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浅ましいのはどちらか?~メディアの自死を意味する消費税増税路線への翼賛~

野田政権に消費税増税をけしかけるメディアの異様な光景
 
 『毎日新聞』は1229日、民主党が今年度中に消費税増税の法案提出を決定したのは先の選挙で同党が掲げたマニフェストに違反するとして同党の9名の議員が離党を表明したのを受けて、「浅ましい年の瀬の混乱」と題する社説を掲載した。この社説は、昨年末に民主党政権が消費税増税や八ツ場ダムの建設再開などを決定したのは、同党が政権交代を果たした選挙の折に掲げた公約は総崩れしたことを意味するとみなし、「党の主要政策の方向と離党議員らの主張はかけ離れており、同じ党にいることがもはや不自然にすら思える」と記している。しかし、そういう一方で、9名の民主党議員が離党に踏み切った行動を「次期衆院選での逆風をおそれ、党に見切りをつけた自己保身」と断じ、野田首相に対して「時期や税率も含めた意見集約と法案化への作業をひるまず断行すべきである」と主張している。これでは野田政権に対して、公約違反も辞さず、消費税増税路線を突き進むよう叱咤激励するに等しい。

 離党した議員に対して、あくまで党にとどまり、マニフェストの履行を執行部に粘り強く迫るべきだと促すのなら道理がある。彼らに、このまま民主党にとどまるよりも離党した方が次期選挙にとって得策という読みがなかったとはいえないだろう。しかし、選挙の時に掲げたマニフェストが総崩れしたと断じながら、それに抗議して党を離れた議員を自己保身と決めつけるのでは論理が支離滅裂であり、公約を反故にしてでも消費税増税路線を突き進めと『社説』でけしかけるのは異様としか言いようがない
  この点では、9人の民主党議員の離党を「公約破りへの警鐘」とみなし、「政権幹部が彼らの行動を支えている国民の怒りを軽んじるなら民主党にもはや存在価値はない」と言い切った『東京新聞』の1229日付けの社説の方が道理にかなっている。

メディアは政治のプレイヤ―ではなくウオッチャーに徹すべき
 論理が支離滅裂なのは『毎日新聞』だけではない。『朝日新聞』は1231日の朝刊に「首相と増税――豹変して進むしかない」という社説を掲載し、野田首相が「『君子は豹変す』という立場で行革にも取り組む」と語った言葉を引き、覚悟を決めて消費税増税を断行するよう迫っている。しかし、行政改革を断行することは、その中味こそ問われなければならないが(注)、一般論としては当然のことであり、野田首相自身、民主党代表選にあたって発表した政見のなかで明言していることである。したがって、それを実行するのに政策を「豹変」する必要は全くない。むしろ、「行財政革が増税の地ならしに使われるようでは困る」(『北海道新聞』20111231日、社説)というのが正論である。

 (注)消費税増税に先立って政治家が「身を切る」努力の証しとして民主党は衆議院議員の定数を80名削減することをしきりに唱えている。また、大半のマスコミもこのような主張にそっくり同調している。はたして、日本の国会議員の定数が人口比で多すぎるのかどうかはこの先の記事で触れたいと考えているが、この問題は消費税増税と何の因果関係もない。むしろ、昨今の民主党の公約破りから、民・自2大政党の基本政策は限りなく近似していることが明らかになった。そうした中で、少数政党の議席の削減に帰着する衆議院の議員定数を削減することは、有権者の政策選択の幅を狭め、少数政党に期待する民意を切り捨てることになる。こうした選挙制度のあり方と直結する議員定数の削減を消費税増税に絡めるのは論外である。

 「豹変」というなら、政権交代時のマニフェストに全く掲げず、政権発足時に4年間は消費税を増税しないと明言した公約を翻して消費税増税路線を突き進むことこそ「豹変」である。朝日新聞の社説がこうした野田首相の発言を引き合いに出して消費税増税を断行するよう激励するのであれば、それは民主党のマニフェスト違反を擁護するにとどまらず、マニフェスト違反を奨励するに等しい
 ところが朝日社説は「8月の党代表選で、野田氏が勝った時点で、増税方針は決着していたのではなかったのか」という物言いで、政府・与党執行部が消費税増税法案の国会提出を決したことがマニフェスト違反にあたる事実から目をそらし、そうした党執行部の「豹変」に反発して離党を決意した9人の民主党議員の行動に非難の矛先を向けている。しかし、このような『朝日新聞』社説子の物言いは事実誤認・無視に基づく支離滅裂な主張である。
 
