« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

市民の自発性を阻む行政の壁、社協の壁

支援物資を届けようと出かけたのだが 
 3
22日、私たち佐倉市の市民有志はこのたびの大震災の避難者の受け入れに市が積極的に対応するよう市長宛に申し入れた。これに対する市の回答を待つ間に、岩名公園内の青少年センターに福島県から避難者3世帯・7名が入所されているという情報が入った。うち2名は高齢のご夫妻で食材の調達に苦労をされているとも聞いた。ならば、私たちからセンターに出向いて、避難生活の様子を伺い、なにかサポートできることはないか、確かめようということになった。
 といっても、自治体相互の話し合いで受け入れが決まった方々なので、勝手に押しかけるのは控えなければと、28日、とりあえず、思い当たる物資を持って、被災者の受け入れ窓口になっている市の交通防災課へ8人で出向いた。私たちが同課に着いたのは1040分ごろ。それから青少年センターに着いたのは3時間10分後の午後150分。順調にいけば、11時過ぎには着けたはずの場所なのに。なぜ、こんなに手間取ったのか? 説明しだすと長い文章になるが、一言でいえば、市民の自発性を阻む2つの壁――行政の壁、社協(市の社会福祉協議会)の壁――がこれだけの時間の「浪費」(私には浪費としか言いようがない)を招いたのだ。

 行政の壁
 22日の申し入れの趣旨に沿って、市と連携し協働して避難者支援のボランティア活動を行いたいという私たちの申し出に対し、交通防災課の危機管理監I氏は、「市として十分対応できているので、今はその必要はない」との返答。その一方でI氏は「水道水の事まで交通防災課に回ってきて、このところ、大忙し。今、任務の分担の見直しを要望しているところ」という。「それなら、なおさら、受け入れ後の避難者の生活サポートは市民のボランティアに委ね、市は本来業務をしっかりやってほしい」という私たちとしばし、議論。結局、I氏は、「それなら社協に行こう」ということで、私たちを社協が入っている別棟へ案内する。

 社協の壁
 社協の部屋では、地域福祉推進グループのNさんが応対された。用件を告げた上で、「ボランティア登録をする必要があれば、手続きをしますが」と尋ねると、「今、ボランティアセンターを立ち上げようとしているところ。それまで待って下さい。」「わかりました。立ち上ったら登録しますので連絡を下さい。ひとまず、今日、これから物資を持ってセンターへ出向きたいので、駐在の職員に連絡をお願いしたい」というと、I氏もNさんも口をそろえて「それは困る。待ってほしい」の一点ばり。そこへ、青少年センターで避難者と会ってきたという児童福祉課の職員A氏が現れて「避難者の要望は私が聞いています。何も不自由はありませんということでしたので、皆さんが行かれる必要はありません」と同調。「しかし、今日は新しく8名の方が到着されるのでしょう。初めて来た地で実際に生活を始めて、少しずつ足りないもの、必要なことが出てくるのが普通じゃないですか?」「受け入れ施設の確保や災害現場の復旧など、市は独自の業務を。避難して来られた方々の生活サポートは市民のボランティアで分担するというのが本来の形では?」といったやりとりに。今度はI氏いわく、「それなら皆さんの物資は私が持っていきますから、預けて下さい。」「ええ? 大忙しのはずのあなたは、そんなことに時間を使わないで、大切な交通防災の仕事をやってくださいよ」といったやりとりが続いた。

 それでも社協のNさんは必死の表情で私たちを止めようとする。たまりかねて私が、「社協って何ですか? 行政の後ろ盾があるにせよ、民間団体ですよね。私たちも市民のボランティア・グループですよ。社協さんの態勢が整うまで、他の市民グループは活動を待ってと言われる筋合いはないですね」と言うと、しぶしぶ頷く。しばらく、激論をした末、センターの様子を問い合わせることに。I氏によると、「避難者の方は今、食事中なので時間をずらしてとのこと」。

 私たちも市役所の食堂で昼食をとった後、再度、交通防災課に連絡して、センターの様子を問い合わせるよう依頼すると、またもやI氏が私たちがいた一階のロビーにやって来て、「避難者の方はこちらに着かれたばかりなので、しばらく間をおきたい」とのこと。(実はこれはずさんな返答であることがセンターへ行ってみて分かった
。施設の外で車から降りてきたのが避難者の方とわかり、近づいて声をかけると、「私は市の職員の方から、地元のボランティアの人と会うことについて何も聞かされていない」とのこと。その後、しばし、和やかな会話を交わした。)
 それならばと了解した上で、せっかく物資を持ってきたので、今からセンターへ出向いて駐在の職員の方に預けて引き上げるというと、I氏は行ってもらっては困ると言い出す。これには呆れて問い詰めているところへ、交通防災課の課長が心配そうな表情でやってきた。経過を説明すると、「では私がセンターに連絡します」といって、課の部屋へ戻る。すぐに戻って来た課長は、「来てくださいということでした」というあっけない返事。

 市民部長が支援物資を届ける場面を待ち受けたテレビ・カメラ
 
この後、出向いた青少年センターでは、ひとまず、物資を届けることができたが、帰り際、なんとも後味の悪い光景に出くわした。
私たちが物資を届けて建物の外へ出ると、2台ほどの公用車がやって来て車を止めた。どこの車だろうと尋ねると「社協です。」ドアを開けてたくさんの物資を搬入し始めた。カメラをぶら下げた2人の職員を含む5人ほどの一行の中から作業服の人物が下りてきて大きな段ボール箱を抱えて玄関に向かって歩きだした。私たち一行の中の一人が低い声で、「市民部長だよ」。その場面を待ちうけるかのようにカメラを待ちかまえた2人の職員が「パチリ」。おまけにCATVの取材車まで到着した。「取材ですか」と尋ねると「ええそうです」、「市から連絡があってこられたのですか?」、「ええ、そうです」と答えて市民部長らの方へ近づいていった。
 市を代表して物資を届ける市民部長の晴れやかな姿がCATVの画面や社協の広報誌に登場するのも遠くないことだろう。私はそんな「善意の宣伝」を見たくもないが。

 目の当たりにした、まやかしの「市民参加」

 市民を自分の管理下に置かないと不安でたまらない旧態依然の行政。福祉というと社協に身内同然に丸投げする自治体。その行政を後ろ盾にして市民のボランティア活動を仕切りたがる社協。こうした行政と官制法人の二人三脚の福祉独占体制がボランティア活動への市民の自発的参加を狭め、創意を抑制する悪弊の元凶になっていると言っても過言でない。一握りの常連の「市民」、「学識経験者」を座長に据えて、審議会を行政が遠隔操作するうわべだけの「市民参加」も、この日私が体験した行政の悪弊と同根と思える。

| | コメント (0)

過酷な現実を視聴者に突きつけることこそ放送メディアの使命

 このところ、NHKを始め多くのテレビは避難所で被災者が「励まし合い」、「明るく生きる姿」、子供たちが「けなげに」手伝いをする光景、奇跡的に救助された人の病室にまでカメラを入れて、感動の話題を提供するのに腐心しているように見える。私も、避難所となった体育館で、避難生活のままの服装で、必死に涙をこらえ、「この辛い体験を生かして・・・・」と切れぎれに答辞を述べる卒業生の姿を見ると、胸が熱くなる。しかし、テレビが「明るい話題」をこれでもかこれでもかと追い求め、その映像効果に注力する状況を見ていると、今回のような大震災の時に放送メディアに期待される使命をはき違えていると思えてならない。

