市民の自発性を阻む行政の壁、社協の壁
支援物資を届けようと出かけたのだが
3月22日、私たち佐倉市の市民有志はこのたびの大震災の避難者の受け入れに市が積極的に対応するよう市長宛に申し入れた。これに対する市の回答を待つ間に、岩名公園内の青少年センターに福島県から避難者3世帯・7名が入所されているという情報が入った。うち2名は高齢のご夫妻で食材の調達に苦労をされているとも聞いた。ならば、私たちからセンターに出向いて、避難生活の様子を伺い、なにかサポートできることはないか、確かめようということになった。
といっても、自治体相互の話し合いで受け入れが決まった方々なので、勝手に押しかけるのは控えなければと、28日、とりあえず、思い当たる物資を持って、被災者の受け入れ窓口になっている市の交通防災課へ8人で出向いた。私たちが同課に着いたのは10時40分ごろ。それから青少年センターに着いたのは3時間10分後の午後1時50分。順調にいけば、11時過ぎには着けたはずの場所なのに。なぜ、こんなに手間取ったのか? 説明しだすと長い文章になるが、一言でいえば、市民の自発性を阻む2つの壁――行政の壁、社協(市の社会福祉協議会)の壁――がこれだけの時間の「浪費」(私には浪費としか言いようがない)を招いたのだ。
行政の壁
22日の申し入れの趣旨に沿って、市と連携し協働して避難者支援のボランティア活動を行いたいという私たちの申し出に対し、交通防災課の危機管理監I氏は、「市として十分対応できているので、今はその必要はない」との返答。その一方でI氏は「水道水の事まで交通防災課に回ってきて、このところ、大忙し。今、任務の分担の見直しを要望しているところ」という。「それなら、なおさら、受け入れ後の避難者の生活サポートは市民のボランティアに委ね、市は本来業務をしっかりやってほしい」という私たちとしばし、議論。結局、I氏は、「それなら社協に行こう」ということで、私たちを社協が入っている別棟へ案内する。
社協の壁
社協の部屋では、地域福祉推進グループのNさんが応対された。用件を告げた上で、「ボランティア登録をする必要があれば、手続きをしますが」と尋ねると、「今、ボランティアセンターを立ち上げようとしているところ。それまで待って下さい。」「わかりました。立ち上ったら登録しますので連絡を下さい。ひとまず、今日、これから物資を持ってセンターへ出向きたいので、駐在の職員に連絡をお願いしたい」というと、I氏もNさんも口をそろえて「それは困る。待ってほしい」の一点ばり。そこへ、青少年センターで避難者と会ってきたという児童福祉課の職員A氏が現れて「避難者の要望は私が聞いています。何も不自由はありませんということでしたので、皆さんが行かれる必要はありません」と同調。「しかし、今日は新しく8名の方が到着されるのでしょう。初めて来た地で実際に生活を始めて、少しずつ足りないもの、必要なことが出てくるのが普通じゃないですか?」「受け入れ施設の確保や災害現場の復旧など、市は独自の業務を。避難して来られた方々の生活サポートは市民のボランティアで分担するというのが本来の形では?」といったやりとりに。今度はI氏いわく、「それなら皆さんの物資は私が持っていきますから、預けて下さい。」「ええ? 大忙しのはずのあなたは、そんなことに時間を使わないで、大切な交通防災の仕事をやってくださいよ」といったやりとりが続いた。
それでも社協のNさんは必死の表情で私たちを止めようとする。たまりかねて私が、「社協って何ですか? 行政の後ろ盾があるにせよ、民間団体ですよね。私たちも市民のボランティア・グループですよ。社協さんの態勢が整うまで、他の市民グループは活動を待ってと言われる筋合いはないですね」と言うと、しぶしぶ頷く。しばらく、激論をした末、センターの様子を問い合わせることに。I氏によると、「避難者の方は今、食事中なので時間をずらしてとのこと」。
私たちも市役所の食堂で昼食をとった後、再度、交通防災課に連絡して、センターの様子を問い合わせるよう依頼すると、またもやI氏が私たちがいた一階のロビーにやって来て、「避難者の方はこちらに着かれたばかりなので、しばらく間をおきたい」とのこと。(実はこれはずさんな返答であることがセンターへ行ってみて分かった。施設の外で車から降りてきたのが避難者の方とわかり、近づいて声をかけると、「私は市の職員の方から、地元のボランティアの人と会うことについて何も聞かされていない」とのこと。その後、しばし、和やかな会話を交わした。)
それならばと了解した上で、せっかく物資を持ってきたので、今からセンターへ出向いて駐在の職員の方に預けて引き上げるというと、I氏は行ってもらっては困ると言い出す。これには呆れて問い詰めているところへ、交通防災課の課長が心配そうな表情でやってきた。経過を説明すると、「では私がセンターに連絡します」といって、課の部屋へ戻る。すぐに戻って来た課長は、「来てくださいということでした」というあっけない返事。
市民部長が支援物資を届ける場面を待ち受けたテレビ・カメラ
この後、出向いた青少年センターでは、ひとまず、物資を届けることができたが、帰り際、なんとも後味の悪い光景に出くわした。私たちが物資を届けて建物の外へ出ると、2台ほどの公用車がやって来て車を止めた。どこの車だろうと尋ねると「社協です。」ドアを開けてたくさんの物資を搬入し始めた。カメラをぶら下げた2人の職員を含む5人ほどの一行の中から作業服の人物が下りてきて大きな段ボール箱を抱えて玄関に向かって歩きだした。私たち一行の中の一人が低い声で、「市民部長だよ」。その場面を待ちうけるかのようにカメラを待ちかまえた2人の職員が「パチリ」。おまけにCATVの取材車まで到着した。「取材ですか」と尋ねると「ええそうです」、「市から連絡があってこられたのですか?」、「ええ、そうです」と答えて市民部長らの方へ近づいていった。
市を代表して物資を届ける市民部長の晴れやかな姿がCATVの画面や社協の広報誌に登場するのも遠くないことだろう。私はそんな「善意の宣伝」を見たくもないが。
目の当たりにした、まやかしの「市民参加」
市民を自分の管理下に置かないと不安でたまらない旧態依然の行政。福祉というと社協に身内同然に丸投げする自治体。その行政を後ろ盾にして市民のボランティア活動を仕切りたがる社協。こうした行政と官制法人の二人三脚の福祉独占体制がボランティア活動への市民の自発的参加を狭め、創意を抑制する悪弊の元凶になっていると言っても過言でない。一握りの常連の「市民」、「学識経験者」を座長に据えて、審議会を行政が遠隔操作するうわべだけの「市民参加」も、この日私が体験した行政の悪弊と同根と思える。
最近のコメント