 まず、昨年8月の民主党の代表選にあたって決選投票を争った海江田、野田両氏が発表した政見のうちの財源論に関する見解を確かめてみよう(以下、民主党のHPより)。

海江田万里氏:
 「基礎的社会保障財源として、景気回復後に消費税導入を検討する。その場合には逆進性に配慮する。」
野田佳彦氏:
 「震災対策における財源措置を含め、財政健全化の道筋においては、税金の無駄使いを徹底的に排除する等歳出面での改革に全力を挙げなければならない。その上で歳入面での改革も併せて実行していく。」

 つまり、消費税増税というなら、野田氏よりも海江田氏の方がその点を明記しており、野田氏は増税についてさえ明記しておらず、「歳入面での改革も併せて実行していく」と記すにとどまっている。なお、代表選の投票直前に同党の全国会議員を前にした演説のなかでも野田氏は「議員定数削減、公務員定数と人件費削減にも全力で戦う。それでも足りないときは国民に負担をお願いするかもしれない」と語っているが、そこでの「負担」が何を指すのか、一切明言していない。

 
つまり、消費税増税というなら、野田氏に敗れた海江田氏の方が、景気回復を前提にして、と断りながらも明確に政見に掲げていたことがわかる。この意味で、朝日の社説が「国民に負担をお願するかもしれない」という野田氏の発言をさして増税方針と読み取り、「8月の党代表選で、野田氏が勝った時点で、増税方針は決着していた」と解釈するのは消費税増税に前のめりする主観に災いされた牽強付会な主張である。そもそも、増税というだけでそれが消費税増税を意味すると了解すべき理由がどこにあるのか?増税=消費増税という論調は自民党政権時代から政府・財務省が常用した世論誘導のなし崩し手法である。それと同じレトリックを民主党が用いているという意味では、政権交代ではあっても政策転換ではなく政策継承である。

 朝日社説が、増税といえば消費税増税を指すと了解しているのであれば、それは朝日社説が、自民党政権以来、政権政党が世論誘導のために常用してきたレトリックに一蓮托生で同化している実態の証左にほかならない。これでは時の政府与党の財政運営の批判的オブザーバーであるべきメディアの使命放棄にほかならない。なぜなら、消費税増税をめぐって日本のメディアに求められる最も基本的な役割は増税=消費税増税という論理の飛躍に待ったをかけ、それとは異なる歳入確保の選択肢を国民に指し示す自立した言論だからである。

 言いかえると、時の政権が推し進めようとする「なし崩しの現実に流されない」理知と知見を世論に付与することこそ、政治ジャーナリズムに課される最大の使命である。このような使命を忘れて、時の政権が唱える消費税増税路線に「進軍ラッパ」を鳴らすのではメディアは自死を選んだのも同然である。(『東京新聞』20111225日、<新聞を読んで>欄に掲載された水無田気流「『なし崩し社会』の問題」はこうしたメディアの役割を考えるうえで示唆に富んでいる)。

 次に、議論をもっと前に戻していうと、民主党代表選での各候補の政見はあくまでも党内向けの政見であって、そこで、あれこれの候補者が、かりに、政見交代時のマニフェストに掲げたわけではない消費税増税方針を打ち出したとしても、それによって民主党のマニフェスト違反を正当化できるわけではない。国民向けの公約と党内向けの政見を区別して議論をすべきことは政治評論のイロハである。

問題は増税の実施時期ではなく法案提出の時期である
 ところで、「浅ましい」という評語に話を戻すと、この言葉は離党した9人の民主党議員に向ける言葉ではなく、野田代表ら民主党執行部の党内合意の取り付け方にこそ向けられるべきである。なぜなら、増税反対派の抵抗にひるまずなどと大義を振りかざしているが、その実、民主党執行部が消費税増税について党内の了承を取り付けるにあたっては、8%への引上げ時期を当初案の201310月から半年ずらして20144月とするという小細工を弄している。そうすることで、増税実施の半年前には閣議決定が必要というタイムスケジュールを考慮しても、現衆議院議員の任期中(20138月まで)は増税しないとした政権交代時の公約をクリアできると考えたそうだ。しかし、選挙公約に違反するかどうかは増税の実施時期が任期内かどうかではなく、国会への法案提出が任期内かどうかで決まると考えるのが常識である。マニフェストに反する消費税増税の法案を現衆議院議員の任期内の今年度中に国会に提出しておいて、実施時期を任期外にずらすことで公約違反でないなどと言い募るのは、まさに姑息で浅ましい言いくるめである。それでも公約に反する増税を民主党政権下で行いたいのなら、解散して民意を問いなおすのが正論である。そうした手順を踏まず、将来の消費税増税を先食いする交付国債を発行するのも姑息の上塗りというものである。