 ごく一握りの「明るい話題」の横で、人口7万人の福島県南相馬市で、放射能を恐れる人が次々と街を離れ、残るのは2万人には物資の輸送が滞り、各世帯の食料は尽きかけて、「このままでは餓死する人が出かねない」と伝えられている(asahi com 2011年3月23日20時1分)。宮城、岩手、福島の避難所では嘔吐する人が目立ち、医薬品が乏しく、暖房が不十分で風邪をひく人も多い、着替えが不足し、トイレの状態も劣悪で、先行きが見えない避難生活が原因でストレスが極限に来ている人が少なくないと伝えられている(毎日新聞、321日、942分配信)

 しかし、テレビ、特にNHKは、このような過酷な避難生活の実態を伝えようとしないし、伝える場合でも原発問題か、被災地の明るい話題に長い時間を割いた後のごく短い時間である。わずかに岩手県陸前高田市にある老人保健施設で、入所していた高齢者15人が別の施設に避難したあと、震災によるストレスで食事の量が減るなどして、相次いで亡くなったことを報道したにとどまる323 1332 NHKオンライン)。

 いったい、NHKは、ごくまれな「ほほえましい」話題にスポットを当てて、世の中を明るくする役回りを期待されているのだろうか? そのよう明るい話題のかげで、高齢の被災者が、災害時にではなく、避難所で亡くなるという現実、被災者の中から餓死者がでないとも限らない、ストレスが極点に達している実態を伝えないでよいのか? 

 避難所に救助物資が届いた時、手を合わせ、感謝の言葉を口にしながら、それを受け取る被災者の姿も何度、画面に登場したことか? しかし、そのような「明るい」話題が訪れるまでは、餓死に至るかも知れない境遇に追いつめられていた被災者の過酷な避難生活は画面には、ほとんど登場しないし、国民の生命を守るべき政府がそれにふさわしい、どのような救援活動を指示しているのかを伝えようともしない。

 「暗い現実」を明るく描く、あるいは「暗い現実」に埋もれがちな明るい話題に灯をともすのが放送メディアの役割ではない。「暗い現実」をあるがままに視聴者に突きつけるのが放送メディアの役割である。メディアの役割は現実を生みだすことではない。現実を、現実の核心をえぐり出して視聴者に突きつけ、視聴者の思考を揺さぶり、暗い現実を打開するための思惟と行動の糧を提供するのが放送メディアの役割なのだ。

| | コメント (4)

広がってきた賛同の輪~市民主体のささやかな被災者支援運動(続報)~

身近なところに被災の爪痕が
 一つ前の記事で、私が住む地域で市民主体のささやかな被災者支援運動を始めたことを紹介した。この記事はその続報であり、運動を進める中で出会った体験のメモである。
 18日にご近所の数人の知人と声を掛け合って始めた活動――もっと本腰を入れて被災者受け入れの態勢をとるよう行政に求める運動――だが、明日22日に市役所へ賛同署名を添えて要請に出向くというスケジュールが決まったこともあって、有志が手分けして署名を呼びかけたところ、賛同の輪が広がってきた。
 私も昨日、手紙を添えて同じ丁目、近隣の丁目の知人15軒に署名欄付きの要望書を届けたところ、昨夜から今までに家族や知人の署名が記入された用紙が次々に戻ってきた。
 その中には、私が署名用紙を届けた知人から転送された用紙に記入をして拙宅まで届けに来られた方もあった。玄関先で連れ合いと立ち話しなって事情を聞くと、つい3日前にお母さんが福島から緊急避難して来られたばかりとのこと。しかも、そのお母さんが避難所で食事もままならなかったためか、こちらへこられて急に体調を崩され、一時、救急車で病院に運ばれたとのこと。また、同じく署名用紙を届けてもらった近所の方も実家が仙台で心配し続けておられる最中とのこと。さらに、ご近所の別の方によると、ご両親が福島から避難して来られ、近くのマンションに入られたという。
 少し、声かけをしただけでも、このように大震災の爪痕が自分のすぐそばに及んでいることを思い知らされた。さらに、このように頼れる身寄りがない被災者は今なお、暖房も乏しく、食事にも事欠く被災地周辺の避難所で救援物資が届くのを待ち焦がれているのである。
 このような現実を知ると、「近隣の自治体に抜け駆け的に受け入れOKを公表したりできない」とか、「松戸市のように受け入れOKを公表すると問い合わせが殺到して混乱してしまう」などと、今なお事無かれ主義に汲々としているわが自治体当局の姿勢を一市民として情けなく思える。

市民も支援に参画を~自治体に支援を促すだけでなく~
 しかし、自治体に「もっと本腰を」と叱咤するだけでよいわけではない。市民も自分たちにできる支援の方法を積極的に提案し、行政と協同していく姿勢を、あるいは市民が協同できる開かれた被災者支援の態勢づくりを、行政に要請することが重要である。受け入れ可能な施設の確保の面と財源の面から、この点を具体的に考えてみたい。

どこにどんな施設が~市民からの情報提供~
 被災者支援を行政に要請しようとすると、まっさきにぶつかるのは、自分の自治体区域のどこに、どれだけ、一定期間、被災者を受け入れできる施設なり、空き部屋なりがあるのかである。こうした支援のためのハードな部分は行政が主体的に確保するほかないが、市民としても自分たちの居住区域のどこに利用可能な施設(公営はもとより民営も)があるのかという情報を行政に提供することが重要である。これについて私たちの議論の中ではいろんなアイデアが出た。

 「近くの某大学のセミナーハウスは年数回(新入生のガイダンス、夏の合宿など)しか使われていないようだから、あそこを借り受けできないか? 駅前のホテルは日頃、夜になっても照明がつかない部屋が多い。そういう空き部屋を市が一定期間借り上げられないのか? 松戸ではお寺に5世帯を受け入れたそうだ。それなら、近くの●●寺だって、頼めないのか?・・・・・」

 そこで、私は22日市へ出向いて本腰で支援をと要請する時、「私たちの近くにこんな候補施設がある。是非あたってほしい」とプリント資料を添えて説明をしようと提案した。

財源は?
 私たちの要望書では、財源について次のように提案している。

3.空き部屋確保に必要な市の財源については、市の予備費や不要不急の歳出予算を削減するなどして捻
出する策をご検討いただき、その上で不足する分は広く市民に義捐金を募って賄う案を検討いただくよう、提案いたします。このような自分たちの身近な場所での目に見える被災者支援であれば、多くの市民の共感と賛同が得られると私たちは確信しています。

 これについて知人の中には、公営ならともかく民間施設についてあてにするのは難しいし、第三者である市民がどうこういうのは無理ではないかという意見が返す人もあった。これについて私たちは他の都府県で旅館、民宿、ホテルなどを自治体が一定期間借り上げ、それを被災者に無償で提供する例が少なくないという実例を紹介するのにとどまっていた。

