朝鮮半島でロケを行った形跡がないのはなぜ? ~「坂の上の雲」の制作についてNHKに質問書を送付~
私も参加している「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は本日(2010年11月21日)、NHK福地茂雄会長、日向英実放送総局長、番組担当エグゼクティブ・プロデュ-サ-・西村与志木氏宛に下記のような2項目の質問書を発送した。
1つは、番組制作にあたって朝鮮半島でロケを行った形跡がないが事実はどうか、行わなかったとしたら、それはどのような事情によるのかという質問。
もうひとつは、昨年放送された第4回目の番組「日清開戦」のなかで、従軍中の森鷗外が戦地で出会った正岡子規に向かって語った、「戦争の本質から目をそらして、やたらと戦意をあおるだけの新聞は罪深い。正岡君が書く従軍記事なら、写実でなくては困るよ」という発言はどのような史実に基づいているのかという質問。
12月6日(金)までに回答をもらうよう要望している。
「坂の上の雲」の番組制作に関する質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sakanouenokumo_seisaku_situmonsho.pdf
2010年11月21日
NHK会長 福地茂雄様
NHK放送総局長 日向英実様
「坂の上の雲」エグゼクティブ・プロデュ-サ- 西村与志木様
「坂の上の雲」の番組制作に関する質問書
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
共同代表 湯山哲守・醍醐 聰
皆様におかれましては日頃より優れた番組づくりのためにご尽力いただき、お礼を申し上げます。
まもなくドラマ「坂の上の雲」(以下、「ドラマ」と略します)の第2部が始まりますが、これまでに番組を視聴したり、関連資料を調べたりしている中で、ぜひ、お尋ねしたいことが2点、出てきましたので、この機会に書面で質問をさせていただきます。ご多用のこととは存じますが、このドラマを理解する上で重要な問題と考えていますので、書面でわかりやすくご回答くださるようお願いいたします。
ご回答は12月6日(金)までに書面にて、後掲宛までお送りくださるよう、お願いいたします。
〔質問1〕NHKはドラマの制作にあたって日本各地はもとより、モンゴル、中国、ロシアなどでもロケを行ったと公表されていますが、私たちが見る限りでは原作が扱った日清・日露戦争の主な舞台(戦場)である朝鮮半島でロケをされた形跡がありません。実際はどうだったのでしょうか?
(1)朝鮮半島でもロケをされたのでしたら、それはどのあたりでしょうか?
(2)朝鮮半島ではロケはされなかったのであれば、それは当初から計画されなかったのでしょうか? それとも計画はされたものの実現に至らなかったのでしょうか? 前者、後者いずれであれ、その理由を添えてお答え下さい。
〔質問2〕昨年放送された第1部の第4回「日清開戦」の中で、従軍記者として朝鮮半島に出掛けた正岡子規と軍医・森林太郎(鷗外)が金州の森の宿舎で出会い、語り合う場面がありました。その中で、鷗外は子規に向かって、「戦争の本質から目をそらして、やたらと戦意をあおるだけの新聞は罪深い。正岡君が書く従軍記事なら、写実でなくては困るよ」と語りかけました。
しかし、こうした会話は原作にはなく、鷗外、子規それぞれが書き残した従軍日記や2人の従軍体験を調査・研究した文献を調べても、1895(明治28)年に2人が金州で2度会ったことは確認できますが、鷗外が上記のような発言をしたことを裏付ける記録は見当たりません(後掲参考をご覧ください)。
ドラマの中で鷗外の上記のような発言を挿入されたのは、どのような事実なり記録に依拠したものなのか、お教え下さい。
以 上
〔参考〕
鷗外の「徂征日記」を読みますと、鷗外と子規が1895(明治28)年5月4日と5月10日に会っていることは確認できます。しかし、その日記には「子規来たり。俳諧の事を談ず」(4日)、「子規来たり」(10日)と記されているのみです。また、この時期のことを記した子規の「陣中日記」には鷗外と会ったこと自体が記されていません。
さらに、鷗外の従軍体験について詳細に考証した末延芳晴『森鷗外と日清・日露戦争』(2008年、平凡社、)では、次のように記されています。
「軍医部長として書きつづっていった『中路兵站軍医部別報』や『第2軍兵站軍医部別報』といった公式記録に比して、私的記録として書かれた『徂征日記』の記述は極めて短く、そっけないほど簡略である。また、その記述内容は、軍医としての公務をこなす鷗外の行動や、行軍の途中や駐留地で目にした朝鮮や満州・中国の自然風土、人々の暮らしぶりについての観察記録が主体であって、軍医部長として知り得たであろう戦闘がもたらす悲惨な結果についての具体的な記述はほとんどない。また戦争の本質について鷗外個人が抱いたであろう思念や感慨についても、まったく表出されていない。<以下、略>」(35~36ページ)
ご回答は、下記宛にお送りくださるようお願いいたします。
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