 さらに、消費税増税にとどまらず、沖縄普天間基地の移設(撤去)、子供手当、八ッ場ダムの建設再開など、民主党が掲げたマニフェストは昨年末には総崩れの状態になった。私は民主党を離党した議員も、ここに至るまでの間にフニフェストを反故にしようとした党運営のあり方にどこまで異議を投げかけ、有権者に公約したことを守る主体的な努力をしてきたのか厳しく問われなければならないと考えている。しかし、「浅ましい」というなら、民主党が有権者に対する公約を反故にし、自民党政権時代の政策に回帰する政策を次々と打ち出して、政権交代に託した多くの国民の期待を裏切った自党の方針を結局は了承して鉾を納める議員の方がよほど浅ましくないか? それでも政権政党にとどまるのであれば、この先、党運営を抜本的に改めるよう自党に対して異議申し立てをする「覚悟」が求められる。そうした「覚悟」もなしに適当に「ガス抜き」をされて終わるのなら、そうした民主党議員の不作為あるいは無策こそ、自己保身として断罪されなければならない。

国民を熟議に導く取材報道こそメディアの使命
 もちろん、消費税増税をめぐって問題なのは、マニフェストとの整合性や政権・政党の政策の一貫性だけではない。それ以前に、財源といえば消費税しか俎上に乗せない民主・自民2大政党の異床同夢の発想、それに同化するメディアの報道姿勢がはたして正当化なのか? 今回、消費税の逆進性対策として提唱されている給付付き税額控除は逆進性を緩和・解消するうえでどれほどの効果を期待できるものなのか? 消費税の逆進性というと、最終消費の段階での逆進性が重要であることは確かだが、問題はそこだけなのか、仕入れ・販売の段階での転嫁の逆進性(販売力の格差に起因する転嫁の能力の格差)をなぜ問題にしないのか?全ての税目の滞納額の中で消費税の滞納が最も多いのはなぜなのか?滞納というと決まって「益税」が俎上に載せられるが、政府・与党は、なぜ、中小零細事業者が訴える「損税」(消費税を転嫁できない事業者が「自腹」切って納税をすること)の実態把握に努め、是正を検討しないのか?

 政府・財務省の広報を受け売りするのではなく、こうした消費税の転嫁、納税の実態を独自に調査し、国民に伝える「取材報道」こそ、メディアの存在価値の根幹である。そして、メディアはこうした取材報道に徹してこそ、消費税増税問題、広くは社会保障等の財源問題についてありうべき選択肢を示し、国民を熟議へと導く本来の任務を果たせるのである。

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被災者に寄り添う報道とはなにか(2012年1月2日)

新年のごあいさつ
 
 皆さまそれぞれに、日本中が揺れ動いた2011年の記憶を留めながら新しい年をお迎えのことと思います。月並みではありますが、皆さまには実り多い1年をお過ごし下さいますようお祈りいたします。
 このブログを始めたのは2006213日。それから6年が経過しました。昨年は1年間で43の記事を掲載しましたが、後半は更新が滞りがちでした。今年はマイペースとはいえ、ムラの少ない頻度で更新をしていきたいと思っています。どうか、よろしくお願いいたします。

「明るい話題」を追いかける被災地報道への疑問
 311以降のNHKの震災報道(夜7時のニュースやその前の首都圏ネットワークなど)をみてきて感じるのは、「被災者に寄り添う」というフレーズで、人気タレントが被災地を慰問したニュースや各地で被災者を励ます催しが行われたニュースに何度も接したことである。私も被災者に寄り添おうとする善意や「自分にできることを実行する」市民の姿を軽んじるつもりは毛頭ない。しかし、メディアがそうした「善意」に感情移入し、「明るい話題」、「ほほえましい話題」さがしに努める状況には強い違和感を覚える。
 というのも、被災者に寄り添うというなら、被災者の非日常的な一過性の話題ではなく、今の被災者が日々直面している重い現実、つまり、元の生活に戻れるのか、それとも新しい地で生活の基盤(住まい、職業、子どもの学校など)を築き直すことになるのか、について具体的な展望を探る番組こそが求められていると思うからである。