 しかし、その後、国は被災地でない都道府県が避難者を積極的に受け入れできるよう財源の面で災害救助法の適用を弾力化する方針を打ち出した。厚労省「東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第22報)」平成23319日、がそれである。その要旨は、被災地でない都道府県が避難所や応急仮設住宅を設置した場合や旅館・ホテルを借り上げた場合でも相当な経費を国庫負担するというものである。
 その先例として、新潟県中越地震の時に自治体が避難所として、旅館やホテルを借り上げる場合は115,000円(食事込み)を国庫が負担した。また、岩手・宮城内陸地震の時に、自治体が応急仮設住宅として民間賃貸住宅を借り上げる場合は、寒冷地仕様を考慮して一戸当たり月額6万円を国庫が負担した。
 こうした国庫負担は被災地の自治体が行なう支援策(具体的には被災自治体の財政力に応じて、軽費の5割~9割を国庫負担)であり、被災地でない都道府県が行なう支援策の場合は国庫負担率がこれよりも低くなると考えられる。したがって、地元自治体の負担部分を賄う財源をどうするのかが問題になるが、これについては、私は要望書に下線を付けた部分の考え方が踏襲されるべきだと考えている。
 
市議会にも全会派の共同で市に本腰を入れた支援を促す動きが
 
私たちは今回、市長宛の要望運動を始めるにあたって、市議会の全会派に協力を要請し、少なくとも全会派1人ずつの議員に22日の要望の場に同席してもらうよう要請しようということになった。そして、有志が手分けして市議に当たった結果、今現在で4つの会派、5名の市議会議員と1名の県議会議員から同席するという返答をもらっている。

 さらに、私たちが接触した市議会議員によると、連休明けにも市議会全会派の共同で市に対し、もっと本腰を入れた被災者支援・受入れの態勢を早急に整えるよう求める申し入れをする協議が進んでいるという。市民と議会が共同歩調でこのような被災者支援の運動を実行できるなら、大変有意義なことと思う。様々な創意をこらしながら、このような運動が全国に広がることを願っている。

| | コメント (0)

市民主体の被災者支援運動のささやかな第一歩

一刻を争う被災者のための安息の場の確保
 318日の夜7時のNHKニュースによると、東北地方と関東甲信越を中心に大震災の被災者が身を寄せる避難所は2,304か所、避難している人の数は28万人余りに上るという。さらに、福島第一原発の事故を受けて、ここ数日、福島県の外に避難する人々が増加している。今後、屋外避難の圏が広がるにつれ、こうした遠隔地への「疎開」はますます増加するものと考えられる。
 他方、これらの人々を受け入れる態勢はどうかというと、ここ数日の間に公共施設などへの被災者の受け入れを表明する自治体が南は九州まで全国に広がっている。しかし、それでも、18日夜の時点で、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県を除く44都道府県が一時避難の施設として受け入れを確保したのは107,000人分にとどまっている(『時事通信』調べ)。
 その間、真冬並みの寒気に襲われた避難所では体力を消耗して死亡する高齢者が相次いでいる。それだけに今、過酷な避難生活を強いられている被災者のために安息の場を確保し、それら施設への確実な移動手段を確保することが一刻を争う急務となっている。

自治体に支援の輪が広がってきたというが
 
確かに全国の自治体の間に避難者を受け入れる支援の輪が急速に広がっている。佐賀県は18日、公営住宅や旅館、民間アパートなどを活用し、県民からもホームステイ先を募って、3万人規模の受け入れを発表した。関西を中心とした7府県による関西広域連合も数万人の被災者を受け入れる方針を決め、一時遠隔避難所には入浴設備やプライバシーを確保できる仕切りなども準備するという。そして、行政や市民団体などが受け入れた被災者のケアにあたる。関西までの輸送は、自衛隊や民間輸送機関に協力を求める方針だ。

 しかし、被災者受け入れに積極的な自治体が大部分かというとそうではない。私が住む千葉県では、17日現在、459戸を県内3市1町(旭市、香取市、浦安市、九十九里町)の被災者にまず充当し、余裕があれば県外の被災者を受け入れることも検討中という。まずは県内の被災者の支援に当たるのは当然だが、「県外を受け入れる場合、国や当該県からの要請が前提となる」とのこと。何という主体性のなさか。これでは地域主権を語る資格はないに等しい。また、私が住む市では3日前までは、市内で被災し住居をなくした世帯を対象に4戸の公営住宅を確保したと公表するにすぎなかった。

 そこで、私は自分の地元でできる被災者支援の方法は何なのか考え込んだ。思案のすえ、近所の知人に声をかけ、話し込むうちに、「わが市がこんな支援策とは嘆かわしい」、「もっと真剣に受入れ可能な施設なり空き部屋を調査するよう申し入れよう」、と同時に、「行政にただ、しっかりやれ、というだけでなく、自分たちも市の前向きな被災者支援に応えて、利用可能と思われる施設の情報提供、受け入れた被災者の生活支援のために募金も含むボランティアとして協力を惜しまないという意思も伝えよう」ということなった。

まずは自分が住む自治体に向けて
 
そして、昨日(19日)の午後、それまでばらばらに意見交換・情報交換をしていた知人6人が喫茶店に集まり、案文をもとに、わいわい議論をして市長宛の申し入れ文書(要望書)をまとめ、これをもとに知人らに賛同の署名を呼びかけることにした。また、数名ずつ分担して、市議会のすべての会派(の議員)に市長への働きかけに協力を要請することにした。市の担当部署との交渉の結果、22日に要望書を提出することになった。そして、その日のうちに申し入れに賛同の署名をしてくれた議員もあった。市議会自体にも全会派が共同で市に対し、もっと本腰を入れて支援策を打ち出すよう働きかける動きが出てきた。

 私はこうした市民主体の被災者支援のささやかな運動が全国各地に広がり、大きな輪になるなら、大震災で今後長期にわたって苦難の生活を強いられる被災者の生活再建に少なからぬ貢献ができるのではないかと感じ始めている。そして、これが机上の言葉で終わらない、「共助」の実践の慎ましい一歩ではないかとも思える。
 この記事をご覧いただいた方々が、ご自身の居住地域で市民が主体となって被災者支援の取り組みを行政に促す、そして、それだけでなく、自分たち自身にできることを考え、行政に提案し、実践する運動を起こしていただけたら、うれしく思う。
 以下は、22日に提出する予定の市長宛要望書である。
 
       「東北関東大震災被災者支援についての緊急要望」
   http://sdaigo.cocolog-nifty.com/shicho_ate_yobosho20110322.pdf

