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熊本訪問記 (1)~ゲスト講義とレンタサイクルで市内巡り~

熊本学園大学でゲスト講義
 920日、1日ゲスト講義ということで熊本学園大学へ出かけ、「会計と実体経済~レトリック会計学を超えて~」というテーマで講義をした。同大学の会計専門職大学院生向けの講義だったが、同研究科科長の藤田昌也教授はじめ、会計・租税法担当の末永英男教授、工藤栄一郎教授、成宮哲也教授にも聴講していただいた。年来の私の会計研究の中間(?)決算的な話をする機会を得たのはありがたかった。
 そのうえ、私の東大時代のゼミ卒業生で熊本でも屈指の税理士法人・公認会計事務所の熊本事務所の所長を務めている吉永賢一郎君、そして吉永君の御父君で同事務所会長の吉永茂氏まで聴講していただき恐縮した。吉永茂氏は熊本学園大学の会計専門職大学院で管理会計分野・監査分野・実践分野の講義を担当されている。

 
講義用レジメ
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kumamotogakuen_gest_lecture.pdf
 
講義用資料
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kumamotogakuen_gest_lecture.data.pdf

 講義のあと、懇親会を準備していただき、熊本学園大学の教授各氏、吉永父子、それとこの日の講義の事を聞きつけて小樽から遠路出かけてくれたゼミOBで小樽商大教員(監査論担当)の坂柳明君も参加して、話がはずんだ。

 同大学の会計専門職大学院は九州地区の公認会計士養成の拠点大学をめざしているとのこと。教員各氏の話しぶりからもその意気込みと自負が伝わってきた。教室でも40名ほどの受講者の目線が終始、こちらに集中し、さわやかな緊張感を感じながら講義を進めることができた。

 隣に座られた吉永茂氏に伺うと、50名もの職員を雇う今の税理士法人・公認会計士事務所を一代で築きあげられたとのこと。その間、職員を叱責されたことはほとんどなく、離職する職員もほとんどなかったという。
 今度は吉永賢一郎君に、どうしてお父さんの仕事を継ぐ気になったのか尋ねると、「おやじが張り合いのある様子で仕事をしているのを小さい頃から見て来たこともあるが、それ以上に、母親が楽しそうにしているのを見て、この仕事はやってみていいかなと感じたんですよ」という返事だった。普通に聞くと
優等生の答えだが、そうではない実感――吉永家の和やかな雰囲気が伝わってくる一言だった。

レンタクルで熊本城へ~荘重な宇土櫓を堪能~
 翌21日は市内巡りをする予定だったが、ホテルの部屋で見かけた一日レンタサイクルをフロントで申し込む。遅めの朝食を済ませ、自転車の手配をしてもらったフロントの女性に「いってらっしゃい。お気をつけて」と後ろから声をかけられ、さっそうと熊本城めざしてスタート。
 広大な城内をくまなく回るゆとりはなかったのでホテルのフロントで勧められた宇土櫓(うどやぐら)を中心に回ることにした。城内の駐輪場に自転車を止めて、二の丸駐車場の東側にあった無料案内ボランティアという看板の部屋に立ち寄り話を聞くと、1人でも1時間制で案内をしてもらえるとのこと。
 そこで私と同年輩くらいの男性ボランティアに道案内してもらうことになった。「それなら宇土櫓を案内しますよ。その後は簡単に道順を説明して失礼しますので、ゆっくり回ってください」ということに。

 ボランティア氏の案内を聴きながら頬当御門(ほおあてごもん)に近づくと左手に深い空堀に挟まれた宇土櫓がそびえ立つ。本丸の西北隅に位置し、20mの石垣の上に35階地下1階、地上約19mに立つ櫓は、天守並みの威容だ。ここが尊ばれるのは西南戦争の戦火にも唯一、耐えた、慶長年間(15961614年)の多層櫓だからである。空堀にそびえる分だけ、城壁が高く石垣は美しい。石垣は下の方は緩やかな勾配だが、上へ行くにつれて急角度になり、天端では75度の反りになっている。

