関連する史実の累積的分析・評価に基づいて形成されるものであり、そこでは史実の分析は歴史認識を支える前提条件といってよい。むしろ、そうした史実の丹念な調査・分析の支えを欠いたさまざまな議論が「○○史観」と称されて通用しているところに歴史学の不幸な混乱があるのではないか(と門外漢の私には思える)。とすれば、どのような史実をキー要素とするかは論者の恣意に委ねられてよいわけではないし、仮に論者によって史実の取捨選択に差が出たとしても、それを以て共有不可能な前提条件にもとづく外在的批判として斥けたのでは歴史学の分野の論争は大半が「不毛な」論争とみなされてしまい、それこそ不可知論が闊歩する状況になりかねない。
 あるいは、議論を転換させて、外在的批判ではなぜいけないのかという開き直りも可能と思える。研究者が用いる史実は研究技術や資料の公開の進展度に応じて時代の制約を受けるが、そうした制約の中で入手可能な史実を丹念に渉猟し、それを踏まえて議論を交換することにより、見解の幅を不断に狭めていくことは十分可能である。たとえば、日清・日露戦争の性格を議論する場合、開戦に至る経緯を明らかにすることが重要であるが、日清戦争についていうと近年、福島県立図書館に所蔵された佐藤文庫に収められている『日清戦史』草案を解読することによって、1894年7月23日に日本軍が実行した朝鮮王宮占領事件とそれを機に大院君に強要して日本軍が清兵掃討の「嘱託」を得た実態が克明に明かされた(これについては、中塚明『歴史の偽造をただす~戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」』1997年、高文研を参照せよ)。また、日露戦争についていうと、近年、ロシア側に遺された資料が利用可能になり、ロシアの研究者との共同研究も進展したことによって、当時のロシアの極東戦略が従来以上に明らかになってきた。これを受けて日露戦争が必ずしも不可避ではなかったことが明らかになり、「ロシアの南下戦略の脅威」という開戦の大義名分が大きく揺らいでいる(和田晴樹『日露戦争起源と開戦』上、下、2009年、岩波書店、を参照)。このような史実は日清・日露戦争の性格を見極める上での前提条件に違いはないが、それが直ちに論者の間で共有されないからといって、有効な議論でないと退けたのでは歴史学は成り立たない。

 以上を要約して私の感想をまとめると、歴史上の出来事をめぐる議論や評価は何らかの史実を前提にして形成されるものであり、そこでどのような史実を主要なものとして採用するかは論者により一様ではないから、複数の見解が並存するのは当然のことである。しかし、このことを以て、歴史上の出来事をめぐる評価はその出来事が起こった時代背景、採用する史実の違いに応じて相対的な真実性しか持ち合わせないという議論を絶対視するのは誤りである。
 ある見解が相対的な真実性しか持ち合わせないとその見解を懐疑し、相対化することは、特定の見解を不易な真理として付和雷同するのを戒め、新たなより質の高い真理の探究に向けて人々の努力を誘う契機として極めて重要である。しかし、それは特定の見解の相対性を明かすことを自己目的とする相対主義を受け入れることを何ら意味しない。特定の見解の相対性を明かすことを自己目的とする相対主義は、選挙に臨む有権者にたとえていえば、「どうせどの政党が政権をとっても政治は変わらない」というニヒリズムを蔓延させ、有権者を政治から遠のかせる役回りを果たすことに帰着する。相対主義がこのような不可知論ないしはニヒリズムを帰結するのではなく、逆に、より高次の真理、よりよい質の生活や政治に人々を誘う建設的な役割を社会において果たすためには、他者の議論の矛盾なり限界を突いて相対化する「ネガ」の役割を果たして事足れりとするのではなく、他者の議論をより説得的に相対化するためにも、自ら別の見解を立てることが望まれるのである。これによって初めて、相対主義は他者の議論を弱体化させるだけで他者に対して積極的な見解を表明することがない自己無効の議論であるとか、相対主義は他者に自らの主張を認められたいという目標を持ち合わせない自閉的な議論であるとかいった批判を正面から跳ね返すことができるのだと私は思う。ただし、かくいう姿に相対主義が変貌したら、それはもはや語の本来の意味での相対主義ではなくなるのかもしれない。しかし、それは私からすれば相対主義の安らかな死であり、「相対主義死して相対化の価値残る」なのである。

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入不二基義『相対主義の極北』を読んで(1)

司馬史観を支える歴史相対主義
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』に示された日清・日露戦争の歴史認識とそれを肯定する論者の思考回路を見ていくと、根底に歴史相対主義が共有されていることに気がつく。司馬史観をより根源から評価するには、この歴史相対主義と対峙しなければならないと考え、その基礎として、相対主義を扱った何冊かの書物を読み始めた。この記事では、そのうちの一つ、入不二基義『相対主義の極北』(ちくま文庫、2009年、2001年刊の原書を文庫本にしたもの)を読んだ感想を記すことにしたい。

 まず、この後の議論のために入不二氏が前記の書物で示した「相対主義」のとりあえずの定義を紹介しておく。

 「とりあえず、相対主義とは『真偽や善悪などは、それを捉える『枠組み』や『観点』などに応じて変わる相対的なものであり、唯一絶対の真理や正しさなどはない』という考え方だとして話を始めよう。」(21ページ)

