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会長選考の経過に関するNHK監査委員会の調査報告書について意見を送付

新聞でも報道されたが、NHK監査委員会は225日に「新会長任命にいたるまでの過程についての調査報告書」を公表した。

監査委員会の調査報告書全文 
 http://www.nhk.or.jp/kansa-iinkai/condition/pdf/report_110225.pdf 

 これについて、私は昨日(226日)、NHK経営委員会・監査委員会宛に意見・要望を送った。全文は次のとおり。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/keieiiinkai_kansaiinkai_ate_iken_20110226.pdf


                                                                               
2011226

NHK
経営委員会・監査委員会 御中


   NHK監査委員会の会長選調査報告書に関する意見

                              醍醐 聰

 225日にNHK監査委員会が公表された、「新会長任命に至るまでの過程についての調査報告書」に関する意見をお送りします。この意見は私が所属する視聴者団体の意見ではなく、私個人の意見です。

1.各委員に調査の後遺症、自己規制を生まないように
 監査委員会が報告書の冒頭で、「本調査対象事象は、NHKが最も尊重すべき報道の自由の根幹である取材源の秘匿に関する調査であること、経営委員会は公開と透明性を旨として運営されるべきことには十分な尊重と配慮を払いつつ本調査を実施した」(2ページ)と記されていることに率直に賛意をお伝えしたいと思います。もともと私は、今回の調査が情報漏洩の有無を調べる「犯人捜し」に矮小化されてはならず、視聴者の知る権利、それに応えるがために報道機関に与えられている取材の自由を侵害しないよう配慮されなければならないと考えていましたので、こうした調査の基本姿勢は望ましかったと考えます。
 
 ただし、今回のように個々の経営委員から、職務遂行の過程での情報管理のあり方を聞き取り調査したという事実そのものが、一人一人の委員の今後の言動を委縮させる「後遺症」や発言の行き過ぎた「自己規制」を生まないよう、透明で視聴者に開かれた委員会、委員の言論の自由を尊重する運営に徹していただくよう望みます。 

2.会長選考の中枢にいた小丸氏の責任逃れを許してはならない 
 調査報告書を読み終えて痛感するのは、今回の会長選考の中心人物であり、候補者との接触という点でも重要な情報を誰よりも保有された小丸氏が聞き取り調査に応じられなかったことが、今回の調査を中途半端なものに終わらせた最大の原因になったという点です。 
 
 とりわけ、注目すべきなのは、「就任の要請」だったのか、「打診」だったのかは別にして、経営委員会・指名委員会が候補者の実名、打診の優先順位を決めた1221日の2日前(1219日)に、小丸氏が安西氏と接触し、同氏を会長候補と見立てた対話をしたことを監査委員会が報告書の中で認定された点です。このことは小丸氏が、NHK会長の選考という、経営委員会の職務の中でも最重要事項の一つといえる職務を遂行するにあたって、委員会でまだ合議がされていない段階で特定の人物に独断で接触されたことを意味し、経営委員会の合議体制を根本からないがしろにした行為であったことは明白です。

 小丸氏が監査委員会の聞き取り調査に応じられなかったのは、こうした合議無視の独断専行を調査されるのを忌避するためだったと受け取られても致し方ありません。また、同氏が経営委員長を辞任するだけでなく、会長選考の迷走の事後検証を待たず、経営委員の辞任も申し出、「一市民となったので」という口吻で聞き取り調査に応じなかったことは独断専行の調査から免れる無責任で卑劣な態度と言わなければなりません。

3.非公式のルートで選考・打診が進められた疑念の解明を
 これと関連して見過ごせないのは、松本正之氏を会長に選ぶ段階でも、経営委員会の合議を脇に置いて、経済界の人脈で会長候補の模索・打診が水面下で進行した形跡があるという点です。昨年末から年明けにかけて、いくつかの報道機関が社説や記事の中で、具体的な人選まで経済界の人脈を頼って進められたと伝えています。とりわけ、見過ごせないのは、松本正之氏の名前が経営委員会で出たのは115日が初めてと言われているにもかかわらず、松本氏はその2日前の113日に、JR東海の葛西敬之会長を通じて間接的に会長就任を打診されていたと発言された点です(『毎日新聞』2011116日)。これが事実とすれば、大多数の経営委員が与り知らないところで、経済界の人脈を通じて松本氏への打診が進行していたことになります。

 つまり、下線部分が事実とすれば、安西氏に対する打診の過程にとどまらず、NHK会長に松本氏を決定する過程でも、ほとんどの経営委員が与り知らないところで、経営委員でもない同じ業界の財界人が仲介に入って、松本氏への打診が進められたことになります。この点が事実かどうかを調査するところまで進まなければ、今回の会長選考が残した問題点を掘り下げて解明したことになりません。また、今回の会長選考にこうした非公式な人選・打診のルートが介在したのかどうかは、会長選考の手続きの当否や情報漏洩の有無にとどまらず、選考方法、選考基準にも関わるだけにうやむやに済ませてはなりません。そのためには、監査委員会が小丸氏も含め、関係者に対する厳正な調査をされる必要があると考えます。

