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今、有馬朗人氏に問うべきこと

一徹に帰依した人?
 2011610日、「朝日新聞」夕刊の「人脈記」欄に「俳句 師を選ぶ」として、有馬朗人氏が紹介された。記事の冒頭に、有馬氏が俳句の師と慕った山口青邨の、<こほろぎのこの一徹の貌を見よ>という句が掲げられ、有馬氏の作句歴と人となりが紹介されている。山口は高浜虚子の高弟の一人であるとともに、東大の工学部教授として鉱山学に関わった。東大入学前に古本屋で山口の句集を読んでいた有馬は入学してすぐに山口の研究室を訪ね、弟子になり、以来、38年間、山口が96歳で亡くなるまで師として仰いだという。
 そして、記事の後段では、上記の山口の俳句に関する有馬氏の「この一句には、誰が何と言おうが、我が道を歩もうとする深い信念、一歩も譲らぬ頑固さが感じられ」るという批評が記されている。そして、記者はそれに続けて、「こと『一徹』ぶりに関する限り、〔有馬氏は山口青邨の〕不肖の弟子と言えまいか」と結び、この記事に「この一徹に帰依した」という標題を付けている。

 私はここで俳人としての有馬氏のことを論評するつもりはない。私が言いたいのは、今この時期に有馬氏にスポットを当てるなら、国旗・国歌法制定当時、文部大臣の職にあった有馬氏に、この法律の運用に関する同氏の国会での答弁に照らして、さらには、言論・思想の自由の府ともいうべき大学の総長を歴任した有馬氏に、日の丸・君が代をめぐって今、日本で起こっている事態について、所感を尋ねる質問なり、別途の記事なりがあってしかるべきではなかったかということである。

国旗・国歌法制定時の文部大臣として
 「朝日新聞」も報道したように、この530日と66日に、最高裁は、国旗掲揚時に起立して国歌を斉唱するよう義務付ける東京都立校の校長の職務命令は個人の思想・良心の自由を「間接的に」制約する面があることを認めながら、職務命令は学校の式典の場で儀礼的な所作を求めるものであり、そうした場面では生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保する必要があるため、個々の職員が自らの歴史観・世界観を外形的に表す行動に制限を課すことは許容され、思想・良心の自由を保障した憲法19条に違反するとはいえないとする判決を言い渡した。また、大阪府ではこの5月議会で国旗掲揚時に起立して斉唱することを教職員に義務付ける条例を制定したが、これに続き、9月議会では、君が代強制条例に従わない教職員を懲戒免職も含め、処分することを定める条例を上程することを検討中と伝えられている。まさに憲法19条が危機に瀕する状況といっても過言ではない。

 ところで、有馬氏は国旗・国歌法を審議した国会の場で文部大臣(当時)として次のように答弁している(下線は私の追加)。

○国務大臣(野中広務君) 広島県立世羅高校の石川校長がみずからの命を絶たれましたことは、今、亀井委員から御指摘がございましたように、県下それぞれの学校における国旗の掲揚、国歌の斉唱に端を発して、そして教職員組合や解放同盟等の激しい糾弾の中でついにみずからの命を絶たれたということを私どもも承知をしたわけでございまして、まことに痛ましい事件でございました。心から改めて深い哀悼の意を表したいと思うわけでございます。
 今、それから数カ月を経た経過を亀井委員からお伺いをしながら、私は、一人の校長先生を死に追いやるに至って、その後一人も線香を上げることがないということは、その先生を死に追いやるところまで追い込んだ先生方がどうして一人も石川校長の心情をわかってやろうとしなかったんだろうと思うと、まことに教育の現場を思う者として非常に悲しく思うものでございます。その背景となるものにまた問題を感じるわけでございます。
 その後、先日も触れましたけれども、民放の報道を通じまして小森委員長が言っておる宮澤大蔵大臣に対する言葉を聞きながら、私はこういう先生方が石川校長の霊前に行きたくとも行けない背景を知らざるを得ない。そう考えるときに、やはり国旗・国歌を法文化して明確にして、そしてこれが強制じゃなく、強圧じゃなく、学校の場で自然に、そして過去の歴史のゆがめられたところは率直にゆがめられたところとして教育の中にこれが生かされて、そしてそれがこれから我が国の国旗・国歌として定着をしていくように、そして学校現場では、先ほど申し上げましたように、強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が私は必要ではなかろうかと思うわけでございます。再びこういうことによって先生が死を選ばれたり、あるいはそのことが新たなる差別につながるようなことのないように、我々は文部省を含め万般の努力を重ねてまいらなくてはならないと思うわけでございます。