 こうした相対主義はさまざまな学問領域や分野に浸透しており、「制度・信念・慣習などの『文化現象』は、他の文化から持ち込まれた概念・基準によって理解されてはならないのであり、各々の文化にはそれぞれ異なった理解の仕方や基準がある」(25ページ)という考え方は「文化相対主義」と呼ぶことができる。また、列強が領土争奪戦をした時代に日本はやむにやまれず参戦したのであって、それを侵略と批判するのは筋違いだという議論、昭和の戦争は悪かったかもしれないが明治時代の戦争はよかったという議論、現在の価値観で過去を見てはならないという議論などは歴史相対主義といえる(歴史相対主義の主なタイプは、山田朗『歴史修正主義の克服』2001年、Ⅲで平易に説明されている)。

 相対主義なり歴史相対主義をこのように定義した上で、私が日清・日露戦争をめぐる司馬史観の根底に歴史相対主義が流れていると考えるのは、『坂の上の雲』の中の次のような記述を念頭に置いている。


 「そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。原因は朝鮮にある。といっても韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば朝鮮半島という地理的存在にある。・・・・・清国が宗主権を主張していることは、ベトナムとかわりがないが、これに対しあらたに保護権を主張しているのはロシアと日本であった。・・・・・朝鮮を領有しようということより、朝鮮を他の強国にとられた場合、日本の防衛は成立しないということであった。・・・・・その強烈な被害者意識は当然ながら帝国主義の裏がえしであるにしても、ともかくも、この戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった。」(文春文庫、第2分冊、48~49ぺージ)

 「日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象であることにはまちがいない。が、その現象のなかで、日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったことはまぎれもない。」(文春文庫、第3分冊、182ページ)

 平たくいうと、日本は日清・日露戦争を領土的野心からではなく、朝鮮半島が清国なりロシアなりの領土になった場合、日本はこれら列強と近接することになる、そうした国家の存亡に関わる脅威を排除するために日本は、やむなく清国およびロシアと戦ったのだという論法である。こうした論法は、ある戦争をどう評価するかはその戦争が起こった特定の時代状況(ここでは領土拡張に列強がしのぎを削った時代状況)、地政学的環境(ここでは朝鮮半島という地理的要因)に依存し、戦争の功罪を評価する唯一絶対の基準はないという思考の枠組みを採っている。この意味で日清・日露戦争を祖国防衛戦争と捉える司馬の歴史観は歴史相対主義を支柱にしているといってよい。

 また、日清・日露戦争を歴史相対主義の観点から捉える思考は、司馬の歴史観を擁護する人々の思考の支柱にもなっているように思われる。当時は清国やロシアが朝鮮半島の領有を虎視眈々と窺っていたのであり、日本が手をこまねいていたら、日本自身がロシアの植民地になった可能性がある、そうした時代背景を顧みず、日本の朝鮮出兵を侵略と決めつけるのは特定のイデオロギーによる断定にすぎない、という議論がそれである。

相対主義に対する外在的批判
 話を入不二氏の前掲書に戻すと、本書を読んで一番「頭の体操」になったのは相対主義に対するポピュラーな批判、つまり、認識の枠組みに依存しない絶対的な真理は存在しないという相対主義の主張は自己論駁的(self-refutation)だ、ないしは「自己無効的だ(self-vitiation, self-vitiating)」という批判の有効性を徹底的に吟味した箇所である。
 著者は、反相対主義者がいう「自己論駁的」にもさまざまなタイプがあると指摘したうえで、まず、外在的批判(ここで「外在的」と呼ぶのは私の解釈で、相対主義者が共有しそうにない前提条件を拠り所に相対主義を批判するタイプのこと)の有効性を吟味している。つまり、このタイプの批判者は、しばしば「相対主義の考え方からは、ある受け入れがたい帰結が出てくる」(75ページ)というのであるが、この場合の「受け入れがたい帰結」の中身は様々で、「相対主義からは非合理主義が帰結する」という主張もあれば、「相対主義からはニヒリズムが帰結する」という主張もある。また、著者は「普遍的な真理の探究を放棄する相対主義からは道徳的な退廃が帰結する」という主張もこれと類似の反相対主義とみなしている。
 しかし、著者はこれらの主張は相対主義への批判としては強力なものではないという。なぜなら、著者によると、批判者が挙げる帰結(非合理主義、ニヒリズム、道徳的退廃など)は受け入れがたいものであるという前提条件は批判者にとっての前提であっても、それを相対主義者が共有する保証はなく、そうした帰結が相対主義の考え方から導かれる結論であると論証されているわけでもないからである。要するに、こうした相対主義批判は、相対主義から導かれると自らが想定したものを、自らの前提条件に基づいて批判しているだけで、相対主義者に届いていないのである(75~76ぺージ)。

相対主義は自己論駁的か? ~相対主義の自己適用問題~
 そこで、次に著者が吟味の俎上に乗せるのは、相対主義は自己論駁的であるという内在的批判である。ここで「内在的」批判というのは、相対主義自体の前提に基づいて相対主義を否定する帰結を導こうとする批判の仕方という意味で(入不二氏ではなく)私が命名した用語である。真理は認識の枠組みに依存するという相対主義が自己論駁に帰着するかどうかを著者は相対主義の自己適用問題として検討している。