                       2011(平成23)年322
佐倉市長 蕨 和雄 殿
佐倉市市議会議員 各位
        
       東北関東大震災被災者支援についての緊急要望書

 311日に東北・関東地方を襲った空前の大地震と津波による被災者は今、暖房も食糧もままならない各地の避難所で過酷な耐乏生活を強いられ、体調不良に陥って一命を落とす高齢者が増えています。こうした現実をテレビで知らされた多くの市民は心を痛め、自分にもできる支援はないかという思いに駆られています。とりわけ、原発施設からの放射能漏れの情報が刻々知らされるにつれ、少しでも遠方へ避難しようとする人々がこの先、多数に上ることが予想され、そうした人々を受け入れる体制づくりが急務となっています。
 そのような中、報道によれば、各地の自治体が公営あるいは民間の施設(旅館・ホテル、民宿等)に被災者を受け入れる準備を進めています。千葉県では旭市での津波による被災者を救援する体制づくりに取り組んでいますが、佐倉市は目下のところ、岩名青少年センター内の施設に受け入れる準備を進めるのにとどまっています。しかし、報道では遠く鹿児島県が福島県で被災した3世帯を受け入れ、千葉県でも松戸市が市の施設に入所できなかった5世帯のいわき市民をお寺に受け入れたと伝えられています。
 そこで、私たち市民有志は、佐倉市ならびに佐倉市市議会議員各位に以下のことを緊急に申し入れいたします。各位におかれましては、被災者の切迫した状況に照らして、至急、この申し入れをご検討いただき、行政と市民が文字通り協同して、一刻も早く被災者支援の取り組みを進められるよう、リ-ダ-シップを発揮してくださることをお願いいたします。

1.まずは、公営はもとより、民間でも、一定期間、被災者を極力無償で受け入れることができる集合住宅なり施設が市内にどれほどあるか、至急、調査をしていただくこと。私たちが知る限りでも相当数の空き部屋がある民間集合住宅やセミナ-ハウス等が見受けられます。

2.上記のような集合住宅等にある程度まとまった空き部屋を一定期間、佐倉市が事業者から低廉な価格で確保し、被災者に無償で提供する構想をご検討下さい。事業者との交渉にはいろいろと難しい問題(市の財源、事業者への補償のあり方、退去時の原状復元等)があるとは思いますが、その財源については次項で提案いたします。

3.空き部屋確保に必要な市の財源については、市の予備費や不要不急の歳出予算を削減するなどして捻出する策をご検討いただき、その上で不足する分は広く市民に義捐金を募って賄う案を検討いただくよう、提案いたします。このような自分たちの身近な場所での目に見える被災者支援であれば、多くの市民の共感と賛同が得られると私たちは確信しています。

申し入れ団体:東北関東大震災被災者を支援する佐倉市を応援する市民有志

| | コメント (0)

〔速報〕物資ストップの屋内待避は見殺し同然~南相馬市長の悲痛な訴え~

 国の屋内待避指示が出ている原発30km圏内の自治体の模様を『河北新報』は、次のように伝えている。

不満と恐怖 地元限界 物資ストップ「見殺しに等しい」
(河北新報
3

17()613分配信)

 「このままでは見殺しだ」。東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)で続く空前の危機に16日、福島県内の不安は極限に近づいた。屋内退避の指示が出た原発から30キロ圏内の自治体は極端な物資不足に陥った。自治体関係者らは「物流が止まった」「まるでゴーストタウンだ」と支援態勢に不満と怒りをぶつける。巨大津波に続き、迫る恐怖。放射性物質から逃れようとする人は、列島を横断して日本海側などへと向かった。(福島総局)

 原町区、小高区などに屋内退避指示が出ている南相馬市。
 桜井勝延市長は「退避指示の影響なのか、医薬品も油も何も入ってこなくなった」と陸の孤島と化した現状を説明する。
 市内には、東日本大震災の津波で行方不明になった家族を捜すため、被ばくの恐怖におびえながら残る人もいる。火葬の油も調達できず、遺体は腐敗しつつあるという。
 「住民に家にこもっていろというのは見殺しに等しい。国が命を守るというのは空文句だ」と桜井市長。「国や県は現地に足を踏み入れ、惨状を目の当たりにしたらどうか」と痛烈に批判した。
 市の一部が30キロ圏内の田村市も16日、一気に食料などが入ってこなくなったという。ガソリンもなく、ボランティアらが歩いて高齢者の自宅を訪ね、世話をする状態だ。
 冨塚市長は「国は原発が爆発したら何キロまでが危険かを明確に示し、危ないのなら受け入れ先を調整すべきだ。このままご飯がもらえないと、ここにいる人は死んでしまう」と訴える。
 同じく市北部の一部が30キロ圏内に入るいわき市。市地域医療対策室の男性職員(48)は「実際はほぼ全市で屋内待避している。まるでゴーストタウンだ」と嘆いた。
 南相馬市の北隣、相馬市に退避指示は出ていないが、既に脱出した市民も多い。市内の男性(39)は「逃げられるものなら逃げたいが、ガソリンが底を突きかけている。まして避難所にいる知人らは逃げろと言われても逃げるすべがない」と表情を曇らせた。
 原発から少しでも離れようと、県北部の福島市や伊達市に避難する人も増えている。伊達市では、地震による市内の避難者約800人に避難所からいったん帰宅してもらい、原発事故の避難者受け入れに切り替えた。


文明国の威信にかけて~政府に求められる緊急の行動~
 放射能被爆の恐怖におびえる住民に向かって、安全圏にいる人間が「冷静に」などといえるものではない。ただ、この地域での今現在の被爆の程度なら健康に影響を及ぼすものではない、というなら、そのことを少しでも多くの専門科学者が一致した見解として公式に表明し、人々がパニックに陥って脱出を図る行動で混乱が拡大するのを少しでも防ぐことが必要と思う。

 しかし、それ以上に重要なことは、

 ①一定圏外への退避を政府として対象住民に指示する以上、待避先を政府の責任で確保すること、
 ②屋内待機を政府として指示した地域の対象住民に対しては、政府の責任で速やかに生活物資を搬送し、医療体制を確保すること、それでも30km圏外へ退避することを希望する住民には政府が責任を持って移動の手段を確保すること、

である。国民の生命と健康を守るという文明国の威信にかけて、「見殺し」などと言われる事態を招かないよう、政府は機敏で決然とした行動を起こすよう求められている。

| | コメント (0)

今、問うべきは「何が必要か」ではなく、「必要な物資がなぜ迅速に届かないのか」である

 <以下は、東北関東大震災に関するテレビ報道番組を視た私の感想・意見である。これを今日、一視聴者の意見としてNHKFAXで送った。>

マイクを向ける相手がずれている
 東日本大震災の被災地では今、難を免れた約45万人の人々が真冬並みの気候の中、厳しい避難生活を強いられている。とりわけ、燃料不足は深刻で、自分たちの暖をとる燃料はもとより、多くの遺体を火葬する燃料も当てがなく、被災者からは「支援はいつ来るのか」、「きょうは運よくボランティアの支援が届いた。行政からの支援は一滴もない。定期的補給がなく不安だ」という悲痛な声が上がっているという(「時事通信」316()、1723分配信)。

 そのような現実の最中、競うように避難所に駆け付けたテレビ・レポーターたちは、疲れ切った表情の被災者にマイクを向け、異口同音に「今、一番必要なものは何ですか?」と問い掛けている。それには決まったように、「薬、食べ物、暖房、水・・・・」といった答えが返される。こういう場面を何度、テレビの画面で視たことか。

 被災者が何を一番必要としているかを知ること、伝えることは、救援を効果的なものにする上で重要な情報であり、報道である。しかし、大地震から5日目が過ぎようとする今の時点で、多くの報道を通して被災者が何を求めているか歴然としている今なお、定番のように、同じ問いかけをするレポーターの「空気が読めない」鈍感さが情けなく思えてならない。私が被災者だったら、レポーターにこう言い返すに違いない。