4.経営委員会と監査委員会の職責の混在
 最後に、今回の監査委員会の調査報告書を読んで、従来から感じていた経営委員会と監査委員会の職務と権限の分掌に関する疑問がさらに深まりましたので、指摘いたします。
 NHK経営委員会のホームページに掲載されている「NHK経営委員会とは」というページ
http://www.NHK.or.jp/keiei-iinkai/about/index.html)に、<NHKの経営体制>という図解が示されています。この図の中の「経営委員会」と「監査委員会」の関係を示す矢印と職務の分掌の説明文を見ますと、経営委員会は監査委員会の職務執行を監督し、監査委員を罷免する権限を持つ一方で、監査委員会は経営委員の職務執行の監査をするとされています。「監督」か「監査」かという用語の違いはあるにせよ実質的に、経営委員(会)と監査委員会は相互に監督しあう関係にあることになります。2つの組織がこうした相互関係にあることがただちに異常かどうかは慎重に検討しなければなりませんが、今回の調査に当てはめた場合、次のような疑問が生まれます。

 というのは、今回の調査は経営委員全員を対象にしたと記されているものの、調査の進め方を見ますと、監査委員を兼務する3人の経営委員は調査する側、監査委員以外の経営委員は調査をされる側となっています。しかし、私見では、今回の報告書が指摘した経営委員全員による情報共有の弱さ、意思疎通の弱さはつまるところ、経営委員会全体の合議・ガヴァナンスの機能不全を意味します。小丸氏の独断専行と思われる行動が生じたのも、究極の原因を辿れば、経営委員会の合議体制・ガヴァナンスの機能不全に帰着するのではないでしょうか? 
 
 こうした機能不全が生じた原因を究明するには、監査委員がその職務を適切にまっとうされたのかどうかを検証することが不可欠ですが、今回の調査ではこの点について経営委員会は監査委員を対象に調査・検証をされたのでしょうか? 

 このように見てきますと、言葉の上ではともかく、実際には監督(監査)する者とされる者がクロスする現在の経営委員会の体制はガヴァナンスの面で機能不全を生みやすい要因を孕んでいると思われます。ましてや、12名中11名が非常勤という経営委員会が常勤の監査委員の職務の執行状況を監督するのは至難のことと思われます。また、監査委員を兼務される常勤の経営委員が会長選考にあたって指名委員を兼務されるのは、経営委員会内部での職務の執行機能と監督・監査機能の混同を意味しますので、こうした兼務は避けるべきだと考えます。
 以上指摘しました点を委員各位はどのようにお考えでしょうか? 

 「自分たちは放送法で定められた職務の分担に従って粛々と任務を遂行しているまでだ。法制度に関わることをどうこう言えない」と応答されるかも知れません。しかし、経営委員会・監査委員会のガヴァナンスを有効に機能させる上で、現行の放送法に不備があると認識されるなら、その是正を堂々と立法府に要請されるべきではないでしょうか? そうしたアクティブな行動をとおして貴委員会が、NHKの会長選任をはじめとする重責を立派にまっとうされ、わが国における公共放送・NHKを視聴者本位の方向に充実・発展させるために貢献されることを心より願っております。

                              以上

             居間でタオルケットを自分流に「模様替え」して寝入ったウメPhoto

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コメント

昨日NHKの、「日本人はなぜ戦争に向かったのか(3)熱狂はこうして作られた」という番組を見ました。
その中で桐生悠々が信濃毎日に書いた軍批判の記事が、弾圧されたいきさつが説明してありました。

しかし良く考えて見ますとこれは弾圧とは言え無いように思えました。

桐生の新聞記事に抗議したのは、信州在郷同士会という民間団体で、その脅しと言うのは、「もしこのような批判を続けるならば、不買運動を起す」というものでした。
新聞社は不買運動をされては、経営が成り立たない、と恐れて、抗議に屈したので、桐生は辞職した、と言うものでした。

これが現在戦前にあった軍部弾圧と言われているものの大部分の実態だと思われます。

まず軍部が組織として、公的に弾圧したものではなくて、民間団体が非公式に(民主的手続きに従って)抗議したものだったということです。
決して武力をもって脅したものではありません。

次の問題は、新聞社は不買運動を恐れて屈した、という点です。

つまり新聞がこのような軍の批判をすることを国民大衆は憎んでいた、ということがあって、不買運動は容易に実行できる環境にあった、と言うことです。

ここから解ることは、軍国的熱狂は国民の側にすでに盛り上がっていて、これを批判するような新聞記事を書いたのでは、新聞が売れなくなる、という現実が先行していた、ということです。

軍国的熱狂は新聞によって作り出されたものではなくて、国民の熱狂が先に出来上がっていて、新聞はこの国民の熱狂に逆らえなかった、ということです。


今回のNHKの放送はこのようなことを推定できる内容だった、と言う意味でかなり良いものだったと私は思っています。

しかし番組を見た人が、私のようには理解できそうには思えない、と言う意味で、かなり不満足なものでした。

しかし私のこの文章を読んでいる読者の人にも、私のこの国民責任論はなかなか理解できないもののようですから、NHKの責任を追及するのは酷というものです。

NHKを批判している人々自身のレベルアップがまず必要だと思います。

投稿: 小林哲夫 | 2011年2月28日 (月) 20時09分

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