 まず、著者は、相対主義は自己適用されないと想定した場合の論理的帰結を吟味している。ここで「自己適用されない」というのは、「どんな主張や見解もある認識の枠組みにおいて相対的に真であるにすぎない」という相対主義の命題は相対主義自体には適用されないという意味である。となると、相対主義は、なんらの認識の枠組みにも依存しないような絶対的真理の存在を否定すると同時にそれを肯定するという自己矛盾(自己論駁)に陥っているというのが、ここでの相対主義批判のエッセンスである。
 しかし、入不二氏はこうした相対主義批判は成功しているとは思えないという。なぜか? 著者によると、相対主義は自己適用されないというのは、相対主義は自分にだけを例外扱いし、自らを絶対的な真理の位置においているという点でその「尊大さ」を責められるかもしれないし、なぜ相対主義だけが例外でありうるのかが問われるだろうという。しかし、こうした尊大さや不誠実は「矛盾」ではないと著者はいう。さらに、相対主義は絶対的な真理の存在を考察対象のオブジェクトレベルで否定する一方、絶対的な真理の存在をメタレベルで肯定しているのである、このように真理の相対性と絶対性を異なるレベルで主張することは矛盾ではない、よって、相対主義はそれを自己適用しない場合、自己論駁には陥らないというのが入不二氏の結論である。

 では、相対主義を自己適用する場合はどうか? ここで相対主義を自己適用するとは、「『どんな主張や見解も採用される認識の枠組みに依存するという意味で相対的に真であるにすぎない』という主張もまた、採用される認識の枠組みに依存するという意味で相対的に真であるにすぎない」という命題を指す。著者は、このような帰結は相対主義の矛盾でも自己否定でもないという。むしろ、著者は「すべての真理は相対的である」という真理もまた相対的であるという帰結は、すべての真理を例外なく相対化する相対主義の力(魅力)の発現とみなし、自己論駁ではないと切り返すのである。

相対主義の自己適用の徹底~相対主義の彼岸にあるものは?~
 しかし、著者はこうして相対主義が自己論駁を免れることを論証してよしとせず、相対主義の自己適用を徹底した彼方に見えてくる帰結を追跡する。本書ではそれを素人にはいささかくどく思える記号式を使って説明しているが、平たく言うと、
 T0:すべての真理は相対的である。
 T:T自体も相対的である。
 T:T自体も相対的である。
 T:T2自体も相対的である。
 ・・・・・・・
 T:Tnー1自体も相対的である。
 ・・・・・・・
という無限後退(無限遡及)となり、相対主義の「あらゆる真理を相対化する力」は「相対化に終わりはない」という帰結を導く。では、無限後退するということは相対主義にとって何を意味するのか、と著者は問いかける。相対主義の徹底は確定した主張に収斂しないということは自滅なのか? 著者はそうとは見ない。むしろ、著者は昆虫の変態をたとえにして、「蛹」という時期には食事も移動も行われず、幼虫期の身体の構造がいったん失われてしまうが、そうした時期を経過して初めて、内部器官や組織が成虫へと改変されるのと同様に、相対主義は無限後退を続けることで新たな生の段階へ移行することを意味しているという。
 著者はこうした相対主義の無限後退が意味することを、出来事の過去・現在・未来という時制の無限後退をたとえにして説明している。我流の理解で平たく要約すると、ある出来事はそれが生起する以前に予見という未来事象として認識される。やがて時間の経過ととともに、予見された事象が現に生起し、現在事象となる。が、その出来事は瞬時に過去事象となる一方、新たな出来事が予見されたり(新たな未来事象)、現に生起したり(現在事象)する。歴史上のすべての事象はこうした未来・現在・過去という時間軸上の無限連鎖を経て生成・消滅を繰り返す。それと同様に、相対主義も無限後退を通じて次々と真理を相対化する潜在力を発揮するーーー著者が言いたいのはこういうことらしい。「らしい」というのは、正直のところ、この箇所は私には非常にわかりにくく、誤読の可能性もあるからである。しかし、入不二氏と同学の野矢茂樹氏が書いた「解説」を読んで、本書のこうした難解さはどうも私の理解力の不足だけに起因しているのではなさそうだと思えてきた。野矢氏は「解説」の中の数箇所で哲学者たちの議論の構造を分析する入不二氏のメタ哲学的手腕を称賛しながらも、必ずといってよいほどそれに続けて、著者が用いた例は抽象的であると記し、「ふーむ、これはつまりどういうことなのだろうという感を強くした」と述べている。相対化の無限運動というくだりについても、である(301302ページ)。

 そもそも、私には、さまざまな出来事が時間軸の上で未来事象・現在事象・過去事象へと転変するという、それ自体自明の無限連鎖は、真理の相対性を主張する相対主義の相対性の無限連鎖の帰結を評価するときのたとえとして適切なのか、形式的に対比が可能だとしても両者を対比することにどのような実質的含意があるのか、疑問に思えるし、著者はそれについて何も語っていない。

 しかし、私が相対主義の自己論駁性をめぐる入不二氏の議論のなかでより重要と思ったのは、相対主義の論理に内在的な矛盾があるかどうかということよりも、著者が相対主義に秘められた力とみなす「相対化の無限の力」の中身であり役割である。これを著者自身の言葉で言い換えると、「相対主義を修正するのではなく、相対主義を徹底することによって、相対主義が純化され、その極点で蒸発するまでのプロセスを追いかけるというのが、私の基本方針である」(355ページ)と入不二氏がいう時の「相対主義を徹底する」とか「相対主義を純化する」とか「その極点で蒸発する」という言葉の中身は何なのかということ、そして、「相対主義を徹底し純化したその先に現れる帰結」とは何なのか、その帰結にどのような効用が期待されるのかということである。しかし、著者が採用するメタ倫理学的手法からすれば、ある主張なり見解をその効用に照らして評価するという方法が共有されるとは限らない。現に、本書では相対主義の無限後退に続く節で「相対主義は自己無効的か」という見出しで相対主義の有効性を対論者との関係の中で吟味している。(この稿、続く。)