 「マイクを向ける相手がずれていませんか? 私たちは散々同じ問いかけを受け、その都度、同じ答えをいやというほどお返ししました。今、急を要するのは被災者に向かって『何を必要としていますか?』と問うことではなく、被災者が一刻を争うように求めているものがなぜ避難所に届かないのかを、救援する側に問うことです!」

燃料を一滴でも早く
 南相馬市の病院の医師はマイクに向かって、もはや医薬品が尽きた。一刻も早くここへ運んでほしいと訴えていた。同市の市長も懇願するように一刻も早い救助を求めていることを国に伝えてほしいとレポーターに訴えていた。
 青森県の三村申吾知事は16日、被災地・東北地方を代表して首相官邸や経済産業省、農林水産省を訪ね、重油やガソリン、灯油などの石油燃料を一滴でも早く被災地へ供給するよう要請していた。そして、輸送のルートとして被害が小さかった青森港まで大型船で燃料を運び、北からタンクローリーなどで被害の大きい宮城、岩手の両県に輸送することを提案していた(sankeibiz2011.3.1617.07)。

 つまり、今、被災者救援で焦眉の問題は、「被災者は何を求めているのか」ではなく(そんなことはとっくに分かっている)、「被災者が切望している物資が被災者のもとに届かないのは、なにがネックになっているからなのか」を至急、明らかにすることである。届けるべき物資が足りていないのか? 物資は調達されているが、約2,500に上るといわれる避難場所がマッピングされていないからなのか? あるいは、輸送ルートが確保されていないからなのか、その場合、陸路が遮断されているからか?それとも空輸の手段、ルートが確保されていないからか? ・・・・こうしたネックとなっているものを地域ごとに具体的に明らかにし、それを取り除く作業を組織的に進めることこそ、今、急を要するのである。 

 寒気に覆われ、衛生状態が日増しに悪化する環境の下、1日おにぎり一個が珍しくないというという厳しい状況では、かろうじて生き延びた人々、とりわけ病弱の高齢者、ミルクを切らした赤子が体力消耗により避難所で衰弱死に追いやられる事態も生まれかねない。こうした痛ましい事態をなんとしても避け、救える命を救う努力が一刻を争うタイミングで求められている。


メディアの非当事者原則と報道による被災者支援は両立する
 メディアは現実に直接関与する当事者ではなく、現実をリアルに伝える観察者であることを私も承知している。問題はその観察の眼光を何に向けるのかである。被災者の疲労困憊した表情と肉声を伝えること自体が被災者に「寄り添うこと」だと思い込むとしたら、それは安直な心情に過ぎない。被災者支援にとって、「今」、「焦眉の問題は何なのか」という鋭利な視点ーーーこれこそ、今、大震災報道に携わる人々に強く求められている。

 折しも、今日(316日)の夕刻あたりから、このような視点に沿った救援の動き、それを伝える報道が目に留まるようになった。

 NHK On Line19時のニュースで「救援物資 輸送ルート確保急ぐ」というタイトルで、東北地方の太平洋側の海沿いの道路や鉄道が各地で寸断された状況の中、国土交通省が東北地方の内陸部や日本海側から被災地に救援物資などを送るルートの確保を急いでいると伝えた。「道路」では、内陸部を走っている東北自動車道を緊急交通路に指定するとともに、通行できる車両を救援物資を運ぶトラックなどに限定したこと、高速道路以外では、首都圏から東北地方の内陸部を南北に結ぶ国道4号線を背骨として、そこから東側にある太平洋側の各都市と結ぶルートの復旧を急いでいること、16日は新たに岩手県の陸前高田市に入るルートが確保されたことを伝えた。
 「鉄道」に関しては、東京から新潟などを経由し、日本海側のルートで新潟から山形と通って青森や北海道を結ぶJR貨物を使って支援物資を運ぶこと、このルートでは、コンテナに救援物資を積載するとともに、一度に大量のガソリンを輸送できる「タンク貨車」で輸送し、途中からトラックやタンクローリーで太平洋側の被災地に届けることを国交省が検討していると伝えた。
 また、「空路」では、現在使用できる空港のうち、花巻と山形、福島の各空港で24時間態勢で航空機による救援物資の輸送が行われているという。

  ただし、これらはいわば、動脈に当たる輸送ルートである。問題は、その先、つまり、各ターミナルに集結された物資を今なお孤立した避難地まで輸送する足まわりをどのように確保するのかである。特に、倒壊した建物や流木などによって陸路が遮られたところで、空路の輸送ルートを国など救援する側はどのように確保しようとしているのかーーーこの点を追跡する調査報道が求められている。
 このような報道こそ、メディアが非当事者原則を堅持しながらも、過酷な苦難を強いられた被災者の切迫した求めに応える役割を果たすものといえる。

| | コメント (0)

被災地へ一刻も早い救援の手を~初めての帰宅難民体験記~

一刻も早い救助と救援を
 突然、東日本を襲った大地震。病院の屋上に逃れ、上空から近づいたヘリコプターに向かって、傘を広げて大きく振ったり、SOSの文字を書いたりして救助を求める人々の切迫した姿がテレビの画面に映ると、いたたまれない。一刻も早い救出の手が届くよう願ってやまない。
 また、街の建物すべてをなぎ倒していく津波の様子を高台から茫然自失の表情で見つめる釜石市住民の姿が映し出されると自分が当事者だったらと思わずにはいられない。津波と火災に街全体がのみこまれてしまった東北地方の太平洋沿岸の市町村の方々には衷心よりお見舞いを申し上げるととともに、冷え込みが厳しい避難所で不安を抱えながら、不自由な夜を過ごしておられる被災者の方々のもとへ迅速に救援の手が届くことを願ってやまない。

東京大空襲資料展を見に浅草公会堂へ
 私事にわたるが、11日、午前9時半頃家を出て、連れ合いと一緒に浅草公会堂1階のギャラリーで開かれている「被災66周年 東京大空襲資料展」に出掛けた。このところ、連れ合いは体調が思わしくなかったが、幼心の記憶に刻みこまれた東京大空襲を思い起こす機会にしたい、そして11日が最終日とあって、この資料展に出掛けることにしたのである。
 また、この資料展を見た後、新宿ニコンサロンで開催中の広瀬美紀写真展「わたしはここにいる――requiem 東京大空襲」も観ることにした。2008313日に銀座のニコンサロンで開催された広瀬さんの写真展に出掛けたが、この時の感想をこのブログに書き留めている。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/requiem_1b63.html

 その折、受付で記名したご縁からか、3日前に広瀬さんから案内状をもらったこともあって、こちらも是非出掛けようと思い立ったのだ。

 さて、昨日、東京大空襲資料展を見終え(大変、勉強になったので落ち着いたら、このブログに写真も添えて感想を書きたいと思っている)、近くの浅草寺の境内にある焼けイチョウや旧仁王門の礎石、母子地蔵尊など空襲の爪痕を見て回った。その後、吾妻橋そばのレストランで食事をとり、銀座線で渋谷へ出て、山手線に乗り換えて新宿へ向かうことにした。