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 宇土櫓は国指定の重要文化財になっているが、中は一般公開されている。一部は耐震補強されているが、それ以外は建築当時のままという。廊下は薄暗く、時々、ひんやりとした風が頬をなでる。いかにも由緒ある古城の城内という雰囲気だ。

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 ボランティア氏の後について急な階段を上り、最上階へ。広大な城内の眺望を楽しんだあと、階段を下って天守閣前の広場へ出る。そこで、向かって左手にある本丸御殿と天守閣の順路を説明してもらって別れた。分かれる間際に本丸御殿の手前左手に生い茂った銀杏の樹の由来を教えてもらった。


30_3
 
 この銀杏の樹は加藤清正が築城を記念して植えたといわれる。西南戦争の時、天守閣や本丸御殿とともに、この樹も焼失したが、幸い、残った根元から脇芽が成長し、このように生い茂ったのである。ちなみに熊本城は別名、「銀杏城」とも呼ばれ、毎年晩秋には黄金色に色づくこの銀杏の樹を観賞するため、多くの人が訪れるという。
 その後、本丸御殿に入って、大御台所、大広間、鮮やかな障壁画で彩られた昭君之間などを見て回り、最後に天守閣に上って城内めぐりを終えた。
 他にも、二の丸広場の一角にある時習館跡や熊本城から少し離れた横井小南記念館(四時軒)にも出かけたかったが、午後に予定していた熊本近代文学館とその隣の熊本県立図書館へ向かう時刻が気になり、これで熊本城を離れることにした(この稿、続く)。

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修学旅行プレーバック~小豆島の車中で聴いた「オリーブの歌」~

2012年9月18日

 先日、Yu Tubeの録画を検索していると、「小豆島のオリーブの歌」というタイトルが目に止まった。もしかしたらと思って聴いて見ると、やっぱり、あの歌だった。中学校の修学旅行に小豆島へ出かけた時に島めぐりのバスの中でガイドさんが歌ってくれた郷土の歌だ。二葉あき子さんが歌った歌だとは初めて知った。

「オリーブの歌」(加西新太郎作詞・服部良一作曲/二葉あき子歌唱、1957年)
http://www.youtube.com/watch?v=hxK0akWFeZA

 夢も楽しい そよ風に 
 みどり明るい オリーブの
 枝がさやさや 揺れている 
 ああ恋を知り 恋に泣く
 島の乙女の 胸のように

 小豆島町のHPに掲載された解説によると、小豆島とオリーブの関わりは、明治41(1908)に遡る。この年、農商務省は三重・香川(小豆島)・鹿児島の3県を指定して、アメリカから輸入した苗木の試作を行ったが、小豆島町の西村地区に植えたオリーブが順調に成育し、大正初めには搾油ができるまでになったという。

 その後、一般の農家も栽培するようになり、昭和31年には72ヘクタール、昭和39年には130ヘクタールまで栽培面積が拡大した。また、オリーブは昭和29年には県花に指定された。その後、農産物輸入自由化によりスペイン等から安価なオリーブ製品が輸入されるとともに栽培面積が減少し、昭和60年代前半には34ヘクタールまで減少したという。
 しかし、近年、消費者の健康志向やオリーブの持つ平和の象徴などのイメージからオリーブ関連商品の人気が高まり、小豆島のオリーブ製品も国産志向も相まって需要も増え、栽培面積は100ヘクタール以上まで回復したそうだ。

 小豆島というと、郷土生まれ壷井栄の原作・木下恵介監督で1954年に映画化された「二四の瞳」(主演:大石先生/高峰秀子)のことを外せない。小豆島と特定されたわけではなかったが、地元で行われたロケは島中を湧きかえらせたそうだ。その時の島の様子は、Yu tubeに投稿された次の録画でガイドさんが堂に入った解説をしている。

映画「二十四の瞳」ロケの秘話(201063日撮影)
http://www.youtube.com/watch?v=_TFt1wHSoJw&feature=related