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「醍醐聰の会計時評」ブログ開設のお知らせ

 東京大学在職中、駒場キャンパスで2年生向けに開講された「会計」と、本郷キャンパスで開講された「財務会計」の講義用に開設していた「講義用ブログ」を今日から、「醍醐聰の会計時評」と改めて再スタートさせることにした。ブログのURLはこれまでと変わらず、
  http://sdaigo-kougi.cocolog-nifty.com/

 こちらのブログでは、企業会計はもちろんだが、私が近年関心を向けている公会計、特に国の特別会計、社会福祉財政や新銀行東京など東京都の財政決算分析も手掛けたいと考えている。ただし、「会計」時評といっても、狭い会計問題で完結する論評ではなく、企業経営や国、地方の財政政策との関連を視野に入れた論評をしていきたいと考えている。
 なお、今後、この「会計時評」ブログに新しい記事を掲載する都度、そのタイトルを「醍醐聰のブログ」でも紹介する予定である。この「醍醐聰のブログ」を訪ねていただいた方々の中で、財政問題や会計問題に興味をもたれる方はお手すきの折に「醍醐聰の会計時評」も訪ねていただけけるとありがたい。
 以下、ご参考までに「会計時評ブログ」の初回の記事――ストック・オプションの費用認識の根拠と算定方法を考える――を転載しておきたい。

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 ストック・オプションの会計については、だいぶ時間が経ったが、税務大学校の機関誌『税大ジャーナル』に上・下2回に分けて論稿を発表している。税務大学校のHP上で公開されているので、それをこのブログに転載しておく。
  醍醐 聰「ストック・オプションの費用認識と損金算入の要件(上)」『税大ジャーナル』12号、200910
  http://sdaigo-kougi.cocolog-nifty.com/stockoption_zeidai_no1.pdf
  醍醐 聰「ストック・オプションの費用認識と損金算入の要件(上)」『税大ジャーナル』12号、20102
  http://sdaigo-kougi.cocolog-nifty.com/stockoption_zeidai_no2.pdf

 また、これと内容が重複する点が少なくないが、雑誌『産業経理』にも発表している。
  醍醐 聰「ストック・オプションの費用認識の根拠と基準の再構成」『産業経理』第69巻第4号、20101
 こちらは残念ながら、全文を掲載できない。

 私がこれらの論文で強調したかったのは、ストック・オプションを付与した企業の側で株式による報酬を費用として認識する時の根拠は何か、今日、なお内外で通説のように言われている論拠―――ストック・オプションを付与することによって被付与者から提供されると期待される追加的労働サービスに対する対価」説―――は論証に耐えうるのかという点ある。しかし、私は、通説を批判するだけでなく、私の代替的見解を積極的に示すよう努めた。

 まず、通説的な費用認識の根拠に対して私が感じる疑問は次のとおりである。

ブラック・ショールズ・モデルはストック・オプションの価値測定に適合するのか?
 ストック・オプションを付与することによって被付与者たる会社役員・従業員等からどのような「追加的」労働サービスが、どの程度提供されるのかは、本来、付与後の経営業績の推移を観察することによって事後的に把握されるべきものである。しかし、内外の現行の会計基準では付与日時点でブラック・ショールズ・モデル等の方式を使って、対価たる株式報酬の公正価値総額がまず算定され、それと等価の労働サービスの提供があるものとみなすという筋書きになっている。私が不思議に思うのは、こうした筋書きそのものの信憑性である。というのも、
 ①まず、ストック・オプションを付与した時点で、これから提供されると期待される「追加的」労働サ―ビスの量および金銭的評価を確定してしまう、という点である。ブラック・ショ-ルズ・モデルは付与企業の株価のヒストリカル・データを将来に延長して株価のボラティリティを予測し、それを付与日の現在価値に割り引く手法である。その際の予測の方法自体にも種々の問題点(ボラティリティを週次で把握するのか月次で把握するのかで結果が大きく異なるなど)が指摘されてきた。しかし、それ以前に、この方式をストック・オプションの価値算定に用いることに大きな問題がある。
 なぜなら予測はどこまでも予測であって、実績がそれと合致することはあり得ない。ストック・オプションを付与することによって期待される「追加的サービス」というなら、付与後、権利確定時点までの経営成績推移(株価はあくまでも指標の一つの候補)で提供された労働サービスの価値を把握するのが道理のはずである。ところが、今日、世界標準となっているストック・オプションの会計基準では、事後の株価の変動が予測値とどれだけ乖離しても、付与日に算定した価値(単価)を修正しないことにしている。その結果、付与日の後に、付与企業の業績が急速に悪化し、株価が権利行使価格以下まで下がった場合、  被付与者の権利行使行動には影響が及ぶが、付与企業の側でのストック・オプションにかかる費用総額には影響が及ばないことになる。

 ②こうした帰結は、ブラック・ショールズ・モデルで予測された株価をミラーにして、役員・従業員が提供する「追加的」労働サービスの価値を迂回的に算定しようとする発想自体が間違っていることを意味している。今日、個別企業の株価といえども、当該個別企業の業績(ミクロの要因)のみに連動して変動するわけではなく、内外の金利水準の変動、それを反映した為替レートの変動と言ったマクロの要因にも相当程度影響されて変動することは周知の事実である。ましてや、個々の企業の株価といえども、その変動要因のうち、どれだけがストック・オプションを付与した効果に帰因するかを分解することは不可能に近い。