移動途中の山手線内で
 そして、14時46分ごろ、運転中の山手線の車両が大きく左右に揺れたかと思うと電車は急停車、直後に車内放送が「地震のため、急停車」と告げた。外を見ると、となりの線路上方の架線が大きく波打っていた。車内では断続的に同じ放送が繰り返された。また外を見るとカラスなど鳥が大声で鳴きながら上空を旋回するのが見えた。やがて、線路沿いの建物の屋上を通る電柱の周辺にたくさんの鳥が鳴きながら集結してきた。その間、何度か余震があった。しばらくして、状況が呑み込めたのか、周りの乗客は携帯を取り出してニュースを検索し出した。私も慣れない手つきで同じ動作を始めたが、さすがに若い人の方が早い。やがて車内の電気はすべて切られた。携帯で家族や友人と連絡を取ろうとする人が増えたが、だんだんつながりにくくなったようだ。私は急停車してまもなく、娘にEメールで状況を伝えた。

 周りは見知らぬ間柄だったが、時間が経つにつれ、「九段会館の天井が落ちて怪我人が出たらしい」などと声を出し合って携帯で確かめた情報を交換しあうようになった。時間が経つにつれ、母親に連れられ、立ったままの幼子が不安に駆られたのか泣きだしたのを見て、近くのシートに座っていた人が席を譲った。
 結局、運転再開のめどは立たないと判断したようで、16時過ぎに「最前方の車両から順番に降りて、代々木駅まで歩いていただきます」という放送が流れた。一人ずつ可動式の階段で線路に降りて20分ほど歩いて代々木駅に着いた


Photo_2
20110311_2
 しかし、今、情報不足のまま、改札を出ても行き先が定まらないので、車内で知り合った人といっしょに駅構内にあった電光掲示板で地下鉄やJRの運転状況をしばらく見入った。そのうちに今日中の運転再開の見込みはないことがわかり、思案のすえ、連れ合いの実家にお世話になることも考え、池袋へ向かって明治通りを歩くことにした。といっても日頃、都内は地下鉄で移動する私には行き方が不慣れで、何度か道順を尋ねる歩行になった。しかし、道路は同じような帰宅困難者であふれ、前へ進むのもままならなかった。そのうち、車道に出て歩く人の列ができ始めた。

帰宅難民の体験をして
 
帰宅できないとなると、気になるのは飼い犬(ウメ)のこと。近所の知人宅になんども携帯で連絡を取ってみたが制限がかかっていて、すぐ遮断される。携帯電話やEメールをあきらめて、歩行途中で見つけた公衆電話でと思うが、どこも長い列。比較的待つ人が少なかった3カ所目でなんとか知人につながる。こちらの様子を伝え、「夕方の散歩と食事を」と告げると、「お出かけと聞いていたので、心配になってウメちゃんの様子を見にいったところです」とのことで、散歩と食事を快諾してもらい、心配ごとが一つ解決した。しかし、連れ合いの実家とは連絡が取れないまま。
 
 すると今度は空腹をおぼえ、こんな時は早めに腹ごしらえをと思い、副都心線の西早稲田駅手前の明治通り沿いの店に入って一息。ふたたび外へ出てひたすら歩いたが、なかなか池袋にたどり着かない。途中、道路脇のコンビニに入って予備食を用意しようとしたが、すべて売り切れ。
 歩き始めて約3時間、ようやく池袋駅にたどりついたが、突然、親戚に押し掛けるのは避けたいと思い、3箇所ホテルに立ち寄ったがすべて満室とのこと。連れ合いの説得もあって、今夜は実家で泊めてもらうことにした。

 ニュースでは何千、何万の人が駅構内や行政があっせんした仮の休憩所で一夜を過ごしたそうだが、それと比べると、私たちは恵まれていた。冷えた身体にと出された暖かいコーヒーを飲みながらテレビを見入り、次第に津波などによる被災の全貌がわかってきた。

 翌12日は義姉の心づくしの朝食を済ませ、テレビのニュースで自宅まで交通機関の運転が再開されたのを確かめて、帰宅の途に着いた。大手町経由の経路だったが、土曜日ということもあって、どの駅も思ったより乗客は少なく、スムーズに帰宅できた。

 玄関では飼い犬が何事もなかったかのように陽を浴びて寝そべっていたが、居間はたてながの書棚が倒れ、開き戸の食器棚からグラスなどが飛び出して粉々に飛び散っていた。夕方まで片づけに追われたが、近くのコミュニティセンターで天井が崩れ落ちたというにしては、わが家の状況は被害といえるほどのものではなかった。

 以上、甚大な被害を蒙られた東北の方々からいえば、語るほどのこともない災難であるが、後から考えると、地震の影響で脱線してもおかしくなかったと思えるほど激しい揺れだった。そして、何よりも「帰宅難民」という言葉を初めて実感した体験だった。
 肝心の携帯電話がいざという時、通話制限や電池切れで役に立たないこと、それを見越して公衆電話をもっと確保しておくべきではないか、避難所や乗り物内に閉じ込められ、外と情報が遮断されがちな被災者にどのようにして被災の全体的情報と緊急に要する対応策を伝えるのか、帰宅困難者用の宿泊所などをいかにして迅速に確保し、それを周知するのかなど、ささやかな体験ながら、いざとなると否応なしに直面する問題に対する日頃から備えを整えておくことの重要性を知る体験になった。

 最後に、不幸にして今回の大地震で亡くなられた多数の方々にお悔やみを申し上げるとともに、今、この時刻にも建物の屋上や避難施設にとどまっている人々のもとに迅速な援助と救援の手が届くことを祈念する次第である。
 

| | コメント (0)

高過ぎる薬価にメスを~クローズアップ現代「追いつめられる患者と財政」を視て(2:完)~

問うべきは高い薬剤費の構造
 私が問い返すべきと思うのは、限られた財源の配分いかんという「価値判断」以前の、医療または医療保険財政をめぐる「事実認識」の問題である。

 1.高額療養費が医療(保険)財政を追いつめるというが、2007(平成19)年度の支給実績によると、それは16,234億円で、国民医療費総額(341,360億円)に占める割合は4.76%に過ぎない。これだけのウェイトの高額療養費負担が医療保険財政を「追いつめている」というのはいささか誇張ではないか? また、国民医療費の水準を問題にするのであれば、日本の総保険医療支出の対GDP比が11.8%で、OECD加盟国中21位、OECD加盟国の平均値(12.9%)を下回っている現実(OECD編著/鐘ヶ江葉子訳『図表でみる世界の保険医療 OECDインディケータ』2009年版、163ページ)も指摘されるべきである。

 2.番組の中で、「患者の症状がわずかでも改善すれば、家族や介護施設の負担が減らせる」という海外の識者の意見が紹介された。このように、公的財政負担の効果を患者本人にとどまらず、その家族、さらには医療施設に及ぼす波及的な効果にまで視野を広げて観察する視点は極めて重要と思えるが、番組ではこの点がフォローされなかった。医療費の公的負担に費用対効果の視点をどこまで適用するのか、深い検討が必要だが、適用する場合には把握しやすい費用と比べ、効果の方は測定の範囲が患者本人の病状の改善度に限られがちである。しかし、それとともに、患者の家族や医療施設の精神的経済的負担を軽減する効果も視野に入れる必要がある。