○国務大臣(有馬朗人君) ただいま御答弁になられました官房長官と私は考え方を全く同じくしている人間でございます・・・・・・・

○国務大臣(有馬朗人君) 内心の自由については今まで御答弁申し上げたとおりでございますが、学習指導要領に基づくことについて一つ確認をさせていただきたいと思います。教員は、関係の法令や上司の職務上の命令に従いまして教育指導を行わなければならないものでございまして、各学校においては、法規としての性質を有する学習指導要領を基準といたしまして、校長が教育課程を編成し、これに基づいて教員は国旗・国歌に関する指導を含め教育指導を実施するという職務上の責務を負うものでございます。本法案は、国歌・国旗の根拠について、慣習であるものを成文法として明確に位置づけるものでございます。これによって国旗・国歌の指導にかかわる教員の職務上の責務について変更を加えるものではございません
 (以上、いずれも(平成1182日、参議院国旗及び国歌に関する特別委員会記録)

 このように、当時、有馬氏は野中官房長官(当時)が「ある意味において押しつけたり、あるいは強制をするようなものであってはならない、自然にはぐくまれていくような国家づくりをしていかなくてはならない」(平成11730日、国旗及び国歌に関する特別委員会儀録)と明快に答弁したのと比べ、相当、あいまいで腰が引けた答弁ではあったが、国旗・国歌法の制定によって教員の職務上の地位に変更が加えられるものではないと繰り返し、答弁した。

国旗・国歌法の行きついた先は
 しかし、その後、上記のように、東京都をはじめ、いくつかの自治体では、国旗・国歌法を援用して学校行事の場において日の丸を掲揚する際に起立して君が代を斉唱することを職務命令として発出し、これに従わない教職員を次々に処分するという事態が起こった。有馬氏は国旗・国歌に対する指導を実施することを教員の職務上の責務と語っている(この点に私は同意しないが)が、ここでいう責務に従わない者を処分することまで有馬氏は是認していたのかどうか、そうした処分は思想・良心の自由を定めた憲法19条に反しないと考えるのかどうかは極めて重要な論点である。なぜなら、身分上の不利益処分を盾に起立・斉唱を迫るのは強制以外の何物でもなく、野中氏の国会答弁と全く同感と答えた有馬氏の言動と相容れないことになるからである。

 有馬氏が東京大学総長、文部大臣の職を離れて、長い年月が経過したが、国旗・国歌法制定に関わる国会審議の場で自らが述べた答弁と相容れない事態が起こったことについて、しかるべき所見を述べる道義的責任があることに変わりはない。さらに、大学教員としての職を経た私としては、言論・思想・良心の自由がここまで蹂躙されている事態に関し、さまざまな場面で発言の機会を得ている有馬氏が、沈黙を続けているのが不可解でならない。

 と同時に、「朝日新聞」がこの時期に有馬氏にスポットを当てながら、同氏が深く関わった国旗・国歌法の制定から派生した君が代強制問題について、有馬氏に何らの見解も質さないことに疑問を感じざるを得ない。「人脈記」欄が有馬氏のことを「一徹の人」と評するのであれば、同氏が過去の国会の場で語った見解に対する「一徹さ」、「こだわり」のほどを質してしかるべきではなかったか? こうしたリアルな現実を直視せず、紙面に取り挙げる人物に賛辞を送るのでは、読者に登場人物の実像を正確に、多面的に伝えることにならない。

元原子力委員会委員長として
 なお、有馬氏は第58代科学技術庁長官に就任していた当時、総理府原子力委員会委員長も兼務したが、 2011327日、新潟県民会館で開かれた日本物理学会 市民科学講演会において「エネルギーと地球環境の未来を考える」と題する講演を行った。私はこの講演を聴いたわけではないが、主催者が作成したチラシによれば、同氏の講演について、次のような紹介文が記されている。「日本の家庭電力を十分供給し、日本の産業を保っていくために、現時点では原子力エネルギーは必要不可欠です。科学と技術を発展させて、安全性と効率をさらに向上させていかなければなりません。」 

 http://w3phys.sc.niigata-u.ac.jp/~jps2011/poster110215.pdf 

 私は原子力の有用性・安全性について様々な見解を述べる学問上の自由は徹底して擁護されなければならないと考えているが、今回の福島原発事故を経験して、原子力の安全性に関する従来の日本のこの分野の科学者の専門家責任が厳しく問われている。そのような中、有馬氏がなおも、「原子力エネルギーは必要不可欠」と説くのであれば、それを正当化する説明責任が従来にも増して加重されている。また、「朝日新聞」に限らず、マスコミが有馬氏の近況を伝えるのであれば、同氏のこうした言動についても質す必要があったと思える。ただし、上の講演の紹介文が有馬氏の実際の講演内容を正確に伝えていないのであれば、有馬氏はしかるべき方法で、その訂正を周知し、原子力の利用、安全性に関する自らの所見を明示されるよう要望したい。

「有識者バブル」を打破するためにも
 昨今、マスコミには「専門家」、「有識者」が頻繁に登場している。しかし、マスコミはそのような肩書きで大学人、文化人、評論家を登場させるのであれば、各人の「専門家」たるゆえん、「有識者」たるゆえんを読者が納得できるような人選をし、言動の一貫性、時の政権与党からの自立性を質すのがメディアに求められる報道責任である。それなしには、報道機関は自らが「有識者バブル」の発生・普及に加担することを免れないのである。

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