2050_12310010_2
↑ こんな写真を見ると、私も小学3年生の時、昼食の時間になると、学校の東隣のため池へ担任のK先生に連れられ、土手で弁当を広げたのを思い出す。先生は近くの小枝をポキンと折って箸にしていた。弁当をすませると池の南側に広がる墓地でみんなとかくれんぼをした。ある日、鬼が近づいてきた時、先生は大きなスカートをぱあと広げ、すっぽり私にかぶせて隠してくれた。

 話を修学旅行のことに戻す。「オリーブの歌」は最初の一節は覚えていなかったが、その後の「みどり明るい・・・」以下は歌詞もメロディも、しっかり暗誦できる。それほど記憶に残っているのは、小豆島の島めぐりも終わりに近づいた時、バスガイドさんがぽろぽろ涙を流しながら、この歌を熱唱してくれた光景が忘れられないからだ。私には、あれほど一途な人の姿を見るのは生まれて初めてだった。いくつになっても、心底、純真な態度、振る舞いは人の心を打つものだ。私は小学生の時代、そういう先生に恵まれた。4年生の時は、週末、担任のY先生に汽車とバスを乗り継いで何度も植物採集に連れていってもらった。
 年を経るごとに、そしてあの小豆島の修学旅行のバスの中で聴いた「オリーブの歌」を聴くたびに、小学生時代の恩師と級友のことを懐かしく思い出す。

 小豆島町の人口は、1947年の33,328人をピークに減少が続き、2010年の国勢調査では16,152人まで減少したとのこと。町では、島内の空き家情報を提供するなどして、移住を呼びかけている。

 3日前、連れ合いに「もういちど行ってみたい」と声をかけると、「いいよ。一度もいっていないから」という返事だった。

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若者を使い捨てる「ブラック企業」

20129月8日

特報首都圏「職場を追われる若者たち」を見て
 昨夜(97日)、NHK特報首都圏が放送した「職場を追われる若者たち~急増する“いじめ”や“排除”~」を見て考えさせられた。1週間ほど前に5年ぶりに会った友人(私より3回りほど若い人)から、「再就職先がみつかったのはよかったけれど、まるでブラックな職場だったのですぐに辞めた」と話しかけられ、「ブラック」の意味がわからなかった。昨日(9月7日)の朝日新聞の<働く>欄に掲載された「使い捨てられる若者」という記事を読んで、「ブラック企業」の意味が遅まきながらわかったところだった。
 それだけに、昨夜の特報首都圏の番組にはくぎ付けにされた。番組の紹介記事には次のような予告が記されていた。

 「ホームレスや生活保護となる『若者』が今、増え続けている。深刻なことに多くを20代が占めるようになっている。正社員を解雇されたり、あるいは非正規雇用で仕事が極度に不安定だったりする中で、住む家さえ失うケースが増えている。大きな背景の1つは、職場での凄まじいまでの『いじめや排除』だ。過酷な労働を押しつけられ、体を壊したり、職場で責められ続け、心に強いPTSDを負ったり。また仕事がうまくできない『ボーダー障害者』の若者も増える。社会に出た当初から職場を追われて貧困に苦しみ、貧困を抜け出せない。新たな段階に来た、若者の貧困。どんなことが起きているのか、どんな支えが必要なのか、考えていく。」

 番組では、スタッフが新宿で、職場のいじめ・排除にあって退職、その後、野宿生活をする中でPTSDに苦しむ一人の若者を取材する場面、あるいは、仕事の上でのわずかなミスにも脅迫的な攻撃を受けて退職に追い込まれたことから、人と対面する仕事に恐怖を覚え、なかなか再就職できず、NPOが運営する生活保護施設に入った若者の姿を追う場面が放送された。