 ③「追加的に」提供された労働サービスの価値と付与されるストック・オプションは等価のはずだからと言われるが、実際に企業で交わされるストック・オプションの報酬議案を見ると、付与されるストック・オプションの種類は株式報酬型(いわゆる「1円ストック・オプション」もあれば、付与日時点の株価、あるいはそれに先立つ一定期間の平均株価に11.05等を乗じた金額の払込みを要するものもある。また、権利行使条件として株価なり経常利益が一定の水準を超えることを加味する事例も見受けられる。また、1円ストック・オプションのように従前の金銭による役員退職慰労金に代えて採用されるストック・オプションもあれば、既存の報酬体系は不変のまま、それと別枠で導入されるストック・オプションもある。
 このように、株式報酬の形態が多様化している実態を無視して、付与されるストック・オプションの価値が常に、提供される労働サービスと等価であるとみなすのは根拠のない強弁の類と言わなければならない。
 
ストック・オプションの価値は従前の報酬体系との連続性を拠り所に算定すべき
 以上のような疑問を突きつめて行くと、ストック・オプションの付与日をストック・オプションの価値測定(確定)日とする現行の会計基準への疑問にも連なる。自社株式を報酬とするストック・オプションも付与企業から言えば労働債務の一種であるが、労働債務は一般に役務が提供されるのに応じて(通常は一年を単位とする会計期間ごとに算定あるいは改訂されるのが通例である。これに準じていえば、また、ブラック・ショ-ルズ・モデルで株価を指標に予測されたストック・オプションの公正価値も提供された労働サービスの価値との乖離を補正するためには事後の修正が必要になるはずだから、初めから予測値ではなく、実績値で算定すべきではないかということになる。
 ところで、ストック・オプションの採用によって期待される「追加的な労働サービス」といっても、それは不可視のインセンティブ効果であって、その効果は結局は外形的に観察可能な実績値(経営業績)で把握するほかない。しかし、株価であれ利益水準であれ、実績値といっても、金銭による労働報酬と株式による労働報酬を区分し、ストック・オプションの採用によって「追加的に」提供される労働サービスを金銭報酬のみの場合の道労働サービスと区分したうえで、それに対応する対価(債務)を測定するのは不可能に近い。
 これに対して、1円ストック・オプションのように従前の金銭による役員退職慰労金を廃止する代わりに採用される株式報酬の場合は、金銭で算定された従前の報酬総額を引き継ぐ形で(あるいは契約により減額・増額する形で)ストック・オプションの総額を算定することは不合理なことではない。私が上の論文で提案した代案はさらに肉付けが必要とは考えているが、エッセンスはこのようなアイデアに基づくものである。

 これとの対比でいうと、既存の報酬体系を不変のまま、ストック・オプションを導入したというだけで、「追加的な労働サービス」が提供されるはずであると観念して、労働報酬の算定には不向きなブラック・ショールズ・モデルを用いて、空想の世界で、「追加的な労働サービス」なるものとストック・オプションの公正価値なるものの「等価関係」を創作して費用認識を正当化しようとする議論は到底、論証に耐えうるものではないのである。

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久しぶりに国会図書館へ、その後、都民情報ルームへ

 2010年6月7日
 今日は少し肩の力を抜いて日記風に書くことにした。

東京都の福祉財政を調べるために
 早めに起床し、犬と散歩をした後朝食を済ませ国立国会図書館へ出かけた。2年前に連れ合いと地元の自治会が取り組んでいた道路の車止めに関して市役所と交渉をする必要から判例を調べにきたが、自分の研究資料の調査で来るのは実に久しぶりだった。1015分ごろ、新館入り口に着。今日の目的は、参加している新東京政策研究会の財政グル-プで分担することになった東京都の社会福祉財政に関する資料調査である。少し調べていくうちに、都立病院の再編問題が焦点になっていることがわかり、前もって、NDL-OPACで調べた文献を閲覧・複写することにしていた。

様変わりしていた国立国会図書館
 まずは入り口横の機械で一日利用券を入手。今はすべてがインターネットにつながったカードで処理されるシステムになっている。以前であれば、まず、1件ごとに館内で請求票に記入して提出し、中央出納台の前の腰かけに座って、大勢の請求者とともに20~30分ほど名前が呼ばれるのを待って受けとり、今度は複写箇所を複写依頼書に1件ずつ記入して別の受け付けコーナーで渡し、仕上がりを待つというシステムだった。閲覧請求受付の中央カウンターにも複写申し込みのカウンターにも長い列ができたが、昼休みは受付休止だったので遠方から来館した者にとっては何とも効率の悪い作業だった。

 しかし、今はずらりと並んだPCに座り、机の上に置かれたケースに利用者カードを差し込んで文献名を入力すると、画面操作で閲覧請求ができる。請求件数は1回あたり雑誌・図書ごとに3冊。15分ほどして、雑誌は新館2階のカウンター前の電光掲示板に受取できるようになった雑誌を請求した利用者番号が掲示される。図書については同じく本館の中央出納台前に置かれた電光掲示板に掲示される。