 そして、元の生活拠点に戻って生活を再建するのであれば、放射能除染の目途はどうなるのか、その際の死活問題になっている汚染物質の仮置き場の確保、最終処分の方法と工程づくりに行政はどう取り組んでいるのかを追跡する取材報道が求められるはずである。政府が掲げた冷温停止状態にこぎつけるという目標にメディアまでが照準を当て、政府発表を右から左へ流すだけの報道ではメディアの役割を果たしたことにならず、それでは真に被災者に寄り添う報道とは程遠いものである。
 また、元の住まいに戻ることを断念し、新しい生活の拠点を確保てし、そこで生活の再建を図るのであれば、新しい住まいの確保、職探しへの国や自治体の支援はどうなっているのか、当面、各地に散り散りになった避難者へ被災地の行政情報が滞りなく届けられているのか、子どもの転校は円滑に進んでいるのか、ばらばらになった家族が行き来するための経費や生活環境の激変に起因する健康被害の治療についても迅速に補償がされる仕組みができているのか――考え出せば、メディアが追跡すべき課題が山積していることが分かるはずである。

 被災者への精神的励ましを軽視するものでは決してないが、ストレスなどの健康被害もその原因と考えられる先の見えない避難生活をどう打開するのかという生活実態を直視することなく、いっときの被災者激励のイベントを追いかける報道では、真の被災者支援にならないことに思いを致さなければならない。
 
 以下では、元の地に戻ってか、新しい地でか、を問わず、被災者が生活を再建する上で必須の条件になっている被害補償のあり方を考えてみたい。なぜなら、メディアが被災者を励ます「明るい話題」を追いかける一方で、被災者にとって生活再建にもっとも切実な被害補償の現実と進捗状況をメディアはほとんど伝えていないからである。

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人分を書くのに15時間
 
~被災者の根負けを誘導するかのような分厚い補償金請求書類~
 
 東京電力は昨年912日から福島第1、第2原発事故被害者のうち、仮払金を支払った人々に対し、補償金請求に必要な書類一式の発送を行った。しかし、書類は60ページ、それとは別の説明書は160ページに上るうえに、表現も難解で書類を受け取った被災者の評判は頗る悪い。そのせいか、事故発生時から昨年8月までの損害分を対象にした第一次請求の提出は昨年11月末時点で、書類を送った約7万件の3割強(約22400件)にとどまり、うち東電との間で合意に至ったのは約1,560件(計34億円)で発送件数の約2%に過ぎない(『河北新報』20111226日)。

 同じ『河北新報』の20111226日の記事(焦点/東電の損害賠償請求書/「多い、難解」被害者悲鳴)は、南相馬市で農業を営んでいたIさん一家(7人家族)に依頼して実際に請求書を書いてもらったところ、4人分の避難生活に係る補償金請求を書き終えるのに15時間かかったという。その間、東電のコールセンタ-に問い合わせの電話を7回、毎回避難生活の状況を説明するため15分以上かかったという。それから数日後、Iさんが今度は南相馬市の自宅での生活にかかる被害補償の請求書を記入したところ、8時間かかったという。その際、問題は時間の長さだけでなく、精神的損害の請求が避難生活をした場合に限られ、自宅にとどまった場合は請求が認められない点にIさん家族は強い不満を訴えたことも記されている。

メディアが伝えない損害賠償請求の盲点
~日弁連の注意喚起~
 東電が公表した損害賠償請求手続については請求書の説明書類が膨大で、被災者に大きな負担を強いる点については、メディアも報道をするにはした。しかし、それは請求書が発送された時の一過性の報道にとどまり、その後、請求手続がどのように改められたのかを追跡した報道はほとんどなされていない。まして、請求の範囲、損害の証明方法等にみられた問題点は全くといってよいほど伝えられていない。被災者にとって生活再建のための必須の条件である損害賠償にはだかるこうした問題についての入念な取材報道を怠ったメディアが国民個々の善意から生まれる「明るい話題」探しに奔走する様は、「被災者に寄り添う」報道の安直さを如実に示している。

 メディアが「被災者に寄り添う」報道を心掛けるというなら、東電に対する原発被害の損賠賠償請求に関して被災者に立ちはだかる問題点を被災者はもとより、広く全国の国民に具体的に伝え、関心を喚起するよう努めるべきである。その際、東電に対する原発被害の損賠賠償請求に関して被災者に立ちはだかる問題点を知る上で、昨年9月以降、日弁連が会長声明の形で公表した以下のような一連の見解が非常に参考になる。