 3.難病の療養費が高額化する最大の要因として医薬品が高額なことが挙げられた。確かに需要が限定され、高度な研究開発を必要とする新薬の開発費が割高となるのは避けられない。しかし、医療保険財政全体でそうした高額な医薬品をどこまで負担できるのかを問題にするのであれば、現在の医療保険財政の全体を総点検したうえでなければ、高額療養費を「全部面倒をみたらパンクする」と簡単に言ってしまえないはずである。
 そこで、現在の医療保険財政の全体を総点検していく中で気が付くのはほかでもない、日本の場合、国民医療費に占める薬剤費の割合が国際比較で異常に高いという点である。2008年度でいうと、薬剤費比率はドイツ15.1%、米国11.9%、イギリス11.8%に対し、日本は20.1%と突出している。
 次に、薬剤費の変動要因を数量要因(処方箋枚数)と価格要因(1枚当たり調剤医療費)に分けて検討すると、次のとおりである。

            H18年度  H19年度 H20年度   H21年度
調剤医療費(億円)    47,468     51,673       54,402    58,695
(対前年度比%              3.4    8.9    (5.3) (7.9
処方箋枚数(万枚)           68,955    70,739       72,008     73,056
(対前年度比%             3.9    2.6)   (1.8    1.5
1
枚当たり調剤医療費(円) 6,884      7,305         7,555       8,034
(対前年度比%             (▲0.5) (6.1)   (3.4) (6.3
(厚生労働省「最近の調剤医療費(電算分)の動向~平成21年度~」より)

 これを見ると、近年の調剤医療費の増加は処方箋枚数の増加ではなく、調剤医療費の単価の増加に起因していることがわかる。つまり、日本の医療費に占める薬剤費の割合を押し上げている要因は、世上いわれてきた「薬漬け」ではなく、薬価の高さによるものであると判断できるのである。

製薬メーカーの異常な高収益~逼迫する医療保険財政の対極で~
 そこで、医薬品を製造し、卸業者を通じてそれを医療機関に納入しているわが国の製薬企業の損益構造を概観すると、次のとおりである。

       
    医薬品製造企業の百分比損益計算書(2008年度)

                          
製造業  医薬品製造業  武田薬品工業  第一三共

売上高         100.0               100.0                100.0               100.0
売上原価              83.9                 34.7                  26.1                 25.5
 売上総利益             16.1               65.3                  73.9                 74.5
販管費                       14.9               48.6                  46.0                 64.0
 うち、研究開発費  5.7                19.1                  31.5                 21.9
 営業利益                  1.2                16.6                  27.9                 10.6
営業外収益                  3.1                  2.0                    3.8                   1.5
営業外費用                  1.7                  1.1                    0.8                   5.5
 経常利益       2.6               17.5                  30.8                  
6.6


(製造業、医薬品製造業は資本金100億円以上。これら業種のデータは、経済産業省産業政策局調査統計部『企業活動基本調査報告書』2009年版、武田薬品工業と第一三共のデータは両社の「有価証券報告書」)

 
つまり、医薬品業界は新薬開発に莫大な研究開発コストがかかり、薬価を引き下げると、日本の医薬品の開発力が落ちてしまうと口癖のように唱え、新薬開発のインセンティブを維持し高めるためにと薬価改訂にあたって様々な新薬加算制度(画期的加算、市場性加算、新薬創出加算など)の導入を働きかけてきた。しかし、上のデータを見ると、確かに製造業平均と比べ、売上高研究開発費比率がきわめて高いことは確かだが、その研究開発費を控除した上での営業利益率は医薬品業平均(16.6%)で製造業平均(1.2%)の13.8倍を記録し、業界トップの武田薬品工業(27.9%)は実に製造業平均の23.3倍の営業利益率を記録している。こうした傾向は2008年度に限ったことではなく近年、一貫している。)
 その結果、2009年度末現在で、医薬品製造業全社の利益の内部留保(利益剰余金)の合計は6.1兆円、武田薬品工業1社で2.6兆円に達している。ちなみに、武田薬品工業の利益剰余金の金額は同じ時点の負債総額の3.3倍に相当する。

 このようなデータは医薬品の売価が製造原価との対比で異常に高い水準にあること(売上高原価率が業種平均で34.7%)、そして、これをベースに医療保険に請求される薬剤費の水準を公定する薬価が決められていることを意味する。

高過ぎる薬価を生み出す薬価算定制度
 具体的にいうと、現在の薬価算定方式では、類似薬がないと判定された新薬を薬価に収載するにあたっては原価計算方式で薬価を算定することになっているが、現在、厚労省は日本政策投資銀行が刊行している『産業別財務データハンドブック』(平成18年発行)に記載された医薬品製造業の平均営業利益率19.2%を営業費用(流通経費を除く)に上乗せして算定することにしている。しかも、その上で革新性があると(厚労省が)認めた医薬品についてはこの19.2%からプラス50%を上限として加算することを認めている(ただし、革新性がないと判断した場合は逆に減算することにしている)。

 例えば、201062日、98日、1126日に開催された中医協総会に総数36の新医薬品が薬価収載予定の薬品として提出されたが、そこで薬価算定方式として原価計算方式が採用された13の医薬品の薬価の補正加算等の状況を調べると、平均営業利益率(19.2%)のままとされたものが8例、10%加算(19.2×1.121.1%)されたのが1例、20%加算(19.2×1.223.0%)されたのが1例、30%加算された(=19.2%×1.325.0%)のが1例、5%減算(19.2×0.9518.2%)されたのが2例であった。
 これは限られた事例ではあるが、平均営業利益率に対して補正が施される際には減算もあるにはあるが、それを大きく上回る加算がされる場合の方が多いことがわかる。つまり、新医薬品の薬価算定にあたっては、もともと製造業平均と比べて著しく高い営業利益率が
既得権かのように保証され、その上にさらに大幅な加算がなされているのである。

 また、類似薬がある新医薬品を薬価に収載するにあたっては、類似薬効比較方式が採用されるが、このことは、①原価計算方式で薬価が算定された既成の医薬品と薬効が類似するとみなされる新医薬品には、多くの場合、それ自体、異常に高い営業利益率が保証された上に種々の補正加算がされた薬価が踏襲されると同時に、②ここでも、有用性加算等の名目で高率の補正加算が施されることになっている。ちなみに、上で挙げた、201062日、98日、1126日に開催された中医協総会に提出された13の新医薬品のうち、2例について5%、3例について10%、1例について15%の加算がそれぞれ認められている。
 このような実態は、裁量的な補正加算によって医薬品製造業では、ある場合には業種平均で異常に高い営業利益率が保証され、またある場合には異常に高い営業利益率をさらに螺旋状に上昇させる仕組みが公認されていることを意味する。

 こうした現実を見据えると、医療保険財政を「追いつめている」大きな原因の一つとして、高すぎる薬価を指摘できるだろう。したがって、医療財政の逼迫を打開するカギは高額療養費の抑制にあるのではなく、高すぎる薬価を正常な水準まで引き下げることにあるといえる。クローズアップ現代がこのような実態を追跡する続編を企画することを期待したい。

| | コメント (0)

