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『坂の上の雲』の番組制作に関する質問に対するNHKの回答を読んで~歴史小説・歴史ドラマは史実からどこまで離れられるのか(2)~

 明日(125日)からNHKのスペシャル・ドラマ『坂の上の雲』の第2部の放送が始まるが、それに先立って、私も参加している「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は、このブログの2つ前の記事に掲載したような番組制作に関わる2項目の質問書を、福地茂雄NHK会長、日向英実放送総局長、当番組のエグゼクティブ・プロデューサーの西村与志木氏宛に送った。今日(124日)、この質問書に対するNHKからの回答が西村与志木氏名で届いた。その全文は次のとおりである。

 NHKからの回答 p.1P1
NHK
からの回答 p.2P2
 
以下、さしあたって、この回答に関する私のコメントを記しておく。

1.朝鮮半島のどこかでロケを行ったのか?という質問について
 NHK(西村氏)は、朝鮮半島では撮影をしていないと回答したうえで、その理由として、「ドラマではシーンにおける設定と同じ場所で撮影するとは限りません。朝鮮半島を舞台としたシーンは日清戦争における日本軍の仁川上陸のシーンしかなく、撮影の効率を考え多くのシーンがあった中国で撮影しました」と記している。
 しかし、NHKオンライン内のこの番組の現在のホームページを見ると、「見どころポイント③:壮麗なロシア正教会」という記事が写真入りで掲載され、次のような解説が付されている。
 
 「ロシア駐在武官の広瀬とアリアズナの恋。そのロマンチックな物語を彩るのが、古都サンクトペテルブルクの美しい風景、歴史的建造物の数々だ。そのひとつに、祈りを捧げるアリアズナのシーンを撮影したロシア正教会がある。壮麗な教会内部の映像とともに、広瀬との別れが待ち受けるアリアズナの心情が胸に迫るシーンだ。しかしこの撮影は難航した。なかなか許可が下りず、二転三転どころか四転五転。そのたびに誠意を込めてお願いをした末にようやく実現した。貴重な教会内部の映像に注目!」

 どうやら、ここでも凄惨な日露戦争が広瀬海軍大尉とロシア海軍大佐の娘・アリアズナの淡い恋物語で彩られる気配である。それは別にして、日清戦争の主たる戦場となり、東学農民軍の殺戮や王宮占領事件、朝鮮王妃殺害事件などが起こった朝鮮半島では一度もロケを行わず、敵国ロシアの女性と日本海軍大尉との麗しいロマンスを彩るためには数々の難航にもめげず、膨大な制作費もものともせず、四転五転してでも正教会でのロケに執着したのは、番組になんとしてでも臨場感を添えたいという制作者の執念があってのことだろう。それならば、「撮影の効率」などといわず、日清戦争なり日本軍の朝鮮進出の臨場感を番組に添える意味から、朝鮮半島でのロケにもっとこだわってもよかったのではないか?

 もっとも、「朝鮮半島を舞台としたシーンは日清戦争における日本軍の仁川上陸のシーンしかなく」というのが原作を指しているのだとすれば、朝鮮半島でのロケがないことをNHKに向けて問うのは適切でないかもしれない。そうであれば、日清戦争を題材にし、あれほど軍事作戦の描写に念を入れながら、日清戦争の主たる戦場になった朝鮮半島(に住んで戦争の惨禍を味わされた朝鮮人)の描写が欠落した原作の自国中心史観の致命的な限界が問われなければならない。

2
.鷗外の発言の実在性に関する質問について
 この質問に関するNHKの回答は、鷗外が子規に会ったことを記した徂征日記の記述をヒントに「ドラマの主旨に基づいて作ったオリジナルです」という、あっけらかんとしたものである。
 しかし、ここで言われる「ドラマの主旨」とは何を意味するのだろうか? ドラマの主旨を構想するのは番組制作者の思索に属するが、そこから、実在した人物、それも著名な歴史小説家であり、陸軍軍医のトップにまで登り詰めた森鷗外の、実在しない発言――それも彼の戦争観、戦争報道観を窺わせるかのような発言――を恣意的に「創作」してよいのか、極めて疑問である。
 まして、
鷗外の従軍体験について詳細に考証した末延芳晴『森鷗外と日清・日露戦争』(2008年、平凡社、)に次のような記述があるとなれば、そうした鷗外の従軍記録や彼の戦争観とそぐわない発言をドラマ制作者が「創作」したことは、些細なことでは済まない問題と考えられる。