 請求した雑誌を受け取ると、新館1階の複写申し込みコーナーへ。ここでもたくさん並んだPCに座って利用者カードを差し込むと出納台で受け取ったばかりの雑誌が自動的に画面に表示される。複写規則に同意等のクリックをして画面を進み、確認ボタンを押すと複写申し込み文献の写しが1件ずつ、PVの横に置かれておいるプリンターから出てくる。あとは、それに複写ページを手書きして受け付けに持っていけばよい。列ができることはまずない。複写の仕上がりも電光掲示板で通知される。15分前後して見にいくと出来上がっている。
 図書の場合も同じ流れ。申し込み枚数の多寡にもよるが、15分前後で出来上がり。複写申し込みの時も、受け取りの時も列ができることはほとんどなかった。

 こうして、この日は閲覧請求・複写・返却を3回転して、「都立病院」、「東京都 and 財政」で前もってキーワード検索した文献の中で手に入れたかった論文・記事をほぼすべて複写できた。

 あえて気になったことを書くと、
 ① すべて機械化されたことで、利用者は効率よく作業をできるのは大変ありがたい。しかし、日頃、機械(PC)になじんでいない高齢者などは戸惑うのではないか? 機械が並んだ館内の随所に職員が配置され、手を挙げるなどするとすぐに近寄ってきて操作のアドバイスを受ける仕組みになっていた。しかし、それでも、見かけたところ、以前、来館した時と比べ、高齢者の姿が少なかったのは気のせいだろうか?
 
② 1枚の複写代金がなぜ25円なのか? これは以前から疑問が尽きない点である。公共図書館の場合、セルフサービスではあるが110円である。破損の恐れがある貴重本は職員の手で作業をするという趣旨はわかる。しかし、そうした文献はそう多くはないはずだ。先頃の事業仕分けでもこの点が取り上げられていたと記憶している。私も近く、図書館に質問書(1枚25円の<積算>根拠)を出すつもりだ。

都民情報ルームへ

 途中館内で昼食&コーヒーをとり、14時過ぎに退館して、地下鉄を乗り継ぎ、都庁の本庁第一庁舎北側3階にある都民情報ルームへ。ここは10年ほど前、ゼミ生と一緒に出版した『自治体財政の会計学』(新世社)のための資料調査に、東京都を担当したゼミ生グループと来たことがある。今回はゆっくり時間をかけて検索するゆとりがなかったが、とりあえず、開架資料の中にあった『東京都病院会計決算書』の平成16~20年度分と『平成20年度東京都決算参考書』など財政関係資料を複写した。

帰宅してインターネットで郵送複写を依頼

 帰宅してすぐにPCに向かい、国立国会図書館のHP(NDL-OPAC)にアクセス。昼間、館内で手続きをして発行してもらった「登録利用者カード」のIDとパスワードを入力のうえ、文献(都立病院と並んで手掛けてみたいと思っている東京都の介護保険関連の文献)を検索して、館内の場合と同じ手続きで複写の申し込みをすると約10日後に郵送されてくる。この日は6件、申し込んだ。申し込みの分量が多くなると、なぜ1枚25円なのかがますます気になるが、今後、大いに活用したい。
 かくて、忙しく動き回った1日となったが、それなりに収穫があり、ささやかな充実感を味わった。

 わが家の庭に咲いたアマリリス
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朝鮮王妃殺害事件の調査補遺

朝鮮王妃殺害事件~逆の立場だったら?~
 NHKが『坂の上の雲』をドラマ化して放送することに警鐘を鳴らす運動に昨秋から参加する中で、日本の近現代史に関する知見の浅さを痛感し、原作が対象にした日清・日露戦争期の日朝関係史を調べてきた。その中で詳しく調べたいと思ったのは皇后閔妃(明成皇后)殺害事件である。多くの日本人がそうであるように、私も今まで日清戦争の終結直後にこのような事件が起こったことを知らなかった。かりに、日本の皇后が皇居内の皇后の寝室に乱入した韓国人兵士に切り殺されたとしたら、国を上げて大騒動になり、日韓関係は国交断絶にまで発展しかねない緊迫した状況になるに違いない。立場が逆だとこうも情報・関心が非対称になるのかと考え込んでしまった。

今も続く水掛け論への逃避
 このたび高文研から出版された中塚明・安川寿之輔・醍醐聰『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』で、私は「いま、『坂の上の雲』を制作・放送するNHKの社会的責任」というタイトルの最後の章を分担執筆した。そこでは、日本は日清・日露戦争をフェアに戦ったというドラマのナレーションや関口夏央氏の解説に対する反論として、①王妃閔妃殺害事件と、②旅順虐殺事件を取り上げる予定だったが、朝鮮王妃殺害事件については日朝関係現代史の研究のパイオニアである中塚明さんが同書で詳しく解説しておられる(110116ページ)ので重複を避けた。

 ところで、この事件については、角田房子『閔妃暗殺』1988年、新潮社;金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』2009年、高文研、といった優れた先行研究がある。いずれも精力的な資料調査と関係者への聞き取り調査に基づいてまとめられた書物である。これらの研究をとおして、歴史上稀な残虐行為が当時の朝鮮公使・三浦梧桜を首謀者とする日本兵の犯行であることが確定的事実となっている。にもかかわらず、NHK出版が昨年刊行した『NHKスペシャルドラマ 歴史ハンドブック』では「閔妃に不満を持つ開化派武装組織によって景福宮にて暗殺され、その遺体は武装組織による焼却された」(17ページ)と記されている。これだと国内の反対派(反露派)によって殺害されたということになる。

 さらに、今年の212日付の『毎日新聞』に掲載された「質問 なるほどドリ」でも、<100年前の『日韓併合』今も両国間で問題なの?>という見出しでこの事件を取り上げ、次のような問答を記している。