東京電力株式会社が公表した損害賠償基準に関する会長明(日連:2011年9月2日)

東京電力株式会社が行う原発事故被害者への損害賠償手続に関する会長声明(日弁連:2011年9月16日)

東京電力福島第一、第二原子力発電所事故における避難区域外の避難者に対する損害賠償に関する会長声明(日弁連:2011年9月30日)

東京電力福島第一、第二原子力発電所事故における避難区域外の避難者及び居住者に対する損害賠償に関する指針についての会長声(日弁連:2011年12月2日)
 
 これら一連の日弁連会長声明の中で私が特に重要と考えた点を摘記しておきたい。

1
請求を認めるべき損害の範囲について(その1
  昨年830日に東電が発表した損害賠償基準は賠償請求する被害額を(1)避難生活による精神的損害、(2)避難、帰宅費用、(3)医療費など生命、身体に関わる損害、(4)失業、休業による減収の補償、(5)放射性物質検査費、等に区分しているが、畜産農家にとって死活の問題である牛肉の放射性セシウム汚染に対する補償を認めるべきとの指摘、また、観光業とは違って、解約や予約控えといった形で被害を捉えられない小売業や外食産業等については、過去数年の売上げと利益の実績に基づいて損害額を算定することがより公平である、と指摘していること。

2.
請求を認めるべき損害の範囲について(その2
 
子どもや妊産婦の安全を考えて避難対象とされた区域以外の地域からも多くの人々が自主的に避難をし、それが長期化している実態に照らして、これら自主的避難者にも賠償請求を認めるべき、との指摘をしていること。

3
請求を認めるべき損害の範囲について(その3
 避難区域等にとどまって生活を続けてきた住民も、原子力発電所事故に伴う社会的混乱の中で多くの生活上の不利益を受け、放射性物質により汚染されている可能性のある地域で将来の健康上の不安などを抱えて生活することを余儀なくされているのであるから、避難区域等にとどまって生活を続けてきた住民の精神的損害も賠償請求を可能とするべきである、と指摘していること。

4損害を証明する書類の整備について
 緊急の避難や避難先の移動を迫られるなどの理由により、東電が求めるような損害を証明する資料を整えることが困難な被災者が請求を断念して泣き寝入りすることがないよう、こうした被災者に対して、東京電力の窓口への相談のみに頼るのではなく、各地の弁護士会に相談をするよう呼び掛けていること。また、各弁護士会が作成している「原子力災害被災者・記録ノート」を紹介し、これを活用するよう呼び掛けていること。
  原子力災害被災者・記録ノート

5
東電が提出を求めた賠償請求書ならびに合意書を提出することへの注意喚起
 東電が合意書を添えて提出を求めている請求書は複雑な書式になっており、請求漏れが起こったり、他の救済手段が採れなくなったりする恐れがあるという注記を被災者に喚起し、賠償額に不満あるいは疑念があるときには、安易に合意書に署名せず、原子力損害賠償紛争解決センターへの申立てや裁判所に対して訴訟を提起するなど他の手段も検討するよう呼び掛けていること。

 以上は、東電福島原発事故による被災者の生活再建にかかる損賠賠償に限定した問題点とそれに対処するために日弁連が発表した声明を紹介したものである。当然のことながら、これとは別に、津波によって生活の基盤を根こそぎ失ったり、地震によって家屋の被害を蒙るなどした人々の生活再建に不可欠な災害からの復旧・復興のための国・地方自治体の施策の具体化とその進捗状況を持続的に調査報道することもメディアに求められる役割であることはいうまでもない。

 繰返していうが、メディアに求められる「被災者に寄り添う」報道とは、被災者を和ませ、勇気づける「明るい話題」を追い求め、伝えることが主ではない。被災者が切実に求める生活再建の前途に立ちはだかる課題を調査報道で追跡し、掘り下げて国民に伝えること、それをとおして、被災者の生活再建の展望を具体的実体的に示すことこそ、メディアに求められる本来の使命であると私は思う。

2012 元旦に近くの神社に出かけた帰り道で。ウメは昨夏、体力が衰え、散歩の足取りも弱々しくなって気をもんだが、秋以降は元気を取り戻して、ご覧のような様子で年を越すことができた。

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