「ブラック企業」とは
 参考までに、今朝の朝日新聞の上記記事に掲載された<これが「ブラック企業」だ>を紹介しておく(出典は、NPO法人POSSE著『ブラック企業に負けない』旬報社)。
①入社後に選別競争
 とりあえず働かせてみて、会社が「使えない」と判断したら「試用期間満了」を口実に解雇する。
②残業代を払わない
 タイムカードを改ざんするなど書類をごまかす。月給を時給に換算すると最低賃金に満たないケースも。
③新卒の使い捨て
 過労死寸前まで働かせる。研修時に「10キロ歩いてこい」など理不尽な課題を出し、どんな命令でも「おかしい」と思わないようにする。
④退職時の嫌がらせ
 失業手当の受給に必要な離職手続きをしなかったり、最終月の給料の支払いを拒否したりする。
⑤戦略的パワーハラスメント
 本人が会社に行きたくないと思うまで嫌がらせをする。「解雇」にはしたくないので、辞表を書くまで辞めさせない。

特報首都圏に送った感想・要望
 以下は、番組終了後に特報首都圏宛てにE・メールで送った感想・要望の全文である。

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 今日(97日)、放送された「職場を追われる若者たち~急増する“いじめ”や“排除”~」に引き寄せられました。テロップで流れる視聴者の感想にも考えさせられました。1週間ほど前に会った友人から、「再就職先がみつかったのはよかったけれど、まるでブラックな職場だったのですぐに辞めた」と話しかけられましたが、「ブラック」の意味がわかりませんでした。ちょうど今朝の某全国紙に掲載された「使い捨てられる若者」という記事を読んで、「ブラック企業」の意味がようやくわかりました。今年の426日に「クローズアップ現代」で放送された「やめさせてくれない~急増する退職トラブル~」も同じ実態に迫った番組だったわけですね。
 番組を見て私が特に重大だと思ったのは、職場で上司や同僚から受けた陰湿で脅迫的な「いじめ」、「排除」によって人格まですりつぶされかけた若者が少なくないことです。「会社都合」ではなく、「自己都合」で辞めさせるまで追い詰める陰湿なやり方も大問題ですが、人間の尊厳まですりつぶすような攻撃にさらされた結果、抵抗や批判をする気力まで破壊される若者が少なくないのは痛ましい限りです。
 とかく目を閉ざしがちなこうした社会の深刻な恥部、暗部に正面から迫った企画に拍手を送ります。広く社会にこうした現実を知らしめ、関心を促すためには第2弾、第3弾が必要です。その際には、次の点を要望します。
 今回のテーマに限らず、現在社会の深刻な現実を伝え、それにどう立ち向かうのかを考える際、NHKの番組では、制度や仕組みの問題点を批判的に深めることよりも、自分たちにできることは何かを考え、行動するNPOや市民の活動を紹介する場面をしばしば見受けます。そうした活動をしている団体、個人の方々の努力とご苦労には頭が下がります。
 しかし、番組中にテロップでも流れていましたが、「いじめというより、もはや犯罪といえる行為」を実行している当事者あるいは当事者が所属する上部経済団体は、放送された現実をどこまで把握しているのか、どのように対処しようとしてきたのかについても是非、取材し、その生の反応を伝えてほしいと思います。「企業も追いつめられているからだろう」という達観で終わっては、問題を放置したままになります。

 また、こうした職場における“いじめ”や“排除”の実態を労働行政当局者、労働監督当局者はどこまで把握しているのか、どのように対処しようとしてきたのかについても是非、取材し、その生の反応を伝えてほしいと思います。
 こうした取材報道を通じて、視聴者は社会の不条理をどのようにして解決すればよいのかを考える糧を得られるのだと思います。<考える視聴者を育む>ことこそ、公共放送の最高の使命だと思います。
 今後のますます優れた番組づくりを期待しています。

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 上の文中の最後の2つのパラグラフを書きながら、昨今、表面化している各地の中学校におけるいじめ自殺をめぐって学校当局、教育委員会に向けられている言葉とそっくり同じであることに気が付いた。

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 拙書『消費増税の大罪』(2012年7月、柏書房)の第5章「真の社会保障を求めて」の中で、データを示しながら、非正規雇用の問題を取り上げています。一読いただけると幸いです。
  第5章 真の社会保障を求めてーー税制改革の基本理念
    行き詰るEUの緊縮財政路線
    社会保障の充実が国の税源を涵養する
    雇用環境の改善による負の連鎖からの脱却
    「肩車型社会論」のまやかし

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