 「軍医部長として書きつづっていった『中路兵站軍医部別報』や『第2軍兵站軍医部別報』といった公式記録に比して、私的記録として書かれた『徂征日記』の記述は極めて短く、そっけないほど簡略である。また、その記述内容は、軍医としての公務をこなす鷗外の行動や、行軍の途中や駐留地で目にした朝鮮や満州・中国の自然風土、人々の暮らしぶりについての観察記録が主体であって、軍医部長として知り得たであろう戦闘がもたらす悲惨な結果についての具体的な記述はほとんどない。また戦争の本質について鷗外個人が抱いたであろう思念や感慨についても、まったく表出されていない。<以下、略>」(3536ページ)

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歴史小説・歴史ドラマは史実からどこまで離れられるのか?(1)

楽しめればよいといって番組制作者は史実を切り張りしてよいのか?
 NHK(総合テレビ)は明日(125日)からスペシャル・ドラマ『坂の上の雲』の第2部の放送を始める。それに先立って、私も参加している「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は、このブログの一つ前の記事で紹介したように、当番組のエグゼクティブ・プロデューサーの西村与志木氏ほかに、番組制作に関わる2項目の質問を送った。その中の一つは、昨年放送された第4回目の番組「日清開戦」のなかで、軍医として従軍中の森鷗外が戦地で出会った正岡子規に向かって語った、「戦争の本質から目をそらして、やたらと戦意をあおるだけの新聞は罪深い。正岡君が書く従軍記事なら、写実でなくては困るよ」という発言はどのような史実に基づいているのかを問うものである。

 (注)この質問に対して、今日(124日)、西村与志木氏名で回答が届いた。その全文と私のコメントは次の記事で掲載するが、視聴者コミュニティが質した、「戦争の本質から目をそらして、やたらと戦意をあおるだけの新聞は罪深い。正岡子規君が書く従軍記事なら、写実でなくては困るよ」という鷗外の発言は、「ドラマの主旨に基づいて作ったオリジナルです」と記されている(下線は引用に当たって追加)。

 
これを読んで、たかがドラマの中のワン・シーンの会話に目くじらを立てることはないとか、ドラマなのだから脚色があるのが当たり前、いちいち史実と照合してどうこう言う方がおかしい、といった異論も予想される。実際、歴史学者やメディア研究者・市民団体が『坂の上の雲』の第1部の放送開始当初から原作は史実をどのように歪めたか、NHK制作のドラマは史実を歪めた原作にどのように向き合い、脚色を加えたかを問題にしてきた(私もその一人)。こうした問いかけに対して、ドラマなのだから楽しめればそれでよい、史実との一致にこだわる必要はないという反発に出くわすのが稀でなかった。

 この問題を突き詰めると、「原作物の歴史ドラマは史実からどこまで離れることが許されるのか」という問題に行きつく。これについて、折しも、NHKのドラマ番組専任ディレクターで、「ハゲタカ」や「白洲次郎」などを手掛けた大友啓史氏が『毎日新聞』に連載中の<時代を駆ける>の(3)(1126日掲載)で語った内容が「史実との違い どこまで」というタイトルで掲載された。これは龍馬伝の制作について語った記事だが、その中の次の箇所は、大友氏にかぎらず、歴史「ドラマ屋」と自称するNHKの番組ディレクターに共通する意識を凝縮しているように思えた。

 「間違い探しばかりしていると、スタッフの意識が委縮して、思い切ったものができなくなってしまいます。」
 「事実がどうだったかといことはもちろん意識しますが、僕らドラマ屋が追い求めるのは、多くの方々に楽しんでいただける作品です。」

