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死刑制度に関する内閣府の誤導的世論調査、それを受け売りしたメディアの報道

  「死刑執行は国民の声」というが・・・
 
 昨朝(329日)、殺人などの罪を犯した3人の死刑囚に対する死刑が執行された。おととし7月以来、18ヶ月ぶりの執行である。
 ところで、昨夜7時のNHKニュースはこの事実を伝えた後、死刑制度の存廃について24ヶ月前(200911月~12月)に内閣府が行った世論調査を画面に示し、「死刑を容認する国民は約85%に上っている」と伝えた。今朝の新聞も同様の報道をし、「85.6%が死刑容認」という内閣府の公表数字が一人歩きしている。たとえば、朝日新聞は内閣府が公表した調査結果を基に折れ線グラフを掲載し、2009年の時点では85.6%が「死刑存続(「存続」と表記していることに要注意)を支持」、「死刑廃止を支持」は5.7%と作図している。
  そして、死刑の執行を命じた小川敏夫法務大臣はこうした世論調査の結果を挙げて、「死刑執行は国民の声」と語っている。

 しかし、私は昨夜のNHKのニュース画面にこの85.6%という数字が「場合によっては死刑もやむを得ない」という選択肢への回答だったことが映されたのを見て奇異に思った。「場合によっては」という条件を付けた死刑容認の回答を「死刑容認」と一括りにカウントしてよいのか?こうした回答は「死刑の是非はケースバイ・ケース」という意味だと解釈することも大いにありではないか? ・・・・・NHKのニュース制作担当者にはこういう素朴な疑問が思い浮かばなかったのだろうか? 

 死刑制度をめぐっては世論の意思は重要な要素ではあるが、制度の存続を支持するにせよ、支持しないにせよ、それぞれの意見の根拠――死刑制度は犯罪の抑止力になるという主張は実証できているか? 応報思想で死刑を正当化できるのか? 更生の可能性がないことを以て人が人を殺すことを正当化できるのか?犯罪被害者およびその遺族の求める償い、癒しに死刑を以て応えることが正当かつ唯一の方法なのか、等々――を理知的に検証することが求められる。

 また、より現実的な問題として、近年、わが国では長期に拘留された死刑囚が再審を請求する事例が相次ぎ、中には請求が認められ、無罪(冤罪)に至る例も生まれている。また、殺人の罪で拘留された被疑者に対する違法な取り調べがあったと法定で断罪されたり、別人の犯行を示す有力な証拠が提出されたりする事例も生まれている。こうした事実を直視すると、死刑制度の存廃をめぐっては、無罪か死刑か、死刑が無期懲役かという生死を分ける判断の重みを受け止めた熟議が不可欠である。

「場合によっては死刑容認」を「死刑存続支持」と括ってよいのか?
 その点を断った上で、この記事では死刑制度をめぐる世論の動向を取り上げ、それを伺い知る資料とされている内閣府の世論調査の集計結果の読みとり方を考えることにする。それには、なにはともあれ、元資料に当たるのが先決である。そこでインターネットで検索すると、

 「基本的法制度に関する世論調査」平成2112月調査(内閣府大臣官房政府広報室)
  http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-houseido/index.html

というサイトが見つかった。問題の回答集計はこの中の表21(死刑制度の存廃)にある。その質問事項の回答として次の3つの選択肢が用意され、回答の分布は( )のとおりである(a, b, cは筆者が追加)。
 内閣府が公表した回答の集計結果:
 
  a. どんな場合でも死刑は廃止すべきである(5.7%)
   b. 場合によっては死刑もやむを得ない(85.6%)
   c. わからない・一概に言えない(8.6%)

 こうした質問形式に私は3つの疑問を感じた。
 〔疑問:その1〕 「場合によっては」という条件付き選択肢がなぜ「死刑容認」の回答にだけ付けられ、「死刑廃止」の回答には付けられなかったのか(「場合によっては死刑廃止もやむを得ない」という選択肢がなぜ設けされなかったのか?)
 〔疑問:その2〕 「場合によっては」の中味は一様だったのか、様々だったのか? その中味を問うことなく「死刑容認」と括ってしまってよいのか?  
 
