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復旧なくして復興なし~被災地は高邁なロマンの実験場ではない~

 政府は大震災からの東日本の復興策の青写真を検討する「復興構想会議」を立ち上げ、14日、首相官邸で初会合を開いた。議長には五百旗頭真氏(防衛大学校長)が選ばれ、委員には内館牧子(脚本家)、玄侑宗久(臨済宗住職)、中鉢良治(ソニー副会長)、橋本五郎(読売新聞特別編集委員)の各氏と5人の大学教授、それに岩手、宮城、福島の各県知事らが加わった。また、特別顧問(名誉議長)として哲学者の梅原猛氏が選ばれた。

「単なる」復旧?
 菅首相は「復興構想会議」の初会合のあいさつの中で「ただ元に戻す復旧ではなく、創造的な復興案を示してほしい」と要請した。また、枝野幸男官房長官も11日、この会議の設置を閣議決定した後の記者会見で、「単なる復旧にとどまらず、将来を見据えた創造的復興を目指していきたい」と語った。

 ちょっとおかしくないか? 
 復旧は「単なる」といえるほど軽い事業なのか?

 大震災から40日経った今も宮城・岩手・福島の3県を中心に133400人余りの人々が避難所での生活を余儀なくされている(420 2012分、NHKニュース)。その中には体育館などに多数の避難者が布団を並べて休む例も多いが、段ボールで「仕切り」をするだけでは家族や個人のプライバシーはとうてい守られない。こうした劣悪な避難生活から持病が悪化したり肺炎で亡くなったりする高齢者が増え、ストレスに悩む人々も少なくないと言われる。子供も新学期を迎えながら、満足に勉学に励む環境にはない。さらに、たとえば、約160人が生活する石巻市の蛇田小学校では、今なお食事はおにぎりやパンが12回配られる程度で、野菜や肉などに含まれるビタミン類やたんぱく質は自分で工夫して摂取するしかないという。(asahi com, 20114212030)。

 こうした中で、「毎日新聞」が大震災から1ヶ月を機に3県で避難生活を送る100人を対象に行ったアンケートによると、「自宅を再建・修繕しますか」という問いに対して、「再建する予定」と答えたのは34人、「再建・修繕したいが見通しは立っていない」が37人、「再建・修繕は無理」が19人だった。 また、「今後の生計のめどは立っていますか」という問いに対して、「立っている」と答えたのは28人、「全くめどが立っていない」が49人だった。それでも、「住んでいた地域に戻りたいと思いますか」という問いに対して、54人が「必ず戻りたい」と答え、「もう戻りたくない」と答えたのは19人だった。
 
 ここから言えることは、不自由な避難生活を強いられている被災地の人々にとって、もとの生活に戻るという意味での「復旧」こそ死活の問題であり、「創造的復興」などという言葉をもて遊んでいるどころではないのである。その地に住む人々の足元の生活の復旧なくして、東北の「未来社会の創造」などあるはずがない。しかし、政府が72千戸を目標として掲げた仮設住宅の建設も、21日現在で完成は455戸に過ぎないという現実から言えば、「復旧」は「単なる」どころか、それ自体、政府、地元自治体が全力を挙げて取り組むべき一大事業なのである。

被災地は政治家や有識者の高邁なロマンの実験場ではない
 
菅首相は41日の記者会見で、東日本大震災の被災地復興に向け、「エコタウン構想」など、自ら描く街づくり計画を紹介した。「山を削って高台に住む所を置き、海岸沿いの水産業(企業)、漁港等までは通勤する」「植物、バイオマス(生物由来資源)を使った、地域暖房が完備したエコタウンを作り、福祉都市の性格も持たせる」という構想で、「復興構想会議」でこうした青写真を取りまとめたい意向という(2011420140  読売新聞」)。
 また、復興構想会議の委員の間からは、「文明は原発を使って人間の生活を豊かにし、便利にする。そういう文明が災害になった。いま文明が裁かれている」と述べ、日本文明のあり方にまで踏み込んだ議論をすべきだ」(梅原猛氏、「毎日新聞」2011415日))といった意見や、「新しい東北をつくる上で、ただ便利で効率がよい万博会場のような町にしてはならない」(内館牧子氏、同前)といった意見が出たという。また、復興構想会議の議長代理に就いた御厨貴氏は今回の大震災を機に日本は政治も社会、文明も「災後」の時代に入り、明治維新、敗戦に次ぐ転換点を迎えたとの歴史観を披歴し、復興構想「会議では、東日本、西日本を含めて再創造する話に持って行く必要がある」(「東京新聞」2011419日)と抱負を語っている。

 何か勘違いをしていないか?

 高尚な文明論を語るのは哲学者や政治学者の仕事なのだろう。しかし、復旧か復興かはともかく、被災地は有識者の高邁な理想を実験する場ではない。避難者はそんな高邁な議論を望んでいないし、それに付き合うゆとりもないはずだ。復興構想会議は、「会議は踊る」などと陰口をたたかれたくないなら、そんな高尚な議論を披歴する場であってはならない。

被災地の住民抜きの官邸主導の復興構想の不可解さ
 それにしても、被災地の復興といいつつ、会議の構成メンバーの大半が首都圏の大学教員や会社役員、マスコミ編集委員、脚本家、住職などで占められ、被災地からは県知事3人のみという構成はどういうことか? 政治家や防災専門家、建築家などが「山を削って高台に住む所を置き、海岸沿いの水産地・漁港等まで通勤する」などという遠大な構想を描くのは自由だが、そこで暮らす住民の意思抜きに勝手に復興計画をとりまとめ、「有識者の権威」を振り付けて「はいどうぞ」というやり方は許されない。

 宮城県が着手したように、まずは、被災地の県レベルないしは市レベルで被災の実態把握に努め、その上で被災地自治体とそこに暮らす住民の意向を丁寧に集約して住民主体の復旧計画を立て、その達成状況を見届けながら、復興計画の策定に着手するのが基本である。こうした被災地住民・自治体の主体的復旧・復興計画の立案と関連する、より広域的な社会的インフラの整備、産業立地の計画と調整、財源の確保、雇用創出の支援、人材の派遣などに努めるのが国の役割である。

 419日付の「東京新聞」の「本音のコラム」欄には「復興より復旧を」と題する鎌田慧氏の文章が掲載された。その中で鎌田氏は次のように記している。

 「被災者が望んでいるのは輝かしい復興ではない。いままでの生活の全復旧である。遠い未来よりも、明日の生活である。ところが、政治家や官僚たちは、未来の構想力の実験場にしたがる。」

 「政治家や官僚たち」に「通称有識者たち」を加えたいと思うほかは、全く同感である。

 この春は悲しむ町から桜咲け   神奈川県 梅若茂晴
                   (朝日川柳、2011414日)

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