 
はたして、そうか? 少なくとも、私が歴史ドラマをめぐって問題にする史実との対応とは、屏風の絵や衣装などの風俗考証ではなく、題材にされた時代の政治・外交・社会・経済、文化等の骨格をなす事件の歴史的評価や実在の人物の思想・信条に関わる表現と史実との対応である。なぜなら、こうした歴史的事件をドラマがどう描くかはドラマに登場する実在人物の人格権に関わると同時に、ある歴史的事件をテーマにしたドラマの中にノンフィクションとフィクションが混在すると、その事件について特別な予備知識を持たない多くの視聴者はどこまでが史実でどこからが制作者の作為かを見分けることが難しくなる。とりわけ、昨今の歴史ドラマにみられるように、エンターテインメント性、物語性、恋愛ストーリーを重視するあまりに史実を軽んじたり、史実を恣意的に切り張りしたりする傾向が増長すると、読者や視聴者の間にあやふやな歴史「認識」に基づく歴史「観」が交錯し、歴史認識が絡む今日の外交問題を巡る民意の形成を誤導することになりかねないからである。

 ほかでもない『坂の上の雲』は明治期に日本が起こした2つの戦争を直接の題材にした歴史小説であること、これらの戦争を「祖国防衛戦争」と描いた司馬遼太郎の歴史認識をめぐって内外で激しい論争がかわされてきたこと、原作でもNHKのドラマでもほぼ完全に無視されたがこれら2つの戦争期に日本軍による朝鮮王宮占領事件や皇帝すげ替え(クーデター)事件、朝鮮王妃殺害事件まで起こった事実を直視すると、『坂の上の雲』は「楽しめる」ドラマに脚色するのに、ひときわ不似合いな歴史小説である。

司馬は原作を完全なノン・フィクションの作品と自認していた
 なお、これに関連して、もともとドラマの原作『坂の上の雲』は所詮は歴史小説だから、史実と一致しない箇所があるのは当たり前で、史実に拘束されるものではない、といった議論が少なくない。しかし、この点について司馬遼太郎は「文春文庫 新装版」第8分冊のあとがき集に収録された「首山堡と落合」の冒頭で次のように記している。


 「『坂の上の雲』という作品は、ぼう大な事実関係の累積のなかで書かねばならないため、ずいぶん疲れた。本来からいえば、事実というのは、作家にとってその真実に到達するための刺激剤であるにすぎないのだが、しかし、『坂の上の雲』にかぎってはそうではなく、事実関係に誤りがあってはどうにもならず、それだけに、ときに泥沼に足をとられてしまったような苦しみを覚えた。」(第8分冊、369ページ)


 さらに、司馬は199424日に東京・海上自衛隊幹部学校で行った講演の中で『坂の上の雲』を執筆した当時を振り返って、「小説というのは本来フィクションなのですが、フィクションをいっさい禁じて書くことにしたのです」と語っている(「『坂の上の雲』秘話」『文芸春秋』200912月、臨時増刊号、104ページ)。

 このような当人の言葉から言っても、『坂の上の雲』の叙述と史実の対応を問題にすることは司馬自身の意思にそぐわないどころか、むしろ、資料の考証に費やした司馬の労苦に応分の敬意を払う態度といってよいのである。もちろん、だからといって『坂の上の雲』に史実との不一致がないことを保証するものではないし、たとえば、歴史小説に臨場感を添えるために、史料には残されていない緊迫した戦場での会話を原作に挿入することが必要になるのは当然だろう。そのような場合、題材にした場面の前後の史実から「蓋然性」を推論できるような会話を挿入することに私は疑問を挟むつもりはない。

 しかし、たとえば、上の質問にある森鷗外の「戦争の本質から目をそらして、やたらと戦意をあおるだけの新聞は罪深い」という発言が実在したかどうかは、森鷗外という実在の著名な歴史文学者であり軍医のトップに登り詰めた人物の戦争観、戦争報道観に関わるだけに、その信憑性を質すことを「間違い探し」といってかわすことは許されない。まして、原作にもないこうした発言をNHKがドラマ制作にあたって「創作」したとなれば、その是非をめぐって論議が起こるのは当然である。

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