〔疑問:その3〕年代別の回収率と年代別の意見分布の開きを突き合わせて回答結果を吟味しなくてよいのか?
 このうち、疑問12は論点が重なるので一緒に検討したい。

 「場合によっては」の内訳も調査されていた。なぜそれも伝えないのか?
 
 内閣府大臣官房政府広報室の上記のサイトを見ていくと、「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者を対象にした「将来も死刑存置か」という設問があることがわかる。回答の選択肢としては、「将来も死刑を廃止しない」、「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」、「わからない」の3つが用意されているが、この設問に対する回答の集計結果(表61)は次のとおりである(d, e, f は筆者が追加))。
  d. 将来も死刑を廃止しない(60.8%)
  e. 状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい(34.2%)
  f. わからない(5%)

 とすると、死刑制度の存廃に関する世論は次のように集約するのが正しいはずである。
 
  g. 将来とも存続させるべきである(85.6×0.608=)52.6
  h. 現在はやむを得ないが、将来、状況が変われば廃止してもよい(85.6×0.342=)29.3
  i. どんな場合でも廃止すべきである 5.7
  j. わからない・一概に言えない(8.685.6×0.05=)12.9

 これをもとに言うと、「死刑制度存続に賛成」は85.6%ではなく52.6%と伝える方が正しいことになる
内閣府あるいはNHKは、hを「少なくとも現在は容認」と解釈したのかもしれないが、皇室のあり方に関する調査と似て、死刑制度は今日明日に変わるものではない。したがって、死刑制度に関する世論調査は、単に現時点での容認・否認を確かめるだけでなく、制度の今後のあり方も含めた世論の動向を調査しようとしたものではなかったか? 「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた人のうちの34.2%が「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」と答えている点に着目すると、朝日新聞の記事のように、85.6%を「死刑存続を支持」と括るのは明らかに誤りである

この点で言うと、hの回答が約3割を占めたことは、少なくない国民の間で死刑制度に関する揺らぎが起こっていることを物語っている。

 このような報道のあり方では、政府が公表するさまざまな情報や資料を扱うに当たってメディアが備えるべき注意力を欠き、その結果、視聴者に誤った心証を形成させる恐れが極めて高いことは否めない。ニュースの中で、「死刑制度に関する国民的な議論が必要」と言いつつ、国民をミスリードする恐れの強い報道を躊躇いもなく行ったNHKや各紙の報道のあり方が厳しく問われなければならない。
 もっとも、朝日新聞をはじめ、かなりの新聞は国際人権団体アムネスティ・インターナショナルがまとめた死刑制度の存廃、運用をめぐる各国の動向を紹介しているのは有益な報道といえる。念のため、アムネスティ・インターナショナルのホームページにアクセスすると、
  http://www.amnesty.or.jp/modules/mydownloads/
 
というサイトがある。その中の「2011年の死刑に関する統計データ」を見ると、2012313日現在で、法律上・事実上、死刑を廃止した国は141ヶ国、存置国は57ヶ国となっており、法律上、事実上の死刑廃止国が世界全体の約71%に上っている。

 年代別の回収率と年代別の意見分布の開きを無視してよいのか?
 
 死刑制度に関する世論調査の集計結果を公表した内閣府の上記のサイトには「9.性・年齢別回収結果」が掲載されている。また、表21には「死刑制度の存廃」に関する年代別の意見分布が示されている。これら2つの資料をもとに、年齢別の回収率と意見分布をまとめると次のようになる。

<死刑制度の存廃について:年代別の回収率と意見分布>
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_nendaibetu_shukei_1.pdf
 
<将来も死刑制度存置か>(年代別の回収率は同前)
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_nendaibetu_shorai_no_zonpai.pdf

 したがって、死刑制度の存廃に関する年代別意見は次のように集約するのが正しい。

<死刑制度に関する年代別の意見集約>
     http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_sonpai_nendaibetu_ikenshuyaku.pdf
       
 これを見ると、回収率は年代が下がるにつれて大きく減少すると同時に、年代が下がるにつれて、「将来も存置」が減り、「無条件廃止」、「将来は状況によっては廃止可」が増える傾向が読み取れる。こうした傾向から判断して、仮に年代を問わず、回収率が近似していれば、全体の集計結果は「将来も存置」が減少し、「無条件廃止」、「将来は状況によっては廃止可」が増加したと考えられる。したがって、回収率の年代別の偏りを考慮せず、集計結果だけから死刑制度の存廃に関する世論の分布を忖度するのは好ましくないといえる。

 以上をまとめると、内閣府の死刑制度に関する世論調査から死刑制度の存廃に関する世論を利用するにあたっては、①「存続に賛成」、「死刑を容認」が大勢という集計結果を導くような不適切な選択肢や設問の仕方があること、②相対的に「死刑制度廃止」の意見がかなりの割合を占める若い年齢層の回収率が低いこと、に十分留意する必要がある。 

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「肩車社会」論のまやかし

 以下の本文は書式が乱れ、読みづらくなってしまいました。次のPDF版でご覧いただけると幸いです。ただし、URLで示した資料は以下の本文中に記載したURLをクリックして開いてくださるようお願いします。
 本文のPDF版

 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kurumagatashakaironnomayakasi.pdf


*********************************************

社会的扶養を運動会にたとえるレトリック

 「胴上げ、騎馬戦、肩車」・・・・野田首相が国民向けに消費税増税への理解を求めるために好んで使っているキャッチ・フレーズである。

総理ビデオメッセージ「社会保障と税の一体改革について(平成24217日)
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/201202/17message.html
「対談 安心を支え合う制度をゆるぎないものへ」野田佳彦;聞き手/小島慶子
http://www.gov-online.go.jp/topics/sz/sz_03.html

平たくいうと、
 過去は:多くの働き盛りの若者が1人のお年寄りを支える「胴上げ」型社会
 
 現在は:3人の現役世代が1人のお年寄りを支える「騎馬戦」型社会
 将来(40年後)は:1人の現役世代が1人のお年寄りを支える「肩車」型社
   会

と言うのである。
 何度も使うところを見ると、野田首相はよほどこのフレーズが気に入っていると見える。しかし、多少とも人口統計に通じた人なら、一国の首相がこういうデタラメな数字の使い方をすることに唖然とするはずである。

 野田首相が使う「3人が1人を」、「1人が1人を」という数字の出所は20061220日に国立社会保障・人口問題研究所が公表した「将来推計人口(平成18年推計)の概要」と思われる。
「将来推計人口(平成18年推計)の概要」
http://www8.cao.go.jp/shoushi/kaigi/ouen/tenken/k_1/pdf/s1-1.pdf
 

 

 この資料の4ページに「人口ピラミッドの変化(200520302055)」というデータが収録されている。そして、2005年(実績)、2030年(中位推計)、2055年(同左)と並んだ帯状グラフの下に、(65歳~人口)/(20~64歳人口)、つまり、老年者1人に対する現役世代人数を示す数字が記載されている。それによると、2005年は1人/3.0人であったのが、2030年には1人/1.7人に、2055年には1人/1.2人、となっている。これに着目して、野田首相は現在は「若者3人でお年寄り1人」を支えているが、40年後には「若者1人でお年寄り1人」を支える社会になる、このままでは若者の負担は3倍になると言うのである。

 しかし、国立社会保障・人口問題研究所が作成した人口ピラミッドの推計をこのように社会的扶養比率に転用するのは、統計数字の使い方に限定しても2つの初歩的誤りがある。一つは、分子の決め方の錯覚であり、もう一つは、自然年齢で扶養者/被扶養者の推移を輪切りして、長期的な社会的扶養比率(扶養する側とされる側の人数割合)を推計する手法の誤りである

ピラミッド型人口構成を社会的扶養比率に転用する誤り
 
 野田首相の誤り(知識欠如故の錯覚?)を平たくいうと、現役世代は自分のことは脇において、ひたすら老年世代を養うだけかのような分数計算をしているということである。加えていうと、野田首相が使っている扶養比率では、扶養される側にあるはずの年少世代がすっぽり抜け落ちている。
 そもそも、国立社会保障・人口問題研究所が示した(老年人口)/生産年齢人口)の比率は少子化、高齢化が人口構成に及ぼす長期的影響を推計したものであって、それ以上でも以下でもない。社会的扶養率を大雑把に表するのであれば、

 分母=扶養する人口=現役世代人口(≒生産年齢人口)
 分子=扶養される人口=現役世代人口+年少人口+老年人口=総人口

とするのが正しい(ただし、正確には年齢階級ごとの就業状況を踏まえた計算が必要である。これについては後述)。したがって、ひとまず、年少世代を度外視して野田首相が使った現役世代人口と老年世代人口比だけからいうと、

 現在は:4人/3人≒1.3 現役世代3人が自分自身を扶養しながら、3人で1人のお年寄りを支えている状況、 
 将来(40年後)は:2.2人/1.2人≒1.7 1.2人の現役世代が自分自身を扶養しながら、1人のお年寄りを支えている状況、

と表現するのが正しい。とすると、現在と比べ、40年後には現役世代の負担は3倍ではなく、約1.25倍になると言うのが正しいのである。

「従属人口指数」も社会的扶養の負担度を表す指標とはいえない
 
 しかし、野田首相だけでなく、統計資料の作成者である国立社会保障・人口問題研究所も――個別の専門用語は正しく解説しながら、現役世代(生産年齢人口のこと)の社会的扶養負担の指数を表す段になるとミスリーデングな解説をしている。
 この議論で登場するのは「従属人口指数」という用語である。現役世代(生産年齢人口)の(家族内での負担と区別した)社会的な扶養負担の程度を大まかに表すための指標として用いられている。本年1月に国立社会保障・人口問題研究所が公表した「日本の将来推計人口」では、従属人口指数(生産年齢人口100に対する年少人口+老年人口の比)を以て、現役世代の扶養負担の程度を大まかに表す指標とみなしている(3ページ)。
 「日本の将来人口推計」(平成24年1月推計)
 

  http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/gh2401.pdf

この資料いうと、

 現在(2010年):56.7(現役世代の1.8人で老年者・年少者1人を支える
  状況)
 2037年:80.0(現役世代の1.2人で老年者・年少者1人を支える状況)
 2060年:96.3(現役世代の1人で老年者・年少者1人を支える状況)

へと変化することになる。したがって、この計算式でいくと現役世代の扶養負担は27年後には1.4倍、50年後には1.7倍となる。
 しかし、現役世代の社会的扶養の負担度を表すのであれば、現役世代は自分は食うや食わずで年少世代や老年世代を扶養するわけではなく、自分も含めた全人口を扶養しているのであるから、

 現在(2010年):現役世代100人で156.7人(現役世代の100人+老年者・年少者56.7人を支える状況 → 現役世代1人で1.6人)を支える状況
 2037年:180.0(現役世代1人で老年者・年少者1.8 人を支える状況)
 2060年:196.3(現役世代の1人で老年者・年少者2人を支える状況)


へと変化することになる。したがって、現役世代の扶養負担は27年後には1.4倍、50年後には1.7倍となる。
 しかし、現役世代の社会的扶養の負担度を表すのであれば、現役世代は自分は食うや食わずで年少世代や老年世代を扶養するわけではなく、自分も含めた全人口を扶養しているのであるから、

 現在(2010年):現役世代100人で156.7人(現役世代の100人+老年者・年少者56.7人を支える状況 → 現役世代1人で1.6人)を支える状況
 2037年:180.0(現役世代1人で老年者・年少者1.8 人を支える状況)
 2060年:196.3(現役世代の1人で老年者・年少者2人を支える状況)


というのが正しい。とすると、50年後の現役世代の扶養負担は現在と比べて1.25倍と言うのが正しいのである。

自然年齢で扶養する人口と扶養される人口を区分する浅慮
 しかし、よく考えると、全人口/生産年齢人口、で現役世代の社会的扶養負担の程度(の推移)を測るのも相当にずさんである。なぜなら、扶養者とは所得稼得者を指すはずであるから、労働力人口(正確に言えば就業者数であるが、それは失業率のいかんで変わるので、ここでは就業する意思と能力をもつ者という意味で労働力人口を用いる)がそれに該当する。しかし、生産年齢人口のうちどれだけが労働力人口を構成するかは時代を超えて不変ではなく、定年制や女性の労働市場への進出の程度、高校・大学への進学率など、時代の推移とともに変化する。
 そうなると、生産年齢人口=扶養者、老年人口=被扶養者というように自然年齢で扶養する者とされる者を区分し、両者の割合の変化率で現役世代の社会的扶養の負担度を測ろうとするのは、相当に現実離れした発想である。
 そこで、総務省統計局『労働力調査』、独立行政法人 労働政策研究・研修機構『労働需給の推計』から、労働力人口の将来推計を確かめ、労働力人口1人が何人を扶養することになるか(以下、これを「労働力人口扶養比率」と呼ぶことにする)を計算すると次のとおりである。

 現在(2010年):労働力人口 6,814万人、総人口 12,806万人
  → 労働力人口扶養比率=1.88
 2030年:労働力人口 5,853万人、総人口 11,563万人
  → 労働力人口扶養比率=1.98
 2050
年:労働力人口 4,668万人、総人口 9,577万人 
  → 労働力人口扶養比率=2.05

となる。したがって、現在と比べ、40年後には労働力人口1人当りの社会的扶養の負担度は1.1倍程度の増加にとどまることになる。
 このように社会的扶養の実質的担い手といえる労働力人口で社会的扶養の負担の推移を測ると40年後の負担の程度がほとんど変化しないのは、
 ①生産年齢人口の中で、女性の労働市場への進出率(=生産年齢人口のうち労働力人口を構成する人口の割合:労働力率)がさらに高まると予測されること(2529歳の場合、2010年:79.2%、2030年:89.6%;5559歳の場合、2010年:52.9%、203072.1%)、
 ②老年人口の中でも6570歳の層で労働力率が大幅に上昇すると見込まれていること(2010年:男性49.5%、女性24.0%;2030年:男性62.0%、女性31.6%)、
が主な理由である。

 以上のように、現役世代が担う社会的扶養の負担度は野田首相がいうように現在から40年先にかけて、「騎馬戦型」から「肩車型」へと3倍になるわけではなく、約1.1倍程度の上昇にとどまると予測されるのである。

もっとも、扶養力が所得稼得力で決まることを考えれば、労働力人口1人当たりといっても、正規雇用か不正規雇用かで扶養力は違ってくる。たとえば、ワーキングプアの若者層は家族内でも社会的にも老年世代を支えるどころか、自分やその子供を支えるために四苦八苦している。また、性別の給与格差が性別の扶養力の格差を生み、母子家庭を厳しい経済状況に追い込む原因になっている。
 他方、老年世代では、世代内で大きな所得格差をはらみながら、ストック(貯蓄や金融資産の保有)の面で豊かな高齢者が存在し、現役世代と間に大きな格差が生れている。
 このような面まで考慮すると、自然年齢で扶養する者とされる者を輪切りして、「胴上げ型」、「騎馬戦型」、「肩車型」などと運動会になぞらえたレトリックで危機感をあおることがいかにまやかしの議論であるか、わかるはずである。

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公立保育園等のあり方にについて意見を提出

2012年3月18日

 近年、国が打ち出した新しい「子育て支援システム」に呼応して、全国各地で保育園の民営化が進行している。私が住む千葉県佐倉市でも、目下(といっても明日19日が締め切り)、市がまとめた「市立保育園等の在り方等に関する基本方針(案)について意見募集(パブリックコメント)がされている。

「基本方針案」と意見公募の広報
http://www.city.sakura.lg.jp/shiminkyodo/200sanka/010bosyu/20120305_012305000_01.htm

 また、それに先だって次のような提言が市長宛てに提出されている。
「佐倉市保育所の在り方検討会」:提言(平成233月)と会議録
http://www.city.sakura.lg.jp/kosodate/arikata/arikatakentoukai.html

 保育園というと私には孫の世代の問題であり、はじめは子育て世代の保護者に任せるのが穏当な気がした。しかし、事の発端が地方分権を掲げた三位一体改革の下での国の財政誘導(それまで公立保育園に交付されていた補助金・負担金を一般財源化した結果、地方交付税不交付団体をはじめ、富裕自治体とみなされた自治体には国からの交付がなくなるか激減する一方、民間保育園には補助金を交付するというシステム)にあることがわかった。そこで、身近な居住地の問題を自分なりに調べ検討して考えを発信するのは一住民の務めと思え、意見を提出した。深い検討の結果とはとても言えないが、自分なりに保育園の民営化問題を考えるきっかけにはなった気がしている。
 以下は提出した意見の全文である(原文のレイアウトを多少変更したが、内容はそのまま)。

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佐倉市立保育園等の在り方の関する基本方針(案)に対する意見(醍醐聰)

1.意見募集の方法について

 ①このような意見募集をするにあたっては出来上がった基本方針(案)(以下、「案」と略す)を示すだけでなく、(案)の取りまとめのプロセス、特に「佐倉市保育園等の在り方検討委員会」(以下、「検討会」と略す)の提言、同委員会での検討の状況を記した会議録も参考資料として添付してほしい。
 ②意見募集が「既に結論ありきの通過儀礼」ではなく、市民の意見を真にくみ上げる趣旨で行われるためには、基本方針(案)を取りまとめた後だけでではなく、(案)を取りまとめる途中段階(上記検討委員会での審議の途上)でも行う必要があります。

2.公立保育園の民営化について
 ①(案)は主に財政面での理由から、公立保育園の民営化(民間移管)を打ち出しているが、検討会の提言(2122ページ)には、<委員の主な意見>として、

 ・「民間では採算が合わず引き受けられない部分を公立が率先して引き受けないといけない」
 ・「身分が保障されていることが、公立の良さとしてある、保身に走ったり、経営者の言いなりになったり、同僚に対して競争を煽ったりするようなギスギス感は公立にはなかった」
 ・「公立には異動があります。経験豊かな人や、やる気のある人が異動してくることによって、園の雰囲気がまるで変わったり、行事に活気が出たりします」
 ・「年配の職員から若い職員まで年齢層に幅があるというのは、公立の売りかと思います。障害児保育等の推進や、豊富な知識経験の活用が期待できる」
   ・「公立には横の連携や地域とのネットワークがありますが、民間になってしまうと保てなくなってしまうのではないかという懸念はあります」
 ・「市の財政状況が厳しいことも十分承知していますが、子どもたちの育ちと子育てをどのように守っていくか、自治体の判断にかかっています」

といった意見が掲載されています。いずれも、公立の長所、民間立に対する懸念を当事者の体験を踏まえて指摘された意見と思えます。
 こうした意見と民営化をあくまでも推進しようとする提言や(案)の方向付けには大きなずれがあります。こうしたずれがなぜ生まれたのかについて、検討会会長、ならびに意見公募をされる市の担当部署は市民に分かりやすく説明していただきたい。

 ②佐倉市の保育所職員の勤続年数は公立の場合は平均約17年、民間の場合は平均約47年とのことですが、上の委員の意見の中にもあるように、幼い子供と向き合う保育では現場で培う経験、それを伝授していく職員内のシステムが保育の質を維持・向上させるうえで非常に重要だと思います。平均勤続年数47年という民間保育園でこの点がはたして担保できるのか、他市他県の実態も十分調査・研究した慎重な判断が必要です。2009626日に市内5つの園を視察されたとのことですが、正味2時間余りの時間で、かつ保護者からのヒアリングもなしでは、とても十分な実態把握ができたとは思えません。

 ③市は国の三位一体改革に伴う財政負担を民営化の主な理由に挙げています。しかし、県内の類似規模の市の間では公・民立の割合は一様ではありません。また、人口規模が類似する野田市、成田市、習志野市、流山市、八千代市、浦安市と比較しますと(平成21年度、「決算カード」による)、佐倉市は住民1人当りの歳出額は7市の中で最低(229千円)で、歳出のうちの民生費を比較しても同じく最低(65千円)です。このようなデータに照らせば、市が挙げる財政事情には説得力がありません。

 ④平成23929日に開かれた市議会本会議における議員質問の中で志津地区北部に保育園が不足している、という発言があります。しかし、平成234月に八社神社西に開園したユーカリが丘保育園は児童の応募がほとんどない無人に近い状況が続き、同年11月に閉園となりました。このような事実を検討会なり、市の担当部局はどのように把握され、判断されたのか、お聞かせ下さい。

⑤検討会の議事録を読みますと、幾人かの委員から、「民間の職員も臨時職員も公立の正職員と変わらないよい保育をしている」という発言がありました。しかし、民営化の是非や雇用形態を議論する時に問われるのは個々の職員の仕事ぶり(それは別の議論の場面では非常に重要ですが)ではなく、上の2-①で紹介した<委員の意見>にもあるような職員の経験の蓄積、伝承、創意が発揮できる職場環境といった制度面、環境面の問題です。従って、個々の職員の熱意なり意欲なりだけで保育園の設置形態を判断するのが適切ではありません。

 ⑥八千代市で2007年に民間に移管した4つの保育園のうちの1つで2名の保育士が20103月に、児童に不適切な行為をしたとして解雇される事件が起こりました。しかし、解雇された本人と園側、及びその他の職員の事件に関する説明が食い違い、保護者が求めた当事者職員から直接説明を聞く機会も持たれない状況が続いています。また、同園では民間移行後、園長が3人交代し、職員も計11人が退職するという尋常でない状態になっています。民間移管後も行政、法人、保護者が密に連携して、法人の事業運営を監督すると言われるのであれば、近隣市でのこうした事例に深い関心を寄せ、民営化後の行政のあり方だけでなく、民営化の是非の検討にあたっても参考とすべき点が少なくないと思います。この件について、市の担当部局なり検討会は、背景も含め、何らかの調査をされたのでしょうか?また、この件についてどのような知見、見解を持ちか、お聞かせ下さい。

 ⑦以上から、(案)が掲げる公立保育園の民営化には、その根拠も含め、疑問が山積しており、とても今の時点で民営化にゴーサインを出せる状況にはありません。山積した課題をさらに深めて調査・検討するよう、今回の意見募集も踏まえ、検討会での審議の再開、市内のブロックごとに保護者・市民から意見を聞く公聴会を検討会主催で行うよう要請します。

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出入り自由のサンルーム(?)に置かれた段ボール箱で仲良く休む野良ネコ(姉宅)
22950
日差しが差し込む居間でうたた寝するウメ
2012_021250

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