あきらめの勧めで終わってよいのか~クローズアップ現代「追いつめられる患者と財政」を視て(1)~

金の切れ目が命の切れ目
 1月25日、NHKのクローズアップ現代は「問われる夢の医療~追いつめられる患者と財政~」というタイトルの番組を放送した。番組の専用サイトは、この番組の趣旨を次のように解説している。

 「いま、命を救うはずの夢の新薬によって、窮地に追い込まれる患者や家族が急増している。ここ数年、がん治療の最前線では、細胞中の分子をピンポイントで攻撃する『分子標的薬』が登場し、以前は助からなかった患者の延命治療が可能になるなど目覚ましい効果があがっている。しかし、薬には巨額の開発コストがかかるため、患者は一度使い始めたが最後、生涯、高額な薬代を負担し続けなければならず、経済的な理由から使用を中断する患者が後を絶たないのだ。患者団体は国に助成を求めているが、医療保険財政逼迫のため対策は容易ではない。番組では、“費用対効果”の観点から医療制度を大きく見直したイギリスの取り組みなども紹介しながら、高度医療と財源のバランスをどう取るべきなのかを考える。」

 このような趣旨に沿って、前半では高額の医療費に「追いつめられるがん患者」の実態をKさんの実例を追いながら描いた。Kさんは10年前に骨髄の中ががん細胞で侵され、白血球が増加する「慢性骨髄性白血病」を発症した。当初は平均生存期間45年と言い渡されたが、細胞中の分子をピンポイントで攻撃する「分子標的薬」「グリベック」を服用し始めると、1ヶ月でがん細胞は正常範囲に収まった。

 しかし、「夢の医療」は患者にとって朗報と喜んで済まなかった。1錠約3,130円のグリベックを1日4回服用すると高額療養費制度を利用しても、患者負担は月44,000円、年間約50万円になる。Kさんは、夫婦で経営していた店が不振になったこともあり、家計への負担に悩んだ末、妻に内緒で「グリベック」の服用を止めてしまった。すると、症状が急速に悪化、服用を再開したものの手遅れで効かず、昨年11月に死亡した。番組は残された妻の、「貧乏人は死ねということか。悔しい」という言葉を伝えた。「金の切れ目が命の切れ目」という諺そのものの現実を見せつけた場面だった。

高額療養費で医療保険財政も追いつめられる?
 番組はその後、高額療養費を理由に「夢の新薬」の服用を止めてしまう患者が低所得層に限られないという現実を伝え、このままでは、経済的な理由で医療を受けられないという国民をなくすために50年前に国民皆保健を作った前夜の状況に戻ってしまう、そうならないよう、患者負担が軽減するように医療制度を見直すことが急務になっているとも伝えた。

 しかし、番組の後半は、患者の負担から医療財政の負担に話題を転じ、患者負担を肩代わりする医療保険や公的財政が急増する高額療養費の負担で窮迫する現状を様々なデータを使って伝えた。2010年には37.5兆円の国民医療費が2025年には52兆円に達するという予測、高額療養費の利用実績(平成8年度)が12千億円に達している等々。その間、番組では医療経済専門家が登場し、「一体どこまで公的医療保険で面倒をみるのか」、「全部認めたらパンクする」といった発言を紹介した。
 これほど新薬が高額になる理由を識者は、「バイオなど新しい技術を使いますので、薬の開発、製造に大きなコストがかかります。また、遺伝子変異の有無などで、効くか効かないかが決まりますので、対象となる患者さんは絞られ、薬剤の流通量は限られます。そうした理由で、一部の薬は驚くほど高い価格になっています」と解説していた。

患者負担と財政負担の狭間で
 では、医療保険財政の限界を見据えながら、患者負担も抑ええるという難しい課題をどう解決すればよいのか? 番組は海外の先進例も紹介しながら、2つの方法を紹介した。
 一つは、がんなどの最新医療のコストを下げる試みである。アメリカのがんワクチンは、体内から免疫細胞を取り出して作るので800万円近い費用がかかるのに対し、免疫細胞を取り出さずに体内で活性化させ、増やす方法でコストを大幅に引き下げた久留米大学の例が紹介された。
 次に、症状に応じて優先度をつけて医療費を配分しているイギリスなどの例が紹介された。例えば、アメリカのオレゴン州では、がんなどの治療に優先的に財政負担を充てることによって患者負担をゼロにする一方、かぜなどは優先順位の低い症状とみなして全額患者の自己負担としている例が紹介された。もっとも、このように公的負担を費用対効果で選別することにはイギリス国内で批判が強いことも紹介されたが。

あきらめの勧めで終わってよいのか?
 番組を見終えて、関係者以外に知る機会が少ない高額療養費に苦しむ患者とその家族、それを負担する医療保険の財政の実情を伝えたこと自体、貴重なドキュメンタリーだと思えた。そして、その後、調べてみると、「高額療養費に追いつめられる」患者・家族はほかにも少なくないことがわかった。
 その一つに、リウマチ新薬がある。2003年から徐々に使えるようになった遺伝子工学で作られたリウマチ新薬で症状が消えたり、改善したりする患者が着実に増えたと言われている。しかしその一方で、高価な新薬を使えない患者もいる。「日本リウマチ友の会」(会員約2万人)がこのほどまとめたリウマチ白書(2009年7月に調査表郵送)によると、回答した患者8,307人のうち、新しい生物学的製剤を使う患者は5年前の5%から29%に急増した。その結果、1年前と比較して症状が消えたと答えた患者は2%から4%と倍増。「良くなった」も27%に増えたという。つまり、治らない病気というリウマチのイメージが変化し、寛解から治癒までも患者は期待し始めているという。しかし、医療費の自己負担は1ヶ月平均で3万円以上が15%に増え、高額なため新薬を使えないという患者も4%いたという。(以上、熊本日日新聞 2011225日朝刊)

 クローズアップ現代は、このように高額療養費で追いつめられる患者とその家族の過酷な現実の一端を伝えるには伝えた。しかし、それに続けて、様々なデータや識者の発言を駆使して、患者の自己負担を肩代わりする医療財政の限界を強調し、印象付けた。
 このような番組の顛末を見届けて私は、ほかでもない番組の前半で登場したKさんの遺族、あるいは番組を注視したと思われる全国の「高額療養費に追いつめられる患者とその家族」、さらにはその担当医師は番組の後半で語られた、「一体どこまで公的医療保険で面倒をみるのか」、「全部認めたらパンクする」という識者の発言をどのような思いで受け止めたのだろうと、想像をめぐらさずにはいられなかった。これでは、患者らに向かって「あきらめの勧め」を口説いたのも同然ではないか? 私が当事者なら、おそらくそう感じただろう。

 しかし、それは感情論であって、厳しい財政事情をあるがままに伝えるのもメディアの役割だ、そういう現実をどう打開するかはメディアの役割ではなく、現実を知らされた人々(行政当局者も含めて)が考えることだ、という答えが返って来そうである。
 しかし、私は一見、もっともらしい冷静を装ったこのようなシニカルな態度こそ、冷静に問い返されなければならないと考えている。(以下、続稿)

| | コメント (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »