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死刑制度に関する内閣府の誤導的世論調査、それを受け売りしたメディアの報道

  「死刑執行は国民の声」というが・・・
 
 昨朝(329日)、殺人などの罪を犯した3人の死刑囚に対する死刑が執行された。おととし7月以来、18ヶ月ぶりの執行である。
 ところで、昨夜7時のNHKニュースはこの事実を伝えた後、死刑制度の存廃について24ヶ月前(200911月~12月)に内閣府が行った世論調査を画面に示し、「死刑を容認する国民は約85%に上っている」と伝えた。今朝の新聞も同様の報道をし、「85.6%が死刑容認」という内閣府の公表数字が一人歩きしている。たとえば、朝日新聞は内閣府が公表した調査結果を基に折れ線グラフを掲載し、2009年の時点では85.6%が「死刑存続(「存続」と表記していることに要注意)を支持」、「死刑廃止を支持」は5.7%と作図している。
  そして、死刑の執行を命じた小川敏夫法務大臣はこうした世論調査の結果を挙げて、「死刑執行は国民の声」と語っている。

 しかし、私は昨夜のNHKのニュース画面にこの85.6%という数字が「場合によっては死刑もやむを得ない」という選択肢への回答だったことが映されたのを見て奇異に思った。「場合によっては」という条件を付けた死刑容認の回答を「死刑容認」と一括りにカウントしてよいのか?こうした回答は「死刑の是非はケースバイ・ケース」という意味だと解釈することも大いにありではないか? ・・・・・NHKのニュース制作担当者にはこういう素朴な疑問が思い浮かばなかったのだろうか? 

 死刑制度をめぐっては世論の意思は重要な要素ではあるが、制度の存続を支持するにせよ、支持しないにせよ、それぞれの意見の根拠――死刑制度は犯罪の抑止力になるという主張は実証できているか? 応報思想で死刑を正当化できるのか? 更生の可能性がないことを以て人が人を殺すことを正当化できるのか?犯罪被害者およびその遺族の求める償い、癒しに死刑を以て応えることが正当かつ唯一の方法なのか、等々――を理知的に検証することが求められる。

 また、より現実的な問題として、近年、わが国では長期に拘留された死刑囚が再審を請求する事例が相次ぎ、中には請求が認められ、無罪(冤罪)に至る例も生まれている。また、殺人の罪で拘留された被疑者に対する違法な取り調べがあったと法定で断罪されたり、別人の犯行を示す有力な証拠が提出されたりする事例も生まれている。こうした事実を直視すると、死刑制度の存廃をめぐっては、無罪か死刑か、死刑が無期懲役かという生死を分ける判断の重みを受け止めた熟議が不可欠である。

「場合によっては死刑容認」を「死刑存続支持」と括ってよいのか?
 その点を断った上で、この記事では死刑制度をめぐる世論の動向を取り上げ、それを伺い知る資料とされている内閣府の世論調査の集計結果の読みとり方を考えることにする。それには、なにはともあれ、元資料に当たるのが先決である。そこでインターネットで検索すると、

 「基本的法制度に関する世論調査」平成2112月調査(内閣府大臣官房政府広報室)
  http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-houseido/index.html

というサイトが見つかった。問題の回答集計はこの中の表21(死刑制度の存廃)にある。その質問事項の回答として次の3つの選択肢が用意され、回答の分布は( )のとおりである(a, b, cは筆者が追加)。
 内閣府が公表した回答の集計結果:
 
  a. どんな場合でも死刑は廃止すべきである(5.7%)
   b. 場合によっては死刑もやむを得ない(85.6%)
   c. わからない・一概に言えない(8.6%)

 こうした質問形式に私は3つの疑問を感じた。
 〔疑問:その1〕 「場合によっては」という条件付き選択肢がなぜ「死刑容認」の回答にだけ付けられ、「死刑廃止」の回答には付けられなかったのか(「場合によっては死刑廃止もやむを得ない」という選択肢がなぜ設けされなかったのか?)
 〔疑問:その2〕 「場合によっては」の中味は一様だったのか、様々だったのか? その中味を問うことなく「死刑容認」と括ってしまってよいのか?  
 
〔疑問:その3〕年代別の回収率と年代別の意見分布の開きを突き合わせて回答結果を吟味しなくてよいのか?
 このうち、疑問12は論点が重なるので一緒に検討したい。

 「場合によっては」の内訳も調査されていた。なぜそれも伝えないのか?
 
 内閣府大臣官房政府広報室の上記のサイトを見ていくと、「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者を対象にした「将来も死刑存置か」という設問があることがわかる。回答の選択肢としては、「将来も死刑を廃止しない」、「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」、「わからない」の3つが用意されているが、この設問に対する回答の集計結果(表61)は次のとおりである(d, e, f は筆者が追加))。
  d. 将来も死刑を廃止しない(60.8%)
  e. 状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい(34.2%)
  f. わからない(5%)

 とすると、死刑制度の存廃に関する世論は次のように集約するのが正しいはずである。
 
  g. 将来とも存続させるべきである(85.6×0.608=)52.6
  h. 現在はやむを得ないが、将来、状況が変われば廃止してもよい(85.6×0.342=)29.3
  i. どんな場合でも廃止すべきである 5.7
  j. わからない・一概に言えない(8.685.6×0.05=)12.9

 これをもとに言うと、「死刑制度存続に賛成」は85.6%ではなく52.6%と伝える方が正しいことになる
内閣府あるいはNHKは、hを「少なくとも現在は容認」と解釈したのかもしれないが、皇室のあり方に関する調査と似て、死刑制度は今日明日に変わるものではない。したがって、死刑制度に関する世論調査は、単に現時点での容認・否認を確かめるだけでなく、制度の今後のあり方も含めた世論の動向を調査しようとしたものではなかったか? 「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた人のうちの34.2%が「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」と答えている点に着目すると、朝日新聞の記事のように、85.6%を「死刑存続を支持」と括るのは明らかに誤りである

この点で言うと、hの回答が約3割を占めたことは、少なくない国民の間で死刑制度に関する揺らぎが起こっていることを物語っている。

 このような報道のあり方では、政府が公表するさまざまな情報や資料を扱うに当たってメディアが備えるべき注意力を欠き、その結果、視聴者に誤った心証を形成させる恐れが極めて高いことは否めない。ニュースの中で、「死刑制度に関する国民的な議論が必要」と言いつつ、国民をミスリードする恐れの強い報道を躊躇いもなく行ったNHKや各紙の報道のあり方が厳しく問われなければならない。
 もっとも、朝日新聞をはじめ、かなりの新聞は国際人権団体アムネスティ・インターナショナルがまとめた死刑制度の存廃、運用をめぐる各国の動向を紹介しているのは有益な報道といえる。念のため、アムネスティ・インターナショナルのホームページにアクセスすると、
  http://www.amnesty.or.jp/modules/mydownloads/
 
というサイトがある。その中の「2011年の死刑に関する統計データ」を見ると、2012313日現在で、法律上・事実上、死刑を廃止した国は141ヶ国、存置国は57ヶ国となっており、法律上、事実上の死刑廃止国が世界全体の約71%に上っている。

 年代別の回収率と年代別の意見分布の開きを無視してよいのか?
 
 死刑制度に関する世論調査の集計結果を公表した内閣府の上記のサイトには「9.性・年齢別回収結果」が掲載されている。また、表21には「死刑制度の存廃」に関する年代別の意見分布が示されている。これら2つの資料をもとに、年齢別の回収率と意見分布をまとめると次のようになる。

<死刑制度の存廃について:年代別の回収率と意見分布>
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_nendaibetu_shukei_1.pdf
 
<将来も死刑制度存置か>(年代別の回収率は同前)
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_nendaibetu_shorai_no_zonpai.pdf

 したがって、死刑制度の存廃に関する年代別意見は次のように集約するのが正しい。

<死刑制度に関する年代別の意見集約>
     http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_sonpai_nendaibetu_ikenshuyaku.pdf
       
 これを見ると、回収率は年代が下がるにつれて大きく減少すると同時に、年代が下がるにつれて、「将来も存置」が減り、「無条件廃止」、「将来は状況によっては廃止可」が増える傾向が読み取れる。こうした傾向から判断して、仮に年代を問わず、回収率が近似していれば、全体の集計結果は「将来も存置」が減少し、「無条件廃止」、「将来は状況によっては廃止可」が増加したと考えられる。したがって、回収率の年代別の偏りを考慮せず、集計結果だけから死刑制度の存廃に関する世論の分布を忖度するのは好ましくないといえる。

 以上をまとめると、内閣府の死刑制度に関する世論調査から死刑制度の存廃に関する世論を利用するにあたっては、①「存続に賛成」、「死刑を容認」が大勢という集計結果を導くような不適切な選択肢や設問の仕方があること、②相対的に「死刑制度廃止」の意見がかなりの割合を占める若い年齢層の回収率が低いこと、に十分留意する必要がある。 

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コメント

亀井様

 コメント、ありがとうございました。ミスではとお知らせいただいた20歳台のhとjの数値の計算をチェックしましたところ、確かに、hは28.2%ではなく、32.1%で、jは12.7%ではなく、9.4%でした。2つの記事のその箇所をさきほど訂正しました。また、h, i, j の表記のミスも訂正しました。
 念のため、その表の各項目の数値の計算をチェックしましたが、他は間違いありませんでした。
丁寧にお読みいただき、お礼を申し上げます。

投稿: 醍醐 聰 | 2012年4月 5日 (木) 21時38分

以下は、醍醐先生の論旨に逆らうものではなく、むしろ強めるかと思いますが、〈死刑制度の存廃について:年代別意見の集約〉表の20歳代のh欄とf(jの誤記か)欄の数字が、それぞれ28.2→32.1、12.7→9.4となるのではないでしょうか。
会計学の先生に対してこのような指摘は失礼だと承知していますが、御説に深く納得した上で、数字をよく理解して感得しようと思っての再計算ですので、もしこの指摘が誤解に基づくものでしたら、当方の失礼はなにとぞお許しください。

投稿: 亀井 | 2012年4月 5日 (木) 12時18分

永田浩三様
 コメント、ありがとうございます。世界の約71%の国が法律上または事実上、死刑を廃止し、何年も死刑の執行を停止している国があり、死刑執行のモラトリアムを求める声が上がっているなかで、法務大臣が「死刑の執行が私の職責」と発言するのは異常という意識をメディアが持つことが第一と思えます。
 その意味から、ささやかながら、NHKに文書で意見を送りました(4月1日にアップした記事に載せました)。
 醍醐聰

投稿: 醍醐聰 | 2012年4月 2日 (月) 00時58分

醍醐さんのおっしゃることに賛同します。賛成と、場合によってはやむを得ないとでは、まったく違います。死刑というのは、国家の手によって命を奪うという行為です。狭山事件の一審判決も死刑でした。冤罪だけを問題にするわけではありませんが、厳罰化の方向が、犯罪被害者の救済と直結して語る、今のメディアに警戒感を覚えます。そういうことでは救済されない被害者もまた存在します。裁判員制度が始まった今、死刑について、より丁寧な議論のための材料を、メディアは提供すべきであって、雑で乱暴なデータをまことしやかに伝え、ミスリードすることは許されざることだと思います。

投稿: 永田浩三 | 2012年4月 1日 (日) 10時07分

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