 A.・・・・1895年の「閔妃暗殺」事件があります。李朝内部の親露派である閔妃が殺され、それ以降、李朝は日本に近づいていきました。実行犯が日本人か、韓国人かなどを巡って、小説やノンフィクション、テレビドラマなどで、今もさまざまな意見や主張が出されています。
 Q. 真実の解明は、やはり難しいのかな。
 A. 決定的証拠はないようです。・・・・・


 こうした朝鮮内部犯行説や真相不明説に対し、中塚さんは前掲書(113ページ)のなかで、事件の2日後の1895(明治28)年1010日に三浦梧桜が西園寺外務大臣臨時代理に宛てたつぎのような電報(『日本外交文書』第28巻第1冊所収)を引用し、真っ向から反論している。

 ・・・・・過激のことは総て朝鮮人にてこれを行はわしめ、日本人はただその声援をなすまでにて手を下さざる約束なりしも、実際に臨んで朝鮮人躊躇してその働き充分ならざりし前、時機を失はんことを恐れ日本人の中にて手を下せし者ありと聞けり、もっとも右等の事実は内外人に対し厳重に秘密に致し置きたれども、その場に朝鮮人居りし由なれば漏れ聞きしことなきを防ぐ可からず・・・・・。朝鮮政府よりは日本人は殺害等乱暴の挙動は一つも無かりしとの証明書を取り置きたり、・・・・・この二件は外国人に対し水掛論の辞柄となす考へなり」

 つまり、①もともとは閔妃殺害を朝鮮人に行わせ、日本人は直接には手を下さない計画だった。しかし、いざとなると朝鮮人が実行を躊躇ったので時機を逃さないよう数名の日本人が殺害に及んだと聞いている。②この件は極秘とし、朝鮮政府からは日本人が殺害に関与していないという証明書を取った。③外国人に対しては水掛け論に持ち込むことにした、というのである。

 NHK出版の内部犯行説や毎日新聞記事の犯人不詳説は、少し調べれば真相を判断するに足る資料を得られるにもかかわらず、それらから目を背けて、事件の首謀者が事件直後に画策した真相隠ぺい工作を性懲りもなく受け継いでいるのである。

「一瞬電光刺老狐」~実行犯が残した肥前刀の鞘に記された碑文~
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 上の写真は福岡県の櫛田神社の氏子・藤勝顕が同神社に寄贈し、保管されている肥前刀である。この刀は江戸時代の16世紀に忠吉という職人が殺傷用に製造したといわれるが、刀の鞘には「一瞬電光刺老狐 夢庵勤議」と刻まれている。「狐」というのは三浦梧桜が閔妃のことを「女狐」と呼び、閔妃暗殺計画に「狐狩り」という暗号を付けていたことに由来するといわれている(高大勝『伊藤博文と朝鮮』2001年、社会評論社、118ページ)。また、「夢庵」とは藤勝顕の号である。高氏は藤の第二刀が王妃を絶命させたと記しているが、これについては断定するに足る証拠は得られていない。しかし、藤勝顕が閔妃殺害に関わった一人であることは間違いない。

 西日本新聞社編集委員の嶋村初吉氏は「島村初吉のブログ」の2010年1月4日付の記事「日韓の光と影 近代の博多と朝鮮」2の中で藤は政治結社「玄洋社」のメンバーで櫛田神社の氏子であったこと、藤に関わる史跡が福岡市博多区に2か所――一つは臨済宗妙心寺派・聖福寺の節信院の子安観世音菩薩像、もう一つは櫛田神社に藤が奉納したとされる肥前刀――あると記したのち、次のように書いている。
 http://www.journalist-net.com/shimamura/2010/01/post-19.html

 何故、子安観世音菩薩像と一緒に刀も節信院に納めていないか。暗殺に使われたとされる刀は穢れたもので、仏教では受け入れられない。そのような禁則から、藤勝顕は櫛田神社に納めたとされる。櫛田神社に残る「寄付台長」には、藤勝顕が奉納したと記録されているのである(1995年9月12日付け朝日新聞より)。
 子安観音菩薩像は、製作を依頼したのは藤勝顕で、「閔妃を切った際の顔が忘れられない。供養したい」(同、朝日新聞)といわれるが、藤勝顕の妻の母親が夫の行為に驚き、供養を申し出たといわれる説もある。「国士と朝鮮王宮に乗り込み、何の罪もない人を斬り、王妃を殺した事は、私情に於いて忍べず」と。

 次に、黒竜会編『東亜先覚志士記伝』1977年、原書房、『明治百年史叢書』所収、下巻では、藤勝顕について、次のように記している。

 号は夢庵。勝敬の三男として安政六年十二月六日福岡春吉瓦町口に生まれ、幼名は規
矩太郎、後ち勝顕と改めた。・・・・・・
 明治二十八年十月八日の閔妃事件には其の事に参画し、中村楯雄と共に最も重要な役割を果たしたと云われた。〔事件後〕一時広島の獄に投ぜられ、無罪出獄の後ち郷里福岡に帰ったが、韓国政府は彼と中村の首に賞金一万円を懸けて之を獲んことを謀り、二回も福岡に於いて刺客に襲われたと云ふ。・・・・・其の修道に縁ある聖福寺山内節信院に荘厳なる子安観音を鋳造安置したことは往年の遭難者を追福供養する発願に出でたるものであった。又た博多の産土神たる櫛田神社に忠吉の銘刀一振を奉納し、「之れ韓王妃を斬って爾後埋木となったものなり」との旨を記し、当年の詠歌一首を添へた。
   朝鮮にて二十八年十月八日の夜
   入闕の時
 我愛でし太刀こそけふはうれしけれすめら御国のために尽しつ
        藤勝顕 九拝
   叱正
 棒鞘一振 目釘穴一
  一.忠吉ノ太刀 長二尺三寸 全長三尺
        目方 二百五匁
    銘ニ肥前国住人忠吉作八字
    鞘ニ一瞬電光刺老狐
        夢庵勤識
・・・・・


 こうした解説あるいは当人の述懐には誇張なり自己顕示による虚飾があるかも知れないが、藤が閔妃殺害に直接関わった一人であることが動かせない事実であることを示す資料といえよう。

 なお、朝鮮の『中央日報』は今年の3月26日の紙面に「明成皇后殺害『肥前刀』の返還 日本の神社に要求へ」と題する記事を載せ、その中で、海外に流出した朝鮮王室文化財に関する国民の関心が高まる中、26日に「肥前刀還収委員会」が発足し、「神社に犯行道具の肥前刀が保管されているというのは民族的自尊心が許さない」という同委員会のヘムン僧侶の発言を伝えるとともに、還収委員会が櫛田神社に対し、刀を韓国に引き渡すか廃棄するよう求める声明を発表すると記している。

 武士道気どりで「自分が殺った」と公言し、犯行に使ったという刀を顕示した上で、自らが愛しんできた刀で王妃を切り殺したことを「
すめら御国のために尽しつ」と自画自賛する人物がいる中で、いまだに朝鮮人の仕業と言い募るのはどういう魂胆なのか?

消された明治天皇の発言
 上記の金文子さんの著書を読んでいくと、三浦梧桜『観樹将軍回顧録』(政教社、1925年)の中に閔妃殺害事件に関する明治天皇の発言が記されているのに注目したくだりがある。すなわち、広島地裁において証拠不十分で無罪放免され、東京に立ち寄った三浦梧桜のもとに天皇から米田侍従が派遣された折、三浦と次のようなやりとりが交わされたという。

 我輩は先ず、

「お上には大変ご心配遊ばしたことであろう。誠に相済まぬことであった。」と挨拶すると、
イヤお上はアノ事件をお耳に入れた時,遣る時には遣るナと云ふお言葉であった。」と答へ、更に、
「今夜お訪ねしたのは、外でもない。実はアレが煮ても焼いても食えぬ大院君を、ベトベトにして使って行ったが、コレには何か特約でもあったことか、ソレを聞いて来いと申すことで。ソレでお訪ねした。」とのことである。


 ところが、金文子さんによると、この『観樹将軍回顧録』が1988年に中公文庫から出版された際、下線部分が消えていたという。そこで、私も真偽を確かめようと政教社版と中公文庫版を突き合わせてみることにした。このうち、政教社版は未見であるが、近くの公共図書館から借り出した中公文庫の該当箇所を見ると、確かに下線の箇所が見当たらなかった。また、後段の「実はアレ・・・・」の下線箇所も見当たらなかった。閔妃殺害事件と大院君を利用した朝鮮支配に関する明治天皇の注目すべき発言が消されたとしか考えられないが、史実の隠ぺいと言われてもやむを得ない重大な改ざんである。

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分担執筆した『「坂の上の雲」の歴史認識を問う』発売

 中塚明さん、安川寿之輔さんと私の共著『「坂の上の雲」の歴史認識を問う』(高文研)が64日発売となった。本書は歪んだ朝鮮観、日清・日露戦争に関する誤った歴史認識に立って書かれた司馬遼太郎の『坂の上の雲』をNHKがドラマ化し、こともあろうに韓国併合100年の年を挟んで3年にわたって放送することが決まったことを危惧する歴史学者、メディア研究者、市民団体などが全国規模でこの番組に対する警鐘をならそうと集った運動体(「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワーク)による活動の一環として企画されたものである。
 共著といっても、中塚さんは日朝関係史研究のパイオニアであり、安川さんは丸山真男によって生み出された福沢諭吉神話の解体に筆を奮って来られた方である。そのようなお二人に並んで素人の私が執筆するのはおこがましいことだが、私も上のような全国規模の運動の立ち上げに関わっていたことから、また、これを機に日本の近現代史を勉強してみようという好奇心から、執筆に加わらせてもらった。
 
 編集担当のMさんからは8,000字以内でと言われていたが、資料を調べていくうちに書きたいことが膨らみ、結局11,000字ほどの分量になってしまった。それでも今、読み返すと、書き足りなかったことが少なくない。具体的には、
 ①NHKの番組が、日清戦争の開戦に至る経過を描く場面で、東学農民の蜂起を鎮圧するため、朝鮮政府の要請を受けて清が朝鮮へ派兵をしたのに対抗して日本が閣議で朝鮮出兵を決定した1894(明治27)年61日の場面から、いきなり、日本が清に宣戦布告をした同年725日の場面に飛ばしたため、日清開戦の現実の経過が番組からすっぽりカットされてしまった点、
 ②NHKのドラマでは一言のナレーションでスキップされた閔妃(明成皇后)殺害事件の真相について、

 これらについては、一つ前に掲載した記事(530日に地元の9条の会で講演するために準備した資料)で触れているので、ご参照いただけると幸いである。

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 出版社の高文研が作った案内文書も掲載しておきたい。
 
http://www.koubunken.co.jp/0450/0443.html
 定価:1,500円+税
 注文先:株式会社高文研